その子をはじめてみたのは、小さな戦の跡の村だった。
すさんだ目をした子供だと、思った。
まだ年端もいかない、ほんの少年に過ぎない。おそらく成人の儀すら迎えていないのだろう、まだ13か4の子供は、垢に汚れ、髪はぼさぼさで、今にも倒れそうにやせ細っていた。
けれど、その目だけがそれを裏切る。
彼をただの戦争孤児に見せない。
ぼろぼろの汚れた服、右手に巻かれた包帯。あちこちに傷ついた跡があり、それがいっそう彼を凄惨な状態に見せている。
少年は、血を吸った地面の上にしゃがんで、ただうつむいていてた。虚ろにも見える目が、子供らしくない老成した疲れを宿している。
声をかけたのは、そんな彼の表情に見入られていたのかもしれない。
健康的に焼けた肌の女の遺体を前に動かない少年の前にひざまずく。しかし彼は反応しない。
彼の前に倒れている女は、彼の母親なのだろうか? 綺麗だったろう顔は泥に汚れ、唇から血が流れていた。
どれくらい少年がそうして座っていたのかはわからないけれども、女はとうの昔に事切れていた。
「少年。」
声をかける。しかし少年は答えない。
「ここはもう、誰もいない。皆近くの村に避難している。もうすぐここは……ジョウストンとの戦乱の地になる。」
しかし少年は何も答えず、ただ黙って女の死に顔を見ていた。
男の家にも、2人ばかり戦争孤児になった者がいる。そのうちの一人は、戦争で父を失い、母をその跡の飢餓で失っていたが、ちょうどそのときもこんな感じだったような気がした。
今男の家にいるだろう「彼」を思い出しながら、彼に声をかけた妻のように、自分も上手く声をかけなくては、と内心考える。しかし、その必死さは表には現れない。
少年は、静かに自分の右手を握り締める。そうして、ゆっくりと目を上げた。
焦点の合わない瞳が、男を……帝国の将軍である「テオ=マクドール」の瞳を射抜く。
「……行く所は、あるのか?」
「──。」
静かに聞いたテオを、少年はかぶりを振ることで答える。
もしかしたら戦乱のショックで口が聞けないのかもしれないと、テオは内心眉をしかめる。
「私は帝国で将軍を務めているテオ=マクドールという。君は?」
「…………──────。」
少年が微かに目を見張ったような気がした。
テオといえば、継承戦争の時からの、有名な将軍である。知らないほうがおかしいのだが。
だが、少年の驚き方はそうではないような気がした。もっと他のことで驚いたような……?
「テッド……。」
「え?」
「テッド。オレ……僕はテッドと言います。」
ぼそり、と呟いた声は、かすれていた。
まるで老人のような声だと、テオは思った。
「母親か?」
尋ねると、テッドと名乗った少年は、ためらうように右手を見下ろしてから、しばらくだまりこんで、コクリ、と頷いた。
その肩が震えていた。
母を目の前で失ったためだろうと、テオは思う。
そして、そっと彼の頼りなさげな肩に手を置く。
「もしよかったら……私の屋敷に来ないか? 君と同い年くらいの息子がいるんだ。遊び相手になってやってほしい。」
テッドはぼんやりとテオを見ていたが、やがてもう一度女の顔に目を落し、それから頷いた。
「行きましょう。」
ふらり、と立ちあがる足元がふらつく。慌てて支えたテオの目の前で、テッドは低く呟く。
「また……吸ったのか、お前は。」
「え?」
問い返したテオに、テッドは慌てたように態勢を立て直す。そして、疲れたような微笑みを浮かべた。それは、仮面の表情。
痛々しいくらい傷跡の多い左手が、おかしなくらい傷一つついていない右手を掴んでいる。その手に力がこもっているように見えるのは、どうしてだろう?
「いいえ、いいえ。──行きましょう。」
「いいのか? 彼女は……。」
「いいんです。彼女は……ここにいますから。」
言いながら、テッドは右手を胸のあたりに持ってくる。
それは酷く抽象的な仕草であった。
けれど、テオは何も言わなかった。
そう言ったテッドの表情が、まるで罪の宣告を受けたかのように歪んでいることに気づきながらも。
スイには年の近い友人がいなかった。彼が将軍の息子であると言うのも理由のひとつであったが、過保護な保護者が三人もいるのも理由のひとつであった。
そして、スイが武芸を習い始め、兵法などの勉強もするようになったため、さらに外出する機会が減ったことも理由のひとつであった。
ほかにも要素はいろいろある。しかし確実に言いきれるのは、声をかけたりする友人はいても、一緒に遠出したりするような友人はいないということである。
そんなスイが、父の連れてきた少年と仲良くなったのは、何の運命のめぐり合わせなのだろうか?
