────その日の夜は、騒がしくも更けていき……
 そして、夜が明ける。










聖者の贈り物 4


















「さーむーいーっ!」
 はぁ、と零れた息が白く染まっているのを見ながら、ユーリルは軽く目を細めた。
 先ほどまで頭の芯を重くしびれさせていた眠気は、皮膚を刺すような冷気の前に綺麗に吹き飛び、今は震え始める手足を擦り合わせるのが精一杯だった。
「だから、下で待っていればよかったのに。」
 呆れたような声を上げて、クリフトは毛布の間から手を出して、ユーリルが横に置き去りにさせたままの、空になったマグカップを手にする。
 自分の隣に置いたポットから、彼のマグカップの中に、並々とコーヒーを注ぎ込んでやると、ふわり、と漂った湯気からかぐわしい香が鼻を掠めた。
「はい、ユーリル。暖かいですよ。」
 差し出してやると、サンキュ、と小さく呟いて、ユーリルは赤くかじかんだ指先で暖かなマグカップを受け取った。
 口元に近づけると、白い湯気がフワリと、あわ立った肌を包み込むように優しく触れた。
「あったかい……あー、生き返る〜。」
 へらり、と笑って手の中のコーヒーを啜って、毛布を手繰り寄せる。
 どんどん湧き出す湯気は、そのたびにカップの中の液体から温度を奪っていっているようで、一口目よりも二口目のほうが、幾分ぬるく感じて、ユーリルは小さく吐息を零す。
 そんな彼の頬も鼻の頭も、寒さのためかかすかに赤らんでいた。
 夜の闇にも浮き立つほど白い肌だから余計にその赤さは目立った。
「湯冷めして風邪を引かないうちに、部屋に戻ったほうがいいと思いますよ?」
 懐に抱えた湯たんぽも、すっかり冷え始めている。
 それに、きちんと髪も体も渇かしたとはいえ、ほんの少し前までは風呂に入っていた身だ──湯冷めしてもおかしくはない。
 自分はとにかくとして、パーティのリーダーであるユーリルに風邪を引かせるわけにはいかないと、クリフトは眉を顰めてそう提言するのだが、ブルリと体を震わせたユーリルは、毛布をしっかりと握り締めて、フルリとゆるくかぶりを振った。
「いい。マーニャが戻るために、僕も一緒にお願いごとするから、このままココにいる。
──クリフト一人に任せるのも、どうかと思うしさ。
 それに、僕だって他人ごとじゃない。」
 最後の一言だけ、うんざりしたように呟いて、ユーリルは首筋の辺りをなで上げた。
 かすかに熱を持ったような気のする首筋には、くっきりと赤い印がこびりついている。擦っても落ちないとわかっていたが、できれば石鹸で落ちて欲しいと、風呂場で桶を握り締めながら呟いていたのは、本当についさっきのことだ。
 面白いからそのままにしておいても良かったが、部屋に戻ったらバンドエイドでも手渡してやろうと、心の中だけで呟く──そうしなければ、姫様がきっと彼の首筋の赤い跡に気づいて、どうしたのだと質問してくれるに違いないのだ。
 そうなったときの、マーニャのそれはそれは嬉しそうな顔が思い浮かんで、今から疲れを覚えてしまうのは──過保護だと分かっていても、直らないものである。
「そうですね……でも、お願い事が本当に叶うとは、限らないんですよ?」
 だから、一生懸命お願いしても、もしかしたら戻らないかもしれない。──もっと言えば、マーニャは一生あのままだという可能性だって、無いわけじゃないのだ。
 ……いや、本当に、いっそ一生あのままだと分かったら、ソレハソレで対処のしようがあるのだが、いつ女に戻るか分からないのだから、面倒なのだ。
「やってみる価値はあるんだろ? なら、とりあえずやってみようぜ?」
 考えるのは、それからだ、と続けて、ユーリルはカップの中のコーヒーを啜る。
 あっという間にぬるくなってしまったコーヒーは、舌の上に苦さを残して、スルリと喉を滑り降りていった。
 少しでもぬくもりが逃げないように、ユーリルはしっかりと両手でマグカップを包み込む。
「パデキアが効けば、ソレッタに行くだけですんだんだけどさ。」
 はぁ、と零した吐息の白さが、夜目にも良く見えて、今の寒さを物語っているようだった。
 その白い息の向こう……ようやく白々としてきた空が見えた。
「病気というわけじゃないんですから、意味がないじゃないですか。」
 苦笑を噛み殺しながら、クリフトも目を上げて正面を見つめた。
 みんながココに勢ぞろいして朝日を見上げていたのが、つい二日前の朝のことだ。
 にも関わらず、遠い昔のような気がしてきた。
 昨日1日で、ずいぶん色々な心労があったと、クリフトは溜息を零した。
「ま、そーだけどさ──……ふぁ…………あったかいもの飲むと、眠くなるな……。」
 首を竦めるようにして、毛布に頬を埋めながら、ユーリルは小さく欠伸を噛み殺す。
 寒さのあまり、神経も目もピィンと張り詰めていたのが、暖かい飲み物のおかげで、和らいでしまったかのように感じた。
 冷たい屋根に直接置かれている足先は、かじかんで冷たくなっていたが、それすらも気にならないほど、眠気が穏やかに舞い降りてくる。
 片手でトロリと降りてくる目を擦りながら、ユーリルは首を傾けるようにしてクリフトを見た。
「クリフト、眠くない? 眠くなったらすぐに言えよ? ザメハしてやるから。」
────たぶん、親切で言ってくれたのだろう。
