君と約束を交わす。たぶん、最期の約束。
界王星では、界王の弟子が全員、触覚をピクピク揺らしている界王の周りに集っていた。
いつもは賑やかな星も、今日ばかりは──否、今ばかりは、しん、と静かに張り詰めている。
拳を強く握り締めて、うむむむ、と呟いている界王の肩を、ジッと見守る弟子たち──のうち一人が、
「なぁなぁ、界王さま! どうなったんだよ! ブルマはもう、神龍を呼び出したのかっ!? つぅか、ナメック星の神龍って、どんなんなんだよーっ、オラ、気になっぞっ!」
つんつん、と、界王の袖を緩く引っ張る。
界王はそれを軽く振り払い、再び触覚に意識を集中させる、が、
「なぁ、界王さまってばっ!!」
悟空はそれを気にせず、また袖を強く引っ張った。
その背後で、悟飯が額を押さえながら、
「お父さん……あの、界王さまの邪魔はしないようにしないと……。」
くい、と、悟空の胴着を引っ張る。
その頬が赤く染まっているのは、父の行動に恥じらいを覚えているからだろう。
悟空は、でもよー、と軽く唇を尖らせると、
「界王さま、こうなっちまうと、一人で勝手に納得して、全然こっちを気にしてくんねぇんだもんな。」
「あ、それ言えてる。それでいっつも、微妙にタイミングを逃すんだよ。」
悟空の言葉に同意を示すように、クリリンが片手をあげてそう言う。
──そう、人が修行をしている合間に、横で地球の様子を勝手に一人で見た挙句、「ぬっ! ご、悟飯がピンチじゃ! あぁっ、ヤバイ、やばいぞぉっ!」と突然叫び始めたことが、一体、何度あったことか。
自分たちには「死者なのだから、地上のことは気にしてはならぬ」とか言っておきながら、自分はしょっちゅう、そうやって地上を覗いているのだ。界王さま曰く「わしは死人じゃないもーん」だそうだが。
それは別にいい。別にいいのだが──言わなきゃ分からないのに、そんな独り言を大きな声で零すのだ。
もちろん、気にならないはずがなかった。
「悟飯に何があったんだっ!」と聞くたびに、「いや、じゃがおぬしらは死人じゃ。もう地上に関わってはならぬ」と言いながら、「あぁっ、ごはーんっ!」とか続けて叫んでくれるのだ。
悟空が思わず、「後、1日限定で向こうにいけるのって、誰だーっ!?」と、スーパーサイヤ人化して叫んでしまったのも、ムリはない。
そして、悟空の瞬間移動で閻魔大王の下に跳び、すぐに占いババを呼んでもらい、慌てて「1日限定の生き返りサービスv」を受けて、悟飯の元に飛んで行って、ぎりぎり状態の彼を病院に運んだことが、一体、何度あったことだろうか。
本当にもう、あと1歩遅かったら、悟飯は本当に死んでいたような状況が、たくさんあったのだ。──それはもう、ここに居る人数分だけ。
なんでもう少し早く言わないんですかーっ! ──とは、そのたびに界王さまに向かって叫んだ弟子一同のセリフである。
「なぁなぁ、界王さまーっ!」
肩を掴んで、悟空はガックンガックンと界王を揺らす。
その衝撃に、界王はワナワナと震えて、ええーいっ、と悟空を振り返る。
「悟空! 静かにせんか! 今ちょうどブルマが、神龍を呼び出したところなんじゃ!!」
「えっ、ほんとか、界王さまっ!?」
「そんなことでウソを言ってどうするっ!」
がばっ、と界王の背中から抱きつくように触角の先を見ようとする悟空を、界王は邪険に片手で払いのける。
どうがんばっても、占いババの水晶のようなものがない限り、界王が見ている先の光景を、ただの人間が見えるわけではないのだ。
なのに悟空は、何度言っても、その触覚の先や、界王の目を覗き込んだら、彼が見ているものが見えるのではないかと、そう思っている節があった。
「……母さんが、神龍を……。」
「トランクス、いよいよだな。」
小さく呟いて、界王が再び触覚を真っ直ぐに伸ばすのを見つめて、トランクスは唇を一文字に結ぶ。
そんな彼の肩を軽く叩いて、天津飯が力強く頷く。
「随分早いんですね……俺がココに来てから、まだ3日しか経ってませんよ。」
トランクスは、困ったように眉を落として、自分の横に立つ悟飯を見上げた。
悟飯はその言葉に、小さく微笑みを零すと、
「それだけブルマさんの行動力が、凄かったってことだろうね。」
さすが、と、賞賛を捧げる。
その隣でヤムチャは目を閉じながら腕を組み、溜息を一つ零す。
「……ていうか、トランクスがこの界王星に来た時には、すでにもうブルマは宇宙船に乗ってたってことだよな……この速さで言うと。」
つまり──ずっと黙っていたということだ、界王様は。
せめて、ブルマが動き出したときに、人造人言が倒されたことと、倒したトランクスが死んでしまったこと、そして彼をブルマが生き返らせようとしていること──の一連の動きくらい、教えてくれても良かったのに!
