土の試練

幻想水滸伝 マニアッククイズ レベル4



「幻想水滸伝1〜3には、関係者であるキャラクターが出てくることがあります。
さて、ここで問題です。
シーザー・シルバーバーグと
オデッサ・シルバーバーグの
関係は?」



1 甥と伯母   2 又従姉弟   3 いとこちがい   4 大伯母   5 師弟


これだ! と思うものをクリックしてください。










 グレッグミンスターの回りをグルリと覆う、頑丈な城壁──内側と外側と二重に配備された、高く頑強な二つの壁の間には、深く広い濠が設置されている。
 帝国の要でもある首都を防護するのに、十分過ぎるほどの役割を果たしている防壁である。
 通常の方法では、この防壁を越えることはまず無理であり、都に出入りするには、主街道へと続く、正門を通らなければならなかった。
 立派な正門には、常に城の兵士が配置されていて、町の安全を守っている。
 今日も今日とて、いつもと同じように、見慣れない顔や、見慣れた顔が通り抜けていくのを、彼らは一人一人チェックしていた。
 そんな、いつもと変わりない日の、午後のことである。
 旅商人らしい一行が、正門をくぐりぬけようとしていた。
 男が一人、背中に商品らしき物を背負い、女がカラコロと台車を引いている。
 数年前の戦争の後王位についた、現皇帝バルバロッサ=ルーグナーは、芸術を愛し、それを作り出す職人の保護を積極的に行うようにしていた。
 そのため、このグレッグミンスターには、そこかしこに意匠による芸術品が飾られ、華やかな風体を描きだしている。
 彼らがいま正に通り抜けようとしている正門もその一部で、継承戦争当時に少々壊れてしまった部分は、見事な意匠の細工を伴って作り変えられている。
 その立派なアーチを、商人の夫婦が潜り抜けていく。
 兵士は、それを一瞥して確認する。
 彼らが手にしているのは、バルバロッサ皇帝により保護された職人たちによる作品の数々であろう。
 このグレッグミンスターでは、芸術的価値の高い壷や皿、絵画などが、頻繁に売り買いされている。
 これらの美しい品々が外国へ持ち運ばれ、そこで多大な評価を貰い、さらに高値がついていくのだ。
 一度など、この町の露店で売られていた絵画を、ちょっとした気分転換代わりに購入したところ、それが他の国では、目が飛び出るような値段で売り買いされているものだと聞いて、心底驚いたこともあった。
 この商人たちは、一体どのようなものを売るのだろうなと、暇つぶし気分で、門兵が視線を走らせたときであった。
 商人たちの後ろに続く、彼らの連れらしき子供の姿が、不意に目に飛び込んできたのは。
 背の高さから判断するに、年の頃は7か8。
 商人たちと同じ色の布を頭に巻いて、背中にリュックを背負っている。
 リュックの中身は、親が持っているのと同じ、売り物なのだろうか? 重そうに、背中を丸めて地面を睨みつけるように歩いている。
 別段、不思議は無い光景であった。
 旅商人たちが、自分の子供を連れて旅をすることは、当たり前のことであったからだ。
 ──けれど。
 その子供の姿を目に映した瞬間、門兵は軽く目を眇めて見せた。
 そして、チラリ、と向こう側にたっている同僚を見やる。
 すると、同僚も同じようにその子供を見つめていた。
 二人は、お互いの視線を絡み合わせ──こっくりと、頷きあった。
 それと同時、門兵の一人は、迷うことなく「旅商人の子供のフリをした少年」のリュックを、ひょい、と掴みあげた。
「──……何度言ったら分かるんですか、スイぼっちゃん?」
 途端、少年は迷うことなく、スルリとリュックから腕を引き抜く。
 中身がまるで入っていないリュックを、片手で持ち上げることになった男が、アッ、と、呟くよりも先に、もう一人の同僚が走り出す。
 彼はそのまま旅商人を追い越して、門の向こうへと走りぬけようとした少年の前に立ちふさがった。
「スイぼっちゃん!」
 そして、慌てたようにユーターンする少年向かって、叫ぶ。
 ──もちろん、その時には、リュックを片手に持った門兵が、退路をしっかりと絶っていたのだけれども。
 突然の出来事に、目を丸くさせる商人夫婦に、通っていいぞと、ヒラヒラと手を振りながら、男は走りさることも出来なくなった少年の側に跪く。
 旅の商人の子供にしては、仕立ての良い服とバンダナを身につけた、小柄な少年である。
 日にほんのりと焼けただけの肌は、スベスベで綺麗で、とてもではないが旅を続けているような子供には見えない。
 バンダナに隠れている髪も、キラキラとお日様の光を受けて、艶々に輝いていた。
 普段なら、そんなことを見逃してしまう兵士達であったが、
「ぼっちゃんをお一人で、都の外に出すわけには行かないんです。
 もし、通りたいなら、グレミオさんとか、クレオ様とかと一緒に来てくださいって言ったじゃないですか。
