まるで、長い長い悪夢を見ていたようだった。
しっかりと抱きしめた体は、まだ成長途中の少年のものには変わりがなかったが、あの当時と──そう、悟飯が死ぬ前の時と、比べ物にならないほど、立派になっていた。
細さばかりが気になっていたあの少年時代を思えば、
「……大きくなったな、トランクス。」
しみじみと──心の奥底からシミジミとした声が零れた。
昔のように自分にしっかりと抱きつくトランクスの体は、もうどこから見ても幼い子供の物ではない。
大きくなった──本当に、大きくなった。
あの時は、まだ自分の胸元に届くか届かないかの背丈しかなかったのに──今ではもう、自分の目線の位置に頭があるのだ。
傍にいてそれを見てやれなかったことへの後悔と、あの小さかった男の子がコレほどまでに大きく──そして立派になったことへの喜び。
ここにいたるまでの間、この子はどれほどの苦労をしたことだろうか。
硬い筋肉の感触と、手の平にしっかりと伝わってくる温かさに、悟飯は泣きそうな気持ちになった。
ぽんぽん、と彼の背中を軽く二度ほど叩いて、悟飯は両手でトランクスの肩を掴む。
そのまま、トランクスと正面から顔をあわせようと、少し体を離そうとするのだが、しかし──トランクスは、ぐ、と腕に力を込めて、悟飯から離れようとはしなかった。
「トランクス?」
「──……。」
どうしたんだ、と問いかける悟飯に、フルリとトランクスはかぶりを振る。
「トランクス──顔を見せてくれないか。」
しっかりとしがみついて離れないその姿が、幼い頃のトランクスのようで──帰ると告げた悟飯に、「まだ帰っちゃ駄目っ!」としがみついて離さなかった、あの時を思い出させる。
思わず悟飯は懐かしさのあまり、ふ、と口元に笑みを零して、悟飯は彼の柔らかな髪に手の平をうずめた。
指先で梳くように撫でてやれば、トランクスは顔を俯け──額を悟飯の肩口に押し当てる。
「トランクス。」
促がすように名を呼べば、トランクスは再びかぶりを振った。
悟飯の腕を握る手に、ぐ、と力がこもる。
頭を撫でていた手を止めれば、彼の肩がかすかに震えているのが分かった。
「トランクス、──言ってくれないと分からないよ。」
けれど、やはりトランクスは答えてはくれなかった。
ただ、必死に何かを堪えるように自分にしがみつき続ける。
そんな彼に──彼の仕草に、悟飯は、ふ、と息を漏らす。
ぴくり、と跳ねたトランクスの頭を、再びゆっくりと撫でてやりながら、1度は離しかけた体を、再び抱きとめてやった。
宥めるように──幼いこの子が泣き喚いたときに、疲れて泣きやむまでそうしてやったように、ゆっくりと、ゆっくりと背中を撫でてやる。
無言でそう続ければ、トランクスのかすかに強張った肩から、すとんと力が抜けるのを感じた。
震える肩はそのままで──泣くのを堪えているのか、それとも、辛いことを無理矢理飲み込もうとしているのか。
悟飯は、トランクスの髪から視線をあげて、自分たちが居る世界をヒタリと見据えた。
腕の中のぬくもりは温かく、とても優しい。
まるで昔に戻ったように感じるけれど、ここは──あの頃とは違う。
紫色の空と、どこまでも果てしなく続く黄色い雲。
かすかに脳裏にちらつく記憶の中にあるココは、そう……死後の世界というヤツなのだろう。
目を閉じれば、自分が死んだ瞬間のことをアリアリと思い出せた。
絶望と恐怖、悲しみと苦しみ、憎悪と後悔。──残していく人への懺悔。
託された希望にこたえることの出来ない自分への、絶望、憎しみ、例えようもないくらいの……嘆き。
ごめんなさい、と、最期の瞬間に、そう呟いたことだけを覚えている。
それが、誰に向かってなのかは、呟いた自分自身ですら覚えてはいなかった。
走馬灯のように蘇った光景の中に、心臓病で床についてしまった父との約束や──母を守れ、地球を頼む、という言葉は、結局守れなかったけれど。
幼い自分を庇って散っていた者たちが、「お前だけは生きろっ」と言った言葉すらも、守れなかった。
そして──必ず戻れと、そう告げたブルマさんの言葉も。
一緒に戦うと……いつか一緒に平和を取り戻しましょうと、そう言った愛弟子との約束すらも。
結局、俺は、誰の約束も守れなかったのだと──絶望が、一瞬で憎しみに変わった、あの刹那。
命にかえても、俺は──あの人殺し人形を、壊さなくてはいけなかったのに!!!!!!!
