16歳の憂鬱







 明訓高校 野球部グラウンド前。
 女生徒の胸ほどの高さの塀際に、数人の女子が立っている。
 この春に入学したばかりの女子達は、強豪明訓の名を、かろうじて守っている野球部の試合を遠目に眺めていた。
 期末テストも終わり、テスト期間の体の鈍りをほぐす為、グラウンドには球児が思い思いに散っていた。
 夏休みも目の前──授業も午前だけになり、夏の大会向けて、彼らは本格的な練習を行うのだ。
 神奈川県の大会が、毎年熾烈を競っていたのは、もう15年も前のこと。
 当時、この明訓高校は「常勝明訓」と呼ばれていた。
 なんと、3年間で5回の甲子園出場を果たし、そのうちの4回、甲子園で優勝しているのだ。
 そのときの設備が今もまだ残っていて、それを使った彼らも、当時ほどではないが、そこそこの成績を上げていた。
 本選でシードを獲得するのも、一応はいつものこと──である。
 最も、それも今年はムリじゃないか、なんて噂されている有り様であったが。
 その練習風景を、ボンヤリと眺めている二人の少女が居た。
 二人とも一年生の証である色のリボンをつけている。
 そんな二人の目の前では、造作のほどほどに整ったピッチャーが、キャッチャー相手に投球練習をしていた。
 明訓高校のエースピッチャーと正捕手のバッテリーである。
 二人が立っている場所から少し離れたところでは、そのバッテリーに、キャァキャァと黄色い悲鳴をあげる同じ学校の少女達が居る。
 その声をバックに、とりとめもなく二人は練習風景を見ていた──正しくは、真剣に見ている片割れに対し、もう片割れは、何時になったら帰るのだろうかと、そう思っているようであったが。
 そのまましばらく──バッテリーが十数球を投げ終えるまで待って、帰る切っ掛けを探していた少女が、首をかしげて隣の友人を見上げた。
「山田はさ、どうするの?」
 突然そう聞いてくる同級生の──高校に入って友人になった少女の問いかけに、話しかけられた方……人形のように整った顔を持つ美少女は、軽く眉を寄せて首をかしげた。
「どうするって……何が?」
 落ち着いた抑揚の、綺麗な声であった。
 数年前から変更された、デザイナーズブランドの制服が良く似合う──文句なしの、掛け値なしの美少女である。
 実は明訓高校の入学式以来、学校内の注目を集めている超美少女なのだが、あまりに綺麗な面差しをしているため、男子たちからは二の足を踏まれている──が、注目度はナンバーワンである。
 こうして野球部の練習を見ているだけで、チラチラと、野球部員から視線を集めていた。
「だって、あんた、春先からずーっと、『野球部のマネージャーになろうかなぁ』って言い続けてたじゃない。
 このままだと、夏の大会、始まっちゃうよ?」
 そうなったら、ただ「甲子園に行きたいがために、マネージャーになった」って、ののしられるんじゃないの?
──心配性の友人は、薄い眉をキュ、と八の字にしてそう囁いてくる。
 その彼女の視線が、少しばかり顔がいいピッチャーに黄色い声援を送っている女性達に向かっていることは──言われなくても分かった。
 常勝明訓の名を掲げなくなったとはいえ、それでもこの明訓高校は、県下では強豪チームの一つだ。
 格好良いチームメイトには、ファンがつく。
 目の前の二年生ピッチャーも、同じような理由から、学区内の女子から支持されていた。
──もっとも、その端正と言える容貌も、「山田」と呼ばれた少女の美貌を前にしたら、ひどく霞んでいたが。
「うーん──実は、まだ悩んでるのよね。
 この野球部でマネージャーするくらいなら、帰宅部になって、パパと野球してたほうがよさそうな気がするし。」
 顎に手を当てて、そんなことを呟く山田に、友人は驚いたように顔をあげる。
 聞きようによっては、この野球部に対するひどい侮辱である。
