うわべ だけの GIRL 2










 1日の最後のホームルームで、担任の教師が紫色の表紙で挟まれた小冊子を配ったのが、ちょうど文化祭の一週間前。
 今年は例年に比べてずいぶん情報の開示が遅いと生徒達が口を揃えて言っていたが、配りながら担任が説明するところによると『記者対策だ』──とのことだった。
 さもありなん。
 何せ夏の甲子園が終わってから今まで、すでに「五人」は野球部を引退しているにも関わらず、毎日のように記者は押し寄せてくる。
 それは10月に入ってから尚酷くなり──秋季大会真っ只中の野球部員を捕まえては、「先輩達から、ドラフトの話とか聞いてない?」と聞かれることもしょっちゅうだった。
 そんな中、ドラフトが目の前に迫っている11月も上旬の「外部立ち入り自由」の「文化祭」ともなれば──学校側が慎重になるのも無理はないだろう。
「ま、そんな心配も来年までだろうけどな〜。」
 渚の席の隣の男子が、そんなことを呟きながらペラペラと「明訓祭」と銘打たれた箔押しの表紙を捲る。
 ワープロで作られた目次要綱は3ページに渡っていて、私立明訓高校も、外部からの客がドッと増えるだろうこの日──特に今年──は、とても気合を入れているのが良く分かった。
「バカ言え。来年は俺が騒ぎの中心になってるって。」
 渚はニヤリと笑って、そんな軽口を叩いてやると、相手は軽く目を見張った後、同じようにニヤリと口元を歪めて、
「お、言ったな? なら、期待してるぜ、ヒーロー。」
「まかせとけ。」
 自信たっぷりに頷いて、渚は自分の手元に来た文化祭要綱をペラペラと捲る。
 まず最初にチェックするのは、3年生のクラス──先輩達のクラスが何をするかだ。
 縦社会のスポーツクラブとしては、ちゃんとチェックしておかなくてはならないところである。
「えーっと……、……里中さんのクラスは喫茶店だって言ってたっけ。」
 言いながらページを捲ると、すぐに探していたページが見つかる。
 宣伝も含めた小さな白黒の宣伝用コメントには、「喫茶店 各種ドリンク揃ってます」と愛想の欠片もない文字が書かれていた。
──二年生と一年生でも同じように喫茶店を催すクラスがあるのだが、そのクラスはこれでもかというほど飾り立てた文字が躍っているというのに。
「……やる気、ないなぁ……。」
 思わずそう零してしまうほどだ。
 自分たちのクラスの出し物──綿菓子とカキ氷の出店ですら、可愛らしいイラストが描かれた宣伝をしているというのに。
 これでは、閑古鳥が鳴いて、赤字経営になるんじゃないかと、心配になる状態だ。──まぁ最も、こういう状態でも、「里中と山田と岩鬼のクラス」だと言うだけで、外部の人間がゾクゾクと集まってくることは間違いないだろう。
 それも考えての簡素なコメント欄なら、分からないでもない。
「え、岩鬼先輩達のクラスって、喫茶店なのか? 三年なのに余裕だな〜。」
 渚の呟きを聞きとがめたらしいクラスメイトが、呆れたように零す。
 普通、この時期の三年といえば、受験組も就職組も、最後の追い込み真っ只中。この時期に1日でも遊んでしまえば、数ヶ月後には後悔すると、二年生のうちから先生連中に叩き込まれることを思い出してのそんな台詞に、
「──……そういえば、そうだよな〜……里中さん、大丈夫なのかな……。」
 思わず眉を寄せて、渚はそんなことを呟く。
「山田先輩や岩鬼先輩はさ、そりゃー、ドラフト狙いって所だから、就職活動や進学もなんのその、だろうけどなー。」
 椅子の背もたれに体重をかけて、頭の後ろで手を組みながら、ぎぃ、と椅子を傾けるクラスメイトの台詞に、渚はあいまいに相槌を打つ。
 そんなことは、クラスメイトからわざわざ言われなくても分かっている。
 明訓の5人の卒業後の進路は、新聞がこぞって書き立てているように誰もが気になることだ。
 興味がない明訓の生徒だとて、連日のように記者に捕まって聞かれていれば、否が応でも耳にはいってくる。たとえ山田達から進路のことで話を聞いていなくても、野球部の後輩である以上、記者陣だとか先生達だとかから、噂話よりも信憑性のある話が流れ込んでくるのだ。
 それで行くと、山田と岩鬼はドラフト待ち。殿馬は音楽の道に進む意思を決めて、海外留学。微笑はノンプロ狙い、里中はY稲田狙いが濃厚な線のようだった。
「一学期丸々勉強が遅れてるだけでも不利なのに……。」
 とは言うものの、監督である大平の弁を借りるなら、里中は基本的に本番に強いから、今の成績なら何も問題はない──とのことだが。
 それでもやはり、心配といえば心配だ。
 記者からコッソリ聞いたところでは、里中が「Y稲田」への進学の意思を決めた新聞が出た瞬間から、なぜか「一応受けてみようと思う」という女が増えたとか言う話を聞いたから。
 ──ある意味、イヤな競争率増加だ。
 そんな中、いくら文化祭の3日間の間で、たった2時間の店番だけでいいと言われたと言っても……やっぱり、その「二時間の店番」だって、大切な二時間には違いないのではないだろうかと、余計な心配心がムクリとこみ上げてくるのを止められなかった。
 そんな渚の眉間の皺を、クラスメイトは気軽に笑い飛ばしてくれる。
「でもさ、さっすがに進学希望の人間まで、引っ張り出さないだろ?」
──……だから、里中さんは店番をするんだよっ。
 何も知らないくせにと、思わず苛立ちまぎれにそう答えようとした矢先──ふと渚は思い出した。
 野球部の合宿所にやってくるなり、クラスで喫茶店をやるから、ノルマ分のチケットを買ってくれと言われて、二年生5人全員で一枚ずつ購入した「チケット」。
 今も渚の財布の中に忍ばされているソレは、実を言うと、野球部員達は全員、「里中の店番」の時には使用できなくなっている。
 なぜなら、里中の店当番は「文化祭三日目、日曜日の朝10時から二時間」──だからである。
 ちなみに言うと、同じ日に野球部は他校との練習試合が入っており、里中の担当時間は、その練習試合の前ということになる。思わず、「試合は1時からなのに、大丈夫なんですか!?」と聞いたから、里中の店番の時間に関しては、確かである。
 さらにその挙句、10時ギリギリに飛び込んだら、里中さんの店番にチケットを使いにいけるかと、そう目配せを交し合った後輩達の頭の中を覗いたかのように、里中から、「そのチケット、使うなら俺の時間帯外にしろよ」と命令を受けてしまっている。
 練習試合前に、グラウンド整備や体をほぐしたりしなくてはいけないような時間帯に、野球部員がジュースなどを啜っていてはいけない。
 そのことには厳しい山田も里中も、チケットを持って里中の時間帯にホイホイ現れる後輩達を、決して許してはくれないだろう。
 里中達の言い分は、分からないでもないが、正直な話、渚たち野球部の後輩にとっては面白くなかった。
 最後の文化祭なのだから、せめてそれくらいは楽しませてくれてもいいではないかと思うのだが──、狙っているとしか思えない時間帯に臍をかむしかなかった。
