すべてが闇に閉ざされた世界──闇の世界。
深淵の闇に支配されたそこは、深き夜の気配を濃厚に宿す王──偉大なる魔王陛下により治められている。
長い月日を生き続けた魔王陛下は、常に退屈をもてあましていた。
かの人がおわす世界の中心たる「闇の宮殿」には、その魔王陛下の退屈を紛らわせるためのさまざまな品や娯楽が集められる。
今、彼の目の前にいる二人の女たちもまた、その「娯楽」の一種であった。
豪奢な家具で飾り立てられた部屋の中央──薄い布で豊満な肉体を覆う女たちは、互いに絡み合うようにして体を揺らしあっている。
白い肌に妖艶にまとわりつく漆黒の髪を風に揺らし、しゃなりしゃなりと揺れる女と、浅黒い肌をしどけなく覆う銀色の髪を背に流す女。対を成すような外貌の女たちは、細い腕を交差させ、互いの腰に手を回し、ゆぅらりと左右に揺れた。
漆黒と銀の髪がこすれあうたびに、空気を震わせるような美しい音が楽を奏で、あでやかな色の光が空気を淡く染める。
闇の世界にはない、「光」を司る術によって、舞をあでやかに演出する踊り子たちだ。
確かにこの世界では珍しいことこの上ない二人組みではあるが──長く生きた魔王にとっては、「珍しい」ものではない。
優雅な舞を見せる二人の女には一瞥もくれず、彼は優雅に腰掛けた長椅子の上で、退屈そうにあくびをひとつ、かみ殺す。
長い毛足の絨毯の上には、美しい笑みを浮かべる彼の忠実なる女官が3人、跪いていた。
一人の女は大きな羽根の扇を揺らし、男の元にどこか生暖かい風を送る。
一人は、真紅のワインのボトルを手にし、隣に跪いた女が掲げ持つ銀の盆に載せられたタブレットが空になるのを待っている。
魔王たるその人は、長椅子に深く腰をかけながら、優雅に脚を組替えた。
目の前の女たちの舞は、ますます過熱していき、やがて二人の周囲に見事な虹色の輝きが生まれはじめる。
二人の体がこすれあう音は、いっそうつややかな色を宿し、魔王の傍に跪いていた女官達が、思わずヒュッと息を呑むほどだった。
だがしかし、魔王はそのすばらしい光景にも無感動に、鼻をひとつ鳴らすと、円卓の上に手を伸ばした。
すかさず、その魔王の手に、ス、と彼が取ろうとしていた書類が差し込まれる。
いつの間にかソファの後ろに歩み寄った女が、いつもの嫣然とした微笑を口元に刻み込みながら、気配もなくそこにたたずんでいた。
ほかの女官達と違い、二人の舞手に気を取られることもない。
魔王はその女官──魔王直属の女官長の存在を気にもせずに、手渡された書類を広げた。
とたん、ひらり、と零れ落ちる白い軌跡。
書類の間に挟まっていたらしい封書が、ヒラヒラと舞う。
それは、絨毯の上に落ちる前に、白い指先につかまれて動きを止めた。
ようやく、舞手に心を奪われていた女官が我に返り、自らの前にひらめいたそれを掴み取ったのだ。
艶やかな薄紫のマニキュアの塗られた指が、白い封筒をヒラリと返す。
そのまま彼女は、両手を添えてその手紙を魔王に向けて差し出した。
言葉をつむぐことはない。
魔王に声をかけられても居ないのに──声をかける許可も得ていないのに、彼に声をかけることが許されるのは、ごく一部の者だけだ。
今、魔王の傍で控えることを許された女官は、魔王にそのことを許されては居なかった。
顔もあげず、ただソ、と邪魔にならない程度に封書を差し出す女を見下ろし、魔王は何も言わず、それを当然のように受け取る。
「士官学校からのものか。」
呟かれた官能的な響きに、ぞくり、と女は肌を粟立てた。
白い頬に、パッと音が鳴るように朱色が散り、彼女は潤んだ眼差しを必死でまつげで押し隠す。
まだ舞い続ける舞手たちの魅惑的な舞よりも、魔王陛下のお言葉は、彼女たちの心に強く響いた。
その対面では、少しだけ悔しそうな表情を宿した女が、かすかに手に力を込めて、扇を仰いでいる。
魔王は、それらに気づいているだろうに、愉悦の笑みを広げるだけで何も口にすることはなく、封書を裏返す。
白い上質の封筒に落とされた封蝋の形は、士官学校の校章と同じもの──紛れもなく、士官学校からのものだろう。
また、定期報告書だろうかと思いながら、彼は封を破った。
中から出てきた上質の紙に描かれた文字を認めた瞬間、彼は、ほぅ……と目を細めた。
そして同時に、先日強行突破と言わんばかりの休暇届の存在も思い出した。
なるほど──聡明な魔王は、あの「休暇届の主」が何を考えているのか、一瞬で理解した。
「もうそんな時期ということか……。」
愉悦を含んだ声は、新しい楽しみを見出したかのような色に染まっていた。
