午前の部も全て終わり、赤組白組は、とりあえず陣営から退き、それぞれ各自、思うがままの場所で昼飯となる。
何時の間にか回りには屋台まで出ていて、そこで軽くごはんにするものもいるようである。
「スイっ! レストランに行こうぜ。」
フリックがぽん、と肩を叩くと、スイはキョトンとした顔でフリックを見返す。
「あれ? ニナがお弁当作ったとか言ってなかったっけ?」
てっきり、フリックはニナと一緒にお弁当を食べるものだとばかり思っていた。
純粋にしか見えない笑顔でそういわれて、フリックは笑みをひきつらせる。
「いや、それは気の精だ。」
「そう? それじゃ、ニナも誘ってあげよう。」
くるり、と踵を返すスイの肩を、がしぃ、とフリックがつかんだ。
「お前、わざとだな?」
整った容貌を近付けて尋ねると、スイはいたずらげに笑った。
「わかる? ま、どっちにしても僕はレストランには行かないよ。」
ぶらぶらと、話をしながら本拠地の方へと向かっていく団体を横目で眺めながら、スイは微笑む。
「グレミオさんのお弁当だろ。」
ルックが何時の間にか隣に立っていて、顎で放送席を指差した。
「さっき僕も、一緒にどうですか、って誘われた。」
その表情はいつもと変わりないように見えたが、スイには分かった。
「それで?」
だから、にっこりと意地悪く笑ってやると、ルックはやはり意地悪く笑いかえしてくれた。
「冗談じゃないよ。誰が君と食べて嬉しいものか。」
「そう言うと思ったよ。素直じゃないね。じゃ、行こうか。」
「って、だから一緒に食べないって言ってるじゃないかっ!」
「はいはい。一緒に食べないんだろ。」
言いながら、スイはずるずるとルックを引っ張っていく。
そこにはルックの意志が介入する隙間すらなかった。
「まったく、一体なんだい、君は。」
「君が一緒にいないと、グレミオが悲しむだろ。折角腕によりをかけて作ってくれたのに。」
「………………グレミオさん、ね。」
意味深に呟いた一言に、スイは軽く片眉をあげる。
「それとも何かい? あそこに参加したいの?」
スイが指さした先では、ナナミとアイリの二人が巨大な弁当箱を広げていた。その回りにはテンガアールやメグ、ミリーやカスミの姿もある。どうやら女性陣でお弁当を作ったらしかった。
その周囲に無理矢理座らされた一同の顔色があまりよくないのは、お弁当の見た目のせいか、それとも別の理由からかは、遠くからは定かではない。
「……──。」
黙ってルックは、スイに付いていく事にする。
カスミやテンガアールなどの料理はとにかくとして、あのうるさい一団に入っていくのは遠慮したかったのである。
それに、なんでもまずいと思うルックにだって、遠慮したい料理というのはあるのである。
「グレミオの料理がおいしいって事、解放軍のメンバーとリオたち以外は知らないから、ちょうど人が集まらなくていいんじゃない?」
スイの言葉の意味がわからなくて、ルックは眉をしかめ……ふと気付いた。
あたりでも何人かがお弁当を広げている。それぞれ大目に作ってきたらしく、そこには幾人かの人が集まっていた。
その中でも人気が在るのは、当然ハイ・ヨーのお弁当である。
それから、レオナの弁当に、ヨシノの弁当にも人が多い。
まるで料理コンテストのようだと、スイが例えた。
「俺もグレミオの料理を久しぶりに……いや、でもそうするとニナが気付くし…………。」
ぶつぶつと呟いている青い人を置き去りにして、スイはルックが逃げないように、しっかりと腕をつかんで歩いていく。その先では、何時の間にか合流したパーンが一足先に食べていた。
「もうっ! パーンさんっ! お昼時を狙ってくるのはいいですけど、ぼっちゃんが来るまでに食べないで下さいよっ!!」
「まぁまぁ、そう言うなって。」
がつがつ食べているパーンに、ルックが心底嫌そうな表情になった。
しかしそれを気にせずに、スイはルックをひきずって一向の中に座る。
グレミオ特製のお弁当が、びっしりと重箱につめれれていた。
「グレミオ、ルックも連れてきたよ。」
「ぼっちゃんっ!!」
ルックを示してにっこり笑った途端、グレミオは膝を立てて、がばぁっとスイの足に抱き付いた。
そのままバランスを崩しかけたスイを、後ろからクレオが支える。
「グレミオ……。」
叱責しようと、クレオが大きく息を吸ったその瞬間、
「おお、うまそうだなっ!」
ずかずかとやってきた熊さんが、手にしたサンドイッチを一口で口に入れて、パーンの隣に座った。
パーンが口いっぱいに含んでいた食べ物を飲み下して、ビクトールを見る。
「ビクトール。それはどこのだ? うまそうだな。」
「おお、さっきハイ・ヨーのとこから持ってきたんだ。」
「よし、ぼっちゃん、ちょっと俺は行ってきます。」
未だグレミオに抱き付かれたままのスイに片手をあげて、パーンは立ち上った。そして、そのまま一直線にハイ・ヨーの持ってきた弁当にたかりに行く。
「うん、うめぇな、グレミオ、流石だな……っ!」
「ちょっとビクトールさんっ! ぼっちゃんがまだ食べてないのに、そんなにバクバクと食べないで下さいよっ!」
「そう思うんなら、離してよ。」
自分に抱き付いているグレミオに、呆れたようにスイが声をかけると、グレミオはやっと正気に帰ったかのような表情を見せた。
「すいませんっ! さっきまでのぼっちゃんのやりたい放題を見てたので、こう、身体が勝手にぼっちゃんを止めようとしていたみたいです。」
「…………………………………………………………………………………………言うね、お前。」
ちょっと白けた雰囲気がスイとグレミオの間に降りたが、それは慣れた主従関係である。すぐにその空気を振り払うようにグレミオは吸いを解放すると、
「ぼっちゃん。お茶は何を飲みますか? 爽健美茶から、十六茶、どくだみ茶に紅茶も揃えてありますよ。なんなら、先程そこでヴァンサンさんに分けていただいた薔薇茶もございますが?」
「玉露。」
「はい。玉露ですね! ちょっとお待ち下さいねぇ。」
グレミオ直々に用意された座布団をつんである場所に腰を下ろし、グレミオから恭しく箸を受け取ったスイが、意地悪ついでにそう言うと、待ってましたとばかりに、グレミオは大きな荷物の中から、お茶の葉がたくさん入っている茶筒を取り出した。その中に、三杯ずつくらいにまとめた茶葉が一つに包まれて、幾種類もびっしりと入っていた。グレミオはそれを開けて、一目でそれを何の茶が見破ると、用意してあったミニコンロを用意した。
そして、ヤカンをセットすると、
「クレオさん、ちょっと火をお願いします。」
にこりと、火の紋章を持つクレオにお願いした。
もう何も言う気のないクレオが、無言で火を付ける。
しゅぼ、と音がして、コンロに火がつく。
その間にグレミオは元もと用意してきた冷たいお茶を、スイに差し出す。
「こちらは麦茶になります。」
「ん。」
受け取って、まさか本当に玉露を用意するとは思っても見なかったスイは、グレミオを侮っていた自分に苦笑いを隠せない。
「甘やかしてんなぁ、グレミオ。そんなことしてるから、こいつは性格悪い悪魔になるんだぜ?」
ビクトールがこんがり焼けた焼きおにぎりを頬張りながら、スイを箸の先で指差すと、
「ビクトール、これ邪魔。」
スイがすかさず近くに置いてあった串を手にして、ぐさ、とビクトールの手の甲を刺した。
「いってぇぇぇっ!!」
叫んだビクトールを何ごともなかったかのように無視したあと、スイは笑顔でグレミオを見た。
「デザートもあるんだね。後でリオ達のところにおすそ分けしてもいい?」
「ええ、どうぞ。たくさん作ってきましたから。」
一向が見やった先では、リオが、ナナミの料理を他の人間にあげないように、頑張って食べているけなげな姿があった。
最近は、ハイ・ヨーのおかげでおいしい料理ばかり食べていたというのに……と、リオは膨れすぎたお腹をさすりながら、零れそうな胃をさすりながら歩いていた。
とにかく一刻も早く消化したくてしょうがなかった。
口の中は、異様な味が入り乱れている。
特に午後参加する人には食べさせてはいけないと、リオは一生懸命頑張ったのだ。
ふらふら歩きながら、彼はロミオとジュリエットさながらのスイを求めて歩く。
「むー……。」
唐突に、目の前にきらびやかな世界が広がった。
何事かと視線をやると、赤組陣営の中央に、どこかで見たような世界が繰り広げられていた。
無意識にそこに視線をやったリオは、そこで繰り広げられているおかしな空気に、身体が硬直した。
