明訓高校文化祭、最終日──お祭り騒ぎの日曜日。
校門から校舎、体育館、武道館、グラウンドへと続く道は、生徒達の勇士による屋台が立ち並び、普通の高校ではありえないくらいの賑わいを見せていた。
その最たる原因である、今日の午後1時から行われる「野球部練習試合」まで、あと二時間と少し。
野球部の練習試合では、特別に「強豪明訓」の名を作った立役者である五人が審判をするということもあって、記者連中も一般客に混じって、ゾロゾロとグラウンドに移動しているのが見受けられた。
記者たちにとったら、明訓高校が一般人にも開放される日というよりも、ドラフト前の取材日──と言った感じなのだろう。
その賑やかな外の世界に背を向けて、開け放された昇降口をくぐった校舎内は、外の騒ぎに反してガランと静まり返っていた。
左右のゲタ箱の中にはところどころ靴が埋まっているから、人が居ないということはないのだろう。
上がり口のところに来客用スリッパが真横にずらりと並んでいて、奥には同じ色のスリッパが入った籠が二つほど置かれていた。──校舎内にも自由にあがっていいぞと言う意味らしかったが、今のところ、誰も校舎内に上がった様子は見えない。
スニーカーからスリッパに履きかえて、目の前の階段から上へと上がっていくと上の階の方からざわめき声が聞こえてきた。何を話しているのかは分からないが、時折笑い声が混じっている。二階まで上がっても、笑い声やざわめきは遠く──、どうやら人が居て騒がしいのは、三階よりも上の階だと言うことが分かっただけだ。
「……二階、だよな?」
あまりにも静まり返った二階の廊下に、不審を覚えて、彼はポケットの中に突っ込んだチケットを取り出す。
色のついた画用紙に手書きで書かれただけの、簡素なチケット。
この二階にある三年生の教室で行われているはずの「喫茶店」でジュースとお菓子を提供してくれると言うソレの裏面には、確かに「2F」と言う字が書かれている。
階段から廊下に出て、左右を見回すとすぐに目的の教室は見つかった。
ガランと──本当にガランと人気のない上に飾り気のない廊下の中、ぽつんと一箇所だけクラスプレートの下に「喫茶店」というプレートが引っかかっていたからだ。
それがなかったら、ごく普通の日曜日の廊下、と言った感じの雰囲気に、彼──白新高校の野球部元エース、不知火守は、呆れたようにチケットを持った手で肩ヲトントンと叩いた。
「おいおい──本当に文化祭をしてるのか、この高校は。」
表の喧騒を見て、「本当にこれが文化祭なのか」と思った数分前がウソのような静けさである。
普通、文化祭をしている高校と言えば、ズラリと並んだ教室のほとんどがパビリオンみたいなもの。ドアにもプレートにもたくさんの飾りが付けられ、教室のドアは全てオープンにされているのがあたり前だ。
さらに付け加えれば、催しに使っていない教室も、たくさんの生徒達が休憩所代わりに使っていて、そちらも人で賑わっている──はず、なのに。
明訓高校のこの棟の二階は、右を見回しても左を見回しても、ざわめき一つ聞こえてきやしない。しぃん、と静まり返った教室は、キッチリとドアが閉めきられ、ただの休みの日の学校と化していた。
思わず不知火は顔を顰めて──それから、チケットに書かれているクラス名と、【喫茶店】のプレートがかかっているクラスが同じなのを確認してから、
「──……今日は休みだというオチじゃないだろうな?」
ゆっくりと廊下を歩き始めた。
これが通いなれた白新高校の廊下ならば、たとえ休日で人気が居なかろうと、何も考えずズカズカ歩いていけたことだろう。
しかし、ココは自分にとっては他校に他ならない。グラウンドには何度か出入りしたことはあるが、校舎内に入るのは初めてだ。
学校なんてどこも似たような雰囲気に違いないと、漠然と思っていたが、こうして入ってみると全く雰囲気が違った。
それに付け加えて、廊下の広さも色も違う、壁の色も窓の大きさも、ドアの位置も色も──何もかもが違うようにしか見えない。
その中を……それも人気のない廊下を、ペタペタと歩くのは、どうにも居心地が悪いと、苦虫を噛み潰したような顔で不知火が思った瞬間だった。
「こうなったら仕方がないわ! 客引き戦略で行くしかないわねっ!」
リン、と良く響く女の声が、前から聞こえてきた。
近づいていくと、不知火の目的地でもある教室のドアが全開に開かれているのが見えた。
どうやら、ただの開店休業中のようである。
確かに、この二階の様子では、偶然やってきた人間の誰もが「この階は何もやっていないのか」と思ってしまっても仕方がないだろう。
「客引きって、副委員長が行くのか?」
勢いをつけた女の声に続いて、どこかうんざりした色を宿した声が聞こえた。
その声が誰のものなのか、もちろん不知火は知っていた。──明訓野球部の元エース、里中智である。
「別に私が行ってもいいけど、それじゃインパクトがなさ過ぎると思うわ。
だから、そこの窓から、パフォーマンスをするって言うのはどうかしら?」
「ぱ……パフォーマンス、ですか?」
凛々しく聞こえる女の声に続いて、どうも良く飲み込めてない山田の声が続く。
「そう、パフォーマンス。はっきり言って、下の人込みに混じってチラシを配っても効果は全然ないと思うわ。」
確かに、そうだろう。
あの人波の中をもまれてきた不知火は、キッパリと宣言する女の言葉の正しさを良く知っている。
「確かに、スゴイ人だしな〜。」
「パフォーマンスっちゅうてもよ、色々あるづらぜ?」
どうやらこの教室の中には、下の混雑の原因を作っている「五人」のうち、四人全員が揃っているようであった。
その彼らが窓から顔を出して、一斉に下に向けて手を振ると言うのも、ある意味パフォーマンスと言えばパフォーマンスだろうなと、不知火は苦い色を刻みながら入り口のドアの方へと足を速めた。
もし本当に彼らがパフォーマンスをして客引きをするなら、混む前にさっさと用件を済ませたいところだった。
「そうね、色々あるけど、とりあえず、里中君。」
