傍若無人でワガママで。
無敵なまでの悪っぷり。

出来ることなら一生関わりたくなかった。



でも、出会ってしまった以上、
「彼」の居ない人生は、考えられない。
それほど強力な「引力」。



その笑顔を見るために

ちょっと(?)した無茶なら平気でやっちゃうような。



あぁ……だから、つまり。






そんな  だから 好き

1主人公:スイ=マクドール















 朝も早くから幹部たちが集まって開かれている会議室の中は、熱気に満ちていた。
 狭くはないが、広すぎるということもない会議室の中には、長い机が一つ置かれていて、ドアとは正反対の方角の壁に解放軍の象徴である旗が飾られている。
 その旗に囲まれた会議室内で一番豪華で大きなイスに腰掛けているのは、イスにすっぽりと収まってしまうような小柄な少年だった。
 トレードマークの深緑のバンダナを頭に巻いて、真剣な顔で顎の下に手の甲を重ね合わせて机にヒジを付いている。
 その表情はどこか気鬱げで、何かを考え込んでいるように暗い目をしている。
 彼の目が見つめる先には、喧喧囂囂と言い争う幹部たちのいかつい顔が並んでいた。
 長机の左右に並んでいるのは、解放軍でも──ついでに言えば、元帝国将軍としても名を馳せている人物も居る。
 その有名どころの彼らは、額に汗を飛ばし、眉を吊り上げ、目を血走らせてツバをはきつつ叫びあっている。
「だから、北東の方角に窓を作るのは絶対に必要だっ! どこからでもシャサラザードが見えるからなっ。」
「しかし、北東に繋がる窓を開いておくのは危険だ──何せ、北東は鬼門の方角だからな……。」
 白熱して激論を交わす男達は、ゴンッ、と机を叩き、ガタンとイスから立ち上がる。
 するとそれに連動したかのように、なぜか対角に居て違う話に熱中していた男達も立ち上がってしまった。
「だから、やっぱり風呂は東よりも西のほうがいいと思うんだっ!」
「いや、風呂はやっぱり南だな。暖かい。」
「湖からの風が強いから、やっぱり部屋は南向きがいいと言っているだろうっ!」
「増築するなら、せめてベッドは人数分支給だろっ!」
「それを言うなら、僕たちは自分の部屋が欲しいです……。」
 だんだんと話が、議題から逸れてはいないものの、本来話し合いたい要綱からはだいぶ離れて行っているのが分かった。
 そんな幹部たちの顔を見回して、はぁ──と重い溜息を零すのは、リーダーの斜め前の席に腰掛けた、軍師様であった。
 最近、めっきり薄さを増したような気のする額に手を当てて、マッシュは声を荒げて「改築工事への要望」を叫びあう面々と見回した。
「今日の議題は、確かに『増築工事について』ですが──、誰も、個人の部屋数について話して欲しいわけではないのですけどね…………。」
 どっぷりと溜息がてら、そう零してみるが、残念ながらマッシュの台詞はすべて部屋の中を覆う叫び声に掻き消えてしまった。
 今回話し合って欲しいのは、解放軍の本拠地の増築工事を行うにあたって、防衛に関する設計の話し合い、であったはずだ。
 戦士としても優秀な彼らの意見を参考にしようと、こうして設計の段階で呼んでみたのだが──やっぱり無謀だっのかもしれない。
 何せ、朝から開いているにも関わらず、昼を過ぎた今になっても、話は遅々として進まないのだ。
 何杯目になるか分からないお茶を──それも既に冷え切っているもの──手に取り、溜息を零しながらマッシュはそれに口をつける。
 耳に入ってくるのは、いつまでたっても平行線でしかない話し合い。
「──スイ殿、ここで一度休憩を入れたほうがいいのではないですか?」
 マッシュは、冷めてほろ苦さを増した気のするお茶に渋面を広げながら、チラリと上座に座るスイを見やった。
 いつもなら、収まりがつかなくなってきた時点で、ガタンと机を蹴飛ばすなり、イスを投げるなり、なんなりして騒ぎを治めて、さっさと閉会にするリーダーは、ただ黙して頬杖をつき続けるばかりだ。
 一体、何を憂慮しているのかと、マッシュが不安そうに顔を顰めて彼を見つめる。
 いつも快活で傍若無人で明るい印象が強い少年は、その憂いた光を宿した目で、細いため息を零した。
 かと思うと、おもむろに暗い視線を机にヒタリと当てたまま、小さく──呟く。
「温泉に行きたい。」
 消え入りそうに儚い呟きであったが、彼の一挙手一動を見つめていたマッシュの耳には、しっかりと飛び込んできた。
「………………ハイ?」
 ゆっくりと眉を寄せて、マッシュは引き攣った顔でそう聞き返した。
──温泉?
 頭の中にひらめいたのは、山奥深くで、サルに囲まれて優雅に湯に浸かる軍主さまの姿であった。
 まさか、そんなにリゾートしたいと思うほど、疲れているのだろうかと、チラリと不安をもたげたマッシュに、スイはもう一度息をつくと、
「明日から一週間くらい、温泉、掘ろっか。」
 ねぇ? と、首を傾げて笑ってみせた。
──マッシュの心配を蹴散らせるような、ひたすらに明るい微笑みであった。
 瞬間、マッシュの米神が大きく揺れた。
「──何を、面白くもふざけたことをおっしゃってるんですか、スイ殿?」
 ニコニコニコ、と、強靭な精神力で微笑を維持しながら尋ねると、上座の彼は頬杖をついたまま、うん、と微笑みながら頷く。
「どうせ増築するなら、露天風呂なんかも作りたいなー、って思って。
 ほら、湖一望できる露天風呂なんて、観光名所にもいいじゃないか。」
 そう提案する彼の居城が、「観光地」に建てられた領主の城であったなら、その提案にも考慮するべきかもしれない。
 だがしかし、彼が名づけ親であるこの「シュタイン城」は、紛れも無い帝国反乱軍の本拠地なのである。
 湖の只中にあり、通行の便は悪いながらも、帝国攻略の本拠地としては効率がいいことこの上ないこの場所に、見晴らしの良い「観光名所」な売りを持つ露天風呂を作って、一体どう活用しろと言うのだろう?
 マッシュは、引き攣り続ける頬を必死に緩めながら、スイに向かってニッコリと微笑みながら問い返した。
「スイ殿? シュタイン城を観光名所にするのは、この戦争が終わってからにしましょう。
 今は、戦略的に大きな役割を果たす形の増築を、メインに考えているんですよ。」
 ──というか、今のマッシュの心境としては、その話し合いがサッパリ終わらない上に、軍主までこんなことを言い出す始末になってしまった以上、とっとと閉会してしまって、今日の話し合いなど無かった方向で、サクサクと明日から増築工事を始めたいところだった。
「温泉、ダメかなぁ?」
 少し哀しそうに目を揺らして、スイは上目遣いにマッシュを見上げる。
 彼の「家族」には有効なこの上目遣いも、マッシュには効かない。
「ダメですね。」
 アッサリとそれを一蹴して、さて、とマッシュは話の矛先を変えて、自分の目の前に広がる書類の束を片付け始める。
「そろそろ休憩を取ることにしましょう──できればこのまま閉会にしたほうがいいと思いますが、スイ殿、号令をお願いします。」
 一人でとっとと会議一時中断モードに入ってしまったマッシュに、スイは唇を尖らせて反抗的な目で彼をジトリと睨み上げたが、もちろんマッシュはソレを涼しい顔でサラリと流す。
 そんな自分の軍師に、スイはしょうがないと言いたげに長い溜息を零した。
 まだまだ、目の前の軍師に完勝するような経験値はない。
 ここは素直に引くしかないだろう。
 まぁ確かに、湖のど真ん中にあるこの城で、本当に温泉が湧き出るかどうかと言う話になったら、無理という確率の方が高いのは、スイだってわかっている。
 だから、この話はお終いだと言うマッシュに、渋々頷いて、視線を前へと戻した。
 そこでは、大人げもなく喧喧囂囂と叫びあっている面々が居た。
 聞いているだけで耳が痛くなるような声で寄声を発してくれる素敵な仲間達は、普通に号令をかけただけでは、聞いてくれそうになかった。
「──……ったく、面倒だなぁ。」
 そう小さく呟いて、スイは頬杖をついていたヒジを、机の上から上げた。
 かと思うと、おもむろに机に手をかけて、
「えいっ。」


