それは、高校生活最後の夏休みが終わり、まだ覚めやらぬ「大甲子園」の熱狂が、そこかしこに残る二学期の始業式の日のことであった。
三年生に進学して初めての自分のクラスに登校した里中は、熱狂的な歓迎を持ってクラスの人間から出迎えられた。
そのまま用意されていた席に案内されるやいなや、同じクラスの山田と一緒に、クラスや他のクラスから出張してきた人間に囲まれてもみくちゃにされて、甲子園の話や、一学期の話をアレやコレやと聞かされた。
一年、二年の時とは違う窓からの景色に、同じクラスの人間より4ヶ月ほど遅れて感慨深く魅入るのも少し。
すぐにいつもの恒例「熱狂・大甲子園 岩鬼提供」の放送が始まった。
ガンガンと鳴り響く声は、教室の中に校庭の外にと良く響き、密かにこの放送を楽しみにしているらしい生徒達が、慌てたように校門から昇降口目掛けて走ってくるのが見えた。
その様子を窓際の席に腰掛けながら見ていた男子生徒が一人、窓の桟に腕を乗せながら
「ケケケ、一年坊主の驚く顔が目に浮かぶようだぜ。」
意地の悪いことを言う。
そんな彼の前の頭を、パシン、と掌で軽く叩いて、彼が座っている席の主が軽く眉を寄せる。
「バカ言ってないで、そこ退きなさいよ。あたしの席なんだから。」
まったく、と腰に手を当てる女子生徒──このクラスの副委員長である彼女の険の篭った言い様に、なんだよ、と彼は少し気分を害したような表情を向けたが、相手の顎でしゃくるという不遜極まりない態度を受けて、
「はいはい、どーぞ、お席を体温で暖めておきましたよー、っだ。」
がたん、としぶしぶの体で立ち上がる。
そんな彼に、彼女は思いっきり良く顔を顰めると、
「そんな気遣いはいらないわよ──まったく。」
ブツブツと呟き返して、自分のカバンを取上げる。
蓋を開くと、すぐに求めていたものが見つけられた。
数枚のコピー用紙をホッチキスで止めただけの小冊子である。
それを取り出すと、表面に「文化祭 出し物」と大きく印刷された文字が見えた。
それを片手に、委員長の席を見やると、彼もちょうど頷いて立ち上がるところだった。
そのまま視線を転じると、岩鬼の放送が始まって、ようやく人から解放されたらしい里中が、後ろの席の山田を振り返りながら、何か話しているのが見えた。
朝も早いというのに、ちょっとグッタリした様子が見受けられる。
──まぁ、ある意味、仕方がないと言えば仕方がないと言えるだろう。
突然の里中の休学。その後の劇的な復学。そして甲子園優勝。
それらを一気に経て、初めての登校なのだ。
クラスメイトも、他のクラスの人間も──そして何よりも里中ファンクラブが、それを放っておくはずがない。
今はまだ朝も早い時間だから、十数人ほどにもみくちゃにされて大歓迎されているだけで済むが、始業式が終われば、絶対に放課後まで里中は開放されないに違いない。
しかも放課後は放課後で、里中だけ特別に補修が入っているはずが──出席日数がギリギリだし。
みんなが一学期のうちに済ませた諸々のことも、里中はこの二学期の間に済ませなくてはいけない。
それを里中に伝えるのも委員長と副委員長の仕事ではある、が。
何よりも二学期に入って、まず真っ先に彼に確認しなくてはいけないことが、ある。
里中の席に向かう途中で委員長と合流を果たし、どこか緊張した面持ちの委員長に向かって、彼女はコクリと頷いた。
分かっている。
里中が愛らしい外見に似合わぬ男気と激昂を持っているのは、明訓では有名な話だ。
その外見で侮った不埒な男どもが、こてんぱんにのされた話などは、彼が1年や2年の時に良く聞いたし。
そんな彼に──。
手にしたコピーの束を、副委員長は委員長に手渡した。
彼はその紙を見つめて、どこかすがるような眼差しを彼女に向けたが──所詮彼女も、この「作戦」を強烈プッシュした女子側の一人。
「やるのよ。」
強気の一言で、キッパリと断言してくれた。
────だったら、他ならない彼女が、里中にそういってくれたらいいのに。
そんな弱気な感情を抱きながらも、気の弱い委員長は副委員長にそのことを言えず、手渡されたコピー用紙を抱きしめながら、恐る恐る里中の席へと近づく。
教室内に響き渡るスピーカーの音からは、岩鬼が甲子園の迫力を少しでも伝えようと──恐ろしいことに、甲子園の試合抽選の様子から話し始めていた。
この分だと、今日は1回戦、明日は2回戦と、毎日放送するつもりなのかもしれない。
その騒々しい岩鬼の声を背後に受けながら、委員長は、山田のカバンの中に手を突っ込んでいる里中の背中へ、声をかける。
「里中君、ちょっといいかな?」
なぜか山田のカバンの中から、里中の夏休みの課題がバサバサと出てきたことには、あえて目を瞑るとして──真面目な山田が、宿題を教えるならとにかく、丸写しをするはずはない……はずだ。
「え、なに?」
無頓着な様子で、里中が今度は何だと、振り仰いでくる。
朝から色々な人間に集られたせいか、少しだけ不機嫌な色を宿す里中に、山田がかすかな苦笑を上らせているのが見えた。
「あ、いや、ゴメンね。実は、コレ……なんだけど。」
機嫌の悪い里中を、さらに機嫌悪くさせたいわけではない。