 まぁどうせ、1時の試合開始の時間帯には、イヤでも里中達5人は、最後の明訓の練習試合の「審判」をしに来てくれるのだから、これ以上ワガママを言ってはいけないのだろうが。
 あと半月もすれば、ドラフトが決定して、そうなれば山田も岩鬼も、今のように気軽に練習試合を頼めなくなるだろうし。
──そのことを踏まえた上で、渚はチラリと視線を横手に走らせると、ニッコリと同級生相手に笑いかけて、
「そりゃ、そうだよな〜! さすがに進学希望の里中さんが、店番とか大道具とか、するわけないよなー!」
 あえて、「何も聞いてない」フリをしてみせた。
 さらにその真実味を際立たせるように、うんうんと腕を組んで頷いて、
「日曜日の1時から、練習試合の審判をしてくれるって言うだけでもありがたいことだしな! そんな、クラスの出し物の方にまで、手を出してるわけ、ないか!」
 朗らかに、明るく──ウソを付いてやった。
 そんな渚に、
「お……──っ、そういや、今年も野球部は、練習試合をするんだったか?」
 クラスメイトは、容易く騙されてくれて、渚の話に乗ってきてくれる。
 もちろん、お前が投げるんだよな? と話を振られて、もちろんそうさと、渚はヒラヒラと掌を翻す。
「ちょっと袋田が頼りにならないけど、俺が投げれば楽勝、楽勝。」
 持ち前の自信たっぷりさで笑ってみせる渚の台詞に、よく言うぜ、と彼はケタケタと笑った。
「ま、応援に行くからさ、頑張れよ。」
「まかせとけ。」
 ニヤリと笑うクラスメイトに、胸を張りながら答える。
 その渚が、笑顔の奥で、
「……俺が行けないのに、里中さんの当番の時間帯なんか教えてやるかよ。」
 そんな負け惜しみが吐かれていたことに気づくのは、同じような気持ちを抱いているだろう野球部員以外には、決して分からないことなのであった。














 折り紙で作られたレイで飾られた窓の外では、途切れることなく賑わいが響き渡っていた。
 ざわめき、笑い声、遠くから聞こえる生演奏の音。
 窓を開ければ教室の中から香るものとは別のいい匂い。
 それを窓から見下ろしていると、いつも授業を受けているのと同じ場所とは思えないほど別の場所に見えた。
 豪華に飾り立てられた門と、それに続く華やかな飾りで覆われた街道。左右には生徒の有志による出店が並び、呼び込む掛け声が飛び交っている。
 校庭の方では小さなミニゲームが繰り広げられ、昨日はビンゴ大会やカップルコンテストだの、日曜日の本格的な騒ぎの前夜祭のような盛り上がりを見せていた。
 それらの窓の外の賑わいとは、全く違う──閑古鳥が鳴くクラスを振り返り、副委員長は脚を組みかえる。
 振り返った教室の中は、いつもの3分の2ほどの大きさに減っている。
 それもそのはず──後ろ半分の3分の1は、衝立で隠されているからである。
 わざわざ大道具係り班に作らせた衝立は、背の高い男子でも覗き込めないほどの高さがあり、表側は綺麗な黒色で塗られていた。
 人が二人ほど並んですり抜けられるほどの広さの衝立の間には、カーテンが上から掛けられており、かすかに開けられた隙間から向こう側が透けて見える。
 ──机をくっつけて作られた簡易作業台の上に、紙コップや紙皿が置かれていて、見えない場所にはレンタルしてきた冷蔵庫や製氷庫が置かれているのだ。
 教室の中に広がる香は、クラスメイトが貸し出してくれたコーヒーミルで挽いたばかりの、コーヒー豆のそれ。
 ジュースは酒屋のただのジュース瓶に過ぎないが、コーヒーだけは喫茶店の淹れ立てコーヒーの味は出せていると思う。
 文化祭の出し物喫茶店にしては、上等──だと思うのだけれど。
「……暇ねぇ。」
 さすがに、宣伝という宣伝をしていない状態では、客の付きは全くと言っていいほど無かった。
 前を通りかかる客は居ても、飲みに入ってくる客はすべて前売りのチケットを売りさばいた相手ばかり。
 来てくれた客からは、コーヒーの味もお菓子の味も申し分ないとの満足評価を貰っているが、それだけでは校門出店組には勝てない。
「ほーんと、暇だねぇ。」
 文化祭二日目。まだまだ勝負時の今日にして、朝から来客はたったの5人。
 担任の先生が、あまりに暇そうだからと、先生達を連れて一休憩してくれたという「温情」を入れれば、10人になる程度の客しか来ていない。
 唯一の出入り口である教室のドアは開きっぱなしで、その近くに教卓を移動して、「当日のチケット販売所」にしているのだが、誰もそこに立っていない──立っていても、客が来ないから意味がないからである。
 それどころか、その日の店番が全員、客席に座って窓際から外を眺めている──何せ、客が1人も居ないので。
 本来なら商売人の副委員長自らが、「何をしているの! 味は保証できるんだから、表に行って呼び込みするわよ!」と立ち上がるところだが、なぜか副委員長自ら、窓際の席を陣取り、窓を開いて外の様子を眺めている始末である。
 たった店番三人しか居ない喫茶店の中に、怠惰な空気が濃厚に漂っていた。
「外は盛況ね〜。」
「本当ね〜──文化祭だわぁ。」
 副委員長が腰掛ける客席の正面には、同じクラスの同じ時間帯の当番の娘が一人、チョコンと座って──なぜか売り物であるはずのジュースを啜っていた。
 あまりに売れ行きが悪いので、喉が渇いた者は、自動販売機ではなく、自費でジュースを購入して飲んでいるのである。
 外はとても文化祭一色なのに、教室の中は違う。
 けれど副委員長も女の子達も、それを残念がるどころか、
「うちは暇よね〜。」
 能天気に、そんなことを呟いている。
 さらにそんな台詞に続けて、
「ほーんと、いい傾向よね〜。」
 そんな台詞を吐く同級生の言葉に、「これがいい傾向ですって!?」──と叫ばなくてはならない立場の副委員長は、
「……全くね、とてもいい傾向だわ。」
 なぜかニヤリと我が意を得たりとばかりに意地悪く笑んで見せた。
 さらに悠然と腕を組みながら、スゥ、と目を細める。
「──これぞ、あの最終兵器のポスターを、今の今まで温存していた甲斐があったってものよね……ふふ、明日が楽しみだわ。」
 満足げに鼻を鳴らして、副委員長はチラリと衝立の向こうに視線を走らせた。
 釣られるように店番の少女達も、今は誰も居ない衝立の奥へと視線を走らせた。
 ソコには、例の「ポスター」が大切に筒の中に丸められたまま、眠っている。
 時々、クラスメイトが男女かまわずそれを広げては、ウットリとそれを見つめていたという代物である。
 ちなみに、文化祭が終わった後のポスターの行方は、「終ったらコレ欲しい!」という人間が多数居たため(里中以外の全員とも言う)、阿弥陀クジで決めるということで決定している。
 そのすばらしいまでの威力を発揮してくれるポスターを、1日目から堂々とクラスの前に貼り付けておけば、教室の前を通りかかった人が皆、客となってくれていたかもしれない。売上も、今までの三倍近くは跳ね上がっていただろう。
──だがしかし、このインパクトは、どうしても明日まで持ち越したかった。
 明日──……そう、一番「客」が多くなる文化祭最終日こそ、本番なのだから!