がったんっ、がちゃがちゃがちゃっ、どどーんっ!!!


 思いっきり良く、机を真横にひっくり返した。
「ぅあっ!!」
「ぅわぁぁぁーっ!!」
 机の上に乗っていた図面やらお茶の容器やらが、勢い良く床にぶちまけられる。
 床の上に飛び散ったそれらの上に、容赦なく真横に倒れた机が、落ちた。
 そして、机が倒れた側に腰掛けていた面々は、逃げ遅れた者を巻き込んで、イスごと床に転げ落ちる。
 思いっきりのしかかってきたテーブルに、ぐぇっ、と、カエルが潰れたような声が、一声に響き渡った。
 それらの喧騒が、一瞬で静まり返り──呆然と立っていた面々が、もうもうと埃が舞い上がるありさまを見つめた。
 その視線が──誰からともなく、一点へと集まる。
「スイ殿──……。」
 小さく呟かれた声は、誰もが当てた視線の少し手前から聞こえた。
 うめくような呟きを零した主は、最近ますます薄くなってきたと評判の額に手を当て、頭痛を覚えたようなくるしそうな顔をしている。
 その更に奥。
 一際豪奢なイスに腰をかけていた少年は、何事もなかったかのような表情で、真横にひっくり返った机の足に手を置いて、優雅に立ち上がると、
「それじゃ、今日の会議はこれにて閉会。
 一同、明日までに『まともな』提案書を用意してくるように。」
 そう、感情のこもっていない声で、淡々と告げた。
「……………………………………。」
 誰もが、呆然とその先に居たスイを見つめた。
 しかしスイは、集中する視線をものともせず、マッシュの後ろをすり抜けて、さっさと会議室を出て行くのであった。
 スイの背が消えていった扉を、マジマジと見つめて──一同は、お互いの顔を気まずそうに見交わす。
「…………怒ってた、よな……? 今の…………?」
 少し自信なさげに確認するのは、スイのこういう行動が、日常茶飯事だからだとも言える。
 同時に、会議がヒートアップすると、遅々として進まないのも、いつものことなのだ。
 だから、この程度のことでスイが怒るとは思えない。
 しかし、今、彼が微笑みも見せずに淡々として告げた口調──そして後片付けも命じずにさっさと出て行ったさま。
 それが、いつもと、違った。
「──ってゆーか、とっとと机をあげてくれ……頼む……っ。」
 マッシュとは反対側の席に腰掛けていたフリックは、思い切り良くイスごとテーブルの下敷きになっていた。
 ばんばんっ、と床を叩いて、腹を圧迫する長机から、必死ではいずりだそうとするものの、あまりの重みにそれを果たすことが出来ないで居た。
 それは同時に、フリックと同じ側に座っていた面々にも言えることだった。
 誰もが必死に机の下から抜け出そうとするが、それはただその場でもがいているだけにしか見えなかった。
「あぁ、わりぃ、わりぃ。」
 運良くそのスイの机返しから逃れた面々が、力をあわせて机を引き起こす。
 男達数人の力で持ち上げられた机に、ホウホウの呈で起き上がったフリックたちは、腹を抑えながら、小さく何度か咳き込んだ。
 ペタリと床の上にしゃがみこんだ体勢で周囲を見やると、床の上には、割れた湯のみやぶちまけたお茶が転がり、なんともいえない修羅場後の雰囲気を作り出していた。
「おい、マッシュ──、一体スイは、何を言っていたんだ?」
 これを片付けるのは、間違いなく自分たちだと、そうドップリと溜息を零しながら、とりあえずこけたイスを持ち上げつつフリックは正面に立っているマッシュを見た。
 散らばった書類を回収していたマッシュは、そんなフリックの言葉に、小さく溜息を零す。
 同じように、部屋の片付けをし始めていた会議室の面々の視線が自分に集まるのを感じながら、
「何って──またいつもの、戯言ですよ?
 温泉を掘りたい、だとか……そういう。」
 瞬間、
「ソレだ。」
 呆然と目を見張って、不意に声をあげた女性がいた。
 その場にいた誰もの視線が、ハ? と、大きく目を瞬かせて、ソコに集中する。
 マッシュのその台詞を聞くまで、「この間の閉会の合図の、机燃やしよりもマシだね」と話していた彼女は、「スイの機嫌を損ねた」という台詞を、まったく信じていなかったのだ。
 何せ、解放軍の会議ときたら、普通の軍が行う軍事会議の耳の垢でも飲んで欲しいくらい、まともな様相を呈することが滅多にないのだ。
 スイのやり方は乱暴であるが、普通のやり方では閉会できないのだから、ある程度の乱暴さは、仕方がないのである。
 だから、スイがかしましい解放軍の会議に怒りを覚えるなんてことは、絶対にありえない。
 しかし──机を真横に蹴倒すよりも先に、スイが、「温泉に行きたい」と言ったというなら……。
「ソレだ、と言いますと……温泉に、何か秘密が?」
 いぶかしげに目を細めたマッシュに、クレオは軽く腕を組みながら、コクリ、と頷く。
 真剣な色に染まった目をそのままに、マッシュを見つめ返し──逡巡するように瞳を揺らした。
「──これも結局は、ひどく個人的なことなのですが……。
 実は、一週間後は──。」
 そこで、一瞬クレオは言葉を区切って、少し悩むようなそぶりを見せた後、すぐにキュ、と唇を噛み締めて、こう、続けた。
「スイ様の……誕生日なんです。」