今年もスイの誕生日の前まで北方へ行くことになったテオに、久しぶりにテッドは面会を申し込んだ。
そして今、2人は応接室で向かい合わせに座っている。
「テオ様、話しと言うのは他でもありません。スイのことです。」
テオは先ほどグレミオが持ってきた茶をすすりつつ、テッドの真剣な顔を見返す。
「スイのこと、もう少しかまってやってほしいんです。というのも、スイの誕生日の前に、いつも北方へ行かれると聞いてます。」
親友のことを話すとき、テッドは大人びた表情はなくなる。そこには無邪気な子供のような顔が浮かぶばかりだ。
しかし今日は違った。まるでスイの第四の過保護者のような表情で、テオに向き合っている。
「スイはそれを何と言っていた?」
スイの誕生日の前に北方へ行くのは、彼が生まれたときから毎年のことであった。
別段それを気にしているようには見えなかったのだが、と、テオは思う。
「忙しいのに、自分の誕生日に帰ってきてくれるのが心苦しいと、そう言ってました。」
だから、テッドが淡々とそんなことを話してくれたとき、驚かずにはいられなかった。
いつもスイは自分が帰ってくると、うれしそうに笑いながら「おかえりなさい」と言ってくれた。
いつもそれだけで、特に北方へ行くことに関しても、誕生日の前に関しても、何も言いはしない。
さびしい思いをさせてすまないと言っても、あの可愛い愛息子は、いいえ、と首を振って、「父上の仕事は立派なお仕事です。僕も息子として鼻が高いです」と笑ってくれたのに。
「そうか……だが、それは違うな。」
「違う?」
いぶかしむように自分を見つめるテッドは、とても少年には見えない。
百戦将軍たるテオに対して正面から見つめられるつわものは、あまりいない。
どう見ても普通の少年にしか見えないテッドは、まるで何十年も生きてきたような威圧感をかもし出す。
それが、今だった。
「スイの誕生日に帰ってくるんじゃないんだ。スイの誕生日の前だから、北方へ行くんだよ。」
「??? よく、わかりかねます。」
わけがわからないと言いたげに、テッドは首を傾げる。
その様子にテオは苦く笑う。
「──スイの誕生日には、私以外には届けられないようなものをあげたいのだよ。取り寄せて珍しいものをあげるのではなく、私自身の足で歩き、探してきた物で、首都にはないようなものを。それには、北方への旅行はちょうどいい。一石二鳥だろう?」
「──……。」
テッドは何も言わず、笑顔で語るテオを眺めた。
密かに心の中で馬鹿にしているかあきれているのだろうが、顔には出ない。流石である。
それどころか、気を取りなおしてテオに再び詰寄る。
「さしでがましいようですが、スイがそう思ってないのは確かです。遠征に行って良い物を選んできてくれるより、側にいてくれたほうが嬉しいものです。」
「……なるほど。」
テオに忠言する者など、最近はいない。
それを息子と同じ年くらいの子供に言われるとは思っても見なくて、テオは何やら可笑しな気分になった。
「あいつ、物分りの良いふりしてるでしょ? でも絶対そうじゃないんです。まだ12なんですから、そんなことないんです。ただおとなのフリしてるだけなんです。──昔のオレみたいに。」
最後の声は小さかった。
けれど2人きりの応接室で聞き逃すことはない。
テオはそのイミを計りかねながらも、何も言わない。
「……そうだな。わかった、来年はそうしよう。ありがとう、テッド。」
ただ、やんわりと微笑んでそう言った。
それにたいしてテッドは苦い微笑みを浮かべつつも、照れているのかやや頬を赤らめる。
「いえ、そんな──……オレはただ、スイの悲しい顔を見たくなかっただけだから。」
「……ですって。愛されてますね、坊ちゃん。」
応接室のドアの外で、グレミオは菓子受けを持ったまま、隣に立つ少年を見下ろす。
同じように盗み聞き(人聞きの悪いようだが実際そうである)をしていた少年は、そんな青年を見上げる。
「愛されてるね、僕。」
それから、二人揃って声を押し殺して笑う。
「ふふっ。見つからないうちに、もどりましょっか。」
「うん。今日はテッドの好きな夕飯にしてあげてねっ。ご褒美ご褒美。」
「そうするとまた今夜もシチューですか(笑)。」
さて、その後のことである。
スイは夕食後父に呼ばれて、父の部屋にきていた。
まさかさっきの盗み聞きがばれたんじゃぁ、と思いつつ、スイはにこやかに父に挨拶をして、ソファに座った。
「スイ──私達はどうやら、コミュニケーション不足のようだ。」
しかし、スイの考えに反して、テオが口にしたのはこのような言葉だった。
どうやら、さっきのことはさっきのことでも、テッドの忠言を実施しようと考えているようだ。
「はい、父上。」
そこでスイはきちんと答える。
まっすぐに父の目を見ると、彼は穏やかに視線を緩めた。
「そこでだ。まずは今までのような挨拶を、変えようと思う。」
「あいさつ、ですか?」
今までのというと、先ほどのような、「おはようございます、父上」っていうやつだろうか?
