その日は、何の変哲もない、ごくごく普通の一日だった。
 少し前までは、サイアリーズと一緒に取っていたティータイムに、ハスワールが付き合ってくれた。
 いつもと違ったことといえば、それくらいのもの。
 他は、本当に何の変哲もない一日だったのだ。



 ──ミアキスと会うまでは。



 

ぁーすとんぷれっしょん

*王子が後天性女体化するお話です。苦手な方はバックプリーズ*









「王子〜♪」
 今にもスキップを踏みそうなテンションで、ミアキスが少し離れたところから、ブンブンと手を振って呼びかけたきた。
 それを見た瞬間から、イヤな予感はしていたのだ。

──そう、なんと言うか、本能がキケンを訴えたと言うか。

「……ミアキス。」
 ルンルン♪ と、音符を撒き散らしながら近づいてきたミアキスが、目の前で足を止めて、下から覗き込むように笑いかけてくる。
 その、無邪気にしか見えない微笑が、どれほど無邪気でないのかは──兄妹揃って、良く、分かっていた。
 そんなリディクの横で、リオンが小首を傾げながらミアキスに問いかける。
「ミアキスさま、すごくご機嫌がよさそうですけど、何かあったんですか?」
「んふふ〜、そーなのよぅ、リオンちゃん〜♪
 すんっっごく、いいことがあったのぉ〜♪」
 るんるんるん♪ と、今にも背中から羽根が生えて飛んでいきそうに見えるほど浮かれた様子で、ミアキスは満面の笑みを零す。
 その、笑み崩れる音が聞こえてきそうな笑顔に、背筋を駆け抜ける悪寒を覚えずにはいられなかった。
 本能でジリリと後ず去った王子に、彼女は笑顔のまま視線を向けると──フイに、獲物を捕らえた猫のような目つきで、上から下まで、じっくり、王子の姿を見つめた。
 サラサラと触り心地のよさそうな銀色の髪に、まだあどけなさを残した……けれど確実に凛々しさを増した、母親そっくりの美貌。
 いつもは少年らしさを表現する引き締まった口元は、今は少しだけ開かれ、ふっくらとした唇を強調しているようだった。
「んー……エキゾチックなのも似合いそうだけど〜、やっぱり、お姫様風かなぁ……ふふふふふ。」
 無遠慮に上から下まで眺めた後──今にも舌なめずりしそうな勢いで、小さく……小さく囁かれた言葉に。
 ゾクゾクゾクゾクッ、と、寒気が駆け上がった。
「…………ミアキス、様??」
 思わず両手で自分の体を抱き締めた王子の隣で、リオンがただ一人、理解できないような表情で、クリ、と愛らしく首を傾げる。
 パチパチと双眸を瞬かせるリオンに、ミアキスは含みを持った笑みを浮かべたまま──。
「んふふ〜、リオンちゃん〜?
 実はねぇ〜、とぉってもおいしいジュースをね〜、見つけたのよぅ〜。」
──やばい、これは何かがある……!
 危険本能が宿っている人間になら、誰でも感知できそうな怪しい含みのある言い方に、さらにリディクは後方に下がった。
 リオンもまた、あまりに怪しいオーラを出すミアキスに感づいて、そんな王子を背後に庇うように少し前に進み出て、キリリと眉を引き絞った。
「ミアキスさま。何か、企んでいらっしゃいますね?」
 下から見上げるように、キッ、と睨みつければ、ミアキスは怪しく光っていた目を、す、と押し込めて──驚いたように両目を見開いた。
「企むぅ〜? そんなこと、しませんよぅ〜。
 大切な大切な王子にぃ、なにを企むって言うのかなぁ〜、もぅ、リオンちゃんったら、う・た・が・い・す・ぎ。」
 つぅーん、なんて、わざとらしい仕草でリオンの額を指で突付いて、ふふふふ、と笑う。
 今度の笑みには、怪しい含みは一切ない──ように見えたけれど。
 リオンはそれでも疑いの目を消さず、じっとりとミアキスを睨みつけた。
