「ぅぎゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ!!!!!!!!」






 その宿を震わせた悲鳴は、
「なっ、何っ!!?」
 気絶していたミネアすら、たたき起こす効果があった。
「あら、トルネコさんかしら?」
 ベッド際に座っていたアリーナが、軽く首を傾げるのと同時、
「それっぽいよな。」
 うんうん、と、アリーナの隣でイスに座っていたユーリルが頷く。
 そんな2人を前にして、起き上がったミネアは頬に乱れ飛んだ髪を掻きあげながら、キッ、と目つきを険しくさせた。
「トルネコさんかしら、って……一体トルネコさんに何があったのっ!?
 こうしてはいられないわっ。」
 慌てて布団から飛び降りようとするミネアを、アリーナが手で制する。
「大丈夫よ、ミネア!」
「大丈夫って、何がなのっ!? もしモンスターだったら……っ。」
 そう叫び返して──はた、とミネアは目を大きく見開いた。
 大きく見開いたミネアの目には、見慣れない天井と向かい側に見える白いベッドが映る。
 彼女は、ゆっくりと目を瞬いて、戦闘服も武器も身につけていないアリーナとユーリルを見て──それから、キョトン、と目を瞬いた。
「──……ココ、宿…………?」
 辛そうに眉を寄せて、米神の辺りに手を当てながら尋ねるミネアに、うん、とユーリルは軽く頷いた。
「そう。トルネコさんの悲鳴の原因はわかってるから、気にしないで寝てていいよ。」
 明るく笑いかけると、ミネアはいぶかしげに眉を寄せた。
 そんな彼女に、ベッドの端に座り込んだアリーナが、下から覗き込む。
「ミネア、もしかして──さっきのこと、覚えてない?」
 少し不安そうに顔を顰めるアリーナは、ミネアのショックの度合いを心配しているようにも見えた。
 ミネアは片目を眇めながら、軽く眉を寄せて──それから、本気でイヤそうに顔を顰めて聞いた。
「……………………もしかして…………あれ、夢じゃないの…………?」
 眉間だけではなく、鼻の頭にも寄った皺に、アリーナはヒクリと引き攣ったが──どうせすぐにばれることなのだからと、コクン、と頷いた。
 それから、オズオズとミネアを見上げる。
「えーっと……昨日の朝日にお願い、したらしいの。
 …………飽きるまで男になりたい、って。」
 どこまで覚えているのかなぁ、と、不安そうな眼差しで見上げるアリーナの前で、ミネアはもう一度意識が遠くなりそうになるのを、必死に堪えた。
 ぎゅっ、と、皺が出来るかと思うほど強くシーツを握り締めると、
「姉さんったら、飽きるまで男になるって……何、考えてるのよ……っ。」
 そう低く呟いた。
 どうせ姉のことだから、「面白そうじゃなーい?」と明るく答えてくれるのだろうと、すぐに答えは出てしまったが。
 そんな苦悩を宿すミネアの呟きに、
「んー……とりあえず、今からミネアたちと『格好いい服を買いに行く』とか言ってたぜ?」
 ユーリルが、無邪気に答えてくれた。
 ミネアは、そんなユーリルに向かって微笑みかけて……それから、はぁ、と溜息を零して自分の顔を手の平で覆った。
「──……早く姉さんから解放されたい…………。」
 心の奥底から思った言葉を、そう口に出しながら──彼女は、そのまま布団に突っ伏すしかなかった。








聖者の贈り物 3













 東に堂々とそびえる霊峰を背に、マーニャ達は観光地としても有名な町へと繰り出した。
 この町に着いた時には気づかなかったが、町の中央を通る主街道には、旅人たちのための露店が数多く並んでいるのだ。
 立ち寄った旅人たちが、色々な場所から買ってきた物を売りさばいて行くため、なかなかものめずらしい物も売っており、盛況なさまを見せていた。
「あはははは! んもーっ、あのときのトルネコさんたちの顔! 見せてあげたかったわよ、本当に〜。」
 楽しそうに笑うマーニャは、クリフトの替えの、長袖の白いシャツとズボンの姿のまま。長い髪の毛はそのまま背中に流し、率先して街道を歩きながら、右や左の露店を覗き込みながら、冷やかす。
 その後ろには、いつもの買い物面子──ミネアとアリーナと、さらに荷物もちのお供としてユーリルとクリフトが続いていた。
 暗雲漂うミネアやクリフトの心とはまったく正反対に、空は買い物日和の晴天──始まったばかりの買い物は、長引きそうな予感を孕んでいた。
「民族衣装とか無いかしらね? あら、それ、美味しそう。」
 美しい布地を売る店を覗き込んだかと思うと、今度は隣の果物屋を覗き込む。屋台が珍しいわけじゃないだろうに、落ち着きなく、アッチやコッチを見回すマーニャに、ミネアが軽く眉を寄せた。
「姉さん、もう少し落ち着いたらどう?」
 ──そうしてると、本当に腰の軽い男みたいよ、と……そこまで思ったものの、あえてそれは口に出さなかった。
 代わりに、小さく吐息を零す。
「だって、なんだか男になってから、目線とかが違って新鮮に見えるのよー? ミネアもなってみたら分かるわよ。」
 覗きこんだ露店から視線を上げて、軽くウィンクしてみせるマーニャに、ミネアは腰に手を当てて、あきれたように頭を振った。
「私は男になりたいだなんて、思ったことは無いわ。」
 そう言って視線をマーニャに戻したときには、もうマーニャは別の布屋でマントを広げているところだった。
「………………──────あぁ、他人のフリがしたい…………。」
 男になったという自覚はあるらしいのに、男言葉を使わないマーニャは、店の主人にギョッとした目を向けられている。
 ジプシーである美人姉妹は、憧憬や惚けるような視線を向けれることにも、奇異の視線を向けれることにも慣れていた。
