「おら、起きろ。」
乱暴な口調の割に、優しい手つきで肩が揺さぶられる。
目をうっすらと開けば、ぼんやりとぼやけた視界の隅に、金色の光がキラリと揺れた。
それが何なのか、意識の片隅で理解すると同時に、それはス、と視界から消えてしまう。
自分の前から居なくなっただけで、この空間の中に居ることは確かだ。……彼の気配はずっと濃厚に、触れ合うほど間近に感じる。
でも。
ここから立ち去ったわけじゃないのだと、そう解っていても尚、掌が触れるほど近くに居てくれないことが寂しくて。
シーツの中に埋めた指先を、ベッドに這わせる。
残る温もりを確かめるように掌を押し付けてみても、返ってくるのはベッドの弾力ばかり。
名残惜しげに指先を這わせていると、寝室の開けっ放しの扉の向こうから、
「スコール! いい加減起きろ、朝食前に草むしりするっつったのはてめぇだろーが。」
やっぱり乱暴な口調でそんな声がかけられて──モゾ、と動いたシーツの中で、そういえばそんなことを言ったっけ、と思った。
仕方がないと、重く感じる体を腕の力だけで起こして、シーツを払いのける。
ボー、とベッドの上に座り込みながら、ジワリと這い出ていく眠気を、ぼんやりと感じ取っていると、向こうの部屋から、カチャカチャと毎朝聞きなれている音が聞こえてきた。
小さい頃──本当に幼かったあの頃、石の家で聞いたのと同じ「幸せの音」。
コンコン──タマゴを割る音。
少し間を置いて、カシャカシャとタマゴを掻き混ぜる音。
耳をくすぐる食事の支度の音と、鼻を刺激するいい香。
小さかった自分たちは、この音と匂いがしはじめると、眠さの残る頭を必至で起こして、シーツから抜け出したものだ。
5人の中で一番年長だったエルオーネの指示のもと、起き抜けの頭で、寝ていた布団を畳み込む──小さい頃、サイファーはいつもそれを適当に放り出しては、エルオーネに耳を引っ張られ、キスティスに口うるさく何か言われていたっけ。
それで、最後までモタモタと布団を片付けようと必至になっていた俺の上に、シーツと布団を乗せて行くんだ。
──その、ガキ大将のサイファーが。
「……スコール、まだ寝ぼけてんのか? とっとと顔洗って来い。」
幸せな小さい頃の記憶をぼんやりと噛み締め、思い返していると、その「ガキ大将」が呆れたような顔で顔を覗かせた。
バラムに居た頃よりも、ずいぶんとコンガリと日に焼けた肌、凛々しくたくましくなった体──そして、あの頃よりもずっと男臭く……それでいて、柔らかで優しくなった微笑。
片手にボウルを抱え、泡だて器を突っ込んで、ガショガショと掻き混ぜながら顔を覗かせたサイファーに、スコールは半分ほど降りたままの目をパチパチと瞬かせながら、
「……ん、起きる。」
寝起きで掠れた声でそう答えて、寝起きで重い──そしてもう一つの理由から、ひどく重く痺れた感じのする腰を持ち上げて、ベッドから身を乗り出し、サイドにきちんと畳まれている着替えを引き寄せた。
そして下着を手にして足をあげようとしたところで、未だに寝室の入り口でガシャガシャと音がしているのに気づき、視線をあげれば、
「──あんた、何やってんだ。」
見ての通り、すでに俺は起きて、着替える準備をしようとしている。
憮然として──また寝てしまいそうな子供に見えるのか、と、そう言外に訴えれば、サイファーは精悍な面差しをにやけさせる。
その、いやらしい笑い方は、つい昨夜も見た覚えがある。
ピクリ、と、スコールが米神を揺らすのに気づかぬ素振りで、サイファーはボウルを攪拌する手を止めた。
「今日の朝食は、シフォンケーキにしようと思ってな〜、メレンゲ作ってんだ。」
ほら、と、白くもったりとした物がまとわりついてる泡だて器を見せながらも、サイファーの視線はスコールの上。
彼が自分のどこを見ているのか──、今の自分の姿を思い出せば、それはすぐに答えが出る。
特に、この目の前の男は、「自分のつけた跡」を見るのが大好きだから──そしてその上、それだけならとにかく、それを見て欲情してくれるから始末に終えない。
「昨日、人参をいっぱいもらってな〜v お前、普通に丸ごとだと食べねぇけど、シフォンにしたら食うだろ?」
ニヤニヤと口元に笑みを浮かべながら、上から下へ──シーツの上に投げ出された白い足先から、滑らかなラインを描く眩しいほど白い素足に。
慌てて掻き寄せたシーツの合間から見える内腿には、滑らかな手触りのビロードのような肌の上に、幾つかの紅い花が記されている。
本人は「そこ」さえ隠したら、サイファーのイヤらしい視線から逃れられると思っているようだが、決してそういうわけではない。