「去年は、テッドが特大へちゃむくれケーキをくれたっけ。」
 ブラブラと、足を揺らしながら、そう呟く。
 脳裏に思い描く、「ステキバースディ」は、毎年いつも賑やかだった。
 豪勢な食事を作ってくれるというグレミオと一緒に町を歩けば、顔見知りの者たちから、明るい笑顔で祝辞が飛んだ。
 特に去年は、すぐ目の前に仕官の日が迫っていたから余計に、たくさんの人が祝ってくれた。
「そうそう、カイは、仕官の日のためにって、わざわざ棍の装飾を直してくれて──あぁ、そうだったっけ、去年のグレミオからの誕生日プレゼントは、新しい胴着だった。」
 結局あれに袖を通したのは、何回だっただろう?
 訓練の時に着るのはもったいない、かと言って、皇帝陛下にお目通りするときに着ていくには、少し無作法。
 だから、たんすの中に入れて──おそらく今も、誰も居ないたんすの中で、肥やしになっていることは間違いないだろう。
「クレオからは兵書を貰ったんだよね、たくさん。
 あの半分も読んでないな。」
 アレらもきっと、未だに自室の本棚の中。
 でも、この解放軍にある本のほうが、ずっと難しいことは間違いないだろう。
 今の自分があの屋敷に戻って、本を読む機会に恵まれても、あの本を読んで習得することは無いかもしれない。
 そう思うと、もったいなかったような──なんだか、少し寂しい気持ちになった。
「それから、パーンからは、新しい靴を貰った。アレ、結局、履き古しちゃって──カクの村に来る前に、捨てちゃったんだよね……。」
 貰ったときは嬉しくて、テッドと一緒にその靴で走り回って、「まだ使い慣れてないのに!」と、グレミオから怒られるくらいの靴擦れを作ってしまったのだ。
 そうして、ようやく自分の物らしくなった、稽古用の靴は、自分の足にちょうど良くて、それで初めての任務を済ませて、その次の任務も済ませて────……その靴で、あの都を、出た。
 さすがに、過酷な長旅には耐えられなかったのか、その靴はカクにたどり着く前には、底がパコパコと音を立て始めていた。
 やっぱり、沼に入ったり、湿地を歩いたり、色々したのがいけなかったようである。
 同じような靴をカクで購入して、その靴は荷物になるからと、捨てた。
 結局、たった数ヶ月も履くことが出来なかった、靴。
「…………それから。」
 呟いて、彼は顎をそり上げるようにして、上を見つめた。
 窓の桟。その上に広がる高い空。
 ブラブラと揺らす足の先……今にも落ちてしまいそうに遠い向こうに、キラリと太陽光を反射している湖の湖面。
「それから。」
 キュ、と、手の平を握り締めた。
 細い、安定感の悪い窓の桟に腰掛けて、受け止めるものも何も無い窓の外に足をブラリ揺らせて、更に顎をそり上げる。
 上半身を反らせて──顎が空を向く頃には、目にはさかさまに映る見慣れた自室の光景。
「父上からは──……。」
 来年の、約束、だった。
 キュ、と、目を閉じる。
 反らした喉が、ジクリと痛むのを感じながら、スイは零れそうになる吐息を飲み込んだ。
 脳裏をかけめぐる、いくつかの光景。
 暗くした室内の中、ろうそくの明かりに照らし出されるケーキと微笑む顔たち。
 そのどれもが、当たり前のように目の前にあって──来年も、同じようにめぐるのだと、信じていたものたち。
 けれど、今年は。
「──父上、居ないしな……。」
 グラリ、と傾いだ体を、そのまま重力に任せて、背中から──落ちる。
 一瞬の浮遊感の直後、落下感を感じ取る間もないまま、スイはベッドのシーツに体を受け止められていた。
 パタリ、と両手が力なくシーツの上に落ちる。
「ぼっちゃん、会議はどうでしたか?」
 そんなスイを、ひょい、と覗き込む、穏やかな微笑みがあった。
 スイは、さらり、と零れ落ちてくる金色の髪に、小さく笑みを零しながら、幼子のように両手を彼に向けて伸ばした。
 グレミオは何も言わず、その両手を頬で受け止める。
「あんまり良くなかったようですね? こんなベッドの上でゴロゴロしてるってことは。」
 ほら、起き上がって、と、腕をつかまれて上半身を無理矢理起こされる。
 そのままスイは、傾くようにグレミオに抱きついた。
 スルリ、とグレミオの横腹をなで上げるようにして彼の背へと腕を回すと、当たり前のようにグレミオの腕をスイの背中をポンポンと叩く。
 甘えるようにグレミオの肩口に頬を擦り付けながら、スイは小さく溜息を零した。
「別に、増築の話し合いなんて、どうせ何とかなるし──、ね。」
「そうですかぁ? 私はやっぱり、厨房がもう少し広くなったらいいなぁ、って思うんですけど。」
 彼がゆるく首を傾げると、サラサラと零れる髪が、頬に当たってくすぐったかった。
 少し身をよじりながら、くすくすと笑うと、グレミオはただ穏やかに笑って──スイの頭ごしに、窓の外を見た。
 どこまでも続くような、青空の蒼。
 ユルユルと自分の背を撫で続けるグレミオは、
「──ぼっちゃん……。」
 溜息を込めて、そう呼びかける。
 ん、と生返事を返すスイへと、
「あんまり、堪えるって言うのも、ぼっちゃんらしくないですよ……?」
 苦笑を交えて、そう囁いた。
「──どーゆー意味だよ、それは。」
 顎を引いて見下ろすグレミオに、顔を上げて軽く睨みを聞かせても、声が拗ねた口調を宿しているからか、グレミオはただ苦笑を広げるばかりだった。
「一年に一度の誕生日くらい、ワガママを貫き通す──そんなぼっちゃんが、グレミオの知ってるぼっちゃんだったものですから。」
「……──じゃ、グレ、ココに温泉掘ってくれるの?」
「────────………………あぁ…………そうですねぇ……ココに、温泉は、沸きませんねぇ。」
 軽く首を傾げながら、困ったようにそう呟くグレミオに、ほらみろ、とスイは溜息を一つ。
 再びグレミオの胸元に顔を埋めて、はぁ、とイヤミたらしく溜息を零すスイの頭を、ぽんぽんと軽く叩いてから、撫でてやりつつ──心の中だけで、こっそりと呟いた。
 そういえば……去年の誕生日、テオ様が約束したのは──。
「……難しい、ですねぇ………………。」
 それでも、かなえてやりたいと思うのは、やはり親バカなのだろうか?