できるなら彼には笑っていて欲しいところだが──今から頼むことを思うと、コピー用紙を差し出す手にも力が入らない。
そろそろと目の前に差し出される用紙を、里中は不思議そうに見上げて、表紙に書かれている文章に気づいて目を丸くさせる。
「……文化祭?」
呟かれた声には、機嫌の悪そうな色合いはまるでなく、ただ純粋に驚いた色ばかりが見受けられた。
それに少し勇気を取り戻した委員長は、後ろから突付く副委員長に押されるように、コクリと頷いて、里中の手元の用紙を一枚捲って見せた。
「そう、うちのクラスの出し物なんだけど、一学期に大体のところは決まって、役割り分担も済んでるんだよ。」
「へー……もうそんな時期か。」
シミジミと呟かれた言葉に、そうなんだよ、と頷いて、
「うちのクラスは、コレをするんだ。」
そう言いながら指をさされた先──爪が伸びてると、どうでもいいことを思いながら視線を落とすと、そこには『喫茶店』という文字が大きく書かれていた。
喫茶店といえば、昨年もいくつかのクラスがやっていたが──特に記憶にある、調理室を借り切って、本格的にやっていたものが頭を掠めた。
調理室に隣接する被服室は、そこにあったものをフルに使用されて、ずいぶん綺麗に飾り立てられていた。
「──……それって、準備が大変じゃないのか?」
とてもではないが、今年「受験生」がやるような簡単なものとは思えなかった。
三年生の文化祭と言えば、もっぱら当日参加するだけ……準備や支度に走り回るのは身軽な一年生と二年生と相場が決まっている。
もっとも、一番文化祭や体育祭の準備に追われる時期は、野球部も甲子園だの秋季大会だので忙しく、まったく手伝った記憶はなかったが。
「あぁ、うちのクラスは大半が就職希望でさ、もう内定貰ってるのがほとんどだから。」
「それに、教室を使って簡単な喫茶店をするだけだから、準備するのって、看板と仕入れくらいのものなのよ。」
大丈夫だと言う委員長に続けて、彼の隣から副委員長もヒョッコリと顔を出して微笑む。
そうしながら、副委員長は肘で激しく委員長のわき腹を突付く。
──さっさと本題に入れ!
そう促されているのは分かるのだが、だからって目の前の里中を相手に、スルリと吐けることではない。
ゴクリ、と喉を上下させて、委員長は不必要なほどに額に汗を掻いているのを感じつつ、
「で──……、それで、さ。
その内定貰ってる子たちが、テーブルクロスとかかメニューとか仕入れとかは担当してくれることになって、さ。」
そのままチラリと視線を山田にやると、その助けを求めるような視線を追うように、里中も山田を見る。
2人の視線を受けた山田は、困惑したような顔で、自分を見ている委員長ではなく、ことの成り行きを見守っている副委員長を見上げた。
──その、めぐり巡った視線を浴びた副委員長は、はぁ、と小さく溜息を零して、
「就職の内定が決まっている子たちが、前準備をすることになったから、残りが持ち回りで当日店番をすることになったの。」
「そうなんだ? ふーん。」
山田も? と、見上げるように尋ねられて、山田は顔の前で掌を横に振る。
「いや、俺と岩鬼は力があるから、大道具班だよ。冷蔵庫運んだり、製氷機運んだり──後、衝立も作るように言われてるかな?」
教室を使って簡単にやるとは言っても、色々と必要なものは出てくる。
必要材料と道具を書きたてて、持ち寄れるものは持ち寄り、足りないものは買出しかレンタル。作れるものは作成。
その辺りのことは、一学期のホームルームで全て決定済みで、班も滞りなく分けたのだが──、
「俺はどの係なんだ?」
ぺラペラと、貰ったコピー用紙を捲ると、材料や準備物、それを用意する人間の名前などが書かれているページに当たった。
「あー……里中君は、その……勝手に悪いんだけど、当日の店番係りにさせてもらったんだよ。」
そう口にする委員長の額に、なぜか脂汗が浮いている。
その横では、ニコニコと微笑む副委員長が、里中たちからは見えないように、げし、と肘で彼を催促していた。
「えっ、当日の店番って──俺がっ!?」
てっきり大道具係りだとか買出し係りになっているものだとばっかり思っていた里中は、大きく目を見開く。
そんな彼に、そ、そう──と、なぜか恐縮した様子で肩と首を竦める委員長。
そんな彼に、副委員長はわざとらしい咳払いをあげると、さらにうそ臭いにこやかな微笑みで里中を見下ろすと、
「里中君、今、補修とかで大変でしょう? だから、夜まで残ったり、休みの日も出てもらうことになる大道具係りは、大変だと思うのよ。」
柔らかな口調ではあったが、有無を言わせぬ口調でそう言い切る。
その親切心が見えるはずの笑顔は、けれどなぜか胡散臭い。
山田が軽く首を傾げているのは、ちょうど彼ら2人に向かい合っている委員長にしか見えず──なおかつ委員長は、この現場で口を出して、クラスの女子全員を敵に回すことはなかった。
──教室を少し改造して、レイを作ったり、衝立を作ったり、冷蔵庫をレンタルしてきたりするだけの、簡単喫茶店で、夜まで残ったり、休みの日も出てくるようなことにはならないと、分かっていても、だ。
「その点、店番なら1日2時間だけの当番で済むじゃない?」
