水の試練

幻想水滸伝 マニアッククイズ レベル3




「年齢クイズです。
幻想水滸伝1の舞台となった国の、最後の皇帝の享年は?」



彼の当時の年齢の末尾にリンクが貼られています。
小説内に出てくる一番最初の数字をクリックしてくださいね。









 静かな山奥の、静かな景色の中。
 優しい穏やかな日々が再び戻ってくる予感がした。
 小さい頃の思い出。裏の木の下に埋めていた弟と幼馴染の宝物。
 笑いあったあの日。人は男の子で、私は女の子だから、いつか2人と離れる日が来ると、わかっていたけれど。
 こんな形で別れるはめになるなんて、思っても見なかった。
 こうやって、長い間育った道場で、たった1人で立ち尽くしていると、まるであの苦しくて哀しかった日々が嘘のような気がした。
 けれども。
 時々、静かな夜に、無性に胸が苦しくなるときがあった。
 今も醜い傷痕を残す矢傷は、すでに痛みを訴えるはずなんてない。
 なのに、時々痛む。それは、そういう夜だった。
 痛くて、痛くて、泣きそうになって、無性に哀しくて、怖くなって、枕を涙で濡らしたのも1度や2度じゃない。
 大切な弟と、大切な幼馴染が、命をかけて戦うのをずっと見ていた。
 それは、彼女にとってとても痛いことだった。弟が哀しそうにしているのを見ているのがつらくて、いつも笑って誤魔化していた。
 私だけは、お姉ちゃんだけは、笑っていないと。そう思い続けてきた。
 でも、あの日……最後にジョウイと会ったあの日。私は知った。
 ジョウイは私たちが、重荷なんだって。そして、私は、リオにとって最後の「弱み」なんだって。
 ジョウイにとっても、リオにとっても、「私」は重荷にしかならなかった。
 もう後戻りはできないから。だから、私もこの傷を、「チャンス」だと思って、逃げた。
 もうそれ以外、私に出来る事はないと、そう思ったから。
 だから、夜哀しくて、怖くて泣いてしまうのは、仕方ない事。
 そう、仕方ない事だった。
 シュウにお願いと言いはしたけれども、リオが戻ってきてくれるとはあまり期待していなかった。
 リオがそういう道を選ぶという事は、ジョウイが死ぬという事で、ジョウイが死ぬ以上は、リオはここに戻ってこようとは思わないだろう。
 だとしたら、リオはきっと私のもとには来ない。
 リオは勝つ。
 だとしたら、ジョウイが死ぬだけだ。そしてリオは不老不死を手に入れる。そして私のところには戻ってこない。
 リオを返して下さいだなんて、よく言えたものだと、ナナミは思いながら、空を仰いだ。
 綺麗な空は青色。
 今頃、同盟軍の皆はどうしてるのだろう? もうすぐルルノイエに侵入するって皆が噂していた。ハイランドはどうなるのだろうと、言っていた。
 どうなるのだろう。
 もう、ジョウイは……死んじゃったのかな?
 ずきん。と痛む胸を握り締めて、ナナミは泣きそうな気分で目を閉じた。
 3人で一緒にいられないなら、私たちは一生別々で生きていく。
 ジョウイをリオが殺してしまったのなら、リオは私の元に戻ってこない。それは、確実なこと。
 ルルノイエが落とされたら、どうしよう? リオが王様になったら、きっと国はよくなるよ。
 そしたら、私は──どこかで働いて、いつか道場を……。
──────ひとりで?
 思った途端、胸がギュッと締め付けられて、ナナミはきりり、と唇を噛み締めた。