 自分よりも少し年上の女性は、若いとは言え、「女王騎士」の1人だ。
 女王騎士に求められるのは、忠誠と技と力だけではない。駆け引きごともまた、得意でなくてはいけないのだ。
 そういう駆け引きとは縁がなさそうに見えるアレニアたちとて、見事に野心を隠し通していた。
 だから、目の前に立つミアキスにも油断は禁物だ。
 何を隠していないように見えて、絶対隠している……というか、何も隠してないように見えないことすらも罠かもしれない。
 気を引き締めて──私だって女王騎士見習いなのだから、こういう駆け引きに勝てるようにならないと、と。
 ミアキスから、何を狙っているのか情報を引き出すようにしないと、と、気合いを入れて、ミアキスに立ち向かう。
 その鋭くも強い意志が宿る視線を認めて、ミアキスは、困ったように口元に指を押し当てて、んー? と、小首を傾げる。
「リオンちゃんに邪魔をされるとぉ、上手くいかないと思うからぁ〜。
 んー……それじゃ、リオンちゃんにだけ、特別に、教えちゃう〜。」
 そして、ニッコリ、と。
 これ以上ないくらいに無邪気を装った笑顔を貼り付けると、ちょいちょい、と指先でリオンを手招く。
 リオンはそれに警戒心も露わにギロリと睨みつけるが──睨みつけた先のミアキスから、漏れでる楽しそうな気配と、嬉しそうな雰囲気に、警戒心の棘も、ほろりと溶けてしまうのを感じた。
 正直な話、ミアキスがここに来てから……彼女がここまで嬉しそうにしているのを、見たことがなかったのだ。
 ソルファレナに居た頃のように飄々としてはいたけれど──幼馴染と再会できたことから、少しは元気になったようにも感じてはいたけど──それでも、王女の側に居たときに比べたら、全然元気ではなかった。
 リオンやリディクの目から見たら、ミアキスはいつも心の底に何かを沈ませているようにしか見えなかった。
 それが、今はどうだろう?
 何があったのかと思うくらいに、生き生きと輝いている。
 姫様を苛めて遊んでいるときのように、内側から輝いているのだ。
「……特別に、ですか。」
 リオンが口にした声は、まだ固い。
 それでも、視線からも棘が抜けていた。
 ミアキスをココまで元気にした原因が、知りたかったのも本当だ。
 もしかしたら……とんでもないことではなくて、姫様奪還に関する、いい情報かもしれないのだ。
 リオンの心が傾いてきたのを見て取って、ミアキスはさらに上機嫌に笑う。
「うん、そう〜、それを聞いてから、私に協力するかぁ〜、考えてみて〜?」
 リオンが首を傾げた方向と同じ方向に首を傾げて──ね? と、ダメ押しするように笑って、聞いて聞いて、と手招きをする。
 リオンはそんな彼女に、それでも一瞬ためらったが──すぐに、キュ、と下唇を噛み締めて、リディクを肩越しに振り返り、コクンと頷いてから、ミアキスに向けて踏み出した。
 ミアキスは、満面の笑みを浮かべながら、リオンにもう少し近づくように手招きを続ける。
 そんな彼女に、少し遅れ腰になりながらも、リオンはジリジリと近づき──、
「ささ、リオンちゃん、耳貸して〜。」
 こそこそ話をするように、口元に手を当てるミアキスに、リオンは少しだけ鼻白んだ後、背中に感じる不安そうなリディクの視線を受けて、覚悟を決めたように、ごくん、と大きく喉を鳴らした。
 もし、ミアキスが一瞬でもおかしなことを囁こうものなら、即座にリディクに逃げるようにと叫びながら、彼女を捕獲するつもりだった。
 ──けれど、ニンマリと笑うミアキスに、あまり近づきたくないのも本音で。
 なんとなく足を後ろに、体だけを前に出すような形で、おそるおそる顔をミアキスに近づける。
 少し怯えの宿るリオンに、待ってましたとばかりに、嬉々としてミアキスは彼女の耳元に唇を近づけた。