ね? と、ますます深まる笑顔で押しも強く言い切る副委員長の顔を見上げてから、里中は少し考えるように目を伏せた。
──確かに、文化祭の準備で時間を取られているような時間は、今の自分にはない。
母の病院にも行かなくてはいけないし、新聞配達か牛乳配達のバイトもしたいし──何よりも、進学したいと考えているから、勉強もしたい。
高校時代に習わなくてはいけないことは全て2年の終わりまでに教えるような授業方法を取っている明訓高校は、だからそういう意味で言うと一学期間のブランクはないと言える。
けれど、受験や就職試験にあわせた勉強を一学期丸々行ってきた同級生達に比べれば、ずいぶん遅れを取っていることは確かだ。
進学希望を相談した際に、担任の先生と大平監督が、「里中の成績なら第一志望のY稲田も、推薦で受けられる」と言っていたが──、推薦でも試験が無いわけではない。
そう考えれば、副委員長達の行為はありがたく感じ取れた。
「そっか……そうだよな、サンキュ、委員長、副委員長。」
納得したように頷く里中に、委員長はあからさまに怪しい動作で、ほぅ、と胸を撫で下ろす。
──とりあえずは第一関門突破という気分なのだろう。
「そう、それでね、当番の時間なんだけど、一応、希望がある子から先に決めることになってるのよ。9月末までに担当時間を決めちゃいたいから、そこのスケジュール枠に書いてあるスケジュール見て、第3希望まで書いてくれる?」
体育館でコンサートをする時間帯とか、色々あるから、早めに希望を募らないとダメなのよ。
そう言って、里中が持っている冊子を示す副委員長の言葉に従って、里中は素直にそれをさらにペラペラと捲っていった。
メニュー一覧に、当日の机配置、買出し用品、班分け──、全て一学期に決まったというから、スゴイの一言に尽きる。
きっと目の前の副委員長が、あっさりさっくりと持ち前の影のドン気質で全て纏めてくれたのだろう。
数ページ捲ると、問題のスケジュール枠に当たった。
その横手に、店番をする人間の名前がズラリとワープロの文字で書かれ、最後に手書きで里中の名前が付け足されている。
総勢18名。
一つのシフト時間帯に3人、1人頭の持ち時間は2時間。
3日間の10時から16時まで。
「ふーん……、3日間で2時間の店番をするだけでいいんだ──結構、楽だな。」
「でしょ?」
どこか胸を張って微笑む副委員長の隣で、委員長が何か言いたげに口をパクパクさせては、つぐんだ。
そんな挙動不審の委員長に、山田は益々意味が分からないと言いたげに顔を顰める。
「よし、分かった。それじゃ、9月末までに希望書いてだすよ。
副委員長のところに出せばいいんだな?」
「そうね、お願い。なるべく希望に添えるようにはするけど、どうしてもダメなようなら、相談するから。」
「あぁ、頼む。」
頷く里中に、よろしくね、と副委員長は念押しをするように告げると、委員長を突付くようにして、2人して前から去っていった。
そのどこか嬉しそうな様子の副委員長と、気鬱そうな委員長の背中を、山田はいぶかしげに見つめる。
「──どうしたんだろうな、委員長。元気がないようだ。」
「そっか? 夏休みの課題でもしてないんじゃないのか?」
口にしながら、それはあの委員長の性格じゃ、絶対ありえないな、と笑いながら、里中は貰ったばかりのコピー冊子をペラペラと捲り始める。
山田の机に向かって頬杖を付きながら、
「コーヒーとペットボトルのジュースに牛乳。──普通だな。」
メニューの中身を読み上げていく。
ちなみにそのメニュー一覧の下には、「チケットノルマ1人5枚」と書かれている──飲食店関係の出店をする場合、こういうノルマが課せられるのである。
「野球部の練習試合に担当が重ならなかったら、それでいいよな。」
ノルマの5枚は、まとめて渚に売ればいいかと考えながら、野球部の練習試合が入る予定の三日目以外で、適当な時間を選べばいいなと確認するように山田を見上げれば、彼は穏かに微笑んで頷いてくれた。
そんな山田にニッコリと微笑み返して、まだ二ヶ月も先の話なんだけどな、と笑いながら、その冊子を閉じた。
もし希望に添えない場合は、前もって言ってくれると言っていたし。
3日間でたった2時間の労働でノルマが済むというなら、何も問題はない。
──そう、この時点での里中には、何も問題は、無かった。
11月の文化祭が差し迫った10月のある昼下がりのホームルーム「喫茶店の最後の打ち合わせ」の時のことである。
担任の教諭が、パイプ椅子で窓際に座って見守る中、議長と副議長が教卓の前に立って、今の時点での作業の進み具合を完結に説明してくれる。
その教室の片隅には、受験クラスには不似合いな折り紙で作った色とりどりのレイや鶴、ティッシュの花がたんまりと積まれている──当日、これで教室の飾り付けをするのだ。
教室の飾りつけについては、「就職内定組」がすることはすでに決まっている。
さらに、当日、教室の窓に「喫茶店」と書くためのマスキングテープの準備も完璧。教室を「客席」と「厨房」に分けるための衝立も、今は廊下側の壁に重ねて立てかけられている状態で、──ほとんど後は、前日に教室内を喫茶店風に飾りつけるだけとなっていた。