魔王は、今も執務机の上に放り出されたままの休暇届を思い出しながら、頬杖をつく。
「──同窓会、な。」
士官学校の「同窓会」。
それは、この世界で一番の情報収集の場だと言う意味で、非常に有名なソレだ。
一年に一度開かれる「定期同窓会」と正式名称をつけられているソレは、情報交換の場であり、能力を切磋琢磨して磨き上げる場でもある。
士官学校を卒業した後、魔法実技レベルの試験を受けようとしていたり、各宮の仕官試験合格を狙っていたりする者たちには、非常に有意義な場である。
けれど。
「さて……その『同窓会』に、なぜ、カッフェが用があるというのだろうな…………?」
底の知れない愉悦を含んだ声に、ぴくん、と女官が肩を震わせる。
そのまま絨毯の上にひれ伏す娘たちの長い髪が、ドレスの裾のように広がる。
魔王は、それを興味もない眼差しで見下ろしながら、ふん、と鼻先で笑った。
「くらだんことを考えている馬鹿に、くれてやる休みはないと思うが……。」
ヒラリ、と封筒を指先で摘んで振る魔王の意を解して、女官が、恭しくその封筒と手紙を受け取る。
丁寧に折りたたまれたソレを、大事そうに懐に抱き、彼女はソヨソヨと退室していった。
その女には一瞥もくれず、足を組み替え、怠惰に頬杖をつきながら、彼はウットリするほどの美声で、こう、零した。
「……さて…………どうしてくれようか?」
部屋の中にひっそりと響いた王の声は、楽しい玩具を見つけた喜びに満ちていた。
また、魔王さまに新しい楽しみができたようだった。
そう思った瞬間、ただ無言で微笑を浮かべ続けていた魔王陛下の忠実なる女官長は、
「…………………………。」
また何かをやらかしたらしい四天王の一人の顔を脳裏に思い浮かべ、そ、とため息を押し殺すのであった。
彼ら四人が、闇の宮殿内にあるカッフェの居室近くの中庭で、会合めいた昼食を取るのは、毎日の日課だった。
魔王陛下直々の配下であり、同時にこの世界を統べる王の片腕でもある彼ら四天王は、この世界でも屈指の忙しさを誇る激務人である。
秒刻みでスケジュールが決まっていると言っても過言ではない彼らであったが、睡眠時間を削って仕事をしても、この昼食会だけは、決して時間を削ることはない。
なぜなら、一見ただのお話会にしか見えない四天王だけの昼食会は、顔をあわせることが少ない彼らの、唯一の情報交換の場であったからだ。
食べながら仕事の話を交し、食休みの間には様々な意見の交換を行う。
ほんの短い間ではあったが、そうやって彼らは必ず一日に一度は顔をあわせるのだ。
──もっとも、偉大なる魔王陛下のおかげで、激務の只中にあっても、よほどのトラブルや事件が起きることは、滅多にないおかげで、ただのおしゃべりタイムに近くなっていたのだが。
特に当代の四天王四人は、年が近いこともあって、仲がいい。
そのため、どうでもいい話なども、良く出てくる。
今日も例に漏れず、食べ終わった皿を片付けながら、ふと話題に出たのは、どうでもいいことだった。
「あ、そういえば、カッフェ。この間陛下に頂いたって言っていた蝋、あったよね? 闇色のきれいなの。」
軽く首を傾げながらそう呟いたのは、芝生の上にチョコンと座り込んでいた一番年下の少年であった。
金色の髪を持つ地の四天王、「ゴールド」は、にこやかな微笑みが良く似合う可愛らしい面差しを、斜め前に居たカッフェに向けた。
視線の先には、ゴロゴロと芝生の上で寝転がっていた赤い髪の青年が居る──当代四天王の最古参である、炎の四天王の役職を持つ青年だ。
満足行くまでたっぷりと食事を済ませた彼は、腹の上に出した炎の人型──イフリータと呼ばれる炎の精霊と、戯れていた。
「あら、またカッフェったら、陛下からそんな高価なものを頂いたのっ!?」
驚いたように目を瞬かせる美女が、言葉尻に悔しさと呆れを混ぜて呟く。
月の光が良く似合う漆黒の髪を背中に流した、四天王の紅一点、水の四天王リヴァンは、そのままグルリと視線をめぐらせた。
指先にもう一匹イフリータを召還するカッフェを、リヴァンは胡乱気に見つめる。
「まともに封蝋なんて使う機会も無い癖に、もったいないわ。」
キッパリ言い切るリヴァンは、そのまま不機嫌そうに腕を組む。
寄せられた柳眉に濃く皺を寄せて、彼女は顎を軽く上げて拗ねたように唇を尖らせる。
いつもは涼しい顔をしているリヴァンが、こういう顔を見せるのは本当に珍しい。
美しいダークオレンジの口紅を塗られた唇が、軽くとがるのを見ながら、カッフェの方もそれを真似たかのように唇を尖らせた。
「って言われても、陛下が、封蝋は必要だろうってくれただけだぜ〜?
