サイファーとスコールの2人が住処にしているのは、セントラ地方の端の方にある、小さな山間の村から数十メートルほど離れた森の中にある猟師小屋だ。
世間から切り離された陸の孤島のようなこの村は、アットホームな雰囲気の村で──冬になる直前、一冬を過ごさせてほしいと、そう言ってやってきたわけアリ風の2人を倦厭するどころか、逆にアレやコレやと世話を焼いてくれた。
電気もまともに通っていないこの村では、自給自足が原則。
モンスターがはびこる前まで使っていたという猟師小屋を貰いうけ、それを改造して──SeeD候補生時代や、旅の中で覚えた知識を使って、狩りをしたり、野草を摘んだり。
なんでも自分たちでするという村人の中に混じって生活するのは、最初は苦労ばかりだったけれど──、一冬を越した辺りから、苦痛でもなんでもなくなった。
ノンビリと穏かな毎日の──遊ぶ所もなければ、ゲームやパソコンなんていうものもない。世界から取り残されたようで──新しい世界に受け入れられたような。
ココにこのまま住もうかと、そう言い出したのがどちらからだったのか、スコールもサイファーも覚えてはいない。
ただ、偏見を持つこともなく、2人の過去を探るわけでもなく──当たり前のように2人を受け入れてくれた村人に、彼らはここを第二の故郷にすることを決意した。
それからは、村の人に教えてもらって畑仕事をするようにもなった。
森の中に入って狩りをしたり、モンスターの巣を見つけたら撃墜して。
そして、時間があれば、2人でノンビリと過ごして。
気づいたら、この村に来て6年。
すっかり、ここの空気になじんでいる。
はじめの頃は、絶対何があってもこんな格好をするものかと、そう固く誓ったはずの農作業スタイルをすることにだって、何の抵抗も思い浮かばない。
帽子にTシャツ、ジーパンなんかで畑仕事はできないのだと言うことを、最初の夏に散々味わったからだ。
農家の人が皆同じ格好をするのには、それなりにワケがあるのだ。
最初の頃はお互いに指差して笑いあったくらい、互いに似合っていなかったけれど──今はなぜかそれがしっくりと来る。
帽子の縁を少しあげて、まだ薄暗い庭を進んでいく。
今日手入れをするのは、スコール専用の「菜園」だ。
開墾した畑を自分たちだけで何とか収穫できるようになって、少し手が空いたときに、薬草園が欲しいと、ポツリと思ったのがきっかけで作り始めたものだ。
最初の頃は、サイファーが料理をするときに使う物や、スコールが淹れるお茶のためのハーブばかりを植えていたが、少しずつ苗が増えて──今では、立派な薬草園に近い菜園ができている。
とは言っても、それで生計を立てるほど大きなものではない。
自分たちの口に入れたり、傷や薬にするものだから、農薬は使いたくないからという理由で、畑仕事の片手間に見れる程度の大きさと、比較的世話がしやすいハーブばかりを植えている。
シンと眠っているかのような空気を掻き分けて、スコールはいつものように菜園の周りを覆っている柵を乗り越えると、周りをぐるりと回って草花の様子を伺い見る。
今日は、本格的な草むしりだ。
数日前からやりたいとは思っていたが、夏が近づくと盛りたがるバカのおかげで、なかなか重い腰をあげることができなかった。
夏が来る前に一度草を取っておかないと、次々に生えてきて、雑草に侵食されてしまっては、元も子もない。しかも、ほうっておけばほうっておくほど、雑草の茎も根も図太くなるし。──夏は、そういう季節だ。
思ったよりも茂ってる、と、スコールはとりあえず端から順番に行くことにして、その場にしゃがみこむと、次々に草をむしっていく。
そのまま黙々と横へずれながら草をむしり、ハーブの様子を見て──そうして一列がすんだどころで、タオルで汗を拭きながら立ち上がる。
腰が少しきしんだ気がして軽く眉を寄せながら、体を伸ばす。
温かな色をした地面が、朝日に照らされて、優しい色を見せている。
顔をあげれば、暗闇に淀んでいた木々が息を吹き返すようにあでやかな色を見せ──大きく深く、深呼吸をしているように見えた。
瞳を細めて、スコールはその光景を見つめる。
「……今日も、暑くなりそうだな……。」
フ、と息をついて。
そうして、6年以上も前には考えもしなかった行為を、再び進めるために、腰を落とす。
朝日がジリジリと強さを増していくが、帽子とタオルに覆われた顔の中にはその日を強く当ててはこない。
スコールはそれがわかっていたから、そのまま顔を俯けるようにして、丁寧に土を解きほぐし、雑草を取上げては、ポイと傍らの籠の中に放り込んだ。
