傷ついた分だけ 10










 そこは、まるで人という種族そのものの町であると、そう……神はおっしゃった。
 傷を負って、新しい町に来た物、追われて来た先で、生きがいを見つけた者。
 誰かとの別れに苦しみ、新たな出会いに出会った者。自らの生き方を変えるために来て、そして結局元の道を選んだもの。
 たくさんの人が集まって、たくさんの人の思いが集って。
 遠い昔に滅びた町の面影とはまるで違う、まるで異なる町は――故郷を失った者たちの故郷となった。
 そうして大きくなった町を見て、神はこうおっしゃった。

 残酷な神様の言葉。

「運命は、人が変えるものなのだ。」

 人が変えた運命だからこそ、受け入れなくてはいけないと、そう言うの?
 あの人が選んだ運命は、あの人自身が望み、変えたことだからと、そう言うの?
 その結果、万事が上手くいったこの結果は、僕自身が変えた運命であると、そう言うの?
 キーファを失い、真実をこの手にして、知りたくもなかったことを突きつけられて、神から力を奪えと、そう言われて?
 これもそれも、僕が変えた結果であると、そう言うの?

「望みもしない風に形を変えることも、ままあること。
 だからこそ、誰もが望む運命を手に入れようと、必死になるのだ。」

 ――なら。
 ならば。
「――……運命を、変えるために――ずるいこと、しても……いいですか?」
 それは、人の運命だけはなく、「キーファが残ることによって良い方向に変えられた運命」を、根底から覆すことになるかもしれない結果だったからこそ、アルスは望む心を押し込めて、我慢してきたことだった。
 けど、けれども。
 腕に握り締めた、どうしても手から手放せなかった石版が――不思議の力など一つも篭っていない石版が、アルスの願望を押さえ切れなかった。
「あなたに勝ったら、一つだけお願いを聞いてください。
 僕はもう、それ以上は何一つとして望まない。」
 押さえた声で、彼はそう言った。
 静かな瞳でこちらを見つめる神は、何事か言いかけたが、すぐにゆっくりとかぶりを振った。
 そうして、背後の壁を振り返る。
「お前らの言ったとおりじゃの。」
 そして、好々爺のような笑みを浮かべると、す、と身体をずらす。
 軽く目を瞬いたアルスの前に現れたのは、二人の人間の影――豪奢な巻き毛の美少女と、ぼさぼさの髪をした野性的な少年。
 長い間、アルスの側に居た、かけがえのない仲間達だった。
「マリベル…………ガボ…………どうして……………………。」
 呆然と呟くアルスに、ふん、とマリベルが鼻を鳴らして腰に手を当てる。
 そして、彼を覗き込むように首をすくめて、笑った。
「あんたのことくらい、お見通しよ。
 その石版が見つかったとき、あんた、自分がどんな顔してたか知ってるの?」
 軽く片眉を上げて尋ねる彼女に、アルスは石版を抱いているほうとは違う手を、頬に当てた。
 ほんのりと火照ったような感触があるのは、つい先ほどまで神相手に決断を話すことに、緊張していたからだ。
「あの馬鹿に、会いたいって顔――してた。
 たとえ、それが今の平和を崩すことになろうとも。」
「――…………。」
 咄嗟に顔をゆがめてマリベルを見返すと、彼女は軽く肩をすくめながら、アルスの隣にたった。
 その手には、いつのまにかグリンガムの鞭が握られている。
「話、つけといたわよ。
 でも、イロイロあるらしくってね。キーファの元への旅の扉を開かせるのが精一杯らしいわ。
――それでも、いいわね?」
 ぴしん、と地面を叩いて尋ねるマリベルに、アルスは手の中の石版を抱きしめる。
 いつの時のキーファの世界か、などということは、アルスには尋ねられなかった。
 分かっていたから。