それに、高価って言っても、陛下が使ってるなんとかいう油の入ったものよりも、ずーっと安いと思うけどさ。」
ゴロリ、とうつ伏せに転がって、カッフェはペタリと芝生の上に顎を落とした。
彼の腹に乗っていたイフリータは、そのカッフェの動きに、フワリと空中に舞い躍り、ストン、と芝生の上に着地した。
普通なら、炎の精霊が触れたものは、すべてその瞬間に燃え上がる。
にも関わらず、カッフェの呼び出した精霊は、触れたモノを燃やすことすらない。
はっきり言って、ただの魔力の無駄使いにしか見えなかった。
けれど、この場に居る四天王は慣れたもので、それを見ても注意することもない。
「カッフェが使うものと、陛下が使うものを、同列で考えるのは、陛下に対する侮辱よ。」
まったく、と腰に手を当ててブツブツと呟くリヴァンに、だってさー、とカッフェは指先で二匹のイフリータと遊んでやりながら、ヒョイ、と顔を上げた。
「陛下が色々くれるんだよ。なんか陛下の中古品とか、買ったのはいいけど使いづらいやつとか。」
「それは──陛下の後始末屋のようで、ずいぶん優遇されているようにも取れるな。」
なんともいえない顔で、それまで黙って話を聞いていた銀色の髪の青年──風の四天王シルバーは、自分の口元を手の平で覆った。
それから、少し視線をさまよわせた後、シルバーは、カッフェを正面から見やって、
「カッフェ──お前、陛下から色々貰ってるんだよな?」
そう、尋ねた。
おそらく、女官連中を除いたら、四天王が一番魔王陛下に接する機会が多い。
その四天王の中でも、古株にあたるカッフェは、自分たちよりもずっと魔王陛下の近くにいる。
だから、色々と貰っていても、わからないわけではない。
「あぁ、そうだぜ。
陛下は、色々買っては、いらんって、まわしてくるからさ。
俺の宮、俺の趣味じゃない高価そうなのがゴロゴロしてるぜ。」
この世界の想像主である魔王陛下からの贈り物が必要じゃないと言いたげに、カッフェはつまらなそうに指先のイフリータの姿を消した。
「陛下から貰ったものだから、捨てるわけにも、誰かにやるわけにも行かなくって、山積みになってんだ。」
趣味じゃないものばっかりなんだけどなぁ──と、続けて小さく呟いて、なんでもないことのようにカッフェは肩を竦めた。
そんな彼に、呆れたようにゴールドが片目を眇める。
「……片付けくらいしたら、カッフェ?」
思い出すのは、カッフェの宮の雑然とした光景だ。
出入り口も通路も他の部屋も、美しく飾り立てられているし、掃除も隅々までされている──女官達によって。
けれど、カッフェの私室である部屋だけは、いつも別だった。
あの中に埋もれている品々こそが、陛下から贈られたガラクタであることは、間違いがなさそうだ。
「片付けしろって言うなら、片付ける暇を作ってくれよ。」
ヒョイ、と身軽に起き上がり、地面に上にあぐらを掻く。
陛下から直接頂いた物ともなると、四天王の宮に仕える女官連中は指先を触れることすらできない。
だからこそ、カッフェは、自分の手でそれらを片付けなくてはいけないのだ。
なんだかんだと興味がなくて、放り出したままの陛下からの配給品が、一体どれほどのヤマになっているのか──思い出しただけで、ゲンナリした。
そのうち、カッフェの寝る場所すらも侵略されるのではないかと思うような光景に、そろそろ片付けないとダメかなぁ、なんて──陛下からの贈り物を喉から手を出すほど欲しがっている人間からしてみたら、贅沢すぎる悩みだ。
「俺、ここ数年、まともな休みすら貰ってないんだぜー?
こないだ生まれた弟の顔だって、最後に見たのは何年前だか…………。」
はぁ、と、またいつもの愚痴をこぼし始めたカッフェを、はいはい、とリヴァンは軽くあしらう。
そこへ、慣れたようにシルバーが突っ込む。
「一年と半年前だろ。
お前、公務で外出したときに、無理やり実家に帰って、陛下から一週間の陛下部屋監禁を命じられただろ。」
「あー……そういや、そんなことがあったな。」
遠い昔を思い出すように首を傾げたカッフェに、さすがのシルバーも突っ込み疲れを覚えた。
一年半前、実家に顔を出して、まだあどけない弟と遊んでいる最中、いつの間にか背後に立っていた陛下に、あっと言う間に連れ去られた過去を、なぜこうも簡単に忘れ去ることができるのだろうか……いや、それとも、そんなこと「当たり前」すぎて、過去のかなたなのかもしれない。
「陛下部屋監禁なんて、罰じゃない気がするけどね。」
そんなステキなことが「罰」だと言われるからこそ、余計なやっかみを買うんだよ、と、食後のお茶に舌鼓を打ちながら、ゴールドがため息をひとつ零す。
そんな彼に向かって、カッフェはキリリと眉を吊り上げる。
「何をーっ!? 陛下の部屋で、ずーっと首輪に鎖つけられて、仕事させられるんだぞっ!? あれが拷問じゃなくって、なんだっていうんだっ!?」
「つい今の今まで、忘れていたじゃないの。」
すかさずリヴァンはそんな彼に突っ込んで、突っ込み疲れで肩を落としているシルバーの背中をぽんぽんと叩いてやった。
四人の中で、一番カッフェと付き合いが長いからこそ、積もり積もった突っ込み疲れが、今日もやってきたようである。
「それだけの陛下の恩恵を賜って、うらやましい限りね。」
ヒョイ、と軽く肩を竦めて、リヴァンは笑って見せた。──けれど本当に心の奥底からそう思っているわけではない。
その恩恵を貰っている分だけ、カッフェが魔王陛下のステキな「可愛がり」にあっているということは、周知の事実であったからだ。
そう、たとえば、「罰」が、首輪に鎖をつけて仕事させられることであったりとか。
それも、多分、陛下の御足の下で。
────陛下崇拝組なら、死に値するほどの喜びだと涙を流して喜ぶかもしれなかったが。
「恩恵って言う表現は、不適格だろ。」
嫌そうに顔をゆがめているカッフェに、リヴァンは口元に手を当てて、くすくすと笑う。
そんな彼女に、チェッ、と拗ねたように顎を反らして、カッフェは小さくつぶやいた。
「ま、いいけどさー……今度の休暇届は、ちゃんと受理されたし〜。」
能天気な響きを宿した声に、ゴールドは目を瞬く。
「カッフェの休暇届が受理っ!? えっ、何、陛下に何があったのっ!?」
カッフェの休暇届がまともに受理されることなど、天変地異が起きてもありえないっ!
そうこぶしを握り締めて叫ぶゴールドに、シルバーが、パタパタと手のひらを振ってその疑問に答えてやった。
「俺は多分、陛下の『気を持たせておいて、当日キャンセルさせる作戦』だと思っている。」
「あら、新しいパターンね。」
リヴァンまでそのパターンに賛成の声をあげる。
「シルバーもリヴァンも、そんなこと言うなよ……たく。
本当になるだろうが。」
ゲンナリした顔でカッフェは髪を掻き揚げて──あ、と小さく声をあげ、一本髪の毛をつまむ。
「枝毛〜……やっぱ最近、炎と踊ってないからかな?」
そのまま、プッツン、と髪の毛を抜いた。
「とにかく俺は、絶対同窓会に行くっ!
