正直な話、自分も体を洗いたいのは山々なのだが──それがトリニティで、となると、やはり……剥奪されたらしいと知ってはいても、「レンジャー」である心が、そのことを批判する。
「ニーナもだよ! あんたも、私が綺麗に隅々まで洗ってやるから、一緒にサッパリしようね。」
「…………?? ……? ……、んー………………!!」
リンに強く見つめられて、キョトン、としていたニーナであったが、軽く首を傾げて──それから、リンの言っている意味を悟ったのか、満面の笑顔でコクコクと頷いてくれた。
リュウはそんな少女を見て、ああ、と首を傾げる。
「そっか。ニーナもやっぱり、綺麗になりたいよな。」
直接剣を振るっているリュウとは違って、ニーナは後方から魔法を使ってばかりいる。
だから、動いている量は、リュウやリンより少ないが、二人と違って歩きなれていない身である彼女も、息を弾ませたり汗を滲ませたりしていた。
それを思えば、汗で汚れている度は3人とも大差はないはずだ。
「というか、浸水した水の中に腰まで入ってズカズカ進んで、モンスターの体液を、モンスターのつけていた布で拭き取る……なぁんてことをしてたら、普通に綺麗になりたいって思うのが、人間ってもんだと思うけど?」
納得したようなリュウの呟きに、すかさずリンは毒を吐き、かぶりを振ってみせる。
「──……昔、ディク退治とかしてたときはさ、しょうがないから壁とかに擦りつけたりとかしてたんだけど。」
「ぅわっ、最悪だね、レンジャー!」
「──じゃ、トリニティはどうしてたっていうんだよ?」
ジト眼で睨み揚げて見せると、リンは涼しげな顔でニヤリと笑ってみせる。
「蛇の道はへび。色々あるんだよ、ツテって言うのがね。」
「…………ま、そのうちどこかで湧き水でも見つかればいいけどさ。」
リンの言い方から、どうせレンジャー施設か、元施設のあった辺りから、飲料用の水や綺麗な布を使って体を拭いていたのだろうと判断して、リュウはリンの話を切り上げる。
事実、トリニティーに襲われたときに、身包み剥がれたという話は何度か聞いていた。
だから、あえて必要以上に突っ込まないで置いたら、リンはそれを賢明だと言いたげに軽く肩を竦めて見せた。
「湧き水があれば、飲料水も補充できるしね──どうせ体を洗えるなら、汚れが落ちるようにお湯がいいね。」
「それこそ無茶だ。さっきの街で固形燃料なんて買ってないし。」
「分かってるよ、それくらい。どうせ後少し我慢すれば、到着するんだから、それまでの辛抱だしね。
ああ、リュウ。でもあんたは私に近づかないでね。匂いが移るから。」
リンがしれっとしてそう続けるのに、リュウはムッと眉を寄せたが、特に何も言わなかった。
そんなリュウとリンを交互に見つめて、ニーナが不安そうな表情になる。
二人は、レンジャーとトリニティという関係があったためか、最初の頃は本当に渋々手を貸しているという態度がアリアリと見て取れた。
つまらない口論をすることはなかったが、言葉の端々に刺を感じたのも一度や二度じゃない──最もそれも、バイオ公社を出た辺りから、薄れてきてはいたのだけど。
それでもやはり、ニーナの頭の中にあるリンとリュウの諍いが、彼女の不安を誘った。
ニーナは、大きな眼を瞬かせると、リュウの顔とリンの顔を交互に見上げて──キュ、と唇を噛み締めた。
諍いの原因は、水浴びを出来ないと言うことだ。
水は無いけど、「水に変わるものなら作り出せる。」
「んー、ンンン……っ!」
ひょい、と身軽に立ち上がると、杖を両手にしっかりと握り締めて、ニーナはリンとリュウに喉を鳴らして告げる。
本人は、「すぐに水を作るからね」と言っているつもりであったが、喉から声が出ないニーナの言葉は、リンにもリュウにも理解できなかった。
「ニーナ?」
「どうしたの、何かあったの?」
不安そうな面差しを見せるリュウと、険しい顔になるリンに、大丈夫だとニーナはかぶりを振った。
それから、ニッコリと笑うと、向かいの壁向けて、杖を翳した。
氷の属性を司るニーナのロッドの先が、仄かな光を宿す。
ニーナは、それを戦闘中でよくそうしたように、思い切りよく振った。
「……やぁっ!!」
戦闘中にしか発したことのない白い光が、杖から迸る──!
「敵かっ!?」
「ニーナっ!?」
驚いたように慌ててリュウが剣に手をかけ、リンが銃を抜き出す。
瞬時に身構えた二人の目の前で、狭い室内の一面の壁の一角──ほぼ半分ほどの面積が、鈍い光によって埋め尽くされた。
キラキラと光るそれは、ヒンヤリとした白い冷気を立ち上らせている。
油断無くその壁の辺りを睨みすえるリュウとリンであったが──どう見ても、壁を凍らせたようにしか見えない光景に、戸惑いの色を乗せた。
伺うように辺りを見回してみるものの、ディクらしい姿もなく……、
「ニーナ?」
氷の魔法──レイガを発動させた少女の名を、困惑の色を乗せて呼んだ。
すると少女は、ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねて、華奢な腕を壁に向けて示した。
「ん、んん! んーんんっ!!」
「────……もしかして、私が水を浴びたいっていっていたから……かい?」
眼を丸くさせながら、銃を中途半端に構えたまま、リンがニーナに問い掛ける。
ニーナは、飛び跳ねるのを止めて、リンを見ると、コックリと頷いた。
それから、さぁどうぞ、と言わんばかりに、凍りついた壁に向かって手を伸ばす。
ひらり、と舞った白い掌を見て、壁一面の氷を見て──リンは、無言でリュウを見た。
「さぁ、どうぞ、リュウ?」
リンは、きっぱりはっきりと、ニーナの心の声を代弁してやり、恭しく壁の氷を掌で指し示す。
「────…………リン…………。」
「いや──あんた、変身したら、皮膚が凄く丈夫になるじゃないか。」
疲れたように名を呼んだリュウの眼に、リンはしれっとして答える。
とどのつまり、訳すると、「変身して、丈夫になった皮膚で、あの氷に体を擦り付けて、体を洗って来い」ということである。
そしてリンは、そうやって溶けたり砕けたりした後の氷を袋か何かに入れて、水に変えた後で自分の体を洗うつもりなのだ。
「……?」
ニーナが、戸惑い、動こうとしない二人に、不思議そうな顔で首を傾げる。
その下ろされた眉の辺りが切なげに見えて、う、とリュウは小さく言葉に詰まった。
リンもリンで、いつものように腕を組んで足を軽く開き、こちらを見ている。
そんなリンを小さく睨み、ニーナを見て──リュウは、溜息を零しながら壁の氷を見据えた。
そのまま、彼は抜いた剣を片手に、ツカツカと壁に向かって歩き始める。
目の前には、背丈ほどの高さまで凍りついた、ツヤツヤと光る氷。
触れてみると、ヒンヤリとしたそれは心地よく濡れていた。
このまま皮膚をこすりつけたら、冷たい水で洗われたみたいになるかもしれないが、同じくらいの確率で皮膚が凍傷になるのは分かっていた。
「──……。」
ニーナに分からないように、小さく溜息を零す。
確かに体は拭きたい。洗いたい。それは本当だ。
だが、だからって──コレはないだろう、コレ、は。
次へ