ウンザリした気持ちで見上げた氷は、不純物など混じっていない綺麗なものだった。普通に生活していたら、これほど見事なものに当たることはないだろうと言い切れる。
だが、この場面で、こういう状態で、会いたいものではなかった。
後で、ニーナにしっかりと、その辺りのことを教えておこうと、リュウは密かに誓った。
そして、斜めに体を構えると、無造作に剣を振り下ろす。
ガツッ!
切れ味の良い刃は、刃こぼれすることなく、がっちりと氷の中に刃先を埋めた。
それを認めて、リュウは壁に片足をかけ、剣の柄を持ち返る。そしてそのまま、のこぎりの要領で、氷を切り分けはじめた。
細かい氷にして、何かの入れ物に入れておけば、明日には水になるだろうからだ。
ギーコギーコギーコ…………。
耳障りな音を立てる剣と氷に、リュウはせっせと腕を動かせる。
リンは、そんな彼の姿を、腕を組んで無言で見つめていたが──不意に、何を思ったか、おもむろに壁の方角を向いた。
そして、
「……ぷっ。」
小さく、噴出した。
堪えきれずに噴出したしまったと同時、こみ上げてくる笑いの発作はおさまるところを知らない。
彼女はそのまま腹を片手で抱えて、もう片手を壁に押し付けるようにして、上半身をくの字に折り曲げる。
なんとか必死で笑いを堪えているのに、それを刺激するように背後から、
ぎーこぎーこぎーこ。
リュウが剣で氷を切り出す音が聞こえてくる。
たまらずリンは、
どんっ!
「…………っぶはっ!」
思い切りよく壁を叩いて、盛大に噴出した。
「! ……????!!」
驚いたようにニーナが振り返るのと、
「………………。」
ピタリとリュウが動きを止めて振り返るのとが、ほとんど同時であった。
二人の視線の先では、リンが想像通りの姿で──額を壁に擦りつけるようにして、ばんばんと壁を叩いていた。
「……くっ、くっくっくっ…………っ。」
フルフルと震える肩は、きっと笑いを堪えているためだろう。
いくら笑いを堪えてくれても、壁を叩いている音が消えない以上、それは無意味だった。
というよりも、いっそ思い切り笑ってくれたほうが助かる。
「──リン。」
「いやっ、ごめっ……だって、……くっ、あははははははは! も、ダメ! レンジャーが壁の氷切り出してるのなんて、絶対、一生、お眼にかかれないってば!!」
豪快に噴出し、リンはそのままバシバシと壁を叩きながら、腹を抱えて笑い出す。
そんな彼女に──彼女の笑いの発作が分からないでもなかったが、リュウは憮然として剣を片手に持ちながら、リンを睨み付ける。
「リン!」
「あっはっはっはっは! もうだめっ! ほんと、だめー〜〜っ!!!!」
笑いすぎた余り、目の端には涙が浮かび、腹の辺りがよじれて痛みを訴えてきている。
それなのに、眼をやった先で、憮然と仁王立ちするリュウが、氷に剣を突き刺したまま唇をゆがめているのを認めてしまったら、
「ぶっ、ぶはっ、あっはっはっはっはっは!!!!」
笑いの発作、第二段がやってきてしまっても、仕方がないのであった。
リュウは、そんな彼女に目尻の辺りを赤く染め、キュ、と唇を結ぶ。
「仕方ないだろ! 切り出さないと、使えないんだから!」
「いや、分かってる……分かってるけど、あんた、似合いすぎっ!!」
悪びれず笑ってみせるリンに、リュウがさらに噛み付くように叫び返す。
「だったらリンがやればいいだろ!」
「あたしは、剣なんて使えないから、無理ー♪」
ニーナは、そんな二人に、驚いたように目を丸くして、きょときょとと交互に顔を見る。
それから、少し悲しそうに眉を寄せた。
せっかく氷を作ったのに──酷く楽しそうな光景に見えないでもなかったが──二人は、また言い争いを始めてしまったのだ。
一体、何がいけなかったのだろうかと、彼女は床にペタンと座り込んだまま、杖を握り締めた。
視線の先にあるのは、先ほど自分が凍らせた壁だ。
どうやらアレは、氷のままではダメらしい。そのことで、リンとリュウが言い合いをしているというなら、アレを水──それも、汚れを落とせるようなお湯に変えてしまえばいいのだ。
結論を出せば早かった。
幸いにして彼女は、炎も氷も雷も扱える魔法を持っているのである。
「…………! ん。」
ニーナは、決意したように立ち上がると、もっていた杖を氷属性の物から、火炎属性の物へと持ち替えた。
そして、杖を構えて真っ直ぐに壁を見つめる。
杖の先端に、赤い炎が宿り……。
「……ぃやぁっ!!」
掛け声一閃。
杖から煌く炎の粉が舞った。
「ニーナっ! だめっ!! 氷に炎は……っ!」
はっ、と気付いたリンが、壁から身を引き剥がして叫ぶが、それも一瞬遅く。
「──に……っ。」
リュウが、眼を大きく見開くのが良く見えた。
その彼の隣を通り抜けるように、炎の熱気が踊り──風が、吹いた。
それが、普段の戦闘時なら、これほどの恐怖を覚えることはなかったのだけど……今は、炎が向かった先が向かった先だった。
ぞくり、と、背筋が凍えるような恐怖が彼の全身をくまなく覆ったその刹那。
「…………っ!!」
カッ、と、閃光が散った。
どっごぉぉぉぉぉーんっ!!!!!!
見事に、氷にぶつかった炎は、水蒸気爆発を起こしたのであった。
「んっ、んーんんーっ!!!」
ぱったりと、死んだように倒れているリュウの側に、ぴったりと張り付いて、ぽろぽろ涙を流すニーナに、煤汚れた頬を拭いながら、リンは今日も小さく呟く。
「またこういうところで、Dダイブ使ったんだね……あんた。」
ほとんど無傷に近い状態のリュウは、あの瞬間に見事に「ドラゴンの力」を具現してくれたらしかった。
どうして戦闘中ではなく、こういう日常的なことで、ドラゴンの力を使うことが多いんだろう……。
そんなことを思いながら、リンは破壊された部屋の残骸を見つめた。
脳裏に描かれた、この辺り一帯の地図に修復が必要となることは、まず間違いがない事実であった。