さっすがの陛下だって、同窓会会場に、俺を連れにこれるはずはない!」
きっぱりと断言してみせるカッフェに、はいはい、と再び聞き流そうとしたシルバーたちは、次の瞬間──はた、と、我に返った。
そして、カッフェがメラメラと目を燃やして告げた台詞を頭の中で繰り返した後、一斉にカッフェを正面から見やった。
「同窓会って──何、カッフェ、今度の定期同窓会に行くつもりなの? 四天王のくせにっ!?」
素っ頓狂な声をあげて、ゴールドが叫んだ。
「そういえば、そろそろそう言う時期だったわよねぇ……あら、懐かしい。」
暢気に頬に手を当てて、リヴァンがしみじみと呟く。
定期同窓会と言えば、士官学校の卒業生たちの集まりの場であり、世界一の情報収集の場でもある。
意味合いが、「上」を目指す卒業生たちのための勉強と情報収集の場であるため、この「同窓会」と呼ばれる士官学校の卒業生の集まりには、闇の宮殿の仕官者は参加しないのが常であった。
カッフェもシルバーも、卒業後の定期同窓会の日取りを迎えることなく、四天王となることが決まったため、二人が定期同窓会に参加することはなかった。
しかし、リヴァンとゴールドの二人は、四天王試験に受かるまでの間、何度かその定期同窓会に参加している。
その同窓会が、有意義に自分の身になったかと聞かれたら、首を傾げるしかなかったが──正直、闇の宮殿や他の宮に仕官するための勉強としては、有意義であっただろうが、四天王を目指すクラスになってくると、意味がないと言えるほどの情報力しかないのだ。
真新しい魔法論議や、最近流行りの宮殿ファッションなどの話は、直接学会に参加したほうが、ずっと詳しく良くわかるのだ。
そんな同窓会に、
「カッフェが行って、何の意味があるのかしら?」
呆れた顔でリヴァンは首を傾げてみせた。
カッフェが、今にも四天王の位から排斥され、明日から路頭に迷ってしまう、という状況なら、行ったほうがいいと進めるかもしれないが──何せ、同窓会が縁で、誰かに就職口を紹介してもらったという話も良く聞くからだ──、どう考えても、魔王さまの愛玩ペットのように可愛がられているカッフェが退職を迎えるのは、定年退職以外にはありえなさそうなのだ。
その事実は、きちんと休暇届を受理されているほかの四天王に比べて、まったく休暇届を受理されないカッフェとの事実を照らし合わせるだけでわかる。
「意味があるって、あるじゃん?」
なのに、カッフェは当たり前のように笑って、そう断言するのだ。
「カッフェ?」
何を言い出すのだと、眉を寄せるシルバーに、カッフェは本当に嬉しそうに顔をほころばせる。
「卒業して早ん十年っ。ようやく陛下から、この日の休暇をもぎ取れたんだ〜。」
「そこまでして、どうして同窓会に参加するの?」
やっぱりわからない、とゴールドが眉を落として呟くと、
「だって、俺の同窓生に会えるんだぜ?」
──他の四天王連中が、思わず目から鱗だったと、呟くような……純粋な、たった一言を、カッフェは当たり前のように吐いてくれたのであった。
久し振りに公務じゃない姿で地面に舞い降りた青年は、くるりと背後を振り返った。
世界の中央に位置する、中央庁の建物が長く広く広がり、そのはるか頭上には、巨大な闇の宮殿が浮かび上がっている。
宮殿の四方を囲う小さい島々は、各四天王の宮だ。
顎を反らして見上げると、そのうちの一つが目に飛び込んでくる。
鮮やかな炎の軌跡に包まれた、自分の宮だ。
「こうしてみると、なんだかあの空で働いていたのが、夢の出来事だったような気がしてくるな〜。」
能天気にそう零して、さて、とカッフェはその宮に背を向けた。
腕に嵌めた時計を見る。
漆黒のベルトに炎を模した針。幻のように揺れながら、数字を示していくソレは、実用性というよりもお飾りに近いものだが、炎と相性がいいカッフェには、その炎がどこを示していようと、彼らが指し示そうとしている本当の数値を理解できる。
「あと、半時ってとこか。」
久し振りの城下町だし、同窓会の時間まで、ちょっとブラブラしてみようかと、カッフェは浮かれた気分で闇の宮殿から遠ざかっていく。
仕官学校を卒業と同時に闇の魔王様に誘拐されて──いや、闇の宮殿に連れ去られて、早ん十年。
初めての休暇をもぎ取るのも苦労したが、それからも休暇らしい休暇を取れた覚えはなかった。
今日だってそうだ。
本当なら、昨夜遅くには自宅に帰り、そこでまったりと母と父と語らい、年の離れた弟と遊び、それから同窓会に向かうはずだったというのに、昨夜から女官長に説教されて部屋から出してもらえないし、朝から陛下がどこへ行こうとしても顔を出してくるので、それを撒くのに必死で──気づいたら、同窓会直前の時間になってしまった。
「なんで休暇をとることすら、俺は許してもらえないんだか……っ。」
ったく、と忌々しげに舌打ちを零す。
せっかくの休みだから、せめて数年前に生まれたばかりの弟の顔くらいは見て行きたい。
前回の(無理矢理な脱出まがいの)休みのときに、自宅に帰った自分を待っていたのは、
「いらっしゃい、おきゃくさん。」
と天使のような笑顔で出迎えてくれた、実の弟の姿だったのだ。
あれは、カッフェにとって衝撃だった。
確かに、弟が生まれたのは、カッフェが宮仕えを始めた後で──実質、生まれたときから二度か三度くらいしか顔をあわせていないとは言えど、カッフェの家には、カッフェの顔を忘れないために写真だっておかれているし、カッフェ自身もこまめに自宅に手紙を書くように心がけている。
もちろん、その時に同僚たちと一緒にとった写真も送っているのだ。
にも関わらず、「いらっしゃいおきゃくさん」と、心からの声でそう声をかけられてしまっては──思わずカッフェはその場に脱力して倒れこんでしまったほどだ。
