トラン湖の中に聳え立つ、解放軍が本拠地──「シュタイン城」。
その城の名付け親であり、解放軍の二代目リーダーであるところの少年の名前は、「スイ=マクドール」。
泣く子も黙る『闇の申し子』にして『世の災厄』にして『魔王』と呼ばれるその人である。
彼が、誰にも何も言わず、自室の机の上に一通の「手紙」を残して消えたのは、早朝のことであった。
それが発覚したのが、最後にスイに出会ったシーナが桟橋で倒れているところを、クロンに見つけられたときだったという。
「──っていうか、心配しすぎじゃないか? 突然行方をくらますなんて、スイには良くあることじゃん。」
顔の中央に出来た赤い棒の跡の上から冷えたタオルを当てながら、シーナが小さくぼやく。
その跡が、どうして出来たのか……なんて意味のない問いは、この場に居る誰もが口にすることはなかった。
そんな彼の後頭部を、ゴツンッ、と大きな手が叩いた。
「シーナっ! なんてことを言うんだっ! スイ殿の身に何かあったかもしれないではないか!」
「って、怪我してる息子の頭叩くなよ、親父っ!」
思いっきり前につんのめったシーナは、すかさず体勢を整えて、背後の父に向けて怒鳴る。
だがしかし、レパントは厳しい顔でそんなシーナを睨みつける。
「スイ殿が暴漢に攫われたかもしれない時に、暢気に気絶していた息子が良く言うな……まったく、わが息子ながら情けない!」
思いっきり額に手を当てて、フルフルと頭を振るレパントに、そのスイが、暴漢なんだよ──と、シーナは頭痛を覚えたようにこめかみを指先で揉みこんだ。
その顔はヒリヒリしたし、後頭部はずきずき痛む。
──まったくもって、スイに関わるとろくなことにならない。
そう零したシーナに、隣に立っていたフリックも同意を示してみせる。
「まぁ──スイが本当に攫われたのかどうかはさておき…………っていうか、あの悪魔を無事に誘拐できた人間が本当にいたら、一度見てみたいぜ。」
けど、置手紙があったのは本当だ──フリックもこの目で本当にスイの直筆かどうかも確認している。
普通に考えれば、解放軍リーダーともあろう人が、置手紙一つ残して一人で居なくなるとことはおかしい。考えられる可能性は、暗殺者に刃を突きつけられながら、置手紙を書かされたというパターンだが。
「スイ様が、そのようなヘマをするとは思いませんが──。」
眉を曇らせて、クレオがそう小さく呟く。
その意見には、この場にいる誰もが賛成ではあったが、かと言ってその可能性を否定しきれるわけではなかった。
何せ、置手紙の名前の主は、あの「スイ=マクドール」なのである。
彼の普段の傍若無人にして魔王的性格である彼なら、暗殺者がやってきて自分をココから連れ出そうとしたなら、逆にソレを逆手にとって、嬉々としてココから抜け出して遊びに行くことくらいはしそうなのだ。
そう考えたら──被害のことを思うと心が痛むが、スイの身に何か起きたわけではないと、ひとまず安心は出来るのだが……そう、言い切れるわけでもない。
「なら、やっぱりスイの性格を考えると、置手紙をして、何かするために出て行った、という可能性が大──だよな?」
会議室の長机の中央に置かれた、龍の文鎮に抑え込まれた手紙を、ビクトールが、ひたり、と睨みすえる。
白い紙の中には、読みやすい達筆でたった一言。その下にはスイの直筆であることを示す署名も入っていた。
『探さないでください。』
「意味深ですね……。」
頭痛を覚えて、マッシュは最近薄くなってきたような気のする髪に、指先を埋めた。
それが、どういう意味なのか──たった一つの言葉を睨みつけているだけでは理解できない。
「本当に、『置き手紙』だという可能性もありますしね…………。」
キリ──と唇を噛み締めて、マッシュは小さく……小さく呟く。
その寄せられたマッシュの眉に、誰もが考えていても口にしなかった可能性に、しーん──と静まり返った。
面々は、無言で手紙を見詰める。
そして一瞬後、誰にともなく──呟く。
「…………まぁ、確かに、なぁ…………。」
再び沈黙が舞い降りた。
誰もが身じろぎしないまま、考え込む。
眼の前の手紙の意味。
眼の前の手紙が、ぽつんと残されていた理由。
────彼に、何が起きたのかと言うこと。
「──ぼっちゃん…………いいえ、スイ様が、そう簡単に何もかもを投げ出すことはないと思います。」
不意に、ポツリ、と呟いたのは、どこか焦燥した表情を宿した女戦士だった。
会議に参加していた者たちが、チラリ、と視線をあげて女戦士を見つめると、彼女は苦笑を浮かべて、机の上で組んでいた手に力をこめた。
「ですから、何かあったのだと思うのです──暗殺者の来訪にしろ、悪事を考え付いたにしろ……何にしろ、スイ様が置手紙を書くような何か、が。」
強く強調して、クレオは眼の前の手紙を見据えた。
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