「そうよね! すっごい力作だもん! 明日まで、取っておかないと!」
「その力作に負けないように、私達は、明日! 一時間はかけて飾り立てないとねっ!」
「そうそう、里中君を飾り立てる時間をとるために、わっざわざ一番早い時間にしたんだものね〜、副委員長!?」
 ニコヤカに会話をする少女達二人に、副委員長は片眉を跳ね上げると、指先を唇に当てて笑った。
「それはオフレコよ、みんな。
 里中君には、『野球の試合には間に合うような時間で、空いてるのってココしかなかったの』って伝えてあるんだから。」
 何せ、里中君はありがたいことに、『日曜日の午後1時からにかぶらなかったら。どこでもいい』と書いてくれたのだから。
 心の奥底からこみ上げてくるような笑みを唇に乗せて、副委員長はそのまま視線をずらして、誰も居ない教室をグルリと見回した。
 本当に、当番を代わってから今まで、来た客はたった2人。その客も帰っていって以来、まったくもって、暇である。
「それにしても、昨日は山田君たち目当てに、客でもない記者が入れ替わり立ち替わり来て、邪魔臭かったって言ってたけど──。」
 ボンヤリと頬杖を付きながら、副委員長はカランと、溶けかけた氷の入ったジュースグラスを揺らす。
 記者陣からしてみたら、外部の人間が立ち入りすることが公に許可される今日は、まさに「取材日和」なのだろう。いつもはグラウンドの外で群れているだけの記者の姿が、昨日と今日と、堂々と校舎の中で見かけることができた。
 山田達のクラスメイトである自分たちにも、堂々と取材が出来ると思ってか、客でもないのに、しつこかったので追い返したという報告を、昨日の終礼で聞いている。
 だから今日も、その取材陣には覚悟をしなくてはいけないと、朝礼で誓ったはずなのだが──……、
「今日はその記者陣もぜんぜんね。」
 これだけ暇だと、記者でもいいから来てくれと、そう思いたくなるのはどうしてだろう?
 そんな副委員長の呟きに答えるように、窓際の席のうららかさを満喫しながら、彼女の前に座る少女が、頬杖を付きながら答えてくれた。
「今日は、体育館で殿馬君と吹奏楽部のコラボレーションどうとかがあるから、みんなソッチに行ってるんじゃないの〜?」
「あ、ソレはアリかもね。」
 何せ、ドラフト間際の今、「殿馬」の進路は、記者にはとても気になるところだろう。
 殿馬の演奏は、山田達も聴きに行くと言っていただろうから、十中八九、今はみんな体育館で鑑賞中に違いあるまい。
「なら、今日は1日、もう誰も来ないかもね。」
 1日目は記者を追い返すのに疲れて。
 2日目は暇すぎて疲れて。
──果たしてどっちのほうが、マシなのだろうかと、暇をもてあますのに慣れていない副委員長は、頬杖のまま溜息を零すばかりだ。
「あ、でも朝は、他校の女の子らしい人が覗きに来てたみたいよ?」
 副委員長の言葉に軽く身を乗り出すようにして窓の外を見ていた少女が、ヒョッコリと顔をこちらに戻す。
 せっかくの可愛らしいウェイトレス服も、誰も見に来る人が居なかったら、いつもの制服と何ら変わりないような気がする──もっとも、こんなウェイトレス服が着てみたいという気持ちがあったこともあるが、本来の彼女達の目的は「このウェイトレス服」を、「彼に着せる」ことだったのだから、誰に見せる機会がなくても、困りはしない。
「そーぉ。里中君が居なくて、それはそれは、さぞかし、ガックリして帰ったんでしょーねぇぇ。」
 イヤミったらしく聞こえる口調で──しかしけれど、愉悦をたっぷり含んだ声音で、くすくすと副委員長は笑った。
 明日のことを考えるだけで、頬は緩み、唇からは自然と笑い声が漏れる。
──そう、本番はとにかく、明日、日曜日、午前9時に登校してきてからなのだ。
 里中を逃げないように捕まえ、衝立の奥に里中を連れ込み、そのまま彼にウェイトレス服を着せる!