あの時からカッフェは、何が何でも休暇のたびに弟の元に顔を出し、自分のことをきちんと「年の離れたおにいちゃん」だと認識してもらおうと、そう誓ったのだ。──誓ってから一年半、顔を見せることは適っていないが。
けれど、前に顔を見せ、陛下に連れ戻されるまでの間、たっぷり「お兄ちゃんだよ」と吹き込んできたから、今回は無事に「おかえりなさい、おにいちゃん」と出迎えてくれるはず、なのだが。
同窓会まであと半時。
どう考えても、実家に帰っている時間はなかった。
それに、今は基礎学校の授業中であるはずだ。
「…………くそー……同窓会が終わったら、絶対、家に帰ってやる……っ。」
拳を握り締めてそう誓い、よし、とカッフェは気合を入れた。
今回の休暇──とは言っても、一日はすでに半分過ぎている──は、久しぶりに旧友に会い、家族に会い、実に有意義に過ごせそうだった。
「さぁって、みんな、元気にしてるかなー?」
未練も無く宮殿に背を向けて、カッフェはん十年ぶりに会うだろう面々の顔を思い浮かべ、満面の笑みを浮かべてみせた。
浮かれる心のまま、彼は駆け出した。
公務の時は、ほとんど炎の四天王宮から空へ飛び出し、空を駆け抜けていくことが多い。
こうして地面を歩くのは、ほんとうに久しぶりで、本日の同窓会の会場である士官学校に近づくごとに、どんどんとスピードが上がっていった。
いつも賑わっている主街道を通り抜け、中央省から近い……けれど、繁華街から離れた場所に位置する巨大な敷地。
それが、基礎学校を卒業し、さらに上を目指す「エリート候補」たちがかようとされる「士官学校」である。
その、懐かしい建物の尖塔が見えた瞬間、ヒュゥ、と短く口笛を吹いた。
「変わってないなーっ!」
額に手の平を当てて、目の前に迫ってきた門の前で足を止める。
そうやって見上げていると、懐かしい日々が脳裏によみがえって来た。
美しい尖塔の屋根の上──講義をサボってゴロゴロしながら、背中にイフリータを乗せて芋を焼いた日々。
懐かしいその光景は、あの日、「魔王陛下」と契約を交わしたときから変化してしまった。
その、懐かしくももの悲しい日々にちょっと感傷に浸っていたのも束の間。
キリリと顔つきを改めて、カッフェは門の中を潜り抜けた。
卒業式の日、自宅に帰る暇もなく、待ち構えていた魔王陛下により「お持ち帰り」された場所だ。
あの後、当時の当代四天王の元に運ばれ、「これからココがお前の部屋だ」と案内された一室……あれから、拘束人生は始まったのだった。
「………………変わってないなー…………俺も………………。」
うんざりしたように呟いて、カッフェは髪を掻き揚げる。
昔のまま──と言うわけでもない士官学校の中を、散策ついでに懐かしんでみようかと、足を進めた瞬間であった。
ふと視界の隅を掠めた影があった。
同窓会に参加する人間か、もしくは今士官学校に通っている生徒だろうかと、何気なく視線を向けた瞬間、カッフェは軽く眉を寄せた。
そこには、この学校の生徒か卒業生……というには、少々小さすぎる背丈の人間が揃っていた。
「んぁ?」
なんだ、と、足を止めたカッフェが、マジマジとその集団を見つめる。
おそろいの黒色の帽子を被った子供の集団は、どこかで見たような気がした。
どこで見たのだろうかと、首を傾げてそのまま立ち止まっていたカッフェは、小さな集団の中の一つ──黒い帽子が、ぴょこん、と動くのに気づいた。
あ、はねた。
のんきにそんなことを思った瞬間、その黒い帽子は、突然集団の中から飛び出してきた。
「お兄ちゃんっ!」
そんな、甲高い声をあげながら。
「おぉ……サブリミナル効果、絶大っ。」
一年半前に見たっきりの懐かしい……けれど、ちょっと成長した顔を見て、カッフェは思わずそう呟いた。
さすが、一年半、こまめに写真を送り続けただけある。
カッフェは、にやつく顔を押さえ込むことなく、走りよってくる子供を受け取めるために、その場にしゃがみこむのであった。
基本的に同窓会と係わり合いのない四天王にとっては、「同窓会」の日付など、どうでもいいことであったが、今年ばかりは違った。
何せ、四天王の古株である炎の四天王様が、その同窓会に赴いている最中なのだ。
「──昨夜には出るつもりだったのが、ついさっき飛び出していったところなだけどね。」
優雅に午後のティータイムを取りながら、リヴァンは目の前の旧知の友人向けて、軽くウィンクしてみせる。
そのウィンクを受けて、額にサークレットをつけた妖艶な美女は、ニッコリと微笑んで見せた。
「仕方ありません。昨夜は、仕事も終わってないのに、荷造りをしてくださっていたのですから──カッフェさまは。」
そつなく微笑んで、リヴァンの友人であるところの、魔王陛下の直属の女官衆の長……アルタミラは、ティーカップに口をつけた。
リヴァンは、そんな彼女に軽く肩を竦めると、その視線を遠くに飛ばした。
「────どうでもいいけど、身分がばれないことを祈っているわ。」
まったく、カッフェったら。
そんな響きを宿したリヴァンの台詞に、アルタミラも同意を示して頷いた。
「そうですね……双方とも。」
優雅なその声に、そうそう、と頷きかけたリヴァンは、軽く眉を顰めて、自分の背後を振り返った。
そこでは、カッフェに押し付けられていった仕事を片付けている二人の兄弟が居た。
四天王の面子は、カッフェ以外はみなココにいる。
──なら。
「…………双方って………………カッフェと、誰のこと?」
めぐらせた首を戻して、リヴァンはイヤな予感を抱きつつ、アルタミラに尋ねた。
その視線をキレイに受け流して、アルタミラは、ふぅ、と一つ吐息を零した。
「カッフェ様のおかげで、わたしも久し振りにこうして、休暇をとれて──嬉しい限りですわ。」
ニッコリ、と──これ以上何も聞くな、と言わんばかりの、妖艶でとろけるような微笑で、彼女は断言しれくれたのであった。
そうして、その台詞の意味を悟った四天王のうち3人は、一瞬動きを止めた。
アルタミラが休暇を取れる?
