魔法のランプと竜の城 前編






「……………………ついに…………ついにいよいよ出番が………………。」
「フッチ、大丈夫だ。気楽にしなさい。お前が頑張っていたのは、誰もが知っていることだ。」
「そうだ、フッチ。セリフは全部頭の中に入っているんだろう? もし入っていなかったとしても、ちゃんとカンペを用意してくれるって、テンプルトンたちも言っていたじゃないか。」
「…………ミリアさん…………それじゃ、聞きますけど。
 普通に劇が終わると、思いますか?」
「……………………………………………………………………………………………………。」
「──? それほど、今までの劇は酷かったのか?」
「ああ、そう言えば、ヨシュアさんは見てなかったんでしたっけ、他の劇。凄かったですよ、ほんとに! 迷惑なくらい、そこら中の地理が変更になっちゃって、せっかく書き直したのに、また書き直す羽目になっちゃったよ……まったく。」
「……劇、なんだろう? これは?」
「大丈夫ですよ。この劇に関しましては、私がしっかりと脚本を書かせて頂きましたので、万全です。」
「安心されよ、竜洞騎士団の団長殿! ちゃーんと私が、しっかりと、万全の効果を出すような仕掛けを施してきたからの!!」
「しないでください、って……言いませんでしたか、私は?」
「まったくですね。余計な仕掛けなどを、砦にされては困りますと、そう申し上げたはずですよ、セルゲイ殿。 ここは、竜洞騎士団の砦なのですから。」
「何を言うかと思ったら──? 今までの劇は、はっきり言って劇じゃないね。あの程度の効果だけで、劇だなんて──そんなものでウチの師匠が納得するはずがないじゃないか。」
「ルック! お前なぁ、またスイと一緒に色々しようとか考えるなよ!? こっちには、団長がいるんだからなっ!!」
「はっ、それこそまさに、虎の威を借る狐かい? 君は、自分がその騎士団から追放された身で、誰も守ってくれないってことを自覚してる?」
「──……る、ルック……っ!!」
「そこまでだ、二人とも! いい加減にしなさい! 今は、そんな場合ではないでしょう?」
「ルック君って、顔だけは綺麗だけど、きっついよねー。」
「ふぅ……む。さて、腰をあげるか…………。」
「クロウリー殿──もし、お辛いようでしたら、役柄を変わりましょうか?」
「いやいや、老いぼれたとは言え、このクロウリー──まだまだ現役じゃからの……それに、あんたの役柄じゃ、かわってもらっても結局大変なことには変わりないじゃないか、そうだろう? ヨシュア殿?」
「──……はい、そう、ですが……。」
「ま、せいぜい頑張るんだね、僕は、高みの見物──効果役でもして、たっぷりとスリルと危険を味わわせてあげるからさ。」
「ルック〜〜っ!」
「あ、それは無理だよ、ルック君。」
「──……は?」
「そうですよ、ルック君。君は一番大事な役柄なんですから、綺麗に着飾ってくれないと。」
「ああ、そうそう。ルック、ほどほどにしてよね。君がそれで怒ってどっかーんっ、なんてしたら、また地図が……。」
「────…………なんだって?」
「おお、そうだったな。そういえば。」
「ルック君、お姫様役だもんねー♪」
「──────…………それは…………ミリアさんに決まったって…………言ってなかったかい?」
「って、俺もそう聞いてたけど、ミリアさんっ!?」
「────すまない…………私は、その………………コッチの役に変更になったんだ。竜を駆れるのは、私しか、居ないだろう?」
「──────……………………え………………それじゃ…………何?」
「…………ユーゴさん…………。」
「えっ、いえっ、あのっ、役柄は、私が決めたわけじゃありませんから!!」
「俺の相手役………………こいつ……………………………………………………?」
くらり…………。







 むかしむかしのお話。トラン地方の南西に位置する、独立領で起きた、小さな小さな不思議のお話。
 それは、その領内の東にある、少し大きめの洞窟の中から始まるのでありました。









 むぅっ、と、独特の匂いが溢れる洞窟の中──たっぷりの白いひげをたくわえた男が一人、佇んでいた。
 目の前には、巨大な威圧感を誇る竜の群れ。
 しかし、そのどの竜も瞼をしっかりと閉ざし、今は眠りについているようであった。
 男はそんな竜達に向かって、杖を大きく振りかざす。
「目覚めよ! 竜よ!!」
 ──けれども、竜達はうんともすんとも言わず──洞窟内に満ちた淀んだ空気も、チリとも揺れる気配を見せることもなかった。
 男は、巨大な竜の身体をジッと見上げていたが、やがて、彫像のようにピクリとも動かないそれらに、溜息を零した。
 節くれだった腕がダラリと下がり、彼は落ち窪んだ目に小さな光を宿して、竜を見上げる。
 この竜を目覚めさせることこそが、第一の関門であった。
 なのに──この巨大な魔力をもってしても、反応は無かった。
 竜達は、動きもしないのだ。
「この竜洞の封印を解いたワシの命を聞かぬ竜──これは一体、どういうことじゃ?」
 地面にも届きそうな白いひげを揺らし、男は背後を振り返った。
 そこには、彼に付き従ってきた従者が一人──怯えたように地面にひれ伏していた。
 それもそのはず……彼は、自分が従ってきた目の前の老人にしか見えない男が、この隠された洞窟を開くために使った強大な魔力を、今目の当たりにしたばかりだったのだ。
 震える肩をそのままに、男は地面に羽織っていた赤色の上着の裾を広げ、恐る恐る顔をあげた。
 整えて切られた茶色の髪──威厳を出すためにか、ちょびヒゲを鼻の下に蓄えている。大きめのガラスの入った眼鏡が、彼の顔の半分ほどを埋め尽くしている。
 一見しただけでは、怯えた表情の男に見えたが、眼鏡の奥に見える容貌は、まだ幼く──眼は理知的に輝いていた。
「──あのぉ……ご主人様?」
 恐る恐る声をかける男に、偉大なる魔法使いの主は、たっぷりと威厳を持って、振り返った。
 その鋭い眼差しと、眼鏡越しに視線がぶつかる。
「なんじゃ、ユーゴ?」
「はい──あのですね……調べました書物によりますと……ええと、このくだりですが。」
 言いながら、男は懐から古びた本を取り出す。
 この辺りでは見慣れない文字に囲まれたそれは、神話から伝わる──始まりの文書の欠片の一つ。
 それを迷うことなく開き、ユーゴと呼ばれた青年は、自分が示した場所を指先で辿りあげる。
『鍵を握る竜の棲まう洞を開くは正邪の力。
 心より求めぬ者のみが、竜の目を覚ます。
 正しき心の持ち主のみが、竜の手綱を手にする。』
 古代めいて長々と書かれたその文章を、短く的確に言い換えて、ユーゴは自信に満ちた目で、希代の魔法使いを見上げる。
「確かに、この洞は封印され、魔法の力により、眼には見えなくなっておりました。
 それをご主人様が解放し、今、こうして我らは中に居るわけですが……。」
 強い力で封印され、外からはただの山と変わらぬ風景であった洞。
 それを解放したのは、古書の中で「正邪の力」と示される、魔法の力だ。
 希代の魔力を有する魔法使いは、それをこともなげに解放した。
 そこまでは良かった。
 中に眠る竜も、古書の中の記述にあるとおりだ。
 後は、この竜を目覚めさせ、それに乗って──この領地の西にあるという、伝説のシークの谷へ行きさえすれば、目的は達成できるのだ。
 なのに、竜は目覚めない。
「この、心より求めぬ者のみが、竜の眼を覚ます、というのは──『鍵』を、求めぬ者のみ、という意味ですよね?」
「────…………それがどうした? だが、ワシたちは真実、鍵を求め、ここに来た。そのくだりどおりに行くはずがないだろう?
