うわべ だけの GIRL 3










 赤く色づいた木の葉がヒラリヒラリと、人波の上を優雅に舞い落ちていく。
 その光景を、窓辺からぼんやりと見下ろす顔が一つ。
 秋の少し冷える空気の中、窓を全開に開け放ち、桟に頬杖をつきながら、その人物は暇そうに眼下の光景を眺めていた。
 黒い頭の群れ、群れ、群れ。
 明訓祭と書かれた布地が掲げられた「入場門」は、おそらく二ヶ月ほど前にも体育祭で使用されたのと同じ物だが、文化祭のために違う色の布を巻かれて、落ち葉や秋の花の造花でお色直しされていて、全く別物のように見えた。
 その校門から次々に吐き出されていく人波を見ていると、その中に揉まれているわけでもないのに、人込みに酔ってきそうな気がした。
 まるでお祭り騒ぎのようだと思うと同時、ある意味お祭り騒ぎなのかと、首を捻る。
 校門前の喧騒とざわめきがココまで届いてきて、里中は感心の吐息を零す。
「昨日までに回っておいて正解だったな、山田。」
 頬杖をついて、人が切れる様子のない「お客さん」を見下ろしていた里中の台詞に、すぐ近くの窓際の席でトランプを広げていた山田と微笑、殿馬が顔を上げる。
「え、ああ、そうだな。今日はスゴイ人だしな。」
「そりゃ、文化祭最終日の、それも日曜ともなれば、毎年こんなもんでしょ。」
 山田が扇形に広げたトランプの上に指先を翳して、微笑が笑った顔でムムムと唸る。
 そのままヒョイと取り上げたトランプのカードを手元に引き寄せると、ハートのクイーン。
 思わずそのカードを見下ろした微笑は、山田の後ろで窓の外を眺めている里中に視線を移した。
 野球選手にしては小柄で華奢な里中の体は、いつもとはまるで違う服装に包まれていて、パッと見ただけは、里中だとは分からない。
 何度視線をやって眺めても見飽きることのない整った横顔には、退屈そうな色が浮かんでいた。
 事実、窓辺に陣取る──この喫茶店が開く前からの客である微笑や殿馬が座っている窓辺の席以外は、空席が広がるばかりだ。
 ガランとした教室の中は、外のざわめきと正反対で、カチコチと時計の音を刻むばかりだ。
 昨日までは聞こえていた隣のクラスの喧騒も、今日は全くしない。
 なぜなら、三年生しか居ないこの階で、催しをしているのはこのクラスだけ──正しく言えば、三年生で催しをしているのは、山田たちのクラスだけ──で、さらに付け加えて、文化祭最終日である今日は、三年生のみ「自由登校」扱いとなっている。
 受験が間近に迫っている者は、出席してきても図書室に篭っているし、少し余裕があって文化祭に出席しようと思っている者でも「自由登校」なのだから、朝一番から来ることはない。
 また、もう内定を貰っていたり推薦が決まっていたりするものは、母校の文化祭などに出席するよりも、遊びに行っているか、ほかの大学の文化祭などに出ているはずだ。
 事実、殿馬と微笑のクラスメイトの大半は、そう口々に言っていた。──残り半数は、自宅で勉強か、寝て曜日らしい。
 いくら明訓最後の文化祭とは言えど、「ま、野球部の試合が始まる頃には来てやるよ」程度の認識しかないらしい。
「最終日は混むから、気合いれたのに……この階って、ほんっと、誰も通らないね。」
「去年もそう思ったけど、まさかここまで、日曜日の三年生の階が無人だとは思わなかったわ。」
 里中と一緒の当番をしている女子二人は、入り口に置かれている「チケット売り場」である教卓の傍で、ペンケースと紙を置いて、なにやら書き物中である。もしかしたら手配りチラシでも作成しているのかもしれない。
──覚悟をしていた「混雑」の「こ」の字もないのだから、なんだか拍子抜けである。
「考えてみたら、いくら催ししてるからって、毎年無人状態の、三年生の教室しかない階に、好き好んで脚を運んでくれる人が居るわけないわよね……。」
 頬杖を付きながら、シャ、と鉛筆で白い紙に複数の縦線を引く。
 その線が一本増えるたびに、隣で暇そうに紙を見下ろしていたもう一人の娘が、
「20本目〜。」
 退屈そうにあくびをかみ殺しながら、呟く。
 それから、教卓の上で頬杖を付きながら、里中達が固まっている窓辺に視線をやり、眩しげに目を細めた。
 柔らかな秋の明かりがかすかに漏れ入る窓には、デコスプレーで「喫茶店」と描かれている。
 「里中と山田と岩鬼のクラス」が、「喫茶店」をしていると、簡素な宣伝にも関わらず賑わったのは、1日目だけ。
 もともと1日目は、ドラフト会議を目前に控えている彼らの取材に来るだろう記者がたくさん居るから、「目玉商品」は、隠しとおすべきだと主張した副委員長の決断は、正しいと思う。
 実際、一日目を担当した女子からは、「記者と先生と覗きに来た生徒ばっかり!」と、ウンザリした声を聞いたからだ。
 そして二日目は、土曜日ということもあってか、近隣の高校から女子生徒がチラホラと「里中君いますか?」と来たらしい。
 その二日間で、「この教室が里中と山田のクラスであっても、二人は催しに参加していない」、催し内容は「何の変哲もない、ちょっぴりコーヒーが美味しいだけの喫茶店。ウェイトレス服を着てる」というだけの店だと、校内に知れ渡っている。
 実際、校内で売った前売りチケットに関しては、1日目と2日目にほとんど回収できていた──誰も彼もがこの機会に……3日目の日曜日、一番混むだろう日を避けながら、山田と里中と岩鬼と話す機会を求めていたからだ。
 結果として。
「普通、今日が一番、忙しいはずなんだけどね〜。」
「副委員長にしては珍しく、失敗かしら? ……もったいない。」
 朝も一番から、この教室にやってくる客は居ない、という状況が出来てしまっていた。
 開店して十数分が経ったというのに、教室の中に居るのは「一応客人」の、殿馬と微笑と山田だけ。
 多分、11時過ぎくらいになったら、一度担任が他の教師を連れて様子を見に来てくれるかもしれないが──多分に、里中のウェイトレス服が見たいに違いない──、12時までに、どれくらいの客を寄せ付けることができ、なおかつ里中の「世にも珍しい女装」を見せ付けることが出来るのか、それは全く予測できない状態だ。
