*王子が後天性女体化するお話です。苦手な方はバックプリーズ*
「リディクちゃんっ!!!」
バンッ、と。
セレスティア城のリディクの私室のドアを、いつになく乱暴に開けた主は、後ろ手にドアを閉めることすら忘れて、そのまま部屋の中に飛び込んできた。
サラサラと揺れる銀色の髪を後ろに大きくなびかせ、ハスワールはベッドサイドに佇むミアキスとリオンの数歩手前で足を止めた。
「ミアキスちゃん、リオンちゃん、リディクちゃんが……リディクちゃんが倒れたって聞いたんだけど……。」
いつも白い頬を上気させて、どこか幼さを思わせる仕草で首を傾けるハスワールの頬に、汗が滲んだ乱れ髪が落ちる。
彼女はそれに構わず、そ、と胸の前で両手を組み、上気した頬を更に赤く火照らせてると、キラキラした表情のミアキスと、どこかうつろな目をしたリオンを交互に見つめて──、
「あのお薬、成功したのね……っ!?」
キラキラキラとお星様を幾つも瞳に宿らせて、嬉々とした表情で、そんなことを叫んでくれた。
「見せて、見せてっ! リディクちゃんの女の子になった姿〜!」
キャッv と。
自分が何をしでかしたのか、ことの重要性を理解しているのかしていないのか──おそらくは、理解しているくせに、しでかしたことに対する興味のほうが買っていると思われる──、ハスワールは、歓喜を隠そうともせずに、いそいそとリディクのベッドサイドに近づいた。
そして、そ、と息を詰めて、すやすやと寝息を立てて眠るリディクを覗きこんだ瞬間……。
「き……きゃぁぁぁぁぁぁvvvvv」
両頬に両手を当てて、甲高い歓喜の悲鳴をあげた。
「なぁに、これ!? やだ、リディクちゃん、お人形さんみたい〜!!」
興奮さながらに覗き込んだ先──白いシーツに埋もれるように眠るリディクは、はっきりいってしまえば……いつもとそう、変化は無かった。
けれど、毎日のように身近に見てきた者なら分かる違和感が、はっきりと目に映る。
それがまさに──お人形さんみたい、というハスワールの言葉そのものなのだ。
「そうですよね、そうですよね〜、ハスワールさま〜♪」
ハスワールの隣から、リディクをウットリと見下ろしながら、ミアキスも彼女に同意する。
「こうしてみると、ほんっとうに、リディクちゃんは、アルちゃんに良く似てるわぁ〜。」
親子よねぇ、と、くすくす笑いながら、ハスワールは目覚める気配のないリディクの頬を、つんつんと突付く。
最近、とみにすっきりとしてきた頬は、今は昔のように丸みを帯び、柔らかなラインを描いていた。
少し高くなってきていた頬骨も、頬の丸みの中に消え、心なし、眉も細くなり、睫も長くなっているように見えた。
唇もふっくらと柔らかそうに盛り上がり、いつも以上に色艶良く照り映えている。
女王譲りの双眸が開けば、どれほどあでやかに──そして美しく見えることだろうかと、ハスワールは、目覚めを心待ちにして、ツンツンと柔らかな頬をつつき続ける。
そんな彼女に、ミアキスは自分も触りたくて、ウズウズする体を左右に揺らす。
「あぁーん、ハスワールさまばかり、ずるいですぅ〜。
私たちだって、王子に触りたいです〜。」
「……わっ、私たちって……、ミアキスさまっ! わ、私は別に……っ。」
慌てたように、ブンブンと両手を顔の前で振るリオンに、ハスワールは柔らかに目元を緩めて微笑みかけると、
「んふふ〜、分かってるわよぅ〜。
でも、寝てるところを触っても、しょうがないでしょ?」
つんつんつん、とリディクの柔らかな頬をつつき続ける。
そんなハスワールの言い分に、ミアキスはキラキラと目を輝かせて、
「そうですよね! さすがハスワールさまですぅ。」
ニコニコニコと満面の笑顔で、ハスワールがリディクを起こそうとしているのを、ウキウキした表情のまま見守る。
そんな2人に、リオンは、あっけに取られたように目を見開いたが、すぐにキッと表情を改めて、
「いけません、ハスワールさま、ミアキスさま!