 ならば、このくだらない術をかけたその魔術を解けば、竜は目を覚ますはずだ。」
 そうしようとしているのに、解き放った魔力にも、チリとも反応せん。
 そう、悔しげに呟く魔法使いに、ユーゴは自分の提案が空振りであった事実を知った。
 そして、ガックリと肩を落とすが──ふと、彼は気付き、顔を上げた。
 そのまま、フラリと立ち上がると、洞窟の外へと歩き出す。
 魔法使いは、そんなことにも気付かず、難しい表情で彫像のように眠ったままの竜を見上げていた。
 この偉大にして素晴らしい竜をこの手中に入れ、さらには伝説の秘宝までこの手にできたら──それはなんて素晴らしいことであろうか。
 けれど、この地を封印したものがどれほどの力をもつのかは分からないが……おそらくは、捜し求めている財宝を封印した張本人であろう。その力は、今の自分では、到底及ばないほど強力だということは分かった。
 このままでは、生きている間に、伝説の財宝が手に入るかどうか……と、魔法使いが悔しげに眼をゆがめた瞬間であった。
「ご主人様、ご主人様っ!! いいことを思いつきました!!」
 洞窟の入り口まで戻っていたユーゴが、それはそれは嬉しそうに──年相応の笑顔を浮かべて、戻ってきたのは。
「なんじゃ。」
 不機嫌そうに尋ね返す魔法使いに気にも留めず、ユーゴは入り口を指し示し、こう説明した。
「この洞窟の封印は、ご主人様が解けます。」
「そうじゃ、事実、解いて見せた。」
 しかし、洞窟の中の封印──竜達にかかった眠りの封印までは、魔法使いの腕では解放することができなかった。
「そして、竜を目覚めさせるのは、魔法のランプを求めない者しかダメです。」
「………………。」
「これが盲点だったんですが! この両方を、同時に持っている人間じゃなくてもいいんですよ、ご主人様っ!」
 嬉々とした様子で、そう叫ぶユーゴのセリフに、魔法使いは大きく顔を歪めて──ハッとしたように、彼の顔をマジマジと見つめた。
「竜の手綱を握るのは、正しき心を持つものとありますから、──つまり、ご主人様がこの洞を開放して、どこかに居る、『魔法のランプを求めない、正しき心をもつもの』をつれてきて、シークの谷でランプを取ってこさせればいいんですよ!!」
 興奮ぎみにそう叫んだユーゴに、魔法使いの男は、おお、と、唇を震わせ──白いひげを揺らした。
 そうして、ゆっくりと……ゆっくりと、竜を見上げる。
 高い天井を持つ洞の、半分ほどを埋め尽くすかと思われるほどの巨大な竜は、固い岩のように、ピクリとも動くことはなかった。
 それを無言で見上げ、魔法使いの男は、にやり、と笑う。
「………………ユーゴ。」
 低く、従者の名を呼ぶと、打てば響くように従者も答える。
「はい!」
「戻るぞ…………町に。」
「はい!!」
 ──そして、洞の中から二人が立ち去ると同時、再び洞窟は目に見えないように、誰にも見られないように、山の中に埋もれていく。
 完全に二人が洞窟の前から歩き去ると、洞窟のぽっかりあいていた穴は、もう目にも見えず──触れてもただの岩壁にしかみえなくなった。
 それを見上げて、魔法使いは心から呟いた。
「……見ておれ……必ず、手に入れてみせる…………。」











 中央に位置する大きな砦と、周辺に出来た小さな集落で成り立っている、小さな独立領は、「竜洞騎士団」と名付けられていた。
 高い山脈に三方を囲まれた平地が広がるそこは、山から下りてくる強い風が吹く以外は、比較的穏やかな気候にある。
 この国には、独立領の名前にちなんだ、古い古い伝承があった。
 それは子供達向けの絵本にも描かれており、町を歩けばところどころにその絵本を模した伝説の生き物の姿が描かれているのを見ることができる。
──その生き物の名前は、「竜」。
 遠い昔──おじいさんのおじいさんが子供の頃から、さらにおじいさんから伝えられたような、そんな昔、この国の空に、竜が飛翔していたという伝承だ。
 そこには、竜を操る魔神が登場して、彼の部下である精霊たちが竜を駆り、数多くの偉業をなしたと語られている。
 この領地が、赤月帝国の独立領を保っていられるのも、その竜の魔神が活躍したからであるというのが、一番有名な伝承だ。
 けれど、今となってはその古い伝承がどこからどこまで本当なのか、分かる人は居ない。
 当時の歴史の証拠となって残っているのは、この領地の名前と──「竜騎士」と言う名をもつ国王の近衛たちくらいのものだ。
 とは言うものの、「竜騎士」と名付けられただけで、彼らが本当に竜を駆るわけじゃない。
 伝承が本当であったのなら、元々は竜を騎竜として扱った騎士たち、という意味だったのかもしれないが……竜が居ない今は、そうではない。
 今は、国王を外敵から守る「勇猛果敢で美しく、まるで芸術のように槍を扱う無敵の戦士」──そういう意味をこめて、「竜騎士」と呼ばれている。
 竜洞騎士団に生まれた者なら、誰もが憧れる職業──それが、竜騎士であった。
 あの甲冑を着て、馬を駆り、凛々しく国王を守ってみせる。
 少年少女たちの憧れはそれであり、誰もがその道を一度は憧れるのだ。
「──……竜、か。」
 短く呟いて、町の家々の壁に描かれた壁画を見上げるのは、一人の少年であった。
 漆黒の髪と、キラキラ光る目をした、まだ幼い少年だ。
 彼も、この町の子供なら誰もが羨望するように、壁画に描かれた竜の模様を真剣に見据えている。
 その目は、遠く憧れを宿すのとおなじように、どこか悲しみをも宿していた。
 彼の名前はアラジン=フッチ。
 やんちゃでイタズラ者で、元気のいい、気はやさしい少年である。
 ただ、父親を亡くしており、今は母親と二人暮し──その母も病弱の身で、生活は苦しくなるばかり。
 ずっと長く暮らしていた城下町の隅にあった、ひっそりとした長屋を追い出されたのがつい先日のことで──今は、町の風物詩とも言える竜の壁画のない、小さなあばら家に親子二人、身を寄せるようにして暮らしていた。
 だから、少年が今、こうして壁画の竜を見上げるのには、二つの理由があった。
 もちろん、母があのような身であるから、自分が何をしても働かなくてはいけない以上……竜騎士に憧れる、なんてことは夢のまた夢だと知っている。
 今自分がしなくてはいけないのは、働いて、自分と母の食い扶持を稼いで、母の療養のために少しでもいい物を買って帰ることだ。
「──また、竜が守る家に暮らせるようになったら……母さんの病も、良くなるの、かなぁ?」
 少しだけ弱音を吐くように眉を寄せるのは、ここ数日、母の容態があまりよくないからだ。
 掌を壁に当てて、アラジンは目を伏せる。
 自分を育てるために、必死に働いてくれた母がついに倒れて2年もの月日が流れている。
 原因が、積み重なった疲労のために、全身がガタが来ているというのなら、少しでも滋養のあるものを食べさせて、ひたすら休ませることだと、そう判断して、アラジンが必死で働いてはいるけど──まだ12歳の子供の稼ぎでは、母どころか自分の食い扶持すらまともに稼げないことが多かった。
 牛乳の配達や、新聞の配達。速達の届け物や……重い荷物ももてないような己の力では、そんなことが精一杯だった。
 だから、本当ならゆっくり休んでいてほしい母も、起き出して繕い物の仕事を請け負わなくてはならなくなるのだ。そのお礼に、食料や衣服などの物を分け与えてもらって、なんとか暮らしていっている。
「俺が、もっと早く大人になれれば──。」
 壁に描かれた優美な竜を見上げて、アラジンはソ、と吐息を零した。
 そして、この家の守り神でもある白色の竜の壁画から手を離す。
 昔、自分が暮らしていた長屋には、大きく優美な黒色の竜が描かれていた──父も生きていて、母も元気だった幼い頃、アラジンはその竜に、「ブラック」と名付け、毎日その黒い竜に向かって挨拶をしていたものだ。
 表情も何も変わらない壁画の竜ではあったけど、自分が彼に守られているのだと、そう信じていた。──まるで生きているようだと、語りかけていた時代もあった。
 それも、何もかも──父が亡くなり、失われてしまったものだけど。
「──…………竜騎士にでもなれば、こんなことはないんだろうな。」
 この国のエリート、誰もの憧れ、「竜騎士」。
 小さい頃はアラジンもそれに憧れて、友人たちとちゃんばらで遊んだり、竜騎士になるための特訓だと、町の外に飛び出しては父や母に怒られたものだった。
 強く賢く優しい竜騎士。
 彼らのようになれば、もっと自分は守れるようになるのだろうか?
──母も、家も……夢も?
「…………俺には、無理だろうな……。」
 そう小さく呟いて、アラジンが自宅へと続く道のりを──町のハズレもハズレのあばら家へと歩きだした瞬間であった。
「ぅ……ぐぅぅぅっ!!」
 突然、近くの樽の上に座っていた人が、胸元を抑えて前のめりに苦しみはじめるではないか!
「──……っえっ!? ちょ、ちょっとっ!?」
 驚いて、アラジンは辺りを見回し──自分以外に誰も居ないのを見て取ると、小さく舌打ちしてその人の下へと駆け寄る。
 樽の上に座ったまま、顔をうつむかせて胸を抑えるその人は、額から脂汗を滲ませている男だった。
 サラサラの茶色の髪に、やせぎすの体。大きめのめがねが顔の半分ほどを覆っており、顔かたちは良くわからない。
 けれど、苦しげに寄せられた眉は唇、痙攣している肩などから、まずいということは分かった。
 アラジンは、今にも倒れそうに揺れている彼の肩に手を置くと、男に声をかけた。
「大丈夫ですかっ!? どこが苦しいんですかっ!?」
 必死に話し掛けても、男は何も言わず、ただうめくだけ。
 慌ててアラジンは、男の背をさすりながら──胸を抑えている男にそれが役に立つのかどうか分からなかったが、それしか思いつかなかったのだ。
「今、お医者様を呼んできますから、ココで待っててください!」
 確か、この近くの医者の先生は……と、アラジンが男の側から離れようとする。
「……って……くださ……いっ。」
 けれど、アラジンが身を翻すよりも先に、掠れた声で男が呼びとめ──苦しそうに顔をゆがめながら、アラジンの手を取った。
 細くしなやかな指先……けれど、その指に入る力は、アラジンの細い手首に跡がつきそうなほどに強い。
「……つぅっ……。」
 思わず、思い切り強くつかまれた腕に、片眉を寄せてそう呟いたアラジンを、男は必死の形相で見上げた。
「私は──大丈夫……です…………っ。」
「大丈夫って──だって、こんなに汗も酷くて声もガラガラじゃないか!」
 緩くかぶりを振る仕草すらつらそうで、アラジンはそれを目の前にして、まるぜ自分が痛みを負っているかのように感じていた。
 眉を寄せて、唇を噛み締め、とにかく自分では何も分からないからと、もう一度男にココで待っているように告げるが──、
「────……これ、は…………竜の、呪い…………。」
 男は、ぜぇぜぇと口の中で荒い息を飲み込みながら、アラジンの腕を掴んだ手を離そうとしない。