「ナナミっっ!!」
「ナナミっ!」
 こえ。
 聞こえるはずのない声。
 死んでるはずの人。
 もう私たちだけの者では無くなった人。
 もう、私のもとには戻ってこないはずの、人。
 ナナミは咄嗟に振り返る。
 そして、一瞬、動きを止めた。
 走り寄ってくる二人。
 笑顔は、いつか見たもの。悪夢のように苦しい戦いの中で見てきた、哀しい微笑みじゃない。
「…………っっ。」
 息が止まるかと思った。
 リオとジョウイが、道場に入ってくる。2人とも、揃って走ってきてる。
 少し前までは、当たり前だった光景。でももう見える事かなわないと思っていたそれに、ナナミの喉がきゅぅん、と鳴った。
 気付いたら、走り出していた。
「おかえりなさいっ! リオ、ジョウイっっ!!」
 両手を広げて走り寄ってくる二人に抱き付く。
 お日様の匂い。暖かな感触。
 生きてる……夢じゃない。
 何度夢に見ただろう? 何度夢であることを悲しんだだろう?
 右手にジョウイ。大切な幼馴染。もう2度と出会う事かなわないと思った人。何度も何度もすれ違って、泣いて泣いて……哀しくて哀しくて、たまらなくなった人。
 左手にリオ。大切な弟。彼はもう、ここに返ってくる事はないと思っていた。悲しんで、苦しんで、そうやって歯を食いしばって生きてきたのを、側で見てきて、哀しくてたまらなくなった人。
「ごめんね、ごめんね、心配させて……。」
 抱き付いて、2人の匂いを確かめて、温かさを確かめて、ナナミは二人に頬を寄せた。
 しっかりと抱きしめてくれる2人は、別れる前に出会ったよりもずっと、大人っぽくなっていた。
「ナナミ……すまない、君を悲しませて……。」
 ジョウイが囁いてくるのを、ナナミが微かに首を振って止める。
「いいの、いいの──私だって、私……──っ。」
 言葉が言い切れないまま、口の中に消えていく。
 涙が溢れるのを感じながら、ナナミはもう一度リオの肩に顔を摩り付けた。
 ゲンカクの形見のスカーフが涙に濡れるのを感じながら、リオは溜め息を零した。
 それでも、その目には涙が浮かび、口元には笑顔が浮かんでいた。
「話したい事がたくさんあるんだ、ナナミ……。いろんなことが、あったんだよ。」
 リオが囁くのに、ナナミは微笑んで答えた。
「わたしも……話す事、いっぱいあるんだよ。」







