8 女盗賊
一刻も早く、奪われたミーティア姫を助けるため、一行は駆け足でパルミドの南西に位置すると言う女盗賊の家を目指していた。
その女盗賊の名を、苦い色を伴って呟いたヤンガスを道案内として先頭に配し、彼らは迎い来る敵を相手している暇ももったいないとばかりに、なぎ倒していく。
女盗賊の家は、パルミドからも少し遠く、一晩は野宿が確定だとヤンガスの口から言われたが──言ったヤンガスはもちろんのこと、誰もが野宿などするつもりはなかった。
「ゲルダのことでやんすから、買った物を粗末に扱うようなことは、決してないはずでがす。──馬姫さまも、大事に扱われているはずでやんすよ。」
走りながら──肩で息を切らしながらそう言うヤンガスの言葉に、うん、とイニスは頷く。
けれど、そう頷きながらも、ヤンガスの台詞はまったく耳に入っていないようであった。
真摯な眼差しで前を睨みつけ、ただ無心に足を前に差し出し続けるイニスに、ヤンガスもゼシカもククールも、無言で視線を交し合う。
「大切に扱われとろうとも、そのゲルダとか言う女盗賊にとったら、わしの可愛いミーティアも馬にしか見えないんじゃろう! 馬として大切に扱われるなんて、ミーティアが不憫でならんわいっ!」
トロデ王は、心配で心配でたまらないというように、必死でイニスの腰から吊るされている剣の先端を掴み、イニスに半ば引っ張られるようにして、彼の足に着いて行こうと走り続ける。
そんな、必死にしか見えない二人の様子に──いつもと違い、回りがぜんぜん見えていない様子のイニスとトロデ王に、ヤンガスは大丈夫でがす、と何度も繰り返す。
けれど、そのたびに「ミーティアが心配じゃ」と叫ぶトロデ王よりも、ただ前を睨みすえて、足を止めようともしないイニスの方が、症状的には重度のように見える。
ククールはそんな二人の背中を一瞥してから、背後をチラリと肩ごしに振り返った。
イニスとトロデ王、ヤンガスよりも遅れて走る自分よりも、さらに遅れて走る娘の姿があった。
揺れる胸を片手で押さえながら、汗を滴らせ、つらそうに目をゆがめ──半開きの唇が濡れて、何度も赤い舌が唇を舐めている。上気した頬が、白い肌をより一層映えさせていた。
いつもなら、「眼福」だと言えるような光景が広がっているが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「ゼシカ、大丈夫か?」
声をかけると、彼女は弾む息をこらえられる様子もなく、ただ無言でキッ、と──けれどどこか空ろな瞳で、ククールを睨み返した。
いつもなら、女のゼシカのことを常に気づかうイニスとトロデ王、ヤンガスの三人は、ゼシカのことには頭が回っていないようであった。
とてもではないが戦士の男の足についていけない様子のゼシカに──さらに言うなら、ククールも正直な話、そろそろ着いていくのが辛くなってきた。
「……ちっ、たく、しょうがないな……おい、イニス!」
「──……く……、ク……っ。」
小さく舌打ちして、ククールがイニスを呼ぶのに、荒い息の間から、ゼシカが彼の名を呼ぼうとする。
自分のせいで、足を止めさせたくはなかった。
けれど、まるで声が出なくて──ゼシカは、それでも必死に喉から張り裂けぶようにして、ククールを止めさせようと……ここでイニスたちの歩みを止めさせるくらいなら、自分は後からゆっくり行くと、そう告げたくて。
なのに、無理に出そうとした声は、喉で詰まってしまった。
「──……ごふっ。」
ぐ、と、塊が喉の奥で止まったような感覚に、さらに奥で鉄さびのような味がした気がした。
喉に気をとられた瞬間、ぐらり、と足が傾いだ。
「──……っ!」
頭が歪むような感覚を覚えると同時、目の前に緑色の草が近づいてくるのが見えた。
──倒れる……っ!
ゼシカが、小さく息を呑み──受身を取る余裕もないまま、倒れこみかけた刹那。
「ゼシカ!」
「──……っ!」
ドッ、と──細い腕が、ゼシカの体を受け止めた。
見開いたまま、凝固したゼシカのすぐ目と鼻の先で、草が揺れている。
「…………………………。」
そのまま固まるゼシカの頭の上で、ふぅ〜、と、長い、安堵の溜息が聞こえた。
ゼシカを抱きとめた腕が、かすかに震えている。
はぁ、はぁ……と、耳元で荒く聞こえる息は、ゼシカ自身のものではなく、少し低い声の──、
「あ、りが、と……ククール…………。」
「だから、無理すんなって……言っただろ?」
そのまま、ペタン、と地面に座り込むククールにつられたように、ゼシカも、そのままその場に座り込む。
ハ、と弾む息を唇から吐いて、激しく上下している胸に手を当てると、バクバクと心臓が強く脈打っているのが分かった。
「ゼシカ! 大丈夫かっ!?」
そのまま、心臓の音が全身を支配するのではないかと危惧していると、自分たちの進行方向から、声が聞こえた。
ククールが自分の肩ごしに振り返る先で、心配そうに駆けて来るイニスとトロデ王、さらにヤンガスの姿が見えた。
「…………イニス。」
小さくこぼして、笑みを漏らしたゼシカに、
「ごめん、ゼシカ──。」
イニスは、眉を寄せて──すまなそうに、肩を落とす。
その彼も、汗にまみれて、肩で息をしている。
「何、言ってるのよ。
これっくらい、ぜんぜん、平気よ。」
「──……うん、でも。」
強気に笑って、両手でガッツポーズを作るゼシカに、ククールが物問いたげな視線を向けたが、もちろん彼女は、その視線を無視して、ニッコリとイニスを見上げる。
けれど、イニスはそのゼシカの笑顔に、苦笑を織り交ぜた笑みを見せた後、道具袋の中から竹の水筒を取り出し、ぽん、と蓋を開くと、それをゼシカに手渡しながら、
「頭に血が上りすぎてた、自覚はあるから。
この状態のままじゃ、姫さまを取り戻す交渉も、まともにできないよな。」
そう、続けた。
ゼシカはそんな彼を見上げながら、無言でイニスの差し出した水筒を受け取ると、
「──そうね、凄腕の盗賊らしいじゃない、ゲルダって。
戦略はきちんと、練らなくっちゃ……ミーティア姫を、傷一つない状態で取り戻さないとね。」
水を一口飲んで──ふぅ、とようやく喉を潤した彼女が、口元をぬぐって、水筒をイニスに返した。
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