王子は、このまま、薬の効果が切れるまで寝ていていただくのが、一番なんです!」
そう、きっぱりはっきり、断言した。
とたん、
「ええええっ!? どうして? どうしてなの、リオンちゃんっ!?」
世をはかなむばかりの勢いで、うるっ、と、ハスワールが両目を濡らす。
その姿に、うっ、とリオンはひるみかけたが、視界の隅に、白いシーツに横たわるスリーピングビューティさながらの王子の姿を認め、心を鬼にして口元を引き締める。
「当たり前です! だって、王子が女の子になっちゃったなんて……そんな姿で表を歩いたら、一体、どのような騒ぎになることか!
そ、それに、王子だって、混乱されるに決まっています。
まさか、その──ハスワール様にお薬を盛られたなんて知ったら……。」
リンと向かって、ハスワールとミアキスを睨みつけるように見つめていたリオンだったが、言葉を紡ぎながら──リディクが、ハスワールに一服盛られたと知った時の、心境を思って、言葉が尻つぼみになった。
信頼している伯母から、薬を盛られた──しかも、女性になる薬なんて、そんなものを盛られたなどと知ったら。
リディクは、きっと、心から傷つく。
これが、カイルだとかゲオルグだとかの、女王騎士ならとにかく!
「女」であることに意味がある王家の血に連なるリディクが──「女性」の姿になるだなんて。
それは……あまりに、危険すぎるではないか。
たとえ一過性の薬であろうとも。
今の立場を思えば、リディクなら、絶対に、1日部屋の中に閉じこもって、布団の中に潜りながら効果が切れるのを待つに違いない。
伯母やミアキスに騙されたという、傷ついた心を抱えながら。
「王子に、そんな思いをさせるくらいなら、このまま、薬が切れるまで眠っていただいたほうが、ずっとマシです!」
ギュ、と拳を握って、2人に訴えかけるように上目遣いになるリオンに、ハスワールは困ったように眉を寄せた。
ミアキスは、小さく下唇を突き出しながら──さて、どうやってリオンちゃんを説得しようかと、視線をさ迷わせているところだった。
「それは──確かに、リディクちゃんも傷つくだろうとは思うけど。
……でもね、リオンちゃん? 私、そんなつもりじゃなかったのよ? ただ、リディクちゃんが女の子になったら、アルちゃんの面影がもっとはっきりするだろうし、リムの面影も見えて、とても懐かしい気持ちになるかしら、って。」
「……失礼を承知で言わせて頂きますと、それが、王子に失礼だと、思うんです。」
しゅん、と肩を落とすハスワールの姿は、思わず保護したくなるほどに、か弱げで、細い感じがした。
しかし、ここで譲ってはいけない。
王子が、下手をしたら、ハスワールやミアキスのことを信頼できなくなるかもしれない──そんな状況なのだ。
彼女達が、悪気がないのは、リオンだって分かっている。
でも、この状況は……悪気がないどころでは済まないのだ。
「それに、王子が女の子になってしまうだなんて──下手をしたら、本当に、逆賊として疑われても、しょうがないことなんですよ?」
こんなことは言いたくないのだけど、と。
渋い表情で早口に言い切ったリオンに、ミアキスが顔を跳ね上げる。
「それは違うわよぅ、リオンちゃん。」
「違うって、何がですか! ミアキスさまっ!」
興奮さながらに、目元を赤くしたまま、キッ、と睨みつけてくるリオンに、おぉ、怖、──と、わざとらしく肩と首を竦めながら、ミアキスは彼女を上目遣いに見上げる。
「私もぉ、ハスワールさまもぉ、女性になった王子を、かわいい〜♪ って可愛がる気持ちはあるけど〜?
