「幻想水滸伝1〜3まで通して出てくる紋章術士、ジーン。
彼女が幻想1、2、3の中で、本拠地以外で店を出していたのは、合計何回?」
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雷 ドゴォォォーンッ! ガラガラガラガラ…………っ。 辺りを染め上げる美しい閃光が、二人の瞼裏を焼きつける。 暗闇に包まれていた世界が、その一瞬だけ鮮やかに浮き出され、前方に轟く暗雲と打ちつける豪雨の激しさが、目に映った。 閃光と共に、耳鳴りがするほどの轟音が耳を打ちつけ、一瞬世界の音が遠ざかる。 感覚すらも麻痺する中、彼女はそれでも、冷えた手で握る手綱を放すことはなかった。 何度も何度も訓練で教え込まれた手綱の握り方を見誤ることだけは、してはならない。 それは同時に、自分達の命を握っている相棒を苦しめることであり、一歩間違えば一同が命を喪うことに繋がるのだ。 とは言うものの、幼い頃から竜に乗る訓練をしつづけていた身ではあるが、このような悪天候の中、見知らぬ土地を飛ぶことは無かったから──正直、経験が足りない自分には、荷が重かった。 特に今は、竜洞の外で飛ぶ経験の浅い彼女を案じて、同乗している相手が居た。 普段ならば、少しの緊張と共に、それでも何かあっても大丈夫だという安心感を抱く相手だ。 だが、今は、いつもの状態ではない。 かつてないほどの豪雨にさらされる体には、一歩間違えれば──という思いばかりが涌き出てきて、より一層の緊張が走りつづけていた。 それが余計に疲労を濃くしていた。 豪雨と暴風にさらされた体は、身体の芯から凍えていて、手袋に包まれた手先は、痛いくらいに冷たかった。 前方にはただ暗闇が広がり、夜間飛行時の目印になる民家の明かりも、月と星の明かりも、何一つとして見えなかった。 少女は、キリリと冷たく凍えた唇を噛み締めて、震えだそうとする体を必死に抑え込んだ。 けれども、その噛み締めた歯の根がかみ合わなくて、何度か唇を噛み切ってしまう。 苦い血の匂いが口の中に広がって、吐息を吐くたびに口の中に雨が飛び込んできて、舌先までもが麻痺してきた。 必死で脚を踏ん張るが、冷たい雨が染み込んだ服の感触すらも感じない脚は、麻痺しすぎて言うことを利かなかった。 このまま飛び続けては、そう時間も経たないうちに落ちてしまうことは間違いなかった。 「…………っ。」 キュ、と、指先だけ手綱に力を込めて、前のめりになった体をそのままに、少女は目を眇めた。 睫から滴る雨の雫が、目に触れてくるので、少女はすばやく瞬きして、それを振り払おうとする。──最も、激しい雨に濡れそぼった髪からは、とどめもなく雫が滴ってきていたので、無意味ではあったけれども。 視界は果てしなく悪く、身体を凍えさせるばかりの雨と風は、彼女から体力を奪いつづけている。 勿論、手綱を握っている自分の体力がなくなるのは当たり前であるが、自分達を乗せて悪天候の中飛びつづけている相棒にも、多大な負担がかかっているのは確かであった。 薄暗い闇が辺りを染め上げる中、遥か遠い地上はまるで判別がつかず、時折轟く雷だけが、天上と地上を区別させていた。 とてもではないが、地上に降りることは無謀であり──かと言って、この天候の中、目的地まで飛びつづけるのも難しかった。 どうすれば……。 少女は、軽く眉を顰めて、途方にくれた。 その迷いが、一瞬手綱に伝わってしまったのだろうか。 フイに、竜の身体が傾いだ。 「──……っ!? スラッシュ……っ。」 慌てて手綱を握りなおす物の、風に煽られてしまった巨体は、そのまま墜落して行こうとする。 必死でスラッシュも翼を動かそうとするのだけど、あまりの豪風に、実行は難しいようであった。 焦る気持ちが湧いてきて、ミリアは強く唇をかみ締め、濡れた顔をキツク顰めた。 その彼女の後ろから──、 「落ちついて、腕の力を緩めろ、ミリア。」 低い声が、上から覆い被さるように降ってきた。 ビクン、と肩を強張らせた彼女の手の横に、大きな手が伸びてくる。 かと思うや否や、その手のの主が、両手でしっかりと手綱を握り締めた。 「…………。」 同時に、先ほどまで背中にやんわりと感じていた気配を、しっかりと背中越しに感じる。 互いに冷えた体温が、服越しに触れ合い──その人の存在を背に感じた瞬間、不意にミリアは肩から力が抜けて行くのを感じた。 安堵感が、胸一杯に広がって行く。 「……はい。」 小さく答えて頷くと、顎から滴った水雫が、ポトンと落ちた。 刹那、ミリアは伏せかけていた目を見開き、キッ、と前を見据える。 