 うつむいた唇からは、まるで何かを引っ掛けたような聞こえにくい声。
 なのに、イヤにはっきりと耳に飛び込んできた──単語。
「竜?」
 腕を振り払い、医者を助けに行こうとしていたアラジンは、男の口から洩れた聞きなれた名称に、動きを止めた。
 竜といえば、この竜洞騎士団の「英雄」。
 今はもう、どこにも見られない伝説上の生き物にして、憧れの偶像。
「竜の、呪いって……っ。」
 そんな単語を、この町の者ではないような、見たこともない男に口にされては、黙って立ち去るわけにはいかなかった。
 返しかけた踵を戻し、アラジンは男を見下ろす。
 樽の上に腰をかけ、つらそうに胸を抑える男は、ゆっくりと、その顔を上げた。
 分厚いめがねの奥の目は、ガラスに阻まれてそこに宿る色を見分けることはできない。ただ、貧弱で弱そうな──誰が見ても分かるほど、衰弱しかけている男だった。
「──あんた、みたいな……子供にお願いするのも……辛いですが…………。
 どうか、話を聞いて……くださいますか?」
「……って、そんなことより、医者が……っ。」
 叫びかけたアラジンの言葉を、緩くかぶりをふることで遮り、彼は苦しげに一度息をつくと、そのまま続けた。
「医者など呼んでも──どうにもなりません…………これは、竜の呪い…………。
 私の主の力を恐れた古の竜が────主にかけた呪いを、私が変わりにこうむったもの、なのですから………………。」
 男は弱弱しい笑みを口元に浮かべて見せた。
 そこの宿る自嘲めいた笑みが何を示し、何を思い浮かべているのかは分からない。
 分からないけれど──もし彼の言うことが本当なら…………当惑するように目を揺らしたアラジンは、それでも次の瞬間、キッと相手の男を見据える。
「──嘘だっ! この町の者なら誰もが知っている! 竜は、神聖にして絶対の支配者……っ! 決して、呪いなんてかけたりはしないっ!」
 幼い頃から言い伝えを聞いていたアラジンの脳裏にあるのは、鮮やかに空を駆け巡る竜。
 優美で美しい姿は、誰をも魅了し、誰をも傅かせる。
 そのうるわしの竜を操る英雄が──否、英雄が操る竜が、そのような呪いをかけるはずはない。
 そう、もし竜がのろいをかけたというのなら、それは、目の前の男の主とか言う男こそが、悪であるに違いない。
 アラジンが続けて叫ぼうとした言葉尻を奪うように、男は眼鏡の奥の目を、キラリと輝かせる。
「けれど、あなたは竜を見たことがあるのですか……?」
 ツキン、と──この国に住まうものなら、誰も胸に突き刺さる一言。
「それ、は────…………っ。」
 崇拝し、憧れ、敬愛しても──誰一人として、竜の姿を見た物は居ないのだ。
「────……ええ、そうでしょうとも……。竜は未だ眠りにつき、目覚めることはないのですから……。」
 感情を覗かせない声で、淡々と語る男のセリフが、いやに感に触って、アラジンは目尻をきつくさせた。
 言い知れない不快感に、胸が圧迫されるようで、気付いたら唾を吐きかけるようにして、男に向かって叫んでいた。
「な、なら! なら、どうしてその呪いが、竜の呪いだとわかるんだよっ!? あんた、ワケが分からない……っ! 竜騎士に突き出してやるからなっ!」
 手を伸ばし、男の胸倉を掴む。
 指先でギュッと襟ぐりを手繰り寄せるようにすると、この地を旅する男とは思えないほど細い首が、グラリと傾ぐように揺れた。
 ハッ、と──その、病的なまでの細い首に、まるで折れてしまいそうにカクンと揺れたそれに、急激に空恐ろしい気持ちに心臓を鷲掴みにされ、アラジンは目を見張った。
 その目の先──優男は、ゲホゲホと力なく咳を繰り返す。
「──……っ!」
 まるで、弱い者いじめをしているようだと──アラジンは、ギュ、と、もう片手の平を握り締めた。
 瞼の裏に、ネツが集まっているのを感じる。
 理不尽なことをいう男に、苛立ちと腹立ちとが次々にこみ上げてくる。
 なのに、握り締めた拳を振り落とすことはできない。
 なぜなら彼は──病人だからだ。
 たとえ、その原因をこの男が、「竜ののろいだ」などと、ありえもしないことを口にしたとしても、今、目の前で苦しんでいることには変わりないのだ。
 そんな病人相手に、暴力をふるうことは出来なかった。
──アラジンは、優しい少年だった。口や態度はぶっきらぼうで乱暴モノだと思われていても、彼は自分が正しいと思うことを貫く正義感と、自分よりも弱い者を傷つけることを許せない優しい心を持っている少年だった。
「──……くそっ。」
 小さく毒づいて、彼は男から手を離した。
 そしてそのまま、忌々しげに舌打ちすると、キッ、と男を睨み付ける。
「いいか、あんたっ! あんたが自分の病気を、竜のせいにするのは勝手だ……っ!」
 本当なら、竜を詰ったバカな男だと、竜騎士に差し出してやってもいいくらいだ。
 名誉毀損だと、軽い処罰でも与えてもらえばいいと思うくらいだ。
 けれど、そうするにはアラジンの正義感が許さなかった。
 だから彼は、イヤイヤながらも、そう男に忠告する。
「けどなっ、これだけは覚えておいたほうがいいぜ……っ!
 この国では、竜は絶対で最高の存在だっ! ──あんたがソレを竜の呪いだと信じるのは勝手だけど……っ、この地でそれを口にすることは、タブーだ……。
 ここを出るまでは、決して同じ言葉は吐かないことだな! もし吐いてしまえば……あんた、死んでも文句は言えないんだからさっ。」
 吐き捨てるような言葉は、自分でもいやになるくらい毒が篭っていたと思う。
 嫌味だとしか思いようの無い響きが篭っていたとも思う。
 けれど、アラジンはこれで精一杯の譲歩だと──なんて親切なのだろうと、自分でも思うほどだった。
 この国に生まれた者なら誰もが持って当たり前の、竜への信仰心を、もちろんアラジンも心の中に抱いている。
 絶対神とも思うほどに、竜洞騎士団にとって当たり前の神である竜に向かって、「呪い」だなど──それも、自分の主の力を恐れて、呪いをかけたなど、どんな侮辱を口にするとは、一体何のつもりだ。
 そんな無礼な男に、こんな忠告までくれてやるとは、たいした偽善ぶりじゃないか!
「────……あぁ…………やはりあなたは…………クロウリー様が見極めただけあって……………………。」
 怒りに目の前が真っ赤になっていたアラジンは、だから気付かなかった。
 目の前で小さく咳き込みながら──否、咳き込むフリをしていた男が、うっそりとした微笑を口元に刻んだのを。
「あなたは…………優しい人だ………………。」
 彼は、ソ、と眼鏡を押し上げて、そのままアラジンを見上げた。
 怒りに肩の辺りを強張らせ、そのまま歩き出そうとする彼を、引き止めるように、続ける。
「私がこの呪いを、竜のせいにするのは勝手だと、あなたは言う──。
 では、あなたは……竜は未だに眠りについていると……私がそう断言した理由を、疑うことはないのですか?」
 それは──誘いの言葉だった。
 ピクン、と、揺れたアラジンの肩を認めて、男は、笑みを深くする。
「私は、この目で見たのです──竜が眠る洞窟を。
 この国が、竜洞と呼ばれる…………この根源を。」
 アラジンが、ゆっくりと……肩越しに振り返るのを、男は満足げに見上げた。
 そうだ。
 そう来なくてはいけない。
 あなたこそが──我らの救いの手にならなくてはいけないのだから。
「だからこそ──その聖域に入れる者だからこそ、主は竜からのろいを受けた。
 己の身を守るために………………己を害す可能性のある全ての者を、竜は呪うのです────。」
「──……バカ、げてる…………竜が、未だに眠る洞窟がこの世にあるなんて……っ!
 竜が眠るのは、鱗と翼の世界で、この世界じゃない……っ!」
 言い返すアラジンの声がかすれている。
 彼が戸惑う気持ちが、手にとるように男には分かった。
 この国の誰もが、盲目的に竜を信じている。
 この国を作った竜の存在も、竜騎士の存在も、そして──竜が旅立ったといわれる鱗と翼の世界のことも。
 けれど同時に、彼らは心の中に願いを持っているのだ。
 竜は、この国を見守っているはずだ……そう、この世界のどこかで。
 竜が住まうという、竜洞で。
 それは、もしかしたら、この国のどこかに眠っているのかもしれない、と。
──まだ幼いともいえる少年が、どうしてその誘惑に……もしかしたら自分の目でそれを確かめられるかもしれないという思いに、逆らうことができるだろうか?
 これが、国の竜騎士であったなら、話はまるで違ってきただろう。
 もっと年を経た者でも同じことだ。
 これよりも年が小さくなれば、目的を達成する力はもたなくなるだろう。
 彼の年齢で、彼のように竜を純粋にしたい、彼のように優しいからこそ──選ぶに最適なのだ。
 ……「運び手」として。
「いいえ……確かにこの世界に────。
 ──……あなた……あなたがその気なら、そのやさしい心に、私達は慈悲を願いたい。」
「…………………………慈悲?」
 眉を寄せるアラジンに、ゆったりと男は頷く。
 その動作が、酷く緩慢で、疲れたように見えることを、彼は知っていた。
「ええ──そう。どうか、竜に……竜の父に出会い、私達が彼らに害を成さないことを助言してほしいのです。呪いを解いてくれと。
 そう……竜に守られた愛し子であるあなたに。」
「………………………………………………。」
 アラジンは、小さく瞳を揺らした。
 先ほどまでの激昂がなりを潜めたわけじゃない。
 ただ彼は、興味を──好奇心を掻き鳴らしているはずだ、その胸の中で。
 そう──竜に会えるかもしれない。
 国民なら、誰もが望むだろう、最高の願いが、叶うかもしれない、と。
「でも……竜は、寝てるんだろ? なら、願うも何も……っ。」
「そう──竜は眠っている。
 けれど、竜の愛し子が行けば、竜は目覚めるはず。
 あなたの…………目の前で。」
 最後の一言だけは、くっきりと発音してやった。
 それだけで、アラジンの心に、大きなゆれが出来たのが分かった。
 瞳が瞬き、彼の目に希望と喜びが染み出てくる。
 しかしそれを、アラジンはすぐに打ち消し、男を不審そうに見上げる。
──もちろんそれも、予測済みだ。
「あんたが──あんたたちが、本当に竜に害を成さないとは、限らない……っ。」
 睨みすえてくる目に、力がなくなっていた。
 それにほくそ笑みながら、見事にそれを眼鏡で隠し、男はわざとらしい咳を零し、つらそうに胸に手を当てた。
「目覚めた竜に、どうして私達人が勝てようか?」
「それは……。」
「────もし、あなたが竜に助言して……それでも竜が私達に呪いをかけたままならば、私達は全てを諦めるつもりです…………。」
「………………………………。」
 揺れる目で、アラジンは男を見た。
 まだ迷いを残す目は、それでもすでに覚悟を決めているようにも見えた。
 だから男は、ココで一度引いてみることにする。
「もちろん、無理強いをするつもりはありません──あなたがダメなら、ほかの人を……。」
