「姫も、もう年頃。
そろそろ、花婿を募集しなくてはならない。
──姫の花婿ということはつまり、この城の次の主。すなわち、わたしの後継者ということだ。
これはもう、大々的に募集して──そう、条件も付けなくてはならないだろう。」
そう言いながら、玉座──と呼ぶには質素を重んじた執務室の椅子の前を、右へ左へと右往左往しながら、男はブツブツ呟く。
背中を少し丸めた猫背の──痩せた体の男は、そのままクルリと足を返して、執務机の前まで歩み寄った。
「条件?」
窓の桟に腰と足を引っ掛けるようにして座っていた少年が、けだるげな表情で男を振りかえる。
少年の問いかけに答えるように、男は鷹揚に頭を縦に振ると、
「そう──……それはつまり、この城にえれべーたーを取り付けられるくらいの、大きさの階を作るという……っ!!」
興奮した様子で机の上の設計図を掴み上げたとたん、
「それは台本にない。」
窓からすかさず突っ込みが飛んだ。
それから少年は、何も無かったような顔で再び窓の外を眺めると、
「でもまぁ、確かにそうですね、陛下。」
無理やり強引に話を戻し、少しの憂いを含めた表情で「国王」を下から伺い見る。
「私達の『それはそれはとってもかわいいルック姫』のお婿さんになる人ですもの。やはり、心優しく、勇敢で、強くて……そうして姫に贅沢をさせてあげられるような、そんな人がいいですよね。
何せ男は財産ですから。」
しれっとして意味深に微笑み、少年はゆっくりと視線を自分の指先に落とした。
そして、中断していた爪研ぎをはじめる彼に、国王が大きく頷く。
「確かに、財産は必要です。
何せ、実験にも開発にも、お金はいりますからね……。」
「そうそう、どこかの誰かさんが、次々に開発だの実験だのにお金をつぎ込んでくれたおかげで、シュタイン城の財政も……いえ、このお城の財政も火の車なのですから。」
最後の言葉はユルリとかぶりを振りながら、目を落として悲しそうに呟く。
そんな少年……いや、この国の王妃である妻の言葉に、国王はハッと目を見開き──、
「財政はそんなに厳しいのですか?」
「……やっぱり、ハルモニアから取り寄せた火薬の量のケタを変えて発注したのがまずかったみたいで──だから、運搬に竜を使えないかってヨシュアに言ったのに……イヤイヤ。
ほら、あなた? 去年とおととしと凶作が続いて、思うように農民から搾取……いえ、徴収ができなかったでしょう? こちらもギリギリまで切り詰めてはいるのですが、それでも国民は飢えていて──このままでは、来年のための種もみも用意できるかどうか。
他国から輸入できたらいいのですが、我が国にはそんな財政の余裕もありませんし。」
とてもそうとは思えない表情と仕草で、王妃は爪を研ぎながら、小さく溜息を一つ零す。
「……すごい説明的な台詞ですね……。」
「本来ならこの辺りの事情を話すのは大臣の役割だったんだが、魔術師と裏で手を組んで、実験を握ろうとする大臣の役がやりたいと言ったら、ヨシュアやミリアから大反対された挙句、にこやかに笑った姫衣装のルックから、こういう女装ルックを頂いてしまったので、逃げ場が無かったんだ。」
ヒラヒラ、と、優雅に揺れるシースルーの袖を揺らしながら、今度は王妃も悲しそうな辛そうな表情を浮かべて、窓の外を見つめた。
果てしなく広がる荒野と草原。はるか遠くには険しい山が聳え立っていて、とてもではないが他国からの輸入を望めるような状態ではない。
あの険しい山を越えて来てくれる商隊が、運んできてくれる荷は小さく──そしてひどく価格が高いのは、当たり前と言えば当たり前だった。
陸の孤島とたとえられるこの国は、今のように食糧難になってしまえば──本当に、なす術もない状態なのだ。
「し、しかし王妃よ、そんなに悩むことはない。」
「悩まない国王の代わりに悩んでやってるんだけど?」
大丈夫だと、何の根拠があるのか太鼓判を押してくれる国王陛下に、王妃はウンザリした顔で頬杖をつきながら、チラリと冷たい視線を投げかける。
「いえ、そういう意味じゃなくてですね。
実はその金銭面での問題は、解決しそうなのですよ。」
「解決? ──何? かわいいかわいいルック姫を高く買い取って……ん、こほん、高い持参金で嫁にほしいと言う人でも現れたの?
言っておくけど、いくらお金持ちだとは言っても、隣の赤月帝国の皇帝はダメですよ。あそこは今、内乱で先行きが短そうですからね。」
しれっとした顔で言い切る王妃に、国王は苦い物を目の前に付き付けられたような表情になった。
「いえいえ、そうではなくてですね。
先日、魔術師が謁見を求めたのを覚えていますか、王妃?」
「もちろん、覚えていますとも。」
窓の桟から足を落として、ヒラリとスカートの裾を捌きながら、王妃はニッコリと微笑む。
そのあでやかな微笑みを見て、国王はどこかそら恐ろしい気分になりながら、ゴクリと喉を上下させる。
「あの魔術師なんですが、実は、竜伝説の大切なところにたどり着いたらしいんです。」
「──竜伝説の大切なところ。」
口の中で繰り返した王妃に、国王は顔いっぱいに微笑を張りつかせて──大きく頷く。
「そうなんです! このまま上手く行けば、竜を復活させることができると言うんですよ!」
「へー……。」
興奮気味に夫に、王妃は窓際に背を預けながら、あきれたような顔で腕を組む。
「それで、何? 陛下はもしかして、竜の伝説を解くために国内を好きに調べてもいいと、そう許可を出したと言うことですか?」
「そうです、王妃。
上手くいけば、この竜洞騎士団は、昔のように竜の栄える王国に……っ!」
「……なるほど、『竜の背中に乗って遊ぼう! 1時間500ポッチ』とか『竜で他国との交易をして儲けよう』だとか、『竜でしかいけないと言われている水晶の谷で水晶を取りに行く』とかで儲けようって算段か。」
「いえ、王妃、そうではなく……。」
そういう話じゃないでしょう、と、ガックリ肩を落とす国王陛下を、王妃は少し顎を上げてナナメに見上げながら、
「それで、陛下?
魔術師には、何と引き換えに、竜を目覚めさせた時の契約を結んだの?」
「──えっ、え、あ、い、いえ……。」
驚いて息を飲んだ国王は、どうして王妃がそんなことを言い出すのか──そして、どうしてそんなことを「知って」いるのかと、慌てて視線を逸らす。
そんな国王に、王妃は小さく溜息を零すと、
「小さい子でも知っていることでしょう?
