その人は、いつも前向きに
ふ、と目の前の光景が真っ白になったかと思うや否や、体が軽い浮遊感に包まれて──気づいたときには、小さな惑星の上に立っていた。
一面の芝生に、何本か立った木に、少し離れた所に赤い屋根の家が見える。
普通に立っているだけなのに、そう離れていない場所に地平線──と言っていいのか、丸い地平線が見えた。
一つの村を丸ごと惑星にしたような、小さな星だ。
「……ここは……?」
不思議そうにあたりを見回す悟飯の顔から察するに、彼もココに来るのは初めてのようだった。
トランクスは無言で右腕をあげてみて、いつもよりも重く感じる。
試しに、とん、と空中に飛んでみれば、思ったよりも飛ばない。
「どうやらここは、地球よりも重力が重いようですね。」
手の平を握って離して見て、その感触を確かめる。
重いとは言っても、それほど酷いわけではないように感じる。
確かに体は重いけれど、鉛を体中につけて訓練していたときと、そう変わりない拘束力だ。
これなら、少し経過すれば、すぐに慣れるだろう。
体の感覚を確かめていると──移転してすぐに自分が動けるかどうかを確認する辺り、悟飯もトランクスも、どこでも戦うことを前提に動いているようなところがある。
悟空が連れてきた先が危険だなんてことは、そうそうあるわけがないと分かっていても、見に染み付いた習性はなかなか取れないようだった。
「そうじゃ! この界王星は、重力が地球の10倍あるのじゃ!」
久しぶりに答えられるセリフに、ひどく声を弾ませて、答える声が一つ。
すでに気配でそこに誰が居るのか知っていた三人は、えっへん、と胸を張る男を振り返った。
「おー、界王さまーっ!」
悟空が、ごく普通に片手をあげて挨拶をする。
その名前に、悟飯とトランクスが、ギクリと肩を跳ね上げる。
「か、界王さま。」
「このなま……いや、この方が、北の銀河を統べる、北の界王さま……。」
トランクスは目を白黒させて──どこからどう見ても、威厳のいの字もない男を見つめる。
その隣で悟飯は、この人が……と、父やピッコロから聞いていた姿と照らし合わせながら、なるほど、と頷く。
「これ、孫悟飯。おぬし、今、わしのことをなまずと言いそうにならなかったか?」
「えっ、い、いえっ! とんでもありませんっ! そんなことは決してないです!!」
ジロリ、とサングラスの奥から視線を飛ばされて、慌てて悟飯は顔をブンブンと振って否定する。
悟空は軽く笑い声をあげながら、慌てふためく悟飯の背中をドーンと叩くと、
「界王さまは、確かに全然偉そうに見えねぇかんな! なまずに見えてもしょうがねぇよ。」
「こら、悟空! なーにがしょうがない、じゃ!
ったく、おまえがそうだから、ピッコロやクリリンたちも、妙にわしを軽い扱いにするんじゃぞ……。」
ぴょこん、と触覚を立てて悟空を諌めるが、その声にも威厳はあまりない。
怖いという気持ちすら起きない。
どちらかと言うと、穏やかな気質のなまず……いや、ご老人が、「これこれ、それくらいにしんしゃい」と言っているようにしか思えなかった。
ブツブツと文句を零す界王に、いやー、と悟空は頭を軽くかいて笑う。
「わりぃわりぃ、界王さま。オラ、悟飯にもすぐに界王さまになじんで欲しくって、つい口が滑っちまったんだって。」
両手を顔の前であわせて謝る悟空に、ちらり、と界王は視線を走らせる。
けれど、つーん、と、拗ねたように顎を背けて、赦してくれそうな態度は見せない。
そんな界王に、まいったなー、と悟空は首を傾げる。
「界王さま、初対面の悟飯やトランクスの前で、そんな拗ねてっと、カッコわりぃぞ。」
「なにーっ! 悟空、おまえ、わしが格好悪いと、そういうのかっ!」
思わずポロリと零れた言葉に、界王の頭が、かーっ、と赤く染まる。
あ、やべ──と、悟空が口を押さえるのと、お父さん……と、悟飯が額を押さえるのとがほぼ同時。
「くーっ! 悟空っ! おまえ、もう少しこう、わしを立てるとか言うことをせんか!」