「11時過ぎたら、副委員長達が一度様子を見に来るって言ってたし、その時になったらまた相談しよっか。」
「そーねー。」
 予想では、「里中効果」のおかげで、11時くらいには教室は満員になっていて、廊下には長蛇の列が出来ているはずだった。
 その頃には忙しすぎて三人の店番では回らないだろうから、数人の女子が手伝いに来るという約束をしている。
──今の調子だと、ムダ骨になりそうだが。
 コソコソと囁きあいながら、二人の少女は窓から下を見下ろす里中に視線を転じた。
 時々、唇を歪めて足元を見下ろしては、手の平でスカートの裾を無理矢理引き摺り下ろす仕草をしている里中は、入り口に張られているポスターと同じウェイトレス服に身を包んでいるにも関わらず、あの絵とは180度異なり、色気が全く皆無である。──それはまぁ、彼が「男」で、「男らしい」のだから仕方がないとしても。
 山田に名前を呼ばれて、首をかしげるように肩越しに教室内を振り返る里中の顔は、
「──ほんっと、黙っていればの可愛らしさは、ポスター以上よね……。」
 思わず、うっとりと見とれてしまうほどだ。
 着替え終えた里中が出てきた瞬間、教室内に走った緊迫とも驚きとも表現できない沈黙は、当然のことだと思うほどに、今まで着た誰よりも似合っていた──当然だ。里中は何を着ても似合うのだ──黙って微笑んで立っていれば。
 男子も女子も、その普段からはありえない里中の姿に、浮き足たって彼に詰め掛けたのは、今からほんの30分ほど前のことである。
 女子の誰もがカバンの中に潜んできたカメラを手にして、「里中君っ、一緒に写真撮ろう、写真!」と頬を紅潮させて飛び上がっていたし、準備のいい女子のそんな台詞に、同じように頬を赤く染めた男子までもが「あっ、俺も! 俺も一緒に入るから、焼き増ししてくれ!!」と叫び始めたし。
 あまりの騒動に、とうとう里中がぶち切れて、スカートを翻してその全員を怒鳴りつけ、「とっとと出て行け!」と、当番の少女二人と、山田と微笑と殿馬を残して全員教室から放り出したのが、ほぼ10時直前。
 残念そうに扉の前で堪っていたクラスメイトたちも、副委員長が廊下でニッコリ微笑みながら、
「また12時にきたらいいじゃない。お楽しみは、そ・れ・か・ら・ね。」
 という台詞に、それもそっか、と、各自それぞれ、二時間後を楽しみに散っていった。
 あれからまだ、ほんの20分しか経っていないというのに、あまりの暇さ加減に、すでに1時間は経過しているような気がしていた。
 クラスメイトたちが立ち去るざわめきが廊下の向こうに消えて、「さぁ、頑張るわよ!」と気合を入れる彼女達に、里中もとうとう諦めて、「……よし、こいっ。」と気合を入れてくれたのだが──……。
「もう10時半だわ……。」
 気合は、見る見るうちにとろけだしていく次第である。
 客が来るどころか、誰もこの階に上がってくる気配すらない。
「あんなにカワイイ里中君と、一緒に写真撮ったり(撮れるなら)、一緒におしゃべりしたり(できたら)出来るのって、今日の、この二時間だけの特典なのに、なぁんで誰も来ないのかしら〜?」
 小さく──里中に聞こえないような声で呟きながら、彼女は最後の一本とばかりに、シャッ、と紙に線を引いた。
 それと同時、
「35本目〜。これでおしまい。」
 線の本数を数えていた娘が、隣に置き去りにしていたペンを取り上げ、今度はその線の間に横線を走らせていく。
 同じように縦線を引いていた娘も、横線をドンドンと書き加えていく。
──少しすれば、立派な阿弥陀クジの出来上がり、というわけである。
 彼女達がそんな暇つぶしをしているのに、全く気をむけずに、噂の中心地である里中は、飽きることなく窓の外の光景を見下ろしていた。
 いつも見慣れている風景なのに、人が面白いほどに溢れているこの光景は、とても珍しい。
 校門の外にも客が溢れているし、通りに並ぶ屋台は、どこも盛況のようである。透明なプラスチックコップに入ったジュースを片手に、グラウンドや体育館、、武道館の方面に移動していく人影が幾つも見える。
 けれど不思議なことに、校舎の中に踏み込む人は、ほとんどと言っていいほどなかった。
 やはり今日の目玉イベントは、体育館の「コンサート」であり、運動場の「バザー」であり、グラウンドの「野球部練習試合」である──ということなのだろう。
「そういえば、岩鬼の『出店』も、校門の方に出てるんじゃないか?」
 校門を見つめながら、ふと思い出したように呟くと、
「あぁ、毎年同じ場所だよな。」
「あきねぇづらぜ。」
 トランプが残り2枚になった時点で、山田が里中の横顔を見上げながら同意を返してくれた。
 化粧をしているわけでもないのに、白く滑らかな素肌に、ホンノリと桃色の頬が、スタンドカラーのブラウスに映えて見えて、それがまた彼を愛らしくさせている。
「岩鬼、岩鬼……、っと。」
 額に手を当てて、キョロキョロと見下ろした里中は、すぐに人ごみの中でもくっきりと目立つ巨漢の姿を認めた。
「──あ、いた。」
「やっぱり、サイン会の真っ只中か?」
 去年もおととしもそうだった、と軽く笑う微笑に、里中は目を眇めて、さらに良く岩鬼の姿を見ようと身を乗り出す。
 腰の辺りから窓の外に乗り出す里中に、山田が危ないぞと声をかけて、彼の腕を軽く引いて教室の中に引き戻す。
 その動きに素直に従いながら、ストンと床に足をつけた里中は、窓の外を指で指し示した。
「んー……マイク持って叫んでるっぽいぞ?」
「……ま、校内放送じゃないだけまだマシか。」
 軽く肩を竦めて、微笑は殿馬に向けて自分のトランプを突きつける。
 殿馬の指先は、軽快なリズムを刻みながら、ヒョイ、と一枚取上げて、それを自分のほうに捲って見せると、
「トランプもリズムづらぜ。」