 それは分かるのだけど──つい数時間前に、そのくだんの眠りから目覚めさせる呪文を、二度も受けた身としては、思わず目が据わってしまうのも仕方がないことであった。
「………………誰のおかげで完徹になってると思ってるんですか。」
 低い声と冷ややかな眼差しで、クリフトはユーリルをヒタリと睨みつけてやる。
 その眼差しを受けて、う、とユーリルは言葉に詰まり、少し考えるように視線を宙に泳がせた。
 疲れ果てて眠ろうとしていたクリフトをたたき起こして風呂に連れて行った自覚はあるし、風呂から出た後も、マーニャがしてきたことの愚痴を聞かせ続けて起こしていた自覚もある。
 そこで仕方がないので、クリフトの機嫌を取ることはあきらめて、ユーリルはわざとらしいほどわざとらしく、
「あっ、日が昇るぞっ、クリフトっ!」
 ビシリっ、と、眼の前を指差した。
「……ユーリル…………。」
 それでごまかしたつもりかと、そう言ってやりたいのは山々だったけれど、目の端を掠めた明るい色に、しぶしぶ視線を前方に戻した。
 ユーリルの指が示す先では、荘厳な雰囲気をまとわせた霊峰が、いつもと同じように朝を迎えようとしていた。
 この霊峰にとっても町の人にとっても、当たり前のように毎朝訪れる光景だ。
 けれど、旅人にとっては感動を覚えるほど美しい朝焼け──。
 紺碧の空に、にじみ出るように紫色が広がっていく。
 白い雲はグラデーションを描き、霊峰の方角からかすかに紅色の色味を強くしていった。
 形の美しい霊峰の頂きに積もっている白い雪が、朝日の光を受けて、ほんのりと茜色の輝きを宿す。
「──……。」
 霊峰の峰を照らし出すように明るい色がにじみ出ていくさまを、クリフトは唇を一文字に結んで見つめた。
 茜色と紺碧、そして強く濃く残る影の陰影が、まるで夢のように美しく世界を彩っていく。
 夜という名の深い闇が、たった一つの大きな火の玉に払拭されていく。
 それは、全身に宿るけだるい倦怠感を吹き飛ばすほど爽快で──あでやかな光景。
 まるで神さまが、この世に光臨したような光景だと……太陽神が舞い降りる一瞬は、毎朝やってきているのだと、当たり前のことに、胸が震える。
「…………やっぱ、キレイだな…………。」
 寒さを忘れた様子で魅入るユーリルが、無意識に零した掠れた声に、ハッ、とクリフトは我に返った。
 おとついのユーリルたちが、朝日のあまりの荘厳さに見とれてしまい、願い事を呟くのを忘れたと言っていたが、危うく自分も同じ道をたどってしまうところだった。
 どうやら、ユーリルにココに居て貰ったのは、正解だったようだ。
 クリフトは苦い笑みを唇に刻み込んだ後、すぐに表情を改めて、冷たい自分の指先を絡め合わせた。
 そして、そ、と睫を落とし、口の中で神に捧げる祈りを呟く。
 それから、願い事を強く心の中で告げた。
 変わったものが、今すぐ元ある姿に戻るように。
「──────………………。」
 そのまま、視線を上げる。
 大きな太陽が、霊峰から姿を表していく光景が目に映った。
 昼間は痛いくらいの輝きを纏った太陽の姿は、目に捕らえることはできない。
 沈んでいく太陽は、丸い形も、茜色に染まる姿も、何もかもが目に捕らえることが出来るけれどどこか寂しさを覚える。美しいけれど、沈みいく太陽の姿は、寂しい。
 けれど、こうして上ってくる太陽は、新しい目覚めのエネルギーに満ちていた。
 だんだんと明るさを増していく太陽の輝きを受けているだけで、不思議と目がスッキリしてくる。
 はぁ、と感嘆の息を零すと、それは白く──かすかに茜色を宿して、空気の中に消えていく。
 クリフトは、無言で太陽が昇りきるのを見守った。
 夜の色が薄れて、闇に沈んでいた世界が、浮き上がっていくかのように目に映った。
「……明けたな。」
 明るい色を宿し始める東の空を見ながら、ユーリルはマグカップに残った最後の一口のコーヒーを飲み込む。
「────…………願い事、かなうかな?」
 小さく呟いた声は、マグカップの中に反響して聞こえた。
 どの声が、嫌に自信なさげに聞こえて、ユーリルは軽く眉を寄せる。
 そんな彼をチラリと見やって、クリフトは苦く笑む。
「──さぁ、どうでしょうね………………。」
 太陽の暖かな日差しを頬に受けながら、ブルリ、と身震いした。
 実際、どうなっているのかは、今から見に行かないと分からないだろう。
「もしダメだったら……また、次の手を考えましょう。」
「……だな。」
 空になったマグカップを手に、立ち上がる。
 クリフトも、ユーリルに少し遅れて、ポットと自分の分のカップを手にして立ち上がった。
 辺りはすでに朝の色に染まっている。
「…………戻ってるにせよ、戻ってないにせよ……今日も1日、騒がしくなりそうだとは思いますけどね。」
 まぶしい太陽の光が、目に痛いと──疲れた顔で呟くクリフトに、ユーリルはそれもそうかと、軽く肩を竦めて見せた。










「…………って、なんて格好してんだよ、マーニャのバカーっ!!!!」










 昨日に引き続き、宿に響き渡った悲鳴は、今度は若い少年のものであった。
 その声が聞こえた瞬間、
「えっ、何っ!? ユーリル、何があったのっ!!?」
 がばっ、と、アリーナはまどろんでいた気配も吹き飛ばし、がばっ、とベッドから飛び降りる。
 そして、ベッドサイドに置いてあった鉄の爪を引っつかむと、それを一瞬で腕に嵌めた。