「立てるって言われてもよぅ……おら、お世辞とかそういうのは、苦手で。」
眉を落とす悟空に、界王はムムと口を歪める。
悟飯はますます困ったように、父と界王とを見比べた。
「お……お世辞じゃとっ!?」
カーッ、と、薄青の顔色を赤く染める界王に、まいったなぁ、と悟空は唇を歪める。
そんな二人に、参ったのはコッチですよ……と、悟飯は溜息を零す。
初対面早々から、一体これは、どうしたらいいのだろうか。
悟飯は苦い笑みを漏らして、自分の隣で呆然としているトランクスを見下ろした。
「すまないな、トランクス。ビックリしただろ?」
「は……はぁ……。」
「どうも、昔からお父さんは、能天気というか、マイペースで──。」
この調子だと、こっちを思い出してくれるのは、もう少し後になるかな、と。
悟飯は困ったように──それでいて、そんな父を懐かしむように目を細めて、ふ、と口元に笑みを刻んだ。
懐かしい雰囲気だ。──これで、悟空が相手にしているのがチチや、彼の昔馴染みの仲間たちであったなら、ソレこそ本当に……自分が小さかったあの頃に戻ったような、そんな気すらしてきた。
「誰もお世辞を言えとはいっとらん! わしは、素直にわしのいいところをだな、こう、控えめに言うてくれんかと、言うとるんじゃ。」
「界王様のいいところを、控えめに〜? また難しいことを言うなぁ、界王さまは。」
うーん、と、悟空は腕を組んで考える。
界王さまのいいところ、いいところ……小さくブツブツ呟く悟空に、界王は期待の眼差しで、じ、と悟空の言葉を待った。
そんな二人の仲のいい掛け合いは、まだまだ続きそうで──というよりも、自分たちの存在は、すっかり忘れ去られているような気がして、トランクスは困ったように悟飯を見上げる。
「どうしましょう、悟飯さん。」
この界王星には、どうやら目の前の界王さまと悟空と自分たちが居るだけのようだった。
クリリンたちは、どこかへ修行でもしに行っているのかもしれない。
それなら、彼らを放っておいて、さっさとクリリンたちの気配を探りに行くというのも──いいのかもしれないけれど。
「このままクリリンさんたちを探しに行くのは──、マズイよな、やっぱり。」
「たぶん、まずいと思います。」
さすがに、界王さまにまともな挨拶もせずに、放っておくのは……と、そういうところも母親と父親に似ていないトランクスは、きっぱりと頷く。
やはり、これからお世話になる人に、最初から不義理をするわけにはいかない。
そうきっぱりと言いきるトランクスに、そうだよなぁ、と悟飯も頷く。
チラリ、と視線を横にずらせば、
「うーん……。」
「ほれ、あるじゃろ、あれとかこれとかっ!」
「うーんんん。」
目を閉じて悩む悟空に焦れて、界王が指先でツンツンと空中をつつくが、悟空はそれに気づかぬ様子で、首を右に左にと傾げている光景が目に飛び込んできた。
「しょうがないなぁ、お父さんは。」
楽しげに会話をしているようにしか見えない二人を、強引にこっちの世界に戻す役目をしてくれる人は、自分たち以外に誰も居ないということだ。
それに慣れているだろう人物を呼び戻しに行くことすら出来ない。
「このまま、話が終わるまで待ってるしか、ない、かな?」
「……は、はぁ……。」
けど、それはそれで困ったな、と、悟飯は隣にいるトランクスの頭を見下ろした。
トランクスに何があってここにいるのか、そのこともまだ聞いていない。
それに、今は平常を装ってはいるけれど──その胸の内は、まだグルグルとしているはずだ。
もう少し落ち着かせて、ゆっくりと話を聞いてあげたいのだけれど──お父さんも、界王さまも、困ったものだなぁ。
「うーんん。」
悟空の唸るような声に重なるように、悟飯がうめき声をもらす。
「悟飯さん、時間はたっぷりあるんですし──。」
別に、すぐに物事を進めなくても、と、トランクスが苦笑を浮かべかけたところで。
「──……?」
ふと、小さな気を感じた気がして、トランクスは視線を前に向けた。
界王さまの少し後ろに、小さな気が二つほど、こちらに向けて何かを訴えているような気がした。