魔術師は自らの手で調べ、自らの手で手にした結果を、決して誰かに渡すことはない。その魔術師の成果を手に入れるためには、魔術師がソレを等価だと思う価値のものでもって、交換しなくてはならない。
──それで陛下?」
ゆったりとした動作で首を傾げて、王妃は陶然とした微笑を浮かべて見せた。
「何を魔術師に進呈したのですか?」
竜伝説と引き換えにする価値のあるものなど、今の寂れた王宮にあるわけがない。
もしあるとするなら。
「…………まさかとは思いますが、私達のかわいいかわいい宝の、ルック姫を────、差し出したなんて、言いませんよね?」
ニコニコニコニコ──ニッコリ。
満面の微笑を浮かべる王妃のその目が、まるで笑っていないことを、国王は見て取って──ヒクリ、と喉を引きつらせた。
その国王の額に脂汗がにじんだのを見て、王妃はますます微笑みを深くしてみせる。
「…………陛下?」
声が一段と低くなる──その声に篭った口調を感じ取って、陛下はビクリと肩を震わせた。
そのまま、ますます脂汗を滲ませていく陛下に、王妃はさらに深い笑みを張り付かせてみせた。
「──……結界が……解かれた?」
ふらり、と──長椅子の上に身を横たえていた姫は、小さな足を床の上に乗せたかと思うと、そのまま軽やかに開け放たれたバルコニーまで歩み寄った。
そして、まるで飾り気のない──ただ、生暖かな風の吹くバルコニーの端まで来ると、細い顎をクッとそらして、空を見上げる。
昼間の薄い青の色はとおの昔に消え、今は暗い夜の色に彩られた──その星明かり。
キラキラと輝くビーズのような星を見上げる姫の視線は鋭く……厳しく。
姫は、出会うすべての客人が褒め称える、美しい宝玉のような瞳を瞬かせて、その熟れた赤い果実のような唇で、そ、と吐息交じりに、
「どこのアホウが、あの魔術師の口車に乗ったんだ──バカじゃないのか。」
毒をつむぐ。
そして、チッ、とはしたない舌打ちを零すと、ブルリとかぶりを振り、整えられた髪をかき乱す。
その拍子に、風呂あがりに髪に散らされた花びらが、ヒラヒラとバルコニーの無機質な床に舞い落ちたが、姫はそんなことに頓着したりはしない。
頬にサラリとかかる髪を指先で跳ね除けて、姫は唇を引き結ぶと、
「こうなると──ランプの封印が解けるのも、時間の問題か……。」
かすかな苛立ちを宿した瞳で、キッ、と姫は暗闇の向こう──自分がいるお城から、はるか南西の方角を見定めて、あの輝く水晶の谷に降り立っただろう「バカ正直者」に向かって、
「そのままそこで息絶えてくれれば……言うことはないのに。」
壮絶なまでに美しい笑みを浮かべて、嫣然と微笑んだ。
「この谷の効能は、血行の循環、目がキラキラして錯覚を起こすこと、他にも水晶エネルギーで腰痛や霊障、たまに逆に霊障復活なんていうのもあります。
そうそう、特に今日のような満月の夜に踏み込むと──アレ、今日って満月だったっけ? ……まぁいいや。
……えーっと、踏み込むと、この谷のもっとも奥まった場所に封印されているという、不思議なランプの封印が一時解放されるとかどうとか。」
キラキラと乱反射する、目に痛い水晶のおかげで、夜でも昼でも明かりには苦労しない──しかし真夏の南天時には、サングラスをしないと辺りが見えない状態になる──、中、少年は幅広い水晶の一つに背を預けて、大きな紙片を左右に広げる。
そこに描かれている細長い線を見下ろして、彼は耳に引っ掛けたペンを取り上げると、
「今度、この辺りに温泉とか作ったら、昔みたいな観光名所になりそうなんだけどな〜──。」
トントン、とペン先で地図の一角を○して、うーん、と彼はそれを掲げる。
それから、ハッ、としたように顔をあげて、ダメだ、と顔をクシャリとゆがめる。
「昔と違って、竜の翼がないんだから──そもそもお客さんが来ないか……。」
あーぁ、とわざとらしい大きい溜息を零しても、水晶の中に混じるばかりで、色気もそっけもない。
多分、よそ様から来た人には、この水晶で虹色の光が飛び散るこの光景が、ひどく美しく、幻想的に見えるのだろうけれども。
幾重にも重なる虹の光を、感慨もナシに眺めていた少年だったが、ふと聞き慣れない音を聞いた気がして、顔をあげた。
──いや、聞き慣れない音ではない。
これは……遠い昔、聞いた覚えのある──。
「………………まさか、竜の封印が……?」
解けたのか、と、続けることはなかった。
スックと立ち上がった少年の視界の端に、紺碧の空の中、ぽっかりと浮き立つように鮮やかに浮かび上がる紅の色を認めた。
少年はみるみるうちに大きくなっていくその赤い色に、大きく目を見開く。
夜空に浮かぶ炎の星のような小ささから、それは瞬く間に赤い月のような大きさになり。
そうして。
それは、丸い影のようなソレから、翼や背に乗る人影すらも目視できるようになった時点で。
「……やったーっ! ン百年ぶりに、僕の地図を使ってもらえる機会が出来たじゃんっ!!!」
ぐしゃ、と。
持っていた地図を握り締めて、ガッツポーズで低空姿勢に入る竜を見上げる。
竜は遠い昔見た時と同じように、少年の頭上を二週三週と旋回しはじめる。
これがあの頃だったなら、少年のすぐ右手には竜を先導するための棒があったはずだった。先に明かりがともされる魔法の宝石が付いたソレは、残念ながら今は見張り小屋の中で置き去りにされたまま。
今から走って取りに行っても、決して間に合うことはないと分かっていたから、彼は無言で竜を見上げた。
下から見上げる竜の巨体を、懐かしげに見上げて──それから。
「……この数百年で、シークの谷に強引に訪れた人間は何人か居たけど、本物の竜を駆って来た人は始めてだな〜。
今度という今度こそ、団長、目覚めてくれたらいいなぁ。」
何せ今夜は満月(ということになっている)。
水晶が宿す力も全開転。さらにやってきているのは、竜を目覚めさせるほどの力を持つ「魔術師」のはずだ。
「くぅ〜っ! わっくわくしてきたなぁ、もう!
僕が作ったこのシークの谷・名所完全網羅地図が、団長の目覚めの手伝いをするなんて、地図職人冥利につきるってもんだよね!」
ゆっくりと低空姿勢に入る竜を見上げながら、少年はわくわくした気持ちを隠しきれずに、竜を視線で追い続ける。
目を大きく見開いて、ただまっすぐに竜を見つめれば、すぐにそれは少年の目の前の空間に巨体を落とした。
視界いっぱいに映る紅色のウロコに、少年の瞳がますます輝く。
「ようこそいらっしゃいました! 団長が眠る谷、シークの谷へ!
──って、こういうのはクロンの役割じゃないのかなー。」
最後の一言は小さくポツリと呟いて、けれどすぐに少年は表情を一転させて微笑を浮かべてみせた。
目の前に降り立った竜が、翼をたたみはじめたからだ。
見あげても背中の上に乗っている人などまるで見えないほど巨大な竜が、フルリと首をもたげ、そして背に乗る主人に従うように足を折り、首を地面につける。
しゃがみこんでも尚、大きい……首が痛いほどに見上げた背中の上で、人影が揺れた。
「ミリア副団長!」
翼の影から見えた金色の髪に、竜洞騎士団の証の額当て。
見間違えようもないその姿に、感嘆の声をあげれば、ヒラリと身軽に地面に降り立った主が、髪を払うように軽く頭を振ってこちらを見据えた。
「──あなたは……、確か。」
「あ、は、はい! このシークの谷の門番、地図職人のテンプルトンと言います! お久しぶりです!」
ビシッ、と、ずいぶん前にしたっきり、最近ではすっかり忘れていた敬礼をしてみせると、ミリアはその手のひらの角度に軽く眉を寄せてみせたが、流れる月日を思い出してか、ただ苦い笑みを貼り付けただけで注意はしなかった。
代わりに視線を先へと──シークの谷の奥深くへと投げ込むと、
「……そう……まだあなたが残っていたのですか、テンプルトン。」
静かでありながら、痛い色を秘めた瞳で、そう呟く。
「──あ、は、はい!」
「……谷の地図作成は、終わってはいないのですか。」
緊張の面持ちで返事を返すテンプルトンに対し、ミリアはどこか冷めたような口調で問いかける。
その冷ややかにも取れる抑揚に、テンプルトンはクシャリと顔をゆがめて──勤めて冷静になろうとするミリアの美貌を見上げて、コクリ、と頷いた。
そして、苦笑じみた笑みを口元に浮かべながら、ことさら明るい口調で両手を軽く広げる。
「なかなか進まないんですよ〜。
ここの水晶、しょっちゅう壊れるし、位置も変わっちゃうし、育っちゃうし。」
「そうですか。」
ミリアは昔を思い起こさせるような明るい口調のテンプルトンに、かすかな笑みを見せた後──キリリと顔つきを改めて、テンプルトンの背後に聳える水晶の谷を見据える。
「侵入者は?」
「数人いましたけど、全部、団長が飼ってるモンスターに追い返されちゃいました。
──そのたびに、地図を書き直してるんですよ〜。」
「飼っているわけではないでしょう?」
苦情を訴えるようにヒョイと肩を竦めるテンプルトンに、ミリアは苦笑を滲ませた表情で彼を見下ろせば、テンプルトンは聡明な微笑を浮かべて、
「分かってます、封じてるんですよね。──でも、似たようなものだと思いますよ。」
「違う。──同じにされては、竜洞騎士団の名に傷がつく。」
久しぶりの──「同僚」ではないけれど、それに近しい存在同士での会話に、テンプルトンもミリアも、少しだけ表情と口調とくだけさせて、互いに分かるように笑みを交わす。
視線も口も、互いに定めているように見えて──二人の気配は、ミリアの背後に立つ少年を追っていた。
侵入者ではない、導かれてやってきた、善良なる少年を。
それが意味することを、テンプルトンが分からないはずはなかった。
互いに目元を緩めて──ようやくだと、そう語り合った後、ミリアは改めて背後を振り返ると、この辺りの空気に気おされている様子のアラジンの名を、静かに呼んだ。
「アラジン。」
「あ、は、はい!」
思わずビシリッと背筋を正すアラジンを、ミリアは少しだけ柔らかな光を宿して見つめる。
「あなたには、今からここで──試練を受けて貰います。」
「は、はいっ、試練を受ければいいんですね……っ! ──って、え? し、試練?」
気合を入れて、額に手を当てる姿でビシリと敬礼をしてみせたアラジンは、すぐにミリアの言葉に目を見開く。
試練? ──ここで?