この部屋から外に出してぇ、他のみんなにも見せびらかすことなんてぇ、しませんよぅ〜?」
「かわいい〜♪」の辺りで、陶然とした笑みを浮かべた後、ミアキスはすぐにキリリと表情を改めて、びしり、と人差し指を立てながらそう説明する。
「ね、ハスワールさま?」
くり、と、可愛らしい仕草で小首を傾げながら、同意を求めるミアキスに、ハスワールも嬉しそうに両手を合わせながら、コックリと頷く。
「そうよ〜、リオンちゃん。
私もミアキスちゃんも、リディクちゃんをココから外に出すつもりはないの。」
「……ほんとう、ですか?」
ハスワールの邪気のない笑顔を目の前にしながら、それでも信じきれないかのように、じっとりと見上げるリオンに、彼女は再び朗らかな笑顔で、こっくりと頷いて見せた。
「もちろんよ、リオンちゃん。
誰もこの部屋に入ってこれないように、イサクに表で見張りも頼んであるのよ〜。」
「い、イサクさんに、ですか──……。」
それはそれで、ある意味、ものすごく周囲の興味を集めるのではないかと。
ジワリと浮かんだ考えに、リオンが口元を引きつらせたのに気づかず、ハスワールは嬉しそうに笑って続ける。
「そうなのよ〜。
それにね? リディクちゃんの、せっかくの可愛い姿は、やっぱり……伯母の特権で、内緒〜♪ にしておきたいものじゃない?」
「──伯母の特権、ですか。」
そういうものなのだろうかと言う、至極常識的な疑問が頭を掠めたが、それよりも何よりも。
王子のこのお姿が、他の誰の目にも止まることはないのだと悟って、リオンは、ほ、と胸を撫で下ろした。
彼女達がしてしまったことは、やはり、許されることではない。
けれど、この程度なら、可愛げのあるイタズラ──程度で済まされるのではないだろうか。
王子の気持ちを思えば、それどころではないことは、確かなのだろうけど。
──まぁ、外に出ないというのならば、王子も……きっと多分、諦めて、好きなようにしてくれとでも、言うだろうし。
2人への罰は、王子がきちんと考えてくれるだろうから──リオンが出来ることは、せいぜい、あまりにグレートアップしないように、出来うる限りの手綱を取るだけ、だ。
──この2人に対して、どこまで通用するかは分からないが、それでも、誠心誠意を持って、行わなくては、と。
リオンが、ぐ、と拳を握って、心に誓った、その間隣で。
「そうそう♪ それでね〜、せっかくだから、いろんな格好を〜、してもらおうと思って〜、いろいろ用意もしたんですよねぇ、ハスワール様♪」
ミアキスが、嬉しそうに、今にも飛び跳ねそうなウキウキした様子で、必要のない言葉を零してくれた。
「………………ぇ?」
今──何と?
──と。
思わず固まったリオンに気づかず、ハスワールはニコニコ笑いながら、ゆったりと頷く。
「そうなのよ〜。やっぱり、アルちゃんの『こすぷれ』はしてもらないとダメよねぇ。」
「あっ、もちろん、姫様のコスプレも、外せませんからね! ちゃんと茶色のカツラもかぶってもらいますから!」
「サイアちゃんの格好もしてほしいのよね〜。うふふふ〜、リディクちゃん、きっと似合うわよ〜。」
「え、え、え……ちょ、ちょっと待ってください!
陛下や、姫様の『こすぷれ』はとにかく、サイアリーズさまの格好って……っ!」
慌てて顔を跳ね上げて──うっかり、「サイアリーズさまの格好とした王子殿下(しかも男)」の姿を思い浮かべてしまったリオンは、サァァァ、と顔を青くさせた。
「大丈夫、大丈夫〜。だって、リディクちゃんは、サイアちゃんの甥っ子なんだもの〜。きっと似合うわよ〜?」
のほほーんとした笑顔をそのままに、クリ、と小首を傾げて断言してみせるハスワールに、それもいいですねぇ、とミアキスが暢気に同意を示す。
そんな二人に、リオンは、ぐ、と奥歯を噛み締めて、決意も新たに二人をキッとにらみつけた。
ここで自分が負けていては──一歩でも引いてしまったら、王子が大変な眼になることは、眼に見えて分かっていた。
ただの着せ替え人形ならまだしも──それでも王子の胸には、深い傷が残るだろうに──よりにもよって、身内コスプレ!