「──は、俺?」
「そう、今すぐそこの窓枠の上に立って、下に向かって叫んでみて。」
あたり前のようにしれっと告げられた内容に、一瞬、教室の中が沈黙に包まれた。
同じようにその台詞が聞こえていた不知火の頭も、沈黙に包まれた。
教室の窓──は多分、どこの高校も同じ構造だろう──の窓枠と言えば、大掃除のときに窓の拭き掃除をするのに踏み台代わりに使うアソコに違いない。ちなみに某不良高校では、その窓の桟にみっしり色とりどりのガムがこびりついているという伝説がある。
その、窓枠に立ち、下に向かって叫ぶ里中。
────ある意味、青春漫画に出てきそうではあるが、不知火は拝まれてもやりたいとは思わない光景でもある。
それは里中にしても同じだったのか、
「バ……っ! 冗談じゃないぜ!? なんで俺が、こんなところに立って叫ばなくちゃいけないんだよ!?」
「でも里中君、野球部員なんだもの。大きい声くらいお茶の子さいさいでしょ?」
「副委員長、それ以前に、窓の上なんて、危ないじゃないですか。里中が落ちたらどうするつもりなんですか?」
「じゃ、山田君は、里中君の足に抱きついてて。」
「えっ、い、いや、あの──そ、それもどうかと思うんですがっ!?」
このクラスの副委員長は、ちょっとおかしい。
廊下で聞いている不知火ですらめまいを覚えそうなことを堂々と言ってくれているのだから、教室の中に居る人間の疲れ具合は相当のものだと思われる。
「え、ダメ? タイタニック風で面白いと思うし──、何よりも、里中君の全身が見れるのがメリットだわ。」
「だから余計に悪いんだろうがっ!!」
里中の怒鳴り声に続いて、ドンッ、と荒々しい音が聞こえたのは、彼が机か椅子を叩いたからに他ならないだろう。
──一体、何をしていて、何をする気なんだ、このクラスは。
不知火は溜息を覚えながら、ようやく「喫茶店」のドアの前にたどり着いた。
開かれたままの教室の中は、明るい日差しに照らされて、教室とは少し違う色合いに包まれていた。
ドアの入り口の上には、形良く並べられた折り紙で作られたレイ。
その右手のドアには──……。
「………………──────は?」
教室の中で語られている内容よりも何よりも、不知火の視線は、まずそこで釘付けになった。
彼の身長よりも高いドア一面に貼られた、巨大なポスター。
どうやら手書きされたイラストらしく、ポスターカラーで塗った筆の跡が見て取れる。
それでも、実物を上手に模写したとしか思えないほど──そのポスターの中でニッコリうわめ遣いに笑う顔は、【モデル】そっくりだった。
思わず、ハ、と目を奪われるくらいには可愛く書かれているが、問題はソコではない。
「里中智」が、笑うと可愛くて、怒った顔も綺麗だと言うのは、悲しいことに白新高校の野球部員の中でも、良く口に登る事実だ。
彼のファンの中には、時々、不埒なことを考える輩がいるという話を、困ったように山田が零しているのを聞いたことは、あるけど。
──不埒なことって……こういうことか…………………………?
あまりのことに、それ以上のことを考えるのを拒否している不知火の耳に、さらに衝撃の事実が飛び込んでくる。
「副委員長の言うとおりよ、里中君! 滅多に生足見せないんだから、この機会に是非ともさらすべきよ〜っ!」
「そうそう! 勿体無いじゃないっ!!」
副委員長と呼ばれた娘の声を応援するように聞こえた「声」の告げた内容に、知らず視線がポスターの下の方に落ちる。
「生足」。
「……いや、まさか、な?」
初対面時の気性の荒さと、闘争心の強さばかりが鼻に付く少年が、目の前のポスターのような格好をしているはずはない。できるはずがない。
──と、思うのだが。
「絶対、ヤだっ!」
「それじゃ、五十歩譲って、窓の枠に腰掛けてる里中君を、山田君が後ろから抱きとめるようにしっかり支えるって言うのにしましょうか? それなら立ってるよりも安全だし。」
「って、いや、あの、副委員長──……。」
山田が当惑したような、困ったような顔で副委員長を見つめる。
今にも「そうしましょう」と決定させた彼女が、手を伸ばして里中に実力行使をしそうな気がして、コソコソと里中を自分の背中に隠してみたりもしてみた。
「その──ソレは、二階から普通に顔を出して、喫茶店の宣伝をするって言うんじゃ、ダメなんですか?」
恐る恐る、不知火が教室の中に顔を出した瞬間、
「里中君が、女装してるってことをアピールしたいの、私は。」
教室の真ん中……メニュー表がチョークで彩り良く書かれた黒板の前に立っていた女は、腰に手を当てて、堂々とそう──宣言していた。
「──────……………………。」
思わず絶句したのは、山田だけではなかった。
里中もパクパクと口を開け閉めして、堂々と目的を口にした女を見ていた。
逆に教卓の近くに固まっていたウェイトレス服を着た少女2人は、堂々と自分の欲望を吐き出してくれた副委員長に、パチパチと小さな拍手を送っていたりする。
微笑は空いてる席に腰掛けて、感心したように顎に手を当てて頷いてたり、殿馬は興味があるのか興味がないのか、いつものポーカーフェイスで視線をチラリとコチラへ当てて、
「いらっしゃいづら。」
唖然として口を開いている「来訪者」に向かって、挨拶をしてくれた。
その刹那、奇妙に凍り付いていた空間が動き始めた。
殿馬の台詞に、ドアに立ち尽くす不知火を振り向いたのは、黒板の前に立つ女「副委員長」であった。
彼女は軽く目を見開くようにして不知火を見ると、
「あ、ごめんなさいね、おかしなところを見せちゃって? お客さま──ですよね?」
彼が手に握りしめたままの「チケット」の存在に気づいて、ゆったりとした笑みを口元に登らせて尋ねてくる。
「えっ、あ、本当だわっ! いらっしゃいませっ!」
「いらっしゃいませ〜! アナタは本日の、一号さんでーっす!」
慌てて教卓の前に居た少女達が、呆然と突っ立ったままの不知火を──「御客さま」を逃すまいと、しっかりと両端を固めて、どうぞどうぞと教室の中に招き入れる。