ちょっと体をずらしてみれば、界王さまの背後──小さな星を横一文字に横切る道のようなところで、小さな影が二つ、ぴょこぴょこと揺れているのが見えた。
あの小さな影──まさか、クリリンさんと餃子さんっ!? と一瞬思ったが、人にしてはおかしな影と動きだ。
悟飯から少し離れて、まだ悩んでいる悟空と界王の会話を横に、トランクスはその影の方に近づいてみた。
「トランクス?」
不意に動き出したトランクスを追いかけようとして──悟飯は、彼の視線の先に居る存在に気づく。
小さな影だ。悟飯たちの背丈の半分ほどしかなく……ぴょっこぴょこと、リズム良く右に左にと揺れ動いていた。
「うっほっほ、うっほっほ。」
茶色の毛むくじゃらに包まれたソレは、チンパンジーとゴリラの中間くらいの大きさの猿であった。
ピンと尖った耳のサルで、その周りを大きなバッタのような生き物が飛んでいる。
「あれは……確か、前にお父さんに聞いたことが……。」
界王さまの修行の前の試練で、捕まえないといけなくって──と説明していた内容を、必死で思い返して、あぁっ! と悟飯は声をあげた。
「そうだっ、バブルスと、グレゴリーっ!」
思いっきり指を突きつけて叫べば、トランクスもバブルスとグレゴリーも、キョトン、と悟飯を振り返る。
「うほうっほ?」
不思議そうにこちらを見るバブルスに、悟飯は笑顔を浮かべる。
「そうかー、お前がバブルスか。」
「……悟飯さん、知ってるんですか?」
「前にお父さんに聞いたことがあるんだ。界王様のペットで、……いつも修行を手伝ってもらってたんだって。」
近づけば、バブルスは逃げることもなく、チョコンと座って、悟飯とトランクスを見上げた。
「初めまして、バブルス。俺は、孫悟飯。……孫悟空の息子だよ。」
柔らかに笑って手をさし伸ばせば、バブルスはキョトンと目を瞬いたが、「うほっ」と呟いて、そんな悟飯の手に自分の手を載せてくれる。
「ねぇ、バブルス。クリリンさんたちを知らないかな?」
その手を緩く握り締めて問いかければ、バブルスは、首をコックリと傾げる。
その周囲を飛んでいたグレゴリーもついでのように首を傾げる。
「それじゃ、界王さまと悟空さんを、止めることは出来るかな?」
悟飯の隣から顔を覗かせたトランクスが、チラリと自分の肩越しに、まだ漫才を繰り広げている界王と悟空を振り返る。
「なーにを焦らしておるんじゃっ! ほら、悟空、それとかあんなのとか、わしのいいところなんて、山のようにあるじゃろっ!」
んっ? んっ? ──と、期待に満ちた声で、界王は悟空の周りを右に左にとうろうろしながら、彼の顔を覗き込んでいる。
その姿は、とても北の銀河で一番偉い界王には見えなかった。
バブルスとグレゴリーは、トランクスの言葉にヒョイと肩を竦めると、絶対にムリだというようにフルフルとかぶりを振る。
「駄目なのか?」
「うほうほっ。」
きっぱりはっきり頷いてくれるバブルスに、悟飯とトランクスは顔を見合わせる。
これはやはり、二人の会話が終わるのを待っているしかないのだろう。
揃って後方を振り返れば、悟空が、うーん、うーん、と言いながら、顎に手を当てて、上を向いて横を向いてと、さらに界王さまを焦らしている最中だった。
「──トランクス、しょうがないから、ここに座って待っていようか。
バブルス、ここ、いいかい?」
バブルスが立っている横を示して問いかける悟飯に、バブルスは、うほっ、と頷く。
その答えを待って、悟飯は躊躇うことなくバブルスの横に座り込んだ。
そして、トランクスを見上げて、トントンと自分の横を叩いて示す。
「あ、は、はい。」
トランクスは、チラリと後方を──悟空たちを気にしながらも、悟飯の示すように彼の横に腰を落とす。
すとん、と座り込めば、ちょうど折りよく、涼しい風が二人の間を吹きぬける。
思わず、ふぅ、と吐息が零れて……知らないうちに体に張り詰めていた緊張が、抜けていくのが分かった。
「それにしても、クリリンさんたちは、どこに行ったんだろう?