これが父である女王騎士団長のコスプレなら、王子もこっそり憧れていたようだから、喜んでやるだろうが──あの、サイアリーズ様のコスプレなんて。
……さすがに、王子にそんな恥辱を見舞わせるわけにはいかない。
「だ、ダメですよ、お二方! 王子が、サイアリーズ様のようなお姿になったら……っ!」
顎を引いて、リンとした面差しでソコまで言いかけて──リオンは、その先をつむげずに、ぐ、と言葉に詰まった。
サイアリーズは、王子の叔母であり、目の前のハスワールの従妹だ。
さらに言うならば、王子と王女を小さい頃から見ていた姉代わりの人物でもあり──自然、ミアキスとリオンも、彼女には良くしてもらっている。
その分だけ、つい、気安くなってしまいがちだが──だからと言って、リオンの立場からは、口が避けても言えないのだ。
王子に、あんなハレンチな格好は、させられません!
……だ、なんて。
「えぇ〜? 何々〜? どうしたのぅ、リオンちゃん〜?」
先を続けるべき言葉を、口に出せなくて、グッ、と詰まったままのリオンを、意地悪そうにミアキスが覗き込む。
何を言いたいのかなんて、良く分かっているだろうに──彼女は、ニンマリと目元をカマボコ型に歪めて、
「サイアリーズ様のようなお姿になったら、王子がどうなるのぅ〜??」
それはそれは嬉しそうに、楽しそうに聞いてくる。
きっと、ここでウッカリ、リオンが失言をしてしまえば──ソレを逆手に取られて、「黙っておいてあげるかわりに、この場は黙認してね〜」と続くに違いないのだ。
リオンは、キュ、と唇を歪めれば、ミアキスは楽しそうな企み顔でニンマリと笑う。
そんな彼女を、悔しそうに見上げながら、リオンは口を薄く開いては閉じ──掌も同じような動作を二度ほど繰り返した後。
「そ、それは──……その、……っ、そう!
ものすごく魅力的になってしまって、大変じゃないですか!!!」
我ながら苦しいと思う言い訳を、思いっきり力説してみた。
……途端。
「──……っ!!! ぁっ、い、いえっ、い、今のは……っ!!!」
自分が言った言葉の意味を頭で反芻する間もなく、リオンは慌てて両手を振った。
いくら、ミアキスたちに反論しようと必死だったとは言え、今の言葉はないだろう、今の言葉はっ!
とっさに放った言葉の内容が、恥ずかしくて、恥ずかしくて……白い頬を見る見る内に赤く染めたリオンは、ブンブンと頭を振りながら、
「今のは忘れて下さい〜っ!!」
そのままの勢いで、両掌に顔をうずめようとした──そのタイミングで。
「そうでしょぉ〜!!?」
ガシッ、と。
嬉々とした声のミアキスに、両手を取られた。
「──……ぇ?」
「だよねぇ? そうだよねぇ〜? リオンちゃんも、そう思うわよねぇ〜??」
パチパチ、と眼を瞬いたリオンの、ほんのりと赤く染まった顔を見下ろして、キラキラと光る眼で、ミアキスはウットリと笑う。
「王子が女の子になったら、リムスレーア様に良く似ておいでになると言うかぁ、それはもう、ものすごく魅力的になるとぉ、私も思うのぉぉ〜vvvv」
「うんうん、分かるわ〜。
ほんと、リディクちゃん、アルちゃんにソックリだもの〜。それはもう、魅力的になるわよねぇ〜。」
うんうん、と大きく何度も頷くミアキスのナナメ後ろでは、両頬を恥らう乙女のように包み込んだハスワールが、うっとりした表情で、フルフルと弱弱しく頭を振っている。
双方ともに、白い頬が赤く染まり、うっとりと染まった眼が潤んでいる。
──リオンの叫びによって、何かの一線が越えてしまったのは、一目瞭然であった。
「え、え……あ、あの……っ?」
このままではいけないと、焦る心で、ミアキスの手を引き剥がそうとするのだけど、見習い女王騎士と、正女王騎士との差がこんなところにも出る。
リオンは、どうやってもミアキスの手を引き剥がすことはできなかった。
「うふふ、私、一度でいいから、アルちゃんが、サイアちゃんみたいな姿をしたところ〜、見てみたかったのよねぇぇ〜。」
「それは私もぜひ、ご拝見したいですぅぅ〜。」
にこにこにこにこー、と、笑顔のオンパレード状態で笑う女二人の視線が、ゆっくりと巡り──白いシーツに包まれて眠る麗人の下に辿り着いた瞬間。
「だ、ダメですっ!!