 1抜けづら、と、ヒラリと手持ちの最後の一枚を、白いテーブルクロスが掛けられた机の上に舞い落とした。
 途端、
「え!? もうあがりか、殿馬っ!?」
「づら。」
 驚いたように手持ちのカード5枚を見下ろす微笑と、残り2枚の山田。
 ──どちらにジョーカーがあるのか分かっているのは、山田の後ろに立っている里中くらいのものだろう。
 殿馬は、そのまま2人の勝負に入る山田と微笑を置いて、椅子から立ち上がると、里中の隣までやってきて、同じようにヒョイと窓の外を見下ろした。
 まるで何か盛大な催しがやっているかのように、人の波は途切れることはない。
 この黒い頭の群れを最後に見たのは、確か──甲子園の優勝の時だったかと、甲子園球場を覆いつくさんばかりの人の群れを思い出しながら、殿馬はその中にポカンと見える巨漢を見つけた。
 確かに里中の言うとおり、口にマイクを当てて、バンバンと机を叩いている。その横手には白い山積みのサイン色紙。さらに後ろにはダンボールの中に色紙や写真が見え隠れしていた。
「でも、けっこう売れてるみたいだぜ。」
 里中に指差されるまでもない。
 遠目にも見て分かるほど、岩鬼の手元のサイン色紙に伸びる手の数は多かった。
 これが「強豪明訓高校のキャプテン」の威力かと、しみじみと思わないでもないが──たぶん、その横に置かれている写真でキャアキャア叫んでいるように見える黒だかりの目当ては、岩鬼の写真ではあるまい。
「昨日とおとついの、『栄光の明訓野球部』大演説が効いたのかもしれないな。」
 微笑の元から引いたトランプを自分の手札に加えて、山田がトランプを扇形に広げて微笑に向けて掲げる。
 そうしながら答える山田の台詞に、里中が顔だけ振り返り、ああ、そっか、と納得したように頷いた。
 そうだ、岩鬼は、1日目と2日目と、講堂をそれぞれ2時間ほど借り切って、「栄光の明訓野球部三年間を振り返る」という見事な講演会を開いて見せたのである。
 そういう演説と勢いはすばらしい岩鬼の講演会は、呆れる野球部員達の心に反して、なぜか大反響で、二日に渡る怒涛の講演会が終了すると同時、割れんばかりの大拍手に包まれたのは、記憶にまだ新しい。
 今日のこの混雑ぶりも、その当たりに起因しているのかもしれない──もしかしたら。
「すごい盛り上がりだったしな。」
 微笑の指先がトランプの上で迷い──それから、チラリと山田の穏かな顔を一瞥した後、微笑はヒョイと一枚を抜きさる。
 そして手元でそのカードを開くと同時に、隠しきれない苦い色を顔に刻み付けた。
──ジョーカーだ。
「盛り上がったのは、殿馬が岩鬼のバックで演奏してたから、っていうのもあったんじゃないか? 甲子園そのものの迫力だったしな。」
 楽しげに肩を揺らしながら笑って、里中はクルリと窓に背を向けて室内を振り返った。
 外の混雑を見た後に振り返る室内は、本当に催し物をしている教室だとは思えないほどである。
 ガランとしている教室の片隅で、同じ当番の少女が2人、額を付き合わせながら教卓の上で何か書いているのが見えた。
 もう今日はこれで店仕舞いだといわれたら、万々歳だ──本当に。
「あー……そうだな〜……、殿馬、なんで今回に限って、岩鬼のバック演奏なんてしたんだ?」
 山田からカードを隠すようにして丁寧に攪拌した後、ぴらり、と微笑は5枚のカードを山田の目の前で開く。
 ここで山田が、手持ち二枚のうちのどちらかと同じ数字を引いてしまったら、その場で微笑の負けが決定してしまう。確率は5分の2。
 ニコニコとポーカーフェイスで微笑みながら、カードを目の前に広げる微笑に山田は苦い色を刻んだ笑みを口元に貼り付けながら、ヒョイ、と一枚取上げる。
「たーまにはよ、ガンガンうるせぇ男の後ろで音楽するのも、勉強づら。」
 窓の外から吹いてくる風に心地よさ気に目を細めつつ、殿馬は窓の桟で軽く指先をはじかせる。
 その動きが昨日と同じように曲を弾いているように見えて、里中は小さく笑う。
「岩鬼には立派すぎるバック演奏だったぜ。
 すごく盛り上がってたしさ。」
 実際、ちょっと覗くだけのつもりだった野球部の面々までもが、その岩鬼の声の迫力──そしてそれを後押しするかのような激しい殿馬の連弾に息を呑まれて、初日は最後まで岩鬼の「創作50%」の話を聞いてしまったほどだ。
 今でも目を閉じれば、あの講堂の中に広がっていた、一種異様な雰囲気がありありと思い出せる。
 座布団もカーペットも敷いていない冷たい床の上で、鎮座したたくさんの人の頭と、それらの先で卓をバシンとたたきながら演説する岩鬼。その後ろでは、まるで岩鬼が机を叩く機会を打ち合わせしていたかのような勢いで、殿馬の音楽が岩鬼の演説の迫力を二乗にも三乗にもすばらしく作り上げていた。
 その初日の──甲子園会場ではなくても、甲子園の興奮が味わえているようだという感想が口コミで伝わってか、昨日は講堂から人がはみ出るほどの集客を見せていた。
 それを思えば、下で岩鬼がもまれるような大評判のただ中にいるのも、分からないでもなかった。
「あーっ! 負けた、負けっ! くそっ! 引き弱いなぁ、俺。」
 バサバサバサ、と机の上に落ちるカードの音に、里中はヒョイと肩越しに微笑を振り返る。
 そこでは、机の中央に纏められたカードを、ガサガサと纏めている微笑の姿があった。
「なんだよ、また三太郎の負けなのか?」
「やっぱり、ババ抜きなんて、三人でするもんじゃないな〜、智、お前も入るか?」
 手の平でバラバラとトランプを纏め上げ、慣れた様子でカードを切りながら視線を向けてくる微笑に、里中は柳眉を顰めて体ごと彼を振り返る。
 秋の季節には少し寒そうに見える白いブラウスは襟を立てられていて、襟元から少し大きめの黒のボウ・タイ。ブラウスの前は大き目のプリーツが寄せられていて、その左右を黒のサスペンダーでしっかりと止められている。
 ハイウェストのタイトスカートを履いている腰の位置からサロン風の黒のエプロンをヒラヒラとつけている。