 更にうまく化粧まで施すことが出来たら完璧。
 後は、今日まで大切に温存しておいた「脅威の威力」を発揮するポスターを張り出して。
──想像するだけで、ゾクゾクしてくる。
「んふふふ……明日が楽しみねぇ〜……。」
「私、絶対、カメラ持ってくるんだ〜!」
「あっ、私も、私も!」
 そんな楽しそうな微笑を浮かべる副委員長に、もちろん、楽しみよね〜、と──こちらもまた、明日の楽しみを思い浮かべて、にんまりと笑みを零しあうのであった。
 高校3年、最後のお楽しみの秋、文化祭。
 私たちがやらずに、一体誰がやるというのだ。
 彼女達は、そんな意味不明の責任感にをバックに、明日目指して、ゴウゴウと燃え盛るのであった。
 ──そう、すべては明日、本番なのである。


















──文化祭最終日、10時より一般入場開始。
 日曜日であり、同時に午後より注目の明訓高校の練習試合があるためか、近隣の住民や記者陣、他校の人間が、大規模に集まることが予測されていた。
 まだ9時だというのに、閉ざされた明訓高校の校門前には人だかりが出来ていて、窓から見下ろしただけでも数十人の頭が見て取れた。
「ぅわー……登校してきたときも思ったけど、人、多いねえ〜。」
 去年もミーハー軍団がたくさん居たけど、今年はそれ以上。
 窓のカーテンを引きながら、ウンザリした顔で思わずぼやいた少女は、そのまま窓下の光景を隠すように、シャッ、とカーテンを最後まで引いた。
 途端、朝だからと電気もつけていない教室の中は、膜を張ったような薄い闇に包まれる。
 とは言っても、まだ朝方だから、カーテンを引いても教室の中は十二分に明るい──ただ単に、窓の外から教室の中を見られたくないから、カーテンを引いただけなのである。
 見回した教室の中は、ガランとしていて人気はない──ただし、すぐ近くの衝立の向こう側は、キャイキャイと楽しげな声が漏れ聞こえてきている。
 そこでは、10時より開店するこの喫茶店のウェイトレスによる「着替え」が行われているのである。
「えーっと、まずはブラウスからよね〜!」
 ウキウキした声で聞こえる少女の声に重なるように、その場を締め上げるようなキリリとした声が響く。
「あ、ちゃんと下着はビキニタイプにしてきた? そうじゃないと、ノーパンでやらないといけなくなるわよ?」
 ──言ってる内容は、その場を締めくくっているとは思えなかったが。
 その声を聞いて、カーテンを閉めたばかりの少女は苦い色を刻んだ後、
「さっすが副委員長。里中君にそんなことを聞けるのは、さすがのさすがだわ。」
 きっちりとカーテンを閉め切ったのを確認して、クルンと踵を返す。
 目指すは、
「私も、里中君の着替えを手伝ってこーよぅっと♪」
 クラスの女子のほとんどが入り込んでいる、衝立の中である。
 衝立と黒いカーテンで包まれた「厨房」であり、今は「着替えルーム」は、なんだか秘密の花園めいた雰囲気が広がっている。
 その中に誘い込まれるようにカーテンを翻して顔を突っ込むと、中は衝立のこちら側と違った熱気に満ち溢れていた。
 9時前に行われたホームルームの後、女子のほとんどで里中を拉致して運び込んだ結果である。
「ほら、里中君、早く脱いで脱いで!」
 興奮した面持ちの少女が、いつもよりもずっと積極的に、里中の学生服に手を掛けて、彼の体から服を剥ぐ。
 アッという間に学生服をはがれた里中が、ちょっと、と声をかけるよりも早く、バサリと彼の胸元に白いブラウスが突きつけられる。
「そうそう。まずはブラウスねっ。はい、コレ。男子用とボタンが違うから気をつけて。」
 当然のように告げられる言葉とともに、思わずブラウスを手に受け取ると、すかさず今度は、
「それが終ったら、ボウタイよ。」
 黒いボウタイがヒラリとその上に乗せられる。
 何も言えずブラウスを見下ろす里中に、今度は少し遠くから、嬉々とした声が振ってくる。
「後ね! 里中君のはコレね! ストッキング! 黒!」
「靴はこのローファーね〜。」
「って……えっ、そんなの履くのかっ!?」
 イヤっそうな顔で大仰に唇をゆがめる里中の目の前で、別の少女が丸められていたポスターを広げながら、
「とうっぜん! それがウェイトレスの正装でございます。」
 胸を張って告げてくれる。
 その彼女達の手によって広げられた「例のポスター」を、一週間ぶりに拝むことになった里中は、げぇっ、と喉で引きつるような悲鳴をあげたあと、イヤなものを見たとでも言うように視線をそらした。
 その里中の手に積みあがったブラウス、ボウタイの上に、更に薄い黒のストッキングを置いて、
「伝染させたら素足だからね、気をつけて。」
 真顔で冷静に告げてくれる副委員長。
 思わず里中は、そんな彼女を見下ろして、
「……ストッキングは勘弁してくれよ……。」
 着替える気配もなく、そう訴えるが──本音を言えば、ストッキングだけではなく、すべて勘弁してほしい──、彼女は手の平を上にして指先をワキワキさせながら、
「早く着替えないと、時間が無いわよ、里中君。
 それとも、私達に脱がして着替えさせてほしいのかしら? ──手取り足取り?」
 ん? と、わざとらしく目を眇めて顔を覗きこんでくれる。
 その、本気っぽい目の色に、思わず里中は一歩後ろに後退した。
 後退した先では、また更にクラスメイトの女子が二人待ち構えていて、
「カッターシャツ、脱がしてあげよっか?」
「里中君は肩を冷やしちゃダメだから、特別にタンクトップは着ててもいいわよ〜。」
「タンクトップの『月のわぐま』は、ちょうどボウタイで隠れるしね〜。」
 それぞれに好き勝手なことを呟いてくれる。
 ますます里中は肩をちぢ込めるようにして、彼女達から伸びてくる魔の手を振り払い、手元に抱え込んだ一式を抱きしめながら、
「俺も男だっ! 約束した以上は、ちゃんと着替える……──、けどっ! ストッキングは、べつにわざわざつけなくてもいいだろ……っ。」
 それは、さすがに抵抗がある。
 そうきっぱり断言する里中に、副委員長は困ったように首を傾げて、腰に手を当てると、
「でも、ストッキングを履かないと、目に毒だと思うのよね……私は別に、素腿でタイトスカートでもいいんだけど、このタイト、結構後ろのスリットが深いのよねぇ〜。」
 ほら、と、ヒラリンと黒いタイトスカートを翻して、わざわざ指先でスリット部分を広げてくれる。
 動きやすいようにと入っているそのスリットは、パッと見ただけでも副委員長の手の平くらいの大きさはあった。
 タイトの裾は、膝上10センチほどだ。
「────…………。」