 慣れてはいたが──この、「奇異」の視線は、少々心臓に痛かった。
 絶対、「なんだ、この男!?」と思われているに違いない。
 他人の振りをしたくても、ミネアとマーニャはイヤになるくらい良く似ている。
 今はマーニャが男の姿をしているから、誰もが彼女とマーニャを「兄妹」だと思うことだろう。
「……私、やっぱり宿に帰ってようかしら……?」
 げんなりした思いでそう呟くミネアに、隣を歩いていたクリフトが苦い笑みを刻みつけて首を傾げた。
「わたしは、出来ればミネアさんに居てくれたほうが、とてもありがたいんですけど。……マーニャさんを止めることが出来るのは、ミネアさんだけですし。」
 けれど、実の妹であるミネアが、姉の兄化に一番ショックを受けているのも知っている。
 だからこそ、強く引き止めることは出来ませんけど──、とはんなりと笑うクリフトに、ミネアは微かに笑んで肩を竦めた。
 自分が居なくなれば、クリフトがストレスを溜めることは間違いなく──身内の恥を、いくら仲間とは言え他人に押し付けるのは、ミネアの性分ではなかった。
「私が居ても、焼け石に水だと思いますけど……それでも、少しくらいなら冷やせるかしら?」
 茶目っけを入れて目を細めるようにして笑ってみせる程度には、精神状態も回復……しているつもりだ。
「少しでも冷やしてくれないと困りますよ。」
 クスクスと、クリフトも小さく笑って、前を歩いていくマーニャの堂々たる姿を、どこかあきらめの混じった笑顔で見つめた。
「──本当に、活き活きしてますね……普通、異性になってしまったら、動揺するものだと思いますけど。」
 心の奥底から嬉しそうに笑いながら、アクセサリー売りの前で足を止めるマーニャ。
 その全身が、人生を謳歌していると言っても過言ではないだろう。
「……だって、姉さんだもの。」
 男の姿だと言うのに、マーニャはいつものように腰を突き出して、それをリズムに乗って右へ左へと動かせている。
 その仕草に、ミネアは更なる頭痛を覚えた。
 そんな彼女に、クリフトは苦笑を噛み殺さずには居られなかった。
「──けど、アリーナ様にもユーリルにも、ちょうどイイ気分転換になってるようですし……ミネアさんも、少し気分を変えて屋台を楽しんでみたらどうですか?」
 視線を反らすと、アリーナが目を輝かせてブリキ細工の玩具屋台を覗いている光景が見えた。更にその近くでは、ユーリルが飴細工を見ている。
「そうさせてもらいたいところなんだけど……。」
 果たして、姉が何も起こしてくれないと言い切れるのかしら、と──ミネアは腰に手を当てて、小さく吐息をつく。
 ミネアの心配性な視線の先──飴細工の屋台の隣で、マーニャは何気なくアクセサリーの屋台を覗いていた。
 かと思うや否や、ヒュゥ、と短い口笛を吹く。
「あら、キレイじゃない。」
「え、何々?」
 ものめずらしげに、動物の形になっていく飴細工の屋台を見ていたユーリルも、誘われるようにマーニャの手元を覗き込んだ。
 そうやって2人が隣り合って立つと、マーニャが女のときよりも、ずっと絵になって見えた。
 腰に手を当ててスラリとしたきれいな立ち姿の青年と、面白そうに覗き込む端正な美少年。
 思わず通り過ぎかけた女性が、足を止めて見とれる程度には、目を引く光景である。
 女性であったときなら、その視線にも敏感に反応したマーニャも、今ばかりはそれに気づかないのか、背中でサラリと賛辞の視線を流してしまう。
「銀細工ね……ま、ソコソコの代物ってとこかしら?」
 品物を覗き込むユーリルに、そう軽く笑ってやりながら、マーニャは黒い敷布の上に置かれている指輪を手にする。
 女性の指に納まるには少し無骨なデザインだが、今のマーニャは男だ。
 いつも手にとるのとはまったく違うデザインのソレを、試しに指に嵌めてみる。
「おおーっ。」
 無骨な指輪が似合う自分の指に、思わず感嘆の溜息を上げて、太陽に翳す。
 キラリ、と光った指輪に、マーニャはまぶしげに目を細めてから、それを抜き取り布の上に戻した。
「んー……男の指だと、こういうのも良いわよねぇ。」
 先に向かってすんなりと伸びたマーニャの指先は、太めの銀細工の指輪が似合った。
「これ、買っちゃおうかな〜。」
 んー、と顎に手を当てて考え込むものの──手にした指輪は、男となったマーニャの中指のサイズにちょうど良く……たぶん、女に戻ったら嵌められそうにない太さだった。
 なら、女に戻った後でユーリルにでもあげたらいいかしら、と、隣で珍しげにペンダントを眺めている少年を見やる。──が、彼の指にこの無骨な指輪は似合いそうにない。
 そしてそれは、あの堅物な神官にも、朴念仁の戦士にも同じことが言えた。
「んー……やっぱり指輪は止めましょ。」
 残念そうにそう口にして、指輪を元に戻す。
 一度や二度しか使えないような物を、後先考えずに買うほど、マーニャは浪費家ではない。
 どうせ買うなら、いい物を長く使えるようにしなくちゃね、と──派手好きの踊り子にしては、堅実なことを思いながら、ほかの物を物色することにする。
 ペロリ、と舌で唇を舐め取りながら、マーニャは同じ露店の端の方を見やる。
 この露店で一番目立つ台座の上に乗っているのは、宝石まがいの美しいガラス玉が嵌った腕輪だ。
 金メッキを磨いた代物だとは思うが、細工はなかなかキレイだった。
 しかしその台座の前には、ユーリルが既に立っていて、興味深そうにソレを見つめていた。
 かと思うや否や、彼は並んでいる中でも一際キラキラと光を反射して輝いている腕輪を手に取り、それを日に透かした。
 それと同時、眩い光を宿す宝石に、ユーリルの碧玉の瞳が見開かれる。
「──……おぉっ!