そう思うのは、ヤムチャだけではないだろう。
いくら下界のことを知らないほうがいいとは言っても、もう少し情報の流しようが……と、ブツブツ文句を零すヤムチャに、まぁまぁ、とクリリンが苦笑を零す。
「しょうがないっすよ。俺たちはもう死んでしまった身ですし、地上のことを知っても、なーんにも出来なくって……俺たちのヤキモキが増えちゃうだけだって、界王様は気を使ってくれてるんですよ。」
だから、物事が良い方向に進んだときにだけ、種明かしをしてくれる。
今回のことだってそうだ。
ブルマがトランクスを生き返らせようとしていることを口にしたのは、彼女がそれを実現する可能性が高いと見抜いたからだろう。
もしかしたら、トランクスが界王星に着く前に蘇ったら、自分たちには何も言わないままだったかもしれない。
人造人間は倒されたぞ、と、トランクスが1度死んでしまったことなど見ないふりで、そ知らぬふりで、その事実だけを伝えてくれたかもしれない。
それは、優しさのようでいて──現世には絶対関わってはならぬ、という、厳しい境界線の存在を示しているこようにも思えた。
「……俺が生き返ったら──もう、皆さんと会うことは、ないんですね……。」
しんみりと、トランクスは俯いて呟く。
そんな彼に、この3日ほど一緒に修行をしてきた面々は、なんともいえない顔になった。
彼がこの界王星に来て以来、色々と──驚かされっぱなしだ。
赤ん坊としてのトランクスしか知らなかった彼らは、成長したトランクスはきっと、ブルマとベジータを足して2で割ったような存在だと、ずっと心から思っていた。
ところが、その現物と来たら! 容貌は二人を足して2で割ったような感じだが、その中味が、もう、反面教師そのものだったのだ。 礼儀正しく、思慮深く──少し突っ走りすぎる傾向があるが(実際、悟空との戦いの最中で、スーパーサイヤ人を越えることを発見して、そのことで自惚れていたシーンがあり、「それじゃ、パワー重視でスピードが足りねぇっ!」と、悟空に逆に叩きのめされていた)、そのことを反省し、後々に活かす姿勢など……まさに、幼い頃の悟飯のような生真面目さ!
とてもではないが、ブルマの欠片もなければ、ベジータの欠片もない。
ところどころに、二人の素質を受け継いだらしい性格の欠片も見えたが、それも彼をコーティングしている正義感や真面目さに掻き消されて、ちょうどいい風合いになっている。
ブルマさん──思った以上に、子育てが上手いのかもしれない。
半ばありえないと思っていた事実を、一同は噛み締めることになったのだ。
「トランクス……。」
ヤムチャが、そんな彼に何か声をかけようかと、言葉を捜しながら口を開いた──その時。
「そんなことはないさ、トランクス。」
ぽん、と、力強い手で彼の肩を叩いたのは、悟飯であった。
ピッコロたちの記憶にあるよりも、ずっとたくましく──凛々しく育った悟飯は、大人が子供を見つめるような……ことさら優しい目で、愛弟子を見つめる。
その愛情深さに思わず、クリリンは無言でピッコロを見つめてみた。
ピッコロはすぐさまその視線の意味に気づいて、イヤそうな顔をする。
「悟飯さん……。」
「俺も、ピッコロさんたちと別れたときには、もう二度と会えないと思っていた。」
──たくさんの仲間を犠牲にした俺はきっと、彼らがいる天国にはいけないから。
だからきっと、二度と会えないのだと、そう思っていた。
続くはずの言葉を、1度目を閉じて、悟飯は飲み下した。
それは言ってはいけない言葉だ。
たとえ本当に、地獄に落ちなかったのだとしても──自分が幼い頃、そう思っていたということを、ピッコロたちには知られたくなかった。
「……でも、俺は、死んでからだけど、こうして皆に会うことが出来た。」
いいながら悟飯は、あたりをグルリと見回す。
ニコリ、と微笑を浮かべてみせれば、誰もが笑顔を返してくれた。
ここが死後の世界であろうとも──生きているときと同じように、彼らはココに居て、笑い返してくれる。
「大好きなお父さんとピッコロさんと、クリリンさんやヤムチャさん、天津飯さんに餃子さん。
そりゃ、お母さんやおじいちゃんは居ないけど、もう後30年もしたら、再会できるかもしれない。」