双方の身分?
それが、意味することは。
「………………さて、それじゃ、私はそろそろ仕事を再開しようかしら。」
かたん、とリヴァンは中身がまだ半分ほど残ったカップを皿に戻し、立ち上がった。
わざとらしいほどわざとらしい仕草で、ゴールドとシルバーも、仕事を開始し始める。
アルタミラは、ただ見とれるほどの微笑を浮かべたまま、フレーバーティーを、優雅に飲み干した。
カッフェは、基礎学校の授業の一環である「士官学校体験訪問」をしていた弟と、仲良く手をつないで、率先して士官学校の中を案内していた。
後ろからは、引率の先生とほかの生徒たちが続いてきていた。
カッフェはそのまま、自分が学生時代のときからあったうわさ話や、面白い話などを披露して、弟から感動の眼差しを得て、にこやかに微笑んでいた。
ちょっと頭からは、同窓会のことが抜けかけていた、ちょうどその瞬間。
ふと視界の端を掠めた男の姿があった。
せつな、何かを考えるよりも先に、ビクゥッ、とカッフェの肩が震えた。
「……おにいちゃん?」
純朴そうな眼差しで自分を見上げてくる赤茶の髪と金色の瞳の弟──キースの声に、思わずとまった足を必死で動かせて、
「い、いや──なんでもない、ない。見間違い、見間違い──たぶん。」
あはははは、と殊更明るい声をあげて、カッフェは「今、角に見えた人影」から視線をそらそうとしたが、その人影が許してはくれなかった。
「…………カッフェっ!」
りん、と響く美声。
その、聞き覚えのある声に、カッフェは心底イヤそうな表情を浮かべた。
「…………あぁぁぁ…………見つかったよ……………………。」
思わずカッフェは、手をつないだ弟の小さな背中の影に隠れようと背中を丸めるが、もちろん背丈が1.5倍以上は違うカッフェの体がキースの体に隠れるはずはなかった。
それどころか、角から姿を見せた青銀の髪のりりしい立ち姿の青年に、ざわり、とざわめきが生まれた。
そして、キースたちは胸の前で手を組むと、
「ぅわぁぁっ! ティティス=グリニスさまだーっ!!」
無邪気な明るい声が、そこかしこから叫ばれた。
キースの後ろでコソコソ隠れているカッフェに、青年はカツカツと足音もあらあらしく近づいてくる。
「ぅっ、うわぁぁ〜v すっごい、お兄ちゃんっ! あの、ティティスさまと知り合いなのーっ!?」
キラキラと輝く目で、キースがカッフェを振り返る。
その眼差しを受けて、カッフェは引きつった笑みを浮かべて、微妙な表情であいまいに頷く。
「あー……一応、同期だからな………………。」
そして、「士官学校始まって以来の落ち零れ」と言われたカッフェが、「炎の四天王」その人であることを知っている、唯一の同期生でもある。
プライドの高いティティスは、カッフェが「四天王の位」についたおかげで、自分が四天王になる一番良いタイミングのチャンスを逃したことを、いまだに恨んでいるのだ──一方的にライバル視されているとも言う。
「お兄ちゃん、ティティスさまと友達っ!?」
「いや、ていうか。」
本当に輝く眼差しでティティスとカッフェを交互に見つめるキースに、なんて言っていいのか、困った顔でカッフェは子供たちに遠巻きに羨望の眼差しを注がれてる……目に険しい光を宿しているティティスを見上げた。
ゆぅらり、と浮かび上がる帯電するオーラは、少しでも触れると即死してしまいそうな勢いで放出され続けている。
しかし、基礎学校の低学年でしかない子供たちには、そのオーラの色など見分けられはしないだろう。
さすがにティティスほどの魔法技術レベルを持っていれば、人や物が触れるよりも先に、帯電している空気を掻き消すことくらいはするだろうが、万が一のときは、カッフェがとっさの判断で何とかしなくてはいけなくなる。
幸いにして、魔王陛下の扱き……いや、嫌がらせのおかげで、そういう「とっさの判断」において、カッフェは四天王の中で一番優れてはいた。
つけたくて身に付けた物ではないのだが。
「ティティス様って、すごいんだよねっ。」
嬉しそうな顔でそう尋ねてくるキースに、あぁ、うん、と曖昧にカッフェは頷いて、あたりを見回す。
カッフェとキースを囲むようにして立っている子供たちは、皆一様にきらめく瞳でティティスを見上げていた。
どうやら、「ティティス=グリニス」の名が大きすぎて、子供たちはむやみやたらと彼に飛びついて行くことはなかった。
「──あー……まぁ、確かに、すごいよな。」
何せ、あの「グリニス家」の息子であり、その名に恥じぬ実力も備わっている。
この年で闇の宮殿レベル5をクリアし、魔法実技レベル6を取得した貴族の血筋、しかも美形。
宮殿内でも彼に憧れている女官は多い──確かカッフェも、何度かティティス宛の文を届けて欲しいと、そ、とラブレターを手渡しされたこともあった。
ティティスに顔をあわせたくないという理由で、すべてリヴァンに押し付けてやったが。
顎を摩りながら、そう呟いたカッフェの頭上に、ヒンヤリと冷めた視線が落ちてくる。
──は、と思って見上げた先、
「……カッフェ…………なぜお前が、ココにいる?」
ティティス=グリニスが、ほかの誰にも見せないような冷ややかな眼差しで、カッフェを睨みつけていた。
会うたびにカッフェは思う。
在学中は──そう、カッフェが「炎の四天王」であるとティティスが知るまでは、ティティスはとてもいいやつだった。
──ただ彼は、カッフェのことを許せないほどに、プライドが高かったのである。
「なぜって……同窓会?」
えへ、と。
弟とつないでいない手を頬に当てて微笑んで見せたカッフェに。
「────お前が、同窓会?」
嫌悪もあらわに、ティティスがそう呟いた。
瞬間、カッフェは今までの経験上、悟った。
「……キース、悪い。俺、もう同窓会の時間だから、行くな。」
名残惜しげにスルリと手のひらをキースの手から抜いて。
スックリと立ち上がり、
「お兄ちゃん?」
ティティスさまを紹介してくれないの?