 アリーナ、これ見てみろよ、キラキラしてる。」
 面白い物を見つけた子供みたいに、自分の方こそ目をキラキラさせて、ユーリルはアリーナを手招く。
 ちょうど、さきほどユーリルが覗いていた飴細工の店を見ていたアリーナは、キョトン、と目を瞬いて彼の手元を見やった。
「え、何々? ブレスレット?」
「そう、ほら、日に翳してみろよ。」
 腕輪というには少し細めのそれを、ユーリルの手から受け取り、アリーナはそのキレイな輝きのガラス玉を日に翳す。
 日を反射して淡い光を生み出すソレを、彼女も嬉しそうに目を輝かせて見つめた。
「本当。とてもキレイね。」
 角度を変えると色が違うように見えるそれに、一瞬目を瞬く。
 同じように、光の色を変える宝石を、昔見た覚えがあった。
 ──かと思うや否や、自分で考えるより聞くほうが早いと、アリーナは後ろを振り返った。
 そこでは、ミネアとクリフトが、自分たちを微笑ましそうに見つめていた。
「ね、クリフト、これはオパールの仲間かしら? オパールじゃないわよね?」
 片手に腕輪を持ったまま首を傾げて尋ねるアリーナに、ユーリルも軽く首を傾げる。
「おぱある、って、何? クリフト?」
 そんな可愛らしい会話を聞いて、ミネアがクスリと小さく笑う。
 マーニャはソレを隣で聞きながら、軽く肩を竦めて見せた。
 さすがはアリーナとユーリル──言い方を替えれば、さすがはお姫様と田舎者、と言ったところだろう。
 2人の純粋な視線を受けて、クリフトは小さく溜息を零すと、アリーナの手から腕輪を受け取った。
 そしてソレを、アリーナとユーリルがしたように日に翳す。
 キラリ、と紫色の光を宿したかと思うや否や、少し角度を変えると紅色の光を滲み出す。
 虹色の宝石だと、ユーリルが目を輝かせるのに、クリフトは小さく苦笑を浮かべ──これが精神年齢だけではなく、肉体年齢も子供だったらきっと、『これは、虹の石ですよ』なんていうウソを吐くのだろうと思いつつ、二人からとりあえず夢を奪うことを選んだ。
 さすがに、18にもなって、「虹の石」なんていうウソを信じられては、ある意味、困るし。
「……合成ガラスですね。カッティングで色が変化するようにしてあるみたいです。」
 丁寧にアリーナの手に腕輪を戻すと、アリーナはソレが手の平の上に落とされるのももどかしく、腕輪を持ち上げた。
 とたん、キラリ、と青色の光を宿すガラス玉に、アリーナは瞳を緩めた。
「へー……ガラスなの、コレ? すごくキレイだわ。教会のステンドグラスみたいなものかしら?」
 アリーナはもう一度腕輪のガラス玉を日に透かして見せた。
 そんな彼女の隣で、ふぅーん、とユーリルは一つ頷いてから、首を傾げてクリフトを見上げた。
「──で、クリフト? おぱーる、って、何?」
「………………オパールは遊色という特殊な色合いが特徴の蛋白石です。
 見る角度によって変化するこの色合いを遊色と言うのですが、本物はとても高価で、天然物ともなりますと、王族くらいしか持っていないとも言われています。
 ──市場に出回っているのはトリプレットかダブレットですね。それでも高価なことにはかわりありませんが。
 確か、アリーナ様もお持ちだったと思いますが──私は本物の天然物は見たことがありませんので。」
 すらすらと返ってくるクリフトの博識は、確かにすごいものがあったが、その返事を全て理解できるわけではなかった。
 そのため、ユーリルはアッサリと理解することを放棄した。
「…………うん、良くわかんないから、アリーナ、今度覚えてたら、本物を見せて。」
 ユーリルはキリリと眦を吊り上げて、そうアリーナにお願いした。
「ええ、いいわよ。」
 快諾して、アリーナは店主のおじさんに礼を言って腕輪を元の場所に戻した。
「あら、戻しちゃうの? それ、あんたに良く似合いそうじゃない。
 なんなら、ユーリルかクリフトに買ってもらいなさいよ。」
 そんなアリーナに、同じ露店に並ぶペンダントを手にとって見ていたマーニャが、チラリ、と視線をよこしながらそう呟く。
 安物の感じは拭えないものの、華奢でしっかりとした細工は、確かにアリーナの細い手首には良く似合いそうであった。
──まぁ、城に戻れば、もっと素晴らしい宝石や飾りを身に付けられる身分の女性には、興味がないのかもしれないが。
 事実、マーニャ達が知っている範囲で、彼女が身に付けたアクセサリーと言えば、金の髪飾りだとか、星降る腕輪だとか、そういう戦闘に貢献するようなものばかりだ。
 普通に着飾るためのアクセサリーは、高価なものしか興味がないということだろうか?
「だって、こんなのつけてたら、パンチするときに邪魔じゃない。」
 だがしかし、返って来た台詞は、そんなマーニャの配慮を一蹴するような、アッサリとした物だった。
「あぁ、……そうね。アリーナは、そうよねー……。」
 思わず遠い目をしてしまったマーニャを、誰が責めることが出来るだろうか。
 アリーナらしいと言えば、アリーナらしい。
「あ、ならさ、ピアスとかどうだよ?
 ピアスなら邪魔にならないぜ? ほら、僕がつけてるみたいなの。」
 チリ、と──耳元でスライムピアスを揺らしながら、ユーリルが腕輪の横に並んだ物を指し示す。
 小さな石がついただけのピアスは、シンプルでありながらキレイな物だった。
「これなら安いから、買ってやれるぜ、僕でも。」
 ほら、と、赤い色の宝石が付いたピアスを掲げるユーリルに、アリーナも興味深そうに覗き込む。
「ピアスかー……お城にあるのって、ゴテゴテと飾りがついてるのばっかりで、重いだけだけど、これくらいならいいかしら?」
 石の周りの土台が銀で作られていて、小さな細工がされていて、目立たないお洒落もなかなかな物だ。
「どーれ? あら、可愛いじゃないの。」
 ひょい、とアリーナの頭の上から覗き込んでマーニャもユーリルが指し示しているのに太鼓判を押す。
 センスのイイマーニャの台詞に、気を良くしたユーリルは、
「だろー? アリーナに似合うと思うんだけどな、ほら。」
 嬉しそうにピアスをアリーナの耳元に当ててやった。
 白い肌を引き立てる赤い色は、彼女の亜麻色の髪の中で、くっきりと際立つように見えた。
 アリーナは、ユーリルのそんな仕草に軽く首を傾げてみせる。
「うーん……なら私、赤じゃなくって、青がいいな。
 ユーリルの兜についてる宝石みたいな、キレイなの。」
 明るく笑って、アリーナは台座の上に乗っている色とりどりの石の中から、青い色を宿すピアスを取り上げた。
 それを日に翳して、うん、とアリーナは一つ頷く。
「コレがいいわ。」
 そのままピアスを握りこんで、アリーナが店主に声をかけようとするよりも先、
「おじさん。
 これと、このピアス、頂戴。」
 隣からマーニャが身を乗り出すようにして、店主のおじさんに向けて、自分の分に手にとった銀のチョーカーと一緒に、アリーナが握り締めたピアスを指し示した。
「マーニャ?」
 驚いたように目を瞬くアリーナに、マーニャは片目を瞑って笑ってやった。
「こういうときは、男に甘えなさい、アリーナ。」
 さっさと二つ分の提示した金額を支払う。
「あたしからのプレゼントよ。」
「わぁっ、ありがとう、マーニャ!」