 ……昨日も。」
 少年の目線に合わせて腰を折り曲げて、眉を顰めて怖い顔をつくり、そう注意する。
 最後の、「昨日も」の部分には、思い切り嫌味を込めて力強く区切る。
 けれど、
「………………ケチ。」
 帰ってきたのは、閃く琥珀色の瞳と、拗ねたような口調であった。
 今年十歳になるはずの少年は、同じ年頃の子供に比べて、華奢で小柄な体躯をしている。
 だからこそ余計に、誰もが彼を守ってやらなければと、そう思うのだが──この少年、外見に反して、大分腕白であった。
 それも、他の子供を苛めるとか、そういう腕白ではなく……冒険や町の外に出て行こうとする、そういう意味の、腕白、なのだ。
 おかげで、ここ最近は、毎日のように門兵たちは、この少年とバトルを繰り返している。
 一度など、馬車の下にしがみついているのに気づかず、ウッカリ少年を通してしまい、慌てて町の外にまで探しに行ったことがあるのだ。
 その時は、誰もが生きた心地がしなかった。
 何せ、相手はタダの町の子供ではないのだ。
「ケチ、じゃありませんよ! ぼっちゃんに何かあったら、俺たち、減給だけじゃ済まされないんですから。」
 心底ゲンナリした顔で、リュックを持った男が呟く。
 何せスイは、この赤月帝国の5将軍の一人、百戦百勝将軍テオ=マクドールの、第一嫡男なのである。
 万が一のことがあったら──なんて、考えるだけで肝が冷える思いである。
 そんな彼を、危険が広がる城壁外へ一人で行かせてしまうなどという失態をしてしまうなんて……、冗談ではなかった。
「大丈夫だって。僕だって馬鹿じゃないんだから、そんな遠くまで行かないからさ。」
「それじゃ、城壁の外、すぐソコの兵士待機所で、ピクニックで我慢してくれますか?」
 ジト目で兵士が尋ねる。
 毎日毎日脱走劇をやらかしてくれるこの少年──中々に頭が回り、愛らしいため、兵士仲間からは人気があった。
 彼が待機所のすぐ近くで、おままごとのようなピクニックをしていたら、きっと皆喜んで彼の相手をしてくれることであろう。
 それなら、別に危なくはないし、こちらとしても安心なのであるが……。
 しかしスイは、キッパリと頭を振ると、
「今日は、レナンカンプまで行くから、それは嫌。」
 きっぱりはっきり断ってくれた。
「だったら、ダメです。門を通すことは、出来ません。」
 負けじと、門兵もキリリ、と目尻を吊り上げて、そうキッパリ言い切る。
「っていうか、レナンカンプって、思いっきり遠いじゃないですか──一日で帰って来れないっすよ。」
 呆れたように、もう一人の門兵が呟くのに、スイはニッコリと笑って彼を見上げた。
「うん。だからね、ちゃんとグレミオに、『今日は帰ってきません』って置手紙してきたの。」
 ──瞬間、
「お前っ! 今すぐ、スイぼっちゃんをお屋敷に連れ帰ってやれっ! グレミオさんが暴走する前にっ!!」
 ビシリッ、と指を突きつけて、男はリュックを持ったままの同僚に、そう宣言した。
 そして、それを受けた同僚はというと、迷う暇もなく、スイのリュックを肩にかけると、
「ぼっちゃん、失礼しますよ!」
 問答無用で、軽いスイの体をヒョイと抱き上げ、もう片方の肩に乗せる。
「はう?」
 突然の二人の行動に、目を丸くするスイが、反撃を返すよりも早く。
「じゃ、俺、ちょっと行ってくるから、後頼むぜっ!」
 門兵は、突然出来た自分の使命を果たすために、マクドール家の下男が溺愛する坊ちゃんを小脇に抱えて、噴水広場目掛けて猛ダッシュするのであった。
 それを見送る同僚も、
「おうっ! グレミオさんに、人攫いと間違われないように気をつけろよーっ!」
 そう、彼の前途を祈るような声をかけて、通り過ぎる何も知らない旅人たちに、怪訝な目を向けられるのであった。





「もぅっ、ぼっちゃんは! そんなにグレミオを心配させて、楽しいんですかっ!?」
「もー、グレミオと言い、みんなと言い、そんなに僕の心配をして楽しんでるんだからなー。」
 白いエプロン姿で、グレミオが腰に手を当てて目尻を吊り上げてそう叫ぶと、厨房のテーブルに着いたスイが、両手で大きなマグカップを包みながら、プックリと頬を膨らませる。
「……楽しくないですよ。」
 そんなスイの顔を、目を細めてグレミオが見下ろす。
 湯気の立つ、暖かなマグカップからは、ミルクの甘いいい香りがしていた。
 スイは、軽く首を傾げるようにして、グレミオを見上げる。
 その先で、グレミオは渋い顔をしていた。
「…………。」
 楽しくないなら、心配しなくてもいいよ、と──そう軽口を叩くつもりだったスイは、見上げた先で、眉をきつく絞っているグレミオの顔にあたり、口をつぐんだ。
 手の平をホカホカと温めるミルクに、そ、と口をつけて、喉を上下させる。
 なんとなく気まずい気持ちで見上げた先にあったグレミオの頬には、今もくっきりと十字の傷が残っている。