白いシーツが地面に敷かれ、華奢な脚を持つテーブルの上にテーブルクロスが投げかけられている。レース模様の入ったそれは、見事にキレイであった。
そこからは、上品な香りのハーブティの匂いがした。
「…………な、何してるんですか、ヴァンサンさん、シモーヌさん?」
お互いの胸にバラの胸飾りを挿した二人は、テーブルの中央に一輪挿しを置いて、優雅に昼食を行っていた。
二人は微笑みすら零して、
「おお、我が心の友よっ! どうです、あなたもアフタヌーンティと行きますか?」
リオに向かって紅茶カップを示した。
ヴァンサンの得意のブレンドティらしい紅茶を差し出され、リオは膨れたお腹をさする。
それでも口の中をすすぐにはちょうどいいだろうと思い、その申し出を受けた。
「ありがとうございます。」
用意された華奢な椅子の一つに腰掛けて、リオは紅茶を手にする。そして、口の中を濯ぐようにして紅茶を呑んだ。
それでもナナミの味はなかなか消えない。
このまま二杯めを貰おうかと悩むリオに、シモーヌがデザートのケーキを差し出した。
「いかがですか? シフォンケーキですよ。生クリームをたっぷりと乗せて……。」
言いながら、シモーヌは横に置いて在った缶を開けた。その中に生クリームを入れて在ったのだが、開けた瞬間に、
「……っ!! なな、なんということでしょうっ!! おおっ! すまない私の心の友よっ!! 私はなんということをっ!!」
叫んで、この世の終わりとばかりに嘆くシモーヌを、どこかで見たなぁ、とリオは紅茶の最後の一滴を啜る。
「どうしたんですか、シモーヌさん。」
と、
「おお、ヴァンサンっ! 私は君が楽しみにしていた生クリームをっ!!」
「シモーヌ、そのようなことは、私たちの友情の間に何の不都合ももたらしませんよ。」
ナルシー音楽がどこからかかかってきた気がして、リオは無言で席を立った。
そりゃ、こんな炎天下に、そんな缶に入れといたら、生クリームは溶けるよな………………。
「紅茶ありがとう、ヴァンサンさん、シモーヌさん。」
口の中がちょっとすっきりしたことに感謝の言葉をかけるが、二人はそんなことは耳にもいれず、友情の再確認をしていた。
「おお、ヴァンサンっ!」
「シモーヌっ!」
とりあえずここでの収穫は、スイさんは赤組陣営にいないということであった。
「ってことは、やっぱりスイさんは放送席かなぁ?」
リオは歩きながら、きょろきょろと辺りを見回した。
そこかしこでお弁当を開けている人達がいる。
その中には、ラブラブに過ごしているカップルもいた。
いつもはあそこまでラブラブぶりを見せない二人の夫婦も、こうして晴天下では、少し開放的な気分になるらしい。
「あなた様、はい、あーん。」
「あ、はは、はいっ!」
にこやかに微笑みながら、ヨシノが箸で卵焼きを差し出す。
堕し巻き卵はとても美味しそうに見える。
僕もああいうの食べたかったなぁ、とリオはうらやましそうにそれを見つめる。
真っ赤になったフリードが、口元に運ばれた卵焼きを口に入れて、おいしいですっ! と叫ぶ様は、微笑ましいというのか、なんというのか。
さっき、ナナミもリオに、「はい、あーん。」とやってくれたが、あれと比べて、この姿のなんて美しい事か。
うらやましさに涙すら浮かんできそうで、う、とリオは顔を背けた。
ヨシノさんみたいなお嫁さんが欲しいとは思わないが、ナナミがヨシノさんくらい上手い料理を作ってくれたらと思うのは真実であった。
スイを探しがてら散歩していたためか、お腹が少し楽になった。
お腹をさすりながら、リオは放送席まで歩いてきたが、放送席にいたのは、ザムザだけであった。
「あーあー、マイクのテストジャック中っ! このっ! 役に立つ私がっ!」
「スイさんいないなぁ。」
はっきりとザムザを無視して、リオは後ろを振り返る。
勿論放送席のマイクは入っていないので、ザムザが何を叫んで居ようと何も関係はない。
しかし、音が入っていないはずのスピーカーから、突然音楽が流れてきた。
「! 何っ!? ザムザ、何をしたのさっ!?」
驚いたリオが放送席を振り返るが、ザムザは何が何やら分からないまま、首を巡らせている。
そして、彼はマイクを持ったまま叫ぶんだ。、
「何だとっ!? カレンっ! 貴様一人で目立つ気だなっ!?」
立ち上ったザムザの視線の先には、何時の間にか衣装チェンジしたカレンが、ジークフリードに乗って入場門から出てきたところであった。
「カレン……?」
リオがげんなりとした表情で入場門を見た。
カレンは、ヴァンサンとシモーヌを従えて、薔薇の花びらの嵐に吹かれながら、優雅に朝礼台に降り立った。
ザムザがそれに対抗しようと立ち上る。
「ザムザ♪」
しかしリオは笑って、それをトンファーで打ちのめした。
あっさりとやられたナルシー男をとりあえず放送席の片隅に片づけて、景気のいい音楽を聴きながら、後ろを振り返った。
そこには化けっぷりを披露したカレンが、骨休み替わりにステップを踏んでいた。その姿は素晴らしく美しかった。
カレンはいつになく情熱的に踊った。まるで応援合戦の時に、英雄に舞台を取られたのを悔やむかのように。
対抗意識が、彼女の踊りを、いつになく燃えるものにさせていた。
しかし。
「あっ! しまった、123のアラシだよ……。」
くだんの英雄はそんなことも露知らず、白組陣営でタイ・ホー相手にちんちろりんをしていた。
「スイさん……こんなところに。」
結局、白組陣営から、赤組陣営。そして放送席を回ってもう一度白組陣営に戻ってきたリオは、スイの姿をみかけて、がっくりと両肩を落した。
「はっはっはっはっはっ! スイに勝つなんてどれくらいぶりだぁっ!?」
「初めて教えた時以来ですから、三年以上はたってますよ、兄貴。」
上機嫌のタイ・ホーの隣で、いわなくてもいいことをヤム・クーが言ってくれた。
タイ・ホーはその瞬間に打ちのめされる。
しかし、今回勝ったのは確かである。
「じゃ、とりあえず9000ポッチね。」
先程まで勝ち続けてきた金の中から、9000ポッチ支払おうとしたスイの手を、がし、とタイ・ホーは掴んだ。
「スイっ! 今回の支払いは物にしてくれっ!」
「物?」
「そうだっ! そうだよ、物だっ! 俺がスイに買った記念だよっ!!」
叫んだタイ・ホーに、ああそう、とスイは懐を探って、軽く首を傾げる。
「あれ? 僕今これしか持ってないよ。」
それは、ポッチ入れ位の大きさの袋であった。
「なんだ、これは?」
「今結構お気に入りの……。」
言い掛けたスイの言葉が終わらないうちに、タイ・ホーは、へぇ、とそれを手にした。
そして、それを奪い取ると、自分の懐にいれた。
「それじゃこれを貰っておくぜ。」
「…………──ま、別にいいけど。」
首を傾げたまま、スイが囁くと、
「駄目ですよっ! そんな大事なものは、僕が貰わないとっ!!」
すかさず、リオはスイに抱き付いた。
後ろから抱き付かれたスイは、上半身を大きく傾がせた後、首に回ったリオの腕を叩いた。
「リオには別にものがあるよ。」
ぽんぽん、叩いてやると、リオはきょとんとしてスイを見た。
「別の??」
きらきらと輝く目に、スイはにっこりと笑顔で語り掛けると、近くに置いてあった皿を指差した。
「グレミオ特製のパンナコッタがよく冷えて……──あれ?」
振り返って指さしたそこにはしかし、空っぽの皿しかなかった。
確かに持ってくるときは、18センチくらいのホールサイズのケーキが置いてあったのだが。
一体どこに、と見やった先で、ナナミ達女性軍が、空になった紙皿を片手にジュースを飲んでいた。
リオの視線もスイの視線を追った。
しばし二人の間に沈黙が降りる。
「……リオ、また今度でいいかな?」
「はい、楽しみにしてますね………………。」
流石の英雄も、甘いもの好きな女性達のさりげない攻撃には何も口を挟めないようであった。
減ったお腹も満足したころ、一同は再び赤白陣営に別れた。
そして、一休みして、気力も充填した白組の軍主は、いつも冷静な瞳にこれ以上内くらいの炎を宿していた。
なぜなら、あの軍主のせいでリードしていたはずが、同点になってしまったからである。
だからこそ、このお昼一番の競技、スプーンリレーを勝ち取り、このままムードを盛り上げたいところであった。
しかし、スプーンリレーに出場するヨシノもフリードも、何故か未だ帰ってこなかった。
「…………ええいっ! 一体何をしているのだっ! ヨシノ殿もフリード殿もっ!」
叫んだシュウに、ナナミが心配そうに呟いた。