 ピョンっ、と飛び上がったアリーナに、マーニャは満足そうに頷いた。
 ポン、とアリーナの頭に手を置いて、クシャリと彼女の髪を掻き混ぜてから、手早く自分の首にチョーカーを巻きつける。
 屋台に置かれている鏡で具合を確認して、うん、と一つ頷いた。
「やっぱり、首に何かついてないと、落ち着かなかったのよね〜。」
 いつも首につけていた物は、男になってからサイズが合わなくなってしまって外していたのだ。
 シャラリ、と長い髪を掻き揚げながら、そう笑うマーニャのスタイルを見上げて、ミネアはつくづく思った。
 シャツもズボンもクリフトと同じ物だと言うのに、どうしてマーニャが着ただけで──そしてマーニャが選んだチョーカーを身につけただけで、
「……なんだか、遊び人っぽくなるのよね…………姉さんの場合。」
 しみじみと頬に手を当てながら呟くミネアに、
「──あえて否定はしませんけど。」
 クリフトは軽く肩を竦めて笑って見せた。
「──でも、このままだと、何とか普通の買い物で終わりそうですよね。」
 どうやら、心配した「トラブル」は起きそうになさそうだ。
 安心したように微笑むクリフトに、ミネアもしっかりと頷いて見せた。
 身構えていた懸念も、これなら何とか収まりそうな気がしないでもない。
「相手が姉さんですから、最後まで安心は出来ないと思いますけど。」
「でも、せっかくこれだけお店があるんですから、興味があるものがあったら見てみたらどうです?」
 今日は朝から──正しくは早朝から、病みそうなくらいのショックを受けたミネアの、少しでも気分転換になればいい。
 そう思ってあたりを見回し……あぁ、とクリフトはちょうど良い店を見つけて、そこを指し示した。
「ほら、あのお店なんかどうです? ミネアさんの好きそうな薬草とかありますよ。」
「えっ、あら、本当……この辺りでは手に入らないドライハーブとかもあるわ……っ。」
 クリフトの笑顔の先にあった店に、ミネアは両手を胸の前で組んで喜び跳ね上がる。
 そして、ちら、とマーニャの方を見てから、クリフトを下から伺い見た。
「……いいですか? ちょっと、だけ。」
「もちろんですよ。私も、少し、薬草が見たいですし。」
 小さく笑うクリフトに、ミネアも笑ってみせた。
 そんな風に、お目付け役2人が視線を外したその隙に、トラブルメイカー三人は、やっぱりトラブルの元を作り出していた。
 マーニャに買ってもらったばかりの青いピアスを見下ろして、嬉しそうにアリーナは笑っていた。
「良かったな、アリーナ。」
 ポン、とユーリルがアリーナの肩に手を置いて笑った。
 アリーナはそれに頷いて、そ、と指先でピアスを摘み上げた。
 そのまま右耳につけようとしたところを、ユーリルに止められる。
「ほら、ピアス貸せよ。僕が、つけてやる。」
 言いながら、ヒラリ、と差し出される手の平に、アリーナは迷うことなく手にしていたピアスを渡した。
 そして、そのままの動作で自分の髪を掻きあげると、形良い耳をさらし、
「お願いね、ユーリル。」
 花ほころぶように笑った。
 同じようにユーリルも、ホロリ、とほころぶように微笑み、
「任せろ。」
 そう言って、いそいそとアリーナの耳たぶに手を当てた。
 手触りの良い彼女の耳たぶを確認して、そこに空いた小さなピアス穴に、ピアスの先端を通す。
 思わず触れた金属が冷たかったのか、ピクン、と揺れるアリーナの肩に手を置いて、
「動くなよ、アリーナ。」
 そう耳元に囁いてやる。
 アリーナはそれに頷こうとして、慌ててそれを止め、キュ、と下唇を噛み締めた。
「うん、大丈夫っ。」
 ゆっくりと──それから、しっかりとピアスを通し終えて、ユーリルは正面からピアスの角度を確認する。
 それれから、彼女の髪を手櫛で軽く整え──うん、と一つ頷いた。
「うん、似合ってる。」
 ふわり、と……甘く笑いかけてくれたユーリルに、少し照れたようにアリーナは笑い返した。
「──……へへ、ありがと、ユーリル。」
 耳に嵌ったピアスを確かめるように、アリーナは指先で耳元に触れる。
 少しヒンヤリとした、手触りの良い感触が嬉しくて、アリーナは満開の笑顔でマーニャを見上げた。
「マーニャもありがとう! すごく嬉しいわ。」
 ふぁさっ、と髪を揺らして笑うアリーナに、マーニャも笑い返す。
「どうしたしまして──さ、アリーナ。」
 そして、ほら、とアリーナの前に流れるような動作でヒジを差し出す。
 左手を腰に当てて、クルン、とターンを決めるように前へ移動してきたマーニャに、アリーナは不思議そうに首を傾げる。
「お手をどうぞ、お姫様。」
 顔を上げると、ニッコリと笑うキレイに整ったマーニャの顔。
 どこか悪戯めいたその笑みは、ひどく嬉しそうに見えた。
「マーニャ?」
「こんなところで踊ると、クリフトとミネアに怒られるぞ?」
 あきれたようにユーリルがしたり顔で説明してくれるのに、マーニャは思い切り良く右拳を振り上げた。
 ポカッ!!
「誰が踊るかっ!!」
「イタっ! マーニャっ! 今は男なんだから、もう少し手加減しろよなっ!」
 噛み付くように叫ぶユーリルに、ハイハイ、とマーニャは彼の頭をポンポンと軽く叩いてやった。
「はいはーい、ゴメンね、ユーリルちゃーん。
 ……ふっ、あたしの力の方が強いのか。」
 最後にポツリと呟かれた言葉に、はっ、とユーリルは身の危険を感じて後方に後じ去る。
 マーニャは、そんなユーリルに明るい笑い声を走らせた。
 それから、上機嫌の顔で、自分の差し出した左腕を右手で指し示す。
「ほら、アリーナ? せっかくだから、腕でも組みましょ、ってお誘いしてるの。
 あたしがしてみたいことの一つに、女の子と腕組みっていうのもあってネ。」
 軽いウィンクとともに言われた台詞に、ああ、なるほど、とアリーナは笑った。
「それじゃ、ちょっとだけね。」
 クスクス笑いながら、アリーナはマーニャの腕と体の間に、スルリ、と自分の手を滑り込ませた。
 途端、キリ、と背筋が立ち、少し顎を引いて前を見据える立ち姿になる。
 そんな彼女に──おそらく、公式の場で誰かにエスコートされたときの癖なのだろう──、お、とマーニャは目を瞬かせる。
 それから、ヤレヤレ、と吐息を零すと、アリーナの手を引いて、自分の腕にしっかりとくぐらせた。
「アリーナ、少し違う。」
 そのまま、グイ、と彼女の体を自分の方へと引っ張った。
「きゃっ、……何っ?」
 目を瞬くアリーナの体が、ドンッ、とマーニャの腕にぶつかる。
「腕を組むっていうのは、こういう風にするのよ?」
 しっかりとアリーナの腕が自分の腕にまわされたのを見下ろして、マーニャはさわやかに笑って見せた。
 アリーナは、マーニャの腕にしがみ付く形になりながら、自分の体と、マーニャの体とを見上げて──、
「え、そうなの? でもブライは、腕を組むときは、手を添えるだけ……って言っていたわ。」
 軽く首を傾げる。
 そんなアリーナに、マーニャは明るく笑って見せた。
「ダメよー? それは公式の場だけね。腕を組むっていうのは。」
 そこで、にんまりと笑って──マーニャは、アリーナに腕を絡みつかせている手とは片方の手で、グイっ、と力任せにアリーナを更に引き寄せた。
「こうやって抱きつくようにするのよ〜!
