突然ブラス城からの呼び出しを受けて、ビュッデヒュッケ城を離れなくてはならなくなったクリスは、慌てて自室で荷物をまとめていた。
 とは言っても、元々向こうには、長く使っていた部屋がある──ほとんどの荷物は向こうにあるのだから、こちらから持っていくものは、少なくてもいい。
 だから、準備は酷く簡単だった。
「次に戻ってくるのは、2週間後だな。」
 もともと自分の自宅ではないけれど、そう思うとなんだか感慨深いなと、グルリとクリスは視線をめぐらせた。
 窓から外を眺めていたヒューゴが、小さく笑ってクリスを振り返る。
「そしたら、また大掃除?」
 からかうような口調で尋ねられて、憮然とクリスはヒューゴを見やった。
 たかが2週間の遠征──荷物は少ない、と先に宣言しておいたにしては、ずいぶんな量があるということを、ヒューゴは当てこすっているのだ。
 確かに、カラヤの人間なら、そう荷物は多くなくてすむかもしれない。
 しかし、鎧があるクリスはそうも行かない。
「これでも少ないほうなんだ。」
 顔を顰めて、クリスは椅子の隣に置いた三つの荷物を見下ろす。
 ナッシュと共に旅をしていると時は、鎧なんて着込んでいなかったから、荷物は少なかった……だから、別に私が荷物をそろえるのが下手なわけじゃないと、憮然となるのを止めることはできなかった。
 ヒューゴは軽く肩を竦めて、重そうなそれらを一瞥した。
「帰ってきたときは、俺も手伝うよ。」
 放っておくと、また一人でしそうだとヒューゴは小さく溜息を零す。
 そんなヒューゴに、クリスはいぶかしげな表情になった。
「別に、そんなことはしなくてもいい。ヒューゴはゆっくりしていて。」
「ゆっくりなんてできるワケがないじゃないか。」
 分かってない、と、ヒューゴは鼻の頭に皺を寄せて、軽くクリスを睨み上げる。
「クリスさん一人に任せておいたら、いつまでかかるか分からないじゃないか。」
 その彼の表現に、カチン、と来たクリスは、座っていた椅子の背に手をおき、ギ、とヒューゴを睨み上げる。
「別に、ヒューゴに手伝ってもらうことでもないだろう?」
 コレは、私の荷物なんだから。
 そう言い切って、整った容貌をキツイ色に染めるクリスに、ヒューゴは小さく息を零す。
「そうじゃなくて。」
 そこで一拍置いて、なんで分からないかな、と、ヒューゴはクリスをを見上げた。
「二週間ぶりなんだよ? それなのに、クリスさんは俺を放っておくつもりなの、って聞いてるんだよ。」
 これじゃ、クリスさんが帰ってくるまで、頑張ろう──という、前向きな気持ちさえ萎えるじゃないか。
 そう零して、ヒューゴは顔をうつむける。
 言葉を吐いたと同時に、ずいぶん恥ずかしい台詞だったという自覚がこみ上げてきて、頬が赤らんでくるのを止められない。
「ヒューゴ……。」
 クリスの呆然とした視線が頬に突き刺さるのを自覚しながら、ヒューゴはさらに口を割った。
「だから、帰ってきてからの掃除は、俺も手伝う。
 そうしないと、いつまで経っても、クリスさんと二人っきりにはなれないじゃないか。」
 赤くなった頬をごまかそうとするように、頬を撫でるけど、隠せないほど赤いのは、熱が集まっている感覚で分かる。
 言えば言うほど、恥ずかしい台詞を吐いている自覚がある分だけ、余計に滑稽に思えてならなかった。
「ひゅ、ヒューゴ……。」
 動揺したようなクリスの声に、動揺しているのはコッチも同じだとそう心の中で突っ込んだ後、
「それとも何? クリスさんは俺と二人になりたくないって、そう言うの?」
 赤い顔を隠すこともなく、ジトリ、とクリスを睨み上げた。
 タダでさえでも、この城は騒がしい。
 特にクリスの周囲は、あの騎士たちは、ゼクセンの人間、さらには彼女に憧れる面々まで、ぞろぞろと付いて回るのが当然というありさまなのだ。
 帰ってきたクリスが、そんな彼らに捕まるのは、目に見えて分かることだった。
 そんな彼らと会話を交わすのまでは、我慢できる。
 そしてその後で、まとめるのにずいぶん時間がかかった荷物を──その間、ヒューゴはずっとクリスが荷物を、あぁでもない、こうでもない……とまとめるのを見ているだけだった──、今度は解体していくのだ。
 ルイスに手伝ってもらわずにクリスがその作業を終えるのは、絶対、真夜中になるだろうことは、ヒューゴにも目に見えて分かった。
 その上、ビュッデヒュッケ城に帰ってきた翌日は、クリスの分の政務が溜まっていることは間違いなく……夜更かしするのは、無理だろう。
 つまり、2週間ぶりにブラス城から帰ってきたクリスと会う時間は、どう考えてもその荷物を解体している時間しかないというのに、クリスがその時間中ずっと荷物を解いている、というのは……嬉しくない。
 ぶす、と頬を膨らませるヒューゴに、クリスは困ったような顔で目を伏せた。
「いや、そうじゃない。そうじゃないけど──ヒューゴ。」
 ──実を言うと、ブラス城に行くための準備が忙しくて、こうして荷物をまとめるときしか、ヒューゴとの時間が取れなかった。
 だから、ルイスの手伝いを断って、一人でゆっくりと──本当はもっと早く終わるのに、ことさらゆっくりとまとめていたのだ、なんて告白するのは……恥ずかしいような気がして。
 なんて言ったらいいものかと、クリスはためらうようにヒューゴをチラリと見上げた。
 身軽い動作で、ヒューゴはクリスの元まで来て、
「何?」
 椅子に座ったままのクリスの顔を覗き込む。
 拗ねたように唇をゆがめるヒューゴに、クリスは困ったように目を一度伏せて──それから、ほんのりと、笑みを唇にはせた。
「すまん、気が利かなかった。」
 すまなそうでいて、滲み出る嬉しさを噛み殺しきれないクリスの微笑みに、つられたようにヒューゴはホロリと笑みを零し、そのまま身を屈める。
 コツン、と額が当たる。
 突然の接触に、クリスはギョッとしたように目を瞬く。


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