 アルスが「石版の事実」を知ってしまった以上、向かえる先は、「石版を流した以降のキーファの元」であることは。
 人は、事実を知ってしまった過去の世界に行き、その事実を変えることは出来ないのだ。
 アイラが存在している世界に居た者が、ライラとキーファが婚姻していない世界に行き、それを阻止する、なんてことは――許されないのだ。
 自分達が行った過去での出来事が、それを示している。
 現在に存在しない島で起こった出来事は、アルスたちには分かるはずもない出来事で。
 その後に行った島のほとんどは、過去、アルスたちが知った島の未来しか映し出してはいなかった。
 ――つまり、未来を知る過去の世界には、行けない…………そういう順番でしか、行けないようになっていたのだ。
「いいわねって、マリベル。」
 困惑した表情のアルスの右隣に、ガボが立つ。
 少し前かがみになった姿勢で、オリハルコンの牙をくわえている。
 その目が、ギラギラと輝いていた。つい少し前まで、当たり前のように隣にあった光景だ。
 もう二度と、ないと思っていた光景。
「ほんとはおいらもキーファに会いたいけど、一人しか行けねぇんだって。
 なら、アルスが行くべきだ。
 そうだろ? アルス。」
 アルスは未だ逡巡の浮かんだ表情をしたが、落とした視線に映し出された石版を見て、きゅ、と唇をかみ締めた。
 そうして、もともとそのつもりで持ってきていた装備を手にする。
「ほんとに――一緒に戦ってくれるの? それが、僕のわがままだって分かってるのに?」
 もしかしたら、現在も変わってしまうかもしれない。
 何も失うことなく手に入ったこの平和を、何もかも失ってしまうかもしれない。
 それほどの危険があると分かっていても、それでも。
 手を、貸してくれるの?
 そう揺れる瞳で尋ねたアルスを、マリベルは苦い笑みで答える。
「正直、あんたを殴り飛ばしてでもやめさせたいわ。
 私は、アイラを失いたくないもの。」
「――…………。」
 何も答えないアルスの答えを分かっていて、マリベルは彼に言葉をつむがせないで続ける。
「分かってるわよ。あんたが何をしたいのか、どうしたいのか。
 あんたはただ会いたいだけでしょ? 会って、ちゃんと終わらせたいんだわ。
 だったら、こうするしかないじゃない?
 あんた一人を傷つけさせて、アイラやリーサに気づかれるより、よっぽどマシだわ。」
 ひゅひゅんっ、と鞭をまとめあげて、マリベルは笑った。
 その綺麗な笑顔に――いつのまにか、輝きの増した美貌に、アルスは泣きそうな気持ちで唇をかみ締める。
 近くに居た。
 ずっと近くに居た。
 だから、彼女は知っている。
 僕とキーファのこと。僕のこと。キーファのこと。
 そして。
 自分のこと。
 彼女は、ずっと昔から、僕達よりも、ずっと大人だったから。
「むずかしいことは良くわかんねぇけど、おいら、アルスが望むなら、それをかなえてやりてぇぞ。」
 ガボが、無邪気に笑う。
 その笑顔に、アルスは小さく笑った。
 そして、大切に石版を置くと、剣を抜く。
「神よ。
 僕は運命に逆らいたいわけじゃない。
 ただ、自分の手で運命を切り開けることが出来るなら、望むように運命を切り開こうとする努力をしてもいいと、そう思うだけ。」
「それが、運命を変えるということなのだよ、アルス。」
 優しく笑う神は、次の刹那、顔つきを厳しくさせた。
 両手をゆっくりと広げ、彼は囁く。
「さぁ、来い。
 手加減はせぬぞ。
 運命を変えたいという、その力――見せてくれ。」
 その言葉を合図に、マリベルは右手に鞭を持ち、左手で詠唱を開始する。
 ガボは身を低くし、神へ向かう体勢を取った。
 そしてアルスも――今は彼に勝つことのみを頭に置き、剣を握る手に力を込めた。