 ジョウイがお風呂に入っている間、ナナミは久しぶりにリオのベッドに布団を敷いていた。
「ジョウイはじいちゃんのベッドでいいよねぇ?」
 上機嫌が続いているまま、ナナミがリオに聞くと、リオも顔が綻ぶのを止められないと言いたげな表情で、頷いた。
「うん、いいんじゃないの? あ、ジョウイに寝巻き出してこないとっ!」
 リオも久しぶりにジョウイと一緒にいられることが嬉しいのだろう。そしてたぶん、それと同時に不安でもあるのだ。
 実はさっきから、リオはナナミとジョウイの2人から、1秒とも離れようとしなかった。
 先程だって、ナナミとジョウイと一緒にお風呂に入りたい、と子供みたいな駄々をこめたばかりなのだ。
 さすがにそれはまずいだろう、とジョウイが説得したのだが、ナナミはその時のリオの泣きそうな顔が、鮮明に焼き付いている。
 離れている時は長すぎて、そして同時にその間にあったことが、あまりにも2人を離させていた。
 自分たちが違う人間なのだと、理解していたつもりだったけど。
「……ねね、リオっ!」
 ふとナナミは、自分のベッドの感触を確かめるリオを振り返って尋ねる。
 ジョウイとリオとの間に何があったのか、大体の所は聞いていた。
 2人は「約束の場所」で出会い、全てを語り合い、そしてゆっくりと峠を降りてきたのだという。
 その間に何を話していたのか、詳しくは知らない。
「明日出発だよね?」
「うん。どこに行くかナナミも考えておいてよね。」
 リオは上機嫌でナナミを見つめる。
 同盟軍の軍主であるリオとハイランドの皇王であったジョウイ。2人が一緒にいつまでもキャロの町にいるのはまずかろうと、出発は草々に明日だと、ナナミが決めたのである。
 もちろん2人はそれに反対することもなかった。
 ナナミはジョウイの家が封鎖されているのを知っていたし、ジョウイと一緒にそれを見て来た。
 ただナナミ自身は、この家を離れるのは嫌だったのだが、リオとジョウイの正体に気付いていたお姉さんが、この道場を管理してくれると言ってくれたので、それに甘えることにしたのだ。
 町の人は、昔のように走っていく仲の良い2人を見て、久しぶりにこの道場に押しかけてきてくれた。
 お帰りと言ってくれる皆に、実は出て行くのだと告げるのは、少し心苦しかったけど、ジョウイの家族のこともあってか、皆明日のための食料などを調達してくれた。
 やっぱり返ってくる場所はここだと、実感した時であった。
「実は、其の前に聞いておきたいんだけど。」
 真面目な顔で尋ねる姉に、リオは嫌そうな表情になる。
「普通の事?」
「どういう意味よ、それはっ!」
 ナナミが過去に真剣な表情で聞いた事を思い出すと、あんまりろくな事がないのを知っているリオは、とりあえずそう聞いてみただけである。
 何もこたえないリオに、とりあえずは納得したらしいナナミは、ずず、とベッドの上でリオの方へと近付いた。
「ジョウイに、何か聞いてない?」
「何か?」
 くり、と首を傾げたリオに、ばばん、とナナミはベッドを叩いた。
「だーかーらぁっ! ジル皇女のことよっ!!」
「あーあーあーあー。」
 そういえば、そうだっけと、間の抜けた声を出す弟に、ナナミは自分が悩んでいた事を口にするのが馬鹿らしく感じた。
 あの2人は夫婦なのだ。それが仮面夫婦だったのだとしても、ジョウイは確かにジルの夫であったのだ。
 ジョウイとジルの間に何があったのか、正確なところはナナミもリオも知りようはない。
 だけど。
 ジョウイがジルの名前を出すときに見せるあの苦悩がどこから来ているのか、わからないほど子供じゃないのである。
「……いいのかな、ほんとに。」
 だからナナミはそう言わずにはいられない。
 いいのかな、と。
 彼は本当に、自分たちと一緒にきてもいいのだろうか? 本当にそれで後悔しないのだろうか?
 戦争中に、ジルがジョウイによって殺されたという事は、リオは城の中で、ナナミはここで聞いた。
 けれどそれを2人は信じはしなかったのだ。ジョウイがそんなことをするはずはないのだと。
 力を手にするために、人を犠牲にすることなど、ジョウイは絶対にないのだ。
 そして、そう信じたとおり、ジョウイは言ってくれた。教えてくれた。ジルは本当は生きているのだと。
「いいって……何が?」
 きょとん、として問い返したリオに、ナナミは顔を難しくさせる。
「あの2人、結婚してて、子供までいるのよ?」
「ええっ!? ジョウイ、やるねっ!」
「ばかっ、ピリカちゃんのことよ、ピリカちゃんのっ!」
 ベッドを乗り換えて、リオのベッドに乗り移った後、ナナミは顔を近付けた。
 そして、リオを見つめる。
 間近に見つめる久々の弟は、とても男前度があがった気がした。
「………………。」
 リオは、無言でナナミを見る。
 ナナミは真剣な表情で、彼を見つめて見せた。
 その顔は、いつだったか──ティントで見せた苦悩に似ていた。考えて考えて……口にした、彼女のそれに似ていた。
 思わずリオは息を呑む。
「……………………ずっと一緒で……いいのかな?」
 零れるように呟かれた言葉は、ナナミの本心からの言葉だった。
 痛い……痛い、掠れた言葉。
 咄嗟にリオは口にする。
「僕は……嫌だよ。」
 ナナミの瞳に、自分の顔が映っていた。瞳を歪めて、唇を引き結んでいる、自分。
 昔──こうやって同じ様に座り込んで話していた時よりも大人びた顔つきになった……でも、同じ様な子供の表情を浮かべている自分。
「またジョウイと離れるなんて──嫌だよ。」
 吐き捨てるように呟く。
 ナナミだって分かってるはずだ。
 離れていた間、自分達は大丈夫だと信じていたのに、自分もジョウイも、交じれないくらいの場所に来てしまっていたあの時の事。
 後悔はしてる、幾つもしてる。でも、何度同じ事に会っても、僕もジョウイもすれ違いの道しか選ばない。そう分かっている。
 だからこそ、もう離れたくないと……今ほど強く想っていることはないのに。なのに、同じ様に──いや、それ以上に苦しんだナナミが、それを言うの?
 僕達は、ジョウイから離れるべきだと、そう言うの?
「…………私だってそうだよ。でも……今度は、そういう、"はなれる"じゃ、ないもん。」
 ナナミの温かな手のひらが、リオの頬に当てられた。
 その温もりに、リオは軽く瞳を細める。
 分かっているけど……この不安を何と口にしたらいいのだろう?
 ナナミを失い、ジョウイをも殺さなくてはいけないかもしれないという、あの苦痛の中に立っていた自分を、何と説明したらいいのだろう?
 今の自分のこの気持ちを、何と言ったら……納得してくれるだろう?
「大丈夫っ!!」
 不安な眼差しになるリオを、強引に自分向かせて、ナナミは笑って見せた。
「…………よねぇ?」
 その直後、ちょっと不安そうに尋ねられて──、
「そんなの……僕が聞きたいよ……。」
 思わず、リオはそう応えていた。
 そして、返されるナナミの微笑は──壊れそうに、儚かった。
 それが、どこか怖く感じて、リオは無言で彼女の額に自分の額をぶつけた。
 暖かなぬくもり。
 小さな頃から、傍に居たぬくもり。
──家族のぬくもり。おねえちゃんのぬくもり。
 僕とナナミは、血が繋がっていないけれど、確かに家族で。
 ……ジョウイが求めていた家族の絆を、僕たちは確かにここに持っていた。
 ただ、惜しむらくは。
 ジョウイが欲しがっていた「家族」は、──僕達じゃない、と言うことだった。
 昔も…………今も。