ぽかん、と口をあけて、アラジンはミリアとテンプルトンの向こうに広がる──険しい岩場を見上げる。
ミリアの愛竜に乗りながら見下ろした険しい峡谷は、美しい輝きに満ちていたが、今、アラジン達の前に広がっているのは、ゴツゴツとした荒地のようなむき出しの岩場だ。
歩くのも困難そうな、道という道もなさそうな場所で、試練?
しかも──自分とミリアは、竜に乗ってココまでやってきたけれど、ミリアの横に立って、にこ、と笑う少年は、一体、どこに居たのだろうか?
「あ、あの……ミリアさん? この子って……。」
チラリ、と視線で少年を示しながら問いかえると、その声を聞いたテンプルトンがピョンと飛び上がる。
「この子って言い方は失礼だよ! 言って置くけど、地図職人のテンプルトンって言えば、これからすごく有名になる予定なんだからさ!」
彼は、に、と笑顔を浮かべて、手に持った地図らしき巻物を広げて誇らしげに言いきる。
そんなテンプルトンに、アラジンは胡散臭そうな目になる。
「これからかよ。」
思わず突っ込んだアラジンに、なぜかテンプルトンは自慢げな笑みを浮かべると、大きく頷く。
「そう、これから。」
そして彼は、アラジンに倣ったかのように不審気な目になると、ちらり、とアラジンを見上げる。
「ところであんた、誰?」
少し背中をかがめるようにして、アラジンの顔を覗き込むようにして問いかける。
テンプルトンの自分を計るような視線を受けて、ジリ、と、アラジンは知らず後退した。
自分よりも幼いようにしか見えない相手だと言うのに──自分を見上げるその目には、妙に老成した雰囲気が漂っていた。
それに気おされたように──自分を見極めるような視線を向けられて、アラジンは知らず背中に冷たい汗を伝わせた。
「俺は……アラジン。
……竜洞騎士団の団長に、会いに来たんだ。」
ごくん、と喉を上下させながら、テンプルトンを見おろしながら告げれば、少年は驚いたように肩を跳ねさせて、バッ、とミリアを見上げる。
「団長にっ!? でも、団長は今、封印されてるのに、どーやってあうんだよっ?」
「テンプルトンっ!」
途端、ミリアから叱責が跳ぶ。
そのミリアの言葉に、慌てて彼は自分の口を両手で覆った。
けれど、1度口から飛び出した言葉が口の中に戻ることはなく──、アラジンは、耳に飛び込んできた言葉を、驚いたように繰り返す。
「封印──……っ?」
なんだか……不穏な単語だ。
そう思うと同時、どうしてか、脳裏にクロウリーの姿が思い浮かんだ。
それがなぜか分からなくて、慌ててアラジンは頭を振る。
何を考えているんだ、自分は。
そんなはずはない、そんなはずなんてないじゃないか!
──そう思うと同時、
「……違う。封印されたのではない。」
アラジンの心に浮かんだ疑問を否定するかのように、ミリアから否定の声が飛んだ。
視線をやれば、彼女は今まで見せていた気丈な雰囲気ではなく──少し憂いを宿した表情で、テンプルトンを哀しげに見つめていた。
「団長は……ヨシュア様は、ご自分のお力の強さを危惧して、自らあの中へ……。」
ふ、と息をついた言葉は、切ない色に満ちていた。
「あの中?」と思ったが、とてもじゃないけれど聞けない雰囲気に、アラジンは唇をへの字に曲げる。
ミリアは、そ、と眼差しをあげると、切なげに寄せた眉をそのままに、キュ、と唇の両端をねじ上げて微笑んだ。
「けれど、それも今日で終わるかもしれません。」
そう囁くように続けたミリアに、テンプルトンは興味なさげに、肩を竦めて答える。
「ま、僕はなんでもいいんだけどね。
どうせ、団長が目覚めようと目覚めないと、ずーっと、このシークの谷で守り人してるだけなんだし。」
チラリ、と自分の肩越しに背後を振り返り、テンプルトンは殺風景にしか見えないシークの谷を見つめた。
この谷──ほんっとうに、何もないんだよね。
外から来る人間は、水晶が美しいだとか、いくらで売れるんだろうとか、そんなことに目をキラキラさせてるけど──毎日見てたら、ほんと、飽きるって。
しかも、その水晶の影に隠れてるのが──団長がココに封印し続けている、モンスターとモンスターとモンスターと来た。
つい先日も、そのモンスターに水晶を壊されたことを思い出して、グ、とテンプルトンは眉に皺を寄せた。
──これも、団長が目覚めたら、無くなるのかなー?
団長なら、この谷の「ペット」たちを統率することも出来るだろうしね。
「なんでもいいけどさー、で、どーするの? チャレンジするの? 試練ってのに。」
アラジンを見ながら、テンプルトンは肩から引っかけていたショルダーバックの中から、紙切れを一枚取り出す。
それをクルクルと慣れた仕草で巻くと、何も言えず黙っているアラジンに向けて差し出した。
「行くのなら、この地図持っていってよね。」
「え……。」
まだ、いくとも何も言っていないのに、差し出された其れに──おそらくは、このシークの谷の地図だろう物に、アラジンは困惑したように目を瞬いた。
それでも、行く、しかないんだろうな、と。
そ、とそれを受け取った。
途端、
「それでついでに、地図が間違っているところがあったら、教えてよ。」
しれっとした顔で、テンプルトンは言った。
「って、間違ってたら意味がないじゃないか!」
「なくない。」
打てば響くように、きっぱりはっきりと、テンプルトンが答える。
そんな──シレッとした顔に向かって、アラジンは今にも掴みかかりそうな勢いで叫ぶ。
「あのなーっ!」
「なんだよ、しょうがないだろ、モンスターが次々に道を壊すんだから。」
「だったら、地図なんて作らなかったらいいじゃないか!」
「僕は地図職人なんだぞっ!? いつ、いかなる時であっても、地図を作るのは、僕の使命なんだよっ!」
「誰も作るななんて言ってないだろっ! 作るときと作らないときとをわきまえろっつってんだよっ!!」
「なんだよ、フッチの癖に!」
「うっさいな! そっちこそ、テンプルトンのくせにっ!!」
ガツッ、と、額がぶつかりあうくらいの勢いで、二人は顔を間近に寄せて、牙を剥いて叫びあう。
そんな二人の子供に、はぁ、と、ミリアは溜息を零す。
どうしたものか、と視線をシークの谷に飛ばしてみたが、ここに自分しか居ないのは確かなので、自分でなんとかするしかないのか、と、頭痛を覚えたように米神に指先を押し当てる。
出そうになるのは溜息ばかりだが、そうしていても、目の前の子供のケンカが納まるわけではない。
ここは自分が治めるしかないのだろう、と、ミリアはわざとらしい動作で、ごほん、と咳払いを一つ零すと、
「──アラジン。」
意識を戻すように、少し声を張り上げてみせると、
「なんだよっ! ──……って、あっ! そっか、今、劇中だったっ!」
「げっ、そうだったっ。」
キッ、と眦を吊り上げて振り返った二人は、ミリアの少し冷めたような──怒りを宿した視線に気づいて、慌てたように顔を見合わせた。
そして、ザァッ、と青ざめると、二人揃って申し合わせたように、ピシッと背筋を正すと、
「もっ、申し訳ありませんでしたっ!!!」
ミリアは、二人に仲良く向けられたつむじを見やって、やれやれというように片眉をあげるが──特に何かを言うことはなく、
「とにかく、アラジン。
お前は今からココで、団長を探さなくてはいけない。」
何も無かったかのように、劇を続けた。
そのミリアに、二人は慌ててコクリと頷くと、
「は、はいっ!」
「がってんです!」
びしっ、と、解放軍独特の軍隊礼を取る。
ミリアはそれに満足したように一つ頷くと、
「さぁ、テンプルトンの地図を持って行きなさい。
これが、お前の試練です。」
さぁ、と、シークの谷を指し示す。
アラジンはそれに、はい! と元気良く返事をしかけて──アレ、と、首を傾げる。
「探すって……試練……? え、でも、ここってモンスターが居るんだよ、ね?」
思わずアラジンは、自分の腰や背中をキョロキョロと見回す──が、もちろん、何も身につけてはいなかった。
そう、アラジンは、思いっきり丸腰であった。
「それくらい、素手でなんとかしなさい。」
ミリアは威厳たっぷりに言いきる。
そんな彼女を、アラジンは呆然と見上げた。
「す、素手で、って……そんなぁ。」
がっくり、と肩を落とすアラジンの背中を、どーん、とテンプルトンが叩く。
「まま、がんばれよ、フッチ! ……じゃなかった、アラジン!