 そのまま、キッ、と視線も鋭く辺りを見回し──自分がどこに居るのか思い出して、目をパチクリと瞬かせた。
 考えるよりも先に体が真っ先に反応したアリーナは、いつもの癖で考えるよりも先に体を動かせてしまったが──寝起きが良い彼女の頭は、すぐに現状を理解した。
 もちろん、昨夜、マーニャが男であったことも覚えている。
 ココは、小さな宿場町の宿屋。本当は今日出発するはずの予定だったのだが、昨日起きたハプニングのおかげで、いつ出発になるのか分からない状態。
 そして。
「…………今の、ユーリルの悲鳴だったわよね?」
 腕から爪を外して、ベッドサイドの棚の上に戻しながら、アリーナはベッドの上に座りなおした。
 首を傾げて、視線を横にやる。
 三つ横に並んだベッドのうち、左右をアリーナとミネアが固め、真ん中のベッドはポッカリと空いている──これが、昨夜の飲み会の主役であり、現状の「被害者」であるはずの当事者のベッドだ。
 使った形跡のないベッドの主は、きっと今も飲み会の行われていた部屋で飲んでいるか、潰れて寝てしまっているかのどちらかだと思われる。
 何せ、この部屋に一つだけある小さな窓の向こうは、まだ夜が明けたばかりだということを示す、柔らかな光に包まれていたから。
 一つ挟んだベッドの向こうは、こんもりと人型に盛り上がっていた。
 ミネアは、先ほどの悲鳴に飛び起きず、スヤスヤと心地よい寝息を立てていた。
 おそらく、昨日のことでだいぶ疲れているのだろう。
 そう判断して、アリーナは枕もとに畳んでおいたショールを手にした。
 それを肩から羽織り、ベッドの下に置かれている室内用のスリッパを取り出し、それに足を入れる。
 もう一度ミネアを振り返り、彼女がまだ寝ていることを確かめて、アリーナはそろりと扉を開いて、廊下を覗き込む。
 シン、と静まり返った廊下は、ユーリルの悲鳴に何の反応も示してはいなかった。
「──……多分、ライアンさんたちの部屋でいいのよね?」
 アリーナは自分に確認するように呟いて、少し冷える廊下に身を躍らせる。
 後ろ手に、音がしないように丁寧に部屋の扉を閉めて、ライアンたちの部屋に向かった。
 扉の数歩手前の辺りで、部屋の中から話し声が聞こえた。
 その声の主が、自分が良く知る人物のそれだと気づき、アリーナは、軽く眉を寄せた。
「まさか、クリフトったら、昨日の夜からそのままココに居たのかしら?」
 昨夜、飲み会がヒートアップする前に、さすがに疲れたから部屋に戻るというミネアに付き合って、アリーナも退室したのだが──そのとき、まだクリフトもユーリルも部屋に残っていた。
 クリフトも、だいぶ疲れていたから、一緒に戻った方がいいのではないかと声をかけたら、少し片付けたらすぐに戻るとは言っていた。
 昨日はとても楽しくて、久し振りにみんなで遊んだ気がして、アリーナとしては面白かったのだけど、なぜかクリフトはとても疲れていた。
 マーニャと一緒に笑ったりすればするほど、クリフトの顔に疲れが見えて、すごくアリーナは不思議だったのだ。
 けれど、それと同じくらい、クリフトが心配でもあった。
 何せクリフトは昔から、少しくらいの無理なら、当たり前のようにしてしまうのだ。
 その無理がたたって、ミントスではあんなことになったというのに……今でも、その無理をするところは直らない。
 どうしてクリフトがあれほど疲れていたのかは分からないけれど、
「ちゃんと寝なきゃ、また倒れちゃうんだから!」
 まったく、と、アリーナは険しい顔で、ライアンたちの部屋の前に立って、扉をノックした。
 きっと今でも、中は酒盛りが行われていて、クリフトはその片付けに走り回っているのだ──いつもそうだから、そうなのだと、疑うことはなかった。
 けれど、ノックの音に返る声はなかった。
 アリーナは目を瞬かせて、もう一度……今度は少し強くノックしてみる。
 しかし、扉の前で待っていても、返事は返ってこない。
 それどころか、扉の中の騒ぎは、アリーナが扉の前に立つときよりも大きくなったような気がした。
 何を叫んでいるのかは扉を挟んでいるので良く分からなかったが、誰の声なのかはわかる。
 クリフトとユーリルとライアンとトルネコの四人の声だ。
「……開けるわよっ!」
 このままじゃラチが開かないとばかりに、アリーナは扉のノブを掴んで、返事を待たずに扉を開いた。
 そして、開きながら、
「一体どうしたの、すごい悲鳴だったわよ?」
 そう声をかけた。
 ばんっ、と、半ば乱暴に開いた扉の音に、シン、と部屋が静まり返った。
 アリーナは、眉をひそめて部屋の中を見回す。
「あ、りーな……さま…………。」
 なんともいえない顔で、アリーナを見返すクリフトの顔を認めて、アリーナはますます顔を顰めた。
 何せ、今のクリフトの顔は、倒れそうに蒼白くなっているのだ。
 目の下の隈もくっきりとしていて、昨夜寝る前に別れたときよりもずっと辛そうに見えた。
──無理ばっかりするんだから、クリフトは……。
 やっぱり、無理矢理引きずっていけば良かったと、アリーナは唇をゆがめる。
「おはよう、クリフト、ユーリル。ライアンさん、トルネコさん……と…………ブライ、は、寝てるのね?」
 視線をずらしていくと、なぜか床に座り込んで、泣きそうな顔をしているユーリルが居た。
──ユーリルって、泣き上戸だったかしら?