「ほんと。さっきデザート差し入れに行ったときは元気だったのにね。」
軽く首を傾げてのその発言に、瞬時、リオの動きだけでなく、シュウの動きも固まった。
ぎぎぎ、と音がするほどに、シュウは首を鳴らしてナナミを振り返る。
「なんだと……?」
「デザートって、グレミオさんの?」
リオが焦ったように尋ねると、ナナミは至極あっさりと首を振った。
「ううん、私が作った奴。みんなでグレミオさんのを食べたから、私のがあまっちゃって、おすそ分けしてきたんだけど……あれ? シュウさん?」
シュウの額が傾ぐのを驚いたように見るナナミに、リオは何も言わなかったし、他の面々にしてもそうであった。
ただ分かったのは、あの二人が、下手をしたら閉会式まで戻ってこないということである。
「ということは、スプーンリレーに参加できるのって、メイザースさんだけ?」
白くなりかけているシュウの背中を叩いて、彼を正気に戻して、リオが尋ねる。
シュウは一瞬で正気に戻ると、新たな策を考える……暇もなかった。
「ただいまから、昼の部、スプーンリレーを始めたいと思います。選手の皆さんは……。」
朗々としたクレオの声が響いてくる。
シュウは無言で息を詰まらせて続けて重い溜め息をついた。
敵はトランの英雄だけではなかったということか。
「棄権する?」
リオが首を傾げてシュウを見あげると、シュウはキッと正面を睨む。その先では、赤組陣営で遊んでいるスイの姿がある。彼は今、からくり丸と遊んでいた。
「冗談ではありませんっ! メイザース殿一人でも一位を取りさえすれば……っ!」
からくり丸がバージョンアップするのを笑いながら見ているスイを、憎らしげに見つめるシュウを、はいはい、と軽くあしらって、リオはメイザースを見た。
しかし、プライドの高い彼がそんなことをするはずがなかったのである。
「……くだらんな。こんなものをどうしろというのだ。」
ゴードンから手渡されたスプーンを忌々しげに弄んでいるメイザースに、ゴードンが苦笑いした。
「ま、そう言いなさんなって。結構難しいんだぜ、それも。」
苦笑いするゴードンに、大きく頷いて、シュウがメイザースに更に言葉を重ねた。
「そうですよ、メイザース殿。油断は禁物です。」
その台詞を受け継いだのは、ビクトールであった。
「そうそう。アイツが本気になったらしいからな。」
ビクトールは厳しい眼差しで、赤組陣営を見やった。そこでは、からくり丸に乗ったスイが、フリックを踏みつけて遊んでいた。
どう見ても本気になったようには見えないが、三勝三敗という事実が物語っている。
あいつはやるといったら、これから全勝になるように狙ってくるのだ。それは絶対である。
メイザースはシュウとビクトールの本気な台詞に、ちょっと心動かされたらしい。
「…………まぁいい。やるからには勝つというのは、よくわかるしな。で、シュウ殿、作戦は?」
やっとやる気を出したメイザースに、シュウは満足げに頷くと、ゴードンを見た。
ゴードンは無言で特注品のスプーンを取り出した。そのスプーンは、表面が滑り止め加工してあった。
「特注品ですよ。」
にやり、と笑ったゴードンの差し出したそれを示して、
「これを使って下さい。」
シュウがそういった瞬間、メイザースは不機嫌そうに顔を顰めた。
「私に、イカサマをしろと?」
「まぁまぁ、だんな。これも戦略だと思えばさ。」
スイが本気になってかかってくるなら、これくらいはしないと駄目だと、ビクトールも思ったので、メイザースに進めた。
が、しかし、彼のプライドは山よりも高いのである。
「大人ってきたねぇの。」
遠くからその様子を眺めていたシーナがしみじみと呟くと、
「そうそう、特にシュウはね。」
何時の間にか説得を諦めたリオが、シーナの隣で深々と頷いていた。
それを聞きとがめたわけでもないのだろうが、メイザースは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、
「冗談じゃないっ! ごめん被るっ!」
怒鳴った。
シュウは額を抑えて、目を閉じてから、メイザースを見た。
「これを使っても勝てる気がしないからですか?」
そして、挑戦的な眼差しで彼を見たが、彼はシュウよりも一枚も二枚も上手な人物であった。
「ふん、若造の挑発には乗らん。」
顎をそりかえして、やる気を更に失わせてしまった。
シュウはこめかみを押さえながら、くじを間違えたかもしれないと、重い溜め息を零した。
一方赤組の選手たちは、一生懸命スプーン運びの練習をしていた。
小さなスプーンに、ピンポン玉を乗せて歩くだけだというのに、これがまた、難しいのである。
「あっと、とっとっとっと……あら、落ちちゃったわ。」
エミリアが二歩も歩かないうちに落ちてしまったピンポン玉を拾って、頬を抑えた。
「難しいわね。」
「パンプスだと歩きにくいんじゃねぇのか?」
言いながら、シロウも手先の器用さを利用して、頑張ってみるものの、さいころと違って上手くはいかない。
やれやれと、一同がピンポン玉と睨みっこをしている間に、テンプルトンがスプーンの上で、ピンポン玉を跳ねさせて遊び始める。
こんこん、と上手く上に上がっては落ちてくるのを受け止めるその様は、とても見事であった。
「まぁ、テンプルトン君はうまいのねぇ。」
「こんなの何の役にも立たないよ。」
言いながらも、誉められて悪い気はしないらしく、テンプルトンは更に高くピンポン玉をはねさせた。
すると、腰をかがめながらも、見事にスプーンの上に玉を保持させたタキが、テンプルトンに何かを差し出した。
「それじゃ、テンプルトンには、特別にこの玉をあげようかねぇ。」
そして、動きを止めた彼の手のひらに、ぽん、と玉を置いた。
大きさは手のひらサイズの……
「あ、ありがとう──でも地球儀貰っても仕方ないんだけどね……。」
その小さな玉は、手のひらサイズの地球儀だったのである。
これをスプーンに乗せて行けというのだろうか、と、テンプルトンは悩む。
スプーンの上に乗せていたピンポン玉を片手に受け止めて、シロウはやれやれと懐からサイコロを取り出した。
「オレはやっぱり、サイコロがしっくりくるな。」
そう言うなり、彼は自分のスプーンの上にサイコロを乗せた。
そして、軽くそれを揺らす。
「ふぅん? さっきまでサイコロに見放されていたのに?」
シロウの後ろに、唐突に巨大版からくり丸が現われて、その上に乗ったスイが、笑顔でシロウを見下ろした。
からくり丸の右腕には、気を失ったフリックが抱えられている。どうやらフリックで遊んで満足したらしく、こっちにやってきたらしい。
「うをっ!?」
「げっ! スイさんっ!」
シロウはのけぞるようにスイを見あげて、テンプルトンはあからさまに嫌そうにスイを見た。
スイはその反応に軽く眉をあげたが、タキが細い目を更に細めてスイを見あげると、からくり丸から飛び降りて、彼女の隣に降り立つ。
「おやおや、あんたは確か……。」
「こんにちは、タキおばあさん。大変ですね。」
そして、にっこりと、老若男女問わずに口説き落とした経歴を持つ笑顔を爆発させた。
それにはタキも年甲斐もなくポッと頬を赤らめて、
「いえいえ、おかまいもしませんで。」
若返るようだと笑った。
ほんわりとした雰囲気が流れているのに、テンプルトンは密かにほっとする。
どうやらスイは、フリックをからかうにからかって、大分満足しているらしかった。
どうせならこのまま、競技が終わってくれればよかったのだが。
「テッサイ殿、今持っているハンマーって、何?」
スイは、唐突に笑顔を切らせて、からくり丸のしくみに興味を駆られて近付いてきていたテッサイに、話を振った。
彼はきょとんとした後、スイの鋭い眼差しにぶつかり、思わず正直に答えた。
「え? あ、はぁ、シルバーですが……?」
「じゃ、これ鍛えてくれる?」
言いながら、問答無用で、テンプルトンとエミリア、シロウのスプーンを取り上げて、それをテッサイに差し出す。
テッサイはそれを無言で見た後、スイを見たが、スイはにっこりと笑うのみであった。
問答無用。とにかくやれ、ということらしい。
アップルが感動したように、スイを見た。
「スイさん、やっとやる気に……。」
「スプーンって、攻撃力アップしたら、やっぱりフォークとナイフになるのかなぁ?」
うきうきしたスイの言葉を聞いて、
「違うでしょうっ! 攻撃してどうするんですか、攻撃してっ!!」
アップルが怒鳴るが、そんなことで動じるような英雄ではない。
