昔……まだ幼い頃。
身分だとか、そういうものが、何もわかっていなかった頃。
僕は、あの子の良いお兄ちゃんになろうと、そう思っていた。
小さくて、可愛くて、笑顔の明るい女の子。
けど、少し泣き虫で、少し……いや、大分やんちゃで。
でも、心がまっすぐで綺麗な、可愛い可愛い妹分。
一緒に中庭で花輪を作って遊んでいたら、いつも気付くと取っ組み合いになっていて。
一緒に読書をしていたはずなのに、気付くと紙飛行機の飛ばしあいっこ。
一緒に昼寝をしていたはずなのに、気付けばその日もプロレスゴッコ。
妹というよりも、やんちゃな弟を持ったみたいだと、毎日たくさん遊んだ。
何も無かった僕の前に、突然現れた天使のような──神様の贈り物だと、そう思った。
うん。
「神様。」
今なら信じられると──そう、思った。
訪れた宿場町の小さな教会。
いつものように、着いた早々に教会に向かうクリフトを、咎める者もいぶかしむ者も居なかった。
「今日は、少し遅くなると思います。」
そう言って淡く彼が微笑んだことに、疑問を抱く者も居なかった。
「夕飯は、どうするの?」
軽く首を傾げて尋ねてくる一行のリーダーである少女に、彼は少し首を傾けて──こう答えた。
「そうですね……もし、時間までに戻ってこれないようなら、先に食べていてください。」
もしかしたら……本当に長くなるかもしれないから、と。
そう続けるクリフトに、アリーナがいぶかしげな視線を向けた。
「そんなに遅くなるの?」
「えぇ……。」
やんわりと微笑むクリフトに、少し前を歩いていた踊り子が、呆れたように振り返った。
「こんな宿場町の教会で、何をすることがあるのよ? まったく、神官さまはご信心深くていらっしゃるわね!」
「姉さん!」
軽く肩を竦めるマーニャに、クリフトは苦笑を浮かべて少し視線を落とした。
それから、ゆっくりと眼差しをあげて──小さな町の中にうずもれて見える、小さな十字架を認めた。
「少し……神父様と話をしたいことが、あるんです──。」
遠い目でそう呟くクリフトを、
「………………まぁ、ゆっくりしてくればいいじゃろう。」
ブライが、静かな目で見上げた。
それから彼は、チラリ、とリラに目線を当てると、
「宿はもう決まっておるし、何も問題はなかろう?」
穏かにそう尋ねた。
リラは、その言葉を受けてから、チラリ、とアリーナを見た。
アリーナは、リラにニッコリと笑って、軽く首を傾げる。
どうやら、リラの視線の意味に気付いていないようだった。
「──……そうですね、今からは自由行動にしようと思っていましたから、問題は何もありません。」
いつも町に立ち寄れば、クリフトはアリーナと一緒に出かけるのが常であったから、アリーナの反応が気になったのだけど、アリーナが気にしてないようなら、クリフトを止める必要はない。
リラは、ニッコリと笑ってブライとクリフトに頷いてみせた。
「自由行動! ──って、こんな小さな町で、何を自由行動しろっていうのよ。」
大げさに両手を挙げて嘆いてみせるマーニャに、クックッ、とライアンが喉を鳴らして笑いながら、クイ、と指先で宿の方を指し示した。
「そりゃ、飲むしかないだろう?」
──もちろん、どの宿場町にもあるように、この町にも宿に酒場が付いている。
ライアンの、酒に誘う仕草に、マーニャは片目を開いて……しょうがないな、と言いたげにため息を零した。
「他に楽しみもないようだから、今回はライアンさんのお誘いに乗ってあげるわよ。
た・だ・し……おごりよ?」
最後の一言で、イタズラ気に目を緩めるマーニャに、ライアンも大げさに首をすくめて見せた。
「これはまた手厳しい。」
笑いあう「気の会う酒飲み」二人に、ミネアは軽く肩を竦めると、アリーナとリラの方を向いた。
「昼間っから飲むオジさんとオバさんは置いておいて、私は店を覗いてくるつもりだけど、二人はどうします? 良かったら一緒に行きますか?」
二コリ、と笑いながら、思いっきりマーニャとライアンへの皮肉を口にして二人を誘う。
「ちょっと! オバさんって何よ、オバさんって!」
「さぁ、誰のことかしらね?」
つん、と顎を逸らしてシレッとした顔と声で答えるミネアに、マーニャの目が吊りあがる。
そんな姉妹に、また始まった、とアリーナとリラはコッソリと視線を交わして笑いあった。
「荷物置いたら、買い物に行きましょ?」
そして、お互いの肩を寄せ合って、そう約束する。
「私、新しいシャツがほしいんだけど、服屋さん、あるかしら?」
アリーナが袖が千切れ掛けたシャツをつまめば、そういえば、と鼻の頭に皺を寄せて、リラも皮膚を守るために身につけている布をつまむ。
「私もこの間、裂けちゃったのを繕ってそのままなのよね……予備を買っておこうかな?」
首を傾げるリラに、一緒に捜しに行けばいいわよ、とアリーナは笑った。
リラもそれに笑って頷く。
そんな彼女達の微笑ましい光景を見て、ふぅ、とブライは吐息を零した。
そして──無言でクリフトを見上げる。
クリフトは、唇に穏かな微笑を刻みながら、アリーナを見つめていた。
どこか甘い色を宿すその目は、彼の心を──想いを雄弁に語っている。
気付かないのは、姫様くらいのものじゃ……、と、どこか気鬱な思いを抱きながら、ブライはクリフトにソ、と語りかけた。
「ゆっくりしてくるといい。」
「……ブライさま…………。」
「────久し振りに、会うのじゃろう…………?」
誰に、とは……言わない。
クリフトには、それで分かるはずだった。
当時からアリーナの目付け役をしていたブライは──クリフとがどういう生い立ちで、どういう経路でサントハイムの城に来たのか、包み隠さず知らされていたから。
そうして、ブライが自分のことを知っている事実を、クリフトも知っているはずだった。
隠すことはなく──クリフトは、少しだけ苦さを含んだ微笑を昇らせて、頷いた。
「──……最後にこの町を出て……サランに出て以来になります。」
…………三人で旅をしてきたときには、立ち寄ることもなかった…………小さな、町。
もし、自分がこの町に来ることがあるなら──それは。
「…………………………旅が終えたら、顔を出すつもりでは、いたのだけすけど。」
これも何かの導きなのだろうと──クリフトは、知らず指先で十字を切った。
彼がそういう仕草をするとき、心に秘めた思いがあることを、ブライは知っていた。
そしてそれが……決して、いい意味を込めているときばかりではないことも。
「────…………それでも、会おうと思ったことは……お前にとって、良い意味をもたらしてくれるじゃろう………………。」
自分の言葉に、苦い意味が込められていることを、ブライもまた良く知っていたけれども。
──それでも彼は、そう口にした。
この再会が、クリフトにとって、幸あるようにと……祈るように。
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