 その隣で、トルネコがなぜかシーツを両手に抱えて、あははは、と愛想笑いをしてくれる。
 ライアンに至っては、赤く染まった顔に片手を当てながら、アリーナに頭を下げてくれるだけだ。
「おはようございます、アリーナ様。」
 苦い笑みを刻みながら、クリフトがすみません、と目で謝ってくる。
 さすがはクリフトだ。
 自分が何を見咎めて、顔を顰めたのか、しっかり理解しているのだろう。
 やっぱり徹夜したのだなと、アリーナは溜息をつきたいのを堪えて、床に大の字になって寝ているブライを見やった。
 ぐがー、ぐがー、と、静かな室内に異様に大きくその声は聞こえた。
「トルネコさん、そのシーツ、ブライにかけるの? できれば、ベッドで寝かせてあげたいんだけど、いいかしら?」
 気持ち良さそうに顔を真っ赤に染めて寝ているブライを見下ろして、アリーナは首を傾げてトルネコを見た。
 彼が持っているシーツは、その用途に使われるに違いないとそう判断するのと同時、何か違和感を覚える。
 その違和感が何なのかと、探すようにさまよった視線が──男性4人が立つ中央……ユーリルがしゃがみこむ後ろで止まった。
 途端、あぁ、と、ライアンが小さく呟いて目元を覆う。
 ソコには、シーツが山盛りに積み重ねられていた。
「…………? それ、何?」
 当然、アリーナはそう聞いた。
 シーツの山盛りを前に座り込むユーリルに、シーツを指差しながら。
 ユーリルは、眉をへの字にまげて、アリーナを見上げる。
 けれど、その唇は結ばれたまま言葉を発することはなかった。
 アリーナはいぶかしげにそんなユーリルを見つめてから、回答を求めるようにクリフトを見た。
 するとクリフトは、苦い笑みを刻みながら、
「────マーニャさんです。」
 仕方なく、といった具合に答えをくれた。
「…………マーニャ??」
 目を瞬いて、アリーナは布団の盛り上がりを見つめる。
 確かに、見渡した中にマーニャは居なかった。
 そのマーニャが、シーツの中にうずもれているというなら、そうなのだろうけど。
「…………どうしてマーニャが、シーツに押しつぶされてるの?」
 困惑したような視線を向けずには居られない。
 確かに昨夜もそれなりに冷えた。
 寒いからシーツを被ったのだと言われたらそれまでだが、それでも小山になるほど積みあげる必要は無いはずだ。
 そう目で訴えると、クリフトは、微かに頬を赤らめて──、
「いえ……その────昨日、マーニャさんが腹踊りをしたらしくって……。」
「──腹踊り??」
 ますます意味がわからない。
 そもそも、腹踊りというのは何なのだろうと、アリーナは顔を顰めてクリフトを見上げずには居られない。
「腹踊りというのはですねぇ、おなかに人の顔を書いて、こう腹をよじったりして表情を作るものなんですけどね……。」
 トルネコが、シーツを抱きしめながら、器用に腰を躍らせて説明してくれる。
 その説明を聞きながら、アリーナはとりあえずマーニャが居るというシーツに近づいた。
 ユーリルの隣を通り抜けようとした瞬間、
「アリーナっ、後は頼むっ!!」
 突然、ユーリルがそう叫んだかと思うや否や、がばっ、と彼は立ち上がった。
「……ぇっ、何がっ!?」
 驚いて振り返った先──走って逃げようとしていたユーリルが、しっかりとクリフトの腕に掴まれているのが見える。
「はーなーせーっ、クリフトっ!」
「アリーナ様に、寝てしまったマーニャさんを運ばせるつもりですかっ!?」
 眉を吊り上げて怒るクリフトの台詞に、アリーナは首を傾げる。
「私一人でも、マーニャくらいだったら抱き上げられるわよ?