 戦場に伝令がやってくるというのは、珍しくもないことだ。
 前線と砦、砦と都の間をつなぐ連絡網は、その伝令や伝鳩以外にはありえないからだ。
 だがしかし、さしもの百戦百勝将軍テオ=マクドールも、こういう形の伝令は、初めて見た。
「──────………………。」
 突然、何も言わず目の前に、本当に唐突に空間を割って現れた影に、誰もが目を見張り、驚き──そしてテオは何も言わず抜刀した。
 そんな男の目の前で、表情一つ変えない、魔法使いのいでたちをした美貌の少年は、ジロリ、と鋭い眼差しをあたりにくれ、驚きに混乱を隠せない一同を見回した目を、一人剣を抜いていた男で止めた。
 ス、と色素の薄い眼差しを細めて、彼は出現したときに自分が足蹴にしていた男を、がつんっ、と蹴りつけると、
「ぐっ。」
「アレンっ。」
 足元でうめき声が聞こえると同時に、近くに立っていた銀髪の美青年が何か叫んだように思えるが、まったく気にせず、カツカツとその男の前へと向かった。
 テオが油断なく片手で剣を前に突きつけるのにも表情一つ変えず、剣が届く間合いのギリギリ外で、ピタリ、と足をとめた。
「──何者だ、反乱軍の者か?」
 低い声で、脅すように尋ねたテオに、少年はヒョイと肩を竦めた。
 突然目の前に人が現れるという現象を、テオは二つ、知っている。
 一つは、間者にも使う、ロッカクの里の忍者たちだ。彼らは気配を消すのも上手い上に、どこに潜んでいるのか常人では知れないところがある。
 だが目の前の少年は、そうではない。
 どこからどう見ても、魔法使いにしか思えないいでたちをしていて、何よりも──見晴らしの良いこのような場所で、突然アレンの頭上に現れ、そのまま彼を踏み潰した、なんていう芸当が出来るのは、テレポート能力者だ……紛れも無く。
 そのような力の主が、反乱軍に居るとなると、少し厄介だな、と──テオは油断無く相手が紋章を放つ隙を与えぬうちにと、ジリ、と間合いを狭めようとした。
 そんな勇猛なる将軍が行動に移すよりも先。
「言付けを持ってきただけだよ──悪いけど、あんたみたいに人を見たら、すぐに戦闘に持っていくほど、僕は暇じゃないんでね。」
 少年は手に持っていた封書を、はい、と、テオに向けて差し出した。
 いぶかしげな表情で少年を見つめるテオに、彼は差し出した封書を、面倒そうに一瞥した後、ペシンッ、といきなりソレを地面にたたきつけた。
「──……っ!」
 実は煙幕か何かが仕込んであるのか、と、ビクリと体を揺らした一同であったが──だがしかし、手紙はそのまま地面の上に落ち……何も、反応はしなかった。
「…………??」
「じゃ、確かに届けたからね。」
 それどころか、彼は勝手に地面にたたきつけただけにも関わらず、涼しい顔でそう言ってのけると、来た時と同様、不意打ちのように、シュンッ、と──空気に掻き消えてしまった。
 後に残されたのは、地面の上に投げ捨てられた手紙と、抜いた剣先を戸惑いに揺らすテオ、そして、困惑を宿した部下たちだった。
 テオは、無言であたりの気配を探り、感じなれた気配以外しないことを確認した上で、彼は腰に剣を戻す。
 そうして、地面の上に打ち捨てられた手紙を見下ろす。
──少年は、反乱軍かと尋ねたテオの言葉を、否定することはなかった。
「………………………………。」
 無言で手紙を睨みつけていると、
「テオ様、危険です──ここは私が。」
 すかさず、アレンがその手紙の前に跪いて、そう囁いてきた。
 だがしかし、テオはそんなアレンを手で制すると、自らの手でその手紙を拾い上げた。
 上質な紙とインクを使ってあるらしいソレには、しっかりと封蝋もされていた。
 そして、その封蝋の形は……、
「──……反乱軍の旗だな。」
「テオ様っ!」
 冷ややかに断定したテオに、周囲から声が上がった。
 しかし、それを一蹴して、テオは懐に持っていた小刀で封を開く。
 中には、イヤがらせの定番の刃の欠片や、ガラスの破片などが入っていることはなく──ただ、一枚の書状が丁寧に折り曲げてあった。
 テオはそれを引き出し、目の前で広げ──そこに描かれた見慣れた文字に、スゥ、と瞳を細める。
 その字は、彼が昔、毎日のように目にとめていた部下と同じ字だった。
 同じ屋根の下で寝泊りすることを許した、最初の女性……何よりも気のおけない、腹心の部下。
──否、部下であった女の手跡だ。
「──────………………バカげているな。」
 小さくそう零して、テオはその書状を再び閉ざし、封筒に戻す。
 そんな彼を、アレンとグレンシールが、真摯な瞳で見つめている。
 テオは、彼らの目には何も答えず、代わりに周囲でなんともいえない顔をしている部下たちに視線を走らせた。
「なんでもない、ただの伝令だ。
 全員、持ち場に戻れ。」
「──はっ。」
 アレンとグレンシール以外の全員が、そのテオの声に答え、慌てたように散り散りに散っていく。
 テオはソレを最後まで見ることなく、手紙を手にしたまま、踵を返した。
 その先には、自分が寝泊りをしているテントがある。
 どこか急いているように見える足取りでテントへと向かうテオに、アレンとグレンシールが互いの顔を見合わせてから、付き従う。
「テオ様──その伝令は……、反乱軍の物なのですね?」
 眉を寄せながら、アレンが尋ねる口調には、危惧の色が見えた。
 ただでさえでもテオは、息子であるスイが反乱軍のリーダーになったらしいという噂から、帝国貴族から良く思われていない節がある。
 その上、最近入ってきた情報では、クワンダ・ロスマンが寝返ったというものまであり──誰もが、テオがどう動くかということに注視していた。
 それを思えば、「反乱軍」らしき少年からの手紙を受け取り、それをそのまま持ち帰るテオの姿は……良くはない、はずだ。
「──……いや、反乱軍ではなく。」
 テオは、いかめしい顔つきをチリとも変えぬまま、封書を仕舞いこんだ胸元を手の平で抑え込んだ。
 そして、そのままテントの入り口の布を手で掻き分けて中に入りながら、続ける。
「解放軍の、クレオと言う女からの『招待状』なだけだ。」
「…………………………テオ様っ!!」
 思わず、冷静沈着がウリだったはずのグレンシールも、悲鳴に近い声をあげずにはいられなかった。
「て、テオ様──っ、それは……っ。」
 慌てて、アレンもテオを追ってテントの中に顔を突っ込むと、テオは暗いテントの中、先ほどまでは絶対に顔に浮かべなかっただろう、意地の悪い笑みを広げてみせた。
「アレン、グレンシール。お前らも着いて来い。
 ……去年、約束しただろう?」
「──はい?」
 一体、何のことだと、目を白黒させる二人へと、
「今年の温泉旅行には、お前らも連れて行ってやる、と。」
 テオは、酷く久し振りに見せる、嬉しそうな表情で、笑いかけた。