 ビックリしたように、ぽかん、と口を開けて自分を見上げる友人に気づく様子もなく、山田は困ったように眉を寄せた。
「でも、マネージャーになって甲子園に行くって言うのは、高校時代にしか出来ないじゃない? わたしが男だったら、部員になってるところなんだけど……。」
 ブツブツとそんなことを呟いた後、山田は、どうしてこの年になっても、高校野球に女も参加してもいい、っていうのが出来ないのかしら、と、ふっくらと形良い唇を捻じ曲げて呟く。
「──あぁ、でも、そうよね……このメンバーで甲子園に行くつもりなら、やっぱり、春から入部しておけばよかったんだわ。
 それから、思いっきりしごきにしごいたら、なんとかなったかもしれない──。」
 野球部員が聞いていたら、「なんだとっ!?」と怒り出しそうなことを、山田は綺麗な瞳を瞬かせながら呟く。
 隣で聞いていた友人は、あたふたと辺りを見回し、彼女の台詞を誰か聞いてないかドキドキするばかりだ。
「ま、まぁ、で、でもっ、マネージャー、結構いるみたいだしっ。今更入部しますって言っても、断られるかもねっ。」
 慌てて友人は、山田の意識をそらせようと、ブンブンと両手を振ってアピールしてみた。
 そのアピールに、フイ、と視線を向けた山田は、ゆるく首を傾げる。
 背中まで流れる綺麗な黒髪が、さらり、と彼女の肩口からこぼれた。
 そうしていると、ほんとうにお人形さんのように綺麗で、思わず──ここ3ヶ月ほどで見慣れたと思っていた友人も、ほぅ……と見とれてしまう。
 本当に彼女は、綺麗なのだ。雑誌やテレビに映っているモデルが、そのまま目の前に出てきたように思えるほどだ。
「ふぅん、そっか──そーだよね。
 ……マネージャーになりたいなんて、今更、だよね。」
 それほど落胆していないような口調で呟いて、塀の上に手を置いて、山田は自分たちから良く見える位置にいるキャッチャーを見やった。
 細身のキャッチャーは、片膝を立てるようにしてミットを構えている──どこか不安定感を覚えてしまうのは、キャッチャーが細身であるから……なんていう理由ではないはずだ、と山田は内心思う。
 自分の知っているキャッチャーは、もっとドッシリとしていて、まるでベースの上に鎮座するお地蔵様のようだというのに。
「まぁ、夏の大会が終わったら、三年生がいなくなるから、途中入部も認めてもらえるかもしれないけど。」
 本当にマネージャーをしたいなら、それからにしてみたら?
 そう笑う友人に、そうね、と山田は気のない調子で頷く。
「丸一年かけたら、このピッチャーを使い物になるように特訓できるかも……。」
 そう言いながら、ヒタリ──と、投球練習をするピッチャーを睨みすえる。
 見る人が見れば……彼女の昔からの知り合いが見れば、それがピッチャーを値踏みする視線だと、気づいただろう。
 目の前の選手を、どうすれば実力を発揮させることができるのか……それを、考えている目だと。
 しかし、周囲にいたのは、そうではなかった。
「ちょ……っ、や、山田っ、まずいって……っ!」
 自分が、良く響く美声の主だと、気づいていないのだろうか?
 不穏と表現するには、あまりに不穏な山田の台詞に、慌てる友人に気づかず、山田は振りかぶろうとしたピッチャーが、ふっ、とその動きを止めたのに眉を寄せる。
 頭の中にはすでに、ピッチャーの球を生かすための投球練習の方法が、グルグルと巻いていた。
 普通の女子高生とは違い、彼女は生まれたときから野球に親しんできた──そういう環境で育ってきた。
 だから、ピッチャーにしろキャッチャーにしろ、どういうときにどういう練習をしたらいいのか、分かっているつもりだ。
 このピッチャーは、下半身が全然出来ていない。そのための練習も、まるでしていないことは、筋肉の付き具合からも判断できる。
 まったく、ココの監督はどういう練習方法を指示してるのだろうか? 生半可な練習では、彼の体を作ることは出来ないと理解していないのだろうか?