──────僕は、生きていていいのだろうか? 僕1人が幸せで、いいのだろうか?
 懐かしい部屋のベッドの脇で、彼は一人座り込んで右手を見つめていた。
 そこに宿る黒い紋章を無言で見詰めて、昔……敬愛した師匠が寝ていたベッドに背を預ける。
──────生きて償うことが、僕の選んだ道の責任。逃げてはいけない。でも──……
「……幸せで……そんなので償うことが、許されるのか……?」
 呟いた声は、思いもよらず苦痛に満ちていた。
 僕は間違っている?
 あの2人と行く事は、幸せになること。それは、許されない事。
 彼は、静かに目を閉じて、天井をあおいだ。
 こんな風に、自分の道に悩んだ時、撫でてくれた優しい手は、もう後ろから伸びてこない。
 一緒に額を突き合わせ、話し合った大切な幼馴染とは、話し合えない……道が違ってしまっているから。
 これは、自分で答えを出さなくてはいけないこと。
 僕は、償わなくてはいけない。自分の選んだ道、自分が選んだ力の償いを。
 でも……──僕が幸せでいることは、償いになるのだろうか…………?
「自分の……助かった意味を……考える……。」
 教えて下さい、ゲンカク老師。
 もうその言葉は口に出来ない。
 どうしようか、リオ、ナナミ?
 その言葉も口には出来ない。
 僕自身が、考えなければいけないことなのだから──。
