 ──あ、でも今はマーニャは男なんだったっけ? それなら、無理かしら?」
 同じ身長くらいの男性だったら、十分持ち上げることは出来ると思うんだけど。
 そう続けて呟いた──何気ないアリーナの台詞に、
「う…………ご、ごほん。」
 非常に気まずげに、ライアンが咳払いをして。
「………………──────抱き上げられるって言ってるぜ、クリフト。」
 とりあえずの抵抗を止めたユーリルが、自分の腕を掴んでいるクリフトを見上げてそう囁く。
 クリフトは、なんともいえない顔で天井を見上げ、それから一同を見つめてから──はぁ、と長く溜息を零した。
 昨日も良く見かけたクリフトの溜息だ。
「クリフト?」
 やはり、答えはクリフトに求めるのが、一番早そうだと、アリーナは彼の顔を見上げた。
 そのときになってようやく、クリフトはアリーナが薄着であったことに気づいたらしい。
 軽く眉を顰めたかと思うと、自分の上着のホックを外し始める。
 クリフトが何をしようとしているのか気づいて、アリーナはチラリと彼に気づかれないように己の姿を見下ろした。
 寝巻きのまま飛び出してきて閉まったけれど、昨日はきちんとシャツの下にスパッツも履いて寝ていたので、クリフトに怒られる格好ではないはずだ──それに、ショールもしっかりと羽織ってきているし。
「アリーナ様、私の物ですが、少し我慢してくださいね。」
 寝巻きで男たちの部屋に入ってくるとは、と怒られるかと思ったが、クリフトはそのことには触れずに、そう断りを入れてから、自分が着ていた服をアリーナの肩から掛けてくれる。
 ショールを羽織っていたから、それほど寒いとは思っても居なかったけれど──掛けてくれた上着の暖かさに、知らず、ほぅ、と吐息が零れた。
 ぬくもりにすがるように首を竦めると、少し甘い香がした。
「ありがと、クリフト。
 ──それで、クリフト、マーニャを私が運ぶって言っていたけど?」
 微かに甘えるように微笑みながら礼を言って──すぐにアリーナは顔つきを改めて、クリフトを見上げた。
 マーニャが酔いつぶれたことは間違いないだろう。
 ──そのマーニャを、この几帳面なクリフトが放っておくはずがなく、シーツをかけてやったのもクリフトに違いない……と思うのだけど、それにしてはブライはそのまま放ってあるし、シーツも多すぎというか、マーニャの手足すら見えない状態なのだ。
 これでは息も出来ないのではないのか?
 嫌にクリフトらしくない行為に、ますますアリーナは違和感を覚えずには居られなかった。
 その彼女の不審そうな視線を受けて、クリフトにつかまれたまま、ユーリルが吐いた。
「そう、だから、アリーナに任せてもいいかな?
 マーニャをとりあえずそのまま部屋に連れて行って、ベッドに押し込んでくれさえすればいいから。」
「ユーリル……っ。」
 非難の声を上げるクリフトに、ユーリルはすぐに反論の声を上げた。
「だって、そうしかないだろーっ!? 寝ているご婦人を着替えさせるのはまずいって、クリフトが言ったんじゃないか!」
「それは、そうですけど…………それなら、私たちが部屋から出て、その間にマーニャさんを起こして、着替えてもらった方が……。」
 いつになく歯切れの悪い言い方をするクリフトに、アリーナは眉を寄せて──チラリ、とシーツの山を見下ろした。
 身じろぎしないその山は、なんだかとても苦しそうに見える。
 そのすぐ傍に跪いて、アリーナはシーツの上から手を置いた。
「マーニャ?」
 小さく呼びかけるが、答えはない。
 窒息しては居ないかと、不意に心配になって、アリーナは上から無理矢理落としたような形になっている──そう、まるで布団の雪崩にでも遭ったようだ──シーツを掻き出した。
「あ、あ、アリーナさんっ。あのですね、実はマーニャさんが……っ。」
 乱暴とも言えるアリーナの動作に、所在なさげにシーツを抱きしめて立っていたトルネコが、オズオズと口を挟んだ瞬間、アリーナの指先に触れる感触があった。
「マーニャ!」
 迷うことなく、その物体の感触の正体を叫び、アリーナはシーツを剥ぎ取る。
 果たして、シーツの山の下から出てきたのは、見慣れたマーニャの体だった。
 健康的な小麦色の肌。ツヤツヤした素晴らしい弾力。触れたら返ってくる柔らかな感触に、繊細で動力的な体のラインと皮膚の輪郭。
 紛れも無いマーニャその人の。
「………………か、顔?」
 同じ色の肌に、マジックで書かれた目と眉と鼻と口。
 その鼻の部分には、小さくて品のよい臍があった。
「──おなか??」
 不思議そうに目を瞬き、アリーナは男のものにしては細い気のする腹から上に当たるだろう部分のシーツを剥ぎ取った。
 その手が、ふにゃり、と柔らかな物体に触れた瞬間。
「…………アリーナさまっ、それ以上は私たちの前ではやめてくださいっ!」
 クリフトが、堪えきれないように悲鳴に近い声で叫んだ。
「──クリフト…………なんか、マーニャ、胸…………あるんだけど?」
 戸惑いを載せて、アリーナは右手に触れたものを、ギュ、と握ってみた。
 自分でも覚えのある感触が、しっかりと右手に弾力を返してくる。
 握りこんだ拍子に、ピクン、と動いたマーニャの体は、それでもそれ以上動くことはなかった。
 そして、微かに動いた拍子に、シーツの中からパックリと見えた腹が動き──そこに描かれた鼻が、きゅ、と歪んだ。