明るくて奔放でまっすぐで、素直で優しくて、強引で。
自分に正直で、誰の目をもまっすぐに見つめて……その奥に宿るキラキラした星で、人の心を掴む。
側に居るだけで優しくなれた──いろいろな人に。
側に居るだけで、少しだけ素直になれた気がした。
彼女と共に歩む人生に、何の不満もなかった。
魔女の騎士──なんていう「ロマンチック」な肩書きも、魔女なんていう大層な肩書きも、自分たちには関係なんてなくて。
ただ、リノアが居て、俺が居る。
それだけでいいのだと──……そう、思っていた。
触れ合った指先や、戯れの延長のようにくすぐるバードキスの数だけ、近づいて──触れ合っていくのだと、そう、思っていた。
いつか──スコールがガーデンを卒業したら、バラムの郊外に小さな家を持って、魔力を制御した魔女のリノアと一緒に、ガーデンで教師をして……リノアに子供はできないかもしれないけれど、それでも、子供のように思える生徒達を2人で育てていくのだと。
でも。
リノアと手を取り合うことも、彼女の隣で笑うことも。
石の家時代からの幼馴染だと知った仲間たちと一緒に、軽口を叩くことも。
幼い頃、実の母のように慕っていたママ先生や、依存していたほどに慕っていた姉のことも。
父と、そう呼べる人も。
魔女戦争の中で手に入れたその全てと、秤にかけることすらしなかった。
あの日。
俺は、手に入れたはずの全てを自分の手で捨てた。
もう二度と手に入らないものだと、解っていた。何をしても、どう足掻いても、決して手に入ることのない──奇跡のようなものを、自分は抱いているのだと……そのことも、良く、分かっていた。
それでも、それを捨てることにためらいはなかった。
ただ、手を、差し伸べた。
──ただ、彼の手を、掴み……引き寄せることだけを、考えていた。
リビングの椅子に座り、カーテンを開けば、視界の中に映るのは、いつもと変わりない森の光景だ。
近くの村の「ハズレ」に位置するこの猟師小屋は、住み始めてから今まで、増築や改良を重ねてきたおかげで、ずいぶんと住みやすくなった。
その家のリビングには、寝室と同じような大きな窓が作りつけられている──一昨年、サイファーが便利だからと作りつけたものだ。
部屋から直接庭に出れるその窓の存在を、スコールは最初渋っていたが、実際に使い始めてみると、その便利さが良かったようで、最近は「玄関」という存在を忘れているのではないかと思うくらい、窓から出入りしてくれる。
小さい頃は、部屋の窓から出入りするのなんて、俺くらいのものだったのになぁ? ──と、時々感慨深くフケっては、サイファーは口元に苦い色を刻まずにはいられなかった。
椅子にもたれながら、窓の外をボンヤリと眺める。
夜の色をまだ色濃く残している森が、ゆっくりと目覚め始めている。
うっすらと差し込む早朝の太陽が、この森の中にまで侵食してくるのもすぐのことだろう。
そう思いながら視線を転じれば、リビングの窓から見える「菜園」で、せっせと動くスコールの頭が見えた。
豊かなハーブの緑色にうずもれた麦藁帽子が、少しずつ横へ横へとずれていっている。
まだ日差しはそう厳しくはないが、暦の上では「夏」だ。すぐに太陽はジリジリと厳しく照り付けてくることだろう。
帰ってきたら、汗も掻いているだろうなと、サイファーは庭から視線を外して、彼のために冷たいハーブティを作ってやろうと、再び厨房に戻った。
途端、
チーン♪
セットしたキッチンタイマーが軽やかな音を立てる。
「……っと、もう焼きあがりか。」
思ったよりも、長い間ボーっとしていたらしい。
コリコリと頬を掻きながら、サイファーは鍋掴みを手に嵌めて、開いたオーブンの中から、ふっくらと頂上を盛り上がらせたシフォンケーキを取り出す。
肘でオーブンの蓋を閉めて、先に立てておいた水の入ったワインビンにひっくり返してシフォンケーキの穴を通す。
「生クリームと、──そうだな、フルーツサラダでも一緒につけとくか。」
手早く今日の朝食のメニューを頭の中に描きながら、サイファーはハーブティを作るために手鍋を取上げた。
汲み置きの水を手鍋で掬い上げて火にかけて、食器棚の中からガラスのティーポットを取り出す。
手際よくハーブをその場でブレンドして、スコール好みの少し甘酸っぱい味に仕立て上げる。
それから今度は、大きめのボウルに水を張って、その中に筒状の茶ポットを突っ込んで、湯が沸くのを待つ間、再び視線を外へと投じた。
目も眩むような濃厚な緑──その中にうずもれる恋人の姿は、台所からは見えなかった。