「うさぎおーいし、かの山ー。」
 ブンブンと、そこで手にした枯れ枝を片手に、ナナミは迷うことなく吊り橋に足をかけた。
 ギシ、と足元で揺れた吊り橋は、多分普通の少女なら悲鳴を上げて後じ去ることは間違いなかったが、ナナミは武道センスも抜群に持っていたため、あっさりと二の足を踏み出した。
 その後から、ズッシリと重い荷物を担いだリオが続く。
「ナナミ……荷物1個くらい持とうって気にならない?」
 軽く唇を尖らせて訴えると、ナナミはクルリとリオを振りかえって、
「それくらいの荷物で、だらしないぞ、リオ!」
 びしりっ、と枝先を付き付けてくる。
 ちょうどその間合いに入っていたリオは、慌てて目の前に付きつけられた枝を、顔をずらして避ける。
「しょうがないだろ──気分的にも、荷物が重い気がするんだから。」
 ぷく、と子供らしく頬を膨らませると、ナナミは一瞬目を見開いて──少しだけ寂しそうに笑うと、腰に手を当てた。
 そして、ひょい、と身軽な足取りでリオに近づくと、彼の頬に片手を当てて微笑む。
「もー、リオは甘えん坊なんだから! ジョウイを置いてきたこと、まだ寂しく思ってるのね。」
「……………………ジョウイには、会いに来れるから…………別にそういうんじゃないけど。」
「いつでも来れるよ!」
 笑顔で、ナナミは断言してみせる。
「だって、私達、友達だもん!」
 それから、誇らしげにそう宣言する。
 ──そう口に出来ることが、嬉しくて嬉しくてしょうがないと言うように。
 ボク達は、ジョウイの家族になれない。
 何故なら、キャロの町に居た時のジョウイの家族は、アトレイド家だったから。
 そして、キャロの町を出た後のジョウイの家族は──ピリカと、ジルさん、だったから。
 そう思ったからこそ、リオとナナミは、ハルモニアの外れのお邸で、ひっそりと暮らす2人を見つめているジョウイの傍から、ソ、と、離れたのだから。
 リオは、明るく笑って踵を返すナナミを、切なげに見つめた。
 ナナミも、そうやって笑っているけど、さびしがっているのを知っている。
 でも、僕もナナミも知っている。
 ジョウイが求めている幸せの形。
 彼が欲している家族の愛。
──それは、僕達では、肩代わりできないものなのだ、と……。
「良い事した後って、ほんと、気持ち良いよね〜。」
 ブンブンと振りまわす枝が危なくて、ナナミの近くに寄れないまま、リオはゆっくりと吊り橋を渡り始める。
 ギシリ、と揺れる吊り橋を、気にも留めずに彼女は先へと進んでいく。
 左右に広がるパノラマの景色の壮大さに、やさしく目を緩めて、再び歌を口ずさみはじめた。
──……ジョウイの幸せ ナナミの幸せ 僕の幸せ──
 僕とナナミの幸せは、3人で居ること。
 ジョウイの幸せは、家族の幸せ。
「……上手くいかない。」
 溜息を零して、そう呟いた声は、ナナミには聞こえなかったらしい。
 彼女は一度振りかえって、満面の笑顔で、
「リオ! いっぱい、外の世界を見ようね!
 それで、たくさんお土産抱えて、帰って来ようよ。
 ジョウイのところへ。」
 そう、楽しそうに提案した。
 僕にとっても、ナナミにとっても、ジョウイのいる場所が、帰る場所の一つであると──そう思えば、それも良いかもしれないと……。
 やっぱり、ナナミはお姉ちゃんだなぁ、なんて、こみ上げてくる微笑みをナナミへ返して、リオは大きく頷いた。
「うん。」
 疑うことはなかった。
 きっと、ある日突然帰ってきた二人の姉弟に、ジョウイは怒って呆れて怒鳴って──そして、抱きしめて迎えてくれるのだ。
 その光景が、今にも目の前に見えてきそうで、クスクスと笑みが零れる。
 たったそれだけの事で、先ほどまで胸の内に抱えていた痛いくらいの寂しさが、軽減した。
 それどころか、反対に、これから自分達2人が経験すること──それをジョウイに面白おかしく話すことの楽しさが、今からこみ上げてきてたまらなかった。
「たくさん、笑おうね、ナナミ。」
 ジョウイに持ちかえるのは、楽しい思い出ばかりがいい。
 彼が、あの屋敷で妻や子供と幸せに過ごせるように──楽しい思い出ばかりが良い。
 ナナミは、頬にかかる髪を摘み上げて、それを後ろへと流しながら……ニッコリと、笑みを広げた。
「……うん。」
 それはそれは嬉しそうな彼女の笑顔に、リオも嬉しくなった。
────と。
「…………あ。」
 リオの顔を見返したナナミが、小さく声をあげた。
 その目が、見る見る内に見開いていく。
 そこに宿った喜びの色を、リオは見逃すはずもなく──もしかして、と、どこか期待を抱きながら振りかえる。
「……二人とも!!」
 そして──聞きなれた声が、響いた。
「しょっぱなから置き去りとは、やってくれるじゃないかっ!」
 吐き捨てるように、息を弾ませて叫びきった少年は、そのまま手にしていた棍で、カツン、と地面を叩きつける。
 リオが振りかえった先に立っていたのは、想像通り──置き去りに成功したはずの人物であった。
 秀麗な容貌を険しく顰めて、彼は肩で荒い息を吐いていた。
 何度か呼吸を揃えるように息を吐き、吸い──そして改めて、二人を睨み付ける。
 ナナミは、足を前に踏み出し、リオの隣に立つ。
 その唇が、フルフルと震えて……彼女は、リオへと手を差し伸べた。
 リオは、そんな彼女の差し出された手の平に、ぽん、と自分の手を重ね合わせる。
 かと思うや否や、2人は同時にお互いの頬をムニュゥ──とつねったかと思うと、バッ、と揃ってジョウイを指で指し示した。
「本気で本物!?