 ほら、こう、ギュっ、とねっ!」
 言いながら、ギュムッ、とアリーナの体を抱きしめる。
「きゃぅっ、ま、マーニャっ、苦しい〜っ!」
 ばたばた、と手を振るアリーナに、マーニャは明るく笑った。
「あはははは! ほんっと、アリーナってば可愛い〜……っ!」
 正面からしっかりと抱きとめるマーニャに、あーあー、とユーリルがあきれたような声をあげる。
「マーニャー、それ、セクハラって言うんだぞ?」
「じゃ、さっきのあんたのピアスつけてたのは、どうなのよー?」
 それもどうかと思うわよ、とアリーナの頭ごしにユーリルを睨みつけて……あれ、と、マーニャはしっかりとアリーナを抱きしめていた手を緩める。
 そして、プハッ、と息を吐いたアリーナが、顎を反らしてマーニャを見上げる。
「──どうかしたの、マーニャ?」
 ゆるく首を傾げたアリーナを、マーニャはマジマジと見下ろす。
 スキンシップの激しいマーニャが、アリーナを抱きしめるのはこれが始めてではない。
 いつもと感じが違うのも、きっと自分が男の体になっているからだろうと思ったのだが──、
「…………もう一回ギュ。」
 確かめるように、マーニャはアリーナを正面から抱きなおした。
「むぐっ……マーニャっ、苦しいわよっ?」
「んー…………ユーリル、発見だわっ!」
 非難めいた目をあげるアリーナの腰をしっかりと引き寄せながら、マーニャはキリリと視線を上げて、ユーリルを見据えた。
「え、何が?」
 キョトン、と目を瞬くユーリルに、マーニャは片手を握り締めてキッパリと言い切る。
「アリーナの体は、やわらかいわっ!」
 まるで宝物を発見したかのように楽しげに宣言したマーニャに、ユーリルは軽く眉を顰めた。
「………………は? そりゃ、女なんだから、当たり前だろ?」
「しかも、小さくて気持ちいいわ。
 ……んー、癖になりそう〜。」
 スリスリ、と髪の毛に頬ずりされて、アリーナは驚いたように飛び上がる。
「きゃっ、きゃっ、マーニャぁっ!?」
 何が何だかわからないと、目を白黒させるアリーナに、
「男って、得ねー……同じ体に抱きついても、こんなに気持ちよく感じるんだわー。
 ……しかも胸が当たって、これがまた気持ちいい。」
 うーん、と感心したように呟くマーニャの呟きに、アリーナはますます分からないと首を傾げた。
 その瞬間。
「…………何を、やってるんですか……っっ。」
 震えるような声音が、聞こえた。
「……? あれ、クリフト? 静かだと思ったら、なんだよ、その荷物。」
 背後から聞こえた声に振り返ったユーリルの眼の前に、なぜかどっさりと薬草を買い込んだミネアとクリフトの姿があった。
 ユーリルとマーニャがアリーナにくっついている間、少し趣味の世界に旅立ってしまっていたようである。
「あぁ、少しハーブと薬草を買い込んでいたんですけど……。
 そうじゃなくって……マーニャさんっ、アリーナ様から離れてください……っ。」
 フルフルと肩を震わせるクリフトに、アリーナをしっかりと抱きしめなおしながら、マーニャはニンマリと笑った。
「イーヤv だって、気持ちいいもんv」
「姉さんっ!」
 叫んだミネアが、思わず腕に抱えたハーブを掴み取った。
 そのまま、それを勢いのまま投げようとして──はた、と握りとめたソレが、先ほど血を吐く思いで買い込んだ高価なものだと気づき、握りこむことしか出来ない。
「もうっ! いいかげんにしてよーっ!」
 悲鳴をあげるミネアに、ヒラヒラと手の平を泳がせて、マーニャはアリーナの良い匂いのする髪の毛に顎を埋めた。
「んー……これだけ気持ちいいなら、男のままでもいいかしらねー。」
 スリスリ、と頬ずりされて、不思議そうにアリーナは眼の前のマーニャの瞳を覗き込んだ。
「マーニャさんっ!!」
 怒りにかすかに目元を赤らめて叫んだクリフトに、アリーナはますます不思議そうに目を丸くした。
「……え、なんでクリフト、怒ってるの?」
「──そりゃ、普通、怒るんじゃないの?」
 マーニャに思いっきり抱き寄せられながら、何が起きているのかわかっていないらしいアリーナに、ユーリルがあきれたように呟いた。
「……なんでもいいですから、マーニャさん…………っ!!」
 久し振りに思いっきり叫んだクリフトに、マーニャは、はいはい、と──ようやくアリーナを、自分の腕の中から開放したのであった。




















 朝から、本当に色々あった。
──そんなことを思いながら、クリフトは後ろ手でドアを閉めた。
 見慣れない宿の部屋──けれどすでに三度の朝を迎えた部屋は、優しく疲れた彼を出迎えてくれた。
 早朝早くにこの部屋を飛び出してから今まで──カーテンが開いたままの窓の外は、暗闇に包まれていて、日が沈んでからだいぶ時間が過ぎているのを示していた。
 フラリ、と足が傾ぐのを感じながら、クリフトは両足にしっかりと力を込めた。
 そして、はふ、と短い吐息を零す。
「…………疲れた………………。」
 小さく──どんよりと積もるほど小さく、クリフトはそう呟く。
 ヨロヨロと足が揺れてしまうのは、体が疲れているからではない。
 朝から続く心労に、身も心も疲れ果てているだけなのだ。
 なんとか部屋に戻ってくるまでは無理矢理気を引き締めて堪えていたが、眼の前に広がる白いベッドを認めた途端、気が緩まってしまったのだ。
 フラフラとベッドに歩み寄り、パタン、とクリフトはその白いシーツにうつぶせになって倒れた。
 柔らかなシーツは、優しくクリフトの頬を受け止めてくれて、心地よい日差しと石鹸の香が鼻をくすぐった。
「ふぅ……。」
 零れた吐息と共に、クリフトは目を閉じる。
 途端、クラリと襲い掛かる睡魔──それに囚われないように、軽くかぶりを振る。
 けれど、霞みがかったような眠気は無くなることはなかった。
「────………………まだ……。」
 寝返りを打とうとするけれど、体はまるで言うことを効きはしなかった。
 まだ、お風呂にも入っていないし、着替えもしてはいない。
 しかも、鉛のように重い体は、シーツの上に倒れこんでいるばかりで、布団の中にすら入っていないのだ。
 ココまで体と心が疲れを訴えたのは、一体どれくらいぶりだろう?