「あ……っ。」
 とっさに、目を見張って呟きを零すアラジンに──よし、と、男は内心で諸手を打ち鳴らした。
 これで、勝負は決まったようなものだった。







 アラジンは、町の中で出会った男──ユーゴと名乗った男の後ろをついて歩きながら、時折後ろを振り返っては、溜息を飲み込んでいた。
 町を出て、狩りなどでなれたはずの街道を外れてすでに小半時ほど。
 あたり一面に広がる草原は、見通しが良く、邪魔するものは何も無い。
 そのはるか向こうに、後にしてきた町並みが見えた。
 遠くからでも良くわかる憧れの場所──竜洞騎士団の砦。さすがにその頂上にはためく旗までは肉眼で確認は出来なかったが、毎日のように城下町から見上げていたソレの色や形を、アラジンはアリアリと頭の中に思い描くことが出来た。
「……………………。」
 それを脳裏に描きながら、本当にコレでよかったのだろうかと自問する。
 目の前を歩く男は、きびきびとしていて、先ほどまで苦しんでいたのが嘘のように思えた。
 騙されているのだろうかと思うが、同時に貧乏で何の特技もない自分などを騙して、一体何になるのだろうかと、困惑するばかりだ。
 ユーゴは、当たり前のように街道を外れていく。
 シークの谷と呼ばれる、水晶が谷を覆い尽くすと伝えられている山間が、太陽の光にキラキラと光っているのが遠くに見えた。
 それを背にして、ユーゴは他国との間を隔てる山脈へと足を運んでいく。
 そこに何があるかなんて、アラジンは聞いたことがなかった。
 地元の者なら、もし、竜が暮らす竜洞があるのなら、あの「神の谷」と一般に呼ばれている、光り輝く谷──シークの谷に違いないと、そう思っているはずだ。
 太陽の日差しがきつくなるほどに、谷間をキラキラ光らせるシークの谷──遠目から見ても、それは神の輝きのように見えて、城下に住む老人の中には、朝と夕方の二回、その方向に向けて竜へ祈りを捧げる者が居るほど美しい。
 特に、西の方角──シークの谷の方角に日が沈むときの、夕日に照らされた谷間は、オレンジ色や紫色、赤色を宿し屈折し、谷間全体が輝くように燃え、まるで絵画を見ているような奇跡の美しさを見せる。
 あれを見たならば、あの地に竜が棲んでいると言われても、信じてしまいそうな神秘的な光景なのだ。
 だから、アラジンも、ユーゴから「竜洞はある」と聞かされた瞬間、てっきりシークの谷に向かうのだと思っていた。
 とはいっても、シークの谷に向かうには、人の足では不可能なくらいの絶壁の山脈を越えなくてはいけなくて、本当に辿りつけるものかと、そう内心疑って居た気持ちもあったのだが。
「──なぁ、ユーゴさん……どこに行くんだよ?」
 ドンドンと歩いていくユーゴの背に──だんだんと足取りが速くなる彼に、アラジンは焦れたように話し掛ける。
 空を見上げると、流れていく雲が思った以上に早く東から西へと流れていくのが見えた。
 これは、一雨来るかもしれないと、眉を寄せる。
 この辺りは、ただ草原が広がるばかりで、とてもではないが雨がきても身を隠せるような場所はないのだ。
 このまま行っても、山にぶつかるだけ──その山も、シークの谷ほどではないとは言え、ラクに越せるような山ではない。
 一体ユーゴは、自分をどこへ連れて行こうとしているのかと、不審を露にし、もう一度砦の方角を振り返ったアラジンに、
「もう付きますよ──目には見えない、竜の隠れ家に。」
 ユーゴは、蓄えた髭を扱き、そう、自信ありげに呟いた。
 彼のそんな様子に、アラジンは更に何かを口にしようとしたが、あえて何も言わず、ソ、と溜息を零した。
「雨が降る前に、つけるのかよ?」
 代わりに、そう尋ねる。
 どこへ行くのか、だとか、本当に竜洞などあるのか──なんて質問は、もう無意味なような気がしてならなかったのだ。
 幸いにして、アラジンは母と共に、良くこの辺りにまで山菜や木の実を取りに来ていた。
 だから、万が一何かあったとしても、無事に砦まで帰れる自身はあった。
 ここが地元の延長だと言うことも、アラジンの心に安堵を広げていた原因だったのかもしれない。
「──雨……ああ、そうですねぇ……一雨、きそうですねぇ……。」
 ユーゴは、ノンビリを顎をあげて空を見上げると、薄い空の色と、そこを流れていく白い雲を見上げて、目を緩めた。
 そうして、その目を下に落とし──、
「でも、もうすぐに付きますよ? ──ご主人様のマーキングが、落ちていますから。」
 クシャリ、と──足元に積み上げられていた小石で出来た塔を踏み潰し、ニッコリと笑った。
 分厚い眼鏡に隠された目の奥で笑ったユーゴの微笑みは、なぜかアラジンの背中を、ゾクリと冷やした。
────何か、間違った選択をしてしまったような、そんな気持ちを抱かせるに、十分な……どこか得体の知れない、微笑みだった。





 まるで生きたミイラのように、平たい岩の上に座ったまま、微動だにしなかった老人の体が、ぴくり、と動いた。
 顎から生えた白髭は地面にまで届きそうに長く、枯れた皮膚は骨が突き破りそうに薄い。
 今にも死んでしまいそうなほど滑稽な老人はしかし、その目だけが見た目の印象を裏切っていた。
 ギラギラと光る目──そこに宿る欲望と追求する力、そして豊富に称えられた知識の光は、衰えるどころか、益々増していくばかり。
 彼は、しわがれた唇から吐息を零すと、ゆっくりと目線をあげた。
 少量の木立の中……葉の群集の合間から覗く空は明るく青く、晴天晴れのように見えた。
 けれど、木々の合間を駆け抜ける風は冷ややかな気配を持ち、まるで何かから逃れるように素早く老人の頬をすべり抜けていく。
「──……連れてきたか…………。」
 長い間しゃべっていなかったかのように、枯れた声だった。
 抑揚のないそれはしかし、聞きなれた者が聞けば、愉悦に満ちていたことが分かっただろう。
 老人は、迷うことなく視線を一点へと向けた。
 木立の向こう──草原が広がるそこへ、彼の目は一瞬にして駆けて行く。
 肉眼では見えないはずの地点、そこに、アラジンと弟子の姿が見てとれた。
 どこか不安そうに歩むアラジンの顔を認めて、老人はニタリと皮ばかりの唇を歪めて笑んだ。
 気の強そうな目をした──意地を張り、必死で自分を支えてきたような子供の目だった。
 けれど、その中に隠されたナイーブで素直な表情を、老人はしっかりとその目に捕えていた。
 弟子が、人の性質を見分ける目を持っていることを、老人は良く知っていた。
 寂れた町で、古書に埋もれて過ごしていたような彼を拾い、そこまで育てたのは他ならないクロウリー自身だ。
 自分が見定め、アレが認めた子供なら、間違いはあるまい。
 クロウリーはそう断定すると、再び目を眇めるようにして、視界を元に戻した。
 とたん、目の前に戻ってくる木々の合間の光景。
 それが、先ほどよりも少し暗くなっているような気がした。
 ゆったりとした動作で見上げると、木漏れ日を零していた木々が、ざわめきを宿している。
「……一雨くるか…………。」
 呟いた声はしわがれていたが、そこに宿る響きは愉悦に満ちていた。
 高ぶる心を静めるような冷ややかな風に身を晒しながら、老人はユーゴに導かれたアラジンが、この場所の近くへと歩み寄ってくるのを感じる。
 それは──長い間捜し求めていた「鍵」への、決定的な1歩でもあった。









 何かに導かれるように前を歩いていくユーゴの後を付いていく。
 そうしながら、どこかあせる気持ちを振り払うことが出来ない。
 ドンヨリと、胸の中に固まりがあるような気がしてならなかった。
 城下町を出た頃は、まだ青かった空も、スッカリ雨雲に占拠されて暗くなっている。
 その中、先を歩くユーゴの足取りはしっかりしたもので──それどころか、前方に見えるザンバラに木々が生えている一帯に近づくほどに、歩みが速くなっていくようだった。
「──竜の呪いって、やっぱりウソなんじゃないかよ……っ。」
 小さく、騙されたんじゃないかと、忌々しげにアラジンが呟いた瞬間、ぽとん、と、最初の一滴が彼の頬に落ちた。
 あ、と、とっさに掌でそれを拭い取ったと同時、大粒の雨粒が、手にも髪にも落ちてきた。
 歩いていた地面にも、ドンドンと雨の色が染みていき、あっと言う間に乾いた色はどこにも見えなくなってしまった。
「って、冗談じゃないぜ……っ。」
 ユーゴは、アラジンの声が聞こえているのか聞こえていないのか、悠々と降りだした雨の中、前に見える木々に向かって歩み続けるばかりだ。
 まばらに生えている木々ではあったが、あの下まで行けば、雨をしのげることは間違いないだろう。
「ユーゴさんっ! 走れる? 走れるなら、さっさと林の下まで行こうぜっ!」
 トン、と、アラジンは男の細い肩を叩いた。
 そうこうしている間に、大粒の雨はあっと言う間に目に見えるほどの量になり、アラジンの髪をしっとりと濡らし始めていた。
 剥き出しの二の腕を伝う雨の感触に、鼻の頭に皺を寄せて、反応のないユーゴの顔を覗き込む。
「ユーゴさん、聞いてるっ!?」
 この辺りの気候はそれほど酷くはないけれど、それでも雨にずぶぬれになってしまったら、容易に風邪を引いてしまう。
 声を荒げたアラジンの声が、聞こえていないはずもないだろうに、ユーゴは答えず、前へ前へと進み続ける。
 町を出た時よりも足は速くなってはいるが、このスピードでは林にたどり着く前にずぶぬれになってしまうじゃないか、と、アラジンは小さく下唇を噛み締める。
 先ほどまであれほど苦しんでいた身のくせに、どうもユーゴは自分の体調には気を配らないらしい。
「俺、風邪引くわけには行かないんだけどさ……っ。」
 小さくグチめいて呟き、アラジンはユーゴの数歩先に飛び出すと、
「先にあの林まで走ってくから!」
 正面からそう叫んで、後は雨足が強くならないうちにと、ダッとばかりに前方に見えた木に向けて駆け出した。
 ユーゴがゆっくりと歩くのは構わないが、自分もそれに付き合って雨に濡れているわけには行かない。
 今日のこの日の出来事が終わった後も──明日からも、自分には生活が待っているのである。
 一気にスピードを上げると、頬雨が強く当たった。
 目の端に入った雨に、軽く目を眇めてブルリと顔を振るうと、今度は顔を伏せて地面を睨みつけながら走った。
 ドンドン濡れていく地面が、アッという間に水溜りを作っていく。
 それを目の端に掠めとめながら、アラジンは濡れすぼる前髪の隙間から、前を見据えた。
 すぐ間近に迫ってきている木に目をとめ、その幹に向けて手を伸ばした。
 少し走っただけなのに、幹に触れた手は、すっかり濡れていた。
 ぽとん──と、前髪から落ちる水雫を指先で払いながら、はぁ、と弾む息を唇から零して、アラジンは背後を振り返った。
 ユーゴがまだ後ろにいるはずだった。
 ざぁぁぁぁぁー………………。
 強く打ち付ける水が、地面で跳ね返り、出来た水溜りに同心円を描く。
「ぅわっ……すんげぇ雨……。」