「え? そりゃ、……倒す。」
けろり、として答えてくれたその内容に、アップルは目眩すら覚えた。
「違うでしょうっ! そーれーは、違うでしょうっ!!」
テンプルトンが全身を持って否定したが、そうかな? とスイは首を傾げるだけである。
そしてそのスイに常につっこむべき人間は、未だからくり丸の手の中であった。
「スイ……フリック、ドウスル?」
からくり丸は、とりあえず自分が気を失わせた青年を示すと、スイはにっこり笑顔で答えた。
「ん、その辺置いといて。そのうちニナちゃんが取りにくるだろ。」
瞬間、フリックが飛び起きるように起きた。
「なにっ!?」
からくり丸の腕から転げ落ちたフリックに、スイは軽く舌打ちしたが、彼は何も気付きはしなかった。
「何が……っ!」
「フリックさん、もうすこし寝ていた方が……。」
哀れに感じたアップルがそう囁くと、フリックはわけがわからないと言う表情で辺りを見回し……言葉を途切れさせた。
「おおっ!? オレのスプーンがレベルアップして、じゃじゃーんっ!! ちんちろりん碗に変身っ!!」
「あ、なーるっ!」
シロウが高々とちんちろりん碗を掲げる。
それにスイが納得して、ぽん、と手を叩いた。
「なーる、じゃないだろっ!」
すかさずフリックが自分の役目を取り戻すかのように叫んだ。
何が何やらわからないことに替わりはないのだが、とりあえず今がスプーンリレーで、スイがいらないことをしているのは分かる。
スイに怒鳴ってみせたが、スイはそれをさらりと交わして、
「ほら、テンプルトンのは測量機♪」
「どうして……こんなのに……。」
スプーンの慣れの果てを見つめて、テンプルトンは半ば呆然とした。
一体何がどうなっているのか、まるで分からなかった。
「あら、私は閉館ベルだわ。」
エミリアは、出来上がった自分のスプーンの果てを手にして、ちりりーんと鳴らした。
「どうしてこんなことが……というか、これでは競技に参加できないのじゃ……──。」
アップルがぶつぶつとぼやくのに、フリックは彼女の肩をぽんぽんと叩いた。
所詮スイのすることである。常識外れていても仕方ないのだ。
どうせ彼のことだから、これを使ってスプーンリレーをしても、「だってこれ、もともとスプーンだし。」と言い切ってしまうに違いない。
とにかくこのままやるしかないと、フリックとアップルが溜め息を交わしたときである。
「あの……トニーさんのスプーンが見当たらないのですが?」
クラウスが、苦笑いをにじませてそう告げた。
え? と一同は、クラウスを振り返り、その隣で汗を拭いているトニーを見た。
彼も参加しているということを、すっかり忘れていた。
「お前、今まで何してたんだ?」
フリックが呆れたように尋ねると、トニーは赤組陣営の向こうを指差した。
「あそこで畑を作っていました。いやぁ、ここはいい土地ですよ。」
見ると、そこだけ草原が途切れていて、何時の間にか耕されていた。トニーの手には、桑が握られているし。
「………………。」
何をしているのだ、何を。
もう何か言う気も起こらず、フリックは頭を抱えた。
「あ、そこにスコップあるよ、スコップ。」
スイが、にっこりと笑顔を見せて、汗を掻いたトニーに、後ろに放ってあるスコップを指差した。それは花壇用の小さいのではなく、まさに畑用の大きなスコップであった。
「ああ、これですか。」
純真なトニーは、それを手にした。
すかさずフリックとアップルが突っ込んだ。
「だからこれはスプーンリレーだっていうのにっ!!」
スプーンリレーに参加する人物のうち、まともなスプーンを持っているのはタキくらいのものである。
一体何を考えてるんだと、フリックが怒鳴っても仕方あるまい。
スイはその彼に微笑みかけて、
「いいじゃない、スプーンの一つや二つくらい。どうせ棄権になるんだから。」
「は……?」
一体何をやらかしたんだ、この人は?
フリックとアップル、クラウスは、何がなんだかと、顔を見合わせた。
「ですから、メイザース殿。」
一方、白組では、シュウが一生懸命メイザースを説得していた。
しかしメイザースは一向にやる気を見せず、顎を反らし、無視し続けている。それはまるで、リオが「仲間になって下さい!」といったときに見せていた態度に似ていた。
「メイザース殿っ!」
「まぁまぁ、シュウ。いいじゃない。今回はうちの棄権ってことでさ。」
リオは軽く肩をすくめ、自分の軍主に声をかける。
これはシュウの落ち度であるのも確かだが、元々の原因は自分の姉のせいである。
おとなしく諦めよう? と声をかける。
「リオ殿っ! しかしですね、負けるわけには……っ!!」
熱血したシュウに怒鳴られて、リオは溜め息を殺しながら、肩をすくめて見せる。
「でもね、しょうがないじゃないか。シュウの人選ミスだよ。無理矢理やらせてもいい結果は出ない。そうだろう?」
珍しくも軍主らしいことを言うリオに、シュウが不機嫌そうな表情を、驚いたそれに変えると、
「まったくだ。」
当の本人のメイザースが頷いた。それも偉そうに。
ぴくり、とシュウの額が揺れたが、彼も軍師である。それをぐっと堪えて、
「まぁ、リオ殿がそうおっしゃるなら……──しかし、こちらが棄権するわけにはいきませんから。」
うっすらと微笑みながら、ゴードンを振り返った。
「ゴードン。火薬の準備を。」
「はぁ? 火薬? そりゃありますけどね、どうするんですか?」
ゴードンは、後ろを振り返る。
そこでは、レオナが昼御飯の後片づけをしている。昼を準備するときに、色々コンロとかを貸し出したのだが、その中に確か火薬壷があったような気がしたのだ。
レオナはその視線に気付くと、
「火薬ならここにあるよ。」
と、漬物壷くらいの大きさの壷を指差した。
するとシュウは邪悪な笑みを見せて、
「ならばレオナ。それを赤組に持っていってくれるか?」
そういった。
瞬間、シュウの意図を察した一同が、真っ青になる。
「スイさんに!? そそ、それはまずいっすよっ!!」
ゴードンはレオナの持ってきた壷にしがみつくようにして怒鳴る。
なにがなんでもそれだけはさせまいと、そういいたげであった。
「何……っ!? シュウってば、スイさんを攻撃する気っ!?」
キッと、リオがシュウを睨み付ける。
するとシュウは、不敵に笑った。
「スイ殿ではありませんよ。向こうを棄権させるためです。」
「冗談じゃないですよ。英雄を傷つけたりしたら、俺はグレッグミンスターで商売やってけなくなるっ!」
ゴードンが壷を抱きしめながら、ふるふると首を振った。
ビクトールもシュウの案に反対を示して、彼も壷を守るかのようにゴードンの前にたつ。
「あれ以上あいつを怒らせるようなことするなよ。お前はあいつの恐ろしさをしらねぇから!」
かく言うビクトールは、これ以上もないくらいに彼の恐ろしさを知っていた。
だからこそ、命がけで叫んだのであった。
しかし、ここでいらない一言を零したのはリオであった。
「あ、でも、弱々しげに倒れるスイさんを介抱するのもいいなぁ──。」
「よし、ではこれを向こうに運べっ!」
リオの許可を得たとばかりに、シュウが叫ぶと、近くにいた彼子飼いの兵が、レオナをどけて壷を奪い取る。
「あっ! こらっ! リオ、お前止めろよなっ!」
ビクトールが焦ったように叫んだが、すでに壷は奪われた後であった。
「ほっよっとっ! ををっ!! 見てください、今三十回目ですよっ!!」
「おおー。」
トニーが、必死でスコップで、ピンポン玉を跳ねさせている。その数を数えていたテンプルトンが、ぱちぱちと手を叩いた。
「でもスプーンリレーって、そうするんじゃないんでしょう?」
エミリアが困った顔で、自分のスプーンであったものをちりりん、と鳴らした。
これはきっと明日から、閉館ベルとして役立つのであろう。
「楽しそうだからいいんじゃないかねぇ?」
タキが自分の分のスプーンを持ったまま、一向を見あげる。
そのタキの隣からスイがふと耳元を弄った。
そして、指先で何かをつまむと、
「そろそろかな?」
ぴん、とつまんだそれを空中に投げて掴んだ。
フリックがいぶかしげにそれを見て、
「おい、スイ、それってもしかして……?」
スイは手のひらに握り締めたそれを見せて、にっこりと笑った。
「リッチモンド特製盗聴器♪ 昼休みに向こうに仕込んでいたんだ。」
にっこりと微笑んで、スイはそれを握り潰した。
「向うも向こうだし〜♪」
明るく笑ったスイの言葉が終わるよりも前に、
どんっ! ……パパパパパパパッ!