……ちょっと気を探ってみるか。」
言いながら、悟飯は少し目を伏せて辺りの気を探り始める。
ピッコロが近くに居るなら、呼びかければピッコロは答えてくれるような気がした。
「……近くにいくつかあるみたいですけど……。」
トランクスも同じように、周囲の気配を探りながら視線を中空に彷徨わせて──すぐに、そのいくつかの気がココに向かっているのに気づく。
一際大きな気が一つと、少し大きな気が一つ。そして、残り3つの気。
「ああ、ここに近づいてる──ピッコロさんたちだっ!」
パッ、と顔を輝かせた悟飯が、その場に立ち上がる。
ピッコロさん──と呟いて、トランクスはドンドン近づいてくる気が飛んでくる方角に視線を向けた。
バブルスとグレゴリーも、つられるようにその方角を見上げる。
空を見上げる悟飯の顔には、嬉しそうな表情が浮かんでいた。
込み出る喜びが、彼の全身を覆っている。
そんな悟飯の姿を見るのは初めてで──トランクスは、まぶしい物でも見つめるように、彼を見上げた。
──と、
「おーいっ!!!!」
紫色に染まる空の彼方から、小さな点が一つ、飛び出してきた。
それと同時に、響き渡る声が聞こえる。
トランクスには聞き覚えのない……もしくは、遠い昔に聞いたような記憶のある声。
けれど、悟飯にとっては──ひどく親しみ深い人の声。
その証拠に、悟飯は、ぱっと顔をほころばせる。
「クリリンさんっ!!」
喜びの声をあげて、悟飯は片手を大きくあげる。
それに答えるように、ぐん、と近づいてきたクリリンのスピードがあがる。
みるみる内に豆粒のようだった影は人影になり──肉眼でも十分それが誰なのか判別できるくらいになった。
キラリと光る頭部。満面の笑顔。
額に並ぶ六つの刻印と、幾つになってもあまり変わらない顔。
子供のように両手を大きく振りながら、両目をジンワリ潤ませるその顔に、悟飯はジンワリと何かが身に染みるような感覚を覚えた。
クリリンは、両手を大きく振りながら──両目をジンワリと潤ませる。
「悟飯っ! ごはーんっ!!!!」
歓喜の声をあげるクリリンの後ろには、ピッコロとヤムチャたちの姿も見える。
皆、悟飯の気が界王星に辿り着いたのを認めて、飛んできたのだろう。
「クリリンさん、ピッコロさん、ヤムチャさん、天津飯さん、餃子さんっ!」
一人一人の名前を叫んだ瞬間、
「悟飯っ! おまえ……お前、俺が分かるんだなーっ!?」
クリリンは一気に残る距離を詰めると、悟飯の顔に向けて飛びつく。
膝蹴りを決めるのかと思うほど真っ直ぐに顔に抱きついてきたクリリンに、悟飯は数歩後ろに後ずさる。
「く……クリリンさんっ!」
腕を掴んで叫べば、クリリンは両目一杯に溜めた涙を、ぽろり、と眦から零して笑った。
「悟飯っ! ほんとに悟飯だっ!
なぁ、ピッコロ! 悟飯だよっ!!!」
あはははっ、とことさら明るく笑って、クリリンは悟飯の頭をクシャクシャと乱暴にかき混ぜる。
そうしながら、クリリンは感動ひとしおの表情で、自分の後ろに無言で浮かんでいたピッコロに、涙目で笑いかける。
ピッコロは静かに界王星に下りたち──無言でクリリンの襟首を掴んで悟飯から引っぺがすと、
「──悟飯、……久しぶりだな。」
ふ、と口元に笑みを乗せて、ただそれだけを呟いた。
そんなピッコロの表情と口調に、自分が彼らにどれだけ心配をかけていたのか悟った気がして……クシャリ、と、悟飯は顔を歪めて笑った。
「おい、ピッコロ! ネコみたいに扱うなよ!」
ジタバタと揺れるクリリンに、ピッコロは片目を眇めると、ぽい、と彼の体を後ろ手に投げる。
クリリンは投げられながら文句を叫びつつ──クルリと身軽な動作で地面に降り立った。
「ったく、ピッコロのヤツ、乱暴なんだからよ……。」
「まぁ、そういうなクリリン。──良かったじゃないか、悟飯が正気に返ってくれて。」
ブツブツ文句を言いながら、服にかかった汚れをはたき落とすような仕草をするクリリンの横に、すとん、とヤムチャが降り立つ。
人好きのする笑顔をクシャリと歪めて笑って、ヤムチャはまぶしいものを見るかのように悟飯を見つめる。
