「テッドが好きだった花。」

「テッドが好きだった色。」

「テッドが好きだった言葉。」

「テッドが好きだった景色。」

「テッドが好きだった味。」

「テッドが好きだった人。」

「テッドが好きだった音。」

「テッドが好きだった形。」

「テッドが好きだった動物。」

「テッドが好きだった………………たくさんのもの。」

300年という月日の果て。
彼はそれでも、

「好き」

という言葉を、知っていた。

それは、奇跡なのでしょうか?
それとも……?





 ヒラリヒラリと舞う風の、音もなく優しい感触に、ああ、と、胸が打たれる痛みを覚える。
 風が一瞬凍りついたように感じたのは、ピリリと痛む右手が何かを訴えたからだ。
 ふと視線を落とした先で、擦り切れた手袋に包まれた紋章が、クッキリと手袋越しにその存在感を訴えていた。
 赤々と輝く色に、ボンヤリと光をなくしていた瞳に、力が戻っていくのを感じた。
 ジャリ──と、土を掴む。
 不意に指先に触れた土の、冷たく湿った感触や、突き刺すような空気の冷ややかさが現実味を帯びてきて、ブルリと体が震えた。
 ひゅぅ……と、喉を通る呼吸が、どこか遠くに感じていた。
 体が生きることを放棄しているような気がして、自然と瞼が重くなる。
 そんな、中で──この廃墟に積もる瓦礫を踏みしめる、小さな音が聞こえた。。
 その主を……知っている。
「………………久し振りだね。」
 表情がぎこちなく動いて、微笑を上らせる。
 どれくらいぶりにか喉を通った言葉は、どこか枯れて聞こえた。
 思ったよりも小さな声は、この廃墟を駆け巡る風の音に掻き消されるかと思ったが、そうではなかったのか……それとも、だからこそ聞こえたのか。
 ジャリ──と、ブーツで瓦礫のかけらを踏みしめた少年は、無言で顔を上げた。
 どれくらい前にココにたどり着いたのかは分からない。
 ただ、空間を彷徨うように視線が漂い──一点で止まった後、詰めていた息を吐き出したのが分かった。
 それは、安堵と苦痛と苦味を含んだ……優しい溜息。
 吐息を短く零して、廃墟に踏み込んだ少年は、壁に背を預けて無表情に微笑を上らせる「少年」を見下ろした。
 いつからココに座っているのか分からない相手は、風の残像に緩く髪を揺らしていた。
 お互いに、ヒタリと視線を交し合う。
 どこか緊迫した空気が一瞬だけ流れ、けれどそれはすぐに風に乱されるように掻き消えた。
「お久し振りです──15年ぶりになりますか?」
 先にココに辿り着いていた少年とは違い、彼はすんなりと言葉を発した。
 まだ幼さの残る声……けれど、そこに宿る重みは、どちらも濃厚で重厚。
「そう、だね……もうそんなになるか。」
 彼の右手の平で、淡く明滅する紋章が、お互いの紋章を強く意識しているようだった。
 まるでそれが──自分を呼んでいるようだと思って──バカみたいだと目を細める。
「ええ、それほどになります。」
「世俗には疎くてね……デュナンの現大統領は、テレ-ズ=ワイズメルだと聞いたけど。」
 右掌をなでさする仕草は、随分久し振りに行うものだった。
 その仕草を無言で見つめて、少年は相手の問いかけに頷く。
「だいぶ昔に、大統領制に変更したんです。戦争が終わって……一つの国にまとめるという方針から、トランのように共和国制に変えて──思ったよりも時間がかかったんですけど。」
「噂には聞いた。」
「この近辺では、だいぶ噂になったらしいですから。」
 静かに語る──かつて王という枷をはめ込まれていた少年は、顎を逸らすようにして空を見上げた。
 広がるのは、空虚にも近い…………あおい空。
「いや──……君が、聖者様と呼ばれていることを。」
「………………………………力は、正邪ですけどね。」
 皮肉るように呟くと、彼はその言い方にも、皮肉にも興味がないような様子で、掠れた声で呟く。
「使い方次第だよ、何もかも。」
 ──答えは、軽いように聞こえるだけで……ずしりと肩にのしかかる。
「…………………………………………そう、ですね。」
 そのまま、二人の間に沈黙が下りた。
 もともと少年は無口で、親しい人ともあまりしゃべることはなかった。
 変わって、王という名をもっていた少年もまた──座についてからは、あまり口を開くことがなくなった。
 無邪気だったころを知っている相手を前にしても、重い口は簡単には開かない。
 少年もまた、知っていたからだ。
 目の前に座る人の噂を────…………獣を食らう闇の噂を。
「……さて、僕はもう行こう。」
「もう?」
 15年ぶりの再会だと言うのに、随分あっけないものだと──そう思いはするが、めまぐるしく巡った月日は遠く……まだ自分たちに残された月日は長すぎるのだということを思えば、こんなたわいのない再会が、これからも積み重なっていくのだろうと……、引き止めることはしない。
「会いたい人がいるから。」
 かすかに口元に上った相手の微笑をものめずらしげに見つめ、少年は首を傾げる。
「炎の英雄ですか?」
 この辺りで聞く名と言えば、それくらいだと……「聖者様」と呼ばれて久しい少年が首を傾げると、世俗から遠く離れた身である少年は、ゆるくかぶりを振って否定する。
「……いや……興味がない……この国の行く末も、ここに生きる人達の意思で変わっていくだけの話だ。」
「……………………。」
「僕が興味があるのは。」
 そこで、一度言葉を区切って。
 彼──……かつて赤月帝国を滅ぼした英雄、「ルイス=マクドール」は、昏い色を宿していた瞳に、強く鋭い光を乗せて、ヒタリ、と前を見据えた。
 その先には、いまだ積み重ねられた瓦礫が……ある。
「ココから消えた、風の紋章の行方だけ……。」
 同じように、少年も──デュナンの英雄と呼ばれている、「アーシェ」も、ルイスの視線を追い、呟く。
「……………………自由に、なれたんでしょうか?」
 そこに含まれた声色を的確に読み取り、ルイスは感情の宿らない目をアーシェに向けた。
 かつて、……彼に問い掛けたように。
「……君は、自由に憧れている?」
「────……僕、は………………。」


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