「────…………あぁ…………今、俺が目を覚ましたら、すでに女に戻っていたんだ。」
 思わずマーニャの腹に書かれた顔に視線が集中したアリーナを現実に戻すように、ライアンが低く呟く。
 その目は、動揺のあまり宙に浮いている。
「いえね、実は私たちは、明け方前くらいにみんなで酔いつぶれて、床に寝てたんですよ。
 ──で、ユーリルさん達が部屋に入ってきて、クリフトさんがシーツを被せてくれたんですけど……。」
 コレ、と、トルネコが早口で説明しながら自分が握り締めているシーツをアリーナに掲げてみせる。
 それから、情けないような、照れているような笑みを浮かべて──、
「そしたら、ユーリルさんが悲鳴をあげるので、おきてみたら……マーニャさんが、昨夜の腹芸の格好のまま、そこで大の字に寝てて……まぁ、その…………上半身裸で。」
 モゴモゴ、と、最後の辺りは恥ずかしいのか、やはり視線を宙に漂わせてトルネコが説明してくれる。
 その説明に、再びアリーナはマーニャの腹に視線を落とした。
 シーツの暖かい中から、腹だけが出ていて寒いのか、マーニャの腹がぴくぴくと揺れた。
 そのたびに、目や鼻が、ぴくぴくと歪む。
「だから、ビックリしてシーツ被せたんだよ! ビックリするじゃん!? 腹に顔書いた女が、裸でひっくり返ってるんだぜっ!?」
 ユーリルが、そんなアリーナの背中に向かって叫ぶ。
「──……まさか、裸のままひっくり返ってたなんて、思いもよりませんでしたからね…………。」
 はぁ、と、クリフトが溜息を零すのに、アリーナは、うん、と一つ頷いた。
「──確かに、このおなかはビックリするわね。」
 ぴくぴくと動くたびに表情が変わる腹を、ジッ、と見つめていたアリーナは、
「だからって、このままにしておくわけにも行きませんしね……。」
 疲れたような呟きを零したクリフトの台詞に、はっ、と我に返った。
 そうだ、確かにこのままにしておくわけには行かない。
 アリーナは、腹だけが出ているシーツをもとに戻して、顔の辺りのシーツをはがし取り、そこから見えたマーニャの髪に、ホ、と胸を撫で下ろす。
「このままじゃさすがに、息苦しくてかわいそうだものね。」
 ──いくらおなかが面白くても。
 そうして、丁寧にシーツをはがして、そこから現れたマーニャの顔に──男性的なその色が無くなった、もとのマーニャの顔に、ニッコリと微笑を零した。
 男であろうと女であろうと、マーニャはマーニャだけど。
「やっぱり、こっちのマーニャの方が、落ち着くわ。」
 アリーナは、そう呟くと、迷うことなくシーツの下に手を差し込み、重いシーツごと、マーニャを抱き上げた。
 よろけることもなく、ひょい、とマーニャを横抱きにしてから、
「それじゃ、マーニャを寝かせてくるわね。」
 立ち尽くしている男4人に向かって、軽くウィンクしてみせた。
 迷いもない足取りで、すたすたと部屋を横切り、腕の中のマーニャの重みを物ともせず、アリーナは部屋から出た。
 そして──腕の中のマーニャの楽しそうな寝顔を見て、目元を緩めて笑った。
「……うん、いつものマーニャだ。」














 目覚めた瞬間、左右のベッドにミネアとアリーナが寝ているのに気づいて、マーニャはアレが夢なのかと思ったのだという。
 けれど、首には昨日男になったときに買った覚えのあるチョーカーはついているし、服だって男の時に買ったものがそろえてある。
 そこで、ベッドから飛び起きて、ミネアをたたき起こし、事実確認を行った結果……今、少し遅めの昼食の席で、彼女はガツガツとやけ食いをしながら、こう叫んでいた。
「あーっ、もーっ! なんで1日で戻っちゃうのよーっ!!!!」
「私は、1日だけでも疲れたわよ。」
 スープを飲みながら、ミネアはうんざりした声で非難した。
 もし、あと1日でも昨日のような状況が続いていたら、心労で胃に穴が開いていたかもしれないと思うほどだ。
 ようやく姉が「姉」に戻って、重い胸のしこりが降りたと、ミネアは胸を撫で下ろしていた。
「私は、マーニャがマーニャに戻ってくれて、ホッとしたわよ?」
 アリーナが、嬉しそうに目を緩ませてマーニャを見上げる。
 そして、いつものきつめの美女の顔に、うんうん、と頷いた。
 マーニャは、そんなアリーナのホッとした顔にも不満そうに、つまらなそうにコップに入った清酒を煽った。
「朝から迎い酒はやめた方がいいんじゃないですか?」
 あきれたようにクリフトが、アリーナのために紅茶を注いでやりながら眉を寄せる。
 そんな彼に、マーニャは拗ねたように頬杖をつきながら、憮然と答える。
「迎い酒じゃないわよー? ヤケ酒。」
 チャプン、とコップの中に残った酒を揺らして、マーニャはその残りを掲げてみせた。
 その残り少なさに、拗ねたように唇を尖らせていると、カツン、と軽快な音を立てて、コップにビンがぶつけられた。
 億劫そうに顔をあげたマーニャは、コップにぶつけられたものが清酒の入った酒ビンだと気づくと、ぱぁっ、と顔を輝かせて顔を上げた。
「ほら、女に戻った祝いに、おごってやろう。」
 そのマーニャに、ライアンが笑ってビンを揺らして見せた。
 マーニャはそれを見て、満面に笑みを浮かべた。
「よっしゃ! その話、乗ったっ!」
「もーっ、姉さんったら……っ!