 先ほどまで見せていた背中は、サスペンダーがクロスされている上に、タイトスカートのチャックの左右に金色の止め具がついているのがまた愛らしく、さらにその下からはエプロンの裾がたっぷりめに取られていて、大きなリボンが作られていた。
 背中を見ていれば、肩甲骨のラインがうっすらと浮き出る、愛らしいウェイトレス服。
 しかしこうして正面を──しかも山田の体越しに見ると、「女装しているウェイトレス服」と言うよりも、バーでカウンターに入っている「ウェイター」服に見えないでもない。ブラウスの上から黒のベストを羽織ったら、まさにそんな感じだ──腰より下の、エプロンやスカートさえ見えなかったら。
「って、だから、俺は店番中だ。」
 ブッスリと──この姿で姿を表したときから、不機嫌そうな顔を隠そうともせずに言い切る里中に、
「まぁ、一回くらいならいいだろ? どうせ暇なんだし。」
 ほら、向こうで「受付嬢」たちも、暇そうにしてる、と、微笑が視線を向けた先で、手の中に治まるくらいの大きさの何かを覗き込んでいた2人が、慌てたようにそれを教卓の中に突っ込むのが見えた。
 そのまま、さりげない動作で──しかし十二分に怪しく──、彼女たちはドアの外を覗きながら、
「お客さんどころか、だぁれも通らないねぇ〜。」
「ほんとねぇ〜。」
 わざとらしく頬に手を当ててそんなことを呟く。
 良く通る彼女たちの声は、イヤになるくらい人気のない廊下に響き渡った。
 あまりに声が良く響き渡ったので、彼女達はそのままヒョイと開いたままのドアから廊下に向けて顔を突き出す。
 しん、と静まり返った廊下は、窓から差し込む明かりだけでは薄暗く、少し肌寒かった。
 振り仰いだ教室のプレートの下には、おとついから掛けっぱなしの、愛想の欠片もない「喫茶店」の文字プレート。
 開きっぱなしの開き戸には、喫茶店のムードを出す為にとレースが付けられていたが、それもなんだかとってつけたようなお愛想程度にしか感じない。
 廊下に出て教室を振り返ると、他のクラスの催し物と全く違って、いつもと同じような教室にしか見えないというのが、また「地味」っぽいと、1日目も2日目も言われたっけ。
 けれど、今日はそうではなかった。
 引き戸の表に貼られた、一枚のポスター。
 目の前まで来ると、否応なくひきつけられる明るい色合いに、そこに描かれた人物の放つ華。
 これを見逃して通り過ぎる人間は、はっきり言って美意識が欠片もないに違いない、と思うほどに目立つ。
 今朝貼られたばかりのそのポスターに、例に漏れず彼女達も視線が引き寄せられ──そのまま、マジマジと見つめる。
 美術部の中の「里中激愛ファン」に書いてもらったと副委員長が豪語してあるだけあって、本当に綺麗に愛らしく書かれている。
 男の子の絵の背景がピンクって言うのもどうかと思うはずなのに、これを見て「かぁわいぃ!」と叫ばない人間は居ないはずだ(断言)。
 ポスターが出来た日から、何度も何度も拝んでいるというのに、どれだけ見ても飽きないそれを、今またしみじみと見上げて、
「いいよねぇ、このポスター……。」
 片手を頬に当てながら、どこかウットリと呟いて首を傾げる。
 同じようにもう片割れの少女も、うんうん、と彼女の言葉に頷いてみせる。
「家に持って帰ったら、私、これ、部屋に飾るんだ──……っ。」
 グッ、と拳を握ってそう宣言する彼女に、途端にうっとりしていた目を正気に戻した女子は、
「って、まだアンタが当たるって決まったわけじゃないじゃないの。」
 すかさずそう突っ込んだ。
 それに小さく唇を尖らせて、少し拗ねたような顔で相方を見上げると、
「そ、れは分かってるけど、絶対当ててやるぞっ、って意気込みなの!」
「でも、35分の1だからね……。」
「35分の1だね──……。」
 揃って、先ほど作っていた阿弥陀クジの本数を思い出して、こっそりと疲れたような溜息を吐く。
──そう、あの阿弥陀クジは、今日の夜に、このポスターを持ち帰る人を決めるためのクジなのである。
 ちなみにこの35分の1の「35人」というのは、ほぼクラスメイトの全員に当たる。参加しなかったのは、里中と山田くらいのものだ。
 このポスターサイズともなると、カラーコピーも出来ないのだから、しょうがない。
「当たらない可能性のがたかいよね……。」
「うん、高いよね。」
 はぁ、と悩ましげな溜息を零してポスターを見上げた二人は、そのままふと顔を見合わせ、廊下をグルリを見回した。
 ガランとした廊下は、日曜日の学校そのものと言った雰囲気だ。
 ただ、この教室から遠く離れた階段の方角から、かすかなざわめきが聞こえている。
 上の階の下級生達が、下へ降りていこうとする足音だろう。
 昨日やおとついは、左右の教室にも人が居たから、それなりに賑やかだったが、今日は全くの無人と行った雰囲気である。
 この様子を見ていると、開店して早々の状態であるが、ギリギリまで「里中女装」ネタを公開しない、という「戦略(里中が逃亡しないための策とも言う)」は、間違っていたのだろうかと思えてくる。
 暇でもかまわないのだが、「里中」が居るから、きっと忙しくなると気合を入れていたのに、拍子抜けだ。
 里中と里中のポスターを独り(?)占めできるのはいいのだが、なんだかもったいない気がしてくる。
 揃って二人は再びポスターに目を向けて、
「──暇だし、このポスターと一緒に写真でも撮る?」
 ふとそんなことを思いついた。
 廊下は誰も通らないし、教室の中には明訓野球部引退組が四人居るだけだし。
「あっ、それいいねっ。誰も居ないしっ。」
 ポンッ、と手を叩き合って、2人はニッコリ微笑みを交し合うと、再び教室の中に戻った。
 中では、椅子に座った里中を囲んで、明訓高校の栄えある野球部OBたちが、七並べをしていた。
 教卓の上には、出来上がったばかりの阿弥陀クジが置かれている。
 そしてその引き出しの中には、先程隠したカメラが入っている。