やっぱり、リビングまで行かないと見えないかと、そう思ったところで、鍋の湯が沸きだした。
盛大に吐き出す湯気をしばらく見つめた後、頃合を見計らって火を落とし、少しだけ冷ます。──ティーポットに入れたハーブの上から湯を注ぎ、蓋をしてキッチンタイマーをセット。
すぐに滲み出てきたキレイな色を見ながら、サイファーはシフォンケーキに添える生クリームの準備を始める。
昔は、朝っぱらから生クリームだのシフォンケーキだの、そんな甘い物なんか食べられるかと思っていた。
傭兵の卵の朝食は、ズシリと腹に来る肉で決まりだと、そう考えていたけど──いまは、そうでもない。
朝に弱いスコールと一緒に朝食を摂るようになってからは、特に。
戦うにしても、農作業をするにしても、朝食と昼食をしっかり取らないことには、何も始まらない。
にも関わらず、スコールは朝に弱く、朝食はコーヒーとサラダを摂ればいい方。大抵はコーヒーだけで済ませていたというのだ。──朝食を抜くのだけは避けなくてはいけないから、という理由で。
はっきり言おう。
コーヒーにも確かにカロリーはある。カロリーはあるが、それは朝食代わりにならない。
よくテレビのCMで「朝食代わりにこれ一本」と野菜ジュースを飲んでいる姿があるから、飲み物が朝食代わりになってもおかしくはない、と、なぜか自信満々で言ってくださったが、それとこれとも意味が違う。
アレは、「野菜ジュース」でカロリーと栄養素を摂っているから「朝食代わり」になるのであって、コーヒーは朝食分のカロリーも栄養素も補ってはくれないのである。
それでも、あまり朝から食べたがらないスコールが、なんとか食べてくれるのがヨーグルトだったので、それに砂糖を入れてみたり、フルーツを入れてみたりしていた結果……、いつのまにか朝に甘い物を少量摂るという生活スタイルになってしまっていた、というわけだ。
「ま、朝からカロリー摂っても、その分動いて消費してっからいいんだけどよ。」
この村の生活は、「退屈」なはずだ、本当は。
毎日起きて同じことをして、日が暮れたらもう何もすることがない。
退屈で、退屈で──昔の血気盛んな頃のサイファーなら、一週間と我慢できなかっただろう。
でも、今は、違う。
この、穏かで退屈な平和が、ひどく愛しく──手放したくないと、そう思う。
タイマーが鳴り出して、十分抽出したハーブティを水につけた茶ポットに移し変え、蓋を閉めてそれを水の中に沈めて冷やす。
抽出後のハーブを絞って、ついでに今日の入浴剤を作り、空っぽになったティーポットはそのまま洗い場へ。
生クリームに混ぜる砂糖の量は少なめにして、それを攪拌しながら、再びサイファーがリビングに足を向けると、スコールの菜園は明るい太陽の光をまともに浴びていた。
まだ早朝とも言える時間帯だから、それほど日差しは強くはないものの、あと数時間もすればジリジリと痛いくらいに感じるだろう。
部屋の中のヒンヤリとした寒さに比べての外のその暑さは、もう夏と呼んでも差し支えはないだろう。
「こりゃ、今日も暑くなりそうだな。」
呟いて、サイファーは瞳を細めると、カコン、と泡だて器を大きく一つかき回した。
緑の中にうずもれるスコールの麦藁帽子は、先ほど見た時よりも随分と進んでいる。
あと一時間もすれば、一息つけてこっちに戻ってくるだろう。
そう判断して、サイファーはクルリと踵を返すと、泡立て終わった生クリームを冷蔵庫にしまうために、台所へと戻った。
ガラッ──。
軽い音がしたので、雑誌から顔をあげれば、スコールが窓を開いて入ってくるところだった。
窓の外は目に痛いくらいにまぶしい朝日に照らされている。
時計はまだ7時を指している──朝という時間帯にも関わらず、今日の太陽はずいぶんと大盤振舞のようだ。
スコールは、帽子をフックに引っ掛け、頭から被ったタオルで汗を拭きながら、フゥと熱い吐息を零す。
「おぅ、お疲れさん。コレ飲んで、顔と手、洗って来い。」
「ん。」
サイファーから差し出されたグラスを受け取り、冷たいソレを飲むと、すぅ──と清涼感と共に汗が引いた。
グラスと一緒にタオルと軍手もサイファーに渡して、そのままスコールは寝室に向かい、そこの窓から再び外へ出る。
サイファーがそれに向かって何か言いたげな表情をしていたが、これには一切関わらないことにする。
だって、直接井戸に向かうより、家の中を経由したほうが、日差しに当たる時間が短くて済むじゃないか。──それに、サイファーがこうして冷たいハーブティを用意してくれるのも、いつものことだし?