めでたく見つけた暁には、うまくいったら団長に頼んで、竜を一匹もらえるかもしれないじゃん!」
にかっ、と満面の笑顔を浮かべるテンプルトンに、ミリアが眉を跳ね上げる。
「テンプルトン……っ。」
いくら劇とは言えど、言っていいことと悪いことがある!
そう、険を込めた眼差しをギロリと向けたその背後で。
「行くっ! 行くっ! この地図、持っていけばいいのかっ!?」
素直な──悪く言えば単純に物事を理解したフッチが、満面の笑顔で大きく頷いていた。
「そう。いってらっしゃーい!」
「…………テンプルトン…………余計なことを…………。」
頭痛を覚えて、はぁ、とミリアは能天気な声をあげるテンプルトンをジロリと睨みつける。
「今、動ける竜が居ないのは、あなただって知っているじゃないか……っ。」
「でもさー? いい加減なんとかしないと、どうにもならないんじゃないの?」
頭の後ろで手を組んで、テンプルトンはミリアの視線をものともせず、平然とした態度でそう言ってのける。
そんな彼に、ミリアは渋い表情で何も答えない。
竜がいつまでも眠りについている理由──団長が自ら封印された理由。
その真意を思えば、下手なことは言えなかった……副団長という立場であるからこそ、余計に。
「これで団長が、本当に目覚めたらさ。
今度こそ……助かるかもしれないだろ?」
「………………………………それは…………人の子に与えるには、あまりにも辛すぎる──試練だ。」
キュ、と、ミリアは眉間に皺を寄せて呟く。
やる気になっているアラジンをチラリと見やれば、彼は地図を広げて自分が今いる位置を確認しているようだった。
テンプルトンはソレを見ながら、ミリアに視線を向けずに問いかける。
「それでも、誰か人の子が立ち上がらないと、団長は眠ったまま──竜もまた、眠ったままだよ。」
「──……。」
テンプルトンの言葉に、ミリアはゆっくりと視線をあげる。
地図を真剣に眺め、指で地図を辿るアラジンの顔は、とても真摯だった。
これからの試練に挑む気満々のその姿に、ミリアの胸の中に、チラリ、と希望が浮かび上がった。
もしかしたら。
「──……竜を殺さないために、団長は眠りについた。
竜を、眠らせるために。」
団長が眠りから目覚めることは、今までにも幾度かあった。
けれどその度に、問題は解決せず──結局再び、あの方は、「あの中」で眠りについた。
幾度も、幾度も。
「──……今度は、そうならないと言うの?」
小さく呟いたミリアに、テンプルトンは片目を眇めて見せた。
「それはわかんないけどさ。
やらないと、わかんないじゃん?」
「──……。」
ミリアはそれに答えず、年若い少年を見つめた。
アラジン──彼が、このシークの谷の試練に応え、団長を目覚めさせることは、そう難しくはないだろう。
ただ──彼が。
「団長の試練に応えて──竜達を、毒の力から守ることが、できるんだろうか……?」
辛そうに眉を寄せて、小さく呟いたミリアに、テンプルトンは軽く肩を竦めて見せると、
「そんなの──やってみないと、わかんないよ。」
後は、風まかせ天まかせ──というように、ヒラヒラと手の平を振った。
──アラジンが、固い決意の元に飛び込んだシークの谷は。
「うわっ、うわっ、うわーっ!!!??
ななっ、なんで岩が走ってくるわけーっ!!?」
盗賊避けの罠満載の、まさに試練の場でございました……。
ゴロゴロゴロ──ガッツン……パキィンッ! ゴロゴロ……。
悲鳴を挙げてダッシュで走るアラジンの後ろから、直径3メートルほどの大きな丸い岩が、ゴロゴロと大きな音を立てて転がってくる。
岩の両端が、谷のそこかしこから突き出ている水晶を、ぱきん、ぱきん、と割っていく。
この岩さえなければ、のんびりと水晶を眺めてながら、まるで夢のような光景だと思えるのだろうが、そうは問屋がおろさない。
全速力で谷に出来た岩の道を駆け上がり、駆け下り──今がどこなのか分からないほど駆けずり回った果て。
「わわわっ!」
切り立った岩肌の隙間に出来た亀裂に身を隠し、通り抜けていく岩をやり過ごす。
先ほどから、何度こんなことを繰り返しただろうか。
身を竦めるアラジンの真横を、巨大な岩がゴロゴロと通り過ぎていく──そのスピードたるや、かくもあらん、と言った調子で。
ゴロゴロ──ドォンッ……ガシャン!
岩肌の亀裂に身を隠していても感じるほどに、スゴイ激震が走った。
思わず身を竦めて耳を塞いで衝撃に耐えたアラジンは、土煙を立てる周りに、はぁ、と溜息を零す。
ヒョイ、と顔を覗かせれば、突き当たりの壁に岩がのめりこんでいるところだった。
その下には、キラキラと輝く光る石がたくさん砕けて落ちている。
「あぁ……また水晶壊れた……。」
懐に仕舞いこんでいた地図を取り出すと、先ほどチェックした辺りから指先で辿り、今いる大体の位置を確認してから、アラジンは律儀にも、そこにペケマークを入れると、
「……これじゃ、まるでマッピングしてるみたいだ。」
はぁ、と溜息を零して岩場の間から抜け出すと、アラジンは岩が突っ込んでいった場所とは違う方に足を向ける。
「っていうか……ドコに行ったらいいんだろ?