白組で、何かが上がる音がしたかと思うや否や、空に大きな花が咲いた。
「花火っ!?」
驚いたフリックとアップルに、スイは綺麗な見惚れんばかりの笑顔を見せた。
「盗聴器に花火仕掛けておいたの。こっちを潰したら発火する仕掛け作ったんだ〜。
流石ジュッポ新作花火。キレイだね。」
明るい空での花火はよく見えなかった。その代わり、何故か花火だけにしては大きな爆音が続けて上がった。ついでに砂煙も上がる。
それが何のためなのか知るスイは、笑顔で空を見上げた。
青い空には二つの影が飛んでいる。
一方……──。
突然花火が飛んだに驚いている白組陣営では、
「シュウさんとメイザースさんが……飛んでる。」
呆然と突っ立っているナナミの髪が、後から起きた爆発に巻き上がった。
そして、花火によって引火した火薬壷の爆発を見あげて、
「たーまやぁっ!」
異様に明るくリオが叫んだ。
そして、その後ろでは。
「だからあいつを怒らせるなって言ったのに……。」
ビクトールが呟いていた。
四勝三敗となった赤組は、一気にやる気になっていた。
「現在向うの軍師はホウアン先生により手当てされています! これはチャンスです!」
アップルは断言して、一同の顔を見つめた。
隣では、一応常識人であるクラウスが、自分の口元を被って呟いていた。
「…………何とむごい……──。」
戦争の合間の骨休みのはずでもあったこの企画なのに、どうしてこんなに、戦争中のような駆け引きとか、卑怯技が繰り返されているのだろう?
「しょうがないですよ、これが勝負の世界なんですから。」
ぽんぽん、とスイがクラウスの肩を叩いた。
クラウスも戦争となると、冷酷な判断を下すくせに、こういう場ではまともすぎるようだ。
慰めるようなスイの言葉に、
「お前が言うな、お前がっ!」
フリックがすかさず突っ込んだ。
しかし、そんな台詞がスイに聞くはずもなく、スイは飄々としてそう? なんて首を傾げていた。
「次は──綱引きですね。」
このままいけば、シュウに勝てると、アップルは目を輝かせてプログラムを見つめる。
そして、ぐしゃ、とプログラム表を握り潰して、勢いよく選手一同に視線をやった。
「よしっ! やってやろうじゃないかっ!」
元気良く腕を振り回しているのは、オウランである。隣では、彼女と仲のいいハンナが頷いている。
「そうだな、やるからには勝とうか。」
鍛え上げたボディガードと女戦士は、力強さを見せるかのように、互いに腕をあわせた。
その姿に、
「おーっ!」
パチパチパチと、わざとらしくスイが手を鳴らした。
「頼もしいな、オウラン、ハンナ──。」
たっぷりと重量感を感じさせる胸を揺らして準備運動に入るオウランと、その隣でザンバラな髪を掻き上げるハンナとを見比べて、フリックが感心したように頷いた。
オウランの力強さも、ハンナのそれも、フリックはよく知っていたから、これは期待できると思った。
そこで、視線をずらして他の選手を見やった。
あとの選手は……──。
「つなひき……──か。」
そこでは、フリックとビクトールの傭兵仲間、ギルバートが立っていた。彼は顎の髭を扱くかのように、手を当てている。表情は、渋い。
「綱引き、ねぇ。……力には多少の自身はあるけど……ねぇ?」
困ったようなギルバートの身体は、貧弱とすら例えられる。その隣に立って、やはり同じように渋い顔をしているバーバラの体格は、立派ではあったが……その立派さは、どちらかというと、「ふくよか」な立派さであった。
「…………え、……とぉ?」
フリックとともに、他の選手を確認したアップルは、とまどうような眼差しを白組に向けた。
軍師が欠けて、ピンチなはずの白組には……──。
「おうおうっ! 軍師殿は倒れちまったが、やるだけやるぞっ!」
タイ・ホーが勢い込んで叫んで居た。隣では、アマダが肉体美を誇るかのようにガッツポーズを取る。
「ったりまえだなっ! 今こそ船で鍛えた能力を見せてやるぜっ!」
元気良くタイ・ホーとアマダの二人が腕を組み交わし、にやり、と笑うのに、ヤム・クーが袖に手のひらを入れながら、呆れたように呟いた。
「兄貴、ほどほどにしないと、腰にきますよ。」
すると、やる気を見せて、袖を紐で括っていたガンテツが、
「はははは! それは普段の鍛えかたが足りんのだっ!!」
その響き渡る声でもって、叫んで大声量が消えぬうちに、タイ・ホーの肩を掴んだ。
「どれ、わしが見てやろう。」
言うなり、タイ・ホーの肩を押し始める。どうやら彼はツボを押し始めたらしい。
「いててててっ! おいおい、兄さん。そりゃちょっと痛ぇってっ!」
振り外そうと手を振り上げるが、ガンテツの力には叶わず、痛いと連発する。
ヤム・クーは、その兄分思いの笑顔で、
「よかったですねぇ、兄貴。これで持病の肩凝りも直りますよ。」
と告げた。
一向を冷めた目で見ていた残る一人の選手は、ふと時間が迫っているのに気付いて、パンパン、と手を叩いた。
「はいはいはい、その位にしておいておくれよ。そろそろ時間だ。」
色気のある流し目を一同にくれてやって、アニタはルージュの塗られた唇をつり上げて笑った。
「獅子は兎を殺すにも全力を尽くす、だよ。」
そうして、自分達の勝ちを確信している一同に、微笑みかけた。
その笑顔に、アマダも笑みを返す。
「おっしゃぁっ! やるぜ、ヤロウどもっ!」
拳を振り上げると、皆がそれに反応して勢いよく拳をあげた。
その後ろでは、
「がんばってね〜♪」
緊張感の欠片もない態度で、軍主が旗を振っていた。
更に後ろでは、ホウアンによって、シュウが包帯ぐるぐる巻きにされていた。
「駄目だわ……──。」
白組の異様な盛り上がりを見たあと、アップルは打ちのめされたように地面に両手を付けた。
ふとその視線が、目の前に立っているスイの脚にやられる、
アップルはがばっ、と顔を上げて、スイを見た。
「スイさんっ!」
きょとん、としている彼に向かって、アップルは叫ぶ。
そして、立ち上がり際、スイの両肩を掴んだ。
「昼休みの時にでも、あちらに痺れ薬とか盛ってませんかっ!?」
その表情は、真剣極まりないものであった。
「こらこらこらこらこらっ! 煽るなよ、こいつをっ!」
常識を総動員して、フリックがアップルを引き止めた。
「え? 盛っておけば良かった? ごめんね、タイ・ホーとはちんちろりんしかしてないんだ。」
スイはスイで、とてもすまなそうに謝ってくれる。これではまるで、卑怯技が当たり前のように思える。
それは人間として駄目だろう、とフリックが心の中で叫ぶと同時、
「してたね、そういえば。しかも珍しく負けてなかった?」
ルックがスイの語尾を取って呟く。
その台詞に驚いたのはアップルである。
「ええっ!? スイさんが……っ!? ちんちろりんの悪魔、サイコロの支配者、賭博の大王とまで呼ばれた、賭け事の天才がっ!? ……──風向きが危ういわ……っ!!」
がーん、と青筋を背負って、ショックを受けている。
「うん、1、2、3、のアラシ出しちゃってさ。」
スイが何でもないことのように答える。実際、勝ちまくっているので、一度くらい三倍払いしてもなんとも思わないのだろう。いや、もしかしたら、あまりに勝ちすぎても駄目なので、わざと負けたのかもしれない。
「……仕方ないだろ、アップル。ここは……頼るしかない。──運命にさ。」
フリックの呟きには、哀愁だけでなく、諦めも混じっていたという。
一本の太い縄が置かれている場所には、中央に旗が立てられている。この旗のポールには、置かれている縄が巻かれている。つまり、互いに引っ張り合ったときに、この旗が引っ張られていく方に倒れていく仕掛けになっている。旗が自陣側に倒れた方が勝ちである。