死の瞬間、己の心を覆い尽くしたあの後悔と絶望の根源にある気持ちを思い出した途端、悟飯は、ぐ、と胸が苦しく呻くのを感じた。
その暗い気持ちに、再び取り付かれかけた──その刹那。
「ご、めん……なさい……。」
小さな──小さな呟きが、腕の中から聞こえた。
は、と我に返り、悟飯は自分の腕の中の青年を見下ろす。
悟飯の腕をしっかりと握り締めて──ますます力を込めるトランクスに、「……つっ。」と、悟飯は顔を顰める。
腕に食い込むほどの痛みに、肩が跳ね上がったが、トランクスはそれに気づかない様子だった。
悟飯は痛みを必死で堪えながら、トランクスの背中を支える手が震えないように息を詰める。
「ごめんなさい……悟飯さん──……っ。」
呻くように再び呟かれた言葉は、かすかに震え──潤んでいた。
「トランクス……?
何を謝ることがあるんだ? 謝るのはむしろ、俺のほうだろう?」
君を騙すようにして君を置いていった。
何もかもを、残された君に託してしまった──そう思いかけたところで、はた、と悟飯は気づいた。
そう言えば、自分の腕の中に居るトランクスは、青年だ。
あれから──自分が死んでからどれくらいの月日が経過しているかはわからないが、目の前のトランクスは、20歳前と言ったところだろう。
死んだ後に、どういう姿をとるのかは、悟飯も分からなかったけれど、もし死んだときの見た目のままなのだとしたら──この子は。
「……トランクス。」
胸に暗いものがよぎって、悟飯は眉を寄せた。
「もしかして──人造人間に……?」
だから君は──謝るの?
そう問いかければ、胸の中にジクリと痛む傷が出来た。
たった一人、残してしまった少年。
ベジータ譲りの天才的な格闘センスと、後のないことが分かっているが故の集中力で、彼はどんどん悟飯から知識と技を吸収していった。
あと数ヶ月もすれば、彼は容易く自分を追い抜くだろうと──そう思っていた。
数年も経過すれば、トランクスならきっと、人造人間にも勝てると、半ば確信のようなものを抱いていた。
なのに──やはり、そんなトランクスでも、駄目だったのだろうか。
いや、そうだったに違いない。だから彼は、こうしてココに居るのだから。
切なげに目を細めて、悟飯はトランクスの上に浮かんだワッカを見つめる。
ならば、あの世界にはもう、戦士は誰一人として残っていないことになる。
トランクスは、その事実を──どんな気持ちで受け止めているのだろう。
腕が折れるかと思うほど強く握り締めるトランクスの気持ちに気づいて、悟飯は彼を宥めるつもりで、ことさら優しく彼の髪を梳いた。
「トランクス──一人にさせて、すまない。」
君はがんばったよ、そう言ってあげたかった。
けれど、トランクスが求めているのはそんな言葉ではない。
あの時の自分が、そうだったから──分かるのだ。
責めて欲しいと思った。何も出来なかった無力な自分を責めて、責めて──そうして、赦して欲しいと、けれど、赦してほしくないと。
どうしたらいいのか分からなくて、悟飯はトランクスを強く抱きしめることしかできなかった。
瞳を伏せたところで──あれ? と、悟飯は自分の脳みそに引っかかった言葉に気づく。
最期の瞬間の後、今に至るまで、悟飯の中の記憶は、途切れ途切れにしか存在しない。
ずっと最期の人造人間との戦いの只中に居続けているという記憶がほとんどなのだ。
倒しても倒しても人造人間は立ち上がり、それに立ち向かっていく……悟飯の記憶の中には、そればかりが埋め尽くされている。
けれど、その中に時々、途切れ途切れに違うシーンが思い浮かぶのだ。
例えば、頭にワッカをはめた父が、「悟飯っ! 正気に戻れっ」と叫んでいるシーンとか。
同じく頭にワッカを持ったピッコロが、「しっかりしろ、悟飯!」と叫んでいるところとか。
──思うに、あれもすべて、現実にあったことなのだろうと思うが、それはひとまず今はおいておいて。
目を閉じれば、脳裏に閃く映像。
金色の髪をした──父のスーパーサイヤ人姿に良く似た青年が、叫ぶ姿。
もしかしたらアレは、スーパーサイヤ人に覚醒したトランクスではないのか?
