それは、北の地で陣営を張る、テオ・マクドールの元に訪れた一枚のハガキから起きた騒動であった。
「テオ様、手紙が届いておりますが……。」
「……私にか?」
「はい。」
「…………何か、あったか……?」
今、テオには自分宛に手紙を出される覚えはまるで無かった。
なぜなら、つい数ヶ月前まで来ていた手紙の主たちは、もうグレッグミンスターには居ないからである。
年若い恋人は、テオが北方に旅立ってすぐに水軍砦に戻ったという手紙を貰った。──そもそも彼女は遠慮しているのか、あまり手紙のやり取りは少なく……前回貰った手紙に返事をしたためてから、それほど時間が経過していないから、新しく手紙を貰うには早い。
そして、テオが少し前まで何よりも心待ちにしていた人達からの手紙は──もう、決して、届かない。
何せあの子は……。
「……ハガキ、だな?」
受け取った手紙は、ハガキ。
大切な手紙ならば、ちゃんと封蝋されているのが当たり前。
それなのに、ひっくり返せば中身が見て取れるハガキで、こんな前線に手紙を送ってくるとは……一体誰だと、テオは受け取ったハガキの面の右下を見るが、そこに贈り主の名前は書かれていない。
何にしろ、ハガキなら怪しい手紙だと注意をする必要もない。
テオはそのまま背面をひっくり返し、一体誰からの手紙だと──、
「──……っ。」
思わず、息が、詰まった。
掌にちょうどいい大きさのハガキの裏面は、四角い黒枠で囲まれ、薄く菊の文様が箔押しされていた。
その上に、見慣れた文字が躍っている。
それは。
「──……す、い……?」
まさか、と思う。
文面に目を走らせるよりも早く、テオはハガキの下部へと視線を走らせる。
そこに名前があるはずだ──差出人の。
そう思う間もなく、すぐにテオはその名を発見する。
そこには紛れもなく──何度も何度も、この北の地に付いてから貰った手紙の中に……テオのテントの中にある小さな箱の中に、大切にとっておかれた手紙の隅に書かれたものと同じ署名。
『スイ・マクドール』
「……まさか──……。」
テオは、唇を歪め──それから、目の前で何かあったのかと不安そうにしている兵士に気づき、すぐに顔を改めた。
なんでもない、と片手をフリ、ハガキを持ったまま、自分のテントへと急ぎ戻った。
頭の中の混乱がドクドクと脈打っている気がした。
何を期待し、何を混乱しているのか、自分でも分からないくらいだった。
──百戦百勝将軍と呼ばれ、幾多もの戦争を勝ち残ってきた自分が、たった一枚の──それも、今は敵の大将に着いている息子の手紙一つで、ここまで心乱されるとは、一体どうしたことだろう?
あの子が解放軍のリーダーに着いたと耳にしたとき、──あぁ、いつかはそうなるかもしれないと、危惧していたことが、とうとう来たのだと思い、自身の落胆と同時に、息子が選んだ道がある意味誇らしくもあった。
もっとも、黄金皇帝の腹心の部下たる「テオ・マクドール」としては、苦いものを噛み下さずにはいられなかったけれども。
あの時に、たとえ目の前に溺愛した息子が立とうとも、あの子の首は己が落とすと──そう決めたはずだった。
たとえその道を選んだことを後悔していても──いや、後悔しているのならなおさら、その首は……自分が落とすと。
なのに、その当然のように告げた決意ですら、目の前のハガキ一枚を見れば心乱された。
戦争という名の下に──多くの情を切ってきた自分が、今更?
「ずいぶんと平和ボケをしているようだな──俺も。」
思わず素の顔に戻って、ぽつり、と呟いてしまったことに気づいて、テオは改めて顔を引き締め、テントの中に戻った。
そして、手元のハガキを見下ろす。
「北方警備隊 テオ・マクドール将軍」宛て。
味も素っ気も無いハガキの宛名に、口元がゆがんだ。
昔は──そう、小さい頃は、スイが父に宛てる手紙の宛名はいつも、「ちちうえへ」と書かれていた。
その文面を見下ろして、思わず口元が緩んだテオに向かって、同僚達は──ミルイヒやクワンダ、カシム・ハジルやキラウェア、そしてゲオルグは、からかい笑ったものだった。
もしかしたら、と、思いながら再び黒枠の描かれたハガキの裏に視線を落とす。
もしかしたら、これは、よくある「郵便事故」というものではないのだろうか、と。
あの子が、グレッグミンスターにいるころに自分あてに出した一枚で──それが、ここまで到着するまで、ずいぶん月日を経て──そうして届いたのではないか、と。
ならば、この手紙はいつかかれ、何が書かれているのだろうか。
そう思い、視線を落としたテオは。
「──────…………………………。」
自分のささやかな希望が、綺麗さっぱり打ち下されたのを自覚した。
喉元からなんともいえない感情が競りあがってくるのを覚えながら──同時に、眉が顰められるのを止められない。
──なんだと?
何を言ってるんだ、この手紙は?
硬直したまま、何度見返しても、文面は変わらない。
味も素っ気もない文章の中に、走るいくつもの儀礼的な単語。
普通に生活している分には目につくことがないその単語の意味を図りかねて──いや、わかってはいるのだが、どうしても理性が理解したくないと叫んでいるような気がして、テオはハガキを手にしたまま、目の前を睨みつけた。
「…………いやがらせか………………?」
思わず口から零れたのは、そんな一言だった。
──と同時、
バサッ!
天幕の入り口にかかった布が大きく翻り、
「失礼します、テオ様! なにか緊急の知らせが入ったと伺ったのですが……っ。」
現状においては、テオの最も信頼できる部下が2人、飛び込んできた。