「んふふ〜、実はねぇ〜。ハスワールさまがぁ〜、エルフさんからぁ〜、とぉっても素敵なものを、いただいてくれたんですぅぅ〜♪」
「は……ハスワールさまがっ?」
 まさかココでその名前が出てくるとは思っても見なかったリオンは、驚いたように目を見張った。
「しかもエルフって言うことは……もしかして、イサトさんが……?」
 ハスワールのことをこの上もなく敬愛している──一部の女性からは、「種族を超えた愛よねぇ〜」と囁かれているが、実際にそこにそういう形の愛があるかどうかは、分からない──、綺麗な後頭部のエルフの男性が関わっているとなれば、話はまるで違ってくる。
 あの堅物を絵に描いたようなイサトが、ミアキスのイタズラに乗るはずがないのだ。
 ということは──実は、ミアキスさまが浮かれすぎてるだけで、本当は、警戒することではないのだろうか?
 ハスワールとイサトという名前が出てきただけで、リオンは肩から力が抜けていくのを感じた。
 もし、ミアキスが、全身全霊を持って王子にイタズラをしようとしているのだとしたら、こちらも全身全霊を持って阻止しなくてはと思っていたが……、その心配は、なさそうなのだ。
「そうなのぉ〜。最近、ハスワールさまがぁ、元気がないのを見てぇ、元気になるようにって、調合してくれたらしいのねぇ〜。」
「は、調合、ですか?」
 眉を寄せていぶかしげに問いかける、まっすぐなリオンの双眸を覗き込んで、ミアキスは漏れでる微笑を堪えることなく、うんうん、と頷いた。
 そして、疑いの目が随分和らいだリオンの両肩を、ぽん、と叩くと。
「あのね、リオンちゃん?
 私がぁ、姫様に会えなくって、とってもさみし〜い思いをしてるのを〜、ハスワールさまは、よぉっくご存知でいらっしゃるのよぅ。」
「はい、それは、重々承知しております。」
「それでね、ハスワールさまもね〜? 姫様や、陛下にお会いできないままだって言うのがぁ、とっても、淋しかったらしいのよぅ〜。」
「あ……はい。」
 リオンの話と、イサクからもらったという「何か」の話が、どこでどう繋がるのか分からなくて、内心首をかしげながら、リオンは慎重に相槌を打ってみた。
 ミアキスは、リオンの顔を覗きこんで、にこにこにこ、と笑顔を零したまま、
「それでね〜、ハスワールさまもぉ〜、せめて一目でも見てぇ、ギュ、って出来たら、気持ちがまぎれるのにぃ〜、って思ってたらしいのね〜。」
「あ、は、はい。」
 つまり、ハスワールもミアキスも、姫様に会えなくて淋しいと……そういうことなのだろうか?
 リオンは内心で首を傾げ続けながら、神妙な仕草で頷いた。
 姫様に会えなくて淋しいのは、何もハスワールとミアキスだけではない。自分が背後に庇っている、こちらを心配そうに見ている王子だってそうだ。
 ──さらに言うならば、今はもうココには居ないサイアリーズさまとの別離も、それぞれの心に傷を与えていることも、本当だ。
「え、えーっと……つまり、イサクさんがくれたって言うのは、その──そういう淋しさを、紛らわせるための、何か、……ということでしょうか?」
 遠まわしなミアキスの言葉を、頭の中で並び替えて──そういうことなんですよね? と、確認の為に上目遣いに問いかけた瞬間……、ミアキスは、的を得たと言わんばかりに、にっこり、と笑った。
 その笑顔が、まるで引っかかった獲物を見る肉食動物のようで──思わずリオンは、ゾクンッと体を震わせた。
 本能が訴えるままに、とっさに体を捻って逃げようとした体は、けれど、ミアキスに肩を掴まれているために動けない。
 しまった、と思ったのが一瞬。
 ミアキスは、艶すら感じさせる表情を目元に浮かべて、そ、とリオンの耳元に唇を近づけると、耳朶を震わせるほど間近で、甘い誘惑の言葉を囁く。