 腕を突っ込んで取り出すと、枚数はまだまだタップリと残っている。折を見て里中向けてシャッターを切っているのだが、まだ3枚しか撮れていないためである。
 それを両手で持って、早速廊下に出ようとしたところで、
「どう、誰か来たかい?」
 窓際の山田が、チラリとこちらを見て、尋ねてきた。
 それに釣られるように、手持ちのカードを扇形に広げた面々も、そろって彼女たちの方を向く。
 思わず二人は、ばっ、とカメラを背後に隠して、
「そ、そうね〜、人っ子一人、居ないかな〜。」
 あははははは、と、先ほどのように慌てたような笑みを浮かべてみせた。
「なんなら、私達、下まで行って、客引きしてこようかしら?」
 ごまかすように口に出してパタパタと手を振った瞬間──、自分の手持ちのカードから一枚取り出した微笑が、
「それ、いいな〜。なんなら俺が、あのポスターを持って、表で宣伝してきてやろうか?」
 軽やかな笑い声を立てると同時、

ゲシッ。

 遠慮もない蹴りが、机の下で微笑の脛に飛んだ。
「…………っ……っ!」
 しかも、いつもの蹴りとは違う、ヒールを履いた靴での遠慮もない蹴りである。
 全身をビリリと震わせて、そのまま前かがみになって机の上に突っ伏す微笑を、里中は冷ややかな目で見下ろして、
「そんなことしたら、ココから蹴落とすぞ、三太郎!」
 はっきりとそう告げてやった。
 この姿を誰か他の人間に見られただけでもイヤでイヤでしょうがないというのに、あの生き恥以外の何者でもないポスターを持って、よりのもよって「明訓野球部員だった男」が「客引き」をするなんて、とんでもない。
 いっそこのまま、12時まで客が1人も来なかったらいいと思っているくらいなのに。
 机に突っ伏して、蹴られた脛を必至で押さえて──それでも微笑は、負けじと涙目で里中の整った顔を見上げて、
「でもさー、せっかくのあの力作ポスター、もったいないとか思わないか? ──な、山田?」
 今度は里中ではなく、山田に方に話を振ってみた。
「え、あ、いや、それは──ど、どうだろうな?」
 チラリ、と視線をやった先で、里中がうわめ遣いに山田を睨みつけている。
 その目が雄弁に「余計なことは言うな」と語っているようで、山田はただ苦い笑みを刻むだけで明確な答えを出すことはなかった。
 そんな山田の反応に、「この夫婦は亭主関白だな」と、ようやく痛みが薄らいできた足から手を離して、微笑はヒョイと肩を竦める。
 そんな彼へ、手持ちの札から一枚抜き出して、シュ、と机の上を滑らせた殿馬が、飄々とした顔で、
「後夜祭オークションに出したらよ、高値がつくづらぜ。」
「殿馬っ!」
 非難もあらわに里中が怒鳴り、それを茶化すように微笑がアハハハ、と
「その前に俺が、剥がして家に持って帰るぜ。」
 冗談半分、本気半分でそんなことを零す。
 そんな2人に、里中が眦をキリリとあげて、ふざけるなよと顔を歪めた瞬間──、
「えっ、ちょっと三太郎君、何、言ってるのよ!」
 カメラを持って、意気揚々と廊下へ出て行こうとした女子2人が、驚いた様子で窓際を振り返った。
「そうよ! あのポスターを貰うのは、クラスメイトの特権よ!? ちゃんと阿弥陀で決めるって決まってるんだからっ!」
 ホラッ! と、先程出来上がったばかりの阿弥陀クジを掲げると、幾十にも引かれた線の一本の下に赤ペンで花丸が描かれている。まさに35分の1の確率である。
 彼女たち2人が真剣な顔でそう叫んだ阿弥陀クジを──あぁ、何を書いてると思ったら、それを書いてたのかと、どこか遠くで山田が呟いているのを聞きながら……、
「って、なんだよ、それはっ!? 聞いてないぞっ!!?」
 バンッ、と、里中が机を叩いて立ち上がる。
 どう軽く見ても、クラスの半分以上の人間の分の線は引かれている阿弥陀クジを見て、山田は里中を無言で見上げる。
──俺も聞いてないんだが、それは一体、どういうことなのだと、そのまま視線を少女達へとずらすと、
「聞いてなくてもそう決まったの! だいたい里中君は、あれ、いらないでしょ!?」
「それとも部屋に飾るの〜?」
 彼女たちは全くあくびれずに、まぜっかえす。
 そんな2人の台詞に、カッ、と怒りにか羞恥にか里中は目元を赤らめて2人を睨みつける。
「かざるかっ、あんなもの! 焼いて捨てるっ! 後夜祭のファイヤーで、絶対、焼くっ!」
「だっめでーっす! あれは、お持ち帰りだもん。」
 掌を前に突き出して、キッパリはっきりと言う女子に、里中が拳を強く握り締めて、バカを言うなと──そのまま、ポスターを剥がして焼いてやろうかと凶暴なことを思った刹那、
「はいはい、それってさ、俺も参加したらダメかな〜?」
 ひらりん、と能天気に微笑が片手を挙げて名乗り出てくれた。
「……三太郎っ!!?」
 驚いたように目を見開く里中に、微笑は不器用なウィンクを一つ飛ばして、
「当たったら、智にやるよ。」
 小さくそう言ってくれる、のだけど──ニンマリ笑った口元が、なんだかうそ臭い気がしてならない。
 憮然とした表情で里中が微笑を見下ろすのを交互に見て、彼女たちは揃ってフルフルとかぶりを振った。
「それはダメー。1人でも部外者に参加させると、大変なことになるから禁止だって、副委員長からのお達しでーす。」
「えーっ、そこを何とか〜。」
「ダーメ。」
 微笑は拝み倒すように顔の前で手を合わせるが、彼女たちはそれをアッサリと却下する。
 それから、チラリとお互いの目を見るように視線を合わせた後、イタズラめいた笑みを浮かべて、手に持っていたカメラを胸元に掲げると、
「──あ、でもその代わり、ポスターと一緒に写真なら撮ってあげるよ。」
「私達も暇だから、撮っちゃおうか、て言ってたとこだし。」
 楽しそうな表情を隠しもせずに、どう? と誘いをかける。
「おいおい、バカ言うなよ。」
 呆れたように顔を顰める里中は、微笑も同じように呆れて笑い飛ばすに違いないと、そう信じているようだった。
 だがしかし、微笑は彼女たちの誘いを受けて、意気揚々と立ち上がる。