そんな、不思議そうな眼差しの弟の頭をクシャリと撫でてやった後、カッフェは引きつった笑みでティティスを見た後、
「──じゃ、そーゆーことで。」
カッフェは、軽くひざを曲げ──そのまま、とん、と飛び上がった。
「カッフェ!」
険しく叫んでくるティティスにかまわず、カッフェはそのまま身軽な動作で屋根の上に飛びあがった。
両手で屋根の桟をつかみ、間をおかず屋根の上に足を落とす。
そして、振り返ることなく、ダッシュで屋根の上を走り出した。
「…………カッフェっ、待てっ!」
慌ててティティスも自らの下に風を生み出し、フワリと浮き上がる。
バチッ、と、怒りのあまりコントロールを失いかけた電気が目に見えて光るが、そんなことに構っている暇はない。
ティティスもまた、カッフェを追って屋根の上に舞い上がった。
カッフェのように、常に屋根の上に上り続けていた生活を送っていないため、彼は魔力の助けを借りないと、自分の背よりもずいぶん高いところにある屋根の上にあがることは出来なかったのである。
屋根の上に足を降り立たせると、すでにカッフェの姿は屋根の向こう側に消えていこうとしていた。
チッ、と短く舌打ちして、ティティスは屋根を思い切り蹴飛ばした。
そうして、あっと言うまに姿を消したカッフェとティティスを、キースは呆然と見上げた。
顎と喉を水平にするほど伸ばして、あんぐりと口をあけて青い空を見上げる。
その空と同じような角度にある、カッフェの身長の2倍はあった高さの屋根に、軽やかに舞いあがった兄と、その後を追うようにして飛んでいったティティスの姿を思い浮かべ、キースは幼いプクプクの頬に手を当てて、うっとりと目を細めた。
「すっごーい……お兄ちゃん、ティティス様と鬼ごっこするくらい、仲がいいんだぁ〜。」
今度帰ってきたら、いろいろ話を聞こうっと。
そう、嬉しそうに顔をほころばせるキースに、周りにいた彼の同窓たちがドッと駆け寄る。
「キース! お前の兄ちゃん、すっげぇなっ!」
「あんなに高い屋根に、ヒョイっ、って昇ったよ!」
「しかも、ティティス様とお知り合いなのねーっ!」
ピョンピョンと勢い良く跳ねながら、彼らは興奮した面持ちでカッフェとティティスが消えた屋根に両手を伸ばす。
当たり前だが、その誰の手も屋根の上に触れることは出来なかった。
興奮した面持ちの面々に囲まれ、キースも誇らしい顔でそれに大きく頷いて見せた。
「うんっ、お兄ちゃん、すごいんだーっ!
なんてったっておにいちゃん、あの闇の宮殿でお風呂屋さんをしてるんだからっ!」」
無邪気な笑顔で、キーファはそう断言して、ティティスとカッフェが消えた屋根の向こうを、今一度見上げて、笑った。
煌々と照らされた講堂の中、見渡す限りの人、人、人。
立食形式の同窓会会場は、すでに多くの人が集っていた。
多くの人たちが手に皿とグラスを持ち、和気藹々と語り合っている。
上手くその人ごみにまぎれながら、カッフェは近くのテーブルからヒョイとグラスを手にした。
そして一気にソレをあおると、空になったグラスを空グラス置き場に戻し、ふぅ、とカッフェは口元を拭う。
そして、大して汗も出ていないが、パタパタと手の平で顔に風を送りつつ、あたりをキョロリと見回す。
結局、同窓会が始まるまで、ずっとティティスと追いかけっこをしていたので、受付が始まる前に友人を探すことが出来なかった。
「ったく、ティティスのヤツ、しつこいんだよなー。」
闇の宮殿でも、暇があればいっつも俺にケンカ売りに来るくせに、何もこんなところでまでケンカを売らなくてもいいじゃないか。
せっかくの同窓会で楽しむ気満々だというのに──さらに言えば、この同窓会の後は自宅に帰って弟と遊ぶつもりだ。
なのに、ここで水を差されてはたまらない。
下手をすれば、同窓会後に、「勝負だ、カッフェ!」とか、またいつものように言われそうな気がしないでもない。
「しっかも、ココって、宮殿内じゃないから、ケンカはご法度ってワケでもねぇしなぁ。」
コリコリ、とカッフェは頭を掻く。
今まで一度もケンカになったことはないけれども、今回もそうだとは限らない。
しかも、無理矢理もぎ取った休暇中に、ケンカしたなどと魔王陛下に知られたりなどしたら──想像しただけでゾッとして、カッフェは大きく眉を顰めて見せた。
そして、首を竦めるように、コッソリと人影に隠れながらあたりを見回す。
幸いにして、目に映る範囲にティティスの凛々しい姿はない。
ということは、あちらからもコッソリと確認されるとは限らないだろう。
「ま、ティティスは目立つから、すぐに囲まれるだろ。
俺はその間に、コソコソと旧交を温めるか。」
気楽にそう決断を下して、早速コソコソと腰を屈めて机から机へと移動する。
テーブルの影に隠れてあたりを確認して、ティティスの姿が見当たらないことを確認すると、コッソリと手を伸ばしてテーブルの上から皿を取る。
そのまま素早く立ち上がって、カッフェはテーブルの上に並べられた食べ物を素早く皿の上に取ると、再びコッソリとテーブルの下に戻る。