死んじゃってからだけどね。
苦笑を持って続けながら、悟飯はトランクスの迷うような顔を覗き込む。
「だったら、ずっとココに居たら、皆と居られるのに──って思ってるだろう?」
「──……っ。」
クシャリ、と顔を歪めるトランクスに、悟飯は切ないような……哀しいような表情を浮かべる。
そんな顔を……生きている悟飯が見せるのは、少なかった。
彼がそういう顔をするのは、ブルマと昔話をするときだけだ。
そんな時、トランクスは昔のことを聞けて嬉しいような……哀しいような、疎外感を感じていたのを思い出す。
「悟飯さん……。」
「俺はね、トランクス。
──ずっと、君に、生きていてほしかったんだ。」
あの時に自分が下した決断。トランクスをつれてはいけないと、彼を一人残したこと。
そのこと自体を間違っていたとは思えない。
幼い彼を戦いの場にいざなっていくことだけはしたくない。まだ彼には早い。そう思えたから。
「──……悟飯、さん。」
けれど、自分が選んだその選択肢と、心の中で抱えていた気持ちとは、また別のものだ。
そう──だからこそ自分はきっと、この天国で人造人間と戦い続ける幻を見続けていたのだろう。
彼らを一体も倒せず、すべてをトランクスに託してしまうことを、怖れて。
「君を一人にしたことを、ずっと後悔してる。
これからも君を一人にしてしまうことを、後悔していくと思う。」
「……………………だ、……っ、たらっ。」
どうして、俺がココに残ることを、あなたは否定するんですか……っ!
悟飯の胴着を握り締めて、ギリリとトランクスは下から彼を睨みつける。
悟飯は、うん、と一つ頷くと、彼の頬に手を当てて、
「しょうがないだろ? だって俺は、トランクスに生きていて欲しいんだ。
人造人間が居なくなって──平和になった地球を、もっと君に知って欲しいんだ。
君が守った世界が……とても美しいことを。」
言いながら目を閉じた悟飯の脳裏には、幼い頃、父に手を引かれて歩いたパオズ山の自然の光景が浮かんでいた。
まだいといけない頃、ピッコロに抱きかかえられて飛んだ荒野の──その果てに見た美しい日の出の光景があった。
振り返れば、美しい青の海の前で笑う、仲間たちの姿があった。
世界を救うたびに、皆で守った世界を見つめて過ごした。
そんな──いとしい平和の光景。
それを見ていたからこそ、それを知っていたからこそ、心の奥底から守ろうと思った、あの気持ち。
それを、──1度もトランクスは見た事がなかった。
見た事がないのに、自分は彼に、戦いを強要していた。
だから、せめて。
「君に……あの世界を愛してほしいんだ。」
そう願うことだけは、赦して欲しい。
あの世界の美しさを知らぬまま、あの世に来ては欲しくないのだ、と。
「──……悟飯さん……。」
トランクスは、クシャリと顔を歪めて、悟飯を見上げる。
その目がかすかに潤んでいるのを見て、悟飯はことさら優しく、いとしげに微笑む。
「ねぇ、だからトランクス。
あの世界で、たくさん愛する物を作っておいで。
この両手に抱えきれないくらいに、大切な物や愛する者を作って──そうして、それを守り抜いて、俺たちに会いにおいで。」
「…………ごはんさん……。」
「今度は、もっとゆっくりしてくるんだよ。──ってまぁ、俺たちが言えたことじゃないけど。」
コリコリ、と照れたように悟飯は頬を掻いて、かすかに目元を赤らめながら、うーん、と腕を組んで首を傾げる。
トランクスは無言で、自分の両手を見下ろした。
今、自分の両手の中に入っているのは、何なのだろうと、ふと思った。
あの世界がとても美しいことを知って欲しいと、悟飯は言った。
けれどトランクスは──人造人間に倒される前の世界がどれほど美しかったかは知らないが、それでもあの世界が美しいことは知っている。
空を跳びながら見下ろした海が太陽に輝くさまを。
遠く人里離れた島に生きる木々と動物たちのたくましいさまを。
悟飯の修行について行って、いろんなところで、いろんなものを見てきた。
美しい夕日、美しい朝焼け、満天の夜空。──月があったら、人造人間も倒せたかもしれないな、なんて笑っていた悟飯さんの顔。
けど……悟飯が言う「美しい世界」は、それよりも、もっとずっと綺麗な物なのだろうか?