 それが、いつ、どういう状況でつけられたものか……スイは、今でもしっかり覚えているのだ。
「ぼっちゃん? 今は、テオ様もクレオさんも、パーンさんもお屋敷にはいらっしゃいません。
 ですから、ぼっちゃんのお体をお守りできるのは、このグレミオだけしかいないのです。
 こんなときに、もし、ぼっちゃんがオイタをして──何かあったら、このグレミオの命を持ってしても、お救いできるとは、限らないのですよ?」
 膝をついて、眉を寄せて、切なそうに呟かれてしまっては、おとなしくミルクを飲んでいるしか出来なかった。
 いつものように、しーらないっ、と言って、さっさと椅子を降りることも出来ないわけでもなかったが──、小さい頃から母親代わりとして面倒を見てくれるこの青年の、こんな表情に、スイは弱かった。
 世間様に、お袋の泣き顔には勝てない、という兵士が居るが、まさにスイもそんな気分であった。
 その頬の傷が、特に、スイをそういう気持ちにさせるのだ。
「……じゃ、父上とクレオとパーンが帰ってくるまでは、おとなしくグレッグミンスターの中で探検することにする。」
「〜〜テオ様が、帰ってらっしゃっても、です!」
 まったく、と腰に手を当てて宣言するグレミオに、ええー、とスイは反論の声をあげる。
 けれど、グレミオはその反論を捻じ伏せる。
「ぼっちゃん! 町の外には、たくさんのモンスターが居て、危険な野盗も居ます。
 ぼっちゃんに万が一のことがあっても、誰かがすぐ側に居るとは限らないのですよ!?」
 だからこそ、それが冒険になるのではないか。
 スイは、そう言いたかったけど──野盗、と口にした瞬間の、グレミオの目に走った痛い傷の色が、目に飛び込んできてしまった。
 だから、渋々ミルクごとセリフを飲み下すと、
「……ドッチにしても、正門を通れなかったら、どうせ表に出れないんだから、意味ないじゃん。」
 そう、小生意気な口調でグレミオに答えてやった。
 グレミオは、疑わしい目でスイを見やると、
「それはそうなんですけど──……。」
 口の中で、もごり、と呟く。
 その口調には、まだ先が続きそうな雰囲気が宿っていたが、グレミオはそれ以上続けることはなかった。
 疑わしい気持ちが、心の中にたっぷりと残ってはいたのだが──、
「いくらぼっちゃんでも、グレッグミンスターの防壁を越えることなんて……できるはずも、ありませんしねぇ…………。」
 あの正門を守る兵士達は、尊敬するテオの息子の顔を良く知っているし、彼をマクドール家に戻すことに尽力を尽くしてくれる。
 だから、どれほど知恵や力を振り絞ろうとも、このグレッグミンスターが平和で安全であるための要でもあるあの正門を、スイが越えることは出来ないと──グレミオは、そう無理矢理自分を納得させることにした。
──将来、どれほど優美に賢く育つとしても、今のスイはまだ十歳の子供なのだから、と……。








「ここまでは、なんとか来れるようになったんだけどね……。」
 ひょい、と、巨大な壁の頂上に脚をつけて、スイは眼下に広がる濠を見下ろした。
 吹き抜ける風に、かすかな波を立てている濠は、グレッグミンスターの一般庶民の家の横幅ほどの広さと、家が丸々埋もれてしまうほどの深さを持っていた。
 それを見下ろして、スイは軽く首を傾げる。
「失敗したら、まず助からないよなぁー。」
 言いながら、ひょい、と慣れた仕草で、少年は自分が腰掛けるのに十分な厚みを持った壁の上に、腰を落とした。
 ヒラヒラと脚を揺らして、空に浮かぶ太陽の光を鈍く反射する水面を見つめる。
 昨日もおとついも、こうして壁の上から濠を見下ろして、ああでもない、こうでもない、と考え続けている。
 もっとも、十歳の子供の頭でアッサリと答えが見つかるようなら、このグレッグミンスターには盗賊が簡単に入り込んでいることだろう。
 腰掛けた壁は、背後の独特の形をした屋敷と同じ高さがあり、壁の表面は磨きたてられ、取っ掛かりも何も無い。
 普通なら、決して登ることは出来ない高さであった。
 その壁のてっぺんに腰掛けて、少年は軽く首を傾げる。
 彼の後ろには、ワサワサと見事に葉を伸ばしている枝があった。
 グレッグミンスターの中でも植物屋敷と言われている立派な庭園を持つ、花将軍ミルイヒ=オッペンハイマーの屋敷の一際大きな木から伸びている枝である。
 ちょうどそれらの木々が、少年の姿を町の大通りからも隠す役割を負っていた。
 普通の人間では、絶対に気づかない場所──将軍家の庭に生えている木こそが、壁に手が届く隠れ道であったのである。
 スイがこれを見つけたのが、つい一ヶ月ほど前のこと。
 それから毎日、木登りにチャレンジし、壁に無事に辿り着いたのが先日のことであった。
 けれど、どうしても最後の関門を突破する方法が見つからない。