山田はぎこちなく首をめぐらせて不知火を認めると、軽く目を見開いて、それから苦さと申し訳なさが混じった笑みを顔に広げて見せた。
「あぁ、不知火。来てくれたんだ。」
「ああ……まぁ、時間があったし、な。」
不知火は「こっちにどうぞ!」と席に案内してくれる娘達に腕を引っ張られながら、かすれて上ずった声で答える。
その視線は、意識してはいないのに、山田の背中に体を隠しながら、顔だけを出してコッチをブスリと睨みつけている里中に行き当たった。
いつもの里中の顔──には違いないが、明訓の帽子が良く似合っていたその頭には、なぜか、黒いレースのようなものが巻かれていた。
誰だったかの妹が、大事そうに抱きしめていたフランス人形だったかイタリア人形だったかが被っていたヒラヒラの帽子に似ている。
グイグイと少女達に引っ張られながら、呆然と山田の後ろに隠れている里中を見ていると、彼はその視線から逃れるようにヒョイと顔を隠して、山田のシャツの裾をクイクイと引っ張る。
山田が肩ごしに里中を振り返ると、彼は不機嫌そうな顔で、
「山田──なんで不知火がココに来てるんだ……っ!?」
低く、すごむような声でそう聞いて来た。
「え、なんで──って、あれ、里中には言ってなかったか?」
「聞いてないっ! もしかしてお前、俺が今日、この時間に店番するってアイツに話したのかっ!? それもこんな格好のことまで!」
里中は憤りながらも、必至に声を落として話しているようだが、残念ながら室内にお客さんは不知火1人。
喋っているのは山田と里中と、
「はーい、お客様一名様ごあんなーい!」
「もうご案内終わってるけどね。」
不知火を無事に椅子に(無理矢理)座らせた一人が、彼の手からチケットを奪い取って、それを高々と天井に掲げて宣言する声だけとなれば、必然的に里中の声も不知火の耳に入ってくる。
「で、不知火君? 飲み物は何にする? 今日のオススメは、さっき淹れたばかりのコーヒーよ。微笑君が飲んだだけの淹れ立て!」
──正しくは、(45分前に)淹れたて、であったが。
「あ、あぁ──それじゃ、それでいい。」
「はーい、ワンコーヒープリーズ! サンキュー!」
不知火から注文をとった娘は、ようやく入ってきたお客さん──それも男前──に、浮かれた様子でカーテンで区切られた厨房ルームに入っていく。
その彼女の頭にも、里中の頭についていたのと同じようなのがついている。
そして良く見れば、先程ドアの前で発見したばかりの、思わず絶句したポスターの中の「彼」が着ているのと同じようなウェイトレス服を、彼女たちは着ている。
──と、言うことは。
娘達にずらした視線を、再び山田の背中に隠れて全く見えない里中へと写す。
山田はいつの間にか体ごと里中を振り返っていて、彼に不知火が明訓の喫茶店のチケットを渡したいきさつを話していた。
つまり、
「いや、何も話してはないよ。ただ、この間不知火君がサチ子に文化祭のチケットをくれたから、お返しにうちのチケットをあげただけで……。」
「なんでそんなのやるんだよ〜っ! あげるんだったら、昨日の殿馬のコンサートチケットとかにしとけばいいだろっ! お前は、俺が不知火にこんな格好を見られてもいいのかっ!?」
「あ、そ、そうか……そういう手もあったな……すまん、里中、思いつかなかった。」
ペコリと頭を下げた山田の大きな体の向こう側に、小柄な里中の体があるのは間違いない。
不知火は、よ、と片手を挙げてくる微笑と殿馬を一瞥して、山田の向こう側を指で指し示すと、
「おい、もしかして里中のやつ…………。」
「アレ、ドアの外のポスター見なかったか? 智ちゃんの。」
ニンマリと笑う微笑の顔と声が、何よりも物語っている気がした。
やっぱりそうなのかと、不知火がなんともいえない顔で苦虫を噛み潰す。
──というよりも、どういう顔をしていいのか、分からなかったのである。
あの、「高校生活においてたった一敗しか許さなかった不屈のエース」が。
小柄で可愛いと評判ではあるものの、そのゆるぎない根性とたくましさは、身に染みて分かっている相手が。
ドアの前のポスターのように、とろけるような笑顔で笑って、あんな格好をしてるなんて。
思わず片手を口元に当てて、なんとも苦い笑みを、不知火が口元の刻んだ瞬間、厨房と客席を区切るカーテンをヒラリと掻き分けて、ウェイトレスが顔を覗かせた。
「ちょっと、里中君! 看板娘がサボってないで、これを不知火君のところまで運んでよ。」
言いながら、食堂から借りてきたトレイの上に、コーヒーカップとクッキーが乗った白い紙皿を差し出す。
なぜかそのトレイの上には、彼女が家から持って来たらしい「カメラ」も一緒に乗っている。
「はっ!? なんで俺が運ぶんだよっ!?」
「「「看板娘だから。」」」
思わず山田の背中から顔を出して叫ぶ里中に、キッパリはっきり、即答で答えが返って来た。
「──なっ。」
三人の娘の、異口同音に重なった声に、里中は絶句する。
あきれたように口が開いたまま、里中は喉を軽く上下させ──それから、根性で気合を入れなおすと、
「看板娘って、俺は男だぞっ!!?」
胸に手を当てて、怒鳴りつける里中に、トランプを片付けていた微笑が、軽く首を竦めるようにしながら、
「そこを突っ込むか〜。」
と小さく呟いた。
見ているほうは楽しいかもしれないが、言われている張本人は憤慨するやら、なにやらで、それどころではないだろう──というよりも、他に言うべき言葉が浮かばなかったに違いない。
キッ、と睨みつけてくる里中に、トレイを持った娘が、
「だって、里中君が一番かわいいもん。」
キッパリと言い切り、はい、と里中に向けてそのトレイを差し出す。
ホカホカと白い湯気の立つ紙コップと、サックリといい色に焼けたクッキー。
美味しそうなお茶セットを差し出されて、里中は山田のシャツを片手で掴んだまま、ガクリ、とうなだれた。
「────…………〜……っ。」
一番かわいいって、そんなことを言われても、ぜんっぜん、嬉しくない!