その彼は──なんと叫んでいた?
「……いや、トランクス。──人造人間は、倒した……お前が、倒したんだね?」
半ば確信を持って問いかけた。
そうだ、人造人間は倒したと、そうトランクスは言っていた。
髪を撫でる手を止めて、トランクスの顔を覗き込もうとすれば、トランクスは更に強く腕を握り締めてくる。
く──……っ、と、呻くような声をあげて、悟飯はすっかりたくましくなった弟子を見下ろした。
「──……はい。」
小さく……小さく、トランクスは答える。
その声に、なんだ、と、悟飯はホッとした。
人造人間は倒したのか。なら、トランクスがココまで落ち込み、ごめんなさいと謝る理由はないではないか。
確かに、この若さで死んでしまったことに関しては、謝る理由もあるのだろうが──けれど、それはブルマに謝るべきであり、自分に謝ることではない。
それこそ悟飯は、トランクスを褒めてしかるべきであり、責めることなど、何もないのだ。
──たとえそれが、相打ちだったのだと、しても。
「なら──何を謝ることがあるんだ、トランクス。
お前は良くやった……本当に、本当に、良くやったじゃないか。」
師匠冥利につきると──心からそう思いながら、悟飯はトランクスの体を軽く揺さぶった。
そうだ、本当にお前は良くやった。
改めてトランクスの体を抱きしめ直し、彼の体を強く抱きしめる。
ぐえ、と小さな声がサバオリ状態になったトランクスの声から零れたが、悟飯は気にせず、彼の健闘を称えた。
「何も恥じることもなければ、謝ることはないんだ。
そりゃ──残すことになったブルマさんには、申し訳ないとは思うけど……君は、世界を救ったんだぞ?」
ほら、顔をあげて、と。
悟飯はいつまでも顔をあげようとしないトランクスを再度促がして、その頬に指先を押し当てた。
「違う……違うんです……悟飯さん。」
トランクスは、その指先から逃れるように、ふい、と顔を横に向ける。
その眦から、つぅ、と雫が零れ落ちる。
それをトランクスは自分の指先で拭い取りながら、ぐ、と唇を噛み締めた。
「トランクス?」
「……確かに、俺は……人造人間を倒しました。
けど──。」
けど、と、続けたトランクスは──それでも、その先のことを告げるのが怖くて……情けなくて。
再び体を覆うような怒りと憤りに、思わずパチパチと全身から空気を弾けさせるような音を立てた。
今にもスーパーサイヤ人になりそうな勢いのトランクスから、思いきり腕を握りられて、さしもの悟飯も耐え切れずにトランクスの背中をドンドンと叩いた。
「あたっ、いたたっ、ちょ、トランクスっ。さすがにその勢いはキツイっ。」
「……えっ、あ、す、すみません、悟飯さんっ。」
ハッ、と我にかえったトランクスは、慌てて両手を放す。
「俺……なんてことを──。」
くしゃり、と眉を寄せて、がっくりとうなだれるトランクスに、悟飯は参ったな、と腕をさすりながらつむじを見下ろす。
「トランクス──何があったのか、話してくれないか?」
そう言いながら──再び彼の顔をあげさせようと、手を差し伸べかけたところで……。
ん、と、悟飯は再度違和感に気づいた。
「…………?」
無言で悟飯は自分の手を見下ろす。
パチパチと目を瞬いて、右手を動かし、左手を動かして──、
「ああっ!!! りょ、両腕があるっ!!!!!」