そして──地球が、悟飯が瞼裏に思い浮かべているような、本当の美しさを取り戻す頃には、自分のこの両手に大切だと思うものを抱えていることが出来るのだろうか?
「俺が見れなかった世界を、トランクスが変わりに見てきてくれないか?」
「──……っ。」
悟飯の──師匠の一生を思えば、その言葉はとても切なく感じて、ツンと鼻先が染みるような感覚を覚える。
そんなトランクス以上に、彼の言葉に衝撃を受けたピッコロが、刺されてもいないのに、血が流れそうなほど痛む胸を押さえる。
悟飯が子供らしく過ごしたのは、本当に片手で数えるほどしかないのだ。
「まー……、悟空が最初に死んでから、ピッコロがずーっと修行させたたもんなぁ。」
まだ幼くて、悟空の脚の後ろに隠れているような──幼児というにふさわしい悟飯の姿を思い出して、しみじみとクリリンが呟けば、うぐっ、と小さなうめきを零して、ピッコロが小さくよろめく。
天津飯が、おい、とクリリンにひそやかに声をかけるが、それに気づかず、さらにヤムチャまでもが、
「そういや、あの時、悟飯はまだ5つだったか……。」
「違いますよ、ヤムチャさん。悟飯がピッコロに攫われたのはその1年前ですから、4つの時です。」
思い出すかのように──小さかったよなぁ、とヤムチャが自分の腰ほどを手の平で示せば、すかさずクリリンがパタパタと手を振ってそれを否定する。
ぐっ、とピッコロが何かを喉に詰まらせたような声をあげるが、天津飯は、もう見ないフリをしてやることにした。
──正しくは、ピッコロのせいではなく、地球を強襲しようとしたサイヤ人のせいなのだが、悟飯が可愛くて可愛くて仕方がなくなった師匠バカは師匠なりに、「あの頃にもっと色々と経験させてやりたかった」的発想を、心のどこかに持っていたようである。
すっかり、親ばかっぽいよな、と思ったことはさておき。
「……平和になった、世界を、ですか?」
涙にかすれそうになるのを必死で堪えて、トランクスは目の前の師匠をジと見つめた。
7年もの間会えなかった師は──ある日、突然の別れによって二度と会うことが叶わなくなった人は、昔と同じように優しい眼差しで、コクリと頷く。
敵を前にしたときは、この上もなく鋭く激しい闘気を露にする目が、この上もなく優しく染まる。
「そう。そして、その世界で幸せになってくれるかい?」
頼むよ、と、力強く微笑むその顔に、トランクスはクシャリと顔を歪める。
「それで、今度は笑顔で来てくれ。──たくさんの土産話を、この手に抱えて。」
言いながら悟飯は、トランクスの両手を持ち上げる。
その手は、最期に別れたときよりも二周りほど大きく……皮も厚くなり、剣ダコも厚くなっていた。
弟子の成長を物語るその手を、悟飯はいとしげに、そ、と撫でると、
「ずっと……ずっと、先にですか?」
暖かな手の平の感触を覚えながら、トランクスは泣きそうな目で師を見上げて問いかける。
悟飯はそれに笑って頷く。
「そう、ずっと先にね。
──そうだな、70年くらい後かな。」
緩く首を傾げて、口から呟くのは、長い長い先の話しだ。
70年! と、トランクスは目を瞬く。
「随分先まで、あえないんですね。」
「70年先には、70年なんて短いくらいだって思うかもしれないよ。」
それくらい大事なものが、君の手にたくさん詰まれていますように。
トランクスが小さい頃──生まれたばかりの頃に、ピッコロやクリリンたちと、祝福の言葉を紡いだときのように、悟飯は節ばったトランクスの手に向かって囁く。
その声がいつくしみに満ちていて、トランクスはなんだか気恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちで首をすくめる。
「別に80年でも90年後でもいいけど……今度ここへ来るときは、老衰にしてくれよ。」