 ライアンさんは、姉さんに甘いんだから……。」
 まったく、と小さく呟いて、額に手を当てながらも、ミネアはライアンに席を勧めるマーニャを止めることはなかった。
 なんだかんだでミネアも、マーニャがもとに戻ったことが嬉しいことに変わりは無いのだから。
「しっかし、本当にもとに戻ってよかったですねー。」
 のほほんと微笑みながら、トルネコが食後のお茶に舌包みをうつ。
「そうじゃな。これで予定とはずれ込むが、明日くらいには出発できるじゃろう。」
 ブライも、ヤレヤレと、ようやく肩の荷が下りたといわんばかりに、肩を鳴らして呟いた。
「って、ブライは何もしてないと思うんだけど?」
 軽く首を傾げてアリーナが呟く台詞に、ブライが気を害したように眉を寄せた。
「何をおっしゃいますか、姫様っ!」
 そんな面々を見ながら、ユーリルもようやく見慣れた光景に、はぁ、と穏やかな笑みを見せる。
「やーっぱり、マーニャはああじゃなくっちゃなー。」
「そうですね──でも、本当にもとに戻ってよかったです。
 やっぱり、アレが、効いたんですね……。」
 最後の言葉は少し濁して、ニッコリ笑って見せたクリフトに、ユーリルも、うん、と頷いた。
「クリフトがきちんと願ってくれたおかげだな。」
「何を言っているんですか、ユーリルだって………………──────。」
 ふ、と微笑を強張らせて、クリフトは首を傾げてユーリルを見た。
「……ちゃんと願ってくれましたよね?」
 なんだか、不穏な気配を感じた。
 だから、そうあえて聞いてみたのだが。
「………………願い事は、人に話したら効果がないんだぞv」
 ごまかすようにユーリルが笑った。
「────ユーリル…………っ、あなた、マーニャさんをもとに戻すために付き合ってくれたんじゃなかったんですかっ!?」
 眼の前で上機嫌にライアンと酒を飲み交わすマーニャにばれたら困るので、あえてユーリルに顔を近づけて、ひそひそと叫ぶ。
 すると、ユーリルはあからさまに視線を横にずらしてくれた。
「いや──だって、マーニャのことはクリフトが言ってくれるから、それはそれ、これはこれかな、とか。」
「………………まったく、本当に。」
 まだ何か言いかけようとして──クリフトはその言葉を溜息に変えた。
 8人が座れるテーブルの上をグルリと見回せば、いつもと同じ光景。
 ライアンは手ずからマーニャに酌をしているし、ブライはアリーナ相手に何かを訴え、アリーナはソレをハイハイ、といつものように聞き流している。
 ミネアは溜息を零し──ふ、と視線をあげて、クリフトと目があったことに、苦い笑みを見せてくれた。
 トルネコは、そんな彼女の隣でゆっくりとお茶を傾け、ホォ、と幸せそうに吐息を零す。
 本当に──いつもと変わりない、光景。
 昨日の朝のドタバタが、まるで夢のようだ。
「──平和ですねぇ…………。」
 昨日1日の疲れが、まだ全身に残っているような気を覚えながら、クリフトは、疲れたようにそう呟いてみせた。
 何はともあれ、平和な光景が戻ってきたなら、とりあえずは由とするか、と。


















NOVEL


あとがき



はー……一ヶ月かかったなー、どーしてだろうと、今回まとめてみたら、ビックリです。
小話抜いて、本編だけで150KBありました──いやー、ビックリですな。
長編の一話分くらいありますよ…………マジっすか。
ということで、分けてみたらなんと4話分になりました。書きすぎです。
っていうか、SSSダイアリーで読んでいてくださった人はきっと、「いつ終わるんじゃ!」とお怒りだったことでしょう──すみません。

でもね、言い訳すると、ドラクエってそれぞれのキャラが個性光ってるじゃないですかー。
だから、ついつい書いちゃうんですよー、キャラを。
っていうか、クリフトを(笑)。
もう最近開き直りますが、クリフトの描写を書くの好きなんです。
あの、切ない片思いしているけど、それを表に出さないように心がけている──んだろうと思われる──ところが、まるで実ってなくて周りにはバレバレなところとかv
基本的に片思いクリフト好きですね。萌えますね。
そして男勇者と仲のよいクリフトも好きです。なんかもう、彼と絡ませると、いかにも「アリーナ様以外は、結構どうでもいい」っていう面が見え隠れするので(笑)、欠かせない小物です。(小物か……っ!)