物凄く今更なことに、気づいた。
あぁぁっ! と、悟飯は自分の姿を右に左にと見回し、グルグルと両腕を回してみる。
「えっ! 悟飯さんの──、あ、そ、そういえば。」
目を丸くして、トランクスもその事実に今更ながらに気づく。
そして、彼の左腕が本当にあるのを確認して──慌ててその手で触れてみる。
確かにある。
「うわー……死んだら無くなった部分も、元に戻るんだなぁ。」
こりゃいいや、と、悟飯はグルグルと腕を回した。
とは言うものの、悟飯の顔についている傷跡はそのままだから──もしかしたら、これは閻魔大王のサービス精神というヤツなのかもしれなかった。
「悟飯さん……、良かったですね。」
懐かしむように、悟飯の左手を撫でるトランクスに、彼は目元を緩ませて微笑む。
そんなトランクスに──ようやく顔をあげた彼が浮かべた微笑に、悟飯は小さく目を見張り……、それから、嬉しそうに、本当に嬉しそうに目を細めた。
トランクスの目元は赤らんでいたし、瞼は少しはれていたが──泣きはらした顔以外の何物でもなかったけれど、それでもようやく微笑んでくれたのだ。
「トランクス。」
痛々しく見える腫れた目元を、指先でグイと拭い取って、彼の目を覗き込む。
そして、優しく微笑んでいた表情を一転させて──真摯な目になると、
「それで、トランクス──一体、何があったんだ?」
「──……っ。」
ハッ、と目を大きく見開いたトランクスが、責められていると感じないように、優しく……言葉の調子に気をつけながら、静かに問いかける。
「人造人間を倒したというのなら、どうしてお前はココにいる?
何を──ごめんと謝ることがあるんだ?」
悲しみを双眸に宿す悟飯の言葉に、トランクスは辛そうに目を細める。
「……ご、はんさん……、俺……俺は……。」
地球を守ることができなかった……それどころか、過去の世界をも危険にさらしてしまったかもしれないのだ。
その事実を口にするには、まだ勇気が足りなくて──ジクリと痛む胸に、思わず手の平で胸元を握り締めた……その瞬間だった。
「おっ! 悟飯っ! やっぱ悟飯じゃねぇかっ!!」
場のムードを考えない、ことさら明るい声が上から降って来た。
聞き間違えるはずはない──悟飯に良く似た、けれど、その中に宿る色は、底抜けに明るい。
は、と顔をあげれば、そこには予想に違わぬ人が空中に浮かんでいた。
「お父さんっ!」
顔を跳ね上げて、悟飯は顔一杯に笑顔を浮かべた。
子供の頃に心臓病で亡くした父が──辺り前のようにそこに浮かび、喜色満面の笑顔を浮かべているのだ。
これが嬉しいはずがない。
「お久しぶりです、お父さん!」
「おー、久しぶり〜、って、お前、すっかり明るくなっちまってっ!」
跳ね上がった声で挨拶をすれば、悟空はゆっくりと二人の下へと降りてきた。
あっはっはっは、と底抜けに明るい声を出す悟空に、トランクスは彼が言う意味に気づき──あ、と小さく声をあげる。
「明るく?」
イマイチ理解していない悟飯は、軽く首を傾げたが、久しぶりの父の再会を前に、深く疑問を覚えることはなかったようだ。
「お前が誰かと戦ってる気配がしたんで、駆けつけてみたんだがよ──。」
訳:もし、暗いお前の攻撃に誰かが巻き込まれてたんだったら、助けねぇといけねぇかんな!