「……ね、リオンちゃん? リオンちゃんだって、一目でいいから、姫様のお元気な笑顔とか……、もう一度だけでいいから、陛下のお姿とか……見て見たいわよねぇ?」
「え、え、え……、と。」
「私はぁ、姫様と離れて、まだほんの少しだけど……リオンちゃんと王子はぁ〜、もう、随分経ってるものねぇ?
 ハスワールさまなんて、もう、それ以上だもの〜。やっぱり、淋しいのよねぇ……。」
「そ、それは、確かに、その……遠目でも、見ることが出来たら、いいとは、思いますけど。」
 悪魔の囁きだと思いながら、耳に吹き込まれる言葉に、ブルリと体を震わせる。
 怯えを宿すリオンを、けれど、決して逃すまいというように、ミアキスは両手に力を込めて引き寄せながら──今にも彼女を抱きこむかのような姿勢から、さらに甘く甘美な誘いを口にする。
「私たちのぉ、この、ささやかな願望を叶えてくれる、すごいお薬なのよぅ〜? リオンちゃんだって、姫様や陛下の笑顔とか、見たいでしょぅ〜?」
「み、見たいです、けど……、で、でもっ! その、お薬って一体なんなんですかっ!? 危険なものとか、そういうのでしたら……っ。」
 ごくん、と喉が鳴るのが、期待のためなのか恐怖のためなのか、リオンにすら分からなかった。
 けど、ミアキスの言葉が、すごい有引力を持っているのだけは、分かる。
 だって──遠くから一目だけでも見れたなら。
 それは、今までずっと、思い続けていたことだからだ。
 リムスレーアの身を案じ、病床につきながら、王子の身を案じ。
 自分の魂が百里を駆け抜けて、その無事を確かめられたらいいと、そう願っていた。
 それが、エルフの秘宝で叶うというのならば、それにこしたことはない。
 リムスレーアの身の安全──サイアリーズが向こうにいる限り、大丈夫だとは思うけれど、それでも、「彼女」が選んだ道の先に何があるのか分からないからこそ、不安は尽きない。
 どうしてサイアリーズがあの道を選んだのかも、何も分からない今は……もし、見る事が叶うのならば、と。
 すがるような気持ちで、ミアキスの言葉を鵜呑みにしたくなってしまう。
 けれど、まだ鵜呑みにしてはいけないと、必死に心にブレーキをかけて、ギュゥ、と胸の前で拳を握るリオンの耳朶を、そ、と食むような優しさで。
 ミアキスは、悪魔の笑顔で甘美な毒を注ぎ込む。
「危険なんかじゃないよぅ〜? そうだったら、ハスワールさまがくれるはずないでしょぅ〜?」
「……そ、……そう、です、よね。
 あの──それじゃ、その、クスリ? ですか? それを使えば……姫様やサイアリーズさまの様子が分かると……そういうことなのでしょうか?」
 魂となって千里をかけるというのか。
 それともゼラセのように、そこに居るだけで遠くを見ることすらできるようになるというのか。
 それとも、昔話やおとぎ話で出てきたように、透明人間になるクスリだというのか。
 はやる気持ちを必死に押し殺して、声を潜めて尋ねるリオンに、ミアキスは、ほんの一瞬さびしそうな笑みを浮かべた後。
「ううん、違うの、リオンちゃん。これはね、リムスレーアさまやサイアリーズさまに、ナイショで会いに行くクスリじゃないのよぅ〜。」
「え、でも、それじゃ……。」
「これはね、私とハスワールさまがぁ、姫様欠乏症とかぁ、陛下欠乏症とかにならないようにぃ〜、偽者でもめでて我慢してくださいって言うために〜、イサクさんが作ってくれた薬なのね〜?」
「………………????」
 顔は淋しそうな笑みを浮かべている。
 リオンが言う言葉を、本当に実行できたら、どれほど素晴らしいかと──ミアキスは心からそう思っているような表情を浮かべている……だと言うのに。