…………っていうか、マーニャさん、書けば書くほど男っぽくなるな…………どうしてだろう………………。
イイ女だから?(笑)






勇者さまのお願いごと







ミネア「はぁ──あの宿場町、私の思い出のワースト1に上りそうだわ。」
アリーナ「そうなの? 楽しかったと思うんだけど。」
ユーリル「アリーナ、あれだけマーニャにギュゥギュゥ抱きしめられて、楽しかったのかー?」
アリーナ「うーん、そうね、ちょっと苦しかったかしら?」
クリフト「アリーナ様、マーニャさんが相手だからと、油断されすぎです。もう少し周囲に気を配ってくださらないと……。」
アリーナ「そうね! そうよね、武道家たるもの、いついかなるときも、隙を見せてはダメよねっ! ありがとう、クリフト。これからはもっと気をつけるわ!」
ブライ「そういう意味じゃないんじゃがのぉー……。」
トルネコ「それにしても、あの霊峰、本当にお願い事を叶えてくださったんですねぇ──いやはや、素晴らしいですが……ある意味怖いですね。」
ライアン「まったくだな。マーニャどのが一人男になったくらいで、あれほどの大騒ぎになるんだから、願い事をしたみんなの願いが叶えられてしまったら、一体どうなることか……。」
クリフト「あ、ソレなんですけど、教会の神父様にもう一度お話を詳しく伺ってみたんです。
 そうしたら、あの願い事──人にあまり害のないような、小さな願い事しかかなわないそうなんですよ。
 ですから、世界征服だとか、人に害を成すことだとかは、効果がないんだそうです。
 もともと、失せ物探しや、子宝を授かるとか、そういうことに効果があるんですって。」
アリーナ「そうなんだ──それじゃ、神頼みみたいなものかしら?」
クリフト「ええ、そうだと思いますよ。」
ライアン「……──なるほどな、俗物な願い事は叶えられん、ということか。」
トルネコ「俗物ですか──お金が欲しいとか、お金持ちになりたいとか、商売に成功したいだとか、そういうのはやっぱり、俗物、なんでしょうなぁ。」
ブライ「俗物、結構、結構。人間は所詮、そういう願いを主軸に生きておるからの。
 ──ん、じゃがしかし、それならどうしてマーニャ殿の願いがかなったんじゃ?」
ユーリル「そういやそうだな──どうしてだよ、クリフト?」
クリフト「──……男になりたい、という願いは──結構、純粋なお願いだと考えられるそうです。」
マーニャ「あーら、そうなの?」
ミネア「またどうしてっ!?」
クリフト「────男の体に女の心が宿り、女の体に男の心が宿る……そういう事象があるんです。
 しかし、今の教会では、その事実を認めることはありません──しかし、本当の自分を捻じ曲げて生きることはできない。
 そういう人たちの願いは、俗物ではなく、間違った姿で生まれてきた自分の姿を、本来の物へ戻して欲しいという純粋な願いなのです。
 ですから──……たぶん、霊峰も…………マーニャさんのことを──────。」
マーニャ「何、ソレ? つまり、あたしがそれほど男の心を宿した女に見えたってことっ!?」
ミネア「あぁっ、なるほどっ!」
トルネコ「確かにマーニャさんは、女にしておくのが勿体ないくらい、キップがいいですからねぇ。」
ライアン「だが、男にしておくのももったいないくらい、気風がいい。」
ブライ「おっ、うまいですな、ライアン殿。」
ライアン「いやいや。」
マーニャ「それもあんまり褒めてないっ!!」
アリーナ「ふーん、良くわからないけど、マーニャが無事に女に戻ったってことは、マーニャは女の方がいいってことなのよね?
 うん、私も、マーニャはヤッパリ女の方がいいわ。」
マーニャ「あぁーら、そう?」
アリーナ「うん。」
ミネア「私も、姉さんは姉さんでいいわ。──兄さんなんて、今考えただけでもゾッとしちゃうもの。」
ユーリル「………………。」
クリフト「ユーリル、どうしたんですか? さっきからおとなしいですけど。
 ──あ、もしかして、昨日の願い事のことでしょう?」
ユーリル「……なぁ、クリフト?
 …………願い事ってさ、どこからどこまでが、俗物、なのかな?」
クリフト「……それを決めるのは、私たちではありませんが──そうですね、己の私利私欲のために願うことは、やはり俗物の類になるのではないでしょうか?」
ユーリル「──自己満足のために願うのは、私利私欲?」
クリフト「……聞いても?」
ユーリル「願い事は他人に話したら、効力を失うから、ダメ。」
クリフト「いつも同じ願い事をしているのですか?」
ユーリル「──あぁ、うん。
 自己満足だけど。
 世界平和を祈るとか、そういうのより……僕にとってはずっと身近で、ずっと大切な……ことだから。」
クリフト「…………なら、それは自己満足であろうとも、そうでなかろうとも。
 神様は、きっと聞き届けてくれます。
 人の心からの願いを、昇華していくのもまた、時に宿る神のお力なのですから。」
ユーリル「──だったら、いいな。」



願うのは、いつもただ一つ。

どうか……あの山奥で亡くなった多くの魂が。
幸せに、天に召され……この世につなぎとめられることのないように、と。