もう少しこう、場所くらい教えてくれておいたらいいのに。」
おとなしく歩いていればいいのなら、何も問題はないのだ。
シークの谷の中を歩き回るのは大変だけれども、前にも何度か来たことがあるから、そう迷わずに歩けるのだ。
ただ──どこに向かって何をしたらいいのか分からないから、とにかく、イベントらしきものが発生するまで、ずーっと歩き回らないといけない……というだけで。
「うぅ……まるで罰ゲームだよ。」
時々モンスターが襲ってくるのだが、丸腰なので戦うわけにも行かない。
当然、劇をするだけだと思っていたから、紋章なんてつけていない。
「スイさんが開催するんだから、丸腰って言うのが間違いだったんだよなー。」
まったく、とブツブツ呟きながら、アラジンはそれでも前に進んだ。
進まないと終わらないからである。
「メースさんの小屋に居るかと思ったけど、居なかったし──やっぱり、月見草が生えてたところかなぁ。」
つい今しがた走ってきた道を、今度はゆっくりと戻りながら、地図をクルリと巻いて道具袋の中に入れた。
月見草が生えていたところというと──と、頭の中で地図を描いて、アラジンは歩き出す。
途中、モンスターが出てきたら、岩のトラップのときに負けない速さで、猛ダッシュで逃げ切り──ようやく月見草のあるガケまであと少し、と言うところで、足を止めた。
そこには、道が崩れたようにぽっかりと10メートルほどのガケが出来ていた。
「──あ、道がなくなってるや。」
参ったな、と、アラジンは頭を掻く。
再び道具袋の中から地図を取り出して広げてみると、テンプルトンの地図の上では、つり橋のマークが描かれている。
確かこのシークの谷には、つり橋が一つしかなかったはずだが、いつの間にもう一つ増えたのだろう? ──と小首を傾げたところで、その位置の意味に気づいて、ああ、とアラジンは声をあげた。
「そういや、ウィンディが、道を壊したとか言ってたっけ。」
スイが月下草を採りに来た時に、シークの谷に損害を出してしまったらしいことは、ミリアから聞いてフッチも知っていた。
ヨシュアに損害の内容を知らせるために、スイに頼まれて、ミリアが損害報告書を作成したのだと言う。
詳しい内容は、フッチも竜洞騎士団を退団した身だから、良くは知らないのだが──その後、何度かシークの谷を訪れたときに、「道が無くなっている部分がある」と言っていたのを覚えていた。
「それでつり橋を作ったんだっけ……?」
けど、あたりを見回してみても、吊橋なんて見つからなかった。
じっくりと目を眇めてみてみれば、吊橋を吊っていたらしい杭のような物が見つかった。
けれどその先に吊橋はなく、ちぎれたロープのようなものが、たらん、とぶら下がっている。
これは、とどのつまり。
「……って、吊橋、壊れてるし……。」
どうしろって言うんだよ、と、アラジンはコリコリと頬を掻く。
道が途切れてガケのようになって居るギリギリのところで足を止めれば、暗くぽっかりと空いた穴の底は見えない。
「跳ぶわけにも行かないしなぁ。」
うーん、と腕を組んで、アラジンは首を傾げる。
ジャンプするには、思ったよりも距離があるように見える。
「魔法のじゅうたんが居たらよかったんだろうけど──これもある意味、試練なのかなー。」
コリコリ、と頬を掻いて、アラジンは岩壁を見上げる。
まさかこれを登っていくわけにも行かない。
さて、どうしよう、と思ったところで、ふ、とアラジンは自分の指に何がついているのか思い出した。
いつもは指に感じない圧力に似た感覚に、あぁ、とヒラリと指を揺らす。
「そうだ。クロウリーさんに貰った指輪があった!」
確かコレは、1度だけ助けが求められる指輪だと、そう言っていたはずだ。
その「助け」がどういうものなのかはわからないが──確かに今は、「助け」が欲しいときではある。
「えーっと、確か、石を擦ればいいんだったっけ。」
左手の中指に嵌めていた指輪を見下ろして、アラジンはソコに嵌められた小さな石に指先を触れさせる。
「よし、試しに使ってみるか。」
うん、と一つ頷いて、アラジンは左手をかざした。
それから、手の平に掻いた汗を、ゴシゴシとズボンで拭う。
ツヤツヤと輝く宝石に、そ、と右手の人差し指を当てて、ゴクン、と喉を上下させる。
そろ、と石に触れて、軽く上下に動かせば、キラリン、と宝石が光った。
アラジンはその指輪を空に向けてかざしてみる。
──と。
ぼぅんっ!
軽く音が立ち、煙が舞い上がる。
思わず目を眇めて数歩後ろに下がれば、その煙の向こうにスラリとした影が映り出た。
指輪から何かが出たのか、とアラジンが目を見張るよりも早く、煙の向こうから飛び出た手の平が、ヒラリン、と舞って、煙を払いのける。
そしてその中から現れたのは──、
「はーい、呼ばれて飛び出てニャニャニャニャーン!」
しゃらり、と赤毛の髪を優雅に回せて一回転し、片目を軽く瞑ってウィンクしてみせる、女の子だった。
その肩には、なぜか猫が乗っている。
「無敵の魔法使い、ミナ&ロッテでーっす!」
手にしたロッドをかざして、ピタリ、とポージングを決めた少女は、すぐに辺りの光景に気づいたようだった。
剥き出しの岩肌に無造作に生える、美しい虹色の輝きを放つ水晶の柱の群れ。
空から差し込む光を反射して、辺りは幻想的に浮かび上がっていた。
ロッテは、パッチリとした双眸を瞬き、ぱふ、と両手を合わせた。
「──って、ぅわーっ、すごい! 綺麗〜っ! 何これ、何これーっ!?」
キャーッ! ──と、嬉しそうにその場で飛び跳ねるロッテの肩から、ぴょん、とミナが飛び降りて、空中を舞うように見える水晶の光を、不思議そうに見つめる。
その──突然シークの谷に現れた美少女と猫の組み合わせに、アラジンはあからさまに不審そうな目を向けた。
「ぅわ……また変なのが出てきた。」
ぼそり、と呟いた声に、ロッテがピクンと反応する。
かと思うや否や、彼女は腰に両手を当てて、ぷっくりと頬を膨らませてアラジンを睨み挙げる。
「……ちょっと、変なのってどういうことよ? えっ!?」
今にも詰め寄ってきそうなロッテに、少しばかり気圧されながらも、アラジンは自分の顔の前で両手を振った。
「う、ううん、何も言ってないよ! ──っていうか、あの……君、誰?」
お約束とも言える問いかけをすれば、ロッテは胸を張って、自慢げな笑みを零しながらキッパリと応える。
「指輪の精の、ロッテよっ! あんたの願いを、一回だけかなえてあげるわっ。」
「さっき、思いっきり魔法使いとか言ってなかったっけ?」
「癖、かなー?」
思わず突っ込めば、てへ、と頬に指を当てて、愛らしく小首を傾げたロッテが、ロッドを振り、ドーン、とアラジンの背中を叩く。
「もー、男が細かいことを気にしないのよっ!」
「ぅわっ! ──ちょ、ロッテ……マジで痛い……っ。」
思い切り良く叩かれて、数歩前に飛び出したアラジンは、背中に感じた衝撃に小さくむせる。
泣きそうな気持ちで、背中に手を当てて唇をへの字にまげてみたが、そこは男の子。
ぐ、と奥歯を噛み締めて我慢すると、アラジンは顔をあげる。
「──あのさ、1個お願いをかなえてくれるって言うことは、手伝ってくれるの?」
「ん、いーわよ。で、何したらいいの?」
くるり、とロッドを振り回して問いかけるロッテに、アラジンは自分たちの前に広がる──吊橋があった場所を指し示す。
「この吊橋をさ、直して欲しいんだけど。」
そう言ってアラジンが示す場所を見て、ロッテは、くり、と小首を傾げる。
「…………………………これ?」
彼と同じように指で指し示してみるが、そこに、吊橋らしきものはない。
ロッドを両手で抱えるようにしながら、暗闇に包まれた谷になった部分を見下ろすが、何も見えない。
ヒュー、と冷えた風が一陣、谷の間を駆け抜けていった。
「うん。頼むよ、ロッテ。」
コクリ、と素直に頷くアラジンに、ロッテは軽く眉を顰める。
「……………………………………。
……つまり、向こうに渡りたいわけだよね?」
「うん。」
ふむ、とロッテは顎に手を当てると、頭を右へ左へと揺らして──そうして、うん、と一つ頷いた。
くるりと肩越しに振り返ると、ロッテはニコリと笑顔を浮かべて、アラジンに自分の隣を指し示した。
「じゃ、始めるから、アラジン、ココに立って。」
「え? ココ?」
不思議そうに顔を歪めたアラジンが、ロッテの隣と、吊橋がかけられるはずの場所を交互に見やる。
それでも、素直に彼はロッテのすぐ隣に立った。
「まさか……吊橋を作るのを手伝え、とか言うんじゃないよな?」
もー、と文句を言いながら隣を見下ろせば、すでにソコにロッテは居なかった。
アレ? と、キョロキョロとあたりを見回せば、自分の立つ位置の数歩後ろに、後ろ向きに進んでいく。
「ロッテ?」
何やってるの? ──と続くはずの言葉は、アラジンの口の中に消えた。
ロッテは、アラジンから十メートルほど離れた場所で立ち止まると、す、と自分の胸の位置でロッドを真横に構えた。
その仕草に、むしょうにイヤな予感を覚えて、アラジンはブルリと体を震わせた。
「いい!? 動いちゃダメよっ!?」
ロッドを握った右手が、ふわん、と光を放ち始めた。
それを認めて、あ、とアラジンは目を見張った。
「って、ロッテ、ロッテっ!? なんか、手から──。」
「────うーむむむむ……っ。」
目を閉じて、集中するロッテの顔に、ますますイヤな予感を覚えて、アラジンは顔の前で両手を振ってみせる。
ロッテの右手の光はますます増し──そして、キィンッ、と音にならない音と共に、頭上に輝く文様が……、
「ロッテー!! なんか、手から旋風の紋章の模様出てないっ!!?」
両頬に手を当てて、アラジンが絶叫する。
そんな彼をロッテは叱責した。
「黙ってっ! 下手したら、アラジンに当たるでしょーっ!」
そう言っている間にも、ロッテの手つきは少し怪しい。
目標がフラリとずれているようにも見えた。
「って、吹き飛ばすつもりか、もしかしてっ!?」
悲鳴のような声をあげて問うアラジンに、ロッテはヒョイと眉をあげて、怪訝そうに答える。
「それ以外に何があるの?」
「何があるのって──俺、さっき、吊橋直してって言わなかったかよ!?」
なのに、なんで吹き飛ぶことになってるんだ!?