 アルスの持つ「未来の真実」は、過去に居る彼らには、荷が勝ちすぎると、神は言う。
 当たり前だ。
 彼らが命をかけて守り、キーファが守り手になることを選んでまで守った「神殿」は、いつの頃からか、魔王その人の封印へと変わっていたのだから。
 いや。
 もしかしたら、はじめからあれは、神の封印ではなく、魔王の封印だったのかもしれない。
 それは、あまりにも恐――あまりにも怖くて、神にも聞けない真実だった。
 けれど、なんとなく、答えはわかっていた。
 異空間で傷を癒していた神。
 「舞う」ことによって復活した「魔王」。
 ――永遠に出したくはない、答えだったけど。
「アルスよ。」
 壁にもたれながら、自らの傷ついた身体を癒す神が、満身創痍の状態の三人を見やり、かすれた声で名を呼ぶ。
 無言で目を上げたアルスは、肩で息するのが精一杯で、答えることも出来ない。
 それを良く分かっていたのだろう。
 神は、気にする風でもなく、言葉をつむぐ。
「約束どおり、おぬしを過去の――キーファの居る場所に飛ばすことは出来る。
 だが、お前の持つ真実は、過去には重い――わかるな?」
 はぁはぁ、と息をつきながら、アルスは頷く。
 身体を癒す力もない身は、流れる血もそのままにしておくしかなく、重い痺れの残った手が、やっと自由に動くようになって初めて、 ズキズキと訴える傷口を手で押さえる。
 隣でマリベルが、動く気力を取り戻したのか、ずりずりと這いずるようにして道具袋に手を突っ込んだ。
 とは言うものの、道具袋の中身はほとんど使い果たしていたはずだ。
 そう思いながら視線をやった先で、彼女は力の盾を引きずり出していた。
「おぬしがどうしても行きたいと望むなら、引き換えに、全ての記憶を貰うぞ。」
「…………――っ!?」
「……………………んなっ…………。」
 震える手で、やっと力の盾を手にしたマリベルが、咄嗟に顔をあげた。
 そのとたん、貧血でクラリと体が揺れた。
 慌ててそんなマリベルを支えてやると、彼女はアルスの腕を支えにして、神を睨み上げる。
「記憶を貰うって、そんなことしたら、どうやってアルスはキーファに会うのよっ!?
 そもそも、過去の世界で、そんな状態で――モンスターと戦えっていうのっ!?」
 一気に叫んで、酸欠にあえぐ彼女へ、アルスは力の盾をかざしてやる。
 血の気を失って蒼白だった顔が、少しゆとりを取り戻し、彼女は盾をガボの方に放ってやった。
 精神力はまだ回復していないようだが、体力が回復した以上は、口が良く回る。
「それじゃ、行くなって言ってるようなもんじゃないのよっ!
 三人で、たった三人で――しかも、今の私達って、無職なのよ、無職っ!? その状態で勝った私達に言う台詞がそれ!? 神様も世知辛いったりゃありゃしないんじゃなくって!?」
 更に剣幕のまま言い募ろうとしたマリベルを、慌ててアルスが止めた。
 アルスの血なまぐさい手に口を覆われて、ふがふがと、彼女は彼を睨みつける。
 けれど、アルスはそれに苦笑いを見せた後――神を静かに見やった。
 それは、決意をした目であった。
「僕は、キーファに終わりを貰いたいだけなんです。
 あのとき、あの状態で、僕はキーファに、何の明確な別れも貰っていない。
 それを、僕は望んでいたし、キーファもまた、そうだったから――もうあえないとわかっていたけど、別れはいらないと、そう信じていたから。
 でも、それじゃ、ダメだったんです。
 ダメなんです。
――僕の中で、終わりに出来ていないんです。」
「アルス…………。」
 呆然と、マリベルが呟くのに、彼は一度瞼を落とし――神に、誓う。
「僕は、僕が言った言葉に対して、キーファが出す答えを知っています。
 それでも――会いたいんです。会って、言いたいことがあるんです。」
 そのためなら、記憶を失おうと構わない。
 アルスが、しっかりとした決意を見せて告げた言葉に、マリベルが絶句した。
「…………そんなの…………あんた、死ぬつもりなの?」
 自分の腕を掴むマリベルの手が震えているのを感じて、ガボが心配そうに自分を見上げているのを感じて。
