「………………………………………………。」
 無言でクリスは、腕の中で身じろぎしている幼女を抱きしめた。
 幼いせいか、少し色素の薄い金色の髪が、フワフワとクリスの顎をくすぐる。
 小さな手を、クリスの二の腕に這わせては、楽しそうにか弱い手でそれを揉んで、またクスクス笑う。
 何が楽しいのかは分からないが、それでも彼女は、クリスに抱きしめられて上機嫌だった──それもそのはず、こうしてクリスと触れ合うのは、じつに一ヶ月ぶりなのだ。
 けれど、最初はギュゥと抱きしめられて上機嫌だった彼女も、そのままの体制でジッと一時間もほうりっぱなしにされれば、さすがに疑問を抱いたようだ。
「ママ?」
 見上げて、首を傾げる彼女の小さな頭に、とん、と顎を置いて、クリスはため息を零す。
 その視線が剣呑になっているという自覚はあったが、自分でどうこうできる問題ではなかった。
 それどころか、むかむかとする胸の痛みに、イライラが募るばかりだった。
 こんな顔を、愛らしい娘には見せられないと、クリスはイヤイヤと首を振る彼女を再び強引に抱きしめて、ため息を、一つ。
 ゼクセン騎士団の中にあって、数少ない女性騎士の1人であるクリスは、それでも一般の戦士に比べたら、ずいぶん体力も力もあるほうだ。伊達に「誉ある6騎士」の1人として──そして騎士団長として、このブラス城を治めてはいない。そこらの男に負けない自信もある。
 今はずいぶん手加減しているとはいえ、そんなクリスの腕の中に抱きしめられて、小さな──まだ6つにもならない娘が、抵抗しきれるはずもなかった。
 黙って抱きしめられているのに飽きてきていた娘は──同時に、大好きな「ママ」の綺麗な顔を、ひさしぶりに間近見れるというのに、それすらも果たせない事実に、癇癪を起こしてバタバタと暴れるが、自分を捕らえている腕は、ビクともしなかった。
「まぁ、まーっ!」
 抱きしめられた腕の中で、小さく責める声をあげるが、なにやら物思いにふけっているクリスは、それに聞く耳も持たなかった。
 そのまま、ボンヤリと──けれど、視線だけは鋭く前方を睨みつけているクリスへ、
「クリス、いい加減、放してあげたらどうだ?
 苦しそうじゃないか。」
 不意に背後から声がかかった。
 ハッ、と我にかえって、ベッドの上に広げられた手紙から視線をはがしたクリスが振り返った先──呆れたような顔で立つ、ルシアの顔があった。
 すっかり手紙に気をとられて、彼女が自分の部屋に居る事実を忘れていたことに、クリスは軽く歯噛みする。
 そんなクリスを見下ろして、整った容貌に呆れた色を滲ませた女漢は、腰に手を当てて片眉を大げさにあげてみせた。
 どこかリラックスしたようなその様子は、とてもではないが数年前までいがみ合っていたゼクセンの騎士団長の部屋に居るものであはない。
「……ルシア殿……。」
 小さく呟いたクリスの声は、どこか困惑した色を宿していた。
 そんな彼女へ、
「ほら、クリス。」
 顎でしゃくるようにして、ルシアがクリスの腕に抱きしめられた娘を示す。
 そんなルシアに従って、のろのろとクリスは腕に抱きしめた愛娘を解放する。
 とたん、ぷはー、と、大げさな息を零した娘は、そのままクリスの腕の中から出て、シーツの上にチョコンと着地を果たす。かと思うや否や、方向転換をして──きゅむ、と、改めて今度は自分からクリスに抱きついた。
「…………えっ?」
「んv」
 驚いて娘を見下ろすクリスに、彼女は満足そうに微笑み、頬ずりをする。
 そんな娘の姿に、おやおや、とルシアは小さく笑った。
 娘は、小さな掌をクリスの両頬に当てると、こっつん、と額を合わせて、間近でニッコリと笑った。
「ママ、だいすき。」
 そして、──おそらくは、娘なりにクリスを慰めようとしての行動なのだろうが。
 チュ。
 軽い音とともに、小さくて柔らかな唇が、ちょん、と、里中の唇に触れた。
「……!」
 驚いたように目を見開いたクリスに、ニッコリと──照れたように娘が笑った。
「元気、出た?」
「……って………………。」
 嬉しそうに笑う娘に、クリスはなんとも困惑した面持ちで彼女を見下ろす。
 一体、誰にこんなことを──そう思った瞬間だった。
「……やっぱり、パパのチューじゃないと、元気でない?」
 少し、悲しそうに娘が続けた。
「…………………………っな………………。」
 そんな、自分を見上げる娘の顔を見下ろして、クリスは驚いたように目を見張った。
 その白い頬が、瞬時にして、ボッ、と赤く染まった。
 それって、つまり。
「おやおや……相変わらずアツアツだね、うちのヒューゴとクリスは。」
 皮肉るように笑って言ったルシアの台詞に、う、と、クリスはうめいた。
 思わず顔を伏せて、顔を隠そうとするが、赤くなった頬は、たとえようもなく熱かった。
 娘にこんなことを教えた張本人は、どうやら自分達だったようである。
「──……あの、ね……。」
 なんとなく頬が赤らむのを覚えながら、クリスは、ぽん、と娘の頭に手を置いた。
 きょとん、と見上げてくる彼女に、ニッコリ微笑みかけてやると、チュ、と、小さい彼女の額に口付けを一つ。
「心配してくれて、ありがとう。
 嬉しかったわ。」
 にっこりと笑いかけると、目の前で、娘は本当に嬉しそうに笑った。
 そしてそのまま、がばっ、と、勢いづいて首に抱きついてくる。
 突進でもするような勢いの娘を抱きとめてやりながら──この積極的なところは、一体ドッチに似たのかしら……なんてことを、思うのであった。


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