里中の全身と背中がそう叫んでいたが、そんな彼を慰めたり、「一番カワイイって言うのは、言い過ぎだな」と言ってくれる人間は、教室内には一人も居なかった。
この場に居る女子には悪いと思ったが、実際、この場で一番華があるのは、里中だったからだ。
「さ、里中……?」
おずおずと、山田がうなだれたまま顔をあげない里中の名を呼ぶ。
トレイを差し出した女子も、
「里中君?」
ほんの少し不安そうな色を滲ませて、里中の顔を覗きこむ。
「えーっと……あのね、褒めてるんだからね? 本気で?」
トレイを持った手でそのまま、心配そうに教えてくれるが、その言葉こそが男としての里中を更に追い詰めるのだと、彼女は果たして分かっているのだろうか。いや、分かっていないに違いない。
ますます首をうなだれさせる里中に、彼女は首をかしげるようにして、おずおずと山田を見上げる。
その目が、「私、もしかして、まずいこと、言った?」と問いかけているようで、山田は心の中の声はひとまず置いておいて、苦い笑みを貼り付けることでそれに答えた。
「里中。」
そして、うなだれる──良く見るとかすかに怒りのあまりか、フルフルと震えている肩に手を置いて、ポンポンと叩いてやった。
けれど里中は山田に答えることなく、ギュ、と山田のシャツをちぎりそうなほど強く握り締めている。それが何よりも、表に表せないほどの激怒を示しているようで、山田は小さく吐息を零した。
更に里中を落ち着かせるために──とは言っても、試合中のグラウンドに居る里中を落ち着かせることなら何度も経験してきたが、女装していて「カワイイ」と褒められて憤っている里中を落ち着かせるのは、一体どうしたらいいのか……。
ポンポンと里中の肩を叩いて落ち着かせようとしながら、とりあえず山田は目の前のクラスメイトの女子に向かって、そのトレイは不知火に運んでやって欲しいと頼む。
全く見知らぬ他人相手なら、里中もしぶしぶトレイを運んでくれるだろうが、相手が不知火ではそうも行かないだろう。何せつい数ヶ月前までは、神奈川県下最大のライバルとして幾度も戦ってきたのだから。
しょうがないなぁ、とウェイトレス姿の彼女は、目の前でクルンと踵を返して、こちらを呆然と見ている不知火に向かって歩き出す。
それを視線で追って、山田はすぐに不知火の視線の先に里中の姿があるのに気付いた。
「──……ぁ。」
里中を落ち着かせるために、体を反転させた拍子に、隠れていた体がちょうど良く見えるようになってしまったらしい。
まずい、と、里中がその事実に気付くよりも早く、呆然と目を見開いている不知火の視界から、小柄な少年の体を隠そうと──したのだが。
すでに遅かったらしい。
「お待たせしました、不知火さん。コーヒーとクッキーです。
ごめんなさいね、私で。」
ことん、と机の上にトレイを置きながら、苦笑いを浮かべる彼女は、トレイの上からカメラを取り上げながらこっそりと胸の中で悔し涙を飲み込む。
せっかく、白新の不知火に給仕をする里中ちゃんって言う、二度と見れないような絵を撮れると思ったのに!
最後の一言にたっぷり未練を滲ませながら、カメラを両手で包み込む彼女の言葉に、ふ、と不知火は我に返ったように目を瞬いた。
そして、残念そうにカメラを片手に机の前から去っていく彼女の背を見て、彼女達が「看板娘」だと断言した相手にもう一度視線を移す。
俯いた白いうなじに、かすかに掛かる漆黒の髪。野球を止めてから少し伸びたらしい髪が、彼の耳の上を緩く覆い、俯いた横顔の白さを引き立てている。
地面を睨みつけたその相貌は、怒りにかかすかに赤らんで見える。その形良く整った鼻筋も、伏せた睫が頬に落とす影も。
見慣れたはずの顔だというおに、ハッとさせられる美しさが潜んでいる。
その不知火の視線に気付いたのか、慌てて山田が里中の体を隠すと同時、ハッ、と不知火は我に返った。
一瞬とは言え、また視線を奪われていた事実に歯噛みしそうなほどの後悔を覚える。
「──ふっ。」
吐き捨てるように、自嘲気味に不知火は息を吐いて、机の上に置かれた紙コップを手に撮った。
鼻腔を刺激するコーヒーのいい香りに、動揺しかけた心が、少し落ち着いたのを感じる。
「……看板娘、な……?」
しゃれにならない、と、ウンザリした声音で不知火が続けた瞬間、
「──……っ!!」
山田が掴んでいた里中の肩が、大きくビクンと揺れた。
かとおもうや否や、彼はバッと山田の手を振り払い、キッ、と顔を上げる。
白い頬が、カッと赤く染まっていた。
怒りと羞恥がにじみ出た目で、里中は不知火を強く睨みつけると、
「バカにしやがって──……っ。」
ぐ、と爪が食い込むのではないかとおもうほど強く、手の平を握り締める。
山田は慌ててそんな里中の両肩を握り締めて、いや、そうじゃない、と。誰も決して、里中をバカにしているのではない、と──言いかけたのだが。
里中は伸びてきた山田の手をパシンと払いのけると、
「なんだよっ! 山田のバカっ! 不知火のスカポンタンーっ!!!!!」