そこで悟空はチラリと、悟飯の前に立つ青年に目をやる。
トランクスは微かに緊張して、悟空を見上げた。
過去の世界では、彼に出会っている。
けれど、この時代の彼とは初対面だ。
確か悟空は、トランクスが生まれるよりも前に亡くなっていると聞いている。
だから悟空は、悟飯の前にいる自分が誰なのか、本当にわからないはずだ。
「あ、あの……、俺は、トランクスと言います。初めまして、悟空さん。」
ペコリ、と頭を下げながら──そう言えば、この世界の戦士たちとは、赤ん坊の頃に会ったっきりで、ほとんどが初対面なんだな、と言うことを思い出す。
「トランクス? トランクスな。
よろしくな、オラ、孫悟空だ! 悟飯の父親だ。」
明るい──見ているこちらまで明るくなるような笑顔で笑うと、手を差し伸ばしてくる。
トランクスはそれにつられるように笑い返すと、悟空の手を、ぐ、と握り返した。
途端、悟空は驚いたように目を見開く。
「ひゃあ! おめえ、随分強いんだなっ! 手ぇ握っただけで、おめぇの強さが、ビンビン伝わってくるぞ。」
喜色満面の笑顔で、悟空はトランクスが話した手をブンブンと振る。
その嬉しそうな顔を見て、悟飯が溜息がてら眉を寄せる。
「お父さん、トランクスと早速、試合なんていうのはやめてくださいよ。
その前に──色々と話さないといけないことがあるんですから。」
言いながら悟飯は、そ、と気遣うようにトランクスの背中に手を添える。
暖かな手の平の気配を感じて、トランクスは微かな仕草で悟飯を見上げて、苦い笑みを刻む。
そうだ──ことの次第を、悟空たちにも話さなくてはいけないのだ。
悟空は別として、他の戦士たちもまた、人造人間と戦い、敗れた者たちなのだから……真実を知り、結末を知る権利がある。
「なんだ、おまえら、もともと知り合いなのか?」
状況を見てわからないのか、と突っ込む人間は、残念ながらこの場にはいなかった。
「お父さん、ベジータさんとブルマさんの息子のトランクスだよ。」
お父さんも、皆から聞いているんじゃないのかな、と。
苦笑を交えながらそう続くはずだった悟飯の言葉は、
「へー! そっか、お前、ベジータの子供だったのか。どおりで強…………。
…………………………。
………………………………えええええーっ!!!!!!
おまえ、ベジータと……ブルマの子供なのかーっ!!!!!!????」
今にもすっ転びそうになりながら、大きくのけぞった悟空の絶叫により、掻き消えた。
「えええーっ、あの、ベジータに子供が居たのにもビックリだけどよ……よりにもよって、母親はブルマか! はー、ビックリしたなー。
いや、オラ、悟飯が明るくなったことよりも、そっちのがビックリしたぞ。」
「……あ、は……はぁ。」
それにはどうコメントしたらいいのか分からないまま──そう言えば、似たようなことを過去の悟空も言っていたなと、トランクスは思った。
「お父さん──知らなかったんですか?」
悟飯たちがナメック星に行ったときには、ピッコロもヤムチャも天津飯も餃子も、みんな界王さまのところで修行に励んでいたらしいから、てっきり今もそうしているのだと思っていた。
死後の世界で、皆は再会しているのだと──そして、自分のことを見守り、自分に期待をしてくれているに違いないと、そう思ったからこそ、ずっとがんばってこれたのだ。
そう言えば、魔族に倒された人間は、閻魔大王の所には行かずに、永遠に魂だけで苦しみ続けるのだという。
もしかして──人造人間に倒された人間もそうなるのだろうか? いや、それならば悟飯だってココにいるはずはない。
なら、悟空はピッコロたちとは会っていないのだろうか?