 何でここにいるの、ジョウイ!?」
 思いきりハモッタその台詞に、思わずジョウイは、首をカクンと傾けて、疲れたように呟く。
「……この姉弟、こういう所、ソックリだよな……。」
 それから、うんざりしたように──2人がどうして自分の事を置き去りにしようと思ったのか、分かるからこそ──疲れの滲んだ溜息を零し、ジョウイは自分の髪を掻きあげた。
 そんなジョウイに、リオが軽く目を見開いて、
「ジルさんと、ピリカと、一緒に暮らすんでしょ!?」
 荷物のベルトを掴みながら断定して叫ぶのに、ジョウイはそここそ突っ込みたいと口を開くのだけど──それよりも先に、狙っているのかと思うくらいのタイミングで、ナナミの合いの手が入る。
「あ、そっか! お別れの挨拶に来てくれたのね! ジョウイってば、律儀!」
「……違う違う。」
 パタパタ、と手を振って否定すると、ナナミはいぶかしげな顔で、自分の腰に手を当てて、首をかしげた。
「新居祝いはないわよ? どっちかというと、私達がほしいくらいだもの。」
 ……この台詞が、ただの冗談であってくれればと、そう思いはするのだけど、
「それは、僕とナナミの土産話で我慢してよ。」
 リオまでもが、真剣にそう言ってくるから──ジョウイは、堪え切れずに棍を強く握り締めて叫んだ。
「やっぱり根に持ってないかい、2人とも!? そんなに、僕と一緒に行くのが嫌なのかい!?」
 それならそうと、口にして言ってくれたほうが、どれほど嬉しいことか……っ。
 彼等が、どうして自分をあの場所に置いていったのか──自分に気付かれないように、先に行ってしまったのか、理由はわかりすぎるくらいに分かっていた。
 ナナミもリオも、優しいから……痛いくらいに、優しいから。
 きっと、幸せになってほしいと、そう思っているに違いないのだ。
 どこか苦い顔で見やった先で、2人の姉弟は、大げさに顔を歪めて驚いていた。
「え!? ジョウイ、一緒に行く気なの!?」
「………………。」
 いくらなんでも、こういう言い方をされると、さすがに心臓がズクリと痛む。
「──……僕は、邪魔かい?」
 苦い笑みを広げて、ジョウイは小さく問いかける。
 キャロの町を出たときは、どこか痛みを残していながらも、笑顔でいられたというのに──それも、今は遠い気がした。
 ナナミは、そんな彼に、慌てたように顔を上げて……一瞬、ためらうように両手を胸の前で組んだ。
「…………違う……違うよ、ジョウイ……邪魔なわけ、ないじゃない……っ。」
「────…………。」
「だって、だってジョウイ、幸せに暮らせるんだよ? もう、苦しまなくてもいいんだよ?
 一緒に……やりなおせるんだよ?」
 何を迷うことがあると言うのだろう?
 死ぬつもりだった、ハイランドが落ちる直前とは話が違う。
 今、ジョウイとリオの右手にある紋章は、もう彼等の命を吸うこともない。
 ジョウイがジル達のために用意した屋敷は、彼が細心の注意を払って用意したものであったためか、ハイランドの再興を狙う人間や、元王族を排除しようとする人間たちから見付かる可能性は低いはずだ。
 ジョウイが、愛する人を道具として使ってしまった事を、後悔しているのは、ナナミもリオも知っていた。
 だからこそ、ジョウイが幸せになるために、自分達の心を押し殺してでも、無理矢理でも──彼が幸せになれるようにしてやろうと思っていた。
 シナリオでは、ナナミとリオが消えたことに気付いたジョウイが、それにショックを受けつつも、それでも──泣き笑いに近い顔で、ありがとう──と、呟いているはずだった。
 どうしてジョウイが追ってきてしまうのだろう?
 どうして──自分達を、期待させるようなことをするのだろう?
「ジョウイ……黙ってここまで来たことは、悪いとは思ってるけど──、でも、僕らは、出来ることなら君に、僕とナナミが帰る場所になってもらえたらって……そう、思っただけなんだ。」
 一緒に行こう、と。
 口を開いたら、そう言ってしまいたくなる自分を抑え込みながら、リオは先ほどナナミと話していた内容を思い返し──、そのときに感じた嬉しさを思い出しながら、淡く笑いかける。
 けれど。
「…………ごめんね……僕は、帰る場所になるつもりはない。」
 ジョウイは、軽く頭を振って、リオとナナミの提案を否定した。
「──どこにいても……僕のしたことは、何も変わらないんだ。
 ……逃げているのかもしれないけど……今の僕じゃ、ジルやピリカの傍に居ても、苦痛を感じるだけだし──。
 何よりも、彼女達を幸せにすることなんて、出来ないんだよ。」
「──それでも! それでも、ジルさんも、ピリカちゃんも、ジョウイが傍に居るだけで幸せだって思うよ!?
 それじゃ、ダメなの!? それじゃ…………っ。」
 ぎゅ、と、握り締めた手を、必死で握りながら、ナナミが唇をかみ締める。
 そんなナナミの肩に──ポン、と手を置いて、リオはジョウイを見上げた。
「──……ね、ナナミ、ジョウイ?
 僕らってさ──キャロに居た頃よりも、退化してると思わない?」
「…………は?」
「ええ??」
 リオは、間の抜けた顔で自分を見返す二人に、微笑みを零す。
「だって、凄く簡単なことを、忘れてる。」
「簡単なこと?」
 見上げてくる不安げなナナミの瞳に、リオはゆっくりと頷く。
「うん。──僕ら三人は、一緒に居て当たり前だってこと。」
「…………………………っ。」
 リオは、うん、と自分で頷いて、2人に笑いかける。
「簡単じゃないか。ジョウイが幸せになるために、だとか、僕とナナミの幸せだとか──そういうの以前にさ。