シーツに隠れきっていない腰骨のラインだとか、薄く筋肉のついた肌だとか──日に焼けた肌と、シャツで隠れて焼けていない白い……驚くほど白い中に、ぽつんと紅く咲く二つの果実だとか。
昨夜の情欲の跡がクッキリと残るその柔肌は、どこかけだるげなスコールの寝起きの顔とあいまって、堪えきれないほどの色香をかもし出している。
──右手にボウルと泡だて器さえ持っていなかったら、そのまま彼をシーツの海へ押し返してしまいたいくらいに。
そんな、サイファーの欲望に濡れ始めた目を認めたのかそうではないのか、スコールは、ギュ、とシーツを握り締め、彼をにらみつけたまま、低く呟く。
「…………てけ…………っ。」
「もう少ししたら焼くからよ、さっさと着替えて顔洗って、行って来い。
帰ってきたらちょうどいい頃合だろーぜv」
言ってる内容は、いつもの朝聞くのと同じ内容だ。
けど、その口調と目つきと顔つきが、いつもとは少しだけ違う。
たっぷりと慈しむように──いや、思いっきり視姦している目で見られているのに、スコールはブルリと体を大きく震わせると、一瞬走った良く知った感覚を追い払うように、
「……いいから、出てけ……!!!」
今の今まで自分が頭を預けていたマクラを引っつかむと、それをサイファーに向けて投げつけた。
サイファーは、それが解っていたかのように、小さく笑い声をあげながら、ヒョイとマクラを避ける。
そして、マクラが床に付く前に、ヒョイと足先でそれをキャッチすると、そのままスコールに向けて投げ返す。
「んな怒るんなよ。──朝から押し倒したくなるだろーがよ。」
片目を瞑って、にやりと貼り付ける笑みに、夜の色が濃厚に見え隠れして、スコールは片手で受け取った枕を、再び彼に向けて投げつけてやろうとするが、サイファーはこれ以上はゴメンだとばかりにヒョイと肩を竦めると、
「ったく、誘ってるって自覚ナシなんだからな、おまえ。」
「誰が誘ってるんだ、バカっ!」
「その格好でそう言われても、ぜんぜん説得力ねぇなぁ?」
くい、と顎でしゃくられて、スコールはカッ、と頬を赤らめた。
「誰のせいでこんなんだと思ってるんだ!」
バカっ、と、もう一度叫んだかと思うと、再びマクラが飛んできて──サイファーは、今度はそれをスコールにではなく、リビングのソファの上に蹴り上げた。
そして、ベッドの上で顔を真っ赤に染めているスコールに向かって、くく、と短く笑うと、
「早く着替えて顔洗ってこねぇと、マジで朝から天国に連れてくぜ……スコール?」
最後の一言だけは、声を潜めるように──夜の囁きで、低く、甘く。
とたん、スコールがゾクゾクッ、と鳥肌立てたのを認めて、サイファーはニンマリと笑った。
「サイファー!」
さらに呼びかけてくるスコールに、サイファーは笑いながら背を向けると、ボウルの中の固まったメレンゲを掌に、再びキッチンへと戻っていった。
スコールは、そんな彼を憮然として見送り……それでも、このままボンヤリしていては、本当にサイファーにやられてしまうと、情事の跡が色濃く残る体を、そそくさと服の中に隠していった。
──別に、急ぐ仕事があるわけでもないんだから、今日の朝くらい、セックスで潰れてもどうというわけでもないのだけど。
でも、だからってさすがに。
「……もう3日もそんなのなんだから、いい加減、今日こそは草むしりしないと、な。」
適度に怠惰に暮らす分だけ、適度に真面目に働かないといけない。
スコールは、少し鈍痛を感じる腰を持ち上げて、ふぅ、と悩ましげな吐息を一つ零し──まだ熱が残っているような気のする意識と顔を覚醒させるために、外の井戸へと脚を向けた。
バラムガーデンという、「種」のための「庭」を出たのは、もう今から6年も前の話になる。
歴史の教科書に「第二次魔女戦争」という名で知られる、世界の命運をかけた戦いの果て──一介の新人SeeDでしかなかった「スコール・レオンハート」は、世界中に「伝説のSeeD」という名で知られることになった。
あの魔女戦争に関わることで、スコールの運命は大きく道をたがえた──いや、その言い方は正しくないだろう。その魔女戦争が起きる前から……そう、正しく言えば「第一次魔女戦争」の時から、スコールの運命は、否応なしに変化を求められていたのだから。
その真実を、スコールは第二次魔女戦争──未来の魔女「アルティミシア」との戦いのさなかで知った。
そして同時に、さまざまな「大人の事情」と言うヤツも。
それは、スコールに色々なものをもたらしてくれた。