白組陣営を背後にした縄の端をつかむのは、白組である。逆に、赤組陣営を背後にしたのは赤組である。
中央のポールを境に、縄の両端に別れたそれぞれの選手は、縄に沿って一列に並んだ。
タイ・ホーは自分の手に、滑り止めの唾を吐いた。
「ぺっぺ! へへっ! 今日はツキに恵まれてるからなっ! 行ってやるぜ。」
燃え立つタイ・ホーに、ヤム・クーは苦笑いを見せた。
「さっきのでツキを落してないと、イイっすね、兄貴。」
言ってはならないことであったが、先程の昼休みから燃えているタイ・ホーは聞く耳持たなかった。
「よいしょっと。」
アマダは太い縄を持つと、最後尾を陣取るガンテツを見やった。そして、片手をあげる。
「んじゃ、ガンテツさん、期待してるぜ。」
「まかせておけいっ!」
ガンテツがドンと胸を叩く。
アニタも手のひらにグローブを付けて縄を手にした。
「きりきりやってこうかね。」
そして、手の具合を確かめると、縄を地面に置いて、その側にひざまづく。
それを真似て、アマダも縄から手を放して、同じように座る。タイ・ホーもヤム・クーもそれに倣い、準備万全に座り込んだ。
正面では、オウランやハンナが手のひらを叩いている。
隣では、ギルバートが微笑みを見せて一同を見やった。
「期待してますよ、オウランさん、ハンナさん。」
すると、ギルバートを見て、オウランが苦笑してみせた。
「そりゃ構わないけどね。あちらさんがあちらさんだから、どうなるかは分からないよ?」
「まったくだ。引くとなるとな……突進するのは得意なのだがな。」
ハンナまで弱気になっているが、それは二人とも言葉だけで、結構やる気である。
「あたしもねぇ、押すか持ち上げるかは得意なんだけどね。まぁ、重しくらいにはなるだろ。」
バーバラが困ったような表情をしてみせたが、すぐに笑って胸を叩いた。彼女もやる気はあるようである。
「…………すいません、不甲斐無くって。」
ぺこり、と謝ってギルバートが所在無さげに縄の隣に座り込んだ。
まるでそれを待っていたかのように、クレオが放送席からやってきて、ポールの所に立つと、
「それではみなさん、縄を持って……スタートっ!」
凛々しく、宣言した。
「よーいしょっ こーらせぇぇぇっっ!!」
「うっ! くそっ]
アマダの声に反応するかのように、縄が一気に白組の方に引かれて、ギルバートがふんばる。バーバラも地面に脚を縫い付けるようにして全身を真っ赤にした。
「おらおらっ! いくよっ!」
オウランが叫んで、腕に力を込める。血管が浮くくらいに込めた力に反応するのは、ガンテツの力こもったうなり声である。
「うおおおおおおおおーっ!!」
地面を這うような声に、きりり、とハンナが唇を噛み締める。
「く……っ、でも負けてられない……っ!!」
眉を引き絞って力を更にこめると、バーバラも鼻息荒くふんばる。
「おらよっとぉっ!」
「相手もイキがいいっすねっ!」
タイ・ホーとヤム・クーが息を揃えて縄を引く。
ポールの先の旗は、やはり白組の方に傾いている。
それを遠くから眺めて、悔しそうにアップルが爪を噛んだ。
「このままじゃ……。」
「これで負けても四勝四敗か──別にいいかな?」
悔しそうなアップルの声に、スイの呑気な声が続いた。
ぎょっとしたのはフリックである。
「よくないだろっ! 勝てるときに勝っておかないと──っ!!」
スイに迫るかのように叫ぶと、驚いたといいたげな表情になって、
「え? 何? もしかして勝ちたいのっ!?」
驚いたようにスイが叫んだ。
「あたりまえだろっ!」
叫びかえしたフリックをまじまじと見て、スイは感心したように溜め息を吐いた。
「それならそうと言ってよね。皆負けても仕方ないという表情をしているから、てっきり勝つ気ないのかと思ったのに。」
意味深な言葉に、アップルが目を見開く。
「それでは、何か策でもあるのですかっ!?」
勢い込んでスイに尋ねると、彼は軽く首を傾げた。懐に手を入れて、そこから鈴を取り出す。それは、どこか奇妙な形をしていた。
「策っていうかね。これをね、こう……感じ?」
ちりちりーん。
明るい音が響く。それは、小さくてよく聞こえなかったが、その音が響いた瞬間、異変が起こった。
「うひゃっ!!」
びくん、とタイ・ホーの身体が跳ねたのである。
「兄貴?」
突然縄から手を放した兄気分に、ヤム・クーは不思議そうに尋ねる。
タイ・ホーは更に身体をよじった。
「何だっ!? 懐が……うひゃひゃっ!」
更にスイがちりりん、と鈴を鳴らすと、
「ひゃひゃひゃ……っ!! なな、何──っ!? なっ!?」
タイ・ホーの懐から、フワフワの毛玉が顔を出した。それは、小さな道具袋を頭にかぶっていた。
「なんだっ!? こりゃ……っ!?」
「それ……さっきスイさんから巻き上げた……?」
ヤム・クーが道具袋を指差す。
「こらっ! タイ・ホー! ヤム・クー! 手を放すんじゃねぇっ!」
一気に赤組に引き寄せられたアマダが叫ぶ。
「ふさふさの子供なんだ。この間拾ってさ。ちなみにこれは、ふさふさが反応する鈴の音。でもってぇ。」
何が起こったのか分からないらしいフリックとアップルに説明してから、スイは更に懐から何か出した。
「ちなみにこれが、この間、ガンテツさんに頼まれて貰ってきた、フッケンの御札。」
言うなり、それをヒラヒラさせる。クロム寺院の僧侶であるフッケンの札には、特別の力がこもっているのだろうか? ガンテツがそれに反応してこっちを見た。
それを狙って、スイは笑顔で御札に指先を突きつけた。
刹那、
「火炎の矢。」
一言、呟いた。
「あーーーっ!!!!!!」
大声量で叫んだガンテツが、縄を放して飛んでくる。
その突進をひらり、とよけて、スイはガンテツの後ろ首に手刀を落す。
がくん、と落ちたガンテツの上に降り立ち、にっこりと笑って、綱引きの競技を振り返った。
そこでは、旗が思いっきり赤組の方に傾いていた。
「だーっっ!!!!」
アマダの叫びの後に、ぽてん、とポールが落ちた。
それを確認したあと、スイはにっこり笑顔で振り返って、火炎の矢によって焼かれた振りをした札をひら付かせた。
「ね? こんなものだよ。」
なんとか満身創痍ながらも蘇った軍師は、燃えていた。
何と言っても、トランの英雄であり、赤組のリーダーでもある少年が、ことごとく卑怯な手を使ってきたのである。
自分のことは棚あげしても、これは棚上げできはしない。
なんとかして勝たねばならないと、軍師は燃える。
何せ、もう後がないのである。午後の競技もあと三種目で終わりだというのに、現在白組は三勝五敗。
「ここは一戦も負けられんっ!」
宣言すると、難しい表情のテレーズも、ハウザーも頷く。
同盟軍リーダーが負けるわけにはいかないのである。全身全力を持ってして、リーダーの威厳を保たなければならない。
その当の本人は、呑気にナナミと一緒に縄跳びをしていたが。
「ほらほら、二重跳び〜。」
「私なんて、クロス跳びよっ!」
「じゃ、逆クロス跳びっ!」
「なんのっ! ゲンカクじいちゃん直伝奥義っ! 花鳥風月百花繚乱竜虎万歳風光明媚跳びっ!!」
「……それって、三重跳びって言わない?」
競いあう二人に、回りの人間は苦笑いというか、微笑ましく眺めている。
シュウはそれを厳しい目で見た後、
「三勝五敗だ。競技はあと三つ。この大縄跳びを取らねば、負けは決定となる。」
無視することにした。どうせあの軍主は何も考えてくれないに決まっているのだから。
ビクトールが水分補給様に、レオナからかっぱらったビールを呷ると、
「だから、あいつを怒らせるなって言っただろ。」
と、あきれるように、燃え立つ軍師に声をかけた。しかし、卑怯な作戦に燃える軍師には届いていない。