「そんな先のこと、分からないじゃないですか。」
「大丈夫だよ。トランクスなら。」
弟子バカだよ、と周りで誰もが苦笑を浮かべているのに気づかず、悟飯は自信満々で頷く。
トランクスもその輝くばかりの笑顔には、さすがに、「……弟子バカだなぁ。」と思わずにはいられなくて、小さく笑った。
幸せだと、そう思う。
単身、危険な宇宙に出てでも自分を生き返らせようとする母が居て。
死んだ後の世界でも、こうして自分を案じ、幸せを願ってくれる人がいて。
目の前に、ずっと会って見たいと思っていた人たちがいる。
その人たちと、たった3日だけれど、修行することが出来た。
それが嬉しくて──流れる時間が優しくて。
まだずっと、浸っていたいと思うけれど──目の前の優しいようで、厳しい師匠は、絶対に赦してはくれないのだ。
ぽん、と肩を叩かれて、トランクスは、眉を寄せながらも、必死で笑顔を浮かべる。
「幸せになっておいで。
その時をここで待ってるから。──君が笑顔で来る日を、必ず待っているから。」
「は、い──……はい。
たくさん、……悟飯さんの分も、みなさんの分も……、俺、がんばって……生きます。」
ツンと瞼の裏にこみ上げてくる熱に、それ以上見上げていることが出来なくて、トランクスは顔を伏せて俯く。
1度強く目を閉じて──ごくん、と喉を上下させる。
込み出そうになる複雑な気持ちを、無理矢理飲み下してから、トランクスは顔をあげて、まっすぐに師の顔を見上げた。
師は、自分が顔を下げる前と変わらず、頼もしい笑顔を浮かべて、こちらを見下ろしていた。
「俺……、地球を……絶対、守って見せますから。」
その顔に──師であるその人に、トランクスは強い決意を滲ませて呟く。
その決意の色を認めて、悟飯は少しだけ困ったような笑顔になると、
「地球も守って欲しいけど、それよりも何よりも、トランクス、君自身をきちんと守ってくれ。
約束だ。」
ほら、と、昔の懐かしい思い出を促がすように、右手の小指を目の前に差し出す。
思わず目を瞬いたトランクスは──はは、と小さく笑って、その指に自分の小指を絡める。
「──……はい。約束ですね。」
「約束を破ったら、ピッコロさんの手料理食べさせるからね。」
「えっ! な、なんですか、ソレはっ!?」
てっきり、ハリセンボンとか往復張り手とか、そういう単語が来ると思っていただけに、トランクスはギョッとした。
周囲に居た面々の視線が、一気にピッコロに集る。
ピッコロは、無言で汗を一滴流していた。
悟飯は、重々しい態度で目を閉じると、何かを思い出したようにブルリを体を震わせる。
「ピッコロさんの手料理は凄いんだ……、自分は水しか飲まないから、作るときはいつも適当で目分量な上に、見よう見まねだから──、もう……味どころの騒ぎじゃなくって…………。」
うっぷ、と、悟飯は口元に手を当てて視線をそらす。
あの動乱期には、「食えるものなら何でも食べる」と笑って言っていた悟飯が言うとは思えないセリフに、トランクスは当惑する。
──いや、もしかしたら、そのすざまじい料理を食べていたからこそ、「なんでも食べれた」のかもしれない。
「なに──……っ、悟飯、お前あの時、美味しいと食ったではないか!」
「ピッコロ……、それ、お前に気を使ったんじゃないのか?」
「お前を悲しませたくなかったんだよ……ほんと、いい子じゃないか──。」
クリリンが、じっとりと下からピッコロを見上げれば、打てば響くようにヤムチャが目元を拭うフリをする。
そんな彼らに気功波で突っ込めるほど、ピッコロは心にゆとりはなかった。
愕然と、おなかがすいたとねだる悟飯に、見よう見まねで飯を出してやったときのことを思い出す。
そうか……妙にがつがつと食べると思っていたが、あれはもしや──、味が分からぬように必死で飲み込んでいたのかっ!!!?