そんな疑問を抱いた悟飯に、
「んー……皆、おめぇの……いや、下界のことを思い出したら、後悔するだろうからって、界王様が話すのを赦してくれなかったんだよ。
オラも、おめえやチチのことは気になってたんだけどな。」
わりぃな、悟飯。
──と、そうすまなそうに頭を下げる父に、とんでもない、と悟飯は頭を振った。
その気持ちは──界王がそう言う意味は、悟飯にも分かった。
実際、何もできない自分の前で次々に人が殺されていくのを見るのは、とても苦しく辛かったのだ。
それでも自分は、修行をして力をあげれば──と、そう希望を自らに言い聞かせられた。
けれど、ピッコロたちは──本当に何もできないのだ。
そんな状況下で、人々がやられるのを見ていたら、いつか気が狂ってしまったことだろう。
「そうだったんですか。……ならお父さんは、今、地球で何が起きているのかも、知らないんですね。」
「ん? あぁ、一応、人造人間ってぇのが出てきたって言うのは聞いてっぞ。ピッコロたちもベジータも、そいつらにやられたらしいな。」
そこで1度言葉を区切って、悟空は悟飯に向き直ると、
「おめえも、最期まで良く戦ったな。──がんばったぞ、悟飯。」
ぽん、と悟空の両肩を掴んで、力強く言い切った。
その真っ直ぐな瞳を見上げて、悟飯は切なげに目を伏せる。
「でも……俺は、人造人間に勝てませんでした、父さん。」
「何を言ってる、悟飯。おめえは一生懸命がんばった。
オラには分かるぞ。おめえはいっつも小さい頃から、人一倍がんばり屋で、真面目で、手を抜くことをしなかった。」
最後の一言を言う瞬間、悟空の目に切ない色が走る。
きっと、そんな悟飯にすべてを託してしった結果が、悟飯のあの姿だと、そう思っているのかもしれない。
「けど……、できなかったら意味がないですよ。」
自嘲じみた笑みを浮かべる悟飯に、とっさにトランクスは口を挟む。
「そんなことありません! 悟飯さんは、俺に色々教えてくれました。
俺は──そんな悟飯さんに教えてもらったからこそ、最後まであきらめなかったんです。
母さんだって──悟飯さんが居たから、タイムマシンを完成させることができたんですっ。」
拳を握り締めて、強く力説するトランクスに、悟飯は驚いたように目を見開く。
「タイムマシン? ブルマさん、本当にタイムマシンを完成させたのかい!?」
「あ、は、はい。そうです。それで……。」
言いかけて、トランクスは再び言葉に詰まった。
──悟飯が居たから、がんばってこれた。
悟飯の遺志を立派に継いでみせると、そう思った。
けど──……俺は、結局、それを継ぎきることは、できなかった。
そんな後悔が、自分を責める気持ちが、トランクスの口を重くさせる。
俯いたトランクスの態度をどう思ったのか、悟空はやおら、ぽん、と手を叩くと、
「そうだな! こんなところで話しててもしょうがねぇや!
よし、今から界王さまのところに行くかっ。」
にかっ、と笑って告げる。
界王さまのところに、みーんな揃ってるぞっ! と、続ける悟空に、トランクスは、自分が何をしていたのか思い出した。
「それでしたら、俺も今、ちょうど蛇の道をたど……。」
界王の下に自分の向かっていたのだと、そう説明するつもりだったトランクスは、はっ、と気づいたように後方を振り返った。
途中で見つけた気に、思わず飛び出してきてしまったけれど──慌てて振り返った方角には、当然、そこには紫色の空と黄色い雲の風景が広がるのみ。
まさか……と、いやな予感に汗を滴らせながら、360度見回してみるが、やはり同じ風景が広がるばかりだった。
さぁぁぁ、と、トランクスの顔から血の気が引く。
「ああっ! し、しまったっ!!!」
界王さまの所へと続く一本道である道──それ以外に、界王様のところに辿り着ける道はないのだ、と蛇の頭まで送ってくれた鬼が言っていた。
これでは──思いっきり、迷子になってしまったではないか!