「注文した物の個数、配達時間については、仕入れ班から確認の電話を入れてもらって、滞りなくOK。」
メモした紙をすらすらと読み上げる議長の言葉に、うんうん、とクラスの中──とりわけ女子生徒たちが、目を輝かせて頷いている。
いくら最後の文化祭とは言えど、何か浮かれた熱のような気配が感じられて、里中は軽く首を傾げる。
「なんか、女子……すっごく浮かれてないか?」
屋上でオープンテラスの喫茶店だとか、講堂で巨大迷路だとか──そういう大きい催しをするのならば、クラス全体が興奮していてもおかしくは無いが、正直な話し、自分たちのする催しは「とてもありきたりの手を抜いた喫茶店」である。
コーヒーは持ち寄りのおかげで「サイフォン」を使うことが出来るが、それだけだ。ビンのジュースを各種酒屋から仕入れて、イベント業者から紙コップや紙皿、スティックココアなどを安く購入しただけで、特別何か売りがあるわけでもない。
──、一応、お菓子作りが得意だという女子達が、前日にクッキーやマドレーヌなどと言った日持ちのする焼き菓子を作ってくるとは言っていたが、それもたかだか知れている。
「やっぱり、最後の文化祭だからじゃないか?」
「……かなぁ?」
確かに、明訓高校は今もっとも注目されている高校なのだから──目前にドラフト会議が迫っている現状──、記者陣や外部の訪問者も多くなるから、気合いが入る人間は気合いが入るだろう。
軽音楽部だったかが、もしかしたら記者の目に止まって、雑誌デビューできるかもしれないと意気込んでいたと、誰かが言っていた覚えもある。
人がそうやって集まれば、自然と賑やかになるものだろうが……と、里中がそんなものかと納得しかけたときであった。
「それで、うちの喫茶店のポスターも、美術部がわざわざ作ってくれちゃいました!」
議長が、先程から教卓の上に置かれていた白い筒を取上げ、弾んだ声でそう叫んだのは。
──と、同時。
「出来たのっ!?」
「うそっ、ほんとにッ!!」
「えーっ、マジ!!?」
ガタガタガタッ、と、女子生徒が数人、席から立ち上がった。
そんな彼女たちの、興奮の色がにじみ出た声と期待の眼差しを受けて、議長はコクリと頷いて、持っていた筒を目線の高さにまで掲げた。
そして、キラキラと輝く目で自分を見つめる、可愛らしいクラスメート達をぐるりと見回し、議長──副委員長である娘は、ニンマリと笑って朗々と告げた。
「私達の希望は、最大限! 取り入れられております!!」
──それは、衝撃の告白だった。
一瞬の奇妙な沈黙が教室内に落ちる。
イミが分からず目を瞬いている男子生徒が、キョロリと辺りを見回した瞬間──、
「さ……さい、だい……げん…………。」
ゴクリ、と──生唾を飲む音が、どこからか聞こえた。
かと思うや否や、
「ぃやったーっ!!!」
「キャーッ! 副委員長、さいっこうーっ!!!」
「マジでマジで、アレでOKでたのーっ!!!?」
万歳三唱が起きた。
突然の女子達の行動に、ギョッ、と椅子を引く男子生徒にかまわず、議長は筒を持ったまま、まぁまぁ、と両手の平を下にして落ち着くようにとジェスチャーで示す。
そして再び筒を上に掲げて──そこで、黄色い悲鳴をあげていた女子の口が、キュ、と閉じられる。
ゴクン。
再び喉が上下する音が響いて、議長は、ジ、と期待の眼差しを向けてくる女子達に嫣然と微笑むと、厚紙の筒で包まれているポスターを出すために、筒の底──半透明のプラスチックの蓋を、キュポン、と外した。
逆さまにして蓋の入り口に指先を突っ込むと、ダンボールにしては上質の紙の感触。
議長はニィと笑みを刷いて、それを引きずり出した。
途端、おおぉぉぉ……と、女子の口から興奮のうめき声が漏れる。
そのおかしな程の女子の熱狂に、男子達は更にイミが分からないままに、視線を議長の持つ丸められたポスターへと注いだ。
白い上質紙のポスターを、勿体つけるように議長は広げていく。
じれったいその動きに、
「もう! 早く見せてよ〜っ!!」
一番前の席の娘が、手を伸ばしたとたん──しょうがないわね、と笑んで。
「じゃじゃーんっ!」
バッ……っ、と、議長はポスターの下を強く引っ張った。
まず目に映ったのは、ポスターの上の部分──美しい枠が描かれた中に、クラスと「喫茶店」の文字が華麗に踊っている。
更にバッ、とポスターを開ききったそこには…………、
ゴンッ
唐突に、盛大な音がクラス中央列の後方から、聞こえた。
見るまでもない、何も聞かされていなかった人物が机に額をぶつける音に他ならないからである。
もちろん、誰も思いっきり机に突っ伏した人物を振り返ることはなかった。
代わりに、女子が総立ちで黄色い悲鳴を上げる。
「き……きぃやぁぁぁぁーっ!!!!!」
「やだっ、やぁだぁぁーっ! すっごぉいぃぃぃーっ!!」
「完璧! 超完璧!!」
バンバンバンッ! と、激しく机を叩く音がする。
身悶えた女子生徒が、そこらでチラホラ見受けられ、それらに挟まるように座っている男子生徒は、呆然と議長が誇らしげに開いたポスターを凝視していた。