「いいねぇ、それ。」
 手にしていたトランプ数枚を裏に返して机の上に置くと、そのまま出入り口の方へと歩いていってしまう。
「って、おい! 三太郎!?」
 カメラを持って構えている少女達の元へと、軽い足取りで近づいていく微笑の後ろ姿を、里中は信じられないものを見るような目で、愕然と見つめた。
 さらにその微笑に続くように、かたん、と小さく椅子の音を立てて、
「づら。」
 殿馬までもが、カメラを構えている少女達の下へと歩き始めるではないか。
「殿馬っ!?」
 さらに愕然として殿馬の名を呼ぶ里中を、彼は自分の肩越しにチラリと振り返って、
「サトよぅ、これもお祭りづんづらぜ。」
 ニヤリ、と口元を歪めて笑ってくれた。
 その顔に、驚いたように軽く目を見張った里中は、なんとも言えない表情で唇を歪めて、山田をジットリと見下ろした。
「──……お祭りだからって、なんか俺、ずいぶん遊ばれてないか?」
 こんな格好させられるし、と、ヒラヒラと揺れるエプロンを摘み上げる里中に、山田はただ苦い色を口元に刻んで、
「まぁまぁ、二時間の辛抱だろ?」
「だからって、我慢の限界って言うのもあるんだぜ、山田?」
 絶対、誰がなんと言おうと、あのポスターは今日の後夜祭で燃やしてやるっ。
 憎憎しげな口調で、憮然と里中は黒板側のドア近くで、楽しげにカメラを構えている四人を睨みつける。
 今すぐポスターを剥がして破ってしまおうかと、ムカムカした気持ちで思っていると、廊下でパシャリとフラッシュが焚かれた。
 ピクピクとその行動に堪える里中に、山田が苦笑いを浮かべながら、目の前に置き去りにされていた自分の分のジュースを手に取ると、
「まぁ、落ち着け、里中。」
 ほら、と彼の手にジュースのグラスを握らせる。
 里中は無言でそれを見下ろすと、ストローを口にくわえて、くそ、と短い罵り声を上げた。
 今ココで廊下に出て行って、何をやってるんだと叫べば、ポスターの代わりに自分が微笑と殿馬に挟まれて写真に収まるハメになるのは間違いなく、山田の言うとおり落ち着く以外にすることはない──はずなのだが。
 廊下では、先程までの静けさがウソのように、楽しげな笑い声が響き渡った後、
「微笑君、微笑君、ついでに、ブチューっと一発やって〜っ!」
 キャーッ、と盛り上がる2人の娘達の声に、
「ばっ……かかっ、お前等はっ!!」
 ジュースを放り投げて、叫ばずにはいられなかった。
 そして間髪いれず、ダッシュで廊下に向かって走り出してしまう里中を、慌てて山田が追う。
「待てッ、里中!」
 そんなことをすれば、ここぞとばかりに写真を撮られるぞ、と、ドタドタと走り出すが、当然、野球部でも俊足を誇る里中の足に適うはずはない。
 山田が教室の中ほどまで駆けつけたときにはすでに、里中は両手でドアの端をつかむようにして廊下に顔を突き出していた。
「三太郎っ!!」
 しかし時すでに遅し。
 調子に乗った三太郎が、絵の具の匂いのするポスターに向かって、ちゅー、と口を突き出しているところだった。
 パシャッ。
 三太郎に向かって眦を吊り上げて怒鳴ると同時、閃かれたフラッシュに、里中はとっさに目を閉じる。
「あれ、なになに? さっとなっか君も、もしかして一緒に写りたいとか〜!?」
「あっ、いいね、それ! ウェイトレス三人娘とか言って、卒業アルバムに載っちゃおうかっ!?」
 カメラを持った少女が、楽しげにニンマリと笑うと、調子に乗ったもう片割れが、里中の腕をつかもうと手を伸ばしてくる。
 とっさにそれを後ろに下がって避けて、
「バカ言うなよ、だから! こんなのが卒業アルバムに載って、楽しい人間がドコにいるんだよ!?」
「学校中。」
 答えはとても早く、簡潔だった。
 さらに続けて、
「里中君、あなた、ほんっとうに似合ってるから、自信持ちなさいって!」
「そうそう、うちの学校、ミスコンとかの催しないけど、もしあったら、二位以下を大きく引き離して一位に輝くのも間違いないくらい、可愛いからっ!」
 2人揃って、拳を握り締めて力説してくれる。
 そんな真剣極まりない表情の2人に、里中は気勢をそがれるどころか、思いっきり脱力してしまった。
 ガクリ、と肩を落として、ドアの縁によろよろと額を預ける里中を見て、すかさずパシャとフラッシュが焚かれた。
「あのな──……っ。」
 フルフルと握り締めた拳に、さらに力が入る。
 キャイキャイと楽しげに笑う彼女たちに悪乗りするように、2人がフラッシュを焚いた瞬間、すかさず画面に割って入る微笑と殿馬に、怒りをぶつけようとした──その刹那。

「あれー? 微笑先輩に、殿馬先輩!?」

 こだまするかと思うほど大きな声が、廊下一杯に響き渡った。
「……な──ぎさ……!?」
 声の主が誰なのか一瞬で理解すると、ドアに顔を突き出そうとしていた里中は、とっさに顔を引っ込めて、背後に立っていた山田の背中に回る。
 山田の体ごしに見たドアの向こうでは、四人が驚いたような顔で廊下の先を見ていた。
 彼らが見ている右手方向には、彼らの教室とつながる階段がある。
「なんだ、お前等、こんな時間に何やってるんだ、こんなところで。」
 呆れたような響きを宿らせながら、微笑が片目を眇めて二教室は先に立っている二年生たちをジロリと見やる。
 午後1時から練習試合が入っている野球部の面々は、11時には昼飯を食べ終えて、12時には体を解し始めていなくてはいけない。
 確か予定表でもそうなっていたはずで──もうすでに10時半だと言うのに、こんなところでウロウロしている暇はあるのかと、そう腰に片手を当てて呟く微笑に、集団の先頭を歩いていた渚の横手から、高代が答える。
「何やってるって──それはこっちの台詞ですよ〜! 三年生は自由登校なのに、随分早い到着じゃないですか!」
 階段を下りてきて、偶然微笑たちを見かけた──にしては、なぜ全員でこちらへ近づいて来る?
 しかも、本来なら彼らが「昼食」を食べてなくてはいけない時間に?