 彼女のその目元にランランと輝くその光の意味は、なんと説明したらいいのだろう?
 両肩を掴む手に込められた力は、どう考えても、「淋しくて……」という言葉では言い表せられない。
「あの……それはつまり、どういう……??」
 困惑して首を傾げるリオンの肩を、がしっ、とつかみなおし、ミアキスは吐息すら触れ合うほど間近に顔を近づけると、
「ねぇ……? リオンちゃん?
 リオンちゃん、王子と一緒に、お風呂とかぁ、入りたくなーいぃ?」
「………………ぇ? …………って………………、え…………えええええええーっ!!!!!?」
 ボッ。
 音がするかと思うほど、一瞬で真っ赤になったリオンは、そのあと慌てて両手で口をふさいだ。
 それでも赤くなった顔は元には戻らず、首筋から耳元まで、見る見るうちに赤く染まっていく。
「な、なな……っ、何言ってるんですか、ミアキスさまっ! なんで突然、そんな話に……っ!
 そ、そそ、それに! お、おおお、王子は、男の方なんですよっ!?」
 この間もそうでしたけど! 一緒にお風呂に入ろうだなんて、誘っちゃ、ダメです!
 ──と。
 赤くなりすぎた挙句、潤んだ瞳で睨みつけてくるリオンの、真っ赤に染まった頬を、楽しそうにつつきながら、
「だぁかぁらぁ〜♪ それならぁ〜♪
 王子が、女の子になっちゃったら、一緒に入れるでしょぅ〜?」
 今にも弾みあがりそうな勢いで、ねー? と、首を大きく傾げてリオンの顔を覗き込んだ。
「……ぇぇ???」
 よく分かってない風のリオンの肩を、くるりと回してしっかりと抱き寄せると、ミアキスはリディクに背を向けて、内緒話をコソコソと続ける。
 背中に、ジットリとしたリディクのいぶかしげな視線が刺さるが、一向に気にしない。
「リオンちゃんだって、本当はぁ〜、王子と裸のお付き合い、したくな〜い?」
「なっ、なっ、何を……っ。」
「だってぇ〜、ほら、護衛は本当はぁ、いつも一緒に居なくちゃいけないのに〜、お風呂とかは別じゃない〜? リオンちゃんは。」
「うっ、そ、それは──でも、だって、仕方がないことですし……。」
 その代わり、いつだって駆けつけられるようにしてますから、と。
 ぐっ、と拳を握るリオンに、ミアキスは目を細めて悪魔の囁きを落とす。
「でもぉ〜、王子が女の子なら……ずっと一緒に、傍で、護衛、できるんだよぅ〜?」
「…………………………、っっ、そ、そんなの、いけませんっ!」
 一瞬、悪魔のささやきに耳を傾けかけたリオンだったが、慌てて誘惑を振り払うように、ブンブンと頭を振ってそれを投げ打った。
 この間まで、寝込んでいたときのふがいなさを思えば、王子の傍でずっとお守りする──という言葉は、本当に悪魔の誘惑に聞こえるほど、魅力的だった。
 でも、それとこれとは別問題だ。
 王子の傍に、できるだけずっとついていて、そして王子をお守りする。
 それは、当たり前のことで、自分が何よりも望んでいることで──、それと、王子が女の子になるなんて言うのは、ぜんぜん、違う問題でっ!
 そう、王子が女の子になるなんていうのは…………っ!
 ……………………っ。
「…………ぇ…………お…………王子が女の子……っ!!!!???」
 はぅっ、と。
 ようやくミアキスの言葉の意味を悟ったリオンは、ビシッ、と背筋を正して、彼女の顔をマジマジと凝視する。
 愕然と見開いた目一杯に、ミアキスのいたずらな笑みを認めて……開きかけた口は、ぱくぱくと、音をなさないまま、閉じる。
「うふふふ〜。エルフの秘薬で〜、1日だけ、男の子を女の子にしちゃう薬をね〜、作ってもらったのぉ〜♪
 それでね♪ コレをね、ジュースとかに混ぜて……ちょちょっと、ね?」
「…………って……なっ、何を考えてるんですか、ミアキスさまっ!!?」
