少しだけ笑って、昔、「自由って、何なのでしょうね」……そう答えた少年。
 今は、答えを出すことはなく、ただ切なく揺れる眼差しを空に飛ばしている。
 そんな彼に──当時、答えなかった答えを、くれてやる。
「僕は、自由になるくらいなら、世界なんて滅びてしまえばいいと思うよ。」
「────!」
 息を呑む気配がした。
 そんな相手に、淡々と──表情も変えずにルイスは瓦礫を見つめる。
 辺りに吹く風が、その瓦礫の周囲を緩く……力なく漂っていた。
 ──まるで、なごりを惜しむように。
「300年生きたら、変わるかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど……。
 今は、そう思う。」
「…………。」
 ギリ、と、アーシェの拳が握り締められる。
 つらそうに……悲しそうに目を歪ませる彼を、優しい子供だと思った。
──今も昔もまったく変わらない物なんて、どこにもない。
 でも。
「けど、実行はしない。
 僕は、300年も生きてはいないし、世界の何も見てはいないから。」
 少しずつ変わっていったとしても、本質が変質するものだとは、決め付けられてはいないから。
「もしかしたら300年後、僕は世界のすべてを見て、再びこう思うかもしれないから。」
「?」
「──世界が、好きだと……。」
 唇から零れた瞬間、──なんて嘘臭いのだろうと、ルイスは吐き気にも似た感覚を覚えた。
 それでも……なぜだろう。
 口にした瞬間、甘酸っぱいせつなさも同時にこみ上げてくるのだ。
 それはきっと。
 自分を生み出したこの世界を、──あの幸せな日々を、少しでも愛しいと思う心が、自分の中にあるからだ。
「好き、だから……なくしたくないから……この道を選ぶことも、あると?」
 アーシェが、泣きそうな声で呟く。
──君は、昔も今も優しい人。
「好きだから──最後まで足掻こうと。」
 その形は、違うかも──しれないけど。
「────………………僕はそれじゃ、未来、どう思うんでしょうか。」
「今、君の心にあるのは?」
「──わかりません。」
 胸に手を当てても答えはでない。
 だから、緩く被りを振って答える。
「僕は──こう思う自分が憎くて仕方がないと思うときもあるけれど、やはりそれでも、思うよ。
 後悔をしたくないと、後悔はしてはいけないと、そう思っていた。
 でも、君と会って、後悔してもいいのではないかと思うようになった。
 今、僕は、後悔をしても──昨日の自分に負けても、いつか、未来……気が遠くなるほどの長い月の果て、生きていて良かったと、世界を愛せてよかったと、そう思えばいいと思う。
 今の僕を生み出してくれたすべてを愛し、今の自分があることを、今の自分を生み出した過去すべてを、愛しいと思えればと。
 辛いことも、悲しいことも──なにもかも。」
「ああ、それは……一番辛くて、難しいことですね。
 僕には、考えることも…………したくない。」
 アーシェは、羨望にも似た眼差しをルイスに向けた。
 世捨て人のような生活を送っていて、忘れ去られることを望んでいる彼だけど。
 それでもやはり……彼の中にある魂は、輝きは……なんて眩しく優しいものなのか。
「そう思うことも、あるさ──僕らには、長い月日が待っている。」
「ええ、そうですね……それが、僕の罪。」
「……罪だと、まだ?」
 一瞬、ルイスの目に労わりの光が見えたのを認めて、アーシェは小さく笑った。
 泣きそうな顔で笑うのは、きっともう……彼の前でだけだ。
「…………自由に、なれて…………本当に、幸せなのでしょうか?」
「幸せ、だろう?」
 問い掛ける声に、それでもアーシェは望む答えを返せない。
 自分は自由だ。
 王という枷からも、死という枷からも、老いるという営みからも解放された。
 それでも──それが本当に、幸せなこと?
「──。」
 自分はまだ、答えを出すことが出来ない。
 出すことが出来ない以上、死ぬわけにはいかない。死を選ぶわけにはいかない。
 そう思えば──不意に、うらやましいような気がしてたまらなかった。
「最期に、望むものを知り、手にすることができた。
 それはもしかしたら、本当に……心から望む物ではなかったかもしれないけれど。
 でも。」
「最期に、自分が本当に望むことを行える人は少ない。」
 言葉の先を奪って、アーシェは小さく笑って彼を見やった。
「…………僕と君が、彼に出会いさえしなかったら、彼はこんな人生を歩んでなかったと、君はそう思ってる?」
 そんなアーシェを見返して、ルイスが静かに尋ねる。
 その言葉は──たぶん、彼の運命を共有した自分たちにとって、とても、重い、言葉。
「──わかりません。………………でも……生きていてほしいと、そう、思っていたのは、本当です。」
「君は、やはり、優しいね、アーシェ。」
「──────……………………っ。」
 久し振りに、名前を呼ばれて、どくん、と心臓が鳴った。
 誰にも名前を告げずに歩んできた中、名前を呼ばれたのは……何年ぶりになるか。
「やさしいよ。」
 続いた言葉に、アーシェは今度こそ何もこたえられなくなって、きゅ、と手を握り締めた。
──聞き返すことはできなかった。
 なら、ルイスさんは?
 ルイスさんは──生きていてほしいと、そうは思わなかったのですか、と。
 決して、聞き返すことなんて、できなかった。




そうして、知るのだ。

うらやましいと思うことも。
ずるいと思うことも。

痛いと思うことも。
悲しいと思うことも。

こうして、僕達は、生きていかねばならないのだということも。



あなたが300年なら、僕は一体何年を区切りにするんでしょうね…………?


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