 一緒に居たいんだから、一緒にいればいいんだよ。
 ね、そういう事だろ?
 僕もナナミも、ジョウイも──最初、戦いに参加したのって、みんなで一緒に居たいから……だったんだから。」
 違うかな? と。
 そう、笑いかけられて。
 ジョウイとナナミは、お互いの目を探り合うように視線を交し合った。
 離れ離れになって。
 どうしてと、そう叫んで、泣いて。
 なぜ、と。
 幸せに暮らしてほしいだけなのに、だとか、幸せになってほしい、だとか。
 そんなことばかりを考えていて、気付いたら、一緒に居たいというその感情が、悪いことのように感じていた。
────その感情こそが、ずっと、変わることなく抱きつづけていた、大切な気持ちだったというのに。
 その心のために、戦いつづけてきたのだと……言うのに。
「……はは……リオって、やっぱり、凄いな。」
 苦い笑みを刻み付けて、ジョウイは髪を掻き上げる。
 そして、彼は泣きそうに目を潤ませているナナミに、同じように目を歪めて問いかけた。
「──ね、ナナミ? 一緒に行こうよ。」
「………………っっ…………ばかぁ……っ。」
 ナナミは、そんな彼の言葉に、ギュ、と柳眉を寄せて、振り絞るように呟く。
「バカバカバカバカッ! ジョウイのバカっ!
 ピリカちゃんはね、ジルさんはね……絶対、絶対、ジョウイの傍に居たいんだから……っ!
 私とリオが、ジョウイの傍に居たいって、一緒に居たいって思うのとおんなじくらい……きっと、そう思ってるんだから……っ!」
 両腕を突っ張るようにして、叫んで──その拍子に、目から涙がぽろぽろと零れた。
 熱い感触に、ナナミは唇をかみ締めようとする。
 けれど、喉からこみ上げてくる嗚咽に、唇が震えて上手くいかなかった。
 良心と、偽善と、甘えと、ワガママと……。
 自分が望むことばかりが正しいことじゃないことを、ナナミはあの戦いで知った。
 どうしようもない事があるということも、知ってしまった。
 けど、それでも──……それだけ苦しんだなら、もう、いいじゃないかと……思うのだ。
 三人で居ることが、何よりもの幸せだと、今でも信じているわけじゃない。
 ジョウイがハイランドに残ったのは、彼の母のためでもあると、知っている。
 彼にも守りたいものが出来たのだということを、知っている。
 その守りたい者が、自分達ではないのだと……自分達だけじゃないのだと言うことも、知っている。
 だからこそ、決断したのに──だからこそ、身を切るような思いで、決断したと言うのに。
──リオもジョウイも、ずるい。
「そんな事言って……あたし、本気に、するんだからね!?」
 しゃくりあげて、ナナミが顔を上げる。
 そんなことを言われたら──もう、お姉ちゃんの顔をして、したり顔で説得なんて、できないじゃないか。
 その、涙に濡れた顔に……ジョウイの方こそ泣きそうになって、頷いた。
「本気にしてよ──僕だって、君達と一緒に居たいんだから。
 ……もう一度、『ジョウイ』に……本当の自分を、取り戻したいんだから──。」
 ジルの前で見せていた顔ではなく、ピリカの前で無理をして見せていた自分でもなく。
 ただ、在りのままの自分を。
 リオは、震えるナナミの肩を、そっと抱き寄せた。
「……世界中を見て回ろうよ、三人で。」
「………………リオ。」
「それで、少しずつ知っていこう──集めて行こうよ。
 僕達のしたことの意味。僕達の悩んだことの意味。」
 三人で。
 悩んで、笑って、泣いて、怒って──そうやって、一緒に旅をしよう……昔のように。
 今度は、幸せになるための、始まりの旅を。
 本当の自分。成長した自分。変わった自分。
 戦いの末、手にした自分。
──そんな自分に、笑ってあげたいから。
 そんな自分を囲んでいる君達に、笑っていてほしいから。
「そして、いつか帰って来ようよ。
 ……君の心のわだかまりが溶けた時に──。」
 ずるいのかもしれない。
 逃げているのかもしれない。
 でも、それでも……僕は、幸せだと思う。
 一度は喪ったと思ったものが、再び目の前に在る。
 それは、もしかしたら、また喪うかもしれないものだけど──そうならないために、努力が出来る。
 リオは、笑みながら、心の中に浮かぶ隣国の英雄の姿を思い浮かべた。
──また喪うことに怯えて、大切なモノを見失ってはいけないよ……。
 行こう、と、リオはジョウイへと手を差し出す。
「君達が居てくれるから……僕は、幸せだと思うよ。」
 太陽のように微笑んだリオの笑顔に──ナナミは、唇を震わせた。
 なんだか、胸が切なく鳴った気がした。
 凄く嬉しくて嬉しくて、そのまま泣き崩れて行きそうだった。
 けれど、それをグ、と堪えて、ゴクン、と喉を上下させる。
「行くわよっ、ジョウイっ、リオっ!」
 ガバッ、と顔を上げて、グイ、と涙を拭い取った。
 そのまま乱暴な手つきで、自分の肩を抱いていたリオの手を払いのけたかと思うと、彼の手を握り締める。
「ナナミ!?」
 思わず素っ頓狂な声をあげるリオを気ニせず、ナナミは続いてジョウイの手も握った。
「ナナ……っ。」
「ほらほらっ、早く! 山の中で日が暮れちゃったら、大変でしょ!」
 かと思うや否や、彼女はそう叫んで、2人の手を引っ張りながら、走り出す。
 吊り橋が大きく揺れるのに、リオが抗議の声をあげたけれど、勿論ナナミはその言葉に耳を貸すことはなかった。
────なんだか胸が一杯で、このままどこまでも三人で、走っていきたい気分だったのだ。