 これでは、9回を投げぬく体力もあるかどうか疑問に思うところだ。
 だから、まずはみっちり冬まで基礎練習のしなおしからだ──もちろん、特製メニューで。
 それから──と、そこまで考えた瞬間、
「……おい、そこの女。」
 ジロリ、と、キツイにらみが、二方向から飛んできた。
 ん、と、目を瞬いて顔を上げた先で、投球練習をしていたバッテリーの両方が、スックと立ち、自分を睨みつけていた。
「ちょ、ちょっと、山田っ、ダメだよっ、謝んないと……っ。」
 焦ったようにそう呟く友人が、ガクガクと腕をゆすってくる。
 けれど、山田は、ただ眉をよせるばかりだった。
「女って……私のことですか?」
 正面をきって、二人の顔を見てやる。
 たったそれだけで、一つ年上の先輩たちは、かすかに動揺したように頬を赤らめる。
 その、ピッチャーの方の近くで、「何よ、あの女ーっ」と、けたたましいと言える女子の声があがっていた。
 そんな女たちの声援を受けて、先輩バッテリーは、はっ、とわれに返ったようだった。
 まさか、ピッチャーに罵声──としか言いようのない言葉──を浴びせた張本人が、今年の一番の注目株である美少女だとは思わなかったようである。
 パチパチ、と目を瞬いて、二人は、間近に見る少女の美貌に軽く息を呑んだ。
 透き通るような白い肌と、パッチリと長く整然とした黒い睫。薄く開いた唇は、桃色。
 4月に入学したばかりの注目株の美少女を、知らぬ人間など、この明訓に居るはずもなかった。
「……や……山田、姫…………っ。」
 思わずキャッチャーをしていた男の口から零れた名前に、山田は軽く眉を顰めて見せた。
「はい、そうですけど?」
 その、どこか怪訝気な顔に何も言わずに、いや、と立ち去ろうとしたピッチャーであったが──すぐに、ハッ、と我に返った。
 そして、気後れした様子を隠そうともせず、おずおずと──山田に向かって問いかける。
「き、君──……さっき、なんて言ったんだい?」
 どこか困惑したような顔からは、先ほどの剣幕はナリを潜めていた。
 向かった先にいた少女が、「彼女」だと言うことに、動揺が残っているようであった。
「なにって、……そうですけど、って言いました。」
 冷静に突っ込み、山田は見れば見るほど頬を赤らめるバッテリーを見つめた。
 そんな山田のヒジを、ツンツン、と突付いて、
「山田、今のうちに謝っておきなよ……っ。」
 友人がそう囁いてくるが、
「謝るって……どうして? 私は、本当のことしか言ってないわよ?
 速球投手なんでしょ、このピッチャー? なのに、ストレートのスピードが全然足りないのよ。これだけ力がない球だと、打たせて捕るのにも限度があるでしょう?」
 山田は、ただ不思議そうな顔をするばかりだ。
 何せ、彼女からしてみたら、ピッチャーもキャッチャーも、ダメの駄目押しをしてもいいくらいなのだ。
 だから、そのために改良の余地があると、そう忠告を──しているつもりである、本人は。
 言い方が、相当乱雑であることを、彼女はまるで自覚していなかった。
「本当の……ことって……っ!」
 いくら目の前に立つのが、十数年に一度現れるかどうかの美少女であろうとも、ここまで侮辱されては、憤りを感じないはずはない──いや、違う、これほどの美少女だからこそ、彼らはカッと頬を赤らめた。
「や……野球を知らないくせに、勝手なことを言うなっ!」
 叫ぶ男に、なんだなんだ、とグラウンド中から視線が集まる。
 更に同じように、塀に集っていた女たちからも、非難の声があがる。
 その中で、山田は平然と顎を引き、胸を張り、上目遣いにバッテリーを睨み上げた。
 隣で彼女の友人は、ただオロオロするばかりである。
「あら、悪いけど、私のパパも野球をしてるから、知らないわけじゃないわ。」
「オヤジの草野球と一緒にするなよっ!」
 すかさず叫んだキャッチャーに、かちん、と山田はこめかみを揺らす。
「一緒に出来るはずがないじゃないの! そんな、変化球投手が投げるような力のないストレートしか投げれなくって、何が速球投手よ。その程度の実力じゃ、草野球選手に失礼だわ。」
 腰に手を当ててそう言う山田は、ふん、と鼻で笑うように告げた。
 瞬間──もうだめだ、と、彼女の友人は涙目で口元を覆った。