死後20年目にして知る事実。
ピッコロは、物哀しいような悔しいような、そして悟飯のいじらしさが可愛いようなで、複雑な気持ちに胸を痛めてみた。
必死で全部完食した後の悟飯が、ひきつった笑顔で、「大好き、ピッコロさん!」と言っていたのが、鮮明に思い出させる。
く……っ、と、ピッコロは切なげに目元を覆った。その眦に、キラリと雫が光ったのは、悟飯への愛情ゆえか、自分へのふがいなさへか……真実は、ピッコロ自身のみが知る。
「え、と……良くは分かりませんが、悟飯さんに恥じぬよう、がんばります。」
ゆるりと小首を傾げたトランクスは、微笑んでそう告げれば、悟飯は嬉しそうに笑って頷く。
「うん。──笑っていてくれ、トランクス。」
「──はい。」
願いを込めて、悟飯がそう囁くのに、トランクスは万感の思いを込めて頷いた。
名残惜しげに、まだ何かを告げ忘れてはいないかと、互いの目を見ながら──焦るような気持ちで、そう思ったときだった。
「……ん? って、アレ、トランクス、おめぇ、頭のワッカなくなってんぞ!」
界王の傍にぴったりとくっついていた悟空が、不意にこちらを指差しながら叫んだ。
「……え?」
キョトン、と目を瞬くトランクスの頭を見上げて──あ、と悟飯が声をあげる。
「あれ?」
「ああっ! ほんとだ、いつのまに!!」
クリリンが綺麗に何もなくなった頭部を見て、大喜びで指を差す。
トランクスもそれにつられるように、自分の頭上に手の平をかざして、何も手に当たらないのを確認してみた──とは言うものの、頭にワッカがある時にも、確認はしていなかったので、そもそもワッカがあったかどうかは良く分からなかった。
「ってことは……生き返ったぞっ! やったな、トランクス!!!!!」
両手で拳を握って、ヤムチャが満面の笑顔で叫んでくれる。
天津飯も餃子も嬉しそうに笑っていてくれて、トランクスはそんな彼らの顔をぐるりと見回して、少し躊躇ったような笑顔を浮かべた。
「え、あ、は、はぁ……、ありがとうございます。
………………なんか、……実感が涌かない生き返り方ですね……。」
もう少しこう、なんらかの衝撃があると思っていたのに……悟飯と話している間に、ワッカだけなくなる生き返り方って、どうなんだろう?
感激したいのだけれど、衝動に乗れなくて、喜ぶにも喜べない気持ちで、トランクスは自分の頭の上を仰いでみた。
けれどやっぱり、頭の上には何も見えない。
ただ、紫色の空が広がるばかりだった。
「……お父さん、もしかして、現世に戻るには、蛇の道を遡っていかなくちゃいけないんですか?」
生き返ったら、トランクスの姿が消えていくのだとばかり思っていたのに、なんと、歩いて帰らなくてはいけないということなのか。
そう思うと、感動のお別れも台無しになってしまうような気がして、悟飯は苦笑を滲ませながら、前にも生き返ったことのある父に問いかける。
悟空は軽い調子で頷くと、
「あぁ、閻魔のおっちゃんとこまで行って、下界に下りるんだぞ。
なんなら、おら、瞬間移動で連れてってやろうか?」
蛇の道がある方角を指差して、トランクスに問いかける。
悟飯たちの後ろでは、「悟空の瞬間移動って、裏技だよなー?」とクリリンが腕を組みながら、餃子に話しかけていた。
舞空術を身につけるまでは、餃子や天津飯の舞空術こそが裏技だと思っていたが、悟空の瞬間移動に勝る裏技はないと思う。
「いえ、蛇の道を下っていきます。ここに来るまでも送ってきてもらっているので、ちゃんと蛇の道を通って行きたいので。
えーっと……舞空術で行ってもいいんですよね、界王様?」
そうしないと、母の元に辿り着くまでに、2ヶ月以上はかかってしまう。
けれど、舞空術ならば、1日で閻魔大王の下に辿り着くことが出来るだろう。
──それにしても、死んでから2週間くらいしか経っていないのに、もう現世に戻ることになるとは、思ってもみなかった。
なんとも複雑な気持ちで──嬉しくないわけではないのだけれど、トランクスは界王を振り返る。
──が、しかし。
「…………。」