 昔のように、手を繋いで走ろう。
 リオを中心に、左腕にナナミの腕を絡めて、右腕にジョウイの腕が絡む。
 歩きにくいと、笑いながら青空の下を歩いていく。
──君の幸せ
「リオ!」
「リーオ!」
 少し先に立って、二人が笑う。
 明るい笑顔に、太陽の光が反射して、眩しく見えた。
──僕の幸せ
「ちょっと待ってよ! 2人とも、そこの木でジャンケンだって決めたじゃないか!」
 三人分の荷物を背中に、鈍い足取りで歩きながら叫ぶと、息が切れる。
「あ、リオっ! ジョウイ! 見て見て、あそこ! 湖がある!」
「って、ナナミ! ちょっとナナミーっ!?」
「あははは──しょうがないよ、リオ。半分持ってあげるから……行こ?」
 差し出してくる右手の平に、黒い刻印。
「半分だけ?」
「半分だけ。──さっき、ジャンケンで負けたのはリオじゃないか。」
 小さく舌打ちして、差し出された右手に荷物を手渡すリオの右手にも──アザのような刻印。
 きっと、多分……一生付き合って行くだろう、それ。
「ほらーっ! リオっ! ジョウイ! 早く早くっ!」
「あっ、ナナミ、もう湖に浸かってるっ!」
 走り出しながら、靴を脱ぎ捨てていたナナミが、白い足先を水につける。
 冷たい、と笑う顔が、飛んだ水しぶきを浴びていた。
 湖岸に荷物を放りだして、リオも湖の中へ脚をつける。
 その拍子に、ぱしゃんっ、と、水が飛んだ。
「うわっ、冷たいっ!」
「あははは! 懐かしいねーっ! よく、あのお城でも、こうして遊んだ……ねっ!」
 最後の、ね、で、ナナミは思いきり良く両手で水を掬って、一人呆れたように湖岸で荷物の傍らに立っていたジョウイへ、両手を揚げて見せた。
 バシャっ!
「…………って、ナナミーっ!?」
 勢い良く飛んだ水に、ジョウイが顔にかかったそれを慌てて拭い取り、叫ぶ。
 そんな彼に、
「あはははは! 水も滴る良い男っ!」
「じゃ、もっと良い男にしちゃえっ!」
 バシャンっ!
 今度は、ナナミがしたのよりも盛大な水しぶきが散った。
 それは、モノの見事に、ジョウイの頭の上から落ちる。
「…………〜〜ナナミー、リオーっ!」
 ポタポタと、雫が滴る前髪を掻きあげて、ジョウイが怒鳴った。
 その声に、2人は笑いながら湖の中をバシャバシャと移動する。
 その笑い声が──酷く、幸せなことだと、そう、思いながら……。




君の幸せ
僕の幸せ

重なることは難しいけれど

もしも重なったとしたら……


きっとそれは──……

「僕達の、始まり」







幸せを掴む距離