「やっぱり、ロープで綱渡りが、一番確実かなー?」
 向かいの側の壁の向こうにも、木々が生い茂っているのが見える。
 あそこ目掛けてロープを投げれば、なんとなるにしても──と、スイは自分の腕を見下ろした。
 どう考えても、自分の華奢な腕では、到底無理な距離である。
 後の可能性としては、ミルイヒの屋敷の屋根の上から、グライダーで飛ぶ……ということくらいであったが、そんなことをすれば一目瞭然にばれてしまうのは、簡単に想像が出来た。
「ロープを使って、自分の部屋から脱出するのは得意なんだけどな。」
 軽い口調で呟いて、スイは片膝を立てて、そこに肘をついた。
 頬杖を付きながら見下ろす先──波立つ水面は、深い色を宿している。
 ゆぅらりゆらりと揺れるそれは、キラキラと太陽を反射して輝いていた。
 そこには、侵入者を食らうための人食い魚が放されているとも、壁には水コケが張り付いていて、決して這い上がることもできないとも、言われていた。
 どちらにしても、どれでないにしても──一度落ちれば、助からないことは確実だろう。
「失敗するわけには行かないって思うと、確実な方法って思いつかないものだよね。」
 ぶぅらりぶらりと、脚を揺らしながら、今日もこのまま濠を越える方法を考えて、日が暮れていくのだろうと、スイは溜息を零す。
 その吐息が、ホロリと、空気に溶け込もうとしたその時であった。
「みゃぅっ。」
 小さな鳴き声と共に、ひょい、と身軽な動作で、綺麗な毛並をした猫が、スイの隣に降り立った。
「フロマンジェ。」
 太陽の下に、燦然と輝く白い毛皮。
 毅然と見上げた瞳は、珍しい紫水晶。
 スイがこの壁に登るために利用した庭の主──ミルイヒの溺愛する飼い猫である。
「や。君も、日向ぼっこかい?」
 気軽に話し掛けて、スイは首を傾けてフロマンジェを見やる。
 フロマンジェは、チラリと貴婦人のように目を向けた後、
「にぃやぁ。」
 くぐもったような声で、そう鳴いた。
 ミルイヒの庭の木々を、我が物とばかりに自由自在に駆けるこの白猫にとっては、グレッグミンスターを守る防壁も、ただの腰掛けと日向ぼっこの最適の場所にしか過ぎない。
 その彼女が、この壁の上にやってくるのは、別段珍しいことではない。
 スイがココを見つけたのも、元々は彼女のあとを追っていてのことであったし。
 実際、スイがココへ通うようになってからも、フロマンジェは何度かスイの元へ顔を出している。
 その、彼女の口に、今日は見慣れないものが見えた。
「フロマンジェ、何咥えてるの?」
 大きく膨らんだ頬袋と、口の端からチロリと見える茶色の何かに、スイは首を傾げる。
 ミルイヒにより貴婦人教育をされているこの美猫は、スイよりも気品溢れ、むやみやたらと食べ物を口に入れることはない。
 そんな彼女が口に入れるなんて、珍しいこともあるものだ、と──この庭に出来ている果物ですら、食べることがないのにと、興味をそそられた。
 フロマンジェは、不思議そうなスイを一瞥すると、再びくぐもった声で鳴いた。
「にぃ。」
 首を傾けて、うつむいたかと思うと、片方の前足を差し出し、ポンポンと地面を叩く。
 その仕草が妙に人間じみていて、スイは小さく笑う。
「何? 手を出せってこと?」
「みゃぅ。」
 クスクスと笑いながら、右手を差し出すと、フロマンジェはそこへ口を寄せた。
 そしてそのまま、口に含んでいたものを、ペッ、と、吐き出した。
 べっとりと唾液で濡れた、掌にすっぽり収まるくらいの──────………………、
「………………………………って、これって………………。」
 唾液で濡れて、すっかりしぼんでしまったソレの姿に、どこか覚えがあって、スイは恐る恐るフロマンジェを見上げた。
 だが、彼女は、役目は済んだとばかりに、パタパタと尻尾を優雅に揺らしたかと思うや否や、ヒラリ、と身を翻してしまう。
 そのまま、ひょい、と木の枝に移った後、フロマンジェは顔だけ振り返って、
「みゃぁーぅ。」
 小さく鳴いて、そのまま、スルスルと見事な素早さで、木を降りていく。
 あっと言う間に見えなくなった猫の姿に、スイはもう一度自分の掌に乗せられたものを見やった。
「……たぶん、屋敷の中に入った侵入者を、退治して濠に捨てようと持ってきたって所なんだろうけど────。」
 フロマンジェの行動を予想するのは、たやすかった。
 けど。
「────……どうして、フサフサの子供が、将軍の家の庭に居たのかは…………さすがに、分からないなぁー。」
 スイは、整った柳眉を顰めて、スッカリ毛がしぼんでしまった、小さな赤ん坊を見下ろして、溜息を零すのであった。








 昔──とは言っても、スイがまだ幼かった頃のことだから、はっきりと記憶に残っているはずはなかった。
 本来なら、夢で見た記憶と混同してしまってもおかしくない年齢のことである。