 つい先日の、強行軍の後にしたって、意識が沈み込んでしまいそうだと思うことは無かったはずだ。
 体の疲れは全身に染み渡るように広がってはいたけど──そうだ、連戦のために、精神だけがイヤにビリビリと敏感になっていたからだろう。眠りについても、意識だけは長く部屋の中を漂っていたような感覚があった。
 けど今は、体はベッドの下にまで吸い込まれそうだし、精神もこのまま闇に溶けていってしまいそうなほど疲れていた。
 その理由を思い出そうとすれば、ドッと心労がよみがえってきた。
 それと共に、思い出したくもないのに脳裏を駆け巡るのは、朝から起きた「事件」の数々だ。
 朝日が昇ってすぐ──突然響いたミネアの悲鳴から始まったソレは、今も隣の部屋で続いているはずだ。
 一緒に風呂に入ろうだの、着替えを手伝えだの、アリーナと一緒に恋人ゴッコがしたいだの、男の遊びが知りたいから娼館に行きたいだの──軽いものから笑えないものまで以下、エトセトラエトセトラ。
 一つ一つ思い出せば、うなされているかのようにクリフトの眉間に皺が寄った。
 朝風呂を一緒に入ろうと誘われて断れば、嫌がらせかと思うほど爽やかに、サッパリしたわと、上半身裸で宿を歩き回るし。

「マーニャさんっ、なんて格好をしているんですか!」
「女の体でやったらしゃれにならないけど、男なんだからいいじゃなーい、こだわらない、こだわらない……はぁーいv そこの彼女ー。おっはよー? 昨夜は良く眠れたー?」

 ははははは、なんて明るく笑いながら、窓から身を乗り出して、宿の前を通り過ぎていった仕事場へ出勤途中らしい娘2人に手を振って、キャーッvと黄色い悲鳴をあげられていたのも、記憶に新しい。
 それを無理矢理ユーリルと一緒に引っ張って行くのに、どれほどの労力を使ったか……。
 その後、ライアンたちに説明をするために向かった部屋では──差し向けたのは自分であったが──、なんと、寝起きの顔で白黒する三人の目の前で、ストリップショーを開いたのだという。後で苦笑いのライアンからその事実を聞いて、やっぱり一人で行かせるんじゃなかったと、クリフトはクラクラと眩暈を覚えたものだ。
 その衝撃でブライは寝込み、トルネコは爆笑して腹をよじれさせ、ライアンは朝から疲れたと言っていた。
 疲れついでに、マーニャの買い物に付き合うつもりはないからと、ブライの看病を買って出てくれたライアンには感謝するが──なんというか、本当にもう、申し訳なさすぎて、今思い出しただけでも突っ伏した顔を上げれなくなりそうだった。
 朝食後すぐに出かけた買い物にしても、心労が増すばかりだった。
 少しの気分転換にはなったけど、同じくらい……なんというか、幼馴染の姫の無邪気さに精神的に痛かった。
 しかも、そこで一緒にマーニャのエスカレートを止めてくれるはずのユーリルまでが、一緒になって無邪気さを披露してくれたりなんかするものだから、疲労は増すばかりだったっけ。

「アリーナ〜v ギューっvv うぅーん、やわらかーい♪」、
「マーニャ、苦しいわよ?」
「あ、アリーナ、ストップ。動くなよ? ──ちょっとピアスがずれた。直させてくれよ。」
「あ、うん、お願いね、ユーリル。」
「んー、アリーナ、いい匂いv」
「…………っ、て、だから、何をやってるんですか、三人ともっ!?」
「えっ、何っ!? なんでそこで僕までクリフトの説教に巻き込まれるんだよ!?」

 それはそれは楽しそうに、マーニャはアリーナと恋人ゴッコをしたがった。
 なんだかんだとミネアと協力してそれを引き剥がしに成功したら成功したで、すぐに次の何かが起きる。
 無事にマーニャの洋服を買い終えた時だって、着替えを手伝ってくれだの、ついでに娼館に寄っていきたいだの、どこかで出刃亀したいだのと────…………碌でもないことを口にして、実行しようとしてくれた。
 未練たっぷりなマーニャを無理矢理引きずって宿に帰ってきたのが、日暮れ後──その後、また一波乱起きた夕食は、賑やかな夕飯に、宿の人が苦笑を覚えていたほどだ。

「アリーナ、はい、あたしの夕飯分けてあげるわよv あーんvv」
「えっ、いいの、マーニャ!? ソレ、大好きでしょ?」
「大好きだから、大好きなアリーナにあげたいのよ。はい、あーんv」
「んー……それじゃ、お言葉に甘えて──あーん。
 んっ……美味しい。ありがとう。」
「──んふふ。」
「? 何、マーニャ? どうかしたの?」
「んーん、その食べ方がまた可愛いなー、っていうか。
 間接キ・スv」
「…………え、何が?」
「──って、マーニャさんっ!!」
「あははははははっ!!」

 このまま夕食後もこの騒動が続くかと、頭痛すら覚えたクリフトに救いの手はすぐに差し伸べられた。
 夕飯の後、「祝・マーニャ男化記念飲み会」という名前の下に、ライアンが上等の酒をマーニャに掲げてみせてくれたのである。
 とにかく、マーニャが何かおかしなことをしでかさないように、異様にハイテンションのマーニャを酔いつぶすために、飲み会を開いてくれたのだ。
 マーニャに引きずりまわされた自分たちとは違って、ライアンたちは1日中宿に居ただけあって、体力は十分だ。
 きっと、男になってアレでも精神的に負担を感じているはずのマーニャは、あっけなくライアンに飲み比べで負けてしまう…………はずだ。
──きっと、だから、大丈夫だ。
「…………──寝よぅ……うん…………。」
 熱い溜息を零したのをきっかけに、無理矢理体を引き起こして、クリフトはフルフルと力なくかぶりを振りながら、神官服のボタンに手をかけた。
 夢見ごこちのフワフワした頭は、なかなか言うことを聞いてはくれなかったが、指先はきちんとボタンを外していってくれた。
 ココまで疲れて眠くなっているのは、一応、マーニャの機嫌を損ねないように、少しの間、酒の席に付き合っていたのが原因だろう。
 そもそも、酒に強くないクリフトは、酒の匂いだけでも酔いそうになってしまうこともあるのだ。これほど疲れている日なら、本当に匂いだけで酔ってしまっても不思議はないだろう。
 けれど、アリーナが退席するまでは居なくては、と、必死になって部屋に留まっていたのが失敗だったのかもしれない。
 かと言って、昼間のことを思えば、酒に酔ったマーニャがアリーナに何をしでかすか分からないし──。