 走って正解だったぜ、と、うんざりしたように呟いて、アラジンは濡れた髪を掻き揚げながら、ユーゴの行方を追う。
 目の前の視界が霞むほどの雨の向こうから、彼は歩いてくるはずだった。
 目を眇めて、自分が走ってきた方角をジッと見据えていると、ほどなくして霞むように見える人影が、見えた。
 それは、間違いなくこちらへと歩いてきている。
 冷たい雨に強く打たれているに違いないのに、それでも歩むことを止めようとしないユーゴに、アラジンは呆れたような表情を浮かべてみせた。
「何考えてんだよ、あの人。」
 あのまま一緒になって歩いていれば、下着までびしょぬれになってしまうじゃないか、と──そうゲンナリした口調で零した。
 打ち付ける雨の中、1歩1歩確実に歩み寄ってくるユーゴを、イライラとしながら待つ。
 だんだんと近づいてくるユーゴの顔が、雨の帳の向こうに捕えることが出来た。
 大きな眼鏡は曇り、そこに雨が打ち付けている。
 ぐっしょりと濡れた髪からは留めなく水が流れ落ち、服は彼の皮膚に張り付いているようだった。
 足が地面につくたびに、水溜りのできた大地に泥が跳ねる。
 それらをものともせず、彼はただ真っ直ぐに歩いてきていた。
 それを正面から見つめ──アラジンは、言い知れない戦慄を覚えた。
 ゾクン、と背筋が撓るような、奇妙な感触。
 ユーゴは、ただ静かにこちらに向かって歩き続けてくる。
 その歩みは、少しずつ速くなっているようには思えたが、ただそれだけだ。
 雨に濡れないように急ぐわけでもなければ、雨でぐっしょりと濡れた自分の髪を掻き揚げるわけでもない。
 まるで、普通に晴天の日に歩いているかのように、ただ普通に、歩いてきているのだ。
「…………………………。」
 ゴクン、と──知らず、アラジンは喉を上下させていた。
 目の前に近づいてくる男が、得体の知れない怪物のような、そんな気持ちになっていた。
 自分の方が身長も体重も少なめだけど、どう見ても──喧嘩をして負けるような相手じゃない。
 なのに、近づいて欲しくないような──そんな気にさせられるのだ。
 呆然とその場に立ち尽くし、近づいてくるユーゴを見つめ続けるアラジンの前に、彼は静かに到着した。
 ぽたぽたと落ちる水雫も、ぐっしょりと濡れた体も、何も気にせずに、濡れて曇った眼鏡の奥の目を──アラジンからは決して見えない目を、ニッコリと緩ませると、
「もう少し歩けば、目的地ですよ。」
 雨に濡れて、紫色になった唇で、そう告げた。
 乾いた大地に雨の色をしみこませるように、体中から雫を滴らせて──見ている方が寒いと感じる姿で、何事もなかったかのように。
 その彼の姿を見て、アラジンは顔を大きく歪める。
「──あんた…………一体…………。」
「ご主人様がこの先でお待ちですよ。」
 さぁ、と、指し示された手の先が、血の気を無くしている。
 触れれば氷のように冷えてしまっているような手だ。
 なのに、彼は顔色一つ変えずに、アラジンに微笑みかける。
 この段階になって、アラジンは自分がココまでついてきてしまったことが間違いなのではないかと、そう頭の片隅で考えた。
 目の前で微笑む男は、ただの軟弱な学者にしか見えなかったけれど、そうではないのではないかと、チリチリと感覚が訴えている。
 ジリ、と、後じ去りしたアラジンの背後で、まるで彼を逃がさまいとするかのように、雨が強く打ち付けている。
 背中を覆う寒気にも似た戦慄に比べたら、この雨の中、逃げ帰るほうが何倍もマシだった。
 けれど、
「ご主人様が、私達に気付いていらっしゃる。」
 乱雑する林の中──木の下ではない場所に悠然と立ちながら、彼はそう告げた。
 勝ち誇ったような、そんな響きを宿す声で、雫を滴らせる前髪を一つまみ摘み上げて。
「ここだけ雨が降っていないのが、その証拠ですよ。
 ──ここはもう、ご主人様のテリトリーの中なのですから。」
 乾いた大地の上。雨ひとつ降らない中で、彼は穏やかにそう告げた。
 遠まわしに、アラジンに今更逃げることは許さない、と──警告するように。
「……………………あんたのご主人様っていうのは、俺に何をさせようっていうんだ……っ。」
 ギリ、と唇を噛み締めて、アラジンはユーゴを睨みすえる。
 背中のギリギリのラインで、雨が打ち付けている。
 なのに、林のすぐこちら側は、雨の気配すらしない。鼻先を掠めるのは、乾いた木々の匂いばかりだ。
「ですから、竜を目覚めさせ、竜にご主人様の呪いを解いてくださるようにおっしゃってくださるだけでいいんです。」
 水を吸って重く感じるだろうローブを、面倒そうに払いながら、ユーゴは軽く首をかしげた。
「解いてくださるだけ、……って…………。」
 本当に、それだけで俺は帰れるのか?
 アラジンは、そう口走ろうとして、ギュ、と途中で言葉を噛み消した。
 もし、そのような問いを口にしてしまえば、本当に帰れなくなりそうな気がして、しょうがなかった。
 もうココは、ご主人様のテリトリーだと、ユーゴは言った。
「………………。」
 俺が、のろいを解くことが出来なかったら、どうなるのだろう?
 このまま、帰ることはまずできないだろう──本当にいまさらながら、アラジンはひしひしと自分のうかつさ加減を呪った。
 とんでもない事態に、巻き込まれてしまった。
「さぁ、アラジンさん。行きましょう──ご主人様が、待ちくたびれていますから。」
 促すような動作も何もせず、ユーゴは濡れためがねの奥で、嫣然と微笑みそう告げた。
 特に強い力のこもった台詞ではない。
 けれど、アラジンはそれを聞いて、肩から力を抜いて頷いた。
 頷くしかなかった。
────逃げ場などないのなら、行くしかないのだと……分かっていたから。









 雨が途切れた森の中を少し歩いた先──突然開いた視界の目の前に広がったのは、むきだしの岩壁だった。
 空高く聳え立つ岩壁は、上にも左右にもどっしりと広がっている。
 アラジンは、森を出たその足を、ふと止めた。
 外の国へ繋がる絶壁の山脈の岩肌。
 何の変哲もない岩肌の手前──森の出口に当たる小さな切り株に、頭からローブをかぶった人物が座っていた。
 皺だらけの細い手に、杖を握り締め、その先を地面に突き立てている。
「ようこそ──竜洞騎士団の民、アラジンよ。」
 しわがれた声だった。同時に、何か底知れないものを思わせる──影を含んだ声でもあった。
「どうして……俺の名を……?」
 思わず眼を見張り、無言でその人を見据える。
 アラジンの疑いの眼差しを受けて、人物はゆっくりとローブを頭から払った。
 はらり、と解けたローブの下から現れたのは、長い白髪と髭を持った、皺に刻まれた顔の老人だった。
 静かな英知を称えた眼が、ハッと息を呑むほど威厳ある老人だ。
 動きを止めて、自分の顔を見据える老人を見つめるアラジンの隣に、ス、とユーゴが進み出た。
 かと思うや否や、彼はその場に迷うことなくひざまずく。
「ご主人様……善良なる竜洞騎士団の民を連れて参りました。」
「うむ──。」
 そんなユーゴを見下ろして、老人は満足げに頷いた。
 そして、ユーゴから滴り落ちる水滴に軽く眉を寄せたかと思うと、トン、と杖で地面を軽く叩いた。
 瞬間、空中に炎を模した紋章が浮かび上がる。
 かと思うや否や、ゴォッと激しい音を立てて、ユーゴを取り巻くように火柱が上がった。
「──……ぅわっ!」
 頬をなぶる熱気に、小さく声をあげたアラジンは、慌ててソコから後じ去った。
 そのアラジンの眼の前で、ユーゴはあっけなく炎に飲まれてしまった。
「な……、に、を……っ。」
 揺れる炎の色に、声が、喉が、引き攣った。
 眼の前で熱く燃え盛る炎に驚愕を表すアラジンを、なんでもないことのように老人は見据えた。
 ごぉごぉと燃え盛る炎。
 その中に見え隠れする人の影は、ピクリとも動かない。
 まるでそのまま──人形のように消し炭にされてしまうのを望んでいるかのようだった。
 このままユーゴは、何も残さずに消えてしまうのではないのか──そんな思いに駆られながらも、体も指先もチリとも動かなかった。
 ただ呆然と見守る……見守るしかできなかったアラジンの前で、唐突にその炎は姿を消した。
「……っ!」
 思わず、アラジンはビクンと肩を強張らせる。
 まるでそこに炎があったことが嘘のように忽然と掻き消えた炎は、名残を残すかのように、ソ、と熱気を含んだ風を吐き出していった。
 頬を撫でる風の焼け付く匂いに、アラジンはただ目を見開くしかできない。
 炎が消えた後には、焼け焦げた男の死体が残っている──はずだった。
 なのに、そう案じたアラジンの思惑に反対するかのように、彼の眼の前で、
「ありがとうございます──ご主人様。」
 先ほどとなんら変わりない姿でひざまずくユーゴの姿があった。
 ──否、変わりないわけではない。
 ぐっしょりと濡れていたはずのユーゴは、その全身から水滴の一つも零してはいなかった。
 漂う熱気に髪を揺らし、彼は蒸気で曇っためがねの奥で、微笑んだ。
 それを認めた刹那、言い知れない悪寒がアラジンの背筋を通り抜けた。
 この区画だけ雨が降っていないという事実を知ったときよりもなお強く、アラジンは戦慄を覚える。
 そんな少年へと、老人はゆっくりと視線を向けた。
 ヒタリ、とアラジンを見据える老人の目は、とても老いた男のソレには見えなかった。
「こうして誰かの力を借りるのは、不本意なのじゃが──仕方あるまい。」
 声は、酷く聞きにくくしわがれている。
 なのに、頭に響くように声はアラジンの元に届いた。
 聞けば聞くほど、見れば見るほど、髭と皺にうずもれた老人が、希代の魔法使いその人なのだと思えてきた。
「すまぬな……アラジンよ。じゃが、この身に──いや、ユーゴの身にかけられた呪いを解くためには、どうしても善良な竜洞騎士団の民が必要なのじゃ。」
「呪い……っていうのは、さっき、ユーゴさんから聞いた。」
 声が震えそうになるのを必死に堪えながら、アラジンは地面に跪いたままのユーゴを、チラリ、と見やった。
 ユーゴは何も言わず、ただ跪いているだけで、静かに黙していた。
「──そう……竜の呪い──。
 わしが軽率であったために、弟子に辛い思いをさせることになってしもうた……。」
 不意に目を落として、そう小さく零した男の眼球は、いやに落ち窪んでみた。
 その声に宿る低い嘆きの色に、は、とアラジンは顔を上げる。
 そうだ──ユーゴは町でこう言っていた。
 主に降りかかる呪いを、自らが変わりに受けたのだと。
 そのことを、師であり主人である男は嘆いている──そう、確かにアラジンの目にはそう見えた。
 視線の先──幾重もの皺と長い白髪の間に埋もれた目は、今にも泣きそうに歪んでいる。
「あんたが……受けるはずだった呪いだと、聞いた。」
 かすかに眉を寄せて、アラジンは視線を老人からそらした。
 まだ彼の心の中には、疑いがあった。
 本当にユーゴに降りかかっているのは、竜の呪いなのだろうか?