 けど、物事の判別もまともに理解できない年であったにも関わらず、スイはあの数ヶ月のことを、今でもハッキリと思い出せた。
 小さな砦で、怖い顔をして、出て行きなさいと言う大人。
 厳しい顔つきで、地図を睨みつける男。
 さびしげに微笑む貴婦人が、差し出された花を受け取り、かすかに唇を綻ばせる姿。
 剣を陽光に煌かせ、決意の色を滲ませる剣士。
 たくさんの人が居た。
 たくさんの思いがあった。
 普通の家の子供であったなら、その只中に放り込まれることはなかっただろう。
 けれどスイは、軍人の子供であった。
 それも、バルバロッサ=ルーグナーの、優秀な部下の一人である男の、第一嫡男であった。
 戦に巻き込まれることは必死であり、戦の相手がグレッグミンスターの黄金宮殿に在るとなれば──グレッグミンスターから連れ出されるのは、当たり前のことであった。
 あのまま、あの屋敷に残っていたら、人質として使われていたか、殺されていたか……そのどちらかしかないのだから。
 だからスイは、後に継承戦争と呼ばれる戦の間中、父の主が拠点として使っていた小さな砦で、生活することになった。
 父の子だからと、回りの子供達よりも格段にいい扱いをしてもらえるわけではなかった。
 何もかもを失ってから始まった戦いだったから──その分、小さな子供であっても、何か手助けをしなくては、生きてはいけなかった。
 側に居てくれたグレミオは、そんなスイが重労働をしなくても済むようにと、必死になってくれていたけれども、それでもスイにもしなくてはいけないことがあり──父もまた、忙しくて走り回っていたから、自然、父に会えない日が続いた。
 そんなスイを哀れんで強く抱きしめてくれるグレミオの腕の中で、スイは、砦に居た人間達の戦士としての顔を、ずっと見つめ続けていた。
 父は、見たこともないほど怖い顔をして、同僚に叫んでいた。
 そんな父に、厳しい顔つきで誰かが答える。
 そして、近所の小母さんの娘が、キリリと唇を噛み締めて、スイを別の部屋に移すようにと、グレミオに告げる。
 何が起きているのか……それは、スイにもわかった。
 幼いスイにも、分かるようなことだった。
「……ぐれみお……。」
 けれど、小さな自分の手では、何も出来ない。
「ぼっちゃんは、グレミオが命に代えても守りますから。」
 しっかりと抱きしめられて、呟かれて──その表情が、つらそうに歪んでいるのに気づいたけれど、自分の手では何もできない。
 ただ、泣いて欲しくないから、そんな彼の頭を撫でることが精一杯だった。
 砦に、どこからか流れ着いた犬が住み着いたのは、そんなある日のことだった。
 はじめは人間を警戒して、唸り続けていた犬も、残飯の片付けや畑の雑草抜きを手伝うスイに、だんだんと慣れていった。
 いくらかもしないうちに、スイの手から残飯を食べるようになり、それから少しすれば、彼の手を気持ち良さそうに受け入れるようになった。
 その犬が、スイの心の慰めになるのに、そう時間は掛からなかった。
 危ないからと、砦の外に出かけることを許されていなかったスイが、砦の中をその犬を一緒にはしゃいで走りまわることも多くなった。
 そんな少年の姿に、戦士達の多くは苦笑いをし──そして、その光景にどこか癒されていた。
 けれど。
 ちょっとした不注意で、スイの初めての友達は、帰ってくることはなかった。
──いや、それだけではない。
 そのことがきっかけで、小さな戦いが、起きた。
 それは、スイの心に深い傷を残すと共に、テオ=マクドールの名を広く世間に知らしめ……グレミオの頬に、永遠に消えない傷を作った。
 彼が、自らの斧に誓いの言葉を刻んだのも、ちょうどこの時であった。
 人が死に、人が傷つき、大切な物を失う。
 それが戦であると──幼いスイの心に強く刻まれた。
 犬は、二度と戻ってくることはなかった。
 血にまみれた体で、無理矢理連れ去られていくスイを見送り……その瀕死の体を引きずって、砦に居るグレミオたちの元へと、知らせに走ったのだ。
 血が噴出しても、何度倒れても、彼は起き上がった。
 必死になるグレミオの前を走り──そうして、斃れ、戻ってくることはなかった。
 あの日から、マクドール家では、動物を飼うことは無くなった。





「グレミオグレミオグレミオーっ!!」
 ばんっ、と、勢い良く玄関の扉をあけて、迷うことなく厨房へと走る。
 その、物々しい足音に、グレミオが目尻を吊り上げて厨房から顔を出した。
「ぼっちゃん! どうして部屋にいるはずのぼっちゃんが、玄関から来るんですかっ!?」
 しかも、廊下を突っ切ってやってきたスイの体には、ところどころ木の枝や、葉っぱがついていた。
 どう考えても、部屋でおとなしく謹慎していたようないでたちではなかった。