 やっぱり、アリーナ様をマーニャさんが主役の酒の席に付き合わせるのは、考えたほうがいいのかもしれないな──そんなことを思いながら、クリフトは上着を脱ぎ捨てた。
 いつもなら、きっちりと枕元に畳み込んだり、せめてイスにかけたりするのだが、今日はそこまでの元気も余裕もない。
 ばさり、と乱暴にシーツの隅に放り投げて、クリフトはズボンのベルトも解く。
 そして、中に着たシャツ一枚だけになると、欠伸を噛み殺しながら、すでに視界が怪しくなり始めた目で、シーツを手繰り寄せ、体をもぐりこませた。
 何か忘れているような気がしないでもなかったが、今はとにかく、眠りたかった。
 朝から色々な事件に襲われ、色々な心労に襲われ──ようやく、そう、ようやくホッと息がつけるようになったのだ。
──うつらうつらとした眠りが、ゆっくりと頭を侵食していく。
 眠気に意識をさらしだすと、シン、とした空気が耳を打った。時折その静かな空気に、隣の部屋の笑い声が混じった。
 おそらく、隣の馬鹿騒ぎは、マーニャが酔いつぶれるまで続くのだろう。
 アリーナが退室したときにミネアも一緒に部屋に戻っているはずだから、実質隣の部屋にはマーニャ以外は男しか居ないことになるが──普段なら、それについてもう少し気を使うクリフトであったが、所詮今のマーニャは男だ。気を使う必要なんて無いだろう。
 というよりも、相手がマーニャなら、「キレイどころが居ない」と言い切って、コンパニオンを呼びはしないかと、心配しなくてはいけないくらいだ。
「…………やりそうだ…………。」
 考えれば考えるほど頭が痛くなってきて、クリフトは現実逃避をするように、眉間に皺を寄せながら枕に頬を埋めた。
 今、マーニャと飲み会を継続しているのは、ライアンとトルネコ、ブライだ。
 あの面子なら、娼館に行きたいだとか、夜の街に遊びに繰り出したいだとかマーニャが言い始めても、何とかしてくれるだろう。自分たちみたいに振り回されることはないはずだ。
 ──たとえ酔っ払っていても。
 まだ色々な心配が頭を掠めたが、クリフトは無理矢理それをねじ伏せた。
「…………とにかく、さっさと寝て、明日……なんとかしないと。」
 だんだんと自分に言い聞かせるように呟く声すらも、遠くに聞こえ始める。
 あぁ……本格的に寝てしまいそうだと思いながら、クリフトはそれでも、コレだけは忘れてはいけないと、心の中で呟いた。
 明日──絶対、早く起きないと…………と。
 その誓いをしっかりと胸に刻みながら、意識を手放そうとした、まさにその瞬間であった。
 バンッ、とノックもなく扉が開いた。
「クリフトっ!!」
 続いて、部屋中に響くかと思うような声で、名を呼ばれる。
 は、と眠気が一瞬吹っ飛んで目を見開いたクリフトは、視線をドアへとやった。
 そこには、キュ、と唇を結んだユーリルの姿があった。
 夜闇に浮き立つ白い頬は上気し、目が少し潤んでいる。
 クリフトが隣の部屋を退室するときまでは、マーニャのガッシリとした腕に捕まえられ、セクハラを受けていたような覚えがあった。
 眠気と疲れで頭がフラフラしていて、隣の部屋から退席するときのことは殆ど覚えてないが、なにやらユーリルが叫んでいたような気がしないでもない。
「……おっまえ、僕を見捨てて、先に寝てるなよっ!」
 ズカズカと、怒ったようにベッドの傍に歩み寄って、ユーリルはキッとクリフトを見下ろした。
 その首筋の辺りに、ほのかに赤い跡が見えたのは、紛れも無くマーニャのセクハラの跡であることは間違いがない。
「…………はぁ………………。」
 力なく、トロン、と眠気に負けた目で見上げるクリフトに、ユーリルは眉を引き絞ると──低く、呟いた。
「……ザメハ。」
 途端、スゥ──と霧が晴れ渡るように、心地よくも重く圧し掛かっていた眠気が消えていく。
 このまま幸せとは言わないまでも、ゆっくりと眠りの中に入っていくつもりであったクリフトは、ものの見事にくっきりと戻ってきた意識に、強く眉を寄せた。
 手の平を額に押し付けるようにしながらユーリルを見上げると、ユーリルは唇を震わせてクリフトを睨みつけていた。
「アリーナとミネアが出てって、マーニャが不機嫌になったところに僕を押し付けて、自分はとっとと出てっただろっ! 信じられないっ!!」
「──────………………アレは、私がユーリルをマーニャさんに押し付けたんじゃなくって、あなたが自分でマーニャさんの傍に行ったんじゃないですか。
 だからてっきり、私の代わりに生贄になってくれたんだと思ってたんですけど?」
 アリーナとミネアが部屋から立ち去っていった後、マーニャがつまらなそうに酒ビンを抱えてライアン相手に愚痴を零していたのに、「まぁまぁ、コレでも飲んで落ち着けよ」と、ワインを掲げて近づいていったのは、確かにユーリルだ。
 そして、飛んで火に居る夏の虫とばかりに、ユーリルは見事マーニャに絡め取られ、セクハラ三昧を受けていた。
 いつものように頬にキスされたり、抱きしめられたり、頭を抱き寄せられたりしても、普段のマーニャは女だから、ユーリルはすぐにソレから逃げることが出来た。
 だがしかし、今日はそうじゃなかった。
「生贄になんてなるわけないだろっ! お前が部屋を出てくとき、僕も一緒に連れて行けって叫んだのにっ、無視して出てったじゃないかーっ!」
 バンッと、クリフトが寝ているベッドに乱暴に拳を叩きつける。
 大きく揺れるベッドに、クリフトはしぶしぶ上半身を起こした。
「無視して出て行ったのではなくて、ぜんぜん聞こえてなかったんですよ……眠くて。」
 呪文の影響のおかげで、スッカリ頭から消えてしまった眠気に、どこか未練を覚えながら、そう答えてやるが、ユーリルは当たり前ながらソレで納得してはくれなかった。
 ドスン、と勢い良くベッドサイドに腰掛けると、
「もぅっ! トルネコさんが助けてくれなかったら、僕、本気でまずかったんだからなっ!!」
「無事でよかったじゃないですか。」
 おざなりに答えてやりながら、クリフトは全身に覚えた倦怠感に、ズルズルと寝込みたくなった。
 呪文で眠気を吹き飛ばされても、疲れた体と心が休みたがっているのには変わりがないのだ。
 欠伸を噛み殺しながら、クリフトは手を伸ばして、ユーリルの頭をゆるくなで上げてやる。
「良くないっ!」
 パシンっ、と手の平を叩きつけ、ユーリルはクリフトの襟ぐりを掴んだ。
「クリフトっ! マーニャのアレ、どうにかなんないのかっ!?