肩は力を抜いて、かじかんだ指でしっかりと手綱を握り締めて、体勢を整えなおす。 風に負けかけているスラッシュに身体を合わせるようにして、顔を傾けて風を伺い見る。 その背後から、ミリアを手助けしようと、彼女の背中を預かる男が、彼女の肩越しに天上を仰ぎ見た。 「ミリア、上昇できるな?」 「──はい、団長。」 短く答えて、ミリアは喉を軽く上下させた。 一人でそれを行うなら、それは酷く困難なことで──この暴風と暴雨、その上雷まで伴っている悪天候の中、その元凶である雨雲の中へ入るということは、自殺行為に近いことだ。 けれど、自分は一人ではない。 竜洞騎士団の中で、最も信頼できる──最も安心できる人と共にあるのだ。 先ほどまでは、それが酷く重く感じていたのだけれども、今は違った。 ミリアは、迷うことなくスラッシュの頭を空へと向けた。 すぐ間近に見える雨雲──激しく叩きつける雨を瞼に受けて、それでも目を閉じることなく、まっすぐに前を見詰めた。 そんなミリアの気持を受け取ったのか、スラッシュもまっすぐに雨雲を見上げたのが分かった。 ぐんぐんと上昇して行くと、視界に薄い霧のような物が広がった。 ドンドンとそれは濃くなり、視界はモヤモヤした物で一杯になる。 それでもミリアもスラッシュも、迷うことなく上昇して行った。 気流が歪み、遠くで霧を響かせるような閃光がほとばしる。 辺りを覆う湿気じみた靄、開いた唇を湿らせる空気が、胸の中一杯に広がって行く。 圧迫感が、ミリアとスラッシュに圧し掛かって来る。 視界は全くのゼロ。 少しでも手綱捌きを誤れば、あっという間に乱気流に飲まれるか、落下するだけだ。 雨や風も、彼女達を翻弄しようとしている。 雲の下に居た時よりも状況は酷い。 けれど。 「──……抜ける……。」 小さく呟いた団長の言葉に、ミリアは唇を真一文字に結んだ。 ────そして。 「………………っ。」 サァァァ…………と、頬に当たったのは、柔らかな風だった。 眼前に広がるのは、美しい満月。 目に痛いくらいの耀いたソレは、細い星の灯りを伴って、大きく耀いていた。 思わず息を詰めて──けれど油断はせずに、少女は竜の体を滞空姿勢に正す。 凪いだ風が、一行を穏やかに包み込んでくれる。 スラッシュが、ゆったりと翼を広げ、雨に濡れた体を月の光に照らし出す。 ミリアも、ずぶぬれの顔を上げ、喉を反らした。 雲の上は、風も穏やかで、雷の音も遠く聞こえるだけだった。 なんとか落ちるような事だけは免れたかと思うと、自然と唇に笑みが浮かんだ。 凍えていた体が、じんわりと温まって行く。 その、熱く震えるような感触を感じつつ、ミリアは背後に腰掛けている男を振りかえった。 そこでは、同じようにずぶぬれになった上司が、髪から滴る雫に苦笑を漏らしている所であった。 「ヨシュア様──お身体は?」 「私は平気だ。──ミリアとスラッシュも、良く耐えたな。」 「ヨシュア様が、手助けをしてくださいましたので……ありがとうございます。」 小さく頭を下げて感謝を述べると、相手は軽く首を揺らした。 「いや、元々は私の私用に付き合ってもらった為に、強行軍になったことが原因だからな──すまなかったな。」 「とんでもありません。強行軍になったのは、私の腕が至らなかったからですから。」 慌ててかぶりを振って、ミリアはヨシュアの言葉を否定する。 事実、出発の時や、地図を読む時に手間取りさえしなかったら、このような嵐に出会うことすらなかったのである。 まだ自分も修行不足だと──事実、竜に乗る事に関しては十二分の特訓を受けているものの、実際に外の世界で飛んだ経験が浅いのだから、しょうがないといえばしょうがないのであるが──、ミリアは苦く笑って見せた。 「そうだな──今度は、地図の読み方も覚えておかないとな。」 くっくっ、と、堪え切れない笑みを零す団長に、ミリアは白い肌に仄かに朱を走らせた。 けれど、確かに──団長を無事送り届けて見せると、副団長に誓った身でありながら、地図を読み間違えるなんていう失態を犯した事を考えると、なにも言えなかった。 グ、と押し黙ったミリアが持つ手綱から手を放して、彼は再び鞍の上で後部席へと移動すると、 「──さぁ、ミリア。後は、方向を間違えないように、気をつけて戻ろうか。」 遥か遠くまで続く、雲の海原の先を示して見せた。 ミリアは、そんな団長の言葉に、何とも言えない顔をして見せた後、 「はい、団長。」 ゆっくりと顔を上げて、明るい月明かりの下、そう答えたのであった。 彼女が、副団長の名を受け継ぐのは、数年後のことである。 |