 誕生日プレゼントは、何がいい?
 毎年のように尋ねて来る、どこか不器用な父の台詞に、一生懸命考えてから答えるスイの言葉は、いつもワガママなように思えて、気遣いに満ちていた。
 忙しくもあり、帝国の要の一つを負う父の負担にならないように、彼はいつも「手軽に買える物」で父の問いに答えていたのだ。
 その代わり、グレミオやクレオに強請る物が、少しばかり別であることを思えば、やはりスイはテオにはいつも気を使っていたのだろうということが分かる。
 そんな彼が、初めて、帝都ですぐに手に入らないものを強請ったのが、去年のことだった。
「──父上、誕生日プレゼントは、物じゃなくても、いいですか?」
 不意にそう尋ねてきた息子の姿に、テオは驚きを隠せなかった。
 こういう重要なときばかりは、いつも物分りの良い子供をそつなくこなしてきた息子の、もしかしたら初めてのワガママになるかもしれないのだ。
「何を求めるつもりだ?」
「父上の時間を。
 ──来年、僕は仕官するでしょう? そうしたら、こうして一緒に誕生日も祝えなくなると思うんだよ。
 だから、その前に……思い出でも、作っておこうかなー、って思って。
 ほら、走馬灯のときに息子との思い出が一つもない人生っていうのは、やっぱり父としては哀しいものではないのかと思ってさ。」
 ヒラヒラ、と手を振りながらそういうスイの顔は、あでやかな微笑みに満ちていた。
 ──言っている内容はどうかと思うものの、それでもスイが、自分との「思い出」を誕生日プレゼントに求めているのは分かった。
 それが、自分のためなのか、父のための提案なのか──どちらに比重を置いているのかは分からなかったが、それでも。
「──今年は無理だが……来年なら、約束はしてやれるな。」
 彼の望みを、かなえてやるのは、喜びであった。
「来年?」
「あぁ、来年だ。──さすがに今年は、言い出だすのが遅いから、無理だろう。
 だが、来年なら……なんとかしよう。」
「本当?」
 驚いて──もしかしたら、本当は無理なのかもしれないと、そう思ったうえで言ったのかもしれない──目を瞬くスイの、最近ずいぶん大人びてきた容貌に宿る喜びの色に、テオはしっかりと頷いてやった。
「日付は前後するかもしれんが、絶対だ。どこに行きたいか、決めておけ。」
 笑ってそう頭の上に手を置いて、ポンポンと叩いてやると、彼は本当に嬉しそうに顔をほころばせて笑った。
 少し照れたように──でも、満面の微笑を浮かべたスイの顔に、もっと早く、時間を取って、一緒に旅行でも行ってやればよかったのだと、チラリ、とテオの脳裏に後悔が走った。
 けど。
 今からでも、遅くはない。
 遅くは無いのだと……あの時は、そう、思った。
 スイも、テオも──そして、温泉旅行に行きたいと言い出したスイのために、さまざまなパンフレットを用意したクレオもグレミオもパーンもテッドも。
 誰もが、あの時は、疑いすら、しなかったのだ。