やれやれ、と肩をすくめたビクトールの隣で、シーナも呑気にジュースを啜りながら答えた。
「ま、こうなった以上は仕方ないだろ? どうせ俺達の出番は終わったんだし、これ以上の被害が出ない事を祈るだけだな。」
さっさと自分たちだけ安全圏に行こうとする二人の後ろから、唐突に身軽な影が躍り出る。そして、黒い羽根を鳴らして、仁王立ちになった。
「なに弱気なこと言ってんだよっ! 逆転されて、このまま逃げれるかってんだよっ!」
ぼさぼさの髪が目にかかるのを、首を振って払いのけ、チャコは断言した。
勝ち気な目が、めらめらと燃えている。が、ビクトールとシーナの反応は鈍かった。
二人の視線が、同時にチャコの背後にやられる。その瞬間、意味もない悪感を感じたチャコが身を震わせると、
「ひひひひ……チャ〜コ〜〜。」
ひやり、と嫌に冷たい手が、首筋に当てられた。
「ひぃぃぃぃぃっっ!!」
遠めにも分かるほどに跳ね上がったチャコは、後ろから迫るシドを振り返らず、一目散に走り出す。それにシドが音も無く付いていく。
ビクトールは無言でビールを一気に飲み込んだ。
視線の先で、チャコとシドが、作戦会議をしているシュウのあたまを乗り越えて跳んでいくのが見えたが、まぁそれはどうでもいいことであろう。
真面目に作戦を考えていたシュウは、チャコ、シドの二人に踏みつけられた頭を撫で付けながら、密かに額に青筋を浮かせていた。それに気付いたであろうに、縄跳びで頬を上気させたリオは、にっこり笑顔で言った。
「それで、縄跳びって、誰が出るの?」
「…………………………………………リオ殿、何度も申し上げていますが、戦の前はしっかりと報告書や確認書類を見なさいと、あーれーほーどーっっ!!」
青筋が更に浮いたシュウに、まぁまぁ、とビクトールが話し掛ける。
「これはお遊びなんだからよ、そう興奮しなさんなって。あんたは軍師だろ。」
ぽんぽん、と肩を叩かれて、シュウは一度大きく深呼吸をした後、無言でビクトールを睨んだ。それから気を取り直したかのようにリオを見て、大縄跳びの選手を見せた。
「とりあえずネックなのは、ユズということになります。」
言いながらシュウが見た先には、愛羊のタロウと戯れる小さな女の子の姿があった。無邪気な笑顔で、タロウの上に乗っていた。
リオもつられたようにシュウの視線の先に居るユズを、見た後、
「大丈夫だよ。ユズにはタロウがいるし。」
確信もなく、そう言い切った。
当然のことながら、
「それが何の……っ。」
シュウが声を震わせて、雷を落そうとしたまさにそのとき。
「そうそうっ! ちゃーんとシークレットシューズつけたもんねっ!」
それはそれは 楽しそうに、メグがシューズを振り回す。白い厚底ブーツは、どうみても跳びにくそうな代物だった。
メグが手にしているシューズを見て、シュウは溜め息を零す。
「あのな……シークレットシューズなど、余計に飛べないだろうが。」
こめかみをほぐす軍師の背後から、興味に駆られたように、レプラントが手を伸ばした。そして、メグからシューズを受け取ると、鑑定し始める。
裏と表をひっくり返してから、レプラントは成る程、と呟いて、その底面をシュウに見せた。
「これは、内側にバネが仕込んであります。それも、跳ねてもなかなか脱げないようにここにベルトもついていますし、大きさ調整器がここに……。」
言いながら、いくつかの箇所を指差す。
シュウはそれを聞いた途端、満足そうな微笑みを浮かべた。
「フ……よくやった、メグ。」
「いえーいっ!」
誉められてメグが片手をあげて喜ぶ。
そのメグからシューズを受け取って、卑怯技を伝授された一同は、
「よっしっ! 後は俺らにまかせてくれっ!」
と沸き立った。
本来なら卑怯技など使いたくも無いコウユウまでもが、英雄を倒すためだという名目の元に、ばねのついたシューズをはいている。
「まかせたぞ。」
鷹揚に頷いたシュウの後ろでは、本来なら皆に声をかけるはずのリオが、ナナミと一緒に、あまったシークレットシューズで遊んでいた。
白いお皿にレースの紙ナプキンを敷いた上に、山盛りのクッキーが乗っていた。
それを優美な指先でつまんでは口元に運びながら、白組で害虫扱いされている英雄は、何の感情も抱かずに呟いた。
「だんだん向うも卑怯技に磨きがかかってきたね。」
すると、スイの隣に座っていたグレミオが、呑気に笑った。
「しょうがないですよ、ぼっちゃんが相手ですから。」
「……それ、どういう意味?」
スイは今、放送席にお邪魔していた。ここでグレミオのクッキーを食べていたのである。
グレミオに突っ込んだスイの顔を、朗らかな笑顔で見やったグレミオは、
「あれ? ぼっちゃん、お口についてますよ。」
クッキーのカスが、スイの口元についているのを発見した。
「ん、とって。」
話をずらされたことに気付きながらも、スイは自分の顔を心なしグレミオの方に向ける、と。
「グレミオ、ぼっちゃん。……マイク、入ってますよ。」
言いながら、クレオがマイクのスイッチを切った。
今の会話が丸ごと筒抜けだったと思っても過言はあるまい。白組も赤組も騒がしいから、誰も聞いていなかったとは思うが。
「いいんじゃないの、別に?」
どうせ同盟軍では猫かぶってる方が多いんだし。
しれっとしてスイは言い切った。相当、その「猫かぶってる姿」でいたずらを繰りかけしてきた事は棚にあげて。
しかし、その放送を聞いていた者が、スイが新たなクッキーを口に運ぶと同時に走ってきた。
「お前、リーダーのくせに、何こんなところでおやつ食べてんだよっ!!」
フリックが、全力疾走で駆けつけてくると同時、息を大きく吐いてスイの身体を掴んだ。
がし、と逃げれないように肩を掴むと、スイはそれを嫌そうに見てから、こう言った。
「だって、おやつの時間なんだもん。」
「そうですよぉ。クッキーも焼いてきたんですよ。」
こぽこぽと、ポットに新たなお湯を注ぎながら、グレミオはスイのための紅茶を用意し始める。
しかし、すぐ目前に迫っている競技があるのだ。リーダーが呑気にこんなところでお茶をしていていいはずがなかった。
「もうこうなったら、お前の卑怯技だけが頼りなんだよっ! 行くぞっ!!」
宣言したと同時、フリックはスイを引き立てる。
がたん、と音を立てて椅子が転がったと思うと、スイは放送席のテントから連れ出されていた。
「グレミオのクッキーーーー………………。」
名残惜しげなスイの声が、ドップラー効果を伴なって遠ざかっていく。
紅茶を入れおわって、良い香といい色の出たティカップを手にしたグレミオは、その声の方向を見てから、手元のお茶を見た。
「熱血してるね、フリックは。」
呆れたようなクレオの台詞を右から左に聞き流し、グレミオはクッキーと紅茶を見やって、困ったように首を傾げる。
「せっかくお入れしましたのに……リオ君たち、食べますかね?」
「好きにしたらどうだい?」
選手達の集合場所で、ぼよよん、ぼよよん、と白組の者達は感触を確かめていた。
コウユウは卑怯な事だと良心を痛めていた気持ちも忘れ、面白さに顔をほころばせていた。
「楽チン楽チン♪」
上機嫌なコウユウの隣では、ボブがシークレットシューズを面倒そうに眺めていた。
「別にこんなものなくっても飛べるのになぁ。」
脚を交互にあげて確認する視線の端を、さっきから跳んでいる影が映った。
「きゃははははっ! おっもしろーいっ! タロウも飛び越えられるよっ!」
ユズが愛羊の背中を飛び越えていたのである。
ぴょん、と飛んだユズの小さな身体が、シークレットシューズの性能を見に来たレプラントによって受け止められる。
「あまり飛び跳ねていると、危ないですよ。」