意味がわからない、と、続けるアラジンに、ぷく、とロッテは愛らしく頬を膨らませた。
「言ったけど、無理だもん。」
「ムリだもん、じゃなくってっ!」
ブンブンと顔の前で手を激しく振りながら、アラジンが必死で叫ぶが、大丈夫大丈夫と、ロッテは満面の笑みを零す。
そのロッテの足元では、ミナが頬をふくらはぎに摺り寄せて、にゃーん、と甘えるような声をあげていた。
「だから、吊橋を直さなくてもいいように、飛ばすしかないでしょ……っ!」
「飛ばすしか、じゃないだろーっ!?」
ありえないっ! と、アラジンが絶叫するが、ロッテはそれを全く聞き入れず、
「じゃ、いっくよーっ! んー……ぇぇーいっ!!」
紋章を、思いっきり放ってくれた。
──途端、
ひゅー…………どっごんっ!!
アラジンの体が、向こう岸まで吹っ飛んだ。
──挙句、問答無用で水晶の塊に、頭からぶつかる。
「ぐぁっ!」
思い切り良く悲鳴をあげたアラジンの耳元で、ガシャン、と水晶が砕け散る音がする。
思わず、「……うぅ、また地図を書き換えないと……」と、テンプルトン的発想が、アラジンの脳裏をよぎった。
しかし、声に出して呟いていたのは、
「…………に、二度と…………指輪は使わない…………っ!」
──という、あまりにも現実的、かつ寂しい発言であった。
そんなことを、決意も強く呟いたアラジンの──はるか後方では、
「やったーっ! これで1000人目の願い事をかなえたわーっ!
ミナっ! 良かったねっ! これで私達、自由よーっ!!!」
向こう岸に残っていたロッテが、ピョンッと飛び上がって、大喜びで万歳をしていた。
ミナもロッテに倣うように、嬉しそうにピョンピョンとステップを踏んで、彼女の周りを飛び回っている。
今にも踊りだしそうな勢いで、クルクルと回ったロッテを、アラジンはひっくり返ったままの体勢で、憎憎しげに顔をゆがめた。
「ろ……ロッテ……。」
小さく呻くように呟いたアラジンの声は、ガケの向こう側のロッテには全く届かない。
ロッテは嬉しそうにミナを抱えあげると、
「さぁっ! そうと決まったら、さっそく久し振りの散歩にレッツゴー!」
おーっ! と、片手を挙げて宣言する。
そんなロッテの腕の中で、ミナも、にゃー、と答えるように鳴いた。
そのまま、ロッテはアラジンに見向きもせずに、ルンルンとスキップしながら、アラジンが歩いてきた道を戻っていく。
「綺麗な水晶を眺めながらの、おっさんぽおっさんぽ、楽しいな〜♪」
ロッテの跳ねる背中と楽しそうな歌声が、だんだんと遠ざかっていくのを見ながら、アラジンは、くそっ、と小さく舌打ちした。
そして、両腕を地面についてゆっくりと体を起き上がらせると──、
がら……ごんっ!
「あたっ!!」
アラジンがぶつかったせいで、不安定に崩れていた水晶の欠片が、見事にアラジンの腹にのめりこんだ。
思わず腹を抱えて、げほげほと咳き込みながら体を横たえたアラジンは、そのまま、はぁぁ、と溜息を零す。
「…………ロッテのヤツ……後で覚えてろよ…………っ、猫だって食用だってこと、教えてやる…………っ!」
ブツブツと怒りの文句を零しながら──結構真剣に目つきを据わらせつつ、アラジンは腹の上に乗っていた水晶を放り投げて、ゆっくりと体を起こした。
なんだか痣が出来たような気がしながら、その腹を撫でながら体を起こす。
ガケのほうを振り返れば、すでにもうロッテの姿はなかった。
苦虫を噛み潰したような顔になりつつ──はぁ、とアラジンは溜息を零すと、
「──でもまぁ、一応、無事に橋は渡れたよな──────………………帰りどうしよー……………………。」
こりこり、と頬を掻きながら──アラジンは、ドッ、と疲れたように肩を落とす。
「もー……妙にリアルに設定しすぎるんだよ。……腹痛ぇし。」
ブツブツと呟きながら腹をさすりつつ、アラジンはヨタヨタと歩き始める。
とにかく、最終目的地はすぐソコだ。
そこに進んで……そこでまた考えよう。
「何か、ロープになるようなものがあったら、いいんだけどな。」
ないだろうなー、と思いつつ、アラジンはその先へ──シークの谷の頂上とも言うべき場所へと、足を向けた。
角を右に曲がったところで、ふとアラジンは足を止めた。
そこは、美しい水晶が群れを成して輝く、幻想的な空間のはず、だったのだが。
「──……何だよ、これ?」
ガケというガケに群生する水晶の前には、どっさりと、金銀財宝が積まれていた。
水晶が乱反射する光を浴びて、それらは豪奢にけばけばしく輝いていた。
せっかくの幻想的な光景が、随分と半減した気がする。
「これ、本物かな?」
何気なしに拾い上げたのは、紅色の宝玉だ。
原石も磨き上げられた物も、関係なしに積まれている。
「──って、封印球もあるじゃん! あっ、こっちは花瓶! 花鳥風月とかも、無造作においてあるし!!」
思わずその場にしゃがみこんで、何を考えているのかわからない雑多な……物置? を、アラジンはあさった。
どうやら、「いろんな金銀財宝が積まれていました」風に飾りたててみたらしい。
──というか、アレだよ、アレ。
とにかく、皆が「これが宝物だろっ」って思うようなのを集めたに違いない、という状況になっている。
アラジンからしてみたら、ただのガラクタボックスだ。──本気で。
「……これ、からくりボックス? っていうかコレ、剣? ……ぅーわー、なんでかオデッサ++も混じってるよ……フリックさん、無理矢理取り上げられたんだ……。」
あーあ、と呟きを零しつつ、アラジンはゆっくりと立ち上がった。
後ろ頭を掻きながら、
「とにかく、ここが目的地なのは確かそうだ。
えーっと……、ってことは、この先に団長がいる、……ってことか。」
ふと思い出した使命に、アラジンはキリリと表情を固めた。
そうだ──この先に、あの伝説の「竜洞騎士団の団長」がいるのだ。
その昔、この空は騎士団のもの、と言わしめたほどに、鮮やかに軽やかに空を舞って見せたと言われ、その能力ゆえに、独立した存在として認められたという。
先ほどの、ガラクタ部屋としか思えない宝場所(?)で、一気に抜けていた気が、再びピンと張り詰めた。
ドキドキと、胸が高鳴り始める。
この先に──竜の王とも呼ばれる、竜洞騎士団の主が。
「ぅわっ、どうしよ、なんか物凄くドキドキしてきた……。
ブラック、どうか俺に力を貸してくれっ。」
ギュ、と胸の前で手を握り締めて、よし、と決意も新たに、アラジンは足を進めた。
今にも、ガクガクと膝が震えだしそうな気持ちを覚えながら、アラジンは目的地へ──月見草が生えていたガケの上へと出て行く。
とたん、左右を狭めていた壁がなくなり、美しい青空が広がる、見晴らしの良い場所に出た。
辺りが一気に明るくなったような感覚を覚えて、アラジンはその場にたたらを踏み、目を細めて先を見据える。
──けれど、そこには、何もなかった。
美しい山々の峰は見える。
その頭上に広がる、目が醒めるような蒼と水色のグラデーションをかもし出す青空も。
でも、それだけ。
「……団長なんて、いないじゃないか。」
ぼんやりと呟きながら、アラジンは数歩歩む。