 それでもアルスは、自分の出した答えを覆すことは出来なかった。
「たとえ記憶を失おうとも。
 何度真っ白の状態で出会っても。
 僕は、言い切れる。
――何度でも、キーファに恋すると。
 …………なんどでも、同じ、答えを出すと。」
「――……………………〜〜〜っ!! 馬鹿…………っ!」
 どんっ、と、力ない拳で、腕を叩かれた。
 弱弱しい笑顔で見下ろす先で、マリベルが俯いていた。
 その肩が、弱弱しく震えている。
 アルスは、彼女の肩に手を当て、そっと抱き寄せる。
 いつもなら、反抗するくせに、今日はおとなしく身を寄せてきた。
「死んだら…………承知しないんだからっ!!
 あんたは、一生あたしの小間使いなんだからねっ!!」
 決して顔をあげずに、彼女はそう宣言する。
 その声が、少し震えていて――アルスは、小さく笑った。
 もしも一生記憶を取り戻さないまま、キーファの側に居ることになったとしても。
 それが、辛い日々であったとしても。
 僕は、きっと幸せだと思う。
 ずっと好きな笑顔を前に、笑っていられるのなら。
 あの人が、愛した人を前にして、幸せに笑っている光景を、見ていられるのなら。
 何もかもを捨てても、いいと、そう思う。
「だって。
 この世界には。
 マリベルたちが、居てくれるから。」
 僕に優しい世界に、君達が居てくれるから。
「そんなの、理由になってねぇぞ、アルス?
 おいらは、アルスまで居なくなるのは…………嫌だ。」
 難しい話は分からないと、ガボが目を歪ませてアルスの服の裾を掴む。
 けれども。
 意思の強いアルスの目を見て、彼は落胆に近い表情を浮かべる。
「記憶なんてなくたっていい。アルスはアルスだから。
 だから、きっと戻ってくるよな? おいら、待ってるから。」
 答えず笑うアルスに、神が静かに、おごそかに告げる。
「アルスよ。お前の意思を全てかなえることは出来ない。
 記憶をなくしていたとしても、お前の存在は過去には重い。
 お前が解放した国々との関係も深く、永遠を過去でさすらうことは、お前に限っては許されない。」
「――…………っ。」
 さまざまな思いで、彼らは神の言葉を受け止めた。
 落胆、喜び、罪悪感――そして、その中、神は厳かに先を続けた。
「お前が思うこたえを、キーファが返したとき――お前は全ての記憶を取り戻し、私の元へ戻ってくる。
 旅の扉は、お前を迎え入れる。
 とく覚えよ。
 旅の扉が現れたら、飛び込みなさい。
 それが叶わぬなら、お前はその場で――命を落とす。」
「…………アルスっ!」
 最後まで神が告げた瞬間、マリベルは強引に顔を上げて、彼の襟首を掴んだ。
 そうして、噛み付かんばかりの顔で、アルスに向かって怒鳴る。
「いいっ!? 戻ってらっしゃいっ!!
 何があっても、戻ってくるのよっ!?
 戻ってこなかったら、迎えに行くからねっ!」
 そんな彼女の剣幕に、押されぎみになるアルスに、マリベルは、小さく続けた。
「一人でも、いいから――戻ってきて。」
 うつむいた拍子に、彼女の髪が頬に触れた。
 少し瞼がはれぼったいのは、神からの攻撃を癒しきれて居ないせいか、それとも――。
 アルスは、無言で彼女の華奢な肩を抱き寄せた。
 いつのまにか、自分よりも高かった背は低くなり、華奢になり、腕に収まるようになった。
 遠い昔を思い出せば、当たり前のように平和で平凡な日々。
 幸せな、光景。
 あれが変わってしまったのは、いつだったのだろうと、ぼんやり思いながら、アルスは彼女の言葉をかみ締めた。
――会いたいのは、僕だけじゃない。
「言いたいことが――あるんだ。」
 キーファに、どうしても、言いたいことが。
 そう続けたアルスに、マリベルは泣きそうな目を無理矢理笑みに変えて、頷いた。
「それはきっと、あたしと同じ言葉だわ。」

 
 

 
 

そうして僕は、選択した。












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