すっぽり治まったユズの身体を下におろすと、彼女はにっこりと笑った。
「ありがとう、おじちゃん。」
ちょっとその言葉に傷ついたレプラントに気付く人物は誰もいなかった。
赤組の方からは、赤いはちまきを締めた、きりりとしたいい男達が、気合をいれていた。
皆やる気であった。
「コボルトの戦士の名にかけて!」
低めの通る声でリドリーが宣言すると、それに応えてゲンゲンが片手をあげる。
「おうっ! ゲンゲン隊長はがんばるぞっ!」
その尻尾が可愛らしく揺れている。
「はいっ! さすがゲンゲン隊長っ!」
お目目をキラキラさせて、ガボチャがそれに従った。何が流石なのかわからないが、リドリーはその光景に満足したように頷いた。
その三人(三匹?)のお尻で揺れる尻尾が、ふさふさとゆれている。
「…………っ。」
フリックによって赤組に連れ戻されたスイは、それを眺めて、うずうずする身体を持て余していた。今すぐ飛んでいって抱きしめて、かいぐりかいぐりしたいのだが、フリックの手がしっかりと腕に食い込んでいるのだ。
「とびつくなよ、だきしめるなよ、じゃまするなよっ!」
とのことなのである。
そこでスイは仕方なくフリックの腕に抱き付いて、
「いーなぁ、ふさふさー。」
と、名残惜しげに頬をくっつけたりしていた。
「だからって俺にくっつくなよっ!」
「あー、揺れてるー。抱きしめたいなぁ〜。」
フリックの声を聞かず、スイはそのままぎゅぅ、と彼の腕を抱えた。抱きしめているのが何なのか自覚のないままに、手近なものを抱きしめて誤魔化している模様であった。
白組のリーダーや、某少女からの視線が凄い勢いで突き刺さってきて、フリックは悪寒を覚える。ちなみにスイは気付いていてもまるで動じていない。
「向うが何を仕掛けてくるか、ですね。」
アップルは、隣で行われていることから目をそらして、真剣な表情でシュウを見た。シュウは余裕な表情をしている。
きりり、と唇を噛み締めてアップルに、クラウスも慎重に頷く。
と、その時である。スイに抱きしめられていたフリックを睨んでいたリオが、行動に移したのは。
リオは、白組の選手の元に歩いていった。
「うう……興奮してきたぜっ!」
身体を震わせるボブに近づくと、にぃっこりと笑った。
「ボブ、これでも見て落ち着いてよ。はい。」
そして、丸い月を模したお盆を見せた。黄色いお盆は、ボブの視線いっぱいに移った。
しばしの沈黙、ボブは肩を揺らしたかと思うや否や、
「……う、ウオォォオォォーッッ!」
吠えた。
その身体が変化していく様を、リオは至極満足そうに見ていた。
変身が完了したその瞬間、
「あ、オオカミv」
フリックの腕を抱え込んでいたスイが呟いた。その語尾が跳ねているのは気の性ではあるまい。
「今、なんか語尾にハートがついていたような……て、あれ? スイ?」
フリックが自分の腕にしがみついていたスイを見たが、いつのまにかスイはいなかった。
しまった、と焦ってリドリーたちコボルトの方を見たフリックの服の裾を、くい、とアップルはつかんで、無言で向うを指差した。
そこにはほえ哮るボブがいる。
「ウォォォォーッ!」
「わーい、ふかふかっ!」
ユズがその脚にしがみついていた。
「ふっかふかーvv」
そして、凄く幸せそうな表情で、スイがボブの胸元に顔を埋めていた。
「…………………………………………。」
無言でフリックは、スイを回収するために歩き出す。
またリオはフリックからスイを引き離すという任務に成功して、満足そうに頷いている。
「この英雄って…………。」
コウユウが呆れたような顔をして、額に手を当てた。
スイが嬉しそうにボブに抱き付いているのにライバル心を抱いた一群もいた。
「むむっ!! ゲンゲンは負けないぞっ!!」
「はいっ! ゲンゲン隊長っ! ガボチャも協力しますっ!」
「……何を?」
リドリーの呟きは、誰の耳のも入らなかったようであったが。
ずるずるとフリックにひきずられて(しつこく抱き付きすぎて、リオまでもが引き剥がしにかかり、最後には競技が進みませんと、グレミオまで出てきた始末であった。その頃にはボブが顔を真っ赤にして元の姿に戻っていた)、スイは上機嫌に椅子に座った。そこはヴァンサンやシモーヌが用意してお茶ルームである。
優美なラインを描く椅子に腰掛け、ヴァンサンに入れてもらった薔薇茶を飲みながら、スイは大人びた微笑みを宿す。
「……満足満足。」
その口元に浮かんだ微笑みを忌々しそうに眺めて、フリックは同じように椅子に腰掛ける。
「まだ競技が始まったばかりなのに、何満足してんだよっ!」
がたん、と音を立てて座ったフリックに、シモーヌから優雅ではありませんねぇ、と注意が跳ぶが、そんなのは聞いていられない。
「まぁまぁ、リドリーさんたちですから、きっと頑張って下さいますよ。」
何せ、コボルトの兵士たちなのである。頑張りやさんだから、きっと頑張ってくれるよと、アップルが微笑むと、
「そうそう。大丈夫だよ。…………リドリーたちは、ね。」
意味深な台詞をはいて、スイはお茶を飲み干した。
「……は、というと?」
いぶかしげに尋ねたフリックに、スイは笑顔を向けた。
その視線が縄跳びに向いている。アップルと共に、何が起こっているのかと視線をやると、そこにはリドリー達が順調に跳んでいる姿があった、が。なぜか縄を回している兵士たちがすごくつらそうな表情をしていた。
「……くっ。」
「重い……もう、だめだっ!」
そして、二人揃って縄を手放してしまう。
「何っ!?」
「どうしてっ!?」
フリックが慌てて椅子を達、アップルが目を見開く。
「これは、どういう……?」
尋ねるような表情でクラウスがスイを見ると、スイは二杯めのお茶を注いでもらいながら、笑顔で応えてくれた。
「あの縄が、重いのと取り替えられてたんだよ。シュウにね。」
回り切らなかった縄に、脚を引っかけたコボルトの勇敢な戦士たちは、そのまま転んだ。
「赤組終了ですっ! 35回っ!」
クレオの朗々とした声が、とても憎らしく思った。
白組は余裕綽々で飛び続けている。シュウの不敵な笑い声が聞こえてきそうで、アップルとクラウスは無言で顔を伏せた。
「ちなみに、さっき抱き付いたときに確認してあるんだけど、向うはシークレットシューズをつけているのが確認済みですよ、副リーダー?」
スイが嫌みたらしくフリックに囁くと、フリックは睨み付けるのにも似た表情を向けた。
「あちらが100回を越えたみたいですよ。」
ヴァンサンが言わなくても良いのにそれを教えてくれて、そう、とスイは微笑んだ。
「きっとばねでも仕込んでいるんだろうね。」
怖いね、シュウ殿は。
思っても薬袋ことを囁いてくれた瞬間、
「なんで……お前、どうして分かっていながら……っ!!」
フリックが敵意をむき出しにしてスイに食って掛かった。しかしスイはそれを優雅に取り除くと、透き通るような笑顔で告げた。
「だって、おやつを邪魔するんだもん。」
「わ、わがままなっ!」
咄嗟にアップルがそう叫んでしまったのも無理はあるまい。
「よしっ!!」
白組の勝利が決定して、シュウが高らかに勝ち誇った声を上げるのを聞きながら、ナナミとリオは複雑な表情で目線を合わせた。
「なんか、喜べないよね。」
「うん、ほんと。」
だけど、シュウは勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
きっと頭には、次なる新しい作戦が上っているのである。
これで四勝五敗。
残っている種目は二つ……次の二つを取らねば負けるのである。
シュウの卑怯な……もとい、奇策が炸裂するか、スイのそれに上回る卑怯技が炸裂するのか、それはまだ分からない。