 コレコレ、と、内緒話の続きのように、こっそりと懐から取り出されたガラスの瓶には、紫色の液体が入っていた。
 香水瓶のような流麗なラインを描く美しい瓶に入ったそれは、キラキラと光を反射して輝いて、まるで宝石のように美しい色をしていた。
 ──が。
 キレイだと見とれている場合ではない。
「だってぇ〜、私、姫様に会えない寂しさを、紛らわせたいんだもの〜。」
「ま、紛らわせたいって……っ!」
「王子に、姫様とおんなじ格好してくださいっ、って言っても、全然してくれないし〜。
 なら、女の子にしちゃったら、大きくなった姫様が、王子のコスプレしてるみたいに見えるかなー、って、思ったんですよねぇ〜。」
 肩をはねさせて、何を言うのだと呆れるリオンに、悪びれずにミアキスは飄々と瓶を揺らして笑う。
 最後の一言は、チラリと肩越しに王子を振り返って、彼に向かって片目を瞑ってみせる余裕まで見せて。
「だ、だだ、だからって……っ! 王子を女の子にして……っ、そんな、危険です!!」
 とんでもないっ! ──と。
 ブンブンと頭を振るリオンに、ミアキスは上目遣いに顔を寄せて、唇だけの動きで囁く。
「えぇ〜? リオンちゃんは見たくないのぉ〜? 陛下そっくりの王子のぉ、女の子になった姿!」
「…………っ。」
 ビシ、と、指先で鼻をつつかれて、リオンは顔を後方にのけぞらせながら──視界の隅で、心配そうにこちらを見ているリディクの顔を捉える。
 昔に比べて、ずいぶん精悍になった面差しは、それでもまだ、少年時代の危うさを色濃く残し──今でも、アルシュタートさまにそっくりだと言われる美貌は、男性的というよりも、女性的だ。
 体つきはしなやかで少年らしいけれど、サラサラの銀色の髪と、間近で覗き込めば、ハッとさせられるほどに長く美しい睫とが、それを感じさせない。
 唇だって、男にしては少し厚めで、ぽってりとしていて。運動すると、すぐに赤く火照って……なまめかしく目に映ることだってあるほどだ。
 その王子が、たった一日とは言えど、女の子になどなったら……──。
「──そっ、そそ、そんなの、やっぱり危険ですっ!!
 ダメですっ! 絶対ダメです!!」
 想像するのも怖いとばかりに、ブンブンとリオンは頭を大きく振った。
 だって、想像しなくても分かるではないか。
 あの、人外の美貌と歌われたアルシュタート様と良く似た面差しを持つリディク王子が。
 今でも、たくさんの人に慕われている、心優しい王子が!
 女の子になどなってしまったら!
「ここには、ガヴァヤさんとか、カイルさまとか、ヴィルヘルムさんとか、そういう、危険な人が、たくさんいるんですよ、ミアキスさまっ!?」
 しかも、王子は、自他ともに認める天然だ。
 いつもと同じ気持ちで、ガヴァヤに誘われたからと、宿の一室でティータイムなんてしようものなら……っ!
 ザアアアー、と、リオンは顔色が変わった自分を感じ取って、ブンブンと恐怖を振り払うように頭を振るった。
 そして、自分の肩を抱き寄せているミアキスの手を払い、そのまま彼女の両肩を掴むと、懇願するようにガクガクと揺らす。
「お願いです、ミアキスさまっ! どうか、そのことは諦めてください!」
 とてもじゃないけれど、許可できません……っ! と。
 リオンが必死の表情で懇願するのを見下ろして。
 ミアキスは、あー…………と、なぜか視線を大きく揺らして、天井を見上げていた。
 その、不審極まりない態度に、リオンが、キュ、と不安そうに眉を寄せたところで。
「ゴメン、リオンちゃんv
 実はすでにもう、ハスワールさまが、さっきのティータイムの紅茶に、入れちゃった後なんだよねぇ〜v」
 てへ、と。
 笑えないことを、この上もなく明るい口調で、そう──言い切ってくれた。