優しく双眸を細めるその表情にも、自分を見つめるピッコロやクリリンと同じような色が浮かんでいた。
いたわりと──抜けない棘の色だ。
彼らは、ずっと苦しんでいた悟飯を見て……そこまで悟飯を追い詰めてしまった要因が自分たちにもあるのだと、そう、ずっと責めて続けていたのかもしれない。
──俺が、弱かったばかりに。
「まったくだな。何があったのかは知らないが、何にせよ、良かったじゃないか。」
天津飯もクリリンの横に降り立ち、続くように餃子が彼の肩の辺りにチョコンと座る。
その光景を見るのも、酷く久しぶりな気がして、悟飯は切なげにソと瞳を細める。
「すみません、皆さん。──いろいろと心配をおかけしてしまって。」
頭を下げて、開口一番謝罪を口にする悟飯に、全員は目を丸くして、おいおい、と苦笑を滲ませる。
「何言ってるんだ、悟飯。いろいろ迷惑かけちゃったのは、こっちだろ。」
コリコリと頭を掻きながらクリリンが肩を竦めながら告げれば、ピッコロが柔らかな表情でコクリと頷く。
「そうだぞ、悟飯。……お前は良くやったんだ。
ふがいないのは俺たちの方であって、お前は──本当に良くやったぞ。」
何を謝る必要がある、と告げるその言葉が、先ほどトランクスに向かっていった自分の言葉に良く似ていて──こういうところでも、師弟は似るのかな、と思って、悟飯は苦笑を滲ませる。
「そうだぜ、悟飯! そりゃ──地球のことを思ったら、苦しいかもしれないけど、さ。」
とにかく俺たちは、こうして見守るしか出来ないんだ、と──不意に声のトーンを落として、ヤムチャが暗く呟いた途端。
「──……っ。」
びくん、と──トランクスが激しく肩を跳ねさせた。
「ヤムチャさんっ。」
すかさずクリリンが、悟飯を思いやって、肘で彼の脇をつつく。
ん? と顔を向けるヤムチャに、クリリンは自分の口元に手をかざして、ひそひそとヤムチャに囁く。
「駄目っすよ、そんなこと言ったらっ! また悟飯が、暗くなっちゃったらどうするんですかっ。
どうやって戻ったかもわからないのに、ここでそうなっちゃったら、界王星は粉々ですよっ?」
「──……え、あ、そ、そうかっ。
悪い、悟飯っ! 気にするなっ! うん、何も気にしなくていいぞっ! ははははははっ!!!」
途端に、手の平を返したかのように、そらっとぼけた笑顔で笑い飛ばすヤムチャに、天津飯と餃子が揃って溜息を零し──そうして、ピッコロもあからさまな溜息を零す。
「あ、あははは……。」
つられるように笑い声をあげた悟飯は、それから少し目を細めて……彼らもまた、地球がトランクスによって救われたのを知らないのか、と悟る。
未だに地球が人造人間の手で苦しめられているのだと思っているのだ。
悟飯が人造人間に殺されたと知ってしまってからは、余計に──彼らの中で、今の地球の状況を話すことは、タブーになっているのかもしれない。
そんな彼らの杞憂を晴らしてやらなくては、と、悟飯はチラリと自分の背後を振り返る。
「トランクス、おいで。」
名を呼べば、うなだれ、俯いていたトランクスが、ふ、と顔をあげた。
その顔が、白く頼りなげに見えて、あれ、と思った。
けれど、その疑問を口にするよりも早く、
「えっ!? トランクスっ!?」
クリリンが驚いたように叫んだ。
「トランクス……って、もしかして──ブルマの子供の、トランクスかっ!?」
「あの赤ん坊が……、その子かっ?」
ヤムチャがすぐにトランクスの正体に気づいて、トランクスを指差す。
そういわれれば、すぐに全員の頭に、ブルマの腕に抱かれていた赤ん坊の顔が映し出された。
綺麗な面差しをしていた赤ん坊は、目つきが妙に悪くて、全員で柔らかな頬を突付きながら、「大きくなってベジータに似ませんように」と、こっそりと祈った覚えがあった。
──あの時は、まだ。
悟空がなくなってしばらくした頃だったから、皆、ようやく笑顔を浮かべられるようになっていて。
小さな祝福のイベントに、誰もが穏やかに笑っていられた。
──そう、最後の幸せの思い出の象徴だった。
その、小さかった赤ん坊が、今、目の前で成長した姿で立っている。