そうして──その末に、スコールは、一つの未来を選んだはずだった。
未来は、自分で探し、選び、その手に掴むもの。──だから、その手に選び、掴んだはずだった。
時間圧縮の真っ暗な中……差し込んだ光に手を差し伸べて、掴んだその「手」は、アルティミシアとの戦いの中で、愛をはぐくんできた新米魔女である「彼女」の手だった。
小さくて、柔らかくて、繊細で、花のような柔らかな香と笑顔を持つ彼女。
最初はその素直さとまっすぐさに、辟易したし、うっとうしいとも思った。──けど。
遠い昔に自分が捨てたその感情を持つ彼女に、色々なことを教えられた。
彼女と一緒に、過ごしていくのだと思った──これからの長い月日を、ずっと。
彼女の手を取り、彼女の背を支え──彼女の唯一無二の騎士として、彼女を守って生きていくのだと。
そして、そのことに、何の疑問も覚えたりはしなかった。
──あの日までは。
***
パシャン。
井戸からくみ上げた桶の中には、清涼で冷たい水。
最初に口に含んでうがいをして、それから顔を洗えば、頭の芯から目が覚めたような気がした。
濡れた前髪を掻き揚げながら視線をあげれば、まだ薄闇の残る西の空と、明るい水色に染まり始めた東の空とのコントラストが、ひどくキレイだった。
ふぅ、と吐息を一つついて、頬に残る水滴を腕で拭き取ったところで、
「スコール!」
寝室に続く窓──先ほどスコールが出てきたそこから、サイファーが顔を覗かせている。
何だと振り返れば、彼は窓の外に置いてあるサンダルを足先に引っ掛けて、手にしたものをスコールに向けて差し出した。
タオルと、ツバの広い帽子と、軍手。
見慣れた農作業用のソレに、スコールは小さく笑みを零して、顎を伝う雫を手の甲で拭い取りながら、サイファーに駆け寄る。
最初に受け取ったタオルで顔を拭きながら、
「あんた、朝食の支度はどうしたんだ?」
「オーブンに突っ込んできたとこだ。」
答えるサイファーの指先に顎を掬われて、素直に顔をあげれば、あやまたず落ちてくる触れるようなキス。
「おはよう、スコール。」
そっと瞳を細めて見上げれば、柔らかな……あのガーデンに居た頃は、決して見ることがないと思っていた、彼の優しい微笑み。
そういえば、今日はまだおはようを言っていなかったなと、スコールも笑みを刻んで少し踵を上げる。
──「ココ」に来てからも、成長期の只中だから身長は伸びているというのに、サイファーとの距離は相変わらずだ。
「ん、おはよう、サイファー。」
貰ったキスを返すように口付ければ、自然とサイファーの腕が腰に廻る。
タオルを首に引っ掛けて、空いた手で彼の首に腕を回せば、近くなった唇同士から触れる吐息が、すぐに交わった。
朝の挨拶のキスには、少し濃厚すぎるキスを繰り返すのも、ココに来てから毎朝のこと。
たとえ、ケンカをしていても、口を利かなくても、朝と夜のキスだけは絶対にする。──そういう取り決めをしたのも、もう6年も前の話だ。
そして、それはこの6年間、一度も破られたことのない「約束」。
「──……ん。」
お互いの唇を思う存分貪って、唇がジンと溶けそうなくらいに交わって──そうして、ようやく満足したように、絡めあっていた舌を解く。
瞳を開けてサイファーを見上げれば、彼は笑いながら額にキスをくれる。
それから、スコールが首に巻いたタオルを取上げて、それを広げてスコールの頭に被せる。
右手に持っていた帽子をその上に乗せて、ぽんぽん、と頭を叩いた後、
「2時間くらいしたら朝食だからな?」
「ん、解った。」
スコールの手に軍手を手渡し、サイファーはそのまま踵を返して部屋の中へと入っていく。
その彼の──盛り上がった背中の筋肉を見て、スコールは少し考えた後、肩越しに己の背中を見てみた。
これはもう、遺伝や体質としか言いようがないのだが、同じような訓練をしても、同じような仕事をしても、サイファーとは筋肉のつき方が違う。「男」として理想的な筋肉のつき方をするサイファーに比べて──と、肩越しに見た背中は、薄いシャツ越しに見ても、「筋肉」はついてるが、筋肉質とは程遠い出来上がり具合だ。
それも仕方がないとそう思いはするのだが──十年近くも前は、それが悔しくて、無茶な筋肉の鍛え方をしたこともあったっけ。
そんな遠い記憶を思い出しながら、スコールは彼が持って来てくれた軍手を手に嵌めた。
そして、帽子の下から垂らしたタオルのカーテンをうまい具合に調整しながら──もう少し暑くなったら、首からタオルも欲しいな、なんて……、バラムに居た頃の自分には、とても考えられないことをツラツラと思った。