「どうしたんだ、トランクス?」
「俺、蛇の道から随分外れてしまってます! どうしよう……戻れるのかな……。」
不思議そうに首を傾げる悟飯に、トランクスは情けない表情で、しょんぼりと肩を落として答える。
これでは、悟空たちが待っている界王星まで辿り着くのに、どれくらいかかることか。
そんな風に、はぁぁ、と溜息を零すトランクスに、悟空はキョトンと目を瞬く。
「蛇の道? なんだ、トランクス、おめえ、あそこを走ってたのかー。」
「そうなんですけど……悟空さん、ここから蛇の道まで戻りたいんですけど、どの方角に飛んでいったらいいですか?」
問いかけながらも、トランクスは肩が重くなるのを止められなかった。
だって──もし、戻ったとしても、飛び出したときと同じ位置に戻れるとは限らないのだ。
少し前に進んでいたならいいが、今まで走っていた辺りまで戻っていたら、本当に切なくなってしまう。
「えー? こっから蛇の道なー? んー、わっかんねえや、わりぃな、トランクス!」
あっけらかんと、悟空は頭を掻きながら笑って答えてくれる。
そうか──やはり、長年あの世にいる悟空でも、この空と雲だけの世界の見分けは、つかないということか。
「わ、わかりました。それじゃ──がんばって、あの道を探します……。
あの、ですから──界王さまのところに到着するのは、もしかしたら後2ヶ月以上はかかるかもしれませんけど……。」
本当に、お待たせしてすみません、と。
恐縮そうにトランクスがそう告げれば、悟空は目を丸くして首を傾げる。
「え、なんでだ、トランクス? おめえ、どうしても蛇の道に戻らないといけねぇのか? オラの瞬間移動で、一緒に界王星まで行きゃぁいいじゃねぇか。」
そのほうが手っ取り早くて早いぞー、と、腰に手を当てて言いきる悟空に、悟飯も同意する。
「そっか、そう言えばお父さん、瞬間移動が使えるんでしたっけ。
トランクス、それじゃ駄目なのかい?」
「駄目、っていうか……、鬼の人に走っていくようにといわれたんですが──そういうズルをすると、その……界王さまは、会ってくれないんじゃ、ないんですか?」
困ったようにトランクスは二人を見やる。
その問いかけに、悟空はますます目を丸くする。
「ええっ!? なんだ、トランクス、おめぇもしかして、ずーっと蛇の道を走ってたのかっ!?」
「はい、ずっと……こう、道なりに。」
言いながら、くねくねと曲がりくねった道を指すように、指先を蛇のようにまげてみる。
「真面目だなー、おまえ、あのベジータとブルマの子とは思えねぇぞ。
飛んでったら、1日で着くのにな。」
はー、感心した。──っていうか、きっと界王星にいる皆も感心するだろう。
何せ、この面子の誰一人として、あの道を最初から最後まで真面目に走った人間は居ない。
初めて走った時は、悟空もさすがに100万キロも舞空術を使う体力がなかったので、ほとんど走り続けたものだが、二度目のときは問答無用で飛んでいった。
だってそのほうが、真っ直ぐに飛べるし、早いのだから。
「飛んでって──だって、これは、そういう試練じゃないんですか?」
「試練っ? え、そうなのかなー? 界王さまは、そんなことひとっことも言ってなかったと思うけどなぁ?」
首を傾げる悟空の仕草に、トランクスはポカンと口を開ける。
──もしかして、もしかしなくても。
蛇の道は、真面目にきちんと走らないと、道が無くなったり、永遠に目的地に辿り着けないとか、そういう仕組みになっているのかもしれないと──真剣に走り続けた自分は、間違っていたのだろうか?
舞空術で道の上を真っ直ぐに飛んで行っても、何も問題はなかったと、そういうことだろうか?
もしそうだというなら……あの、真面目に走った10日間は、何だったのだろう…………。
「ま、いっか。
とにかく、トランクスも界王さまんところに会いに来る途中だったってことだろ? とりあえず、一緒に界王星に行こうぜ。
んで、蛇の道に戻りたかったら、尻尾部分から辿ればいいさっ!」
何かが違う──そんな気がしないでもなかったけれど。
さ、行くぞ〜、と。
ひたすら明るく差し出してくれる悟空の手を振り払う気にもなれず──トランクスは、悟飯と共に、彼の手を取ることにしたのであった。
無駄に師弟がイチャイチャしているように見えるのは、私の趣味です(言い切ったよこの人!)
あ、別にできてるわけじゃないですよ? 単に、イチャイチャさせてみたかっただけですから。