 眼の前の老人が、素晴らしい魔法の力を持っているのは、今、見せ付けられて理解した。
 けれど、竜が──偉大なる竜が、触れたら壊れてしまいそうな骨と皮ばかりの老人を恐れ、のろいをかけたなんて……信じられない。
 ギュ、と拳を握り締めるアラジンに、老人はゆくりと目を瞬いた。
「──そうじゃったの……まだ名前を名乗っておらんかった。
 わしの名は、クロウリー。」
 はぁ、と──そこで一度老魔法使いは息をついた。
 そして、不意に声音を変えて、硬質な響きを持つ……けれど、朗々と辺りに響く声で、キッパリと言い切った。
「人はわしを────108の紋章の主と呼ぶ。」
 刹那、
「…………なっ…………。」
 アラジンは、ばっ、と顔を上げて、その皺としみにまみれた男の顔を、凝視した。
 この世界には、いくつもの言い伝えがある。
 竜洞騎士団でもっとも有名なのは、もちろん翼と鱗の世界に旅立ったとされている竜と、その竜を勇猛に駆った竜騎士の話だ。
 けれど、ほかの小さな数々の伝説だって、小さい頃から聞いて育つ。
 それは、運命づけられた2人の姉妹の話であったり、永遠に放浪する運命を背負った呪われた少年の話だったり、対をなすが故に戦い続ける定めにあるバーサーカーたちの話であったりした。
 その中の一つに、「108の紋章」の話がある。
 それは、体に108の魔法の力を持つ、偉大なる魔法使いの話──かの人が起こした奇跡は、それこそ星の数ほどあると言われている。
 今、魔法使いになるべく勉強をしている少年少女の殆どは、その108の紋章の主を目指していると言っても過言ではないというほどの、有名な「渾名」だ。
「──……それじゃ、あんたが……あの……っ!?」
 まさか、と思った。
 その話だって、吟遊詩人が大げさに吹聴しているに違いないと、そう鼻先で笑ったこともある。
──だって、一つでも強力な魔力を有する紋章を、108つも体に宿すことが出来る人間だなんて、聞いたことがない!
「ふぉっふぉっふぉ……ある意味、わしの名は有名らしいの──……どこかの国では、危険人物に名を連ねているらしいぞい。」
 クックックッ……と、枯れた喉を震わせて笑う老人に、アラジンは顔をゆがめる。
 彼が起こした奇跡は、決して人に害を成すものではなかった。
 アラジンが小さい頃から聞かされた「彼の伝承」は、竜の話と同じくらい、偉大で素晴らしいものだった。
「危険人物って……あんた、何をしたんだ……っ?」
 そうだ──そう考えたら、話は理解できるかもしれない。
 眼の前の男は、伝承で語られる反面、何かいけないことをしていたのだ。
 だから──竜は彼に呪いをかけようとした。
 そう考えれば……。
 ジリ、と後方に後じさろうとするアラジンに、老人はゆるくかぶりを振った。
「わしは何もしてはいない。──この身に宿る魔力の追求が至上の喜びであるわしにとって、世俗はどうでも良いものしか過ぎん。」
 いかにも退屈そうにそう零して……クロウリーは、だがな、と、落ち窪んだ目の奥に光を宿した。
「だが、帝国にとってはそうじゃなかった──わしの力は、ヤツらには脅威じゃった。」
「そうです! ヤツラは、ご主人様の力に恵みを与えられたくせに、ご主人様がこういう性格で──世俗のことでウダウダと巻き込まれるのが嫌いで、どこの派閥にもつかないと分かった途端、逆に危険視し始めたんです! そして……私たちは、あの国を追われるハメになった…………っ。」
 キッ、と、目を上げて顔をゆがめながら、ユーゴがクロウリーの後に続いて叫んだ。
 そんな彼の剣幕に、驚いたアラジンを見て、クロウリーは小さく溜息を零した。
「これ、ユーゴ。」
 ユーゴをいさめる口調は、どこか穏やかだった。
 ユーゴはその声に、はっ、と我に返り──あわてて再びその場にうつむいた。
 アラジンは、そんなユーゴの旋毛を無言で見詰める。
 何がなんだか、わからない。
 分からないけど──決断は、眼の前に迫られている。
「──アラジン、おぬしが信じようと信じまいと構わぬ。
 ただ、わしとユーゴの命運は、おぬしが握っているということは、忘れないでくれ。」
 かつん、と──クロウリーは手にした杖で地面を叩き、ゆっくりと立ち上がった。
 もう一歩後ろに後じ去ったアラジンに、髭の奥で苦笑を噛み殺しながら、クロウリーは自分の正面に見える崖を見据えた。
 荒々しい岩肌と、こけ生した岩壁。
 何の変哲もない、切り立った崖山の壁を、どこか遠くを見据えるように見つめる。
「おぬしもまた、数多く居る竜洞騎士団の民。
 竜には憧れ、会いたいと願っているのだろう?」
「………………。」
 アラジンの無言の言葉が、肯定だった。
 クロウリーは、ただ静かな笑みを刻みつけ、杖を持った手を翳した。
 その切っ先が、壁の一点で、ピタリ、と止まる。
 そのまま、クロウリーはソコを見据えた。
 眉間に皺が寄り、髭がかすかに震えている。
「なら、会ってみろ。
 会って──おぬしがわしたちの呪いを解いてくれるように頼むかどうかは、おぬしに任せる。
 真実は……竜の王の口から聞くがいい。」
 低く零れた声が、不意に強い響きを宿した。
 その言葉──「竜の王」の名称に、アラジンは大きく目を見開いた。
 そんな彼に、クロウリーはヒタリと視線を当てた後──強い光を宿す眼差しを、眼の前の壁へとぶつけた。
 杖の先端に、光が宿り始める。
「──……竜の…………王………………?」
「竜を目覚めさせ、問うがいい。
 竜の王に会わせろと……そして、おぬし自身で決めなさい。
 わしの言葉を信じるか──ユーゴを見殺しにするか…………。」
「──……っ。」
 ズキン、と、胸に走った衝撃に、アラジンが胸元を抑える。
 傷ついた表情を浮かべるアラジンを、視線を上げたユーゴが静かに見つめていた。
 このお人よしの少年が、どういう答えを選ぶのか……クロウリーもユーゴも、知っていた。
 知っているうえで、誘導するように、言葉をつむぐ。
「わしたちは、アラジン──おまえが決めた決断に、運命をゆだねよう。」
「………………っ。」
 息を吐くことすらも忘れた顔で、アラジンが喉を引き攣らせる。
 突然自分の肩に押し付けられたものの重さに、体が震えはじめていた。
──否、それ以上に。
 クロウリー自身から発せられる、言葉では形容できない「何か」に、全身が強い拒絶を示していた。
 けれど、ガクガクと震える足は言うことを効かず、ただアラジンはクロウリーの顔を見つめていた。
 老魔法使いの手に握られた杖が、ヒタリ、と壁の一点を指し示している。
 その先端が、かすかに淡い光を宿し始めていた。
「──わが身に宿りし紋章よ……。」
 まっすぐに杖の先を見詰めながら、クロウリーは小さく呪文をつむぎ始める。
 その呪文の声に呼応するように、杖の先の光はドンドン強くなっていった。
 ヒュッと喉を鳴らせたアラジンが、一歩後ろに下がる。
 見開いた目に映るのは、輝きを増していく杖。その杖が指し示す先で、岩壁がグニャリとゆがみ始めていく。
「なにが…………っ。」
 一体何が、起きようとしているのか、と。
 そう続くはずの声は、アラジンの喉で消えた。
 言い知れない感覚が、ゾクリと彼の体を走り抜ける。
 ソレの名が「恐怖」であることにも気づかず、ただアラジンは眼の前を凝視する。
 瞬きすることすらもできず、ただ眼の前の光景を目に映し続けた。
 苔むした岩壁が──重厚な雰囲気を宿すソレは、光を向けられた先から、渦を巻き始めるように歪みを深くしていく。
 クロウリーの杖の先が光れば光るほど──その光が大きくなればなるほど、岩壁が歪む。
 まるでこのまま、岩壁が全て渦を描き、そこから異形の化け物が出てきそうな気がした。
 喉が引き攣り、アラジンは再び揺れ始める膝を止めることが出来なかった。
 足は一歩も動かない。
 見る見る大きくなっていくクロウリーの杖の先に宿った光は、アラジンの頬を強く照らし出し、見つめているのも痛いほどだった。
 目を細め、そこから顔を背けて、アラジンは顔の前に腕を翳す。
 その目と鼻の先で、人ほどの大きさになった光が、岩壁の歪みに触れた。
 刹那、
ギィィンッ!!
 空間を震わせるほどの、異音が響いた。
「──……っ!」
 耳を打ち据える金属的な音は、ズキィンッと脳を貫く。
 その衝撃に、アラジンはジリ、ともう一歩下がった。
「──な、に……っ。」
 両手でしっかりと耳を抑えながら、アラジンは眩いばかりの光に目を眇めて、それでも必死で音の根源を見据えた。
 バチバチっ!
 ギギギギ……っ!
 耳障りな音を立てて、渦巻く岩壁と、クロウリーの杖の先に宿った光がぶつかりあう。
 火花が散り、ガラスとガラスを引っかいたような音が空気を震わせる。
 ゾクゾクと肌が粟出ち、アラジンはその場に崩れそうになる。けれど、それを必死に堪えて、ギリリと唇を噛み締めた。
 そのまま、睨みつけるようにアラジンは盛大に火花を散らし続ける光景を見据える。
 だんだんとクロウリーの光が濃度をあげていくのが分かった。
 濃厚な──既に真っ白に近いほど強い光を発したソレは、目を閉じても瞼の裏から差し込んでくるほど強い。
「──……はぁっ!!」
 クロウリーは足を踏み出し、強く叫ぶ。
 それと共に、彼の杖の先に宿った光が、パシィンッと弾けた。
「──────ぅわっ!!」
 瞬間、視界を襲った眩いばかりの光に、アラジンはギュ、と目を閉じた。
 それでも瞼の上から突き刺すほどに白く輝く光に、彼は堪えきれずに顔の前で腕を交差させる。
 とたん、激しい爆音が耳を震わせた。
ドッゴォォォーッ!!