感慨深いような、あれからそれだけの月日が経過したのかと、どこか苦く思うような──と、しみじみと四人が浸る只中で。
「──悟飯、…………トランクスは……。」
ピッコロが、苦く──酷く苦い表情で、トランクスの頭の上に浮かぶワッカを一瞥する。
トランクスはその視線に、いたたまれないように自分の二の腕を握り締める。
「そのいきさつは、まだ聞いてはいないんです。」
ピッコロの言いたい意味を悟って、悟飯はフルリとかぶりを振る。
けれど、と、悟飯は苦い色を滲ませた笑みを浮かべながら、トランクスの肩を支えるようにしながら、
「──けど、人造人間は、このトランクスが倒してくれました。
……な、そうだろ、トランクス?」
悄然とした様子のトランクスの顔を覗き込んで、ことさら優しく問いかける。
人造人間は確かに倒した。
けれど、こうして死んでしまったトランクスが居る以上──何かが起きているのは確かなのだ。
そのことが分かっていたからこそ、トランクスからムリに聞き出すようなことはしたくなかった。
その事実はきっと──この子の心に、酷く辛い傷として残っているに違いないから。
「人造人間を倒したってぇっ!?」
「ひゃっほーっ! やったじゃんっ! やったじゃんかっ! トランクスーっ!!」
「な──なんと、あの人造人間を……っ。」
驚きのあまり飛びあがるヤムチャに、喜びを全身で表現して、その場で地団太を踏むクリリン。
あまりのことに絶句する天津飯に、餃子。
そして──そんな彼らを一瞥した後、ピッコロは無言でトランクスに視線を当てると、
「……なら、トランクス?
なぜお前は、今、こうしてここにいる?」
厳かな声で、そう問いかけた。
──刹那。
びくん、と、トランクスの肩が跳ねた。
苦痛に──まるで自分を責めているかのような表情で、トランクスはグと唇を噛み締める。
悟飯は慌ててトランクスの肩を抱き寄せると、
「ピッコロさんっ! トランクスはピッコロさんやお父さんと違ってナイーブなんですから(多分)、あんまり追い詰めないで下さいよっ。」
もうっ、と、目つきを険しくさせて怒鳴りつける。
ピッコロは、久しぶりに会えた愛弟子からそんな鋭い視線を貰って、思わずたじろぐように顎を軽くあげた。
「──……っ、ふん、だが、聞かぬことにはどうにもならないだろうが……。
それに……心で留めておくよりは、吐き出したほうが、ずっと楽になる……そういうこともあるだろう。」
腕を組んで、ふ、と横を向いて口早に告げられた内容に、悟飯はパッと笑顔を見せる。
「ピッコロさん……っ。」
やっぱり、ピッコロさんは、優しい人なんだ──不器用だけど!
悟飯は、滅多に表に出さないピッコロの優しさに、ニコリ、と微笑むと──トランクスの辛そうに寄せられた顔を覗き込みながら、ぽん、と彼の背中を優しく叩く。
「──トランクス。」
「……はい、分かっています、悟飯さん。」
ごくん、と、喉を上下させて、トランクスは搾り出すように小さく零す。
自分が、地球を守れたこと──守れなかったこと。
もう、地球には戦士が一人もいないこと。
彼らの心に、その言葉は絶望のように広がるかもしれないけれど──それでも。
話さないわけには行かない。
それに、自分ひとりではどうにもならない問題でも、界王さまに話しさえすれば、何かが変わるかもしれない。
チラリ、と背後にいるだろう悟空と界王さまを振り返る。
二人は、今も変わらず、うーん、と呻いていた。
「んー……。」
「ごーくーうーっ!!!」
じれったい、と、ジタバタして地団太を踏む界王さまに、悟空は首を傾げて、傾げて──組んでいた腕をパッと開くと、
「──わりぃ、界王さま。オラ、そういわれても、すぐに思い浮かばねぇや。」
はは、と──すまなそうに笑って頭を掻く悟空に、ずこーっ、と界王はすっ転んだ。
「なな、なんじゃとーっ! おぬし、わしと何年も一緒に居るくせに、わしのいいところがわからんじゃとっ!?」
「いやー、わりぃ、わりぃ、界王さま。
次までには考えとくからさっ!」
うぬぬぬ、と、前かがみになって拳を握り締める界王に、悟空は爽やかに笑うと、背中をポンポンと軽く叩く。