──「来年」は、あたりまえのように、来るのだ、と……。














 朝も早くから、グレミオから「ぼっちゃん、誕生日おめでとうございますっ!」と抱きつかれ、いそいそと誕生日仕様の派手な服に着替えさせられようとしたところに蹴りを入れ、ウキウキと浮き立つグレミオに、指先を突きつけながら、言い含めたのが、つい先ほどのこと。
「いいか、グレミオ! 今日が僕の誕生日だと言うことは、内緒にしておけっ! ──って、二ヶ月も前から言い続けてきたと思うけど、もう少しそのウキウキモードは何とかならないの?」
「無理言わないでくださいよ〜vv グレミオにとって、ぼっちゃんが生まれたこの日は、まさに私の人生の二度目だったか三度目だったかのやり直しの時と同じっ! あぁ……私が始めてぼっちゃんに出会ったあの日を思い出すと、今も胸がいっぱいに……っ。」
 二ヶ月間、同じ台詞を繰り返してもなお、まだ陶酔に浸れるグレミオに感心しながらも、それでも今日は一段とグレミオに言い含めた。
 何せ、ココは解放軍。
 たとえそうは見えなくても、今は戦争の只中。
 先ごろ、クワンダ・ロスマンとの戦いを終え、なんとか元解放軍の一部の仲間達とも合流したとは言っても、その矢先からミルイヒ=オッペンハイマーとの戦いが控えているような状況だ。
 はっきり言ってしまえば、そのように浮かれている場合ではない──正しく言えば、本当は仲間が増えたからといって、増築工事についての会議を開いている暇もない。しかし、解放軍の仲間の一部が合流して、寝泊りするところがないというのは重要な不満の原因であったため、仕方がないと言えば仕方がないのだが。
「僕の誕生日なんて、どうせ毎年やってくるんだから──来年も再来年も生きてたら、その時盛大に祝ってくれ。」
「何を言ってるんですかっ! 誕生日なんてものは、一生に限られた数しかめぐってこないんです! ソノ中の、大事な一回ですよっ!? それもグレミオの大事な大事なぼっちゃんの、たった一度の今年のバースディッ! どうして無視することなんて出来ましょうかっ!
 あぁ、やっぱりぼっちゃんに止められたからって、ケーキを焼くのを止めなければ良かったですねぇ……三人分のタルトじゃ、どうも小さくて蝋燭が立ちません。」
 ブツブツ言いながら、グレミオが机の上で昨日焼いたという小さなタルトを前に、蝋燭を立てるのを悪戦苦闘しているのを見ながら──結局、豪勢な三段ケーキを焼くのは諦めてくれたが、一人サイズのタルトを焼くといって、譲らなかったのである──、スイは諦めたような笑みを貼り付けながら、ベッドに腰掛けた。
 ふ、と視線が舞い落ちるのは、テッドから手袋ごと受け取った、右手の甲に刻まれた紋章。
「──……そのうち、三段ケーキでも、蝋燭が立てられなくなるかもね。」
 そんな戯言を呟いて──同時に、あぁ、とスイは自虐的な笑みを唇に浮かべる。
 三段ケーキも何も、その時までケーキを焼いてくれる張本人が──自分の誕生日を祝ってくれる張本人が、傍に居てくれるとも限らないのに。
「何かおっしゃいましたか、ぼっちゃん?」
「ぅん? いや、別に。
 僕は、グレミオとクレオが祝ってくれるだけで、十分幸せだよ、って……そう思っただけ。」
 振り返って首を傾げるグレミオには、ニッコリと良い子の微笑みで答えて、スイはヒョイと立ち上がり、グレミオの隣に近づいた。
 覗き込んだそこには、グレミオの手作りのタルトが三つ、皿の上に置かれていた。
 キレイに飾り付けられたその上に、スイはそのまま手を伸ばし、ヒョイ、と上に乗せられたラズベリーを摘み上げた。
 そのまま、パク、と口の中に入れる。
「あーっ! ぼぼ、ぼっちゃんっ! 何をするんですかっ!」
「いいじゃないか、どうせ僕の誕生日ケーキなんだから。」
 悪びれず、しれっとしてグレミオに笑いかけるスイが、そのまま手癖悪く、もう一つタルトの上からラズベリーを奪い取る。
 それを同じように口の中に放り込むと、
「ぼっちゃんっ!」
 グレミオが、目じりを吊り上げて叫んだ。
「アハハハっ、いいじゃん、一個や二個くらい〜。」
 スイは、蝋燭を持った手を振り上げて怒るグレミオから、ひょい、と一歩距離をとって、そのまま部屋の入り口向けて走った。
 口の中には、甘酸っぱい香と味が、いっぱいに広がっている。
「どーせ、誕生日で盛り上がるのは、グレミオの前だけなんだからさ〜。」
 それに最近は、ずーっとグレミオのケーキもお預けだったけれど、グレミオの作っているのを邪魔して摘み食いするという行為すら、していないのだ。
 たまにはこういうのもしたくなるじゃないか、と、笑いながらスイは部屋の扉に手をかける。
「朝食の後、ここでグレミオとクレオとパーンと一緒に食べよう、そのタルト。」
 ね、と、笑いかけて──……アレ? と、スイが首を傾げた直後、
「あっ! パーンさんの分を作るのを忘れてましたっ!」
 しまった、とグレミオが手を口に当てて叫んだ。
 そう──タルトは三つしかなかったのだ。
「──あーぁ……食べ物の恨みは怖いんだよ、グレミオ。」
 やれやれと、スイはゆっくりとかぶりを振ると、グレミオはすぐさま蝋燭を置いて、
「すぐに作ります! あのっ、朝食が終わるまでには、必ずっ!」
 キリ、と顔つきを改めて、スイの後を追ってくる。
 スイは、そんな彼に小さく笑って、先に部屋を出るためにドアのノブを回した。
 そのままドアを薄く開いたと同時、
 コン……っ。
 何かがドアの外に当たったような音がした。
 アレ、と、首を傾げながら開いた扉の外。
「ぼっちゃん……っ。」
 聞きなれた声の聞きなれた響きを口にして──驚いた顔のクレオが、呆然とドアから顔を覗かせたスイを見下ろしていた。
「アレ、クレオ? おはよう。」
 キョトン、と目を見開き──すぐにスイは、満面の微笑を貼り付けた。
 クレオは、そんな彼に少し緊張した面持ちで……けれど、隠し切れない喜びの色を顔満面に称えて、同じように満面に微笑みを貼り付けた。
「お誕生日おめでとうございます、スイ様。
 ──準備は、滞りなく終了していますよ。」
 久し振りに見る、それはそれは嬉しそうなクレオの言葉に、スイは不思議そうな顔で背後のグレミオを振り返った。
 けれど、グレミオもまたクレオから何も聞いていないのか、軽く首を傾げるばかりだ。
「準備って──グレミオのタルト以外に、何か用意してくれてるの?」
「ええ。きっと、喜んでいただけると思いますよ。
 さぁ、コチラへいらしてください。」
 何を準備しているのか──それは口にせず、本日の、とびっきりのプレゼントをほのめかしながら、クレオはスイとグレミオを促し、先に立って歩き始めた。















