『探さないでください』

 その騒動は、そんな一通の手紙から始まった。


 早朝──まだ朝もやが湖の上を覆うような時間帯。
「サンキューな。」
 小さく笑って、シーナは重い足取りで船着場に足をつけた。
 ふぁぁ、と目を擦りながら大あくびを零しながら見やった先では、朝釣りに出かける仕度を整えたタイ・ホーとヤム・クーが手を振って、再び湖へと漕ぎ出していた。
 すがすがしい早朝の空気は、寝不足の肌に心地よい冷たさを与えてくれたが、そんなもので目は冷めない。
 何せ、本日の睡眠時間は、たった3時間なのである。
「やっぱり、船はキツイよなぁ──クソッ、スイに瞬きの手鏡を借りりゃ良かった。」
 そうブチブチ零しながらも、それが出来るはずもないことをシーナは知っていた。
 何せ、瞬きの手鏡は、現在の解放軍のリーダーの、重要な交通手段なのだ。
 何かあったときに、すぐに本拠地に戻ってこれる大事なアイテムを、シーナごときに貸し出してくれるはずはない。
「ふぁぁ──でも、やっぱ……向こうを明け方前に出るのは、辛いよなぁ…………。」
 げっそりと疲れたような溜息を零して、シーナはぐしゃぐしゃと髪をかき乱した。
 夜、風呂に入った後の自由行動に、何も遊ぶ所のない本拠地を抜け出す輩は、何もシーナだけではない。
 もちろん、ならず者たちが溜まる解放軍内部は、夜も煌々と明かりがともされ、うるさいほどの賑わいを見せている。
 酒に賭け事に揉め事。
 踊りに音楽に殴り合い。
 最低限の常識さえ守っていれば、無法地帯と言っても過言ではない解放軍の中が、居心地が悪いわけではないのだ。
 常識的なまじめな人間は、その騒ぎが行われている棟とは別の棟で、すっかり眠りの中に入っていることが多いし。
 もしくは、それとは違う夜を楽しみたい者は、屋上の豪奢な庭園で、星を見ながら浪漫に浸っていたりともできるし。
 解放軍の中が、退屈なわけではない。
 そういうわけではないのだけど──解放軍の中で、何もかもが出来るわけでもない。
 だからこそ、夜も遅い時間に、船着場から船が出ることもあるわけで──その船に、同乗して岸の町に行きたいと願う者も、それなりの数が、居たりする。
 シーナは、ココのところ、この夜に外に出るメンバーの常連となっていた。
 レパントに夜の訓練をみっちりさせられた後、お風呂につき合わされ、母の美味しいお茶で締めくくる。
 その後の、ようやくやってきた自分の自由時間に、こうして外に出るのだ。
──解放軍の中は、レパントの目が常に光っている気がして、落ち着かなかったから。
 そして、向こうの酒場で可愛い女の子を引っ掛けて遊んで──明け方近くに出る船に乗って帰ってくる。
 その船は、今のようにタイ・ホーやヤム・クーが朝釣りに出かけたときの船であることもあったし、アントニオやレスターが早朝の買出しにやってくる船であったりもした。
「ふあぁぁぁ──オヤジがおきだす前に、もう一眠りすっか。」
 小さく呟きながら、再びシーナはあくびを噛み殺す。
 見上げた東の空は、うっすらと明るくなり始めていて、もう少しすれば太陽が昇ってきそうだった。
 無駄に体力がある父のレパントは、太陽が昇ると同時に起床する。
 この分だと、彼の起床には間に合っても、再び二度寝することは出来ないことは間違いない。
「──……くそっ。」
 小さく零して、シーナはフルフルと頭を振り、眠気を払うような仕草をする。
 しかし、霞かかった頭では、その仕草は眠気を誘い込むばかりであった。
「あー……俺、絶対、死にそう。」
 この頭と体で、父の朝の扱きには耐えられない。
 自業自得だと分かっていながら、溜息ばかりが零れた。
 頭を振って眠気を振り払う仕草を繰り返していると、
「じゃ、遠慮なく殺してあげよっか?」 
 そんな──「死神」の声が、頭の上から降ってきた。
「──……はっ?」
 頭の上?
 思わず目を瞬いてシーナは顎をそり上げて、上を見上げた。
 その顔一杯に、嗅げが舞い落ちたのは、その刹那。

「本日の第一発見者──撲滅。」

 軽やかで楽しげな声と共に、細長い棒切れが、シーナの顔面を直撃した。



次へ