「──……っ!!」
 前方から、激しい風が吹き荒れる。
 熱風とも言えるそれは、アラジンの髪を乱し、鼻先に焦げた匂いを運んだ。
 そのまま腕に顔を埋めるようにして、アラジンは光の洪水をやり過ぎし、アラジンはギリリと唇を噛み締める。
 何が起きているのか、まるで分からない。
 ただ、頭の中が真っ白になってしまっていた。
 どうして自分はココまで着いてきてしまったのだろう?
 どうして自分はココから逃げ出さないのだろう?
 どうして自分は──俺は、こんなところで、必死に立ち尽くしているのだろう?
「…………っ。」
 唇を強く噛み締め、アラジンは目をしっかりと閉じる。
 鼻を付く匂いや、露な首筋、腕に当たる熱風──それらが一瞬でめまぐるしくアラジンの感覚をなぶっていった。
 それが、瞬間、唐突に途切れる。
 フ、と──何事もなかったかのように、体の前面に感じていた濃厚な威圧感が消えた。
 ただ、何か嗅ぎなれない匂いが鼻をつく。
 何かが焦げたような──そう、おかしなものがこげたような匂いがした。
「──……な、に……?」
 カクン、と全身に溜めていた力が抜けて、アラジンはそのまま前のめりに跪く。
 だらり、と腕が落ちて、はぁ、と荒い息が唇から零れた。
「ほぉれ……わしの話を信じたくなったか、アラジン?」
 はぁ、はぁ──と、アラジン以上に息を乱しながら、クロウリーがそう声をかけてくる。
 アラジンは、そんなクロウリーの疲れた声に、ノロノロと顔をあげた。
 アラジンを見下ろすクロウリーの額には、大粒の汗が浮かんでいる。
 力なく杖を握った腕を落とし、髭にうずもれた口元に笑みを刻んだクロウリーは、先ほどよりもずっと年老いて見えた。
 けれど、その目に宿る光は、先ほどよりもずっと静かで穏やかに見えた。
 その老人の奥──先ほど壁があったところに、ポッカリと闇が口を開いていた。
 上にも横にも巨大な、洞窟の入り口が、姿を見せていたのである。
「…………竜洞…………っ!!?」
 まさか、本当に存在していたのか、と。
 アラジンは地面に跪いたまま、呆然と目を見開いた。
 目を擦っても、何をしても──突如現れた洞窟は、消えることはなかった。
 クロウリーは、驚いているアラジンに満足した笑みを乗せて、そのまま倒れこむように切り株に腰を落とす。
 そして、ガックリと杖に両手を乗せて、小さく息をついた。
 必死で呼吸を整えるようにして、クロウリーは顔を伏せ──大きく深呼吸してから、ゆっくりとアラジンを見上げた。
 何が起きているのか理解していないらしい彼に、ニヤリと笑った。
 その衝撃が、わからないわけではなかった。
 なにせクロウリー自身、この事実を認めて、この洞窟の中に入って──その偉大な竜の褥に驚かずにはいられなかったのだから。
 クロウリーは無言で自分の右手を見下ろし、その小指に嵌ったシンプルな指輪を指先で摘み取った。
「アラジン……これを持っていけ。」
 動こうとしない男を促すように、クロウリーはそれを掲げる。
 ノロノロと顔をこちらに向けるアラジンに、疲れの滲んだ笑顔で、これだ、と繰り返す。
「……指輪?」
 衝撃のあまり、何が起きているのかまだ理解しきっていないアラジンに、クロウリーは指輪に嵌められた中指のつめ先ほどの意志を伸びた小指の爪で示した。
「その石を擦れば、お前に一度だけ助けが与えられる。
 ──迷ったときに使うといい。」
「…………。」
 ほら、と再び促され、アラジンはゆっくりと身を起こした。
 そして、ノロノロとクロウリーに近づく。
 そうすると、眼の前でポッカリと空いた巨大な穴が、否応なく目に飛び込んできて、光の届かない奥の闇が、はっきりと見えた。
 穴の中に続く岩壁。
 それは、自然の洞窟のようにも、人の手が入った洞窟のようにも見えた。
「竜の王に会い、自らの意思で決めてくれ。
 ──わしらはもう、おぬしに頼るしか道はないのだ。」
 手を伸ばし、クロウリーはアラジンの力を無くした手を取ると、その上にポトリ、と指輪を落とした。
 ツヤツヤと輝く銀色の指輪には、大きな赤色の宝石が嵌っていた。
 艶やかなソレを手にして、アラジンは目をゆっくり瞬き──視線を、洞窟の方へと飛ばした。
 人を飲み込むように深い闇を抱える闇は、それでもアラジンの目を捉えて仕方がなかった。
 その闇から漂う独特のにおい──初めて嗅ぐのに、懐かしいという気がするのは、自分が竜洞騎士団の生まれだからだろうか?
 この奥に……偉大なる生き物が、いる。
 そう思えば、もう心が急いて仕方がなかった。
 アラジンは、落とされた指輪をきつく握り締めると、流行る心を抑えることもできず、唇を半開きにして洞窟を凝視した。
「──……竜の王に……会ってくる。」
 キュ、と唇を引き締めて──アラジンは、そう……呟いた。













 ひんやりと冷たい空気が剥き出しの腕を突き刺す。
 雨にしっとりと濡れたままの体に、洞窟の中の冷えた空気が寒かった。
 「封印」されていた洞窟の中は、長く日に当たっていなかったのだろう。
 湿っぽくてヒンヤリと冷たかった。
 大きく開いた出入り口に反して、そこの洞窟の中はすぐに暗闇に包まれ、一寸先も見通せないほど暗かった。
 その中、クロウリーが持たせてくれたたいまつを翳しながら、アラジンは慎重に足を進めていく。
 吐いた息は白く、踏み出した足先は凍えるように冷たい。
「…………寒い……な。」
 日の差さない場所にある場所が、ほかの場所よりは涼しいということは、アラジンも良く知っている。夏の暑い日などは、よく涼を求めて森の中に行ったものだ。
 けれど、この洞窟の中は、森の中よりもずっと冷えていた。
 時折、奥の方から細い頼りない風が吹いてくるのだが、それが余計に寒さになれはじめたアラジンの肌を粟立てていた。
「奥に、広い空間があるのかな?」
 ユラリ、とたいまつが不規則に揺れるのを見上げながら──揺れるたびに、視界が見難くなるのに微かな恐怖を覚えながら、アラジンは一歩一歩確かめるように前へと進んでいく。
 踏み出すほどに、コケの匂いと冷たい風が吹いてくる。
 それらに心が萎えるのを感じたが、それと同じくらい、心が騒ぐ。
 一歩踏み出すごとに──強くなる、「匂い」。
 決して嗅いだ覚えはないと言い切れるのに、ツンと目に染みるような強いその匂いに、胸が高鳴った。
 どくん、どくん、と心臓が強く脈打ち、アラジンの喉が熱さを覚える。
 このまま何も現れなければいいと思う気持ちとともに、すぐにでも現れてほしいと思う気持ちがある。
 それをもてあましながら、アラジンは腕が震えるのを必死に堪えて、瞬きするのも忘れて前を見据えて歩き続けた。
 いつまで続くのかわからない闇に満ちた道は──けれど、脇道や分かれ道が現れることもなく、すぐに、終焉を見せた。
 ヒュゥ……と吹く風の色が、変わったのだ。
「──……なまぬるい……?」
 小さく呟いて、アラジンは風の当たった頬に指先を当てた。
 そして、まだほんのりとぬくもりが残る気がする頬に触れ──ハッ、と、前を見た。
 大きく揺れる松明──その明かりに、何かが光ったのだ。
「──着いたのかっ!?」
 慌ててアラジンは走り出した。
 更に大きく松明が揺れ、眼の前の視界が、開ける。
 巨大な──大きすぎる空洞が、眼の前にあった。
 顎を仰け反っても天井が見えないほどの高い壁の空。
 端の方は闇にまみれてわからないが、左右に果てしなく広がっているのは感覚でわかった。
 何よりも、その場の、なんと空間の熱いことか。
 先ほどとはまるで違う意味で、皮膚があわ立った。
 その空間に満ちる空気の濃度に──そして、蒸れるほどの強い臭気。
 何よりも。
「────…………りゅ…………う………………っ。」
 そこには、巨大な小山ほどの体が、いくつも──寝そべっていた。
 前足に長い顎を乗せ、尾をゆったりと巻いている。
 巨大な山ほど姿は、松明の頼りない明かりに照らされ、ツヤツヤと光を反射していた。
 それを認めた瞬間、こみ上げ来る感情に、息が出来なかった。
 近づけば、巨大な前足と鋭い爪が眼の前に見えてきて、アラジンは息を呑んで後ろに下がった。
 そしてもう一度、顎を上げて辺りを見渡した。
 見通せないほど広い空洞──辺りには、先ほどまでの寒さがウソのような熱気がこもっていた。
 竜達は、寝そべっていてもアラジンの顔よりも高い位置に目がある。
 その目は、厚い瞼にしっかりと閉ざされていた。
「……ほん、もの……?」
 まるで、良く出来た彫刻のようだと、恐る恐る松明を高く翳し、その炎に浮かび上がった顔を確認する。
 けれど、眼の前の巨大な顔はピクリとも動かない。
 もう一歩踏み出し、アラジンは眠る竜に向かって手を伸ばしかけるが、触れそうになる直前で手が震えて、引っ込めた。
 指先を見下ろし──アラジンは、キュ、とソレを握りこんだ。
 その指に宿る赤い宝石のついた指輪が、キラリと松明の火を宿した。
「──……竜。」
 家々の壁に描かれた竜とは違う、生身のソレが──眼の前にある。
 その事実に喉が熱くなり、瞼の裏が熱を訴える。
 ドキドキと逸る鼓動を必死に抑えながら、アラジンは湿った地面の上に跪き、竜の口の方へと歩み寄った。
 その鼻先まで来ると、ヒュゴォォ……と、低い音が立った。
 それと共に、熱気にまみれた異臭がアラジンの顔に吹きかかった。
「ぅわっ!」
 驚いて松明を取り落とし、アラジンは熱い風を受けた顔を必死で拭い取る。
 そして、そのままブルリと頭を振るうと、辺りが暗闇に染まっているのを見て、慌てて目線を落とした。
 竜達の爪先から少し離れた場所に、松明は転がっていた。
 火種は消えておらず、湿った地面を弱弱しく焼いている。
 慌ててアラジンはそれに近づき、松明を取り上げた。
 少し弱くなった気のする炎に眉を寄せて、アラジンは改めて松明で辺りを映し出す。
 狭い周囲しか照らせないけれど、それでもアラジンの視界は取り合えず確保された。
「生きてるんだ……この竜たち。」
 そう思えば、胸がジン、と震えた。
 感動のあまり胸が一杯になり、ただ無言で松明の火に照らし出される竜を見上げる。
 静かな竜の寝顔に、ただアラジンは見とれた。
 生きている。
 それは確かだろう。
 先ほど見ていた竜の鼻先から噴出した風は、紛れもなくその竜の息だった。
 伝承にあるとおり、熱い──炎を吐く息だ。
 この焦臭いような異臭も、彼らの吐く息の匂いに似ている。
 けれど。
「──いつ……起きるんだろう?」
 彼らは寝ている。
 そして、見渡すかぎりの竜達の群れの中、一体どこに──「竜の王」がいると言うのだろう?