一瞬、脳裏に、「普通なら、こういうタイミングでモンスターとかが飛び出してきたり、中ボスが飛び出てきたりするんだけど──」と思ったりして、あたりをキョロキョロと見回してみたりもした。
──が、しかし。
どれだけ見回しても、何も出てくることはなかった。
代わりにアラジンは、ぽつん、と捨て置かれた物があるのに気づいた。
「あれ……これって……?」
それは古びた──ランプだった。
鈍い色を放つそれは、埃にまみれている。
あまりに古く、小汚く、とてもではないが骨董品の値打ちも見当たらない、そんなランプだった。
「なんでこんなところに、ランプが……?」
拾い上げて、アラジンは首を傾げる。
「これも、さっきと同じように、誰かの宝物ってわけかな? ──にしちゃ、汚れてるよなぁ。」
埃だらけだ、と呟いて、アラジンは袖口でゴシゴシとランプを擦ってみた。
そして手を離してみるが、ランプについた埃はあまりに古いのか、多少のからぶき程度では取れないようだった。
「んー……微妙。洗剤か何かで洗わないと、取れないんじゃないかな?」
セーラさんに頼んだら、せめてランプとして使用できるくらいには、綺麗にしてもらえるかなー、と。
アラジンが暢気にそんなことを思った、その時だった。
ボフッ、と、小さな音がした。
かと思うや否や、ランプの口から、もくもくと煙が出てくるではないか!
「えっ、わっ、な、なにコレっ!? 煙っ!? 火事っ!? 放火っ!?」
慌ててランプを放り出しかけたアラジンは、すぐにその煙がおかしいことに気づいて、しっかりと取っ手を掴み直す。
「ていうか、このランプ……、火なんて一つも出ていないじゃないか。」
本来、オイルランプは、この水差しのような口の部分から火を灯す芯を出して、そこに火をつける物だ。
煙が出るなら、その火の上から出るわけであって、もし内部のオイルに発火していたのだとしても、油を入れるための蓋が、しっかりと閉まっている状態なのだから、解放されている口の部分から火が出るはずだ。
それが出ず、煙だけが出ている、──ということは。
「ちょ……これ、どう考えても……げほげほっ!
な……中にイグサか何かが、入ってるんじゃ……げほっ!」
まともに煙を吸い込んで、アラジンは激しく咳き込む。
苦しくて、苦しくて──目の端から涙がこぼれ出た、まさにその瞬間。
『私を呼び出したのは、おまえか…………?』
声、が。
頭上から降ってきた。
「──……はぇ?」
まさか、何もなかった空間から声が降ってくるなんて思いも寄らなくて、アラジンは、パチパチと目を瞬いた。
右を見て、左を見るが、やはり何の姿もない。
けれど──ふと見下ろした自分の足元の影に、もう一つ、影が重なっているのに気づく。
それは──アラジンが手にしたランプから、伸びていた。
ハ、と顔をあげるのと、
『私の眠りを妨げたのは、少年……君なのか……?』
その「影」が、静かな声で問いかけるのとが、ほぼ同時。
見上げたアラジンは、ちょうどその「ひと」が、声を発する瞬間を見た。
「────────……………………っ!!!」
シークの谷に吹く風に揺れる、くすんだ銀色の髪。
やつれたようにこけた頬が、どこか疲れたような色を含んでいた。
そうでありながら、まっすぐにアラジンを見下ろす双眸は、深い色を宿し──驚愕に見開く彼の顔を、心の奥底まで見透かすように見つめていた。
思わず言葉を失い、絶句するアラジンの前で、突如として現れた男は、ゆっくりと地面に足をつける。
すとん、と降り立った彼は、アラジンが喉をのけぞらせて見上げなくてはいけないくらいに、背が高かった。
呆然と見上げるアラジンを見下ろし、ふ、と男は笑みを零す。
『私は、このランプの中で眠りし者。』
言いながら指で示す先には、アラジンの手に握られたままのランプがあった。
つられるように見下ろした先には、古びたままのランプ──ただし、その細い口からは、大量の煙ではなく、糸のように細い煙が流れているだけだった。
手の平よりも少し大きいくらいのランプと、目の前に立つ男とを見比べ、アラジンは当惑したような表情になる。
この、ランプの中で……眠っていた、と?
こんな──小さいランプの中に?
────中に入っていたのは、イグサじゃなくって、男の人だったのか……。え、ってことは、この男の人が燃えて、煙が出てたってこと???
混乱した挙句、妙なことを頭の中で思ってしまったアラジンに、まるでそれを見透かしていたかのように男は苦笑を浮かべると、視線を空へとあげた。
雲ひとつない晴天の空を見上げ──それから、彼はゆっくりと視線を下げると、眼下に広がる光景を見下ろす。
そこに広がる──果てのない光景は、この竜洞騎士団の領地の一部であった。
『ここから見る景色は、あの時と何ら変化がないように思える。
──いかほどの月日が流れたのか、、私にはわからない。』
フルリと頭を振り、男は声にならない絶望のような吐息を零すと、それを振り払うように1度目を閉じて──それから、アラジンを振り返った。
ランプを抱いたまま、呆然と立ち尽くすアラジンは、見た目の年よりもずっと幼く見えた。
その──小さないといけない年頃の子供を見下ろし、あぁ、と、男は切なげに目を細める。
この子が、今回の主なのか、と。
『月日がどれほど流れようとも──、一目見れば分かる。
君は──私の民…………竜洞騎士団の民だな?』
「わたしの……たみ…………。」
問いかければ、アラジンは震える声でその言葉を繰り返す。
そうすれば、彼が発した言葉が胸の中に沈みこんでいくようであった。
私の民。竜洞騎士団の民。
その言葉の示す言葉は──……。
気づいた途端、アラジンは叫んでいた。
「竜洞騎士団の…………だん、ちょう…………っ!?」
零れそうなほど大きく双眸を見開けば、男は、苦い表情で小さく笑みを零した。
『そう──呼ばれていたこともある……。』
その言葉は、酷く苦く──過去に何があったのか、聞くのを憚られる雰囲気に満ちていた。
アラジンが知る竜洞騎士団の伝承は、どれもこれも鮮やかで、華やかで──竜洞騎士団の民ならば、誰もがあこがれ、誰もが誇りに思う。
しかし、どの国のもある「繁栄の終わりのとき」の理由は、この竜洞騎士団の伝承の中には無かった。
そのことに、アラジンは今始めて気づいた。
竜達が今この世界に居ないのは、竜が故郷である鱗と翼の世界に帰っていったためだ、──とされていたが、その理由も、それからの竜のパートナーたる騎士たちの行方も、何も知らないのだということに。
──そう言えば、どうして竜達はあの洞の中で眠りにつき……ミリアもともに眠りについていたのだろうか。
『君がココに来たということは、竜を目覚めさせたということか……。』
「い、いえっ、あの……俺、その、ミリアさんにココまで運ばれて──団長を目覚めさせるのかって言われて…………っ。」
慌ててアラジンは、今までに起きたことを早口で語り始め──ながら、自分がそう言えば、何をしようとしていたのか……何をしなくてはいけなかったのか、すっかり忘れていたことに気づいた。
そうだ──俺の本当の目的は、ユーゴさんだっ!