 ぐっ、と言葉に詰まって、里中はジトリと自分の手の上に乗っているストッキングを見つめる。
 手で引っかいたら簡単に破れてしまいそうな黒いストッキングは、とても脚が入りそうには見えないくらい細い。
 それをジットリ睨み付けている里中の額に、かすかに脂汗が浮いた。
 そのまま、じ、とストッキングを睨みつけて動こうとしない里中の肩を、ポン、と副委員長は叩いて、
「野球でいつも、ストッキングなら履いてるでしょー? それと、変わらない、変わらない。」
 ──と、明るい口調と表情で、ニッコリと笑い飛ばしてくれるが……、
「あれはアンダーストッキングっ! ぜんぜん違うだろっ!」
「そうね、アレは膝下だし……あ、そうだわ、それじゃ、膝上ストッキングって言うことで、ガーターベルトつけるって言うのはどう?」
 いい考えだわ、と、ぱふり、と両手を打ち鳴らす副委員長に、キャーッ、と一際高い悲鳴が、周囲から零れた。
「──……って、ふざけるなよ!」
 すかさず里中は叫び返して、やってられるかと、手にしたブラウスごとまとめて投げ捨てようとした──その背後から、
「さっとなっかくーん。頭にはこれつけてね、これ! 私の手作りのヘッドドレス〜!」
 ひょい、と、頭めがけて何かが投げつけられた。
 そのままグイと後方に引かれた先で、今度は横手から違う少女の手が伸びてきて、
「エプロンはコレよ〜。ほーら、ヒラヒラしてとってもカワイイでしょ?」
 ヒラリン、と視界の端を黒い何かが掠めた気がした。
「ちょ……ちょっと待て──……っ。」
 慌ててそれを払いのけようとするが、手の上に着替えワンセットを持っている上に、さらにニコヤカな副委員長が、黒いストッキングの上に黒のタイトスカートまで置いてくれるから、まともに身動きできない。
 その里中の、ズボンに巻きついたベルトの上から、彼女はシュルリとエプロンを巻きつけると
「こうしてつけて──……って、やだ! 何、この腰っ! 私もよりも細いじゃないの〜っ!」
 キュゥっ、と、思いっきりエプロンの裾を引き絞った。
 そのまま、甲高い声で叫ぶ娘に、里中の耳がキーンと耳鳴りを訴える。
 思わず、クラリ、と眩暈を覚えた里中の耳に、さらにキンキン声が響き渡る。
「えっ、嘘嘘っ!? って、なんでこのエプロンで、こんなに紐があまるのよ!」
「でしょ? でしょーっ!?」
 わやわやと、あっと言う間にたかり始める同級生の少女達に──女の子にたかられるのには慣れているが、こういうのは慣れていない──、里中は、うんざりした顔でジリリと後ず去る。
 その、後退した矢先……すぐ真後ろ、首筋の辺りから、
「──里中君って、ヒップの形がいいから、こういうタイプのタイトスカートって、良く似合うわよね……。」
 ポツリ、と、リンと響く声が聞こえてきた。
 その声に、ゾクゾクと背筋を里中が震わせると同時、
「って、副委員長、セクハラ発言です!」
 里中にエプロンを巻きつけていた少女が、頬を赤く染めて叫ぶ。
 そこでようやく、少女達から解放されることになった里中は、はぁ、と溜息を零して手にした着替え一式を抱きしめて──、ふと、期待の眼差しが自分にギンギンと突き刺さっているのに気付いて。
「……ッていうか、着替えるから後ろ向いてろよな、お前等っ!」
 頬を羞恥に赤く染めて、叫んだ。
 そんな里中の声に、彼女達はますます甲高い声をあげると、
「キャ〜♪」
「はぁーい!」
「みませ〜ん!」
 いい子の返事をして、少女達が着替えを強く握り締めて叫ぶ里中に、クルン、と背を向けた。
 さらに一部は厨房こと着替え所から飛び出し、
「──なぁんて、言葉だけいい返事を返す私達でありました♪」
 などと呟きながら、喫茶店風に並びたてられた机に向かって突進する。
 かと思うや否や、バッ、とカバンの中にそれぞれ手を突っ込み、用意していたインスタントカメラを取り出す。
 もちろん、これを手にして、黙って背を向けている道理はない。
 むしろ、正面切ってカメラの先を向けることこそ、道理。
「さ……っ、気付かれないように、やるわよっ!」
「もっちろーんっ!」
 それぞれにカメラを携えて、そう叫びあうと、誰にともなく手の甲を差し出し、その上に次々に手の甲が重なっていった。
「えいっ、おーっ!」
 高校卒業まであと半年弱。
 絶対、このチャンスは逃さない! ──だって、この先、里中君のウェイトレスへの生着替えなんて、絶対に、出会うはずはないもの!
 キランと視線を交し合って、少女達はそのまま、ダッシュで厨房へ向かって走ろうとした──けれどしかし、その直前。
──ガラ。
「酒屋さんからジュース受け取ってきました。」
「あー、軽い軽い、こんなん、楽勝やで。」
 ……ちょうど裏口までジュースのケースを取りに行かせていた男どもが、帰ってきてしまった。
 それを振り切って厨房まで走り去れば済むのだけれども、帰ってきた相手が相手だったので、思わず彼女達は足をピタリと止めて、巨体を折り曲げるようにして入ってきた岩鬼と、その後ろに続く山田とを出迎えてしまう。
「お、おかえり〜。ごめんね、重かったでしょう?」
 慌てて背後に欲望の証たるカメラを隠して、彼女がニッコリと微笑みかけると、岩鬼がドサリ、と重々しい音を立てて床の上にジュース瓶の入ったケースを二ケース置いた。
 それに続いて山田も、軽々と肩に乗せたケースを二つ、岩鬼が置いたケースの上に重ねるように置いて、軽く掻いた汗を拭きながら、
「いや、そうでもないよ。
 それよりも、どうしてカーテンを閉めてるんだ?」
 きっちりと閉まったカーテンへと視線をやる。
 その視線の先では岩鬼が、ヒョイとカーテンの合間を指先で開いて、にょっきりとハッパを伸ばして、窓の下の混雑さを見下ろす。
 そして、思った以上の混雑具合に、満足したようにヒクヒクと鼻を揺らす。
 女子はそんな岩鬼をチラリと一瞥して──カーテンを開く気配がないことを確認した後、山田に視線を戻して、
「着替えてるから。」
 クイ、と、黒い衝立の向こう──今は女の子の楽しげな声が漏れ聞こえてくる着替え場所となった部分を指で指し示してやった。
「着替えって……里中が?」
「そう。里中君が。」
 コックリ、と頷いてやると──山田と岩鬼が来なかったら、私達もカメラを持って、あの中に入り、里中君の生着替えをバッチリカメラに押さえるのに……ッ!
 きっと今頃、あの衝立の向こうでは、副委員長辺りが嬉々として、「里中君、ストッキングの履き方って分かる? 手取り足取り教えてあげるわ。」とか、言っているに違いない。
 ──みたい、すっごく、みたい……っ!