「最後の文化祭なんだから、自由時間くらい作るさ。」
 その自由時間「10時から13時」のほとんどを、この教室ですごす気満々であったことは心の中で呟いておくことにして、微笑はチラリと教室の中に視線をやったあと、ゾロゾロとこちらへ向けて歩いてくる後輩たちに一歩脚を踏み出した。
 教室の中では、山田の背中に隠れた里中が、唇を真一文字に結んでジロリとこちらを睨んでいる。
 彼が考えていることは丸分かりだ。事実、
「──あいつら……っ、俺の居る時間帯には絶対にくるなって言ってあったのに……っ。」
 小さくそんなことを呟きながら、山田の腕を掴んだ手に力を込めて──自分がエースで、握力は人並以上にあることを自覚しているのだろうか、本当に。これが山田の腕じゃなかったら、握りつぶされていそうだ──、指先が真っ白に染まっている。
 プライドの高い里中のことだ。
 今、微笑や殿馬が背にしているポスターを見られても、怒り沸騰して、そこらにある椅子や机を投げつけてくれるだろうことは、想像に難くない。
 事実、怒りに震えている里中の顔は、ヤツラの誰かがドアに手をかけようものなら、即効で回し蹴りくらい放ちそうなくらい凶暴な色に染まっている。
 ──不思議とそういう顔をしていても、美人は美人だと思えてしまう格好なのが、情けないが。
「あー……もしかして、何かトラブルでもあったのか?」
 彼らがこれ以上コッチに来ないように……二年生選手に怪我が発生して──しかも原因は、女装した自軍の元エース──、練習試合がお流れになるのでは、しゃれにならない。
 微笑はカメラを構えたまま、小首を傾げている少女達の傍を通り抜けて、教室の後ろ扉と前扉の間くらいで、彼らの歩みを止めた。
 さりげに殿馬も微笑の隣に立ってくれる。
 その、まるで里中と山田の教室をガードしているかのような仕草を見せる二人に、二年生たちはそこでようやく、ただならぬ雰囲気を感じ取ったらしかった。
「え、あ、いや──、その……。」
 思わずたじろんだ渚は、困ったように視線を揺らす。
 正直を言えば、ココへやってきたのは、微笑や里中達が思っているように、「当然」、里中が今、店番をしているから、である。
 里中から購入したジュースチケットは、昨日とおとついで、すっかり使ってしまっている。
 その時に、このクラスの先輩達が、ウェイトレス服を着ているのはチェック済みで──もしかしたら、絶対にありえないとは思うけれど、あの「里中先輩」も、ウェイトレス服はありえないだろうが、ウェイター服か何かを着ているのではないか、という話になって。
 それなら是非とも、「試合前の確認をお願いしたいんです」とでもなんでもいいから、無理矢理、話を作って見に来よう、と思っただけだ。──────なんて、言えない雰囲気である。
 少し斜めに構えた微笑の視線も怖いが、ポーカーフェイスの殿馬はとにかくとして、その背後のドア。そのドアから、ただならぬ妖気が流れてきているような気がしてならない。
 その事実に、目が泳ぎ、汗がダラダラ流れはじめる渚に、彼の背後に居た香車が、はぁ、と溜息を零すのが分かった。
「あー……えーっとですね、実はその。」
 高代が両手をブンブンと振り回して、必死で説明しようとする──その高代の後ろポケットに見えた紙に目を留めて、これだ、と香車は軽く目を眇める。
 そして持ち前の素早さで高代の後ろポケットからそれを抜き出すと、ス、と渚と高代の間に割り込むようにして前に進み出て、その紙を微笑向けて差し出した。
「実は、うちのチームのオーダー表の件で、ちょっと相談に乗ってほしいなぁ、と思いまして。」
「そっ、そう! そうなんです! 練習試合とはいえ、ここで負けるわけには行かないので、念には念をと思いましてっ!」
 コクコクコク、と激しく香車の台詞に同意を示す上下と蛸田の動作がまた、怪しい。
 そんな下級生をウンザリした顔で見やって、微笑は一応香車の手からオーダー表を奪い取る。
「そんなもの、監督にお願いしたらいいだろうが。」
「あ、いえ、今回のコレは、練習試合なんだから、俺たちで考えろって言われちゃいまして。」
「自分たちが実力をどう見ているのかって言うのも、いい勉強になるだがや、って言ってました。」
 それでも目を通す微笑に、ほ、と胸を撫で下ろしたのは、じつを言うと、本当に不安に思っていたオーダー表を確認してもらうことが出来たからか、それとも彼らの鋭い視線から逃れることが出来たからなのか……。
「へー……監督もよぅ、たーまにはいいことを言うづらぜ。」
 クルン、と反転するようにして、殿馬は背を教室の壁に押し付けて、ニヤリと笑う。
 そんな殿馬の言葉に、ちょっぴりひやひやしながらも、微笑がオーダー表を覗いているのをいいことに、二年生たちは揃って首を長くして、喫茶店の看板がつり降ろされたドアの辺りを覗き込む。
 けれど、この角度からだとドアの前にポスターが張ってあるのしか見えない。
 店番らしい当番の女の子が二人、すっきりシンプルでありながら、カワイイウェイトレス服に身を包んでいるのは、目にも潤ったが──肝心要の里中が見えない。
 ついでに言えば、その里中の傍に必ずいるだろう山田も。
「──あの……、里中さんって、中っすか?」
 おずおず、と渚が微笑を覗き込むように口にすると、微笑はオーダー表を見ていた目を鋭くさせて、ジロリ、と渚を見下ろした。
 そのあまりに鋭い視線に、ひぃっ、と短い悲鳴をあげた渚は、思わず後ろに下がったが、微笑は特に何か言うことはなく、そのままオーダー表を香車に返して、
「里中は接客中だ。ほら、お前らはもう用がないだろ? 仕事の邪魔をするんじゃない。」
 先輩ぶった物言いと仕草で、さっさと飯を食ってグラウンドに行けと、微笑は手の平で彼らを返そうとする。
 けれど、後輩たちは逆に、「接客中」と言う言葉を聴いて、驚いたように目を見開くばかりだ。
「えっ、さ、里中さんが接客してるんですかっ!?」
「あっ、あの、それって、どういう姿でっ!?」
「まっさか、ウェイトレス服なんてことは、ないですよね〜っ!?」
 興味津々、動揺半分、さらに冗談8割で笑い飛ばす後輩たちの台詞に。
 ──あちゃ、と、微笑がかすかに視線を逸らすと同時。
「お前らっ! 何をこんなところで油を売ってるんだっ!? グラウンドに行ってやることは、山ほどあるだろうがっ!!!」
 教室から、里中の叫び声が響き渡った。
「ははは、はいぃっ!!」
 ビリリと響き渡る声に、思わず二年生どもが背中を正すのを聞きながら、微笑は思わず背後を振り返った。
 まさか里中は、「あの格好」で、廊下に出てきたのか、と。
 けれど、振り返った先に里中の姿はなかった。
