コンコン、と、ドアをノックした。
 少し緊張した面持ちで待つこと少し──シン、と静まり返った廊下に、耳が過敏なまでに部屋の中の些細な物音に反応する。
 かたん、ガサ──カツカツカツ。
 近づいてくる、聞きなれたブーツの音を聞いた瞬間、リラはぎくりと肩がこわばるのを感じた。
 けれど、それも──ガチャリ、とノブが音を立てた瞬間、戦闘に赴いたときのように、一瞬で頭のスイッチが切り替わった。
「──……何の用だ?」
 味も素っ気もない──けれど、壮絶なまでの美貌がドアの向こうから現れる。
 リラは、何の表情も浮かばない顔で、銀色の髪を持つ魔王を見上げた。
「ロザリーさんの様子を見に来たの……入ってもいいかしら?」
 何気なく──声も震えることはない。
 先ほどまでの自分とは違う、感情の全てを鉄壁の壁が囲い込んだような、そんな作った自分。
 王でありながら自らの感情に負けた──けれども、それでも生まれながらの王の気配を纏った男の前では、本当に些細にすぎない反抗だと分かっていたけれども、リラにはそれが精一杯だった。
 リーダーとしての顔──王族としての威厳を持ち合わせているアリーナや、人に命令することになれているマーニャのような、そんな「威厳」とは違う、絶対的な圧力を有する魔族の王にも対等に向かい合えるように、リラが彼の前でいつも張り付けている「顔」。
 アリーナやマーニャや──他の誰の前でも決して被ることのない、絶対的なリーダーとしての表情。
「──必要ない。」
 キッパリと断じる男に、リラは一瞬目を揺らす。
 ピクリ、と鎌首をもたげる感情を、必死で蓋しながら──そうやって必死に感情を保とうとしているリラを、目の前の男はなんて愚かな女なのだろうと思っているのかもしれない。
 眉を寄せて、リラはピサロを見上げた。
「それは、怪我を負わせた張本人であるわたしに、謝らせてもくれないということ? ……怪我をあなたが癒したから、それで全てなかったことにできるほど、わたしたちは簡単な生き物なのかしら?」
 言った瞬間、自分が余計なことも口走ってしまったという自覚はあった。
──いつも、こうだ。
 他の仲間達とは、どれほどケンカをしても、こんな刺の効いた口調をすることはない。
 ロザリーにだってそうだ。
 ただ、彼にだけ。
 どうして自分もこうなるのかなんてわからないけど──いつも、こうなる。
 そんな自分がイヤで──でも、どうにもならなくて。
 理由がわかれば、これもすぐに解決する問題だと思っていた。
 けど、理由が判明してしまえば……自覚してしまったら、もっと酷くなった。
「──ロザリーは先ほど眠ったところだ。
 怪我をして熱を出したロザリーを起こしたいと言うのか?」
 それは、たいした謝罪だと──そう意地の悪さを込めて笑うピサロに、かちん、と来るのと同時、ジクリと痛む胸の中。
「……ごめんなさい、また、明日改めるわ。」
「──必要ない。お前の謝罪を、ロザリーは求めてはいないからな。」
 そ、と瞳を伏せたリラの頭の上から、叩きつけるようなピサロの声。
 怒っている、と──思った。
「──……あなたがそう決め付けないで。」
 けれど、心の中の戸惑いも何もかも押し込めて、リラはそう言いきった。
 しかし、ピサロはそれ以上聞く気はないとばかりに、ピサロは内側のノブを握り締める。
「ロザリーが怪我をしたのは、ロザリーの不注意とわたしが気づかなかったからだ。
 お前があの時ロザリーの一番傍に居たのだとしても──お前のせいだと、ロザリーは決してそう思うことはない。
 だから、お前が謝罪をするな──アレが、傷つく。」
 わざわざそう説明しなくてはわからないのかと、キン、と音がしそうに冷たい眼差しで睨みつけられる。
 リラは、静かにその目を見返した。
 口を開きかけようとして──でも、リラはその口を閉ざした。
 ピサロは、そんな釈明を求めていないことが、分かっているから。
「──そう、なら、次からは無いように気をつけるわ。」
 リラは、それだけ口にした。
 ピサロはそんな彼女を冷ややかに一瞥して──、
「……………………。」
 パタン、と、目の前で扉が閉まった。
 そのドアを見つめて──リラは、ゆっくりと瞬きをしてみせる。
 そしてその後、ふぅ、と小さく溜息を零して、くるり、と踵を返した。
「…………イヤな子……。」
 小さく呟いた言葉は、自分にしか聞こえないもので──それと同時に、痛々しく聞こえて、馬鹿みたいだと、そう心から思った。
「──明日から、ちゃんとしなくちゃ……こんなことじゃ、──……ぜんぜん、ダメだもの。」
 ピサロは、気づかなかったわけではない。
 そこに魔物がいたことも気づいていた。
 ただ、ロザリーのすぐ傍にリラが居たから──彼は、彼女をリラに任せたのだ。
 なのに、一瞬奪われた意識の隙に、ロザリーは怪我を負った。
「──……戦闘中に気を奪われるなんて……あたし、どうかしてる…………っ。」
 どうかしているのだと──、ジクリ、と痛む胸の前に拳を置いて、リラはきつく唇を引き結んだ。





 決して、言葉にしても、形にしても困る、想い。
 だってコレは。
「…………………………っ。」
 自分が、イヤになっていくばかりの、「恋」だから──。



次へ