「一度、クロウリーさんの所に戻った方がいいかな……。」
 そう呟いて、アラジンが名残惜しげにその場を去ろうとした時だった。
 眼の前で、何かが光った。
「──……っ!」
 ビクンっ、と肩が強張り、アラジンはとっさに松明を掲げた。
 その光を反射して、再び何かが光った。
 真っ暗な洞窟の中、一体何が光るものがあるのだろうかと、目を凝らして高く松明を掲げた先──フ、と揺れる炎の明かりに照らしだされたのは。
 闇に浮き立つ白い肌。
 炎に照り映えて朱金に輝く金の髪。
 瞳の色は閉じられていて見えない。
 その額には──夢に見るほど見返してき伝承の絵本に描かれたものと同じものが、嵌っていた。
 それが炎に輝いて、キラリ、と光を宿す。
 一目でソレが何なのかわからなかったら、竜洞騎士団の民ではない。
「──竜騎士っ!」
 まさか、と──そう驚きを込めて叫んだ。
 その刹那。
「…………おまえか…………私を目覚めさせたのは………………。」
 低い……掠れた声が、アラジンの耳に届いた。
 ハッ、と息を呑んだアラジンの前で──女がゆっくりと瞳を開く。
 姿をあらわした紅色の光に、思わず眼が吸い寄せられた。
「あ…………あぁ…………っ。」
 喉が震えた。
 息が上がった。
 何を口にしたらいいのか、何の望みを言葉にしたらいいのか、何もわかりはしなかった。
 女は、そんなアラジンを見下ろし──軽く首を傾げた。
「竜の民──我が王の愛しき子らよ。」
 それは、どこか硬く冷たい響きを宿した声であった。
 そうでありながら、なぜか胸に心地よく響く。
 アラジンは視線をヒタリと女に当てた。
 竜騎士の証を身に付けた女──彼女が何者なのか、考えようとしても頭が麻痺して何も形になりはしなかった。
「──おまえは、何を望む? 何を望み、私を起こした?」
 女は静かに言葉をつむぐ。
 そこには何の感情も入っていないように見えた。
 起こした、という言葉がどういうことなのか理解できないまま、アラジンは、ただ魅入られるようにその目を見つめた。
 整った容貌が松明の光に照らし出され、この世のものではないように見せていた。
「俺……俺、は……竜に…………竜の王に会って……聞かなきゃいけないことがあるんだ…………。」
 喉を震わせ、何度も息を飲み込みながら、アラジンはかろうじてそう口にすることが出来た。
 すると、アラジンの言葉に、女は柳眉を軽く寄せた。
「竜の王……………………。」
 呟く彼女に、こくり、とアラジンは頷く。
 そうだ──竜は本当にこうして存在していた。
 生きているようには見えなかったけれども、実は眠っているだけなのだということも知った。
 なら、竜の王もいるはずだ。
 あの、伝説の「英雄」も。
 そう思えば、胸弾けそうなほど高鳴った。
 期待に満ちた思いに、松明を握る手までもが震えそうになってくる。
 女は、そんな彼を──まだ年齢的にも幼い少年を見下ろし……スゥ、と目を細めた。
「幾多もの困難がおまえを待ち受けるだろう。
 それでも……おまえは、それを望むか?」
 厳かな声であった。
 アラジンにはわからないような、深い意味を込めた──さまざまな感情を宿し、同時にそれらを覆い隠したような声であった。
 その声そのものに、歴史が宿っている。
 ゴクン、と喉を上下させて──アラジンは、一度目を強く閉じた。
 そして、キュ、と唇を真一文字に結んだ後、まっすぐに彼女を見上げて、しっかり頷いた。
「…………はい。」
 そんな彼を、しばし彼女は見下ろした。
 その視線を受けても、アラジンは決して視線をそらさなかった。
 相手が誰なのかわからない。
 けれど、眼の前の人が「竜の王」の行方を知っていることは、間違いなさそうだった。
「……お前、名はなんと言う。」
 不意に、女はそう告げた。
「え?」
「名だ。……ないのか?」
 驚いて聞き返したアラジンに、女はもう一度聞いた。
 慌ててアラジンは大きくかぶりを振り、名前を名乗る。
「アラジン。──アラジン=フッチ。」
 名前を、アラジンが言い終えた後、そうか、と女は呟いた。
 それから彼女はツイ、と顎を反らす。
 視線をずらした先には、先ほどアラジンが見ていた竜がいる。
 女はそれを認めると、その竜の隣に寝そべっていた竜の元へと、歩み寄った。
 そして、ポケットの中から皮手袋を取り出したかと思うと、それを両手にはめながら、アラジンにそっけなく告げる。
「後ろに乗れ。」
「えっ?」
 簡潔に告げられた内容についていけず、目を瞬いてみせるアラジンに、女は竜の鼻先に手を当てながら、もう一度告げた。
「乗れ。連れて行ってやる。
 団長が眠る場所に……。」
 最後の言葉を告げる一瞬──瞳にほんの少しの哀しさを宿らせてそう呟いた彼女に、アラジンは呆然と目を見開かずにはいられなかった。
「……………………だんちょう…………。」
 口の中で繰り返すその単語を、知っているような気がした。
 否、知っているのだ。
 竜の王、なんていう不確定な名前ではなく、この土地でその名称は、ただ一人しか指さない。
 それは。
「私の名はミリア。
 竜洞騎士団副団長、ミリアだ。」
 何の苦労もせずに、女は竜の背に鞍を乗せ終え、さぁ、とアラジンに向かって手の平を差し出す。
 その美しい面差しからと、差し出された手の平を見下ろし──
「…………竜洞騎士団……っ!?」
 アラジンは、高鳴る胸の鼓動を抑えきれぬまま、彼女の口から出た名を呟く。
 竜洞騎士団──それは、この国の憧れの騎士団。
 誰もがなりたいと願うソレ。
 でも、今、アラジンの眼の前で名乗った女の持つ意味は……もっと、尊いものだ。
「そう……竜を駆る者──空を自由に駆る者。」
 呟いたミリアの声に答えるように、彼女が手を置いていた竜が──その重い瞼を、ゆっくりと開き始める。
 アラジンの顔ほどもある大きな眼球が、赤い瞼の中から現れ──ギョロリ、と動いた。
「本当に──本当に、存在していたんだ……っ!」
 感極まって、叫んだ──叫ばずにはいられなかった。
 目覚めた竜は、ゆっくりとその身を起こし、少しふらつきながらも、一歩前へと進み出る。
 その巨大な爪や足が、アラジンの前に差し出された。
「少年──おまえは私を目覚めさせた。私の竜……スラッシュとともに、その迷いない心に、敬意を示し、しばらくは、おまえの足になろう。」
 ヒラリ、と身軽に赤い竜の上に飛び乗ったミリアは、身を屈めてアラジンに向けて手の平を差し出した。
「さぁ、乗れ。」
 その手を、今度は迷わず、アラジンは手にした。
 憧れの竜と、竜洞騎士団が、眼の前にいる。
 それだけでもう、心が張り裂けそうに──熱かった。
 グイッ、と、力強い力で引き上げられ、とうとうアラジンは竜の背に乗り上げる。
 その感動に、息さえできないほど、胸が詰まった。
 このまま、死んでしまってもいいかもしれない──それほど、すごいことをしてしまったのだ。
 今日一日で、なんて色々なことがあったんだろう?
「アラジン。」
 あまりのことに声も出ずに固まっていたアラジンを、ミリアの呼びかけが現実に引き戻す。
 ハッ、と慌てて顔をあげると、そんな彼を振り返りながら、ミリアは厳しい表情を宿していた。
 その表情に、知らずアラジンの顔もこわばる。
 ミリアは、そんな彼を少しだけ痛ましそうに見つめた後──すぐにその表情を塗り替え、先ほどと同じような冷たそうに見える表情で、こう告げた。
「今から、スラッシュでシークの谷に向かう。
 あの谷には、団長の下にたどり着くための試練が待ち受けるだろう。
 それに打ち勝ちなさい──アラジン。」
 アラジンが見上げた先で、ミリアの真摯な赤い瞳は、ただ静かな光を宿していた。














 バサリ──と、大きく羽根を広げた赤い竜が、美しい青空にとびだって行くのを木々の合間からコッソリ見つめていた二つの影があった。
 その影は、竜の姿が見えなくなるや否や、堪えきれないかのように声を大にして笑い出した。
「ふはははっ! はははははっ!」
 喉をのけぞらし、愉快でしょうがないというように笑うのは、白髪の老人──クロウリーであった。
 彼は、ひとしきり笑い終えると──クツクツと、まだもれ出る笑いを必死に堪えながら、
「──さぁ、後は、あの子が無事にランプを見つけて帰ってくるのを……待つとしようか……………………。」
 そう……呟いた。
 その口元に広がる愉悦の笑みに、彼の従者である若者は、ただ静かに一礼してみせる。
「……………………はい、ご主人様。」
 感情が見えない、眼鏡の奥の瞳に、静かな色を宿し続けながら……。






















NEXT


ということで、
アラジン=フッチ
魔法の絨毯=ミリア&スラッシュ
悪い魔法使い=クロウリー
悪い魔法使いの弟子(?)=ユーゴ
でお送りしております(笑)。

前編ということですが──前後編になるか、前中後編になるかは謎です。
リクエストくださいました天魁星さんが、ホムペ容量はたくさんあるという頼もしいお言葉を下さったので、やるがままに進んでいくでしょう。
なんてったって、前編でランプを手にする予定だったのに、まだシークの谷についたところですからね!(大笑)。ディズニーのアラジンよりも進みが遅い(苦笑)。
しかもだいぶオリジナル要素入ってますし──やっぱり竜洞騎士団ですから、竜は出てこないとv
これからランプの精が出てきて、お姫様が出てきて、宮殿に話が移っていくわけですね。
…………次回、中篇(もう前中後編は確定です)では、ランプの精とお姫様が出てくるところまで行きたいものです。