そのまま、ダッ、とばかりに走り出す。
「おい、里中っ!?」
驚いたように振り返る山田の声も、
「智ーっ!?」
突然の里中の変貌に、驚いたように立ち上がる微笑の声も、目を瞬く教室内の誰もの声も無視して、里中はそのまま教室から飛び出していってしまう。
あまりに突然の里中の行動に、何が何なのか分からなくて、呆然と立ち尽くす中、
「……逃げたづら。」
殿馬が片目を瞑った状態で、腰掛けた椅子を揺らしながら、ポツリ、と、呟いた。
タタタタタ──……っ、と、駆け足に去っていく里中の足音が、廊下から響いてくる。
その音を遠く耳に聞きながら、教室の中の一同は、無言で殿馬と、里中が出て行った教室の扉を交互に見やり──いち早く、副委員長が我に返った。
「──……っ! あっ、本当だわっ! まんまと逃げられたじゃない!!!!」
そのまま、慌てたように身を翻して里中の後を追おうとする副委員長の前に飛び出して、山田は常にないほどの速度で教室のドアを潜り抜ける。
「あっ、あの、俺、探してきます!」
慌てたようにドスドスと廊下に飛び出していく山田の背に、副委員長は慌てたように頷いて、
「頼むわね、山田君! ちゃんと里中君を説得して!」
そう声をかけた。
山田はその声に、ヒラリと右手を翻すことで答えて、今度は山田のドスドスと駆けて行く音が廊下に響いた。
その音を耳にしながら、
「……山田が里中の足に勝てるのか?」
「山田の読み次第づらな。」
現実的なことを呟きあう、元チームメイトのとてもためになる意見を聞きながら、副委員長は軽く眉を顰めると、
「全く、出てこなかったら、着替えの制服全部隠して、後夜祭でお立ち台にあがらせてやるわよ……──っ。」
ギュ、と拳を握って、そんなことを零してくれた。
途端、
「キャーっ! 今日の後夜祭は、里中君で占領しちゃうんだっ!」
「そーれーはー、スゴイ〜!」
ケタケタと笑いまくる女子二人に、教室に残った男三人は、こっそりと視線を交わして、心の中で里中に同情を寄せずには居られなかった。
──女装が破滅的に似合わないのは、見るほうにとって暴力以外の何者でもないが、壊滅的に似合ってしまう場合は。
似合う本人が、とても可哀想としか言えなかった。
二階の廊下の端まで来て、山田は辺りをグルリと見回した。
山田の鈍足と、里中の俊足が相まって、山田が廊下に飛び出したときにはすでに、視界の中に里中の姿はなかった。
だからどこかの教室に逃げ込んだのかと、色々扉を開いてみたのだが、そのどこにも里中の姿はなかった。
「里中、里中ー。」
呼びかけながら、山田は、今来た道を振り返った。
この先に階段があるが、里中が階段を上っていくことも降りていくこともありえない。
三階には今日も催しをしている二年生や一年生の教室がある。もちろん、客は居なくても下級生が居る。
里中は今のウェイトレス姿を、誰かに見られるのは好まないだろう。
となると。
「……ったく、どこへいったんだろうな?」
呟きながら、山田は男子トイレの前に立つ。
チラリと覗き込むと、立ち並ぶトイレの正面にある個室の一つのドアが閉じられている。
見て分かるような場所に隠れている里中の意図が分かったからこそ、山田は苦い色を刻んで、男子トイレの入り口の前に立った。
目の前の手洗い場の蛇口と鏡を見ながら、
「里中がドコに居るのかは分からないけど、狭い二階の中だから、声は届いてるよな?」
わざとらしく少し声をあげて話せば、トイレの中に響き渡る。
もちろん、少し大きな声で話したくらいでは、二階に響き渡るはずはないことも、分かっている。
「──────………………。」
沈黙で帰って来る返事に、里中は相当怒っているようだと──これは、怒りが冷めるまでは顔を出さないほうがいいのだろうなと、山田は鏡に映った自分の顔にますます苦い色を滲ませて見せた。
「……里中、聞こえてたら、そのまま聞いてくれよ。」
そういい置いて少し待つが、やはり答える声はない。
けれど、里中が息を潜ませてそこに居るのは良く分かっていた。
だから山田は、ゆっくりと、良く聞えるように、
「三太郎の教室に、俺のジャージを置いておくから。」
そう、続けた。
「────…………。」
少しだけ待ったけれど、やっぱり答えはなくて、実は里中は自分がココに居るように見せかけて、本当は別のところに隠れているのではないかとおもったが、今のところココ以外に思い当たるところはない。
どちらにしろ里中のことだから、気が済んだら戻ってくるに違いないから、山田は踵を返すと、
「──さて、それじゃ、里中がどこに行ったのかも分からないし、俺は戻ってるかな。」
今度は先ほどよりも少し大きい声で叫んで、男子トイレの前から動き始めた。
「……里中も、落ち着いたら戻ってくるだろうしな。」
自分に言い聞かせるの半分で呟くと、トイレの前から立ち去る直前、
「……山田……、サンキュ。」
