5 わすれないで




「とても綺麗だよ。」
 キラキラと光に輝くローブを身に纏った彼女を見て、僕はどれほど幸せなのだろうと思った。
 差し出した手の平を見て、小さく目を見張り──それから、はにかむように笑う彼女の、いつも以上にキラキラと輝く美貌に、一瞬見惚れた。
 そ、と重ねあわされた手の平は、頼りないほど重みがなくて、キュ、と指先で握り示す。
 すると彼女も、同じように握り返してくれて──お互いに、間近で視線を交し合った。
「なんだかドキドキしてきたわ。」
 重ね合わせている手とは違う手で、ソ、と胸元を押さえる彼女に、僕は紅潮した頬をそのままに、うん、と頷く。
「僕もだよ。」
 二人でこっそり笑いあい、彼女はとろけるように笑って、
「でも、このドキドキは、とっても幸せなドキドキね。」
 いつも僕を勇気付けてくれる笑顔で、言葉で、今日この日……ほかの誰にも真似できないような強さで、僕の鼓動を一際強く掻き鳴らす。
「わたしたち……これからずっと、一緒に居られるのね。」
 握り締めた指先が、ジン、と熱い。
 言葉をつむごうと口を開きかけたけど、その熱さにしびれるように唇が震えて、何も言葉に出せない。
 そんな僕を見上げて、彼女はニッコリと目元を緩めて笑んだ。
「大丈夫。
 ずっと──私がついているわ。」

ずっと、あなたの傍に。

ずっと、君の傍に。



 ────…………ねぇ……あなた?
 覚えていて……私は、ずっと…………あなたの傍に、居るのだということを………………。





6 戦うメイドさん




 夜──シン、と静まりかえった王城の一室。
 いつもは火を落とされる玉座の間は、2年前から毎日のようにひっそりと蝋燭に炎が灯されるようになった。
 暗闇をひっそりと照らし出す炎の明かりは、床に敷かれたくれないの絨毯をぼんやりと浮かしだし、さらにはその先……その上に膝を落とす男を、浮き立たせた。
 暗闇の中、金色の髪を乱れさせた男は、顔を伏せ、床に膝をついたまま、空いた玉座に顔を伏せ、時折独り言のように何かを呟く。
 その声は、聞いているこちらの胸が痛くなるような、悲痛なソレであった。
 細かく震える男の肩が、暗闇の中でもくっきりと分かる……否、見なくても分かるのだ。
 あの人は、あの悲しき運命の日からずっと──夢の中で生き続け、こうして現実に直面するのを、恐れ続けているのだから。
 それでもまだ……まだ、生きていてくれるなら。
「…………へいか……。」
 小さく、そのたよりない背中を見つめながら、キラはソ、と両手を握り締めた。
 どれほど心から呼びかけようと、何をつむごうと、あの方の心には、決して届きはしない。
 その事実が悲しくて、その事実が苦しくて、キラは己の胸元に持ってきた手に、さらに力を込めた。
 陛下は、自分の周りにどれほど悲しみ、どれほど苦しんでいる方が居るか、気づいてはいないのだろう──気づくことすら、忘れてしまっているのだろう。
 このままでは、この国は崩壊してしまう。
 そのことを、誰もがわかっている。
 大好きな国王陛下のために、国民は、陛下のことを心配して、見守ってくれている──まだ。
 けれど、それがいつまでも続くとは思えない。
 部屋に閉じこもりっぱなしの国王の世話で、キラは城下にも降りれない日々が続いているが、同僚の女官から話は聞いている。
 すでにもう、政治も国も省みず、過去にすがり付いている国王に、愛想を尽かしている国民が出てきているのだということを。
──もう、2年も、このままなのだ。
「──……陛下のお心には、王妃様のお声しか……届かないのかしら…………。」
 小さく、小さく呟いて、キラは己の指先に息を吐きかけた。
 その生ぬるい息が、奇妙なくらいの心にツキンと突き刺さった気がして、キラはキュ、と目を閉じた。
 ──その彼女の耳に、小さく……カツン、と、音が響いた。
 ハッ、と目を上げる。
 視線の先、頼りない蝋燭に浮き出る陛下には、動く気配はない。
 あの方は、窓から朝日が差し込みはじめるまで、ああして暗闇の中……自分の心を侵略するような暗い恐怖の中、必死で過去を見続ける。だから、朝日が差し込むまでは動きはしない。
 この暗闇のなか、近づくものが居るとすれば──。
「──……っ。」
 キラは、息を整えながら、胸の前に当てた手を、ス、と脇に滑らせる。
 そのまま、耳を澄まし、気配を探り──……間髪居れず、カツッ、と、その方角へ向けて足を踏み出した。
 屋上からここへと続く階段──おそらくロープか何かで屋上まで上り、そこから降りてきたのだろう侵入者が、階段の壁に背を預けているのが見えた。
 相手はまだ、ひっそりと影に沈むように王を見守っていたキラの存在に気づいてはいない。
 キラは、そんな黒づくめの侵入者に音もなく近づき──翻るようにして跳躍するっ!
「……なっ!」
 黒づくめの侵入者が、動揺の顔をもって、突然踊りかかってきたメイドを、見上げる。
 突然階段の壁の向こうから、己の頭を飛び越えるようにして飛んで来たメイドの、翻るスカートに目を奪われている隙に、
「──……ぐがぁっ!」
 ガツッ、と──鈍い音を立てて、キラの膝が男の顔面に過たず命中した!
 そのまま、ぐらり、と後方にかしぐ男の後頭部を、膝蹴りをかました足とは逆の足で巻き込み、キラは両手を前に突き出すようにして、階段の反対側の壁に手をつき、そこを軸にしてさらに跳ね上がるっ!
 グルンッ、と視界が回り、足でしっかりと挟み込んだ男の体が宙を舞った。
 一瞬置いて。
 ごぐっ!
 鈍い音が、キラの頭上で聞こえた。
 彼女は、玉座側から階段の壁を乗り越えた勢いを利用して、男を背中から外側の壁へ、ぶつけたのである。
 その音を認めて、キラは足を開放すると、すとん、と階段の上に舞い落ちる。
 そして、乱れたスカートのすそを直すと──彼女の隣に、ドスン、と黒い姿の侵入者の姿が落ちた。
 ころん、と──一拍遅れて、男の手から銀色の鈍い光を放つ刃が、転げ落ちる。窓からの月明かりを受けて、かすかに光るその刃を、無表情にキラは見下ろした後、その侵入者──暗殺者が狙っていただろう男の背に、視線を移した。
 それほど大きな物音がしたわけではないが、静かな城の中では良く響いただろうに、男はピクリとも動かず、いまだに玉座に顔を伏せている。──まるでこの騒動には、気づいていないようであった。
「…………陛下………………。」
 小さく……苦しみの色を折りまぜて、キラは呟いた。
「このままでは──あなたの御身が………………。」
 国のためならばと──そう思い、厳しい決断を下す者だとているのだから。
 キラは、それ以上続けることはできぬまま、ギュ、と──再び、手の平を握り締めて、うつむいた。




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