その明るい笑顔と口調に、界王は苦々しい気持ちでブルリと頭を振った。
「最初から悟空に聞いたのが間違いじゃったのだ……くっ。」
長年の付き合いのくせに、今更その事実に気づいたのだろうか、と、悟飯たちは生ぬるい笑みでそう思った。
「ええいっ、こうなったら仕方ないわいっ! こらっ、クリリン、ヤムチャ! 悟飯とトランクスに、わしのことをうまく紹介してみせよっ!!」
界王は気を取り直すと、びしぃっ、と指先で、悟飯たちの方を示す。
突然話を振られた格好になったクリリンは、ギョッとしたように目を見張る。
「ええっ!? なんですか、突然っ!?」
「というか、界王さま、俺たちは今から、ものすごく大切な話を聞こうとしてるところなんですけど……。」
参ったな、と頭を掻くクリリンの横で、ヤムチャは両手を広げて説明しようとする。
界王さまはそれに、ヒョイ、と触覚を一本跳ね上げると、
「なんじゃい、おまえらはもう、自己紹介を済ませおったのか。」
今の今まで、どうでもいいことで悟空と争っていたことがウソのような態度で、こちらの様子を聞いてくる。
「いや、自己紹介はまだですが──……まぁ、なんとなくそんな感じで。」
なんだか、深刻そうなんで、と、クリリンが苦い表情で、チラリ、とトランクスを見やる。
界王もその視線を追ってトランクスを見た後──なるほどの、と、頷いた。
「トランクスよ。」
「はい、界王さま。」
後ろに手を組んだまま、界王は新たに界王星にやってきた若い客人を見上げる。
ベジータという人間は知っている。ブルマという娘も知っている。
あの二人の間に生まれたとは思えないほどの生真面目で誠実な──そして、自分が責を負わされたことを成し遂げられなかったことについて、自分を責め続けるところを持つ青年が、今、何を思い悩んでいるのか。
そのことも、界王は知っていた。
「おぬしのことは、わしもココからではあるが、ときどき見てはおったよ。」
そう告げれば、自分の後ろに居る悟空を初め、弟子たちが一斉に、「ええっ!」と叫んだが、界王はそれを一切気にしなかった。
悟飯が正気を失っていることでも、彼らが自分を責めているのは知っていたからこそ、さらに地上で起きている凄惨な出来事を伝えることはないだろうと思い、界王は地上の様子を見た後も、彼らには何も告げずにはいなかったのだ。
死者は地上に関わってはいけない──そう思ったからだ。
けれど、界王は影ながらに、地球のことを気にかけてはいた。
自分のお気に入りの弟子である悟空の出身地であり、今では大勢できてしまった弟子のすべてが、地球人なのだ。
その地球を、ちょっと他の星よりもひいきにしてしまったとしても、それは仕方がないではないか。
しかもそこは、今、酷く不遇な立場にあるのだ。
直接手を貸すことは出来ないものの、影ながらに応援することは出来る。
例えば、トランクスが人造人間に襲われて危なくなってるときなどに、ちょっと禁じ手を使って、彼が見つかりにくいようにしたりと──そうしてナイショの手を貸してきたりもしたのだ。
そうしながら、トランクスがいつか人造人間を倒してくれるだろうことを願っていた。
「界王さま……。」
「じゃから、おぬしが人造人間を倒してくれたことも、知っておる。」
──ある日覗いた地球に、人造人間が居なくなっている事実を知って、界王は大いに喜んだ。
トランクスが人造人間を倒す現場に立ち会えなかったのはちょっと残念だったが──どうやらその日は、ちょうど悟空とピッコロが組み手に熱中しすぎて、うっかり界王星を壊しかけてしまい、大騒動になった日だったのだ。おかげで、数日の間は星の修繕や家の修繕に忙しく、地球の様子を探るということが出来なかったのだ。
どういう手を使って倒したのかは、ある程度は分かっていたが──こうして無事に人造人間を倒せたのなら、この事実を悟空たちに伝えてやろうと、そう……思った、その時だったのだ。
「……おぬしが、その後──人造生命体に殺されたことも、な。」
「──……っ。」
ひゅ、と、トランクスの喉がなった。