美術というよりもアニメ風の絵で描かれたそのポスターの中央には、愛らしい制服に身を包んだ「ウェイトレス」が、前かがみになってニッコリと微笑んでいる。
さすが美術部とでも言うべきか、そのウェイトレスのモデルが誰なのか、あまりにもそっくりに描かれているため、クラス中の誰もが理解できた──同時に、どうしてココまで女子生徒たちが浮かれてはしゃいでいるのかも、だ。
呆然と目を見張る男子達が、一体どうリアクションをしたらいいのか悩む中──ガタンッ、と椅子が転げ落ちる音がした。
やはりこれも振り返る必要などない。誰が慌てて立ち上がったのか……このクラスの誰もが知っていたからである。
案の定、大きいポスターを広げて、黒板にマグネットで貼り付ける議長が振り返った先──バンッ、と机を叩いて立ち上がったのは、「ポスターのモデル」当人であった。
「なんだよ、それはっ!!!」
バンッ、と激しい音を立てて激昂のまま立ち上がった里中の、怒りを滲ませたランランと燃える瞳に睨みつけられて、副委員長は、大怖い、と言いたげにヒョイと首を竦めた。
そして、自分が貼り付けたばかりの神々しいポスターを振り返ると──その出来に、うんうん、と二度三度頷いた後、
「うちのクラスの出し物のポスターよ。入り口にコレを貼るの。
なかなか上出来でしょ?」
ね? と、クラス中をグルリと見回す。
ポスターを作るということは聞いていたものの、実物とデザインを今始めてみた副議長である委員長も、窓際で他人事のように見守っていた担当教師まで、驚いたように目を見張っているのが見えた。
それに愉悦を覚えながら、副委員長がクラスを見回すと、期待した通りの表情がそこかしこで見て取れる。
恍惚とした表情の娘に、歓喜の表情を浮かべる娘。
興奮のあまり机に突っ伏して机を叩いている親友に、顔を赤く染めて、ハンカチで口と鼻を覆っている友人。
ぽけー、と顔を赤く染めてポスターを凝視している男子に、ただ凝視して目を白黒させている男子。
ポスターと「実物」を比べて、ぅわー、と顔を「愉悦」に引きつらせる男子数名。
──勝った。
掴みはバッチリOKじゃないかと、このポスターの成功に、副委員長がグッ、と拳を握り締めた瞬間、
「上出来ーっ! もうっ、さいっこう!!」
「特にその台詞が最高! かっわいぃーんっ!!」
求めていた返事が、一斉に返ってきた。
その言葉を受けて、議長はゆったりと頷き、自分の背丈ほどもある巨大ポスターを振り返った。
プン、とポスカの臭いがするのは、ご愛嬌だ。
ニッコリ笑顔でこちらを向いている漆黒の髪には、白いヘッドドレス。
決して「モデル」はしないだろうと思われる、ピンク色のグロスが塗られたように艶やかな唇が小悪魔的に見えた。
そのウェイトレスな「彼女」の、膝上丈のスカートの真下から、黒いストッキングに包まれた足元に、大きく丸く、ピンク色でツヤツヤと書かれた文字。
【あなたのハートにストライクv】
見た瞬間、鳥肌立ちそうになるその台詞を、言われるままに目に留めた瞬間、男子生徒は全員机に突っ伏した。
──キャバクラかよ……っ!!
心の中で激しく突っ込んだ台詞は、胸の内にしまいこまれたままにしておく。
ちなみに、ちょっぴり心の片隅で、「雑誌のグラビアアイドルみたいにかわいい……」と思ったことは、決して口に出してはいけないことである。
「台詞……とか、そういうんじゃなくって!
何で俺の顔なんだよっ、そのポスターっ!!」
バァンッ!
教室中に聞こえるような音を立てて、里中が怒鳴るが、その問いかけも予測していたとばかりに、議長である副委員長はニッコリ微笑むと、
「だって、売り子で一番カワイイ子をモデルにしたら、里中君になってたんだもの。」
──自分の顔も他のクラスメイトの女子の顔も、全部里中以下なのだと……なぜか誇らしげに告げてくれる。
「ね?」
更に、それを肯定させようと言うかのように、首を傾げてクラス中に問いかける。
思わず誰もが、里中の激昂に紅潮した頬と、周囲の女子生徒の顔とを見比べて──確かに、と頷きかけたが、ジロリと睨みつけてくる里中の目と、一応女子の「プライド」を思って、慌てて口を噤んだ。
──がしかし、同意を求める副委員長の台詞に、
「そう! 里中君が、一番美人さんだもんねっ。」
当たり前のように、クラス中の女子がうなずきあった。
誰も、一瞬の躊躇もなく。
「──なっ……だっ…………ちょ……──っ。
……………………っ、じゃ、……な、なんだよっ!? その服はっ!!? なんでそんな服を着せてるんだよ!?」
反論しようとするものの、あまりのことにめまいすら覚えて、まともな言葉は口をついて出てこなかった。
代わりに里中は、一度息を整えるように呼吸を吸い込んだ後、自分の顔で愛らしく笑う「ウェイトレスの少女」の服を指し示した。
どこかのファミリーレストランで見かけたような覚えのある制服姿は、どう見ても、「女性用」である。
いくら「喫茶店」だからって、そういう制服を勝手に着せてくれるなと、そう唇を歪めて叫ぶ里中に、しかし。
「あ、これ? カワイイでしょ? 当日のウェイトレスの制服よ。」
議長は、楽しそうに目元を緩めて答えてくれる。
「──……は?」
当日の、ウェイトレスの、制服?