 とどのつまり、今の会話はすべて──事後承諾のつもりで進められていたのだと言うことを示す、絶望的なセリフを。




「ッて……ミアキスさまぁぁぁーっ!!!!!?」
 両手を頬に当てて、思わずリオンは絶叫していた。
 驚いたリディクが、どうかした、と駆け寄ってくるのにも気づかず、リオンは腰が抜けたように、その場にへなへなと崩れ落ちる。
 つまり──何か?
 つい、1時間ほど前に、ハスワールが「一緒にお茶、しましょ」と、やってきたところから……すべては始まっていたというのか?
 サイアリーズが行ってしまい、気落ちしているようだったハスワールが、リディクの元で、ゆっくりと話をしたいという気持ちは良く分かっていたので──つい、2人っきりにさせてしまっていたけど。
 アレか。アレが問題だったというのか……。
「……だ、だって今、じゅ、ジュースに混ぜるって……っ!」
 だから、てっきり、まだ何もしてないと──そう思っていたのに……っ。
 ──私、護衛、失格…………。
 がっくりと両肩を落として、リオンは呆然と床を見詰めた。
 そんなリオンのただならない様子に、
「リオン、どうしたんだ?」
 さすがに傍観しているわけには行かないと思ったのだろう。
 リディクが近づいてきて、そ、とリオンの隣に膝をつく。
 いつもなら、そんな王子に、慌てて謝罪をしながら元気を取り繕って起き上がるリオンであったが──今ばかりは、そんな元気もなかった。
 うつろな目で、自分の顔を覗き込む、秀麗な王子の顔を見つめ返して──ジワッ、と、目元に涙を浮かべた。
「王子……すみません……っ、私が……っ、私が油断していたばっかりに──……っ!」
「えっ、何、リオン? どうしたのっ!?」
 ワッ、と、両手で顔を覆って、そのまま膝に顔を伏せてしまったリオンに、慌てて彼女の肩を抱き寄せながら、リディクは目をパチパチと瞬く。
 泣きながら顔を伏せてしまったリオンに、リディクは困惑した表情で、ミアキスに助けを求めるように見上げる。
「……ミアキス、一体、何を話してたんだ?
 女の子がどうとか……言ってたようだけど?」
 リオンが突然泣き出した理由は、ミアキスにあるのは間違いない。
 けれど、それが、一概に「ミアキスのせい」だとは思えなかった。
 会話の内容はまるで聞こえていなかったが──時々、リオンが叫んだ言葉は耳に入ったけれども──、様子を見ている限り、ミアキスがリオンを虐めているようには見えなかった。
 なにやら悪巧みをしていて、危険そうなムードを垂れ流してはいたが、基本的にミアキスは、誰かを泣かせるようなことはしない。
 だから──リオンが泣き出すなんて、一体、何が……?
 困惑を隠しきれないリディクに、えへへへ〜、と、ミアキスは照れたように笑いながら、後頭部をコリコリと掻いた。
「えーっとぉ、なんていっていいのかわからないんですけど〜。
 とりあえず、予定では、そろそろ効果が出るはずなんですよねぇ〜。」
「効果??」
「効果が出ちゃうんですかっ!?」
 何の話? ──と。
 パチパチ目を瞬くリディクの腕の中で、リオンが顔を跳ね上げて、今にも泣き出しそうに眉を強く引き絞った。
「そう〜、それで、私、様子を見に来たところだったんですよぅ〜。
 だから、美味しいジュースっていうのはぁ〜、ただの、こ・う・じ・つv」
 指をトントントンと優雅に躍らせて、クリ、と愛らしく小首を傾げる。
 ジュースを飲みましょうと、王子を誘って、それを飲みながら世間話をして──そうしているうちに、王子に「異変」が起きるかどうかを見定めるつもりだったのだ、と。
 照れたように、あっさりと暴露してくれたミアキスの言葉の内容に。
「──……っ。」
 リオンは、目の前が真っ暗になるような感覚を、必死に堪えるように、胸元に手を当てた。
 待て、落ち着け、リオン。
 ドクバクと鳴る心臓に向かって、何度も何度も繰り返しながら、喉を上下させる。
 自分の肩を心配そうに抱いてくれているリディクの腕は、いつもと同じ腕だ。
 ゲオルグやカイルのように太く大きいわけではないが、女性のものに比べたら、しなやかでしっかりとした、男の腕だ。
 まだ、リディクには、何の効果も出ていない。
 大丈夫だ、大丈夫。
──だって、本当に効果が出るなんて、分からないじゃないか。
 だから、大丈夫……きっと、大丈夫。
 ……そう、何度も呟き、涙をギュッと堪えるように目を閉じた瞬間。
「効果って……、何の効果が?」
 リディクが、不安そうなリオンと、期待に満ちたミアキスの顔とを、交互に見つめながら、呆れたように呟くと、同時。