 替わりになぜか教室のドアから椅子の脚らしきものが飛び出しかけていたが、それも一瞬のこと。
 すぐに椅子の脚が引っ込められ、替わりに焦ったような汗を浮かべた山田がドアから顔を覗かせた。
 右手でドアの枠を掴み、左手で何かを掴んでいるのが見える。──おそらくは、先ほど里中が教室のドアから投げようとしていた椅子の脚でも掴んでいるのだろう。
「里中の言うとおりだぞ、お前たち。」
 どこか焦ったような口調を隠しもせず、山田は厳しい顔で後輩たちの顔をグルリと見回す。
 表のキャプテン岩鬼と違い、裏のキャプテンと密かに呼ばれていた山田の叱責は、里中のどなり声と同じくらい──もしかしたらそれ以上の効力を持って、後輩たちの胸に響いたらしい。
 彼らは揃って、ビシリと直立不動になる。
「昨日とおとついの一般客の入場で、グラウンドが荒らされている可能性もある。石や落ちてないか、道具はちゃんとなっているか、全部確認しなくちゃいけないぞ。時間はぜんぜんないんだ。早く飯を食って、グラウンドに行け。
 俺たちも、昼を食べ終えたら、すぐに行くから。」
 早くここから立ち去れ。
 そう言わんばかりの山田の台詞に、コクコクと後輩たちは素直に頷き、そのまま──まだ後ろ髪引かれる思いを滲ませながら、今来た道を引き返していった。
 微笑も殿馬も、その山田効果にホッと胸を撫で下ろしながらも、二年生たちがちゃんと階段を下りていくまでその場で見届ける。
 そしてようやく一安心したように肩を落として教室の中を振り返ると──、思ったとおり、担いでいた椅子を床に下ろした里中が、その椅子に座らされて山田の説教を受けていた。
「里中、いくら見られたくないからって、椅子を投げるのはあんまりだろう。」
「──すまん、俺もちょっと、頭に血がのぼったかな、って思った。」
 素直に、しゅん、と肩を落として椅子に座る里中は、贔屓目なしに見てもカワイイ。
 思わず教室の入り口で動きを止めてしまった微笑が、うっ、と言葉に詰まると同時。
 パシャ。
──軽快なカメラの音とフラッシュが、教室の中に響いたのも、仕方がないと言えば、仕方がないこと──で、ある。
























 手にしたチケットは、一枚。
 人差し指ほどの幅と、キップくらいの高さしかない、画用紙サイズのそこには、表面に大きく手書きで「3年○組 喫茶店 ジュース&お菓子券」と三段に分けて書かれている。
 さらに裏を捲ると、そこにはこの高校三年間、ずっとライバル視し続けてきた男の手書きのサイン。
 「明訓高校 山田太郎」。
 ポケットから取り出した、少しくしゃくしゃになったそれを見下ろして、それから彼は顔を上げて久しぶりに見る明訓高校の校門を見上げた。
 文化祭最終日、日曜日の一般開放日ということもあってか、飾り立てられた校門の奥は、まるでオールスターのような人込みにまみれている。
 涼しい風が吹いているはずなのに、校門の中は蒸し苦しく、左右に立ち並んだ屋台からはいい匂いが何重にも香ってきていた。
 その──何度か来たことのある校門を潜り抜けて、人波を掻き分けるようにしながら──校門の前に到着したのは10時だと言うのに、校舎前にようやく到着したのは、もう10時30分を越えていたというのは、一体どういう渋滞ぶりだというのだろう。
 ウンザリしながら、今自分がやってきた校門からの道のりを振り返りながら、彼は少しずり落ちたウィンドブレーカーを指先で整える。
「──まぁ、記者に囲まれるよりもマシか。」
 見れば、記者も多数混じっているように見受けられたが、これだけの人込みのおかげで、「彼」はその記者に捕まることは全くなかった。
 その点だけは、人込みに感謝しながら、グルリと視線をめぐらせると、校門からグラウンドに行く道の途中で、一際人の山が出来ている場所に目が留まった。
 パシャパシャとフラッシュが幾十にも焚かれているソコには、先ほど人波に流されて行き着いた場所でもあった。
 思わず突き出された先には、高校三年間、イヤになるくらい見慣れた男の顔があって、心底ウンザリしたものだ。
──もっとも、今日、この明訓の文化祭に来たのも、ドラフト前に彼らの顔を見ておこうという気持ちがあったのだから、「彼」の顔を見れた幸運に、感謝するべきなのかもしれないが。
「何が未来のスーパースターのサインだか。」
 苦い色を刻みながら、岩鬼によって無理矢理持たされたサインを取り出し、落書きのようにしか見えないそれを掲げる。
 「おんどれは特別に、名前まで書いたるわい。」とか言って、必要ないという自分の台詞に全く耳も貸さずに書いてくれた右端には。
「フチカ」
 カタカナで、よりにもよって……岩鬼が相手だからこそ、本気なのか冗談なのか、愛称のつもりなのか、さっぱり理解できない。
「まったくあの天才には参るぜ。」
 ヒョイ、と肩を竦めて、不知火は今度は視線を転じて校舎を見上げた。
 幾つものガラスの窓がハマっている校舎の構造は、自分の高校とそれほど大差ないように感じる。
 となると、同じように「文化祭」ともなれば、窓を折り紙や画用紙、ペナントやペインティングなどで「おばけやしき」だとか「きっさてん」だとか書いているはずだ。
 その読みどおり、見上げた複数の窓には、「お化け屋敷」「巨大迷路」「喫茶店」「映画館」などと言った文字が入っている。
 それを順番に見ながら、不知火は更に手元に視線を落とし、自分が持っているチケットの裏──山田が手書きにしてくれた文字を見下ろす。
 「2F」
 ここから見える窓の中、二階にある窓文字は、たった一つだ。
 ということは、ソコが、今から不知火が向かう「喫茶店」ということだろう。
 下から窓を見上げた限り、ぜんぜん客が入っていないようだったが──、
「まぁ、暇なら暇で、練習試合までの間、暇を潰させてもらうだけだがな。」
 そんなことをなぜか不敵に呟いて、不知火は颯爽と二階へ上がるために、来客用昇降口へと歩いていくのであった。














>>NEXT STAGE?

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とりあえず「2」と「3」を読まなくても話が続くように、ここで区切ってみました。

ダラダラダラダラと明訓5人の文化祭のダラダラ過ごし方を書きたかったので、前半はそれで埋め尽くそうと思ったのに、気付けばほとんどそれで埋まっていたという品です。
最後だけ、次への期待を持たせてみました(笑)。

ダラダラと続く、山もオチもない「3」に、最後までお付き合いくださいましてありがとうございました!