目を瞬いて、ポスターの「ウェイトレス」が着ている服を見つめる。
スタンドカラーの襟のついた白いシャツは、前面にプリーツの皺がつけられていて、長袖。
襟元には黒いボウ・タイ。そこから下へ続く丸く小さいボタンは黒色。黒いサスペンダー付きのハイウエスト仕様の黒のタイトスカートは、膝上までの長さで、裾からは黒いストッキングに包まれたスラリとした脚が覗いている。
更に腰からは、サロンスタイルの黒のエプロン──ギャザーではなくフレア風に広がっているのがタイトスカートと相まってまた愛らしい。
……これが、近くのファミリーレストランでカワイイ女の子が身につけていたならば、カワイイと諸手をあげて宣言するところだが、いかんせん制服を身につけているのはポスターの中の、「自分」で。
今すぐポスターを破いてやろうかと、フルフルと震える拳で里中が思った瞬間だった。
「もちろん、里中君もコレだからね♪」
浮かれた声で、議長が宣言してくれた。
瞬間、キャァァ! と上がる黄色い悲鳴。
「────……はっ!!?」
一拍遅れて、里中は驚いたように目を見張る。
「当日はみんなコレを着るの。
ちゃんと人数分、レンタルしてきたんだから。
あ、サイズもちゃんと合うはずよ。保健室で里中君のサイズはちゃんと確認したし。」
「……って、副委員長…………。」
ニコニコと告げる副委員長に、委員長が頭痛を覚えたように手の平を額に押し当てるのが見えた。
この制服、と、コツコツと副委員長が拳でポスターを叩くのに、里中は呆然と目を見張った後──、ヒュッ、と息を飲んだ。
自分が何を着せられるのか、ようやく理解して、里中は手の平を自分の胸元に当てる。
「──……って、俺、男だぞっ!?」
「似合うから、大丈夫よ。」
里中が何を叫ぶのか理解していたかのように、即答で副委員長は答える。
そんな彼女の言葉に、うんうん、と頷いたのはクラス中のほとんどの人間だった。
良く見れば、窓際でパイプ椅子に座っている担任までもが、腕を組みながら頷いているのが見て取れただろう。
「……いや、そうじゃなくって! 男なら、ウェイターだろっ!? なんでウェイトレスなんだよ!!」
「趣味。」
きっぱり。
思わず腰に手を当てて、副委員長は胸を張って答えた。
「…………は?」
何度目か分からない、驚愕と理解できない台詞に、里中が思いっきり顔をゆがめた刹那──、里中の席の間近で、女子が一人、ガタガタガタッ、と席を立った。
「あっ、いやっ、あのね、だから、男子用の制服だけ別に頼むと、レンタル料が割高になるのよ〜!」
「そう! そうなの!」
──まるで、この展開の裏を探られると腹が痛いので、慌ててごまかしているように見えなくもない。
そのまま、里中の周りの席を陣取っていた少女達は、ぐぐ、と胸元で祈るように手を組みながら身を乗り出すと、
「だから、里中君──お願いっ、女装して!!!」
衝撃の一言を、思いっきり、力良く──叫んだ。
*
あまりのことに、里中の頭の中は真っ白になったのが見て取れた。
異様なほどに盛り上がるに盛り上がった女子の展開と、突然見せられた「笑うに笑えないポスター」に、頭が真っ白になるどころか、考えることすら放棄していた山田の意識が覚醒したのは、里中の周りの席の少女達が、鬼気迫る勢いで「女装して!」と里中に迫った瞬間だった。
ハッ、と覚醒したての体に、ゾクリと背筋が震えるのを覚えた。
そのまま顔を上げた先で、蹴倒したままの椅子を戻すこともなく、里中が怒りに真っ白に震える拳を強く握り締めていた。
ギリ、と強く噛み締めた唇が蒼白になりそうなほど白く。
「────…………っ、な、っ、にが…………っ。」
吐き捨てるように震える声で低く呟き捨てた里中の声を聞いた瞬間──山田はとっさに床を蹴り、里中の体に背後から手を回した。
それと同時、
「女装だとっ!? ふっ、ざけるな……っ!!」
頭に血が上った状態で、机をけりつけようとする里中を、山田は間一髪、羽交い絞めにしてその動きを止めた。
「待てっ、里中、落ち着けっ!」
叫ぶと同時、頭に血ば上った里中は、激昂のままに山田に怒鳴り返す。
「これが落ち着いてられるかっ! お前は俺にあんなものが似合うと思ってるのかよ!!?」
あんなもの! と、吐き捨てるように叫びながら、里中は手の平で黒板に張られたとても大きなポスターを指で指し示す。
一瞥しただけで、羞恥と怒りで頭が沸騰しそうになる。
即答で、「確かに似合わないな」という苦笑の返事を期待した里中であったが──、
「え、あ、そ……それは……その──…………。」
山田は、里中が手の平で示したポスターと、里中の顔──付け加えて言えば、自分が羽交い絞めしている己のものと比べても華奢だと言える里中の体を見下ろして。
思わず山田は、答えに窮して周囲を見回すl。
助けと答えを求めるように視線をそらした先で、山田の視線にぶつかった女子も男子も、そこはかとなく頬を染めて俯いて視線をそらした。
その仕草が、何よりもの答えのような気がする。
山田と同じように、怒りに眉を寄せたままの里中も、そんな彼らを認めて忌々しげに鼻の頭に皺を寄せる。
自分を羽交い絞めにしている山田の腕の力が緩んだのを感じて、里中はブンと山田の腕を振り払うと、
「もういい! とにかく俺は、そんなの着るくらいなら、舌を噛み切って死んだほうがマシだっ!」
激昂のまま、蹴落とした椅子を立てると、ドッカリとそこに勢い良く座り込む。
里中の隣に立ち尽くして、山田は困ったような顔で里中の顔を見下ろし──、それから副委員長に何とか言葉を撤回してもらえはしないだろうかと、視線を上げるが……副委員長は、とてもではないが一筋縄ではいかない人間だった。
「なんてことを言うのよ、里中君ったら! 里中君の顔が、当日のウリなんだから、それは、絶対ダメっ!」
ギュッと拳を握り締めて叫ぶ副委員長の台詞に釣られるように、里中の周りに輪になっていた女子達も、ワッ、とたかるように近づいてくる。
かと思うや否や、机の上に手を置いて、彼女達は懇願するように里中の顔を覗き見る。
「大丈夫! とっても簡単だからっ! お盆に注文のものを持って、運ぶだけ!」
「そうそう、チケット制だからレジもないし!」
「絶対、里中君は似合うからっ!」
「そうそう、ベストオブウェイトレスよ!