界王は、空の果てを見たまま、ピクリとも動かない。
いつもの猫背を更にかがめて、両手をギュと握り締めている。
その触覚がフルフルと震えていて、顔が真剣きわまりない。
「界王様?」
何か大事なことでも起きているのだろうか、と、トランクスは控えめに彼の名を呼んでみる。
しかし、界王は呼びかけに答えることなく、
「ふーむ……うぅーむ、ふん……。」
眉間に濃い皺を寄せて、一人でブツブツと呟いている。
「界王様?」
再び控えめにトランクスが呼びかけるが、
「……む、なんと!」
界王は、手に汗握る状態で、ますます背中を丸めるばかり。
トランクスがますます困惑すれば、あー、と背後から声があがった。
「トランクス、そうなった界王様は、駄洒落でも言わねぇ限り、こっちを見てくれねぇぞ。」
「自分で勝手に覗いて、勝手に納得しちゃうんだもんな、界王様。
で、何も説明しないで、突然話をこっちに振ってくるんだよ。」
いつもいつもそうだった。
ったく、と米神に指先を押し当てながら溜息を零すクリリンに、ヤムチャは腕を組みながら、うんうん、と頷く。
「……む、なんと! そう来たかっ! ブルマめ、なかなかの策士じゃな!」
ブルマ。
その名前を聞いて、その場に居た全員が、ハッとしたような顔になる。
そうだ、界王は今、ナメック星を覗き見ている最中なのだ。
「なかなかの策士って……何がだ?」
なんか、界王様の下にいると、力がつくとか言う以前に、妄想力──いや、想像力がたくましくなる。
「そういや、ナメック星の神龍は、3つまで願い事が叶うんだったっけな、悟飯。」
「あ、そうですね。」
クリリンはチラリと視線で悟飯を見上げる。
え、と驚いた顔をするのは、悟空とトランクスの二人。残りはその恩恵にあずかって生き返ったり、実際に見てきたりしているので、そういえば、と頷くだけだった。
「ってことは、1つめの願いで、トランクスが生き返るように頼んだんだろー。つぅことは、あと2つ残ってるってことか?」
悟空が指を折って数を数える。
なっ、と笑って悟飯に確認するあたり、どうかと思ったが──悟飯は苦笑を見せながら頷く。
「つまり、界王様は今、ブルマさんが二つ目か三つ目の願いをしているのを覗いている、ということでしょうね。」
「他の願い事な。──何かあったか?」
「ブルマさんの願いごとでしょ? ……人生をやり直したいから、若返らせてください、とか。」
クリリンがヒョイと肩を竦めて言えば、ぷっ、と皆が噴出す。
まさか、いくらなんでも息子を生き返らせてくださいと同列で、そんなことを願っているはずはない、とは思うのだけれど。
どうせ3つまで願いが叶うなら、2つめが「地球の自然を豊かな頃に戻してください」で、3つめが「私を若返らせて!」って言うのも、ありそうな気がする。
うん、ありうる──と、一同が、納得したように頷きあうのを横目で見ながら、悟飯はコリコリと頬を掻く。
──本当に皆さん、妄想だけはたくましくなってるんだなぁ……。
「なぁ、界王様、焦らさずに教えてくれよっ、ブルマは、何をお願いしたんだよっ!?」
悟空は、後ろから界王にしがみつくようにして、結論を口にしてくれるように願う。
界王は、フルフルと背中を震わせながら──やがて、快活に、わっはっはっは、と笑った。
ギョッとする一同を背中に、界王はキラリとサングラスを光らせて、悟空を振り返る。
「……ふっふっふっふ、悟空よ、あの娘、なかなか腹黒いぞっ。」
そして、グ、と親指を立ててそう言った。
そのセリフに、悟空は唇を軽く尖らせる。
「そんなんじゃわかんねぇよ、界王さまっ!」
「腹黒い……って………………か、母さん……ナメック星で何を……。」
トランクスは、クラリと眩暈を覚えるのを感じて、フルフルと弱弱しく頭を振った。
界王は、そんなトランクスと悟飯を見やると、にぃ、と笑みを深めて、
「悟飯よ、喜べっ! お前も、どうやら生き返れそうじゃっ!!」
喜色満面の顔で、そう──青天の霹靂とも言えることを、宣言してくれた。
はい、感動のお別れシーンが台無しの展開でゴーです。
強引に行きますよ、強引に。