そんな、陛下の代わりだなんて、王子にも、アルシュタート様にも、失礼です!!」
リンとして、リオンは言い放った。
アルシュタートにコスプレをしてもらう……というのは、確かに不敬罪だと思うし、リオン自身、まるで思い浮かべることが出来ないことだ。
でも、だからって──ソレを、王子が身代わりにするなんて、とんでもないことではないか!
それでは、ロイが王子の格好をして遊んでいるのを、咎められないじゃないか!
憤然と怒るリオンに、ハスワールは、愛らしい仕草で首を傾げながら、のほほーんと微笑む。
「それはそうかもしれないけど〜、でもほら、それはリディクちゃんを着飾ることもおんなじで〜、一石二鳥みたいなものなのよ〜?」
リオンは、唇を一文字に結び、フルフルと首を振ることで、ハスワールの案を却下した。
何にしても、やはり、王子には、このまま寝ていていただくのが一番だと──そう思えてならなかった。
起きて、自分が女性化していることを知って、驚くのも避けたいし、ハスワールやミアキスの玩具になるのも、避けてさしあげたい。
だから、身をもって、二人の行動を阻止せねばなるまい、と。
リオンが、気合いも新たに、二人を見つめた──その矢先。
「んー、それじゃぁ、リオンちゃん〜?」
油断ならない微笑を浮かべたミアキスが、指先を顎に当てながら、リオンを伺い見た。
「……は、はい?」
顎を引いて、しっかりと臨戦態勢をとりながら、リオンは慎重に彼女を見返す。
ミアキスは、ニンマリと目元を緩めて、勝利を確信したような笑みでもって、リオンに問いかける。
「王子がぁ、こすぷれ、するんだったらぁ、いいんだよねぇ〜??」
「────……っ、そ、そういう、問題では……っ。」
「た・と・え・ばぁ〜v 王子がぁ、女王騎士長のお姿をしてるところなんてぇ、見たくないぃぃ〜?」
「──……っ、そ、そそそ、そ、それは……っ、その……っ!」
素直なリオンは、囁かれた言葉そのままのお姿をした王子の姿を、ポン、と頭に思い浮かべて──その見事なまでの凛々しさに、一瞬、言葉を失った。
それを見て取ったミアキスとハスワールが、揃ってリオンの右肩と左肩をガシッ、と掴み、
「そうよね〜、リディクちゃんだったら、それはもう、すんごく、格好いいんでしょうね〜。」
「絶対、見れないお姿だからこそ……チラッと、ここで、見て見たいとか、思わないぃ?」
左右からそれぞれ、笑顔でリオンを覗き込む。
脅迫に近い魅惑の言葉に、リオンはゴクリと喉を上下させたが、すぐに目をギュッと閉じて、プルプルと頭を振った。
「──い、いえっ、お、思いません! そ、そんな不敬罪な……!」
一瞬でも心に思い浮かんでしまったことを恥じるように、ブンブンッ、と、勢い良く否定した。
そんなリオンに、ハスワールは困った子を見るような眼差しで微笑を口元に浮かべた後、
「んも〜、頑固ね〜、リオンちゃんは。
でも、ほら、良〜く考えてみて?