「里中君が一人居てくれたら、絶対、当日も人が入るからっ!」
身を乗り出して、キンキン声で左右から叫ばれて、里中は思い切り椅子の背にのけぞる。
「しかも後から写真で売り上げ倍増!」
教卓の前の席から聞こえてきた真剣きわまりない声の主は、直後にスパコンと黒板消しで副委員長によって粛清されたから、その発言はとりあえず聞かなかったことにしておき。
鬼気迫る表情の少女達に囲まれて、里中は引きつった顔で彼女達を見下ろす。
「あ……のなぁ! 給仕係なら別に、あんなものじゃなくっても、この学ランにエプロンでもいいだろっ!?」
バン、と己の胸を叩く里中に、グッ、と言葉に詰まった数人の女子の中から、
「それじゃ、動きにくいじゃない!」
何の根拠があるのか、自信たっぷりに言い切ってくれる少女が一人いた。
その言葉に、ハッとしたように他の女子が顔を見あわせた後、そうそう、と同意を示すように激しく頷いてくれた。
里中は自分の机の周りをグルリと囲む彼女達の顔をジットリと見た後、所在なさげに立っていた山田を見上げて、
「────……ウェイターって、動きやすさを追求されるものなのか?」
「さ、さぁ?」
力仕事はしたことがあっても、 ウェイトレスやウェイターなんてしたことはない。
聞かれても、肩を竦めて首をかしげるしかなかった。
「……じゃ、体操服かジャージでやるから、それでいいだろ? わざわざ、そんなの着なくっても。」
うんざりした気持ちで、里中は自分を熱心な目で見つめるクラスメイトを見回しながら、里中はクイと指先でロッカーの方を指し示す。
里中の台詞を受けて、女子達はなんとも言えない顔でお互いの顔を見やった。
「た、体操服って……またマニアックな…………。」
「それはそれで、客寄せできるんじゃないの? 里中智の生足でエプロンよ!? はっきり言って、今しか見れないわ!」
「そ、そうね……短パンならまだ──……っ!」
「っていうか、里中君って、短パン持ってないんじゃない? いっつも──冬でも夏でも、ジャージでしょ? 体育。」
コソコソと額をつき合わせて少女達は真摯な眼差しで、コックリと頷きあう。
「──結論。」
「「里中君、体操服はダメ! そんな、みっともない格好なんて出来ません!!」」
ビシッ、と全員揃って里中を睨みつける勢いで、キッパリハッキリと叫んでくれた。
あまりの迫力と勢いに、里中が二の句をつなげずに絶句していると、またもや教卓の方向から、
「そうそう、半袖シャツにブルマって言う格好なら、マニアに受けるけど!」
────スパコーンッ!
「あんたは黙ってなさい。」
再び副委員長による、黒板の突っ込みがとんだ。
しかし今度は、あまりの衝撃の台詞のために、里中は無視することは出来なかった。
「ぶ……ブルマって……。」
なんだか眩暈を覚えて、里中は額に手を当てて、そのまま教室から飛び出したい欲求に駆られた。
隣に立っている山田の手を取って、今すぐ教室から連れ出してくれと訴えたくなる気持ちを堪え──そんなことをすれば確実に、里中は当日あのウェイトレス服を着て当番をすることになるのは目に見えて分かった。
コホン、と咳払いをして──、副委員長は「ブルマ」発言を忘れさせるように、パンパンと先生のように教卓を二度三度叩くと、
「とにかく、里中君。もう制服はリースに頼んじゃったから、取替えできないの。
大丈夫よ、里中君! たった1日の、たった2時間だけじゃない!!!」
気を取り直して、再び里中の説得にかかった。
「に……二時間だって、女装なんてイヤだよ……っ。」
周囲から視線を受けて、ジリリと椅子の背もたれに更に身を寄せた里中に、副委員長はニッコリ微笑み、
「あら、でももう提出しちゃったもの、遅いわよ。」
断言した。
それに重なるように、周囲の女子や──なおかつその尻馬に乗るように、「里中の女装……見てみたいかも……」と不埒なことを考える男どもまでもが口裏を合わせるようにして、
「そうそう、これも経験よ、経験。」
「女装なんて、いまどき珍しくもないわよね〜?」
「そうそう、女装をイヤがってたら、立派な男になれないわよ!」
「っていうか勿体無い!」
「新宿二丁目のおねにーさま方に申し訳ないと思わないの!!?」
「男でしょ! パシッと決めちゃいなさいよ!!」
ワイワイと、右から左から前から後ろから言い募ってくる。
その声にウンザリしたように、身を縮めるように首を竦める里中が、思わず助けを求めるように山田を見上げる。
「……山田ぁ……。」
「…………う。」
縋られても、山田もどうしようかと視線をさまよわせ──教卓の前で居心地悪そうに体を縮めている委員長と視線がバッチリあった。
委員長は山田の視線を受けて、顔の前で両手の平を合わせて、すまん、と謝る。
それは山田にしても同感──とてもではないが、熱狂溢れる少女達に立ち向かうことは、出来ない。
「…………すまん、里中。」
小さく山田が里中に向けて呟いた瞬間、里中をなんとか説得しようと興奮してノってきた少女の一人が、ググッと身を乗り出して、
「それとも何!? 里中君、バドガでもやってくれるわけっ!!?」
──爆弾発言を投下してくれた。
直後、しぃん、と一拍の沈黙が訪れる。
どうやら、今少女が飛ばした発言は、相当の破壊力を持ったものらしいと──分かるのだけれども。
「は……は!?」
里中には、彼女が言った言葉のイミが、さっぱり分からなかった。
目を瞬き、見張り──そう発言した少女をマジマジと見つめる先。
「きゃーっ!! 大胆〜っ!! それでもいいっ!!」
黄色い悲鳴で、娘達が叫んだ。
耳をツンざめく声に、ブルリと身を震わせた里中は、動揺も露に隣に立つ山田の学生服の裾を指先で摘む。
「──……え、だ、だだ、大胆? …………や、山田、バドガって……なに?」
「さ、さぁ?」
山田もまた、動揺を隠せず、日本語とは思えない台詞を吐く少女達を見下ろした。
この単語の意味が分かる男子達は、なぜか口元を手の平で押さえて、顔を真っ赤に染めていたが、あえて深く追求しては可哀想である。
そんな里中の席の周囲でのにぎわいに──ポン、と手を叩いて、
「あら、そうね〜、バドガでいいんじゃないかしら?