 外に出ようとしたバツにと、部屋の中でおとなしく勉強しているように言い渡したはずなのに、と、グレミオが怒った顔になるのも、仕方がない事態なのであったが。
「抜け出したからに決まってるじゃないか!」
 スイは、両手で何かを包み込むような仕草のまま、きっぱりと、悪気もなく言い切ってくれたのであった。
「──……〜! はしごも、カーテンの布地も、没収したはずなんですけど?」
「ロープ使って降りたのっ! それよりも、救急箱っ!!」
 グレミオの震える肩を無視して、スイは両手をグレミオの前へと突き出す。
 思い切りよく叫ばれた内容に、グレミオはギョッと目をむいて、慌ててスイの両手を取った。
 この腕白少年は、他人の怪我には目ざといくせに、自分の怪我に関しては、あまり関心を持たないという、良くない癖があった。
 少し前にも、グレミオの手伝いをしている最中に、ざっくりとナイフで指を切ってしまったことがあった。
 あのときは、ダラダラと血が指先から流れていくにも関わらず、近くにあったタオルで指を抑えて、そのまま頭の上の高さに固定して、傷口を抑え続け──グレミオに言うことすらなかった。
 料理が一段落して、振り返ったグレミオが、頭の上に片手を高々と上げながら、もう片手で器用にもナイフを使っている少年を見て、ギョッとしたのは言うまでもないだろう。
 他にも、紙で少し指を深く切りすぎて、血が止まらなかったということがあっても、爪が少しはげてしまって血が出てきたということがあっても──スイは、まったく頓着せずに、そのまま適当な治療を自分でほどこし、放っておくということが、しょっちゅうあるのだ。せめてガーゼを当てたり、消毒くらいしてくれと思うのだが、自然治癒に任せるだけで、スイはちっともそんなことを聞いてくれる気配はなかった。
「ぼっちゃん! 一体、どうなさったんですかっ!?」
 そんなスイが、救急箱が欲しいというなんて、よほどの傷なのだろうと、グレミオは慌てて彼の両手に顔を近づける。
 何かを包み込むように合わせられた掌は、特にコレといった汚れも、傷もないように見えた。
 けれど、鼻先にかすかに血の匂いを感じた気がして、グレミオが密かに焦る。
「大変なんだっ、全然動かないのっ!」
 焦ったように眉を寄せて、グレミオの顔を見上げるスイが、指先にかすかに力を込めて叫ぶ。
 グレミオは、そんなセリフに、更にギョッとして、
「うう、動かない!?」
 握っていたスイの手の平を、そろり、と開く。
 スイの手は、暖かく、柔らかく小さく──いつもと変わりがないように見えたが、これが動かないということは、何かが起こり、そして傷ついているということに他ならないのである。
「い、痛くないですか? どこかお怪我でも?」
「それが分からないから、とりあえず救急箱!」
 顔をあげて、スイがグレミオに怒鳴る。
「わ、分からないって──ご自分のことじゃないですかぁっ。」
 情けなく顔をゆがめて、グレミオはスイの掌を、そ、と握り締める。
 スイは、そんなグレミオに焦れッたそうに唇を歪めると、
「早くしないと、手遅れになっちゃうかもしれないんだから、いいから、救急箱ーっ!!」
 そう、声の限り叫んで見せた。
「はは、はいぃっ!」
 ぼっちゃん第一のグレミオが、そんなスイの叫びに、答えないはずはなかったのであった。
 彼は、慌てたように自室へ飛び込むと、すぐに両手の上に救急箱を抱えて戻ってきた。
 その時には、すでにスイは厨房に入っていて、テーブルの前で両手を包んだまま、所在無さげに立ちすくんでいた。
「さ、ぼっちゃん、手を見せてください。」
「ん……。」
 両掌を上にして、グレミオが優しく促すと、スイはソロリと気をつけながら、そんな彼の手の上へ──自分の手で包んでいた物を置いた。
 グレミオは、ヌルリとした物が手に乗る感触に、軽く眉を顰めて……タオルじゃなくって、掌を見せてくださいと、そう言いかけた口を、唐突に閉ざした。
 べっとりと濡れた、すぼんでしまった小さな物……生暖かいそれは、壊れそうにやわらかい感触がした。
 スイは、自分の手を、近くにあったタオルで拭いながら、グレミオの手の中の乗ったそれを心配げに見つめている。
 自分の手の中にあるときよりも、茶色の濡れそぼったソレは、さらに小さく華奢に見えた。
 グレミオは、無言で視線を自分の手の中に落とした。
 掌の中に、すっぽりと収まるそれは、握りつぶせるほどに小さかった。
「…………たわし………………だったら、どれほど良いでしょうかねぇ………………。」
 意識を集中させると、それが小さく……本当に小さくではあったが、かすかに動いているのが分かった。
「フロマンジェが、口に咥えてきたんだ──ねぇ、まだ生きてるよね?」
 向かい側の椅子から、身を乗り出して、スイが小さく尋ねる。
 グレミオの手の中を覗き、不安げに眼差しを揺らしながらグレミオを見上げる。
 グレミオなら、なんとかしてくれる──なんとかしてほしい。