冷たい井戸水で顔を洗って戻ると、すでにテーブルの上には朝食の支度が整っていた。
人参シフォンケーキに生クリームがかけられ、ミントの葉が添えられている。隣のガラスの器にはフルーツが盛られ、さらに隣にはグラスに入ったミルク。
鼻を近づけてミルクの匂いを嗅いで、スコールはかすかに首を傾げる。
「なんかいつもと違う?」
「ゴートミルクだからな。」
返って来た言葉に、そうか、とスコールはサイファーにしかわからない程度に顔を顰める。
「……なんだ、匂いが気になるのか?」
「いや、大丈夫だ。」
健康にはいいんだぜ、と告げるサイファーに、問題ない、と重ねて答えて、スコールはソロリとグラスに口をつける。
その恐る恐るといった顔に、サイファーは笑い出しそうになるのを必至に堪えて、フォークを皿の上においてやった。
やっぱり気になるのなら、正直にそう言って聞けばいいだけなのに。
スコールは、ソロリと舌先でミルクを舐めて、少しかんがえるような顔をした後、特に味に文句はないと判断したらしい。
コクリと一口ミルクを飲んだ後、グラスを元の場所に戻した。
「ほら、とっとと食っちまえ。」
「ん。」
言葉少なに受け取って、スコールはフォークをブスリとシフォンケーキに突き刺すと、
「いただきます。」
小さくボソリと呟く。
「おまえな……だから遅いっつぅの。」
いつまで経っても治りゃしねぇ、とぼやくサイファーに、
「悪い、気をつけてはいるんだが。」
「へぇへぇ、今度から俺が先に『いただきます』って言うまで、食べちゃダメですよ、スコール君。」
遠い昔に「ママ先生」が、他の子供がテーブルに着くのを待たずに食べ始めようとするサイファーの手の甲を、ぺちんと叩いていったセリフだ。
それをそっくりそのままスコールに当て嵌めて言ってくれる彼に、スコールは眉間に皺を寄せると、何か言いかけたように口をあけたが──結局何も言わずに、シフォンケーキに目線を戻した。
サイファーはそんな彼を優しげに見つめた後、
「こういう時はな、スコール?」
「あんたが作ったシフォンケーキがあまりにおいしそうで、早く食べたかったから、うっかりしてたんだ。」
「────…………おぅ。」
兄ぶって口を開いた瞬間を狙って、スコールは普段の無口さと不器用さがウソだろうと思うくらいスラスラと呟いて──最後に、はにかむように笑った。
その、思わぬ直撃に──いや、確かに、そういわそうと思ってたんだけどよ、と、サイファーは呆けたように言うことしかできなかった。
スコールは、そんな彼に、してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべると、
「俺だって、たまには思ったことを、ちゃんと口にするんだ。」
自信たっぷりな表情でそう言った。
とたん、スコールの天然さながらのくどき文句に、サイファーはあっさり撃沈した。
ガタンッ、と椅子を蹴り上げるように立ち上がって──サイファーは、テーブルの向こうに座るスコールを、ギュゥッ、と力強く抱きついた。
「……さ、サイファー……っ!?」
「おまえ、ほんっと、かわいいな〜v」
今にも抱え上げられそうなほど強く抱き締められて。
スコールは驚いたように目を見開いて──それから、慌てて我に返ったようにサイファーの顎に手のひらを押し付ける。
「だっ、れがかわいいんだ、誰がっ!」
「俺の美人の嫁さんv」
サイファーに無理やり抱えられたせいで、椅子から半分腰を浮かすような形になったスコールは、軽く拳を握り締めてゴツンとバカな事を言うサイファーの頭を軽く叩きつけた。
けれど、サイファーはそんなスコールの些細な攻撃にまったく反応を示さず、思うがままにギュウギュウと抱き締めてくる。
スコールは、そんな彼に、うんざりしたような顔を張り付けながら──一体、何がそんなにこのバカをつけあがらせるような台詞だったのだろうかと、首を傾げて見せた。
サイファーが己を解放してくれる気配は一つもなく、スコールは無言で右手に握ったままのフォークと、その先に突き刺されたシフォンケーキを一瞥すると、
「…………。」
いつになったら朝食は再開できるのか。
そして、このままコトに及ばれないか……今、スコールの頭を悩ましているのはそれが大半だった。
けれど、
「スコールぅ〜v 愛してるぜぇ〜。」
スリスリと、髪に顔を埋めるように頬刷りされて髪に幾度も口付けを落とされれば──なんとなく。
スコールは、ことんとフォークを置いて、
「……うん。」
そろりと、スコールはサイファーの背中に手を回して、彼の首筋に顔を埋めて見た。
──こういう時、自分が作った小さな……おかずがあまり乗らないとサイファーに文句を言われる大きさのテーブルで良かったと、そう思う。
……なんてことは、口に出さずに。
「俺も、愛してる。」
消え入りそうに小さく──甘く、囁いた。
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