ココには、私と、ミアキスちゃんと、リオンちゃんの、三人しかいないのよ?」
抱え込んだリオンの体を、そ、と自分の方に引き寄せて、かすかに赤く染まって震える耳元に、甘いささやきを零す。
「女同士のヒミツ、なんてどーぅ?」
ふふふふ、と、甘い蜜を漂わせて微笑むハスワールの瞳も声質も、さすがはサイアリーズの従姉だと思わせるような、性質の悪い魅惑に満ちていた。
サイアリーズも、普段は王子や王女の全面的な味方──みたいな態度を崩さないが、悪乗りをするときは、とことんまで悪乗りをしてくれる女性だった。
──そのことを思い出すと、チクリと胸に棘が刺さるような痛みが走ったが、リオンは感傷的なその感情を無理矢理飲み下して、ハスワールの誘惑から逃れようと、失礼にならない程度に身をそらそうとする。
しかし、ハスワールから体を遠ざけると、とん、と、左肩がミアキスにぶつかってしまう。
ハッ、と肩を強張らせる間もなく、ミアキスがニッコリ笑顔で、リオンの頬に自分の頬を摺り寄せてきた。
「ヒミツ厳守は、ちゃーんと守りますよぅ?
だって〜私も、リオンちゃんも、王子のことで、うっかり口を滑らせる──なーんてことは、しないでしょぉ?」
にんまり、と。
リオンの返事がどう来るのか、予想した──言い換えれば、引っ掛けですらないほどに単純なトリックに。
分かっていながらも、リオンは即答せずにはいられなかった。
「しません! 主君の秘密を漏らしたりなどするのは、女王騎士の恥です!」
打てば響くように返ってきたリオンの返事に、ハスワールもミアキスも、にっこり、と、満開の微笑を零す。
──してやったり。
まさにその雰囲気を匂わせた美女の笑顔に、はぅっ、と、リオンが逃げようとするよりも、ずっと素早く。
「そうそう、だーかーらぁ〜、大丈夫だって〜、ね? リオンちゃん。」
「ここに居るのは、わたしたちだけ。事情を知ってるイサクだって〜、口はすんごく固いのよ〜? うふふ。」
……逃げられない、と、思った。
右腕はハスワールにしっかりと握られ。
背中から右肩を抱き寄せるミアキスの顎が左肩に乗り──さらに、左手を、彼女に握りとられている。
どう考えても、逃げられない。
ダラダラダラ──と、脂汗を流すリオンに、ミアキスとハスワールは、それはそれは嬉しそうに続けてくれた。
「まぁ〜、リオンちゃんが手伝ってくれるにしろしないにしろ〜? リオンちゃんも、共犯者になるのにはぁ、変わりないんだけどねぇ〜。」
「どうせなら、一緒に楽しんだ方がいいと思わない〜?」
鬼と悪魔がいる、と、リオンは泣きそうな心の片隅で思った。
がっくりとうなだれ──視界の隅に見える王子の、それはそれは安らか……に見える寝顔を一瞥して。
──せめて。
せめて、王子が起きたときに、ショック死しないようなお姿にとどめておいてもらわないと──……っ!