 そんな、すがりつくような眼差しであった。
「生きて……は、いますけど…………。」
 当惑を顔一杯に広げて、グレミオは手の中の物を見つめる。
 これが、小さなハムスターやリスの子供、小鳥だと言うのなら、グレミオは慌てて手当てをしだすだろう。
 けど、手の中のそれは、今は儚く小さな命であったけれども──、それは大きくなれば、人や動物に襲い掛かるだろう物に育つ、モンスターなのだ。
 目の中に入れても痛くないほど可愛がっている、大切な大切なぼっちゃんのお願いを、聞きたくないわけではないのだけれども。
 コレを、手当てするのは──少し、いや、大分ためらいがあった。
 グレミオは、息を詰めて、悩むように眉間に皺を寄せる。
 そうして、スイにこの子をどこで見つけてきたのか──都の外に出ていることはないはずだから、と、聞き返そうとして…………、
「……………………って、ぼっちゃん…………フロマンジェって………………っ。
 まさか、またミルイヒ様のお屋敷に、無断侵入を……っ!?」
 スイがサラリと零した発言の中にあった、不法侵入の告知に、ついウッカリ気づいてしまった。
 スイは、ガバッ、とあげられたグレミオの顔に、一瞬、しまった──という表情を浮かべたが、すぐさまそれを掻き消し、ビシリ、とグレミオの手の中の赤ん坊へと、指をつきつけた。
「そんなことより! そのコ!」
「…………ぼっちゃん…………。」
「助かるよね!? ね、僕、どうすればいい? 何をすればいい? タオルはいる? お湯は沸かしたほうがいい? 焼きゴテは?」
 当惑したように眉を寄せるグレミオに、矢継ぎ早に質問する。
 それは、グレミオがこれから口にしようとするセリフを、阻止するために必死になっているようにも見えた。
 体を乗り出し、テーブルに両手をついて、やる気満々──の風に見せるスイの顔を、グレミオは静かに見つめた。
 手の中の、モンスターの赤ん坊を持つ手は、動くことはなかった。
 それが示している事実に──スイが、キリ、と唇を噛む。
「──ぼっちゃん、人を指で指してはいけませんし、焼きゴテは、家畜に所有印として押すものです。」
「…………ぐれみお…………っ。」
 静かに、諭すように──別のことを口にするグレミオに、スイが泣きそうに顔をゆがめる。
 少年が、どうしてそんな顔をするのか……グレミオも知っている。
 この子は、テオを敵視していた派閥に攫われたときのことを、いまだに強く覚えているのだ。
 犬と遊んでいた中、無理矢理攫われて──そんな男達に飛び掛った犬は、剣で致命傷を負わされた。
 グレミオの頬に深い傷が残り、泣きじゃくったスイが、テオに抱きしめられて無事に砦に戻り──翌日になって、知らされた。
 その犬は、スイが攫われた砦の入り口で、力尽きて──斃れたのだと。
 スイの居場所を見つけるまで、彼は、何度倒れても、何度でも起き上がってきたと。
 そうして、入り口まで来て……倒れた後は、もう、起き上がることはなかった、と………………。
 あのときから、スイは、動物が傷ついているのを、耐えられない苦痛だと感じるようになった。
 自分の最初の友達であったあの犬の最後に会えなかったことを──知ったときにはすでに、埋められた後であったことを、後悔しているのだ。
 小さな子供には、どうしようもないことだと……どうあっても覆せなかったことだと、分かっていても。
「…………暖かいお湯で、清潔なタオルを濡らしてきてくださいますか? まずは、この濡れた体を温めて、なんとかしないといけませんからね。」
 ────結局自分は、スイに甘いのだと。
 このマクドール家に来てから、何度思ったか分からないことを今再び心の中で呟き、グレミオは手の中の小さな生き物へ、片手の指を這わせた。
 べっとりと濡れているのは、ミルイヒの愛猫の唾液であろう。
「……! うんっ!」
 途端に、満面の笑みを広げるスイが、慌てたように椅子から飛び降りていくのを横目で見やりつつ──グレミオは、重い溜息を零した。
 今はまだ、赤ん坊であるからいいけど……どれほど可愛くても、所詮モンスターなのだと。
 このモンスターが元気になるまでに、スイがそのことをキチンと頭の片隅に置き続けてくれていたらいいのだけど。
 そんなことを思いながら──どうか、それまで、テオ様やクレオさんたちが、帰ってきて欲しいような、欲しくないような…………複雑な感情に、心ゆすられるグレミオなのであった。






 ふわふわと、スイの肩口辺りで浮いている茶色の毛玉に、クレオは片目を細く眇める。
 そんな彼女の隣に立つ青年は、ニコニコ笑顔を零しつつ──その米神から、タラリ、と冷や汗が零れ落ちていた。
「……グレミオ?」
 低く、クレオが呼びかけた瞬間、
「あっ、そうそう! クレオさん、洗濯物がありましたら、出して置いてくださいね!