 一方、なんなの、あの子っ! と、女子陣が叫び──これで明日から、山田は男子たちの憧れの的の女子生徒から、野球部ピッチャーをバカにした女として、女性陣から敵視されるに違いないのである。
「なっ、なんだとーっ!!!」
 憤るピッチャーに、山田は鋭い一瞥をくれる。
「その程度の球なら、私だって投げられるっていってるのよ。
 本当に甲子園に行きたいのなら、二人とも、もっとみっちり基礎練習をするべきなんじゃないの? こんな風に投球練習なんてする前にね!」
 そう告げる彼女の目にも、憤りが宿っていた。
 ──これが、草野球ならそれでもいいと思う。
 野球を好きでやっている、下手の横好きの集団だというんら、それでもいいと思う。
 けれど、これは草野球なんかじゃない。
 正真正銘、人生に一度しかない「高校野球」なのだ。
 しかも、好きだからやっている野球、ではなくて──強豪明訓の名をかけて闘う、「勝ちたい」ために野球をしているはずの野球部なのだ。
 その高校野球で、栄えある戦いに勝ち抜きたいと思うなら、どうしてもっと段取りのいい練習をしないのか。
 正直な話、見ているこちらがイライラする。
──夏を目前にしてこの程度とは……私が在学中に甲子園に行くつもりなら、もっと早くにマネージャーになることを決断して置けばよかった。
 マネージャーとして甲子園に行くか、ソフトボール部で投手をしようか、悩んだりなんかせずに──しかも、結局、ソフトボール部もレベルが低くて、なんだか一人相撲になってしまいそうだからやめようと、つい先月決めたばかりなのだ。
 そうしたら、最初の一週間で部員たちの癖と弱点を見定めて、4月中に練習スケジュールを組んで──なんとかしたのに…………。
 そんな憤りを山田が覚えているとは露しらず──というか、それはマネージャーの仕事ではないということは、彼女の脳裏には無かった──、男達は、バカにされたとますます顔を赤くさせた。
 かと思うと、ばしんっ、と、ピッチャーは突然グローブを投げ捨てて、
「そこまで言うなら、お前が投げてみろっ!!」
 びしっ、と、山田の顔を指差して叫んだ。
 山田は、そんな彼の指先に、キョトン、と目を瞬いた。
「──私が?」
 すっとんきょうな声をあげる山田に、あぁっ、と、怒りと羞恥に真っ赤になったピッチャーが叫ぶ。
「山田っ、山田〜っ、もう謝っておきなよ〜っ!」
 ガクガク、と揺さぶる友人が、涙声で叫ぶのも耳に入らず──彼女は、地面に叩きつけられたグローブを見つめた。
 そして……ふっ、と、不敵な微笑を貼り付ける。
 彼女は、非常に負けず嫌いな──母親と叔母そっくりの性格をしていた。彼女を昔から知る人間は、「母親と叔母を、足して2で割ったのが、姫」と言うくらいである。
 つまり。
「分かったわ。その勝負、受けてやるわよ。」
「売られたケンカは買う」──主義であった。
 やおら彼女は、品の良いカッターシャツに良く合う、涼しい色のリボン──学年によって違うソレ──を、片手で剥ぎ取ると、それをスカートのポケットに入れた。
 そのまま、手を塀につけたかと思うと、
「山田っ!」
 叫んだ友人にカバンを押し付け、ひょいっ、と、身軽に塀を飛び越えた。
 その瞬間、ひらりん、と舞ったスカートに、おぉっ、とどよめきが走ったが──思わず、怒っていたことも忘れて、バッテリーも太ももの半ばほどまで見えた白い素足に魅入られたが──、身軽に飛び越えた山田のスカートの中身が、さらされることはなかった。
 そのまま、とん、と着地をした山田は、地面に落ちたグローブを拾うと、ぱんぱん、と丁寧に叩いて──挑戦的にピッチャーを見上げた。
「ボール、ください。」
 にっこりと、極上の微笑を零して、山田は白い華奢な手のひらを差し出した。
 その、少女ならではの華奢な──少し節ばった指先を見下ろしながら、彼はグッと言葉につまり……それでも、憎憎しげに手元のボールを放ってよこした。
 山田はそれを、なれた仕草でパシンとグローブで受け取る。
 瞬間、ざわ──と、小さなざわめきが、グラウンドで生まれた。
 ……慣れてる、グローブ捌きに。
 それはつまり、山田が、ソフトボールなり、軟球野球なりで、野球をしていたということだ。
「……ちっ、女子供の野球と一緒にするなよ、高校野球を……っ。」
 春の大会は惜しくも出場を逃したものの、昨年の夏は甲子園に行っている──そういう実力がある者たちの中で、大口を叩いたことを、後悔させてやる。