と。
小さな決意をするのであった。
ふわふわと、まるで空気の中を漂っているかのように、体が軽かった。
手足は妙に頼りなく、無意識に握り締めた指先は、骨と皮になったかのように、折れそうに細く感じる。
息をしようとすると、ずっしりと胸の辺りが重くて、妙に息苦しい。
まるで何かが体の上に乗っているみたいだ、と思ったところで──ふとリディクは、小さい頃に聞いた話を思い出した。
それは、まだリムスレーアも生まれたばかりで、リオンも自分の側に居なかったくらいに、小さい頃の話だ。
10年以上も前のことだから、すでにもう、覚えていなくてもおかしくはないはずなのに──あの時のことは、今も良く覚えている。
俗に言う、トラウマというヤツだ。
あの頃は、跡継ぎである王女が生まれたばかりだった上に、情勢も安定しているとは言いがたい状況で。
幼かったリディクは、付きっ切りで誰かが居てくれることが、少なかった時期でもあった。
そんなリディクを心配に思ってか、不遇に思ってか──サイアリーズは、夜になると良く、リディクを自室から連れ出してくれたのだ。
サイアリーズの部屋に連れて行かれることもあったし──そしてそのまま夜をすごし、朝、サイアリーズの部屋で痣を作ってしまうのも、しょっちゅうだった──、女王騎士の集まっている部屋に連れて行かれることも良くあった。
リディクは、叔母の部屋に連れて行かれる以外は、サイアリーズの来襲を、毎日とても楽しみにしていたものだった。
そんなある日のことだった。
とある夏の日に、リディクがサイアリーズによって連れて行かれた先というのが──怪談話をしている、宿直室だったのだ。
今でも存在しているのだが──、太陽宮に勤めている宿直の兵士たち有志による【怪談の会】というものがあるのだ。時々、会員が、宿直の当番でもないのに宿直室に集まって、怪談話をするのだ。
サイアリーズは、面白半分に、リディクをそこに参加させた。
それが、リディクの心に、深いトラウマを残すことになろうとは──全く知りもせずに。
リディクは、サイアリーズの腕に抱きこまれながら、彼女の膝の上で、ちんまりとその話に参加していた……というか、聞いていた。
まだ幼い、何も知らないリディクは──「宿直の兵士」たちの口から聞く、妙に生々しくも現実味のある怪談話に……それはもう、泣き喚き、悲鳴をあげまくったものだった。
10年経った今でも、あの恐怖だけは思いだせるほど、リディクの心に、深いトラウマを作ってくれたのだ。
この数年後に、リムスレーアもまた、ミアキスによって、同じような経験をさせられ──そのことで、恐がる妹を守らなくてはと言う兄心に目覚めたリディクは、なんとか、恐怖心を克服したのではあった、が。
それでも、夜中に、【心霊スポット】に行く勇気はないし、できることなら昼間も遠慮したいと思っている。
そんな、心霊現象に関しては、できれば一生係わり合いになりたくないと思っているにも関わらず。
「…………………………。」
今、リディクの胸は、誰かが乗っているとしか思えないほど、重かった。
猫が乗っている程度の重さではあるが、それなら、もっと胸の辺りが暖かくてしょうがないはずだ。
なのに、体温は全く感じ取れない。
それどころか、何かが乗っているという感触もないのだ。胸に当たっているのは、薄い毛布の感触だけ──なのに、動物が乗っている程度の重さを感じる。
これは──……どう考えても、心霊現象ではないのだろうか。
そう思い至った瞬間、ぞくぞくぞくっ、と、全身に鳥肌が立った。
正直言って、リムスレーアを守らなくてはと思い、なんとか恐怖を克服したことはしたのだけれど。──だからと言って、恐くなくなったわけではないのだ。
恐いけれど、誰かを守るためなら、それを飲み込むことだってできる。
でも──今のように、「誰かを守る」状況では、恐怖心が増すばかりで、どうしたらいいのかすら思い浮かんではこなかった。
「…………………………っ。」
これで眼を開けたら、胸の上で白装束の女の人が正座してて、血だらけの顔で、眼もちょっとグリッとしてて、黒い髪をダラリと零しながら、覗き込んでたらイヤだなー……。
唇が白かったりして、首筋に筋が浮いてたら、もっとイヤかもしれない。
思わずアリアリと情景を思い浮かべて、リディクは、うう、と歯の奥で言葉を噛み殺す。
恐怖心に誘われてか、意識は、ぐいぐいと引っ張られるように浮上していく。
なのに、胸の上の重さはなくならない。
それどころか、体全体の細さが、妙に浮き彫りになったような──胸だけは妙に重いのに、体全体の存在が薄くなったような気がしてならなかった。
「──────………………。」
もしかして、胸の上に乗っている「もの」に、生気を吸い取られているのではないだろうか?