小さい声が、ぽつん、と帰ってきて──山田は、何も言わずただ破顔して、教室に戻るために廊下に飛び出した。
どうせ喫茶店は暇なのだから、里中が一人くらい居なくても、自分が店番としてそこに居れば済むように、副委員長を説得してみよう。
山田はドタドタと教室から駆けてきた道を戻りながら、そう思った。
──戻った後、空恐ろしいことを副委員長が叫んでいるのを知った山田が、そんな彼女を説得することが出来たかどうかは、また別の話になる。
*
山田が立ち去ってから少しして、静かなトイレの中に置き去りにされた形になった里中は、ふう、と息をついて、個室のドアを開いた。
見つかっても強制的に開くことが出来なさそうな鍵がついてる場所、と思ったらココしか思い浮かばなかった自分の浅慮さには苦笑いが込み上げてくるが、それも結果よければすべてよし、だ。
「えーっと、三太郎の教室だったな……。」
誰にも見つからないように、さっさと微笑の教室に入り込んで、山田のジャージに着替えて、後はそのまま野球部の合宿所まで一目散に走って逃げる。
教室に残された山田や微笑、殿馬には悪いが、不知火の前でまで女装して笑顔を振りまいて給仕するなんて、冗談じゃなかった。
「それにしても、山田って準備いいよな……。」
もしかしてもしかしなくても、少しばかり癪に障るが、山田は里中が最後まで女装に耐え切れないとそう睨んでいたのだろう。
俺が根性がないと言いたいのか、と怒鳴ることもできたが、今回も「山田さまさま」である。
里中はそのまま個室の中からスルリと抜け出し、トイレの出口へと歩いていこうとして、手洗い場の正面にある鏡に視線が止まった。
そこに写るのは、華奢というにはしっかりした体つきの──けれどしなやかな足と腕を薄い布に包んだ、「美少女」だった。
「──────………………。」
ぅわー、と、里中がイヤそうに顔をゆがめたら、鏡の中の「少女」は柳眉を顰め、唇を愛らしくへの字に曲げた。
毎日見ている顔なのに、身につけている服が違うだけで、これほど雰囲気が違うものかと、里中はウンザリした面持ちで睨みつけた。
そのまま見ていると気分が悪くなって仕方がなくなる。
里中はツイと視線をずらして、心持ちうつむくようにして床を睨みつけながら、スタスタスタと男子トイレから飛び出した。
けれど、きちんと自分たちの教室から人が来ていないか確認はしなくてはいけない。
廊下に続く角から、こっそりと顔を覗かせて、廊下に全く人気がないのを確認して、里中は右手に注意しながら、左手に体を向けて折れ曲がった。
右を見て左を見て、また右を見ている時に限って、左手から人が現れるのは、見つかりたくないときのお約束である。
里中もその例に漏れず、三太郎の教室に素早く駆け込もうと、駆け出した瞬間──、
バフッ!
頭から、しっかりとした男の胸板に突っ込んだ。
「……──ぅわっ。」
勢い良くぶつかった拍子に、目の前に火花が散ったような痛みを覚えながら、里中は顔をあげようとして、慌てて俯く。
ぶつかった相手が誰なのかはわからないが、不用意に顔をあげて、すごく知り合いな顔だったら、まずい。
何せ自分は今、不本意ながらウェイトレス服なんていうものを着て(しかもミニスカート)女装しているのだ。
これがまだスカートじゃなかったら、「ウェイター服なんです」と言い通すところだが、残念ながらそうも行かない。
「──ご、めんなさい……っ。」
男だとばれないようにと、必死でつむいだ声は小さく、かすれてしまいそうにか細い。
その声を聞いて、ぶつかった相手は、驚いたように小さく息を呑んだ後、里中の肩を掴んで、
「いや、俺の方こそ前を見てなかったから──大丈夫でしたか?」
ひどく紳士な声と口ぶりで、心配そうに声をかけてくれた。
その、上から降ってきた声に、本来なら逃げ出さなくてはいけないはずだった。
けれど、里中は思いもよらず聞えてきた声に、驚いて顔をあげていた。
「──……っ!」
まさか、と。
そう目を見張った里中の目に飛び込んできたのは、目と鼻の先にある男の顔。
──それも、悔しいくらい見慣れた、整った顔の。
「…………小林………………。」
見開いた目に、痛いくらいに彼の容貌が飛び込んでくる。
穏やかな笑みを口に馳せた、悔しいくらいに二枚目然とした顔の男は、小さく動いた里中の唇から出た自分の名前を聞き取らなかったらしい。
更に小林の肩越しに、いつも彼と一緒にいる男子が二人ばかり顔を覗かせて、
「おっ……か、かわいい……。」
何か呟いていたが、里中はそんな言葉も耳に入らない様子で、呆然と目を見開いて小林の顔を見上げていた。
──なぜ? なんでコイツが、こんなところに居るんだ?
大きな瞳いっぱいに、自分の顔を映し出している里中に、小林は軽く首をかしげると、
「君?」
「──……っ!」
不思議そうな目を受けて、ハッ、と我に返った里中は、慌てて彼の腕の中から一歩下がり、ペコリと頭をさげると、そのままクルリと踵を返した。
──気付いてない……まだ、気付かれていない……っ!