泣きそうな顔で──悔しそうな顔で、トランクスは拳を握り締める。
「トランクス──……っ。」
声をかける悟飯が、界王に非難の目を向けてくる。
それに界王は苦い顔で視線を落とし──あの時の、10日ほど前の衝撃を思い出した。
地球を探り、人造人間が居ないことを確認して……おお、トランクスがついにやったか、と喜び。
ならば、トランクスは無事なのかと、そう気配を探った──まさにその瞬間だったのだ。
タイムマシンで、過去に行こうとした彼が、殺されてしまったのは。
「人造生命体? ──なんだそれ、界王さま?」
悟空が鋭い目で問いかけてくる。
その名前が不穏なものを持つことに──そしておそらくは、酷く強いものであることに、本能的に気づいたのだろう。
界王はそれに頷くと、トランクスが死んでから調べた情報について、手短に説明してやる。
「うむ。──Dr.ゲロのコンピューターが作った生命体で、名をセルと言う。人を吸い込み、その命を自らの動力源とする──最悪の生命兵器じゃ。」
「生命兵器……ゲロは、そんなものまで作っていたのか──……っ。」
ガンッ、と、トランクスは自分の手の平に向けて拳を振るう。
人造人間を倒せばすべて終わりだと思っていた自分が、甘かったのか。
もう少し、あの時、気をつけていれば──そうしたら。
死ぬこともなく、せめて逃げ延びることが出来たのだろうか?
思えば思うほどに悔しくて、トランクスは微かに震え上がった。
「セル……。」
低く悟空が名を呟く。
その両目には、サイヤ人の血が騒ぐのか、好戦的な色が滲み出ていた。
「けど、界王さま。その──セルというのですか? それが、人を襲うとは、決まったわけじゃないんですよね?」
「わからん。──じゃが、すでにそやつは、目覚めると同時に、一つの町を滅ぼしておる。……すべて住民を、自らの糧にして、の。」
「──……っ。」
ぁあ、と、トランクスの喉から、絶望にも近い吐息が零れた。
ガクリ、と膝をつき、彼はそのまま地面に両手をつく。
「……地球は……、地球は──……っ。
…………俺が──……っ、俺が、死んだり、したから……っ。」
うなだれ、喉を引きつらせて──トランクスは、嘆きの言葉を吐く。
その言葉は、今まで誰もが吐いてきた同じ言葉よりも、ずっと重く、ずっと切なく。
たった一人であの世界に残された戦士の、慟哭以外の何物でもなかった。
「……トランクス……。」
「──くそっ…………くっそーっ!!!!!」
そ、と隣に跪く悟飯の声も聞こえぬ状態で、トランクスはガンッと地面を打ち付ける。
その拍子に、地面がガタンッと揺れて、おわっ、とクリリンが小さく悲鳴をあげた。
バチッ、と、トランクスの周囲の空気が火花を散らせ──彼が怒りのままに、スーパーサイヤ人になろうとしていた、その時であった。
「いや──まだ、あきらめるのは早いぞ、トランクス。」
界王が、たっぷりと威厳を持って、そういいきったのは。
「へ? まだ……って、界王さま?」
この状況下で、まだ何かできることがあったか? と、いぶかしむような顔になる弟子たちを置いて、界王はトランクスの元に近づくと、彼の背中に手をかける。
「まだ、絶望を感じるのは早い。
まだ、希望の光は費えてはおらぬ。」
「た、確かに……過去の悟空さんたちが、セルを倒してくれるかもしれません……でもっ。」
涙でにじんだ顔をあげて、整った顔を歪めて告げるトランクスに、そうではない、と界王は頭を振った。
そして、──この10日の間に、界王がトランクスを倒した相手が誰なのか断定できた理由を、口にした。
「希望を抱いて動いているのは──おまえの母親じゃよ、トランクス。」
ただ一人の戦士を失ったあの星で。
たった一人──それでもあきらめずに前を向き、進む人。
「かあ、さん、が?」
「ブルマは──お前を生き返らせようとしておるのじゃ。」
そう──たった一度の奇跡を信じて。
お前の母親は、決してあきらめてなどいないのだぞ、と。
そう告げる界王に、トランクスも──そして悟飯たちも、ただ、呆然と彼の顔を見上げる以外に、何もできなかった。
未来のブルマさんは常に前向きだといいなvv