 今日の朝食は、特別に本拠地外で取るのだと言われて、クレオに誘導されて向かった地下一階。
 珍しくガランとした地下の大きな鏡の前には、黒髪の美少女が一人、キリリとした顔つきで待機していた。
 そんな彼女も、階段を下りてきた女戦士の姿と、その後ろに続く軍主の姿を見かけた途端、へろり、と崩れるような笑顔に変わる。
「スイさん〜。お誕生日おめでとうございます〜。」
 のんびりと微笑むビッキーが、嬉しそうに告げた台詞に、思わずスイは背後から付いてきていたグレミオを振り返った。
 ジロリ、と睨みつけると、グレミオは慌てたように大きくかぶりを振る。
 自分は、絶対に、漏らしてはいない、と。
 すると、絶対に漏らしはしないと思っていた相手から、アッサリと自白が零された。
「すみません、スイ様。私が皆さんに言ってしまったんですよ。
 ……今日が、スイ様の誕生日であると。」
「──クレオ……。」
 少しの苦笑──けれど、その中から滲み出る喜びの色に、スイはなんともいえない顔で彼女を見上げた。
 それから視線をずらし、ニコニコと笑っているビッキーに、淡く微笑みかける。
「ありがとう、ビッキー。」
 クレオは「皆さん」と言った。
 そして、彼女が連れてきた先に居た、ビッキー。
 イヤに静かな解放軍の本拠地。
「…………まったく、お祭り好きな連中に、お祭りを提供しちゃったみたいだね……。」
 答えが出るのは、ひどく簡単だった。
 大事なときに、何をしているのか──そう思わないでもなかったけれど、なんだかんだ言って、マッシュが自分に甘いということを再確認してしまったような気もしていた。
 それは、グレミオとクレオにしても同じようで。
「やっぱり、ぼっちゃんは皆さんに愛されてるんですね〜v」
「……グレミオ、それはあんまり私の前で言わないでくれ──ここ数日、シャレにならないと思うことが、何度かあったから。」
 悦に入るグレミオに反して、クレオは、はぁ、と重い溜息を零す。
 スイはそんなクレオを見上げて──なんとなく思い当たることがある自分に、苦い笑みを刻みつつ、ビッキーに「お願い」した。
「それじゃ、ビッキー──頼まれていた場所へ、僕を連れて行ってくれるかな?」
 もちろん、今日のお祭り騒ぎに加担しているビッキーに、否という言葉があるはずもなく。
 彼女は、大きく首を上下させて、杖を振りかざした。
「はいっ! まかせてくださいっ! 今度は、失敗しませんからっ!!!」
────少しばかり……いや、だいぶ不安に残る台詞を、自信満々に叫びながら。
「えーっと……今日だけで何人他所に飛ばしたかわからないけど、とりあえず、頑張れ。」
 コリコリ、と頬を掻きながら、クレオが遠い場所へ視線をそらすのを横目に、スイは無責任にもビッキーにそう応援を飛ばしてみた。
 するとビッキーは、満面の笑顔で、杖を握りなおすと、
「もちろん、大丈夫ですよ、スイさんっ! さ、いきますよ〜。
 えーいっ!」

ヒュンッ。

 一瞬で、ビッキーの顔がぶれたかと思うと、次の刹那には、目の前に違う人の顔が──。
 そう、それは無事にスイたちがテレポートに成功したことを示していたのだが、瞳を開いた先に居た男が誰なのか悟った瞬間、スイは思わず胡乱気に目の前の人をしげしげと見つめてしまった。
 無骨な男らしさと、凛々しい顔つき──おそらく、帝都のみならず他国にも名を馳せていると思われる、スイにしてみたら久し振りの……けれど、酷く見慣れた顔。
 会いたい、と思わなかったらウソになるが、さすがにテレポート後に出現した先にいると、困る顔ではあった。
「──……スイ…………。」
 どこか困惑したような──けれど、目の奥に紛れもない喜びの色を称えて呟く彼に、スイは何ともいえない顔を向けた。
「────…………って、…………成功したと、思ったんだけどなぁ………………。」
 頬に手を当てて、しんみりと──そんなことまで呟いてしまう。
 いつもの恒例の、「あーっ!」だとか、「ぁっ」だとかが無かったから、てっきり成功したものだと思ったのに。
 ふぅ、と溜息を零して、スイは、目の前の男をもう一度見上げた。
 何度見ても居なくならない相手──テオ=マクドールは、少しだけ眉を寄せて、何か言いたげに口を開いては、閉じる。
「──それとも、僕が……悪いのかなぁ、これ。」
 仕方がないことだと、そう、吹っ切ったつもりだったのに。
 さて、とりあえず洒落にならないことになる前に、戻るかと、常に懐に抱えている瞬きの手鏡に手を当てた瞬間であった。
「ココであってますよ、スイさま。」
 クスクスと──堪えきれない微笑を零しながら、クレオが声をかけた。
 かと思うと、彼女はスイの肩に手を置き、そのまま視線をあげて──スイの目の前に立つ男に向けて、ニッコリと微笑んで見せた。
「お久し振りです、テオ様。このたびは、わたくしのワガママにご承諾いただきまして、まことにありがとうございます。」
 スイの目の前に立つ男が、紛れも無い実物で張本人であることを示す言葉を──同時に、スイが彼の前にいることは自分の策略であると暴露する台詞を、嫣然と微笑みを刻んだ唇で、吐く。
「…………ク……レオ……っ!?」
 丸く目を見開いて、スイは驚いたように彼女の顔を見上げた。
 その、呆然と見開かれた瞳を、クレオは悪戯気に見下ろして、軽くウィンクしてみせた。
「私からの、誕生日プレゼントですよ……スイ様。」
 楽しげな響きを宿した声でクレオはそう囁いて──すぐに、あぁ、いえ、と、言葉を続けた。
「私からではなく……みんなからの、でしたね。」
 刹那。




パーンッ! パパパンッ!! パァンッ!!!