その事実が、どこか悔しいような気がしてならないが、けれどこの服装の今は、そんなことに構っている暇はない。
とにかく今は、小林の前から一刻も早く逃げなくてはいけない。
里中は彼ら三人に背を向けると、廊下をダっとばかりに駆け戻った。
ヒラリとエプロンを翻して、アッという間に廊下を走り去っていく少女を見て、小林はパチパチと目を瞬いた。
「……速いな、彼女。」
「それに、レベルも高かったよなぁ……明訓に、あんなカワイイ子って、居たっけ?」
はぁ〜、と、感心したように呟く友人の台詞に、小林は軽く首をかしげる。
「──どこかで見たような覚えがあるんだがな?」
けれど、記憶を浚ってみても、容貌が整った「娘」といわれて思い出すのは、自分の妹くらいのものだ。
女の子は良く髪型を変えるから、以前は長髪だったのかもしれない。
どちらにしても、短髪でも愛らしい面差しをした、キョトンと見開かれた大きな目が印象的な美少女であったことは間違えようがない。
「あの子、ウェイトレスみたいな服着てたけど──おっ、あの教室に入ってったぜ。」
思い出すように記憶を浚う小林の隣から、ヒョイと顔を覗かせた男が、ほら、と指を差す先。
彼女はパタパタと、「喫茶店」と書かれたプレートの下げられた教室に入っていくところだった。
目を眇めて見ると、そのプレートが掲げられたクラスプレートは──、
「……なんだ、山田のクラスじゃないか。」
胸ポケットから取り出した小さな画用紙チケットを取り出し、表紙を見やる。
そこに書かれたクラスの名前と、彼女が飛び込んでいったクラスは、確かに同じ数字が並んでいる。
「おっ、やったっ! それじゃ、ちょうど彼女が売り子なんだっ!」
「俺、名前と電話番号聞いちゃおうかな〜。」
途端、ニヤリと顔をにやつかせる友人二人に、小林はあきれたように顔を顰めた。
「おいおい、今日は、ナンパに来たんじゃないんだぞ?」
「──と、分かってるって。この後の野球部の試合を見に来たって言うんだろ?」
「ドラフト前だしな、賑わってるぜ、きっと。」
軽やかな笑い声を上げる友人たちに、まったく、と小林は唇を歪めて笑うと、
「それじゃ、『カワイコちゃん』の給仕で、コーヒーでも貰いに行くか。」
そう軽口を叩いてみせた。
その背後──ちょうど階段を降りてきたこの学校の生徒らしい少年達が、二階の廊下に向けて歩いていこうとする外部者達に気付いて、あれ、と声をあげた。
「あんた達、その階は三年生の教室しかないから、何もないぜ?」
親切に階段を飛び越えて教えてくれる彼に、小林達はそこで一度足を止めて、彼らを振り返ると、
「いや、この先に山田のクラスの喫茶店があるだろ? そこに用があってな。」
ヒラリ、と手持ちのチケットを揺らして見せた。
そんな小林を見て、あ、と声を上げたのは、少年の少し後ろを歩いていたもう一人の少年だ。
彼は小林の顔に見覚えがあったらしい。
すぐさま踊り場に降り立っている友人の下に駆けつけ、「東郷学園のエースの小林だよっ」と囁く。
──さすがは野球の強豪高校、神奈川県下の強敵チームの情報は、一応頭に入っているというわけだ。
「山田先輩のクラスですか。……あぁ、そう言えば、喫茶店やってたっけ。」
「え、でも三年生って自由登校だから、今日はしてないんじゃないのか?」
顔を見合わせあう明訓の男子生徒の台詞に、なるほど、と小林は苦い笑みを刻む。
どうやら、あの山田と里中、岩鬼のクラスの催しがあるというのに、廊下がイヤに寂しいと思っていたが、認知度が全く足りないというのがそもそもの原因らしい。
──まぁ、その方が、ゆっくり話しが出来るだろうから、いいのだが。
どうせだから、練習試合が始まる1時くらいまでゆっくりと話でもして時間を潰したいと思っていたことだし。
「いや、してるみたいだぜ?
さっき、すっごくカワイイ子がウェイトレス服着て教室の中に入ってくのを見たし。」
小林の考えを分かっているのか分かっていないのか、ニヤニヤと笑いながら、友人達は明訓の生徒にそんな情報を与える。
すると彼ら二人は、驚いたように目を見張って顔を見合わせ、
「ウェイトレス服……を着てるってのは聞いたけど、すっごくカワイイ子なんて、居たっけ? あのクラス?」
「さぁ? それって、二年の喫茶店じゃなくってか?」
ボソボソと顔を見合わせて囁きあう明訓の生徒は、いかにも不思議そうな顔をしていたが、
「まぁ、俺はそういうわけで山田に用があるだけだからな。
気遣い、ありがとう。」
小林は、そこで話を終らせて、クルリと体を反転させて歩き出した。
それを追いかけて、小林の友人達も手を上げて踊り場に残った明訓の生徒二人に背を向けた。
そのまま、揃って廊下を歩いていく彼らの背を見送りながら、少年二人は再び顔を見合わせると、
「──カワイイウェイトレスさん、かぁぁ……。」
少し考えるような顔で、呟いてみるのであった。
バタバタバタバタ──……っ!
先ほど山田が歩いて帰ってきた廊下から、あわただしい足音が聞える。
まさか里中が戻ってきたのだとは思わなかったから、誰も気にはしていなかったのだが、近づいてきた足音は、教室のドアの前で止まったかと思うや否や、
バンッ!