 考えれば考えるほど、その衝動に駆られてきて、彼女は後ろ手に隠したカメラをギュ、と握り締める。
「そ、そうか……里中は、着替え中か……。」
 かすかな動揺を露にする山田が、なぜか目元を赤らめて、チラリと衝立の向こうの方を見やる。
 何に着替えるのか分かっているからこそ、なんとも歯がゆい感情を抱いているに違いない。
「そう! だから悪いけど、私も里中君を着飾ってこないといけないから、山田君、ジュースの本数チェックとかは頼むわねっ!」
 衝立の方を見ている山田の手の平を、ガッシリと掴み取って、彼女はランランと輝く目で彼を見上げる。
「き、着飾る……?」
 目を白黒させる山田に、そうっ、と力強く頷いて、彼女はヒラリと身を翻して、同じようにカメラを携えている同級生達に頷くと、ダッ、と、黄色い悲鳴が上がっている衝立の向こうへと走った。
 あっという間に、黒いカーテンを翻して衝立の向こうに消えていった彼女達を、残された山田は、呆然と見送るしか出来なかった。
 異様な気合も何なのか分からなかったが、何よりも。
「──なんで里中が着替えてる中に、女子が入っていくんだ……?」
 問題はソコなのである。
 そのまま、唖然と積上げられたジュース4ケースの横で立っていると、すぐに程なくして、
「おーい……ジュース持って来たぜぇ〜……。」
 ぜぇぜぇと、激しく息を切らした微笑が、ジュースのケースごと、ガクンとその場に膝をつくようにして落ちた。
 そのまま上半身ごとジュースケースの上に身を乗り出し、はぁはぁと息を切らせて、彼は汗を掻いた学生服のボタンをすべて外し、パタパタと仰ぎながらペタンと床に尻を落とす。
「悪いな、三太郎。」
 微笑が担いできたジュースケースに手をかけて、山田はヒョイとそれを持ち上げて、自分たちが積上げたケースの上に乗せた。
「いやいや……、ちょーど通りかかったからさ〜……ってか、暇だったし。
 ──で、智は? 今から店番なんだろ?」
 はぁ、と息をつきながら、彼は懐からチケットを一枚取り出す。
 岩鬼から買い取ったソレをヒラリと舞わせて、仰ぎ見るように教室の時計を見上げると、時刻は9時半。
 あと30分ほどで校門が開門すると同時に、この喫茶店も開くというわけである。
 ぜえぜえと息をつく微笑に、山田はしょうがないなと言いたげに彼の手からチケットを奪い取ると、自分たちが運んできたばかりのジュース瓶を取り上げ、指先の力だけで栓を開けてみせると、それを彼に手渡しながら、
「里中は、今、着替えるらしい──その……ウェイター……服に……。」
 ウェイトレス、とは、さすがに口に出来なくて、言葉を濁す山田の台詞を、微笑はアッサリと受け取った。
「なんだよ、智は着替え中か〜………………?」
 荒れた息の合間に、微笑は手渡された山田のジュースを受け取ると、それをグイと煽って口をつけると、ぷはぁ〜、と一心地ついたように唇を拭う。
「──う、あ、まぁ、そうだな……。」
 歯切れの悪い山田の態度に、どういうことだと、微笑が眉を顰めた顔を上げた瞬間だった。
「そろそろじゃい!!」
 がばっ、と、岩鬼が突然窓から顔を剥がしとって、ダッ、とこちらへ走り込んでくる。
「……い、岩鬼っ!?」
 ギョッと目を見開く山田と微笑の隣をすり抜け、岩鬼は一気に教室の出入り口に手をかけると、そのままガバッと背後を振り返るようにして、
「サトー! おんどれも、スーパースターらしく、きばってやれやっ!!」
 ビリッと響き渡る声で、岩鬼は叫んだかと思うや否や、そのままダッと廊下へと飛び出していく。
 まるで荒々しい風のような岩鬼に、山田と微笑は、ただ呆然と目を交わしあう。
「──……もしかして岩鬼のヤツ、また今年も……やるつもりか?」
 思い出すのは、去年の「あれ」だ。
「……だろうなぁ〜。」
 ジュース瓶を片手に、ケースに頬杖を付いて、微笑は溜息を一つ零す。
 きっと岩鬼は今年も、開門のタイミングを見計らって、校門前に並ぶ出店の中に──……。
「スーパースターの出店づらな〜。」
 岩鬼が飛び出していったドアから、づらづらと足を引きずらせながら、殿馬が入ってきた。
 肩ごしに背後を振り返りながら、呆れた口調である。
 きっと飛び出していった岩鬼を、ちょうど見つけたのだろう。
「あぁ……やっぱり、そうか。」
 入ってくるなり、ヒョイと近くの椅子を引いて座り込んだ殿馬は、微笑と同じように懐からチケットを取り出して、ポイとそれを机の上に置くと、
「で、山田よぅ? 里中はどうしたづら?」
 それどころか、客席になっている教室のこちら側には、山田と微笑以外には誰も居ない。
 そして衝立の向こうでは、何か楽しいことが行われているのか、女子のキャーキャーという黄色い悲鳴が良く聞こえた。
 山田は、その衝立の向こうを指差し、
「着替え中──……、らしい。」
 一体、あの中で何が行われているのか。
 微笑と一緒に、山田の指先に釣られるように視線をやった殿馬は、ヒョイと肩を竦めると、頬杖を付いて、
「まぁよ、時間はたっぷりあるづらからよ──のんびり待つづらぜ。」
 あと数分もしないうちに、校門からは、岩鬼の盛大な「サイン会」が開かれるに違いないと、そう、呟きながら。


















 クラスの男子生徒が、息を切らしてジュースケースを全部運び上げ終えた頃には、もう10時まであと十数分という時間になっていた。
 重かっただとか、量が多いだとか文句を零す男子達は、昨日まではジュースを運び終えたら、さっさと他所へと移動していた。
 クラスで催しを開いている者たちのための休憩所として解放されている特別教室に行ってサボっていたり、他のクラスの出し物や校門前の出店などに走っていくのだ。
 にも関わらず、なぜか今日に限っては、彼らは客席として用意された椅子にそれぞれ座り、閉められたカーテンを半分ほど開いて、窓の外を見下ろして思い思いに話し込んでいる。
 その、ボソボソと低く呟かれる内容を聞いていると、やはり彼らの興味は、今、衝立の向こうで「最後の仕上げ」をされている人物のようで──。
 積上げられたジュースケースの本数を数えている山田は、漏れ聞こえてくる会話に、小さく溜息を零さずにはいられなかった。
 そんな山田の隣で、今日の納品の数と金額をチェックしていた委員長が、かすかに眉を寄せて呟く。、
「──……なんだか、今日はずいぶんジュースの量が多いな……。」
「日曜日だからじゃないですか?」
 首を傾げて問いかけてくる委員長に、山田は納品書とジュースの数をチェックしながら答える。
「いや、それでも、まだ交換に来てないチケット分の二倍はあるから──当日販売の量を考えても、多すぎるよ。」
 だって、昨日までの販売数の二倍が、今日一日で売れると見込んでる計算になるんだよ?
