聖夜
男勇者:ユーリル
「ねぇ……クリフト? どうしてみんな、ばたばた、してるの?」
クイッ。
突然後ろに引っ張られて、思わず体がつんのめった。
服の裾をつかまれている。
そう理解したのと同時、後ろから聞こえたのは、少し舌足らずの、可愛らしい声だった。
聞き覚えのある声に、慌てて振り返ったクリフトは、そこでパッチリと目を瞬いている可愛らしい少女を認めて、いつものように小さく笑った。
「アリーナさま。」
「ねぇ、クリフト? クリフトも、いそがしいの?」
振り返ったクリフトの両手に、いつもよりもたくさんの本が抱えられているのを認めて、彼女は驚いたように目を見開く。
それからすぐに、罪悪感に眉を曇らせて、クリフトを見上げた。
二つほど年下の少女は、まだ幼くはあったが、大人ばかりに囲まれているためか、それとも環境のためか──聡明であった。
邪魔をしてしまったのだろうか?
そんな懸念を顔いっぱいに広げる幼い少女に、クリフトは少し考えてから、言葉を選んだ。
「いいえ……僕はまだ手伝いすらできませんから、僕が忙しいわけじゃないんです。
ただ、司教様や周りの人たちが忙しくしているのに、僕だけがのんびりとしているのも悪いから──こうやって手伝っているだけですよ。
そのために、アリーナさまを一人にさせてしまったのは……いけないことでしたね。」
目線を合わせて、すみません、と謝ると、彼女はすみれ色の瞳を大きく見開いた。
そして、ブンブンと頭を左右に振って、クリフトの服をつかんでいた手を離した。
「ちがうの! 悪いのは、アリーナなの……。」
シュン、と、それはそれは悲しそうに目を落としたアリーナを前にして、どうして優しく声をかけないことがあろうか?
クリフトは、自分が両手に持っていた本の束を、そ、と床の上に置くと、まだ幼い──母を喪って間もない少女の頬に、己の手を添えた。
先ほどまで聖書の掃除をしていたため、少し埃くさいしれに、スン、とアリーナは鼻を鳴らす。
「アリーナさまが悪いはずはないじゃないですか。アリーナさまは、皆様の邪魔にならないように、一生懸命我慢していたのでしょう?」
一人ぼっちの今日。
いつもは誰かが必ず傍に居てくれた。
でも、今日はお針子も、アリーナの傍についている侍女も乳母も、みんな忙しいからアリーナの傍には立ち替わり入れ替わりという状態だっただろう。
けど、ふとした拍子に一人になってしまったのだ。
去年は、そんなことはなかった。
去年は、優しい母がずっと傍に居てくれたから。
でも、今年はそうじゃない。
ポツン、と一人になって──なんだか居てもたっても居られなくなって、アリーナは部屋を飛び出してきてしまったのだ。
広い部屋の中にポツンと置かれたのが、どうしてもさびしくて、怖くて。
「ううん、少し一人で待ってて、って言われたのに、飛び出してきちゃったの……だから、悪いのは、アリーナなの。」
きっとクリフトのところに行けば、笑って出迎えてくれるのだと、そう信じて走ってきた。
なのに、今目の前に居る人は、両手に本を抱えていた。
みんな忙しくて、クリフトも忙しくて、アリーナだけ、一人ぼっち。
我慢しなくてはいけないのは、きっと自分の方なのに、我慢できなくてココまで来てしまった。
その事実に気づいた瞬間、アリーナは、今ごろ部屋で待っていてと言った侍女たちが、自分を探しているのかもしれないと言う事実に気づいた。
だから、悪いのは自分なのだ。
「ごめんなさい……。」
みんな忙しいのに、わがままを言って困らせた。
そのことだけがなぜか理解できてしまって、アリーナは唇をギュ、とかみ締めた。
目線の先で、クリフトが少し困ったように眉を寄せているのがわかった。
だから余計に、キュ、とかみ締める歯に力がこもった。
涙がこぼれそうになるのを必死でこらえる。
そうしないと、目の前のクリフトに迷惑がかかってしまうと、わかっていたから。
グ、と目を伏せて、早く部屋に帰らなきゃ、と思うのに、どうしても体が動かなくて──アリーナはますます目を落とした。
綺麗に磨かれた床の色が目に入ってきて、それがジワリとにじんで見えた瞬間、
「……それじゃ、こうしましょう、アリーナさま。」
不意にクリフトが、明るい声でアリーナの顔を覗き込んだ。
キョトン、と見開くアリーナの目に、大粒の涙がたまりかけているのを認めて、クリフトはその涙を優しく親指でぬぐってやる。
「このクリフトの、お手伝いをしてくださいますか、アリーナさま?」
「クリフトの……おてつだい?」
パチパチ、と目を瞬くアリーナに、うん、とクリフトは頷く。
「ええ、そうです。ほら、これを見てください。」
言いながら彼は、自分が先ほどまで持っていた本の束を見せる。
その一番上に、チョコンと乗せられた小さな聖書をアリーナに手渡す。
「小さいでしょう? これだけ。」
「うん、小さいね。」
「ですから、こうして持ち上げると、その本だけ落ちそうで危なかったんです。」
ほら、と、ヒョイとクリフとは本を持ち上げる。
アリーナは自分の手の中の聖書を見て、クリフトが持ち上げた本を見る。
「ですから、アリーナさまがその本を持ってくださると、僕はとても助かります。」
「────………………。」
立ち上がるクリフトを無言で見上げ、アリーナは手元の本を見下ろす。
「よろしかったら、一緒に教会まで運んでくださいませんか?」
微笑んで、クリフトはそう提案した。
教会ならば、誰かが必ず居るはずだ。
何せ明日は聖夜……教会にとってメインイベントとも言える日の前日である今日は、いろいろ教会でしなくてはいけないことが多く、夜遅くなっても人が切れることがないのは、昨年の経験上、クリフトもよくわかっていた。
あそこなら、アリーナ姫も寂しがることはないだろう。
「お礼に、お茶とクッキーをご馳走いたしますよ。」
それに、同じ教会の中でなら、自分も相手をしてやれる。
後は、燭台を磨く仕事が残っていただけだから、それくらいなら、アリーナの話し相手をしながらでも、十分にできるはずだ。
「…………うんっ!」
ぱぁっ、と花ほころぶように笑う、小さな姫君の笑顔に、小さな安堵を覚えながら──後でちゃんと、アリーナ付きの侍女に言付けをしなくてはいけないな、と、クリフトはこっそりと思うのであった。
「…………懐かしい…………夢…………だな────。」
ポツリ、と呟いて、青年はボンヤリとした目を天井に当てた。
見慣れない天井は、つい昨日の夜ついたばかりの宿のソレだ。
部屋の中はまだ薄暗く、朝が来るまでは後少しの時間があることを思わせた。
目を閉じると、まるで夢の続きのように、ユラユラと揺れる残像が目の前をちらついた。
「懐かしい…………夢だ………………。」
小さく──小さく呟いて、彼は片腕をまぶたの上に乗せた。
ジンワリとした重みがひどく心地よい。
夢の中、初めてアリーナと二人で過ごしたクリスマスイブ。
アリーナは教会の中で始終ニコニコしていたし、クリフトも彼女と楽しく話すことで、単純な作業を苦痛に感じることもなかった。
まだ、あの頃は。
「──────…………。」
ゴロン、と寝返りを打って、クリフトは隣のベッドを見やった。
そこには、当時からよく見慣れていた老人がスヤスヤと眠っているのが見えた。
その老人の豊かな白いひげをボンヤリと見ながら、クリフトは思う。
そうか──、もう、クリスマスなんだ。
今年は、どうするのだろう?
去年は、3人で旅の空の下だった。
クリフトが祈りをささげるのを、ブライとアリーナが真似をして祈るだけの、簡素なクリスマスだった。
今年も旅の空の下であることは変わりないけど、こうして町の中だ。
クリフトは教会に顔を出さなければいけない身だが、アリーナたちは違う。
それに、今年は、アリーナとブライ、二人だけが残されるわけじゃない。
仲間たちも居る。
だからきっと、アリーナは、マーニャたちと遊びに行くに違いない。マーニャが連れて行くところには少々疑問がもたれたが、それで楽しくクリスマスを過ごせるなら、それが一番いいだろう。
自分と一緒に居ても、教会でミサをして、それで終わりだろうし、気の利いたことをしてやれることもない。
それくらいなら、友人と過ごす初めてのクリスマスを、アリーナが体験するほうがずっと大切だ。
そうだ、そう、わかってはいるのだけど。
「……。」
あの頃は。
まだ。
「……………………。」
遠い夜明けから逃げるように、クリフトは頭から毛布をかぶった。
この感情の存在を何も知らなかった頃なら、きっと、純粋にそれを喜べただろうに。
朝の清冽なほどの心地よい空気の中、軽く体を動かせるのはひどく心地よい。
まだ眠りが残っている体が、凍えるほどの寒さにブルリと揺れるのを感じながら、ゆっくりと体をほぐしていくのだ。
そうすると、冷え切った手先にゆっくりと熱が染み渡り、体中から熱が発散されていくような感覚を覚える。
久しぶりにそうして一人きりで体を動かせた少年は、最後に仕上げに軽く体を左右に揺さぶり、総長の運動を終了させた。
最初はぎこちなかった体の動きもしなやかで、指先の先まで熱がうまく行き渡っているのがわかった。
これが夜ならば、きっとこのまま熱が引いてしまって風邪を引いてしまうのだろうが、今から太陽が空気を温めてくれる時間だから、それほどではないだろう。
近くの柵にかけっぱなしにしておいた、厚手のストールを手にすると、少年は体の熱が冷めないようにそれを肩から羽織った。
そのまま軽い足取りを宿屋の出入り口に向けた。
そろそろ宿の宿泊者が目を覚ます時間になるためか、宿の厨房の辺りからは煙がもれ出ていて、外からでも活気が出てきたのがわかる。
頼めば、運動後の暖かいミルクの一杯でも出てくるかな、と、朝露が濃厚に落ちる草を踏みしめて、カランカラン、と景気のいい音を立てる扉をくぐった。
瞬間、ちょうど目の前を通り過ぎようとしていた女将さんが笑顔でこちらを振り向き──それから、おや、と片眉を上げた。
「お帰りなさい。ずいぶんいい運動をしたみたいだね。」
にっこりと微笑む恰幅の良い婦人からかけられた声に、少年は微笑んだまま頷く。
「うん、気持ちよかったよ。
朝食っていつ頃になりそうかな?」
旅をし始めた頃には思いもよらなかった軽い口調で答える自分に、旅なれて来たものだと思う。
もっとも、もうずいぶんと長い間旅の生活をしていて、行き交った宿に泊まるのも一度や二度じゃないのだから、いいかげん慣れなくてはおかしいとも思うのだけど。
「そうだねぇ……小半時ほど後ってところじゃないかい?」
「そんなにかかるの!? ──悪いけど、ミルクの一杯でも先にもらえるかな? 運動した後だから、ちょっと水分欲しいし。」
一度大仰に驚いてみせてから、少しすまなそうに頼み込む。
ちょっとだけニッコリと笑うと、たいていの宿の主人は悪い気はしないらしい。
──そう教えてもらったことは、実際だいぶ役に立っていた。
少年自身はあまり自覚はないが、彼の顔はちょっと目立つほど整っている上に、どこか神秘的な面差しだ。その綺麗な色合いの髪や瞳で見つめられれば、悪い気はしない──らしい。
甘えるようにお願いされれば、思わずOKしちゃうものなのよ……とは、旅の仲間となってずいぶん経つ年上の「お姉さま」の台詞である。
「ああ、そうだねぇ……それじゃ、暖かいミルクを一杯、入れてきてあげるよ。」
案の定、彼の作戦が功をなしたのか、それとももともといい人なのか──女将さんは、くすくすと笑って少年に鷹揚に頷いて見せた。
それから、クイ、と酒場兼用のロビーになっている場所を顎で示すと、
「そこで待ってておくれ? すぐに暖めてきてもらうからね。」
そう言い置いて、今出てきたばかりの厨房へと引っ込んでいってくれた。
「ありがと!」
惜しみない笑顔を浮かべ、少年は彼女が示した先へと歩いていく。
ひょい、と酒場を覗き込むと、夜の間しか開いていないというソコは、もう閉店後の掃除も済まされた後らしく、テーブルの上に椅子が載せられているような状態であった。
かすかに鼻につくアルコールの香り以外は、その店がつい先ほどまで開店していたような様子は見えない。
「適当に椅子に座ってればいいか。」
薄暗い中、少年は入り口にほど近いテーブルに載せられた椅子の足を手にする。
そしてそのまま、ガタン、と音を立てて降ろそうとして──、ふと、カウンターに座る人影に気づいた。
もしかして、酒場の人なのだろうかと、目を眇めてそちらを見つめる。
「………………ん?」
スラリとした背の、姿勢正しい座り姿に、何か見覚えがあるような気がして──小さな明り取りの窓から届く朝日の輝きだけを便りに、彼はカウンターへと近づいた。
近づくにつれ、ハッキリとわかる白い面差しと、見慣れた神官服。
それは、どう見ても自分の旅の連れだった。
それも、このような酒場の席に居るには似つかわしくない存在だ。
「──……クリフト?」
思わず、半信半疑で名前を呼んでしまったのはそのためだ。
何せ彼は、昨夜もこの宿についた瞬間、すでに飲み食いの始まっていたこの酒場に、決して近づこうとしなかった。
酒のにおいがダメなのだと言って、早々に二階へあがっていったのだから、それは間違いない。
その彼が、閉店後だとは言うものの、まだ酒の匂いが残っているこの店にいることが、なんだかおかしくて、少年はそれ以上彼に近づくことができずに、二の足を踏んだ。
「……おはようございます、ユーリル。」
静かに──彼は振り返って微笑む。
いつもと同じような挨拶……でもどこか、今日は微笑みが寂しそうに見える。
「あぁ……おはよう。」
振り返られて挨拶されてしまっては、このまま近づかないのもおかしい。何せ自分たちは旅の仲間で、友達、なのだから。
「珍しいな、こんなところで朝の祈り?」
声をかけながら、クリフトに歩み寄る。
薄暗いことに慣れた目には、クリフトのあいまいな微笑みも、その姿もくっきりと映った。
彼がいつも朝早くに神への祈りを捧げているのは知っている。
普段は静かに宿のベッドに両肘をつけ、床に膝をついて祈るのも、同室になったことがあるから知っている。
野宿の時などは、ほかの人間の邪魔にならないように、少し離れたところで祈っているようだが──宿にいるときは、極力部屋の中で祈るように心がけていることも、知らないわけじゃない。
「えぇ……少し、一人で祈りたかったので。」
珍しいこともあるものだと、ユーリルは彼の隣に腰掛けながら思う。
こういう酒場のある宿屋は、朝方まで飲んでいる客がいることもあり──そんな彼らの前で祈ることが、時折厄介な事態を引き起こすことがあるのだということを、ユーリルは以前にブライやトルネコたちから聞いて知っていた。
だからクリフトは、己の身に課した信心と修行を無事に真っ当するために、酒場つきの宿屋などでは、部屋の中で祈りを行うのだというのだ。
同室の相手が誰であっても──仲間たちならクリフトのその所業を否定することは、決してありえない。それこそ、空いている部屋がないからと、ほかの客と同室になりにでもしない限り、だ。
だが、今日のクリフトの同室の相手はブライだ。クリフトがわざわざ朝早くから部屋を抜け出して、こんなところで祈っていることこそ、ありえないはずだった。
「──何があったのかって、聞いてもいいか?」
頬杖をつきながら、そう──おずおずと目線をあげて尋ねると、クリフトは苦い笑みを刻んで見せてくれた。
「それでは、私も一つ、聞いてもいいですか?」
「クリフトが、僕に?」
キョトン、として見返すと、ええ、と彼は余裕たっぷりに頷く。
それから、先ほど見せたさびしげな微笑とはまったく違う、茶目っ気にあふれた涼しげな微笑を浮かべると、優雅に手のひらを返して、
「そのストール──私の物のような気がするのですが、気のせいですか?」
ぴしり、と、ユーリルが肩から羽織っている厚手の布地を示してくれた。
何気なく羽織っていたソレの存在を思い出し、ユーリルはヒクリと引きつる。
「…………………………気のせいじゃ、ないです。」
「あぁ、やっぱり。その色合いといい、大きさといい、見たことがあると思ったんですよね。」
わかっているだろうに、あえてそう感心したように呟くクリフトに、くそ、とユーリルは奥歯を軽くかみ締めた。
確かに、勝手に持ち出したのは自分だ。
朝起きたら、思ったよりも寒かったので、何か羽織っていけるような適当なものはないだろうかと、道具袋を探ったということもごまかすつもりはない。
そしてその中から、クリフトが夜の祈りの時によく身に付けているストールを見つけたのも、ごまかすつもりはない。
それが全員の荷物を入れた道具袋の中にあったとは言え、勝手に借りてしまったことは真実なのだ。
「悪い、ちょうど良かったから、借りてた。」
返すよ、と、そう言い置いて、肩からそれを剥ぎ取ろうとするが、それよりも早くクリフトの手によってやんわりと止められた。
「今まで朝稽古をしていたのでしょう? なら、そのままで居たほうがいいですから──体を冷やすと大変ですよ。」
そう言うクリフトは、いつもと同じような神官服だ。
ほぉ、と零した吐息は白くにごり、空気に溶けていく。
「まぁ──なら借りとくけど……。」
再び肩から羽織りなおすユーリルに、そうしてください、とクリフトは柔らかに笑う。
その顔は、いつもと同じ青年のソレで、この酒場に入ってきたときに見かけた顔が偽者だったのではないかとそう思うくらいだ。
「別に咎めるつもりはなかったので、気にしないでくださいね?」
くすくすと、どこか笑いを含む声で言われて、わざとらしくすねた声で応対してやる。
「咎められたように聞こえた。」
「単なる事実確認です。」
軽くそう交してくれるクリフトに、ユーリルは小さく笑った。
「なぁ──それでクリフト? お前、ココで何してたんだよ?」
頬杖をついた右手に体重をかけながら、ユーリルは首をかしげるようにしてクリフトの端正な容貌を見上げる。
背筋をただし、りりしい顔つきで──けれど物腰も表情も柔らかなこの彼が、自分のことになると後手後手に回しているのを知っている。
その挙句、ギリギリまで我慢して倒れた……というのも、初対面の時ですでに事実確認済みだ。
二度とあのようなことにはさせまいと、ブライもアリーナも頑張っているようだし、もちろんそれは自分たちだって同じだ。
いつだって、自分のことよりも他人のことばかりを優先する彼だから。
「まさか、言えないような大変なこと?」
わざと、彼が言わずにはいられないように、そう誘導してやる。
マーニャが見たら、ずいぶん誘導尋問みたいな真似ができるようになったじゃない、とからかってくれるだろうけど。
多分、クリフトには見え見えの誘導尋問だったのだろう。
彼が、クシャリ、と苦笑を顔に広げて、笑って見せた。
「そう言うものではないんですけど……ただ…………。」
「ただ?」
促すように相槌を打つと──うん、とクリフトは一度頷いた。
「もうすぐ、クリスマスなんだな……って、思っていただけなんですよ。」
ぽつり、と──その言葉が唇からこぼれるのを恐れるように、ソ、と呟かれたその台詞に、ユーリルは大きく目を見開き、瞬きを繰り返した。
クリフトの返事が、自分の問いかけに対する返事なのは理解できたが、それがどうなのか──ユーリルには理解できなかった。
だから、改めて問いかけようと唇を開いたのだけど。
「はーい、お待たせ、ぼうやっ! あったかいミルクだよっ!!」
景気のいい女将さんの声が、酒場の入り口から飛び込んできた。
慌てて振り向くと同時、彼女はドタドタと忙しくミルクのカップを持ってきて、ユーリルににこやかに差し出してくれた。
慌ててそれを受け取ると、ジンワリと冷えてきた指先に心地よい暖かさが染みた。
思わず、ほぉ、と吐息がこぼれる。
「そちらの神官さんはどうだい? 良かったら、あんたも飲むかい?」
明るい声で、女将さんがクリフトにも尋ねる。
この様子だと、彼女はクリフトがココに居るのを知っていたようだった。
クリフトは、優しく気にかけてくれる女将さんにやんわりと微笑みかけると、
「いいえ……私はもう部屋に戻りますので……お気遣いありがとうございます。」
丁寧に断りを述べ、そのままの動作でカタン、と立ち上がった。
「おや、そうかい?」
残念そうに眉を寄せる女将さんに、クリフトは申し訳なさそうに頷く。
「はい。そろそろ同室の者も起きると思いますから、戻りませんと……。
ユーリルも、それを飲んだら一度部屋に戻ったほうが良いですよ。」
それから、そのままのついでのように、両手でカップを持ちながらミルクを注ぎ込んでいるユーリルにも声をかける。
飲んでいる最中だったユーリルは、それに小さく頷くことで、クリフトの台詞に答えた。
それを確かめると、
「それでは、お先に。」
小さく一礼して、クリフトは酒場から出て行ってしまった。
無言でコクコクとミルクを飲みながらユーリルはそれを見送った。
隣にたった女将さんは、カップはそのまま置いておいておくれ、と言い置いて、クリフトの後を追うように酒場から出て行った。
とたん、シン、と静まり返った酒場の中で、暖かなカップを握り締めながら、ユーリルは一つため息を零した。
「…………絶対クリフトのヤツ、なんか隠してるよな…………。」
たいていの場合、クリフトが悩んでいたり隠していたりすることといえば、アリーナ絡みだ。
クリフトの主君で幼馴染で想い人であるところの「超恋愛お鈍」なアリーナ姫は、そういう意味で言えば、クリフトの悩みのほぼ9割を占める偉大なる女性である。
ユーリルからしてみたら、気のいい異性の友人にほかならなかったが。
「でも──そのアリーナと、クリスマス、とか言うのが……どういう関わりがあるんだよ?」
結局、クリフトには詳しいことを聞けずに逃げられた、という感覚ばかりが残って、ユーリルはつまらなそうに眉を寄せた。
そして、残るミルクを一気に飲み干すと、暖かくなった胃の中を感じながら、トン、と空のカップをカウンターに置いた。
「よしっ、それじゃ、朝食になるまでに、トルネコさんにクリスマスっていうのが何なのか、聞いてみよ。」
まずは、ソコからだよな?
ある意味、純粋培養に育った少年は、グイ、と乱暴に唇についたミルクを拭い取ると、さっそく二階の自分にあてがわれた部屋へと駆けていくのであった。
いまだ惰眠をむさぼっているであろう、同室の男をたたき起こすために。
「いっただっきまーっす♪」
高らかに宣言した少女の一声を皮切りに、同じ長テーブルに陣取っていた仲間たちは、一斉に机の上に並べられたかぐわしい朝食に手を伸ばした。
真ん中に置かれた大きな籠の中には、手作りだという焼きたての丸いパンがホカホカと湯気を立てて山盛りに詰まれ、その隣にはジャムとバターが置かれている。
さらに隣には、新鮮の取れたてだろう朝露に濡れているかのような活き活きとしたサラダが盛られ、香ばしい香りで食指をそそっている卵とベーコンの炒め物の皿が続く。
それぞれの手元には、朝から煮込んだばかりだというアッサリ風味のスープが置かれていて、これもまた先ほどからずっと鼻腔をくすぐっていた。
起き立ての胃は、最初食欲を訴えてなかったが、おいしそうな香りのする食事を前にして、神官が祈る食事前の祈りの言葉などを聞いていたら、おなかが空腹を訴えてしょうがなかったのである。
「んー……おいしいですねぇ……っ。」
しみじみと、嬉しそうにニッコリ顔をほころばせるトルネコの、それはそれは幸せそうな顔に、つられるようにミネアもにっこりと笑った。
おいしそうに幸せそうに食べる人と一緒に食べていると、こちらもとても幸せな気持ちになる。
「そうですね。特にこのジャム──甘ったるくなくて、でも味がすごく濃厚で……少し分けてもらえないかしら?」
丁寧に指先でパンを二つに分けたミネアが、綺麗な色をしたジャムを塗りながら、真剣に呟く。
それを聞きとがめたユーリルは、パクパクと遠慮なく卵を口に運びつつ、
「なら、後で女将さんに言ってみたらどうかな? 結構、優しそうな気のいい人だったし。」
朝、運んできてもらったミルクはとても温かで、舌にもちょうど良かった。膜も張っていなかったから、きっとユーリルのために、わざわざ忙しい中、鍋の前で沸騰しないように膜を張らないようにと、クルクル掻き混ぜてくれていたのだろう。
「そうしてみようかしら?」
「ぜひそうしてくれると嬉しいわ。私もこんなにおいしいジャムを食べれるなら、一緒にお願いする!」
指先についたジャムをペロリと舐めて、隣からブライにはしたない、と怒られて、アリーナは小さく首をすくめた。
「そうよねー? 夏じゃ無理だけど、冬だし、馬車の中に置いて置いても、腐ったりはしないから、いいんじゃないの?」
とは言うけれど、きっとこの面子じゃ、そのジャムも三日も経たないうちになくなっちゃいそうだけどね──そう小さく笑って、マーニャは美容のためにと、たっぷりとサラダを手元の皿に取った。
シャク、と心地よく噛み付く音が心地よい。
「私は甘いものが苦手ですから──まぁ、皆さんでどうぞ食べてください。」
苦い笑みをひげの下に隠して、ライアンは手元に寄せた卵とベーコンに、皿に塩を振る。
その量の多さに、トルネコが、少し控えたほうがいいですよ、とおせっかいを焼いて……ふと視線をあげた。
いつもならこの会話に入ってくるだろう人物が、今日はこの段階に来ても一言も口を挟んでいないのだ。
普段なら、「ジャムなら日持ちしますしね」だとか、「このジャムを使ってクッキーやマフィンなどを焼いてみるのもいいですね」だとか、姫様を喜ばせるような台詞をサラリと期待感をあおって吐いてくれているはずなのに、それがない。
ちなみに言えば、この台詞で心躍るのは姫様だけではなく、マーニャやトルネコ、ユーリルもである。
はて、と、視線をあげたトルネコは、静かにパンをちぎっている青年に目をとめた。
いつもの神官帽は、さすがに食事中は脱いでいる。
その襟元からキラリと光って見えるのは、彼のもつ十字架だ。さきほど食事の時の祈りに取り出して、仕舞い忘れたままのようである。
いつも、食事中に服の上に出したままだと汚れるからと、きちんと服の中に仕舞いこんでいるのに、珍しいことだった。
「クリフトさん……?」
思わず、ソ、と呼びかけてみる。
すると、彼は皿の上に落としていた目を上げて、やんわりと微笑みかけてくれた。
別にいつもと変わりない、普通の微笑みである。
「はい、どうかしましたか、トルネコさん?」
かすかに首をかしげて問い掛けるのも、何も変わりはない。
けれど、トルネコだとて伊達に武器商人として多くの人間を見てきたわけじゃない。
彼がサラリと隠した目には見えない感情を──それが何なのかはわからなかったが、気づかないわけじゃなかった。
だから、ただ黙って微笑みながら、人差し指と親指を広げて、クイ、と自分の首から下に向けて手を引いた。首からかけているものを示すように。
クリフトは不思議そうに首を傾げたが、すぐにトルネコが意味することに気づき──己の胸元を見下ろす。
そして、そこに予想たがわずクロスが表に出たままなのに気づき、一瞬苦虫を噛み潰したような顔になった。
とんでもない失態だ──きっとそう思っているのだろう。
「すみません──トルネコさん。」
眉を落とし、苦い笑みを刻みながらクリフトはお絞りで手を拭いた後、丁寧にクロスを持ち上げソレを服の中にしまった。
その後、服の上からクロスの存在を確かめ、口の中で一言二言何か呟いたのがわかった。
神に向かって懺悔でもしているのだろうか──たかが、食事中にクロスを仕舞い忘れたくらいで?
いや、厳格なサントハイムの神官であればあるいは、これもまた懺悔の対象なのかもしれない。
「いえいえ、でも珍しいですね。一晩では疲れは取れませんでしたか?」
強行軍が多い旅では、朝になっても疲れが取れないほど疲れている、ということは良くあることだ。
そう言うときは必ず、誰かがポカをする。時にはみんなが連続で何かをしでかすこともあるのだ。
お湯を沸かそうとして水を入れ忘れたり、火をつけるつもりで火打石を叩いているつもりだったのに、間違えて渇きの石を叩いていたり──本当にしゃれにならなかったりする。
それはもちろん、普段からしっかりしているミネアやライアン、クリフトたちでも疲れには勝てなくて、たまにやることがある。
昨日はそれほど強行軍ということではなかったが、癒し手でありながら同時に戦い手でもあったクリフトには、相当負担をかけていたのではないか、と、チラリと心配の色をにじませて問い掛ける。
もしそうなら、もう一晩くらい、この宿に泊まってもいいのではないか──そんな気遣いに、クリフトはゆるくかぶりを振った。
「いいえ──疲れは取れてます。
ただ……少し、夢見が悪くて……………………。」
何と表現したらいいのか──そんな迷う目が、ふらり、とトルネコの背後に当てられた。
一瞬、目の動きが止まり……それからクリフトは、それを振り払うように目線を落とし、自分がちぎりかけていたパンを再び手にした。
「まだ、頭がぼんやりしているんですよ。」
続けた声は、しっかりとしていて、とても頭がボンヤリしていたのだとは思えない。
だが、考え事をしていたのだろうとトルネコは考えた。
そういえば、ユーリルも言っていたじゃないか──早朝にたたき起こされたときに、クリフトが酒場で朝の祈りをしていた、と。
彼も悟りを開いたような涼しげな顔をしているが、所詮まだ年若い神官だ。それも寝食を共にしている姫君に身分違いの想いを抱いている、恋する青年に他ならない。
一人で考え事をしたい時もあるだろうし、恋わずらいに心悩まされることもあるだろう。
遠い昔、自分もそうやって悩み恥らった時期があったことを思い浮かべ──同時に、エンドールで待っているだろう可愛い妻と子を思い出して、うんうん、とトルネコは一人納得した。
「いや、そうですか。あんまりにも辛かったら遠慮なく言ってくださいね。」
「ありがとうございます。」
柔らかに微笑むクリフトに、うん、と頷いて、トルネコは彼と同じように自分のパンをパックリと口の中に入れた。
少しパサパサするパンは、しっとりとしたバターとかみ合って、口の中にホロリとほどけていく。
妻の焼いたパンが一番のご馳走ではあるが、ここの宿のパンもなかなかのものだ。
そう思いながら、新しいパンを取ろうと腕を伸ばし──ふと、視界の隅に止まった緑色の物に気づいた。
自分の右の視界の端に移るそれが、どうしてかきになって……いや、見たことがあるもののような気がして、トルネコはクルリと肩越しに振り返る。
ちょうどその地点──彼は気づかなかったが、クリフトが先ほど視線を止めた部分だった。
そこには、食堂を彩るために置かれたらしい、若々しい緑の色を広げた、小さなもみの木だった。
「あぁ…………。」
色とりどりの飾りがつけられた──てっぺんには見慣れた金色の星。
それを認めたとたん、思わず唇から吐息がこぼれ出た。
そうだ。
そういえば、ユーリルにたたき起こされながら、彼も言っていたではないか。
クリスマス、という単語を。
「そうだそうだ。もうすぐクリスマスだったんでしたっけ。」
なぜそんなことを聞くのだと、そう不思議に思っていたが、コレならわかる。
もうすぐクリスマスだからと、宿の人もクリスマスツリーを出してきたのだろう。
何気に零したトルネコの言葉に、小さくクリフトが肩をこわばらせたが、綺麗に飾り付けられたツリーに目を奪われているトルネコはそれに気づくことがなかった。
そしてそれは、
「クリスマス?」
トルネコの言葉につられるようにして、彼が見ている方角を一斉に見やった仲間たちにしても、同じことだった。
「あら、ホント。クリスマスツリーじゃない! 懐かしいわねぇ……。」
「そうね……モンバーバラの劇場では、この時期になると天井にまで届く、大きなツリーを飾っていたわね。」
感嘆の吐息を零すマーニャに、ミネアもコックリと頷いて同意を示す。
二人とも懐かしげに目を細めて、キラキラ輝く丸いガラス玉をいくつも吊るされているツリーを見つめている。
「おお、もうそんな時期か。どおりで寒さも厳しくなってきたと思ったな。」
口元をナプキンで拭き取りながら、ライアンが鷹揚に頷く。
彼の故郷でも、この季節になると町が赤と緑に彩られたものだった。
特にクリスマス前夜と当日は、いつも閑散としている教会に人があふれてすばらしく、王宮の兵士たちが借り出されることもしばしばあったものだと、懐かしく口元をほころばせる。
「ええ、そうですねぇ……今年もネネは、ケーキを作ってるんだろうなぁ……。」
クリスマスの時期になると、どこの店もウキウキと浮き足立つ。
もちろん、聖者の聖誕祭を祝うという大切な行事であることはわかっていたが、教会がそれを祝う盛大な祭りを、ただの祭りで終わらせないのが商人たちの腕の見せ所であった。
かくして、いつの頃からか、クリスマスは教会にとっての重要な行事であると同時に、「特別に大切な日」を、大切な人たちと過ごしたり、盛大に祝ったりするための掻き入れ時であるとも言えるようになった。
「ふーん……みんな結構いろいろとクリスマスって言うのを、楽しんでたんだな。」
両手でカップを持ちながら、ユーリルが感心したように、蚊帳の外から呟く。
ホカホカと湯気の立つカップに口をつけて、満足げな微笑を零すユーリルの台詞に、はぁ? と、すっとんきょうな声をあげたのはマーニャであった。
「本職のクリフトならとにかく、何言ってるのよ、あんたは?」
なんだか他人事のように言ってくれるユーリルの、どこか世間ずれした感想に、マーニャが大仰に眉を寄せたのと同時、
「別にクリスマスなんて楽しくないわよ? ユーリル?」
アリーナが、パンをちぎって口の中に放り込みながら、つまらなそうに横目で答えてくれた。
そんな彼女の、何をいまさらと言いたげな様子に、ますますマーニャの眉がしかめられる。
一体この子たちは、今までどういうクリスマスを過ごしてきたのだろう?
何もなかった田舎のコーミズにいたときですら、父のエドガンと弟子のオーリンたちとで、共に歌って笑って楽しかった。地味ではあったけど、楽しかったと思えるのに──。
「アリーナさま……っ。」
小さく低く名を呼ぶブライに、だって、とアリーナは軽く肩をすくめて続ける。
「大切な日なのはわかっているわ。でも、楽しいかどうかとなると、別だわ。」
王族として、その行事が大切なことは知っている。
けれど、と、アリーナは鼻の頭に皺を寄せるようにして、しかめっ面をしてみせる。
「って、あんたの場合、豪勢なパーティでおいしいもの食べて、ステキな男性とダンス、とかそういうんじゃないの?」
王族のクリスマスっていうのは、そういうのだと思ってた。
マーニャはそう言いながら、脳裏でエンドールの結婚式の様子を思い描く。
多少堅苦しいではあろうが、一国の王家のクリスマスパーティともなれば、モンバーバラの派手で愉快なパーティとはまた違った面白さと楽しさがあるに違いないと、そう思っていたのだけど、アリーナはゆるくかぶりを振って、こう言い切ってくれた。
「毎年、つまらなかったわ。確かにダンスはするけど──それも、マーニャがしているような楽しいのじゃなくって、静かなものだし、ぜんぜん体も動かせないもの。」
「それが普通の貴族のダンスですじゃ。」
丁寧な手つきでパンにバターを塗るアリーナに、ブライが一言注釈をつける。
ライアンは、アリーナとブライの台詞に苦い笑みを見せる。
「確かに──あれほど動きはしませんね。」
彼も王宮戦士である以上、クリスマスの貴賓パーティの見張りなどをしなくてはならない機会もあっただろう。
そんなライアンの台詞に、それじゃぁ、確かにアリーナもつまらなかろうと、マーニャは納得する。
実際、豪華で派手なのは好きだが、キュゥキュゥに体を締められた動きにくいドレスで、左右に体を動かせるだけのダンスなんて、マーニャ自身も楽しくない。
「でも、おいしい料理は食べれたんでしょう?」
トルネコが、気を取り直すようにしてアリーナに問い掛けるが──あちゃ、と言いたげに眉を寄せるブライの顔を見て、この質問も失敗であったことを知る。
案の定、アリーナはつまらなそうに唇を尖らせて、
「今日の朝食の方が、ずっとおいしいわ。」
いくら、料理長が腕によりをかけて作ってくれたとしても。
「当時の聖職者の料理を再現した、精進料理って……ほんっとうに香辛料の味もしない、すごい料理なの。」
今思い出しただけでも、眉間に皺が寄るほどの。
苦々しく呟いたアリーナに、ユーリルは眉を落として、おずおずと彼女に身を乗り出すようにして問い掛けた。
「アリーナ……クリスマスって……何するんだ?」
それは、朝からトルネコをたたき起こして聞いたことと同じ質問だった。
あの質問にトルネコは、聖者の聖誕祭と言って、古くからあるお祝いの日だと説明してくれた。
だからその特別な日を祝うために人々は、朝から教会で祈り、その日があることを喜び、自分の特別な人にプレゼントをして喜んでもらい、また豪華な料理を食べるのだと言うことだった。
それを聞いたときには、クリフトはアリーナに何をプレゼントしようかとか悩んでるのかなー、程度にしか認識してなかったのだけど──何か、アリーナと自分たちの認識には差があるようだった。
アリーナは、ユーリルの質問に軽く目を見張って……それから、チラリとブライとクリフトに視線をやったあと、彼らが自分を咎める視線で見ていないのを確かめてから、うーん、と顎に手を当てた。
王族のクリスマスの過ごし方を、普通の人たちに教えていいのか自信がなかったが、二人が何も言わないのだからいいのだろうと判断する。
思い出すのは、旅に出る前のクリスマスだ。
「えーっと……朝からミサで、それが終わったら聖誕祭を祝うための儀式。それから精進料理を食べて、午後から聖者の会合に倣って、貴賓たちを呼んでの会合。一年の出来事を語り合って、また一緒に精進料理を食べるの。それが終わったらダンスパーティに入って、最後に夜のミサを終えておしまい。
その間に、何度か寒い水の中に入って清めるの。」
「…………ぅわ……………………。」
クリスマスを思い出すごとにため息ばかりがこぼれるアリーナの顔を見て、思わずユーリルは聞いてしまったことを後悔した。
生まれて今までクリスマスというのを過ごしたことが無かったが、コレならしなくて正解だったかもしれない、そう思ったくらいである。
「む…………そ、それは…………サントハイム独特の…………?」
だが、同じ王宮のクリスマスを見たことのあるライアンの眉間の皺は解けることはなく、彼は苦い口調でブライに確認する。
「そうですのぉ……わが国は、そう言うことに厳しい国ですので。」
何せ、城下町には大きな二階建ての教会もある──教会学校もあるくらいだ。
魔法も教会も同等に力があるとは言え……否、だからこそ、教会が主催する催しには、王族も率先して参加しなくてはいけなくなるのだろう。
「王族でソレってことは……クリフト、お前、1日水につかって祈り文句呟いているとか、そういうの?」
聞いているだけで寒い、と、暖かいスープを飲み干したユーリルが、それならクリスマスのことを思い悩んで愁いた顔になるのもしょうがない、と、ため息を零す。
けれど、
「いえ──私は、1日教会でミサをしていますから……。」
クリフトは、ただ淡く微笑んで、そう答えるだけだった。
神の教えに従う道を選んだ日から、クリスマスはミサで始まりミサで終わる。
だから、世間がクリスマスが楽しいだとか辛いだとか言う以前に、クリフトにとったらクリスマスは走り回り、少しでも多くの信者に幸せであるように、神に感謝する祈りを捧げるだけだった。
ほかにクリスマスという言葉が、意味を持つことはなかった。
今までは。
「あぁ……でも、そうですね…………。」
────ただ、去年はそうではなかったから。
「昨年は、姫様とブライさまと一緒に、旅のさなかでクリスマスになりましたから、ただ祈るだけでしたけど……今年は、もしよろしければ、どこかの町の教会で、ミサを受けたいと思うのですが……。」
首をかしげるようにして、クリフトはユーリルを伺う。
この自分の言葉が、彼らにどういう波紋をもたらし、結果として自分の首を締めることはわかっていた。
わかってはいたけれど──物心ついたときから行ってきた一日を、いまさら、変えられるはずもないということも、わかっていた。
「おお、そうじゃったの……去年は祈りを捧げるだけじゃったしのぉ……。」
サントハイムの人々が消え、どこへ行けばいいのかもわからないまま、それでも旅をしていた中──何と神に祈ればいいのかわからず……それでも神に祈った。
静かな草原に響くクリフトの声を、ブライとアリーナは復唱し、静かに十字架を切ったのだ。
聖杯も何もない、ただ祈るだけのクリスマスだった。
「ユーリルどの。このブライからも頼みますじゃ。今年は、クリフトめに教会に行かせてやってくれんかのぉ?」
それは、この身一つさえあれば、どこでも神に祈れるのだという、祈りの原点そのものではあったけれど──やはり、聖者の聖誕祭に教会で聖水も無く祈るというのは、若輩神官には辛かろう。
できる限りのことはしてやるべきかと──去年は配慮が足りなかったことを、ひそかに悔いていたブライの言葉に、
「もちろんですよ!」
ユーリルが断るはずもなかった。
そして、そのユーリルの台詞は同時に、クリスマスにどこか教会のある町で宿泊するということを意味していた。
思わずマーニャとトルネコが、よしっ、とこぶしを握る。
この際、彼ら二人が「どこ」でクリスマスを向かえようと提言するのかは、誰もがわかりきっていることだったので、あえて口には出さなかった。
心優しいユーリルのことだから、トルネコがエンドールで迎えたい、というのを、断るはずもないだろう。
「ありがとうございます、ユーリル。」
穏やかに微笑むクリフトに、ユーリルも破顔して見せた後──あ、と、神妙な顔つきになって、クリフトを上目遣いにジロリと睨んだ。
「あと、クリフトもさ? そのことで考えてたんだったら、ちゃんと言ってくれよ? 俺、クリスマスなんて行事事態知らなかったからさ、言ってくれなかったらわからなかった。」
少しすねたような口調は、つい先ほど──酒場で会ったことを言っているのだろう。
──まさか、考えていたのはそう言うことじゃないのです、とは言えず……クリフトはユーリルの言葉に苦い笑みを見せながら、頷いて見せた。
「まさか、ユーリルがクリスマスを知らなかったなんて、思わなかったものですから…………。」
「それは誰も思わないわよねー。」
思わず口をついて出たクリフトの台詞に、すかさずマーニャが言葉尻に乗った。
「私もビックリしましたね。起こされたと思ったら、クリスマスって何っ!? とか聞いてくるんですから。」
「ぅわっ、トルネコさん! それ、言わないでって言ったのに〜っ!」
トルネコが朗々と語り揚げる今朝の出来事に、慌ててユーリルが叫ぶ。
「あ……す、すみません……。」
そんな勇者を見やって、トルネコは慌てて手をパックリと咥えて口をふさいだが、そんなことで出て行った台詞が口の中に返ってくるわけもなかった。
「もぅ……やだ、トルネコさんったら!」
ぷっ、と、噴出したミネアが、両手で口を抑えたのと同時、みんな揃って笑い出す。
「まぁったく、ユーリルらしいって言ったら、らしいけどねぇっ!」
「まさかクリスマスを知らない人がいるとは思わなかった。」
「アリーナには言われたくないぞっ!」
「ユーリルも人のことを言えないじゃないの。」
そんな風に、いつものように明るい食卓が訪れて──……。
同じように笑いを零しながら、クリフトはふとテーブルの上に置かれたままの、自分のスープカップを見やった。
笑った振動で同心円を描くスープの表面は、席についた時からまるで減ってはいなかった。
なんとはなしにそれを手にして、そのまま口につける。
笑い声を聞きながら、どこか楽しい気分で──でも、胸の奥にしこりのように残っている何かを、飲み込むようにして、スープを口に入れた。
「……………………。」
暖かかったソレは、いつのまにかぬるくなっていて──スルリ、と喉を通り過ぎていく。
体を温める用途はとおに果たさないであろうソレに、クリフトは一瞬だけ苦い表情を刻むと、何も言わずそれを両手でくるみながら、静かに微笑みを広げた。
そうやっても、ぬくもりは返って来ないのだと、知ってはいたけれども……。
商業の都、エンドール──数々の大陸から船が終結し、世界中の商人の憧れの商業地……特に今は、時期が時期ということもあり、また同時に結婚式が最大のフィナーレを迎えたということもあり、エンドールの城下町はかつて無い賑わいを見せていた。
町を彩るクリスマスのイルミネーションや飾りが無ければ、一体どういう祭りなのかわからないほどである。
主街道にはどこからか集まった行商人が群れをなしてテントを張り、左右に点在する木々はクリスマスツリーに見立てられ、たくさんの飾りがつけられている。夜にもなれば、町の各箇所にかがり火が焚かれ、教会も厳かな雰囲気を宿すのだと言う。
店のカウンターの上にも、綺麗な赤と緑のコントラストのポインセチア。目立つところには、どこにもクリスマスツリーがあった。
また、民家の窓辺には、緑色と赤色の布がかけられ、なぜか作り物の赤と白のブーツや、新品の靴下などが吊るされてもいた。
ユーリルにとったら、本当に初めてのクリスマスだと言うのに、すでに形も様相も覚えてしまうくらいに、同じような飾りがそこココにあった。
「これで雪が降ると、ホワイトクリスマスって言うのよー。」
暖かな毛皮のコートを、姉妹揃って身に付けながら、周囲の視線を肩で切るように歩くマーニャが笑って背後を振り返る。
本来なら、エンドールに着いた瞬間に、トルネコの家に挨拶に行くはずだった。
なのに、こうしてマーニャとミネア、そして後ろの二人組みだけがブラブラとしているのは、初めての「クリスマス」に浮かれている背後の二人が原因であった。
エンドールのいつもとはまったく違う顔に驚いたらしい二人組みが、あちらを見てこちらを見て、行商人が並べる珍しい品に足を止めてはなにやら話し込んでいる。
まるで幼い子供のようだと、マーニャは自分が話した内容も耳に入っていない様子の二人に、そ、とため息を零す。
「ぅわー……小さいツリーだ。」
「ねぇねぇ、ユーリル? コレは何かしら? お爺さんの人形だわ。」
そう言って出店からアリーナが取り上げたのは、赤い帽子と服を着た、おなじみの白い袋を背負ったおじいさんの人形だ。ツリー用のオーナメントなのだろう。頭の上に紐がついている。
そこに指を入れて、ぷらん、と引っ掛けて首をかしげるアリーナに、ユーリルは顔を大きく歪める。
「って僕に聞くなよ。僕がわかるわけじゃないじゃないか。」
更に別の手で、アリーナは茶色の動物の人形を引っ掛けて持ち上げる。大きな角が枝状に分かれている、トナカイの人形だ。
「こっちは……鹿?」
「トナカイだろ?」
たぶん……と、自信なさげに続けるユーリルの台詞に、
「えっ、でも鼻が赤いわよ?」
「鹿って鼻が赤いのか?」
なんとも初々しいばかりの会話をする二人は、こうして遠目にみていると美男美女のカップルに見えなくもない。お互いの肘をつついて、なにやら相談しているところなど、仲がいいソレそのものだ。
というよりも、気づいてほしい──クリスマス初心者同士でそんな会話をしても、答えなど得られるはずがないことを。
「まったく──浮かれてるわねぇ。」
エンドールに初めて来たユーリルを見たときも、なんておのぼりさんに見えるのだろうとは思ったが、今日の二人もまた一味違う。
ユーリルなどは、クリスマスというイベント自体を知らなかったのだから、豪奢に贅沢に着飾ったエンドールの町に興奮モードに入ってしまったのも、仕方がないと言える。
なのに、一応クリスマスというのを体験したことがあるはずのアリーナまで、エンドールの様変わりした様子に興奮して、今すぐ遊びに行きたいと、顔中に書いていたのだ。
ブライとクリフトがエンドールの様子に驚きながらも苦笑している様子からするに、さぞかしサントハイムのクリスマスというのは、一線を経ていたものだろう──きっと教会のソレとなんら変わりなかったはずだ。
そこで仕方なく、自宅に顔を覗かせるトルネコに、ライアンとブライが付いていき、教会に顔を覗かせるというクリフトと別れて──こうして、マーニャとミネアが最年少コンビのお供を、買って出たのである。
迷子になったり、スリにあったりしないように気をつけないとダメね──と、すっかり姉御の顔になったマーニャが、ヤレヤレと妹の方に相槌を求めると、彼女は彼女で、
「せっかくだから、今日くらいは占いの店を開けば良かったかしら……。」
今日のこの日ばかりは、王様の許可を持たなくても出店ができると言う事実に、唇を噛んで後悔していた。
クリスマス時期というのは、カップルの相性占いや、少し気分が高揚した人間が来年の運勢を求めたりで、なかなかに盛況なのだ。
モンバーバラの時もそうだった──もっともあのときは、パーティの最中の余興で占いをしたのだから、見料をもらうことはなかったが。
「ミーちゃん…………あんたね…………。」
「えっ、あ、ごめんなさい、姉さん? 何?」
思わず胡乱下げな目になって呟いたマーニャに、慌ててミネアは背筋を伸ばして姉を見やる。
かすかに頬が赤らんでいるところを見ると、一応自分が今この場で言うにしては、ずいぶん堅実な台詞を吐いてしまったという自覚はあるらしい。
「べーつーにー? 世間様ではクリスマスイブだって言うのに、この子は……って思っただけよ。」
「しょ、しょうがないでしょ。うちの家計状況だって、そう良い方向なワケじゃないんだから……って、アリーナ、ユーリルっ! 買わないのよ、そういうのはっ!!」
ツン、と顎をあげるようにして恥じらいを隠そうとしたミネアは、その視線の先で二人揃ってオーナメントの購入の相談をしちえるのに気づき、慌てて彼女たちのもとに走る。
「え、でも、クリスマスには必要だってこのおじさんが……。」
確かにある意味、オーナメントは必要だろう。
だが、トルネコの家のツリーにはもうすでに飾ってあるはずで──別にいまさら一つや二つ飾りが増えたところでどうってことないだろうが、逆にいえば買っていっても意味がない。
小首をかしげて尋ねてくる二人に、カリカリ、とマーニャは額を掻きながら、
「もうウチにはあるからいいの。」
ウチ、の部分で、クイ、と顎でトルネコの家の方角を示す。
まだ家には顔をのぞかせていないが、しっかり者のトルネコの妻のことだ。店先にもしっかりとしたツリーの準備をしているのは間違いない。
「そうなんだ?」
いまだにプラプラと両手の指に人形をぶら下げるアリーナに、
「そ。サンタの人形なら、絶対あるわよ。」
案外ネネさんのことだから、手作りで作っているかもしれないな、などと思いながら、断言してやる。
すると、アリーナはようやく納得したように、両手の人形を戻し、店のおじさんにありがとうと笑いかけると、ユーリルと共に立ち上がった。
「アレって、サンタって言うの? マーニャ?」
そうして、彼女は無邪気に尋ねてくる。
「クリスマスにどうして必要なんだ? あんな格好したおじいさんが。」
更に、こちらは不思議な顔でユーリルが聞いてくる。
思わず──マーニャとミネアは、先に歩こうとした足を、ぴたり、と止めてしまった。
「………………ユーリルはまだわかるけど………………アリーナまで、知らないの?」
「昔──小さい頃に、サランで見かけたような覚えはあるんだけど、何かまでは知らないわ。」
なんて厳粛なクリスマスだろう。
魔物の巣窟となっていたサントハイムの城を思い出し、クリフトが魔物たちに汚された教会を睨み吸えるような顔で見ていたのを思い出し──ソ、とマーニャはため息を零した。
「あたし……絶対、クリスマスだけはサントハイムに行かない。」
そう、小さく誓う程度には、アリーナが不憫に思えてしょうがなかった。
「でも、クリスマスには、教会からお菓子が配られるわ。」
修道院から、おいしいカヌレ。
それだけが唯一の楽しみなのだと、小さく笑いをこぼして見せるアリーナに、これまたかわいそうにと、そう思ってしまうのは、自分たちのクリスマスが楽しかった思い出しかなかったからだろう。
とりあえず、ブライとクリフトがアリーナにサンタクロースの話や、世俗のクリスマスの話をするとは思えなかったので、小さい頃父からしてもらった話を思い出しながら、マーニャはアリーナとユーリルの「クリスマス初心者」に、したり顔で説明してやることにした。
「サンタ……サンタクロースっていうのはね、クリスマスイブの夜……まぁつまり、今夜なんだけど……に、良い子にプレゼントを配るって言うおじいさんなのよ。
赤い服で赤い帽子をしていて、白い袋を持っていて、空飛ぶソリをトナカイに引かせてやってくるの。」
普段は当たり前のように知っていることだからなおさら、きちんと説明できているかどうか、途中で自信がなくなり、チラリ、と妹に視線を走らせる。
するとミネアは心得たもので、コックリと頷いて姉に微笑みかけると、
「一種の童話みたいなものなのですけど、枕もとに靴下をかけておくと、そこにサンタクロースがプレゼントを入れてくれると言うお話なんです。」
キラキラと目を輝かせて話を聞いていたアリーナとユーリルに、釘をさすように続ける。
初めてのクリスマスで、子供の夢を壊すようなことをしてしまって申しワケないが──こればっかりは仕方がない。来年も一緒にいられるとは限らないのだから、誤解をさせたままほうっておいて、来年傷つくのは彼女たちなのだ。
「なぁーんだ、お話なんだ?」
あからさまにガックリはしなかったものの、少し残念そうに呟いたアリーナに、ユーリルも小さく笑った。
「でもそうだよな。もし本当のことだったら、僕たちは、丸々18年近く損をしてきた計算になるよ。」
何せ、そういう世俗のクリスマスとは縁のない生活を送ってきたのだから、仕方がない。
それでもやっぱり、もったいない気がするなと、ユーリルが笑うのに、
「あら、そんなに欲しかったんだったら、今夜、プレゼントくらいしてあげるわよー?」
マーニャが楽しげに提案してみせた。
いつも誰かからもらうばかりのクリスマスだったけど、今年くらいはあげてみるのもいいだろう。
可愛いクリスマス初心者のために、一肌脱いでやりますか、と、マーニャはいたずらげに片目を瞑る。
「今年限りでよかったら、靴下をベッドの横に吊るしておきなさいな。」
来年までは面倒見切れないわよー? と、からかうように笑うマーニャに、ユーリルとアリーナは揃って顔を見合わせた。
「靴下って……。」
「マーニャがくれるの? サンタクロースのプレゼントを??」
理解していないように、いぶかしげな視線を交し合う二人に、あぁ、とミネアは破顔して笑う。
「もともと、サンタクロースからのプレゼントに見立てて、親が子供たちの靴下の中にプレゼントを入れるのよ。」
だから、今夜ばかりは、姉さんが二人の親の代わりをするってことになるのかしら?
軽く首をかしげてミネアがそう呟く。
その言葉に、なるほど、とユーリルは感心したように頷いた。
「そっか。それでトルネコさんが、『大切な人にプレゼントを渡す』って言ってたんだ。」
つまり、トルネコにとったら、息子のポポロがソレに当たるわけなのか。
そう感心してみせたユーリルに、マーニャとミネアは揃って苦虫を噛み潰したような顔になった。
こうして説明してみて初めて理解できることがあるとは、良く言うけれど、今の姉妹の心境はまさにソレであった。
クリスマスという、有名すぎるイベントには、だからこそいろいろと付加がついてしまうものだ。
商人たちの商売促進のための「クリスマス」であり、古くから伝わる、まさにサントハイムで行われているような伝統の「クリスマス」であり、マーニャが良く知るお祭り騒ぎな「クリスマス」でもある。
正しい話をすれば、きっとクリフトが子供たちに語って聞かせるように長々と説明してくれるだろうが──現代に限って言えば、それはだいぶ歪められ、曲解され、現状の「イベント」に変換されている。
変換されすぎてしまって、なんて説明したらいいのかわからない。
「あー……えーっと……トルネコさんが言ったのは、サンタクロースの贈り物の方じゃないと思うのよねー……。」
「え、なんで?」
真顔で問い返されて、こりこりとマーニャは頬を掻く。
チラリとミネアに目線をやると、ミネアもミネアで困ったような顔をしていた。
「地方によってもイベントが違うのですけど──基本的にイブの夜には、サンタクロースがやってきて、子供にプレゼントをあげるのですが……それとは別に、親しい者同士でプレゼントを渡しあうっていうイベントもあるというのか…………。」
なんて説明したら、いいのだろう?
何もかもが始めてのユーリルとアリーナに、誤解を招くような言い方をするわけにもいかない。
そう思うと、重要さ加減に口も重くなるというものだった。
ミネアも困り果て、マーニャも困ったように眉を寄せるのに、ユーリルとアリーナの二人は不思議そうに目を瞬く。
「クリスマスって、難しいのね?」
「な?」
そう納得されても困る。
別に難しいわけではないのだ。
ただ、子供の頃にサンタクロースが(正しくは、サンタのフリをした親が)クリスマスプレゼントをくれていた。大きくなって、サンタが実は親だった、ということを知った後は、今度は親からプレゼントをもらうようになる。そうして、その習慣から、更に大きくなったときには、知り合いや親しい者同士でプレゼントを贈りあう。大まかに説明したら、それだけのことなのだけど。
「あー……っ! もぅ、いいっ!!」
もともと気が長いほうじゃないマーニャは、考えるのをアッサリと放棄して、かんしゃくをぶつけるようにして叫んだ。
「説明するよりやった方が早いわっ! どうせ明日のクリスマスは、トルネコさんちでパーティになるんだから、そのときに見て覚えればいいのよっ!!」
きっぱりはっきりと叫ぶマーニャに、
「パーティっ!?」
ユーリルは驚いて叫び、
「するのっ!?」
アリーナは城でのことを思い出したように顔を歪めて叫び、
「……って、また姉さんは勝手に決めて〜……。」
ミネアは、ため息を零してゆるくかぶりを振った。
「パーティって……クリスマスの?」
嫌そうに、アリーナはマーニャに確認しなくてもいいようなことを確認してみせる。
思い出すのは、濃厚な雰囲気があふれる、上品で静粛なパーティである。
アリーナが経験するパーティは、無礼講でない限り、たいていが窮屈なものだ。必ず「正装」と言う言葉もつきまとう。
「そうよ! クリスマスパーティっていうのはね、ツリーが飾ってあって、七面鳥の丸焼きとケーキがあって、シャンパンで乾杯するの!!」
けれど、マーニャの頭の中にあるのは、無礼講以外の何者でもないパーティだった。
それをトルネコの家でするのはどうかと思うが、パーティというのは良い案だ。
それに、明日行うのなら、今日から準備をすれば間に合わないこともない。
「へぇー……ケーキとか七面鳥。」
それは豪勢だな、と、ユーリルは目を瞬く。
ケーキなんて言ったら、村では自分の誕生日の時くらいしか食べることはなかった。
それも素朴な、シフォンケーキやタルトだ。それでも贅沢だったけど、エンドールで出されるケーキともなると、豪華で派手な物に違いない。
「クラッカーも鳴らすし、ゲームなんかもしたりして、無礼講よ、無礼講っ!」
マーニャの頭の中に浮かんでいる「ゲーム」は、あんまり年若い男女に進められるようなものでないことは、ミネアも良く知っていたが、さすがにソレをトルネコの家でするほどマーニャも恥知らずではない──はずである。
「クラッカー……ゲーム……無礼講…………。」
マーニャが盛大に口から吐いてくれる台詞に、アリーナの顔に浮かんでいた嫌そうな色が消えた。
それどころか、その目に浮かんできたのは、キラキラと輝くばかりの、楽しそうな光だった。
見る見るうちに、楽しそうに輝いていくアリーナとユーリルの顔を見て、ミネアは小さく笑った。
「そうね、メインイベントに、プレゼント交換なんていうのもしないとダメじゃないかしら?」
だから、最後のコレだけは忘れてはいけない、と、提案してみせる。
モンバーバラにいたときのクリスマスパーティでも、一人一個ずつプレゼントを用意して、誰もに行き渡るようにしたものだった。
「ああっ、それは逃せないわねっ!」
ミネア、えらいっ!
びし、と指差してほめてくる姉を、はいはい、と交わして、ミネアは何のことかわからない顔をしているアリーナとユーリルに、ニッコリと微笑んで見せた。
「とりあえず、一度トルネコさんの家に戻って、パーティをする話をしましょう? 準備のことも相談しないといけないもの。」
もちろん、ミネアのそんな提案に、首を横に振るものは一人もいなかった。
NEXT
SSSダイアリーにて連載していた「聖夜」をそのままアップしました。
まとめてみたら、160KBもあってビックリです。
とりあえず三部作に分けてみました。
時間のあるときに、最初と最後のつじつまが合わないんじゃ……? とか突っ込んでやってください。