変えるということは、グレミオやクレオやパーンとかに言ってるような「おはよう!」にするということか?
それともテッドにしてるような、「おそーいっ!」とか言って、しょっぱなから殴り合うような朝のコミュニケーションのことか?
戸惑うスイに、もっともらしくテオは頷く。
「ああ、そうだ。よそよそしい挨拶ではダメだと思うのだ。」
「なぁなぁ、グレミオさん、聞こえる?」
「テッド君〜。盗み聞きはやっぱりまずいんじゃないですかぁ?」
「え? でも気になるじゃん? それともグレミオさんは気にならないの?」
「なりますけど〜。」
「? それが、親しい者同士の挨拶なのですか?」
不思議そうにスイは首を傾げる。
しかしもっともらしく父は頷いている。
「そうだ、それから、そのデスマス調もダメだぞ。」
「あ……グレミオ達のが移って……。」
思わず口元を覆うスイに、テオは笑う。
「これから少しずつ直して行けばいいさ。時間はまだある。」
「はい、父上。」
にこ、と笑うと、テオも笑い返してくれる。
「それじゃぁ、今日はもう寝なさい。」
「はーい、それじゃ、父上……おやすみなさい。」
言いながらスイは早速テオに言われたように、挨拶を実行した。
ソファから立ちあがって、父の元に向かうと、腕を伸ばして、彼の太い首に巻きつけ、そのままぎゅうっっと抱き着いて……。
ちぅ。
「…………!!?」
「────!!!」
「おやすみ、スイ。」
テオ様からの挨拶のキスは、音まで聞こえた。
とっさにドアの外にいた二人は、がしっ、互いの手を握り合う。
「ぐ、ググググ、グレミオさん!!」
「テ……テテテ、テッド君!!」
そして、
「「オレ(私)たちは何も見なかった!! ……よし!!」」
二人揃って現実逃避を決めた、が。
スパーンッ!!
「何も見なかったじゃないっ!!」
いつから聞いていたのか、クレオが後ろに立って、スリッパで2人の頭をどついた。
「あ、あれ、クレオさん!?」
クレオは明日の朝のことを何やら話している二人の親子に、眉を顰める。
「全くもう! テオ様ったら、私の部屋の本を貸してくれというから、何事かと思ったらっ!!」
「クレオさんの本……? あ! もしかして、禁断の親子愛ですかっ!?」
グレミオが、ご立腹のクレオさんに顔を近づける。
「……──クレオさん、そういう本を読むんですか?」
「言っとくけど、私のじゃないよ? あれはミルイヒ様が……ああ、ほら、グレミオ、坊ちゃんが出てくる。頼むからきちんとおしえてやっておくれね。私はテオ様に……忠言さしあげてくるから。」
クレオは疲れた表情をしていた。
それを見ながら、テッドがもう一度テオの部屋の扉を見た。
「え? でもアレはアレでおもしろいかなぁって……。」
「「面白くないっ!!」」
クレオとグレミオからは、見事なハーモニーが帰ってきたのだった。
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