 眉を大きく寄せて零す委員長に、山田は確かにと、目の前に詰まれた各種ジュースケースと、コーヒーのパック、紙コップ、紙皿──種々さまざまなそれを見回す。
 チェックの済んだジュースは、今から衝立の中に運び込ばなくてはいけないのだが、もう10時前だというのに、衝立の中はまだ小さなざわめきが聞こえてくる。
 とりあえず、さっきまで聞こえていた里中の叫び声や怒鳴り声が聞こえないのは……いいことなのだろうが。
 いい加減、観念したというところだろうか?
 今日も朝から、冗談じゃないと足取りも重かったことだし。
「智、まだ出てこないのか〜?」
 パタパタと、下敷きで顔を仰ぎながら、微笑が問いかけてくるのに、そうだな、と山田と委員長は時計を見上げる。
 そろそろ開門が間近な時間ということもあってか、窓の向こうの校門の前は、ひどいざわめきに包まれていた。
 窓の外を覗き込んでいた男子達が、おっ、と声をあげて、
「テレビ局が来てるぜっ!」
「地元ローカルじゃねぇの〜?」
「さぁ? ココからじゃ、良く見えないな。」
 そんな声を口々にあげ──いくら地元ローカルのテレビ局とは言えど、たかが高校の文化祭に来るのは、スゴイとしか言いようがない。
 どこか興奮した色を滲ませる男子達の声に、微笑と山田が顔を上げた瞬間だった。

 ──ばさり

 ようやく、衝立の向こうから、黒いカーテンが翻った。
 途端、ざわめいた室内に、しん、と沈黙が落ちる。
 窓の外を見ていた男子も、いつまでも教室を出てこうともせずに、その場で座り込んでだべっていた男子も。
 誰もが、ヒュ……と息を呑んで、その方向を見つめる。
 ヒラリと揺れるカーテンの向こうから、最初に顔を出したのは、頬を紅潮させた少女だった。
「はーい、お待たせ〜っ! いよいよ開園時間だね〜っ!」
 飛び出してきた少女に続いて、もう一人──今度は片手に、ビラリと揺れるポスターを持って出てくる。
 そのポスターが何かを知ってるクラスの人間は、おおっ! と声をあげる。
「……って、何、あれ?」
「づら?」
 もちろん、その「企業秘密のポスター」を見たことがない他クラスの微笑と殿馬は、ポスターを手にしている女子を見ただけで、異様な盛り上がりを見せるクラスに、驚きを隠せない。
 視線で問いかけるように山田を見やると、山田はなんとも言えない顔で、そのポスターを見ていた。
 かすかな動揺が見て取れる山田の隣で、キョトンと目を見張っている微笑と殿馬に気付くと、ポスターを持っていた少女は、にんまりと笑って、
「見てみて、微笑君、殿馬君!
 うちのクラスの、本日限定、ポースーターァー!!」
 ビラリンッ、と──ポスターを、大きく広げた。
 自分の背丈ほどもある大きなポスターを、背伸びして下へと広げた瞬間。
「………………………………っっ。」
「──……づらっ?」
 驚愕の声が、二人の喉から漏れ──そして、おおおおーっ! と、教室中が揺れるような、男子と女子の喝声が響き渡った。
 その声に、そして目の前で広げられた鮮やかな色使いのポスターに、何も言えずに、カポーンと口を大きく開く微笑と殿馬。
 そして。

 バンッ!

「だから、広げるなよ、ソレをっ!!!」
 黒いカーテンごと衝立を突き倒す勢いで、里中が衝立の中から姿を現した。
 カッ、と怒りと羞恥に頬と目元を赤らめた里中の後ろから、ブイサインを寄越す少女達の顔が見え隠れしている。
 ──と、同時。
「…………………………────────。」
 ポスターのお披露目で、一気に盛り上がっていた空気が、一瞬で、止まった。
 怒りがにじみ出た里中の声が、リンと良く響いたせいではない。
 彼の怒りに捻じ曲がった唇が、両腕を無理矢理押さえつけられながら、無理矢理塗られたピンク色に艶めいているせいでもない。
 ただ、誰もが。
「…………っそ、だろ……おい。」
「──ぅわ〜……想像以上だわ……。」
「──って、おいおいおいおい。」
 あまりのことに、絶句、した。
 その、異様なくらいに張り詰めた空気の中、里中はますます唇を捻じ曲げ、眉間に皺を寄せると、
「なんだよ! なんか文句あるなら、女子に言えよなっ!」
 バッ、と両足を踏ん張り、胸を張って仁王立ちして叫ぶ。
 まるでマウンド上で、敵のバッターを睨みつけているような強い眼差しでギロリと睨み揚げられて、これがいつもの里中ならば、その迫力に息を呑んでしまうだけなのだが──今日の、今の里中に睨みつけられても、怖いというよりも。
「………………か……かわいい…………。」
 後ろからヒョイと顔を出す、里中と一緒に当番をする少女達も、里中と全く同じ格好をしていたが、その彼女達には悪いが──、引き立て役にすらなってない。
 とにかく里中が、目立ちすぎている。
 唇を強く真一文字に結ぶ里中が、ブッスリとこちらを睨みつけ──ふとその目が、呆れたように額に手を当てている微笑と、表情を読ませない顔でこちらを見ている殿馬で止まった。
 二人は、里中の大きな目が、ますます大きく見開かれるのを見ながら……、
「よ、智。」
「づら。」
 ヒラリと手を振って──他に何と言っていいのか分からなくて、ただ挨拶だけを交わす二人に、里中は白い頬をますます羞恥に赤く染めた。
「なっ、なんで三太郎と殿馬がココにいるんだよっ!?」
「いや、だってほら、俺らもチケット貰ったし。」
「づら。」
「って、いや、まだ開店前だろー!?」
 叫ぶ里中の視線を受けて、微笑は改めて彼の姿を上から下まで眺める。
 男子生徒たちが、うっかり見とれてしまう理由が分からないでもない。
 というか、どう見ても男以外何者でもないように感じるのは、多分自分たちが、里中の男らしいほど男らしい性格を知っているからで。
 ──何もしらない他所様が見たら、この学校で一番カワイイ美少女だと、指定してくれそうな有様だ。
「里中……お前……それ、詐欺だぜ──……。」
 呆然と、口元を閉じることもできずに呟く少年の言葉に、コクコクと数人が同意を示す。
 里中はそんな彼らを、ギッ、と力強く睨みつける。