確か、竜の父に会い、ユーゴさんにかけられた呪いを解いてもらうように、願い出るつもりだったんだ!
色々あって……ありすぎて、すっかり忘れかけていた。
竜の父、というのが何を指すのか最初は分からなかったが、きっと間違いない。
自分の目の前に居る人が、本当に竜洞騎士団の団長であるなら──「竜の父」というのは、この人のことに違いない。
「で、あの………………っ。」
本題に入らなくては、と、焦ってアラジンが口を開いた……まさにその瞬間であった。
ふ、と、男が視線をアラジンの上に落とす。
その双眸には、優しげな──滲み出る慈愛の色があふれ出ていた。
あまりに優しく……そうして哀しげな色に、アラジンは飛び出しかけていた言葉が、自分の喉の奥に引っ込むのを覚える。
そんなアラジンに、一瞬、男は哀れみのような視線を向けたが、すぐにそれを掻き消し、ごく自然に、こう言った。
『そうか……ミリアが君を選んだと────。
なら、共に行こう。』
「──へ?」
あまりに自然に言われたため、アラジンは何を言われたのか分からなかった。
キョトン、と目を瞬き、見上げるアラジンに、男は更に言葉を紡ぐ。
『私の名はヨシュア……このランプに宿る、今はしがないランプの精だ。』
しがない、という言葉が、これほど似合わない男も居ないだろう。
そう思いながら、アラジンは無気力に、はぁ、と頷く。
ヨシュアと名乗ったランプの精は、アラジンが手に持ち続けているランプの上に、そ、と己の片手を置くと、
『──私の眠りを起こした者には、3つの願いをかなえることが出来る。
好きな時にランプを擦るがいい。
私はその時に現れ、おまえの望みを聞くだろう……。』
「3、つの……願い?」
ぼんやりと繰り返して、動かない頭の片隅で、「それなら、ユーゴさんの呪いとやらも、願いでといてもらえるかもしれない」と思った。
なら、残り2つは、どうしよう……やっぱり、竜が欲しいと願うべきだろうか。いや、それとも、母と共に、元の家で暮らしたいと願うべきだろうか。
グルグルと、頭の中で、俗世の願い事が頭を回る。
突然振って涌いた話に、アラジンの頭の中は、いっぱいいっぱいだ。
目を白黒させるアラジンに、ふ、とヨシュアは笑みを零すと、
『少年、名は?』
少し身をかがめて、そう問いかける。
低い心地よい声に、アラジンは思わず返していた。
「あ、アラジン……。」
『……良い名だ。』
ニコリ、と、間近で微笑まれたかと思うや否や──ひゅぅん、と、風をきる音がして、ヨシュアの姿が煙にまみれた。
あ、と思う間もなく、煙は細くなり、ランプの中に見る見るうちに吸い込まれていった。
感嘆の息を漏らす暇すらなかった。
ほんの一瞬の間に、辺りは元のように──アラジンがランプを擦る前のように、青空と見晴らしの良い景色だけが残った。
見回してみても、煙の残骸一つすらない。
「────…………ぅわ…………うわー……うーわー…………。」
アラジンは、目を瞬いて──そして、あたりをグルリと見回して。
それから、自分の手にしっかりと握られたランプを見下ろして、興奮のあまりわめきだしたくなる気持ちを必死に抑える。
なんだか良くわからないし、何が起きているのかすら、良く理解できなかったけれども。
とにかく、自分の常識を覆す出来事が起きているということだけは、良くわかった。
「──……スゴイ……スゴイや……っ。」
このランプの中に、どういう理由でかはわからないが、竜洞騎士団の団長が閉じ込められているのだと思ったら──この古びた感じが、物凄く高価なアンティークっぽく見えて仕方が無かった。
恭しく自分の目の高さに掲げて、アラジンは誇らしげな気持ちでそれを見つめると、よし、と呟いて、それを大事そうに胸元に抱え込んだ。
窓から外を眺めていた姫は、ふ、と視線を揺らして──億劫そうな仕草で、つい、と視線を南方へと向けた。
微かに柳眉を顰めてから……あぁ、と、溜息にも似た吐息を零す。
桃色の唇から零れ出た甘い吐息を空中に溶かして、姫は双眸を細める。
「ランプの封印も解けたか……、これが、吉と出るか、凶と出るのか。」
この自治区を救うことになるのか、それとも──滅ぼすことになるのか。
これが、一体、何度目の「目覚め」になるのかは分からないけれど。
今度こそ、あの団長にとって、いい方向に進むのだろうか?
それとも。
またいつものように、そのすべての力を使って、この世界を守るために、再びランプの中で眠りに付くことになるのだろうか?
「……僕としては──面倒だから、君がすべてから解放されて……この世界が滅ぶほうが、とても楽なんだけどね。」
そのことこそを、あの団長が望んでいないと分かっていながらも──姫は、不穏なことを口にして、ふ、と美しい笑みを口元に刻み込むと……。
無造作に窓枠に手をかけて、ひらり、と──その華奢な体を、空へと躍らせた。
──運命が動き出したというのなら。
それを動かした事実を見極めるのが、大事。
さて。
今度は、世界はどう変わるのだろうね? ──ランプの魔神殿?
NEXT
天魁星さまへ
前編から、ずいぶんお待たせしました;
お待たせしているのに、まだ中編とは……_| ̄|○i|||i
次は後編ですね……が、がんばります。
っていうか、本当に後編で話は終わるのでしょうか……(T_T)
ようやくランプの精が出てきたところですよ;
竜の背の上から見下ろした空間は、まるで別世界のようだった。
息もつけないくらいの激しい風の中、目の前で手綱を扱うミリアにしがみつきながら──その背中のこちら側で、必死に開いた目に映ったのは、果てしなくどこまでも続く青い空と白い雲。
そして、風に乗って広がる竜の羽根の向こうにチラリと見え隠れする、遠い城下町の光景。
「ぅわぁ……、すごい……。」
唖然と呟いて、ただその光景に見入るアラジンに向けて、
「そろそろ低空飛行に入る。しっかりとつかまっていろ。」
背中越しに、ミリアが大きな声で叫んだ。
え、もう? と驚いたように顔を跳ね上げたとたん、キュゥン、と竜の頭が方向を変えた。
とたん、今まで受けていた方向とは違う側から風が吹いてきて、慌ててアラジンはミリアの腰にしがみつく手に力を込めた。
ただしがみついていれば済んだはずの体が、右へ左へと揺れはじめたのに気づいて、竜の背につかまっている足にも力を込めれば、体が自然と前のめりになった。
その体勢で、チラリと視線を横に流せば、後方へと素早く流れていく景色が視界に飛び込んできた。
その中に──不意にキラリと光る物が見えた。
あれは、と顔をあげた瞬間、激しい風がアラジンの頬を打った。
顔を顰めながら──それでも必死で見据えたはるか下方に、それは美しい景色が広がっていた。
瞬きをするのすらもったいなくて、キラキラと乱反射している空間を、アラジンはただ唖然と見つめた。
頬を切る風の冷たさも、打ちつける痛みにも似た風の強さも──、何もかも、ひどく遠くて。
ただ、目の前に広がる光景を見つめた。
虹色に輝く水晶が綺麗で──あでやかで。
空間に幾重にも重なる虹を見つめながら、間近に迫ってくる水晶に、アラジンは息を詰めた。
山を一つ越えるだけで、これほど美しい光景が広がっているなんて──思いもよらなかった。
「な、んて……。」
美しい、光景。
息を呑み、言葉さえも失って。
アラジンは、自分が夢か幻を見ているのかと──そう思うくらいだった。