 後、お部屋はきちんと掃除しておきましたけど、主の居ない部屋に花を飾るのはどうかと思ったので、代わりに花の絵を飾ってみたんですよー。」
 ニコニコニコ、と、素早くグレミオがわざとらしいほどの微笑を浮かべてそう告げた。
 クレオは、そんな彼をジロリと一瞥すると、
「グレミオ? 私には、ぼっちゃんの肩に浮かんでいるのが、つい今朝も都の外で見かけたばかりのモンスターと、同じ物に見えてしょうがないんだけどねぇ?」
「ああああぁぁ! 最近のおもちゃは、精巧に出来てますからねぇっ!」
 ばふっ、と、勢い良く両手を叩いて、わざとらしい表情でグレミオが遠くを見やった。
 クレオは、それに反比例するように、目を眇めて見せると、
「なるほどね──よし、それじゃ、テオ様に見せてくるように、ぼっちゃんに言ってみよう。」
「あーあーあーっ! それは、ダメですぅぅぅーっ!!!」
 くるん、と、アッサリ踵を返したクレオに、慌てて、必死に、グレミオがしがみつく。
 クレオの右腕を握り締めて、ブンブンと彼は首を振った。
 その、自分よりも背が高くなった男を、呆れたように見返して、クレオは唇を曲げてみせる。
「…………で? アレは、何なんだい?」
 顎を上げるように尋ねるクレオに、グレミオは思い切り顎を引いて、目を伏せて見せた。
 そして、もご、と、口の中だけで呟く。
「────…………グレミオ?」
 クレオは、わざとらしいほどわざとらしい微笑を浮かべると、そんな同居人の男の顎を指先でクイと上げると、壮絶な笑顔を浮かべて、
「私は、この屋敷にどうしてモンスターの赤ちゃんが居るのかと、そう聞いてるんだよ?」
「………………ぼっちゃんが、拾ってきたんです………………。」
「………………────あんたがぼっちゃんに甘いのは知ってるけど……常識くらい、その脳みそ足りない頭に叩き込んでおけなかったのかい?」
「──怪我をしていて、手当てをしただけですよ。」
 きちんと説明しなくては、自分の身が危ないと、グレミオは溜息を零しながらそう口にする。
 濡れた体を拭いてやったフサフサの子供は、その名の通り、フサフサの毛に空気を含ませて、ふかふかになると、掌よりも少し大きいくらいであった。
「まだ赤ん坊だから、自分で餌も食べられないので、仕方なくミルクをスポイトに吸わせてやると、チュゥチュゥと吸ってくれて──そしたらぼっちゃんったら、僕もやる、だなんて言い出して……。
 普段の自由研究とか、お手伝いとかもコレくらい熱心にやってくれたらいいのに、って思うくらい、良く働いてくれたんですよー。
 その甲斐あってか、自力で動けるまでに体力が回復したフーが……ああ、これはあのフサフサの名前なんですけどね……、寝床から出てくると、ああやってぼっちゃんの頭だとか、肩だとかの周りをフワフワするようになったんです。」
 そういいながら、目を穏やかに緩ませて見やる先──スイが、肩に乗っているフサフサに、優しい笑顔を向けていた。
 茶色の毛玉は、そんなスイに甘えるように、スリスリと寄っていく。
「………………誰も、あんたの子育て日記なんか聞いてないよ。」
 クレオは、すかさずグレミオの脳天にチョップをかまし、両手を腰に当てた。
 軽く首を傾げて、唇をゆがめて思うことは、
「あれだけ元気になったなら、そろそろ表に放してやらなくてはいけないだろうね……モンスターが、人里で飼われて無事に一生を終えられることなんて…………無いに等しいのだから。」
 彼女の声に、少しだけ苦しそうな響きが宿っているのを感じ取り、グレミオは柔らかに──さびしげに微笑んで、頷いて見せた。
 あのフサフサの子供の世話をしていないクレオには、「フー」に対しての愛情など、まるで無いはずだ。
 なのに、その赤ん坊を外に放すことにためらいを感じる理由は、ただ一つだ。
 そのことで、スイをどう説得し、嘆き悲しむだろう子供を、どう慰めるべきか……そのことに思い悩んでいるのだ。
 おそらくは、そういう慰め、甘やかす立場は、全てグレミオに任せてしまうだろうと、そう分かっているからこそ余計に、辛く感じてしまうのだろう。
「話はもう、済ませてあります。
 明日、人里離れた場所に、あの子を放しに行くと──ぼっちゃんとも約束しました。」
「────……。」
「野生のモンスターは、野生に帰らなくてはいけないからと。」
「そう…………。」
 グレミオは、寂しそうな微笑を浮かべたまま、クレオに頷いて見せた。
 すでにそう決まっているならば、もう何も言うことはなかった。
 クレオは、グレミオの告げた内容に一度目を閉じてから、ゆっくりとスイの方を見やる。
 少年は、肩に乗っているフサフサの子供を掌の上に移して、口元に寄せて笑いかけていた。
 その柔らかな微笑みに、クレオもつられたように微笑み──、
「今度、テオ様に頼んで……何か動物を飼えるかどうか、聞いてみるのもいいかもしれないね………………。」
 あの事件以来、一度も考えたことのないことを、初めて──考えた。
 グレミオは、そんな彼女を驚いたように見下ろす。
 そうして、泣き崩れるような笑顔で、大きく頷いて見せた。
「──はい……私も、ちょうどそれを考えていたところなんですよ…………。」
 結局のところ、自分もグレミオのことをいえない程度には、スイに甘いのだと──クレオは、軽く息をつきながら思うのであった。








 その数日後、グレミオとクレオは、そういう甘い考えを持った自分を、少しだけ後悔することになる。
 どこでどうやったかは分からないが──スイが、都の防壁の外をうろちょろして遊んでいた所を、城の兵士に保護されて、ズルズルと屋敷に連れ戻されてきたのである。
「どうやって都の外に出たんですかーっ!?」
 血相を変えるグレミオに、スイはしれっとした顔で、
「壁の向こう側から手伝ってくれる仲間が居るっていうのは、いいことだって知ったよ。」
 そう告げたのであった。
 グレミオもクレオも、そんな反省の欠片もないスイの台詞に、同時に心の奥底からおもった。
──絶対、次がある、……と。
 そしてそれは、正しいことなのであった。

 こうして、グレミオ&兵士VSマクドール家のぼっちゃんの戦いが、幕を開けたのであった。
 それは、テオ=マクドールが屋敷に帰ってくるまで、続いたとかどうとか……。