 そんな風に、いつまでもドアの傍から離れようとしない里中の背を、厨房の中に閉じ込められていた形になった女子がグイグイと押し出しながら、
「もー、さとるちゃん。ほら、出て、出て!」
 強引に押し出した後、バッ、と数人の女子が厨房から飛び出て、それぞれ、時計を見上げて、慌てて行動を開始し始める。
 まずはカーテンを開いて、シャッ、と太陽の光を教室の中に招き入れる。
 もう一人は、ポスターを持ったままの少女の腕を引いて──ついでに、背の高い微笑も捕まえて、入り口に「例のポスター」を貼るためにテープカッターを片手に廊下へ飛び出て行く。
 さらに数人の女子が、里中に見とれて身動き一つしていない男子の足をけりつけ、我に返らせると、積上げられたジュースケースを指差して、さっさと厨房に運び込んでと指示している。
「……ちっ。」
 里中は小さく舌打ちして、しぶしぶ山田がいる辺りまで歩いてくると、腰に手を当てて唇をゆがめたまま、ブッスリと表情を直す努力もしようとしない。
 そんな里中に、山田はなんて声をかけていいのか苦笑しながらも──、
「里中……。」
 とりあえず、いまは、どんな言葉をかけても、ふざけるなと言われそうだと、思った刹那、
「あ、智ちゃーん。」
 ヒラヒラと、出入り口の教卓の傍を探っていた副委員長が、手を振りながらやってきた。
「……その智ちゃんっての、やめろよな……っ。」
 ギリ、と唇を噛み締める勢いで叫ぶ里中の声を全く聞いてない様子で、副委員長は手にしたハート型の厚紙を両手で摘んで自分の胸元まで掲げると、
「じゃじゃーん! さとるちゃん特製、ハート型の名札を作ってみました!!」
 手の平サイズのハート型名札を、クルンと裏返して、そこについている安全ピンを外して、一瞬で里中へ間合いを詰める。
 ギョッとして身を引こうとした里中の、サスペンダーを指先で引っ掛けると、副委員長はそれにプスリと安全ピンを通して、慣れた調子で名札をつけてしまう。
「って、おい──勝手にそんなのつけるなよ!?」
 なんだよ、それは!
 そう悲鳴をあげる里中に、
「見てみてっ! ちゃーんと、『あなたのハートにストライクv』って、書いておいたから!!」
「書くなーっ!!!!」
 ハート型の名札を、横手から調整しながら、ニッコリ笑う女子に、里中が思いっきり叫ぶが、もちろん、朝から始終ニコニコしている彼女達は、それに喜びこそすれ、聞いてくれることはなかった。
 朝の段階から、里中が苦情を訴えれば訴えるほど、すべて彼女達に流されていってしまっているような状態だ。
 はっきり言って、里中の怒りと苦労とストレスばかりが、ただ鬱々と溜め込まれているような状態である。
「──……あー、もう、やってられるかっ。」
 イライラと吐き出しながら、里中が前に進もうとした瞬間──ガツン、と床にヒールが引っかかる。
 思わず体が前のめりになるのに、慌ててバランスを取ってみたものの、差し出した足にもヒールがついていて、歩きにくいことこの上ない。
 しかも足には、ぴったりと薄い膜のようなストッキングが張り付いていて、これもまた気持ちが悪い。
 なおかつ、スカートはスースーして気持ち悪いし、頭には何かで縛り付けられているような感触。
 ──なんで女は、こんな格好をしたがるんだと、里中は足の裏をヒックリ返してヒールの高さを確認しながら、
「──……なぁ、教室の中で靴を履くのってマズイと思うからさ、せめて歩きやすいように上履きに履き替えていいか?」
 絶対、コレでジュースを運ぶのは無理だ。
 キッパリハッキリそう言い切る里中に、周囲の女子の血相が、一瞬で変わった。
 かと思うや否や、彼女達は、バッ、と飛び掛るように里中に駆け寄ってくると、
「だめーっ! だめったらだめったらだめっ!」
「そうよっ、里中君っ! どぅっしてもイヤがるから、不思議の国のアリス風はナシにしたのよ!? それぐらいは我慢してよ!」
 根っからの野球会系には、「不思議の国のアリス」は理解できない。
 理解できなかったがしかし、何か恐ろしいことになりそうな気がして、それだけは絶対にイヤだと、里中は言い切ったのである。
 多分にそれは、正しい行いのような気がしないでもない。
 次々に里中にたかる少女達の勢いに飲まれて、里中は後方に引きながら──再び、ヒールに足を取られて、ガクン、と膝が折れた。
 そのまま後方に倒れそうになるのを、
「里中──……っ。」
 慌てて、山田がポスンと受け止めてくれた。
 そのまま両腕を下から掴んで持ち上げられて。
「……大丈夫か?」
 上から問いかけられて、里中はまだ何も始まっていない状態だと言うのに、疲れきった表情を隠そうともせず、半ば本気で山田に願い出た。
「────ぜんぜん大丈夫じゃない。
 山田……このまま俺を、どこかに連れ去ってくれ…………。」
 滅多に弱音をはかない里中の、心の奥底からの弱音に、聞いてやりたいことは山々なのであったが──。
 ジロリと、教室中で睨みを聞かせる女子と、男子の視線を受けて、山田は引きつった微笑を浮かべるしかなかった。
「……すまん、里中──……。」
 俺には、彼らの「楽しみ」を奪うことは出来ない。
 何せ今日は。
「お祭りだからな──。」
「…………誰も彼も、ハメはずしすぎだぜ。」
 イヤ気が差したと、うなだれた矢先、里中は自分が着ているウェイトレスの制服を見下ろして。

──一番俺が、ハメをはずしてるように見える…………。

 うんざりした気持ちで、そう呟くのであった。














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話がなぜか収まりません。
ようやく里中生着替え編終了です(笑)。
ダラダラ続きましたが、次の「3」は、更にもっと、ダラダラ大魔王です!
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もういいよ……という人は、「バック」プリーズ。