確か近くの居酒屋に、この間バドガが来ていたわね? そこに問い合わせて、派遣会社を教えてもらって、派遣会社で制服を借りられるか聞いてみたら──当日にも間に合うかしら?」
頬に手を当てながら、結構やる気で呟いてくれる。
その──このまま放っておいたら、なんだか実現しそうな展開に、
「──って、いや、ちょっと待って、副委員長っ! それ、ど、どういう意……っ。」
里中は動揺で頭が真っ白になりかけながら、ガタガタと椅子から立ち上がった瞬間、
「里中……。」
隣の席の男子が、自分の机の中から、そ、と雑誌を取り出してきて。
「バドガとはすなわち、バドガールだ。」
バサリ、と──見せてくれた。
一ページ丸々に掲載された、居酒屋を背景に立つ二人の美女。
彼女達が身につけているものというのが──、
「………………………………うっ。」
確かに、「バド ガール」。
思いっきり身を引いた里中の背中に、ポスンと山田の腹にぶつかった。
戦々恐々としたものを覚える里中に追い討ちをかけるように、
「里中君、ウェイトレスしないなら、バドガでいいよね〜?」
ニコニコニコと副委員長が微笑んでいた。
その顔と笑顔は、本気であった。
「だ……ダメっ! 絶対、ダメっ!!」
ブンブンと──とんでもないと思いっきり良く顔を左右に振る里中に、副委員長は腰に手を当てる。
「もーっ、あっちもダメ、こっちもダメじゃ、一体どうしたらいいって言うのよ!!」
上半身を折り曲げるようにして、ねぇっ? と迫ってくる副委員長に付け加え、同じく期待にキラキラと目を輝かせる少女達。
その幾つもの──幾十もの瞳に見つめられて、里中は言葉に詰まった。
「だ……だから……──……っ!」
「里中君っ!!?」
一種異様な気合と迫力が差し迫ってきて、里中はウウウと唸り声を上げたあと──、
「……〜……っ! もうっ! 分かったよ! ウェイトレス、やればいいんだろ、やればっ!! 二時間くらい、エプロンつけて接客してやるよ!!!」
とうとう、根をあげた。
──とたん。
ぱしんっ!
「やったーっ!!!」
そこかしこで、手の平と手の平が打ち鳴らされる。
感激の声を上げ、手を取り合って喜びあう少女達と、よっしゃ、と密かに握りこぶしを握って喜ぶ少年達。
副委員長は満足したように腰に手を当てて、クルリと背後を振り返り、ポスターを見上げた。
里中はそんな彼女達を悔しげに見た後、
「くそっ。」
口汚く罵りつつ、机の上に突っ伏す。
その、力無くしたように見える里中を見下ろして、山田は肩から力を落とした表情で、
「里中……あんなこと言って、いいのか?」
小さくそう尋ねる。
里中はその声に、キッ、と目を吊り上げて山田を睨み揚げると、
「だったら山田だったら、あれ、断れたのかよ!?」
「う──無理だな。」
考える間もなく帰って来る台詞に、だろ? と里中は彼を一瞥してから、椅子の背に体重をかける。
「まぁ、いいぜ。二時間、恥かくくらいっ。
どうせウェイトレスって言っても、売店のおばちゃんみたいなのだろ? あれくらい、楽勝、楽勝!」
拳を握って叫ぶ里中の言葉に、山田は苦い色を滲ませながら黒板のポスターの絵を見て──売店のおばちゃんの服とは、ぜんぜん違うような気がすると、心の中で思う。
「スカートだけどな。」
小さく零すと、里中は苦虫を噛み潰したような顔でポスターを睨みつけ──、
「──………………がんばる。」
まるで頑張る気がないような、力のない言葉でそう答えた。
────────その運命の文化祭当日まで、あと、一週間。
>>NEXT STAGE?
or
>>クライマックス?
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えー……ちょびっとココで説明を。
「2」は、文化祭二日目〜三日目で、ダラダラ生着替え。
「3」は、3日目の、ダラダラ説明編。
どちらもオリキャラクラスメイト「プチ腐女子」が出張っているので、見たくない人は、飛ばしちゃってもかまいません。
それでも話は通じる──はず。
上記リンクの「ねくすとすてーじ」で、「2」へ。
「クライマックス」で、「4」へ飛べます。
お好きなほうを選んでやってください。