 ドクンッ……──っ

 リオンに触れていた彼の呼吸が一つ、跳ね上がった。

「──っ?」

 肩が見て分かるほどに揺れ、喉がきしみ、目の前がクラリと揺れる。
 足がふらつき、慌ててその場に肩膝を突いたリディクに、リオンが悲鳴に近い声で叫ぶ。
「王子っ!? 大丈夫ですか、王子っ!?」
 慌ててリディクの肩を支えて覗き込めば、リディクは、苦しさにあえぐように、頬を紅潮させ、双眸をゆがめていた。
 かすかに潤んだ瞳が、妙に扇情的で、ハッ、と目を奪われた。
「王子、もしかして、効果が出てきたんですかぁ〜?」
 ──効果って、だから、何の……っ!?
 そう問いただそうと口を開きかけたリディクは、喉からほとばしるような「何か」に邪魔をされて、ただ、息を吐くことしか出来なかった。
 その吐息が、熱い。
 まるで喉が──胸の奥が、焼けそうに、熱い。
「──……ふっ…………んっ……。」
 零れた息が、鼻にかかり、食いしばった歯の間から、どこか甘い色を宿す吐息が零れた。
「王子!」
 肩を掴むリオンの手の平が、ひどく冷たく感じるほど──体が熱い。
 目の前が歪み、瞳の奥がジンジンと熱くて……熱くて。

 ドクンッ──……っ。

 再び心臓が強く脈打ち、体中がきしむような音を立てる。
 閉じそうになる双眸を、無理やり開いた視界の向こう側で、リオンが泣きそうな顔でミアキスに何か叫んでいるのが見えた。
 けれどその声も聞こえない。
 王子、と呼びかけるリオンの声も、ミアキスの声も届かない。
 キィィン、と、耳鳴りがして、音も何もかもが、遠い。
 かすれる視界の中、手のひらに当てた自分の胸元の感触だけが、妙にくっきりと鮮明に感じた。
 ただ、息苦しくて、胸が締め付けられて──そして、体中が沸騰するかと思うほどに、熱い。

「王子! しっかりしてください、王子!!」
「王子っ! もしかして、いっちゃいますか? そのまま、いっちゃいますかっ!?」

 泣きそうなリオンの声と、期待を大きく孕んだミアキスの声とに包まれながら──リディクは、再び大きく脈打つ心臓の衝撃に、耐え切れずに意識を手放した。
 突然起きた【発作】が、何のせいで起きたのか、まるで理解しないまま──────意識は、暗闇の中へと落ちて。





みしり、と。






 体が組み替えられた音を、どこか遠くで、聞いたような気がした。








2 へ続く


ちょこっと改定しました(7/20)


プロローグ編です。

これからドンと総受け風味になる予定。
2からは、バッチリ王子女体ですので、ご注意v(笑) むしろ待っていた……(大笑)