目の前にさんさんと輝くツヤツヤしたご馳走に、おおっ、とカッフェは小さく唸った。
もちろん、闇の宮殿内でもご馳走は毎日のように食べてはいる。
しかし、こういう形式のご馳走は、なんだかいつもよりも美味しそうに見えた。
「やっぱ、コレだろ、コレ。」
嬉々として頬をほころばせて、フォークを思いっきり肉に突き立てる。
ヒョイパクと軽く口の中に放り込んだ瞬間、いっぱいに広がる肉汁に、うーん、とカッフェは幸せを噛み締めた。
テーブルの影に隠れてしゃがみこむようにして料理を食べているカッフェを、周囲に立つ面々は異様なものを見るような目で見ていたが、カッフェが二皿目に取りかける頃には、気にしないようにわざとらしく視線を背けるようになっていた。
テーブルの影でコソコソと食事を続けつつ、時々ヒョッコリと顔をあげては、同窓の顔がないか確かめるカッフェ。
そんなカッフェを避けるように、みんなテーブルの反対側から料理を取っていく。
カッフェは、そんな彼らをまったく気にせず、床の上に座を敷いて、脇にグラスを置きながら、すこし遠巻きな場所で会話している男達の言葉の耳を澄ませる。
彼らの会話は、基本的に中央省の前回の出題傾向のことばかり。
耳に入れても面白くもなさそうな話題が多かった。
「基本的に情報交換の場なんだなー。」
一人、その気のない顔でしゃがみこみながら、カッフェは皿の中身を空にして、その皿をテーブルの上に戻す。
グルリとあたりを見回すと、真摯な顔で顔をつき合わせている人、人、人。
そのどれも、見覚えのない顔ばかりであった。
カッフェにとっては、後輩に当たる者も居るだろうし、もしかしたら先輩にあたる者も居るかもしれない。
広い講堂の中は、人の群れとざわめきばかり。
テーブルを背後にしてグルリとあたりを見回すが、見慣れた顔は一つも見えない。
やっぱり、受付前で捕まえないと無理だっただろうかと、あまりの人の多さにウンザリしかけた瞬間であった。
人ごみの斜め先に、サラリと揺れる青銀の髪が見えた。
見慣れたその髪の色に、思わずギクリと身を震わせたカッフェは、すかさず身を翻して近くに居た男の人影に入った。
男の影からはみ出ないように、カッフェは身を縮める。
ここでティティスに見つかったら、十中八九、ケンカを売られるに違いない。
こんな人の多い場所で、ケンカを売られて目立ったら、魔王陛下からお叱りを受けるどころの騒ぎではない。
絶対、女官長も、その魔王陛下の隣でムチをピシリとしならせるに違いないのだ。
「あー……ティティスのヤツ、闇の宮殿仕官5っていう身で、同窓会に出てくるなよなー。」
自分の立場を棚に上げて、そんなことをブツブツ呟いた瞬間、カッフェが背を当てて隠していた男が、その声に反応した。
キョロリ、とあたりを見回したかと思うや否や、
「本当だ、ティティス様じゃん、アレっ。」
興奮した面持ちで、隣に立つ男をコンコンと叩いた。
その男も男で、目を軽く見開いて相手が示した方向を見る。
ソコでは、数人の人間に囲まれた青銀の髪の美青年が、人好きのする笑顔を浮かべて、何か話している光景が見て取れた。
「本当だ、ティティス様だ。
な、なんでこんな同窓会に顔なんて出してるんだっ!?」
驚いた声を上げる男達に、まったくだよ、とカッフェは口の中だけで毒づく。
ティティス=グリニスと言えば、仕官学校卒業後すぐに闇の宮殿の仕官に合格した、「エリート」だ。
その数年後の四天王試験には合格はしなかったものの、卒業後すぐに闇の宮殿に仕官することが出来たのは、長い士官学校の歴史でも、二桁にしかならない。
さらにその中から、仕官学校レベル5まで──魔王陛下に拝顔する機会を得られる立場にまで上った者は、一割になるかどうかだ。
そのティティスに、この場に居る誰もが憧れているようだ。
現に、カッフェが隠れている面々たちも、
「俺たちも、ティティス様に話せる機会はあるかなぁ〜?」
ドキドキと胸を高鳴らせる仕草を取りながら、そんなことを呟いている。
カッフェはそんな彼らを背に、ゲンナリとした溜息を一つ零した。
「…………ぅわー……この場でケンカを売られたら、十中八九、俺が悪者だな?」
小さく呟いて、カッフェはコッソコソと足音も立てず、その場からソソクサと移動した。
ココは、素直に出入り口が良く見える壁の花になっているのが良いだろう。
チラリと見たところ、ティティスは「有名人」らしく、入れ替わり立ち代り人々に囲まれている。
コレなら、彼が動く度にすぐ目撃出来そうだ。
ヨシ、と頷いて、カッフェは足音を立てないように気をつけながら、人ごみを割って出入り口へと移動する。
その途中、テーブルの上に乗っていたグラスを手に取ろうと手を伸ばし──、カツン、と、グラスに指をぶつける。
「──っと。」
体を捻って、グラスに体を正面に向ける。
ぐらつきかけたグラスを、しっかりと握り締めようとした刹那、ヒョイ、と、横からグラスを攫われた。
あっ、と、短くカッフェが非難も露にグラスを奪った相手を見上げようとした先。
「飲みすぎるのも、考えものだぞ。」
聞こえるはずのない、声がした。