 耳鳴りがするほどの、盛大な音が、周囲から聞こえた。
「──……っ!?」
 ビクリ、と肩を震わせたスイが、今更ながらにようやく、目の前の父の姿から視線を引き剥がした先で。
 ヒラヒラと、舞い散る紙ふぶき。
 その色とりどりの色紙の向こうで、クラッカーを手にした見慣れた顔たちが、笑っていた。
「お誕生日、おめでとうっ! スイ様っ!」
「おめでとうございます、スイ殿。」
「おめっとさん、スイ。」
 誰もの顔に浮かび上がるのは、楽しそうで嬉しそうで──少しだけ、意地の悪い笑み。
 スイは、そんな彼らをグルリと見回して、思いっきり眉を寄せた。
 自分達を囲むようにして立っている彼らの姿が、胡乱気に見つめてしまうほど、愉快だったからだ。
 カミーユにビクトールにフリックに、さらにはレパントやアイリーン、クワンダ・ロスマンにいたるまで、誰も彼もが同じ衣装に身を包んでいる。それが、面白い仮装なら、このパーティを面白おかしくするための余興なのかと思うところなのだけど。
「──……。」
 そのまま視線をずらした先──人垣の向こうに見えた、自軍の軍師の顔に、ハッ、と目を見開く。
 穏やかな微笑を貼り付けて、人垣の向こうに立ち尽くす男は、周囲の人々と同じように「解放軍」という文字が入った、浴衣を身に纏っていた。
──そう、それも、寝巻き代わりに身につけるような、浴衣、である。
「…………マッシュ。」
 呆然と呼びかけた先、マッシュは手にしていた物を軽く掲げてくれた。
 白い木綿の布地にも、同じように紺色で「解放軍」と言う文字が入っていた。
 それは、どう見ても、昨夜もフロの中で使ったような覚えのある、手ぬぐいで。
 これは一体どういうテーマのパーティだと、スイは顔にアリアリと不信感を貼り付けて、ニコニコ笑っている一同の顔を見渡した。
「──サプライズパーティだというのは、分かったんだけど……なんでみんな、浴衣なのさ?」
 まったくもって、理解できない。
「そりゃ、決まってるだろ。」
 肩から木の洗面器を担いだシーナが、ほら、とその洗面器ごとスイに差し出した。
 ちょうど良い大きさのソレの中には、折りたたまれたタオルと石鹸と浴衣。
「風呂に入るんだよ。」
 無言で視線を上げた先で、シーナは楽しそうに片目でウィンクしてみせる。
「……は?」
 思いっきり胡乱気な目で、スイがそんなシーナを冷静に見返す。
 そのスイの隣では、メグがカミーユが、同じようにタオルと石鹸が入った洗面器をクレオとグレミオに手渡した。
「……まだ朝起きたばっかりですから、そんなに汚れてないと思うんですけどねぇ……。」
 軽く首を傾げるグレミオの呟いた台詞に、困惑しながら受け取った洗面桶を覗き込んでいたスイは──ハッ、と、何かに気付いたかのようにテオの顔をクレオの顔とを見交わした。
 マジマジと見つめたテオは、浴衣姿ではない。
 けれど、その小脇には──スイが手渡されたものと同じ、洗面桶がしっかりと抱えられていた。
「…………まさか……。」
 確かに、一週間前、増築工事の会議で、「温泉を掘ろうか」と言ったことは記憶にも新しい。
 実践してもいいと言われたら、本気で実践するつもりは満々であったが、マッシュやクレオが、それを進めることなんて、ないと思っていた。
 けれど、スイのその呆然とした視線を受けて、マッシュはしてやったりとばかりに、ニッコリと穏やかに微笑んで見せた。
「ええ、そのまさか、ですよ、スイ様。
 ──さすがに、本拠地に温泉を掘るのは無理でしたけど。」
 ココなら──と、言いながらマッシュが振り返った背後には、見覚えのある町並み。
 他のトラン地方には無い建物の形は、つい最近にも訪れたことがある村のソレだ。
「ったく、苦労したんだぞ?」
 いつもの青いバンダナをしたまま、イヤに似合っている浴衣姿で、フリックは小脇に抱えた洗面器をコツンと叩く。
「周辺で温泉が掘れそうな場所を探してなぁ……。」
 したり顔で説明しようとするフリックの肩を、ガシッ、と抱えて、ビクトールがヒョイとおどけた調子で顔を覗かせる。
「みんなでスコップ持って、掘って掘って、堀まくったんだぞー。」
 俺もな、と、不器用なウィンクを飛ばすビクトールの背後から、
「おいおい、おっさんっ! 自分だけが一生懸命やったように言うなよっ! 俺だって、寝る時間も惜しんでやったんだぜっ!?」
「君は、レパントさんに突付かれただけだろ。」
 シーナが叫び、いつのまにかスイの隣に立っていたルックが、冷ややかな眼差しでそう呟く。
「私だって、頑張って掘ったわよー。」
「それを言うなら、私はみんなが掘っているのを、踊って応援していたわっ。」
 メグが腰に手を当てて、胸を張って言い切れば、ヒョイと顔を覗かせたミーナが、浴衣の上からなぜか羽織って居たショールを優雅に舞わせて、クルリン、と一回転する。
 鼻先に触れたミーナの甘い香水の香に、思わず鼻の下を伸ばしたシーナの鼻先を、ピシャリ、とミーナのショールがたたきつけた。
 思わず後ろに下がって、鼻の頭を抑えるシーナに、まったく、と呆れたようにフリックたちが苦い笑みを貼り付ける。
「それでは皆さん、ぼっちゃんのために……このドワーフの村に、温泉を掘ったって言うことなんですか……?」
 呆然と、持たされた洗面器を見下ろし、困惑した表情でグレミオは眉を寄せた。
 スイはそんな彼の言葉に、改めて周囲を見回す。
 山に程近いドワーフの村なら、確かに温泉を見つけることもできるかもしれない。
 けれど、本当に温泉が掘れるかどうかなんて、一種の賭けであり、何よりもそこまでの深さの温泉を掘り当てるまでの労力を考えると──一週間で、無茶だとしか言いようがなかった。
「無茶、するなぁ……。」
 小さく呟いたスイの言葉に、クレオが小さく笑みを零す。
「ぼっちゃんが普段やっていることに比べたら、ぜんぜんですよ。」
「そう?」
「ええ、そうです。」
 首を傾げるスイに、自信たっぷりに頷いて見せて、クレオは笑った。
 それから、ハイハイ、と一同に向けてパンパンと手の平を叩いて注目を集めさせると、
「さぁ、まずはみんなで朝食を食べましょう。
 それから、後はゆっくり温泉に浸かって下さい……ぼっちゃん。」
 テオ様と、ご一緒に。
 ──その言葉だけは、そ、と口の中で呟いて、クレオは満開にほころぶ笑顔で、幹事らしく事を仕切るために、キリキリと動き始めるのであった。
















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