ドアを叩きつけるようにして、走ってきた人物はクルリと反転して教室の中に飛び込んできた。
「山田っ!!!」
はぁ、はぁ、と肩で軽く息をしている里中が、先ほどと一寸も変わらないウェイトレス服で、グルリと教室の中を見回す。
そしてすぐに、黒板の前で椅子に座って、副委員長と何か話していた山田を認めて、彼の元に慌てたように駆け寄った。
「さ、里中!?」
驚いたように目を見開く山田の襟首を掴み上げ、里中はそのまま彼に向かって顔を突きつけると、
「どういうことだ、山田っ!!」
「えっ、な、何がだっ!? もしかして、着替えがなかったのかっ!?」
──里中が出て行った時と同じ姿で帰ってきた理由は、それ以外に思い当たらない。
里中に詰め寄られた体勢のまま、山田はジリリと椅子ごと後ろに下がる。
その山田の「着替え」と言う台詞に、副委員長の眦がキリリと上がったが、今は里中も山田もそれにかまっている暇はなかった。
里中はきつく山田の襟元を──あまり掴むところのないソレを握り締めて、
「小林だっ!」
「──は?」
泣きそうだと、見上げる山田が思うほど、彼は顔をゆがめて、忌々しげに吐き捨てた。
「さっき、そこで、小林に会ったっ!!」
悲鳴かと思うほどの里中の叫び声が、びりり、と教室の中に響いて────。
一瞬後、
「小林って……東郷学園の、小林かっ!?」
驚いたように、微笑が目を見開いて、ガタン、と椅子を立った。
「へー、そりゃ珍しい顔ぶれづらな。」
ヒュゥ、と短く口笛を吹いた殿馬を、里中はキンと睨みつけて、
「珍しいだとかそういう問題じゃないっ! なんで俺が──俺がこんな格好してるときに限って、不知火も小林も来るんだよっ!!」
がんっ、と、黒板に右拳をたたきつけて──そのまま里中は、悔しそうに唇を噛み締めた。
苦しげに吐き捨てられた里中の台詞には、至極あっさりと、
「そりゃ、午後から野球部の試合があるからでしょ。」
「山田君にチケットを貰ったんだったら、試合を見るついでにジュースでも飲むかって思うんじゃないの?」
「山田君、なかなかいい仕事するわね。」
動揺する里中たちとは違って、冷静にことの次第を見守っていた女子三人から、突っ込みと説明が飛んでくれた。
──そう、そのものずばりである。
決して「偶然」という言葉でくくられる類のことではない。
練習試合の前の里中の当番、山田が配ったチケット、午後から練習試合。
これが三つ重なった以上、これは必然なのである。
「──……やーまーだぁぁぁ?」
ギッ、と睨み揚げてくる里中の目に、山田は汗を流しながら、落ち着け、と口にしながらも──、落ち着けるはずはないことも自覚していた。
「──すまん、里中。小林君は、サチ子にコンサートチケットをくれたから、そのお礼にって……チケットを…………。」
「もう他にやってないだろうなっ!?」
更に詰め寄るように、触れ合うほど間近に顔を寄せる里中の、整った顔から必死に逃れようを背を逸らす山田に、里中は更に間合いを詰める。
その勢いに飲まれて、山田は汗を掻きながら、
「──……あ、あと……雲竜君にも、一枚……。」
「やぁぁまぁぁだぁぁーっ!!」
「い、いや、落ち着け、里中!」
「これが落ちついてられるか! お前は、自分の旦那が女装で恥を掻いてもいいと思ってるのかっ!?」
「いや、だからな、雲竜君は、今日は予定が入っていてこれないはずだから……っ!」
「そういう問題じゃないー!!」
さらに山田に詰め寄る里中の、激昂した頭に、「いや、お前と山田は、もうバッテリーじゃないから、夫婦じゃないだろう」だとか、「恥っていうより、似合いすぎて怖いよな」だとか、そういう突っ込みが不知火と微笑から飛んだが、現在の山田しか見えてない里中の耳には、幸いにして届いていなかった。
替わりに、そんな里中に向かって、副委員長が、
「里中君っ! その右足っ! 右足を、こう、上にっ! あと、左手はコッチ!!」
詰め寄るなら、こうしたほうが効果的よっ! と、叫んで導いてくれる。
怒りに身を任せたまま、山田に詰め寄っていた里中は、そのたびに、
「おう!」
とイミも分からずそれにしたがっていたのだが…………。
「……何、やってるんだ?」
不意に、教室の入り口から、あきれたような、呆然としたような声が聞えてきた。
「今は取り込み中だっ!!」
叫んで振り返った里中は、その勢いのまま、更に叫ぼうとして──、動きを止めた。
ドアには、男が三人、驚いたような顔をして立っていた。
その中央に立つ「彼」。
それは──今、里中が山田に詰め寄っている原因の、その人で。
唖然と、里中が目を見開く以上に、ドアに立つ男達三人は、呆然と目を見張って、正面に座る山田と、その山田の上に乗り上げるようにしているウェイトレスを見つめた。
更に、
「えっ、お客様っ!? 嘘っ、今、いいところなのにっ!」
「ちょ、ちょっと待ってっ! せめてこの角度から撮らせて〜っ!」
「あら、いいところだったのに……。」
その山田と里中を取り囲むようにカメラを構えていた少女三人が、そんなことを叫んで、パシャ、とフラッシュを一回──すぐに三人は何事もなかったかのようにカメラをしまいこみ、クルリと体を反転させて、
「いらっしゃいませ〜!」
「どうぞ、お席にご案内しますね。チケットはお持ちですか? なければ、こちらでご購入をお願いします。」
「あ、当店はあくまでも『健全店』ですので、こちらのような不健全なサービスは、行っておりませんので、あしからず。」
今、目の前で起きていたことは何もなかったのだと言わんばかりに、それぞれ役割に没頭してくれた。
その、「不健全なサービス」呼ばわりされた山田と里中は、何のことだとお互いに顔を見合わせた後、無言で視線を落とし──……。
今の自分たちの姿が、確かに「不健全なサービス」と言われる格好になっているのに気付いた。
一瞬の沈黙の後、里中は小首を傾げて、なぜ自分が山田の上に乗り上げるような形になっているのか──その原因を記憶に問いかけ……。
「……副委員長ーっ!!!」
激昂した里中を誘導していた原因の名前を叫んだ。
──が、しかし、彼女は平然としたもので、
「里中君、山田君、不純同姓交遊は、教室内では認められておりません。早く離れてくださいね。」
義務的な微笑みと台詞でもって、そうキッパリと言い切ってくれた。
その食えない笑顔に、このやろう……っ、と、里中が山田の首に回した手を密かに握り締める。
すぐ間近に見える顔をゆがめた里中の顔に、山田は困ったように笑うと、
「里中……とにかく、俺の上から降りてくれ…………。」
そう促した──刹那。
今さらながらの悲鳴が、ドアの方から降ってきた。
──すなわち。
「さ……里中ーっ!!!!!???」
夢見た青少年の、現実に叩きのめされた声である。
+++ BACK +++
またもやココで区切る、と。
はい、後はオチだけですね〜。
結局、なんだかんだで「4」でも終りませんでした……アハハハ。
前回と前々回がダラダラしすぎていたので、少しでもテンポ良くと頑張ってみたのですが、どうでしょうか? まだ少し、ダラダラと表現するのが残ってしまってるかな……?
あと1話分、続きます。