 そんな悔しそうな口調を滲ませるピッチャーを退かせ、山田はザッ、と、ローファーの底でグラウンドの土をならした。
 ならしながら──運動靴じゃない分だけ、すべりそうだわ……と、誰にも分からないように舌打ちをした。
 いっそはだしになろうかと思ったが、たった一球のために、それもバカらしい。
 滑らないように投げればいい──あの程度のピッチャーの球なら、全力で投球しなくても、十分ストレートでいけるはずだ。
 そう思いながら、プレートの位置から数歩手前の土を、ガツッとローファーで抉っておいた。
 足を踏み下ろした地点が、ココになるように──そうすれば、多少は滑るのを抑えることが出来るだろう。
 その準備を終えて、ザッ、と、山田はキャッチャーの方を向いた。
「こっちはいいわよ。」
 そう宣言すると、向かいに立っていた男は、複雑な顔でその場にしゃがんだ。
 固唾を飲んで見守る中──彼女は、白いボールを右手にしっかりと握り締め……小さく、息を吸って、吐いた。
 考えてみれば、小さい頃から野球は好きだったけど、パパたちが構えるグローブ以外のグローブに投げることは、なかったような気がする。
 リトルリーグに入ろうとしたときだって、中学の野球部だって、山田が「女」だと言うだけで、入れさせてはくれなかったから──父の名を出せば入れると分かっていてもソレがイヤで、実力をつければいいのだと、いつも父の同僚たちと共に練習に励んだ。
 そんな山田を見て、母が、「昔のおれみたいだ……」と、げんなりと呟いていたことを思い出す。
 高校を明訓にしようと決めたときにはもう、本当は、野球部で野球をしたい、という夢は諦めたつもりだった。マネージャーとして一緒に甲子園に行くか、甲子園に行く夢は諦めて、ソフトボール部に入るかしかないだろう、と。
 野球部を作っても、自分には誰かを引っ張っていくような力がないということは……中学時代に身にしみて分かっていたから。
 それに、草野球でなら、女でも入れてくれるチームがあると、教えてもらった。それなら、高校ではマネージャーかソフトボールで我慢しながら、趣味として、草野球をすればいいんじゃないかと、思った。
 女性プロも居る昨今だけど、とてもではないが、プロには実力で敵わないということは、山田はよく知っていた。
 何せ、身近に居る野球の練習につきあってくれる身内は、みんなプロばかりだからだ。
 でも、今、こうして。
──制服姿ではあるけれど、グローブを嵌めて、グラウンドで……高校のグラウンドに立っていると思うだけで、胸が高鳴った。
 マウンドじゃない。
 でも──あたし、グラウンドに立ってる。
「……行くわよ。」
 告げて、生まれて初めて山田は、自分と同世代の人間のミットを見据えた。
 少し緊張する面持ちで──それでも自然の動作で、セットポジションに入り……そのまま振りかぶるために足を高く上げた。
 瞬間、
「おぉーっ!!」
 どよめきが零れた。
 同時に、
「やややや、山田っ、スカートっ、スカートぉぉーっ!!」
 塀の向こうでなにやら友人が叫んでいたが、何も頭に入らない。
 ただ目に映るのは、キャッチャーミットだけだった。
 そのまま、投球モーションに入る。
 腕を上げて、下ろしながら……右手を背後に引く。
「……アンダースロー!?」
 間近に居たピッチャーが、驚きの声をあげると同時、ヒラリ、とスカートが大きく舞った。
 がつっ、と、踏み出したローファーが、上手い具合に先ほど作ったへこみで止まる。
 そして同時、山田の手から、白球が放たれる。

すぱぁんっ!!

 小気味良い、音がした。
「いたっ。」
 同時に、キャッチャーミットを構えていた男が、ボールを取り落とし、悲鳴をあげる。
 ひらり、と、名残惜しげに舞ったスカートの裾が、再び山田の足を覆い隠すときには、
「…………くぅ……っ。」
 呆然と、目を見開く面々の中──あわててキャッチャーミットから手を出したキャッチャーの手が、真っ赤にはれていた。
 それを満足げに認めて、周囲に居た男達のなぜか赤く火照った頬を見回し、山田は最後にピッチャーを見た。
 まともに背後に立っていた彼は、可哀想なくらい顔を赤くさせていて──山田は、そんな彼をいぶかしげに真下から睨み上げる。
「どう? これで分かったでしょう? あなたは下