ふと、そんなイヤな予感に駆られて、リディクは、慌てて眼を開こうとした。
意識を浮上させて──一気に目を覚まして……その上で、上に人が乗っていたら乗っていたで、なんとかしなくちゃ。
どうしたらいいのか分からないけど、それでも──根性とやる気があれば、なんとかなるものだと、昔、叔母さんや父さんが言っていたし!
なんとかしないと……っ!
そう、思って。
ぐっ、と、眼に力を込めたところで。
女の声が、聞こえた。
それも、間近で。
びくんっ、と、リディクは知らず体を強張らせる。
肩に力が入り、布団の中で思わず手を握り締めた。
ドクドクドク、と、早くなる心臓の音が聞こえる。
ごくん、と喉を上下させながら、リディクは必死に耳を澄ませる。
浮上しかけていた意識は、恐怖のためか、緊張のためか、一気に覚醒間近までクリアになった。
妙に頼りないと感じていた体は、意識がおぼろげだったせいではなく、やはり妙に細く頼りなく感じる。
それがどうしてなのか──疲れから来ているのか分からないまま、リディクは聞こえてくる声に、耳を傾ける。
女の声は、良く響いていたが、ボソボソと小声で聞きづらい。何かを話しているのは分かるけれど、その声が形になることはなかった。
じれったい……けれど、何を話しているのか、聞きたくないというのも本音だ。
それでも、そうは言っていられない。
──これは、本格的に、心霊現象なのだろうか
それなら一体、どうしたら? 眼を覚ましたら、消えてくれるのだろうか? 消えなくても、叫べばリオンか誰かが部屋に駆けつけてくれるだろうけど──……。
「……っ。」
とにかく──、目を、覚まさないと。
感じる恐怖心を、必死に飲み下して、リディクは、グ、と腹に力を入れた。
目を覚ました目の前に、青白い女の顔があろうと、何が待っていようと、なんとかしないと、と。
フルリと睫を小さく揺らして、リディクは、気合を入れて瞼を開こうとした──まさにその瞬間。
「キャーッ!!!!!」
耳元のすぐ間近で──つんざめくような悲鳴があがった。
聞き覚えのあるその声は、リオンのそれであった。
「リオンっ!?」
まさか、この部屋には、リオンもいたのかっ!!!?
それは──マズイっ。
思うと同時、躊躇いは飛んでいた。
リディクは、両手をベッドに叩きつけるようにして、その場に軽やかに──いつも以上に軽く動く体をバネのようにしならせて、起き上がった。
それと同時、ズキンッ、と胸の辺りに鈍い痛みが走って、軽く片目を顰める。
まだ「幽霊」が、自分にしがみついているのだろうか──それにしては、金縛りに遭うこともなく、イヤに軽く飛び上がれたじゃないか、と。
疑問に思いながらも、飛び上がった反動そのままに、ベッド下に降り立ち──すばやく状況判断のために視線を左右に飛ばして……。
起き上がったのに、イヤに重く、そして鈍い痛みを感じる胸元に視線を落として。
「…………っ、ぅ……っ、わぁぁぁっぁあっっ!!!!!!??????」
先ほどのリオンに負けず劣らずの悲鳴を、ほとばしらせた。
3 へ続く
はいはい、お約束の展開になってきましたよー。
本当は、リオンも、さっさとハスワールの計画に転ぶはずだったのですが、最後の最後まで抵抗してくれたので、百歩譲って、しぶしぶ参加ということになりました。
うーん、思った以上に、うちのリオンは、王子命だ……(笑)。
そして、うちのサイトではありえないような設定が判明しました。
うちの王子は、実は、怪談ダメなんです(爆)
ちなみにサイアリーズは、怪談は好きだけど、モノホンはダメという感じがします。
リオンは怪談はダメだけど、モノホンは全然平気。
ミアキスは、どっちも平気。むしろ好奇心旺盛(笑)。