 別に男でも女でも、マーニャはマーニャなんだから、どうでもいいやとか思ってたけど、やっぱり力勝負で負けるのは、困るっ! すっごく、困るっ!!」
 ギッ、と間近で睨みつけてくるユーリルの目が、充血していると同時、少し涙ぐんでいるのを認めて、クリフトは軽く顔を顰めた。
 一体ユーリルは、何をされたのだろう? ──考えたくないような気がしないでもない。
「──そんなに困るなら、いっそラリホーマでもかけて、眠らせてしまったらよかったんじゃないですか? ……緊急事態なんですから。」
 ふぁぁ、と、もう一度欠伸を噛み殺して、クリフトはいつもの正常な状態なら決して口にしないようなことを提案する。
 そしてソレを聞いた瞬間、ユーリルは見る見るうちに目を見開いた。
「…………あ……そっかっ! そーだよなっ。」
 声に嬉々とした色が混じっているのを感じながらも、クリフトは重々しく頷いてやった。
「そうですよ──……って、良く考えてみたら、朝からマーニャさんにラリホーかけてもらっておいてたら良かったんですよね……明日の朝まで。」
 小さく呟いて──そういえば、そういうことだったんだと、クリフトは唇に手を当てた。
 ということは、具体的な解決策が見つかるまで、とにかくひたすら眠らせておく──あまりいい手だとは思えないが、自由好き勝手にされるよりはマシだろう。
 もっとも、隣の部屋に賑やかさを聞けば、それがもう遅いことだと分かっていたが。
「──さ、問題は解決しましたよね?
 なら、私はもう寝ますから……そこ、退いて下さい。」
 体が疲れでジンジンと熱さを訴えているような感覚を覚えた。
 それと同時、頭の片隅から痺れるような眠気がこみ上げてくる。
 ふぁ、と小さく欠伸を手の平で噛み殺して、クリフトはユーリルの腕を叩いた。
「分かった……──って、ちょっとクリフト?」
 素直にクリフトのベッドから退こうと腰を上げかけて、はた、とユーリルは自分が本当に言いたかった事実に気づいて、動きを止めた。
 そのまま、グルリと体を回して、クリフトを見上げる。
「その線で行くと、僕はマーニャに襲われかけるたびに、ラリホーマを唱えなくちゃいけなくなるじゃないか! そーゆーんじゃなくって、もっとこう、早く女に戻す方法とか考えてくれって言ってるんだよ!」
 今、再び、掴みかかろうとせんばかりに近づいてくるユーリルに、クリフトは体を反らせるようにして布団の上に仰向けに横になった。
「──……だから、明日の朝早く起きますから、お願いですからもう寝かせてください。」
 そのまま、ユーリルの攻撃から逃れるように、布団を頭から被った。
 そうすると、布団がうまい具合に隣の騒ぎを遮断してくれて、このまま心地よい眠りに入っていけそうな気がした。
 ユーリルが掛けてくれたザメハの呪文も、新たに襲ってきた眠気にふるい落とされ、クリフトはそのままウトウトと瞼を閉じた──のだけど、
「わっかんないよ、それじゃっ! ──もー、クリフト、寝るなってばっ! ザメハッ!」
 ガバッ、と、ユーリルは勢い良くクリフトの布団を剥ぎ取り、同時に思いっきり目覚めの呪文を叫んでくれた。
 脳裏を痺れさせるような眠気が、一瞬で吹っ飛ぶ。
「………………〜〜〜ユーリル〜っ! 邪魔しないでくださいっ!」
 がばっ、と起き上がったクリフトと、額がぶつかりそうなほど間近──ユーリルは彼の目を覗き込んだ。
「邪魔してるのはクリフトだろっ!? 朝早く起きて、どーするって言うんだよっ!?」
「だからっ、マーニャさんの男性化が朝日のお願いごとのせいなら、こっちもお願いごとしてみるというのを、試してみようって言うんですよ!」
 キッ、と、ユーリルの目を睨み返して、そう叫び返した後、クリフトはユーリルの手から毛布を奪い取り、ばさっ、と再び頭から毛布を被った。
 ギュ、と目を閉じるが、先ほどユーリルの呪文によって吹き飛ばされた眠気は、すぐに戻ってきてはくれなかった。
 明日は朝日が昇る前に起きないといけないのに──と、クリフトは臍を噛む気持ちで、それでも冷静に目を閉じながら、頭の中で羊を数え出した。
「……──こっちもお願いごとって…………──。」
 キョトン、と目を見開いたユーリルは、こんもりと小山になったクリフトの形をした布団を見下ろした。
 それから、軽く首を傾げて──トントン、とクリフトの肩の辺りを突付いてやる。
 ピクン、と小さく揺れた動きで、彼がまだ寝ていないのを確認してから、ユーリルはニッコリと微笑んで、クリフトの布団を再び剥ぎ取った。
「…………ユーリル……っ。」
「クリフト。今のうちに風呂に入って来ようぜっ。マーニャが来る前にっ!」
 三度目はないですよ、と──クリフトがそう続けるよりも先に、ユーリルは嬉々としてそう笑って答えた。
「これが最後のチャンスだって知ったら、絶対マーニャは僕らと一緒に入りたがるからさっ! ほらほら、お前もまだ風呂に入ってないんだろ? 寝るなら、お風呂の後です!」
 したり顔でそう笑うユーリルの顔を、うろんげに見上げて、クリフトは布団にもぐりこんだおかげで乱れた髪を掻き揚げながら、しぶしぶ身を起こした。
 このままユーリルを簀巻きにしてでも寝たい気持ちはあったが、放っておいたら、朝までザメハを唱え続けてくれそうな気がしないでもなかった。
「………………素直に一人で入っているところに、マーニャさんがきたら困るって、そう言えばいいでしょう? ……ったく。」
 仕方がない、と──溜息を一つ零しながら、毛布を払いのけると、ユーリルは素直に頷いた。
「うん、そうなると困るから、一緒に入ろ?」
「………………──────────。」
 思いっきりドッと疲れた気がして、クリフトはベッドの上に正座して、カーテンも引いていないままだった窓の向こう──月も見えない夜の闇を見やった。
 こうなったら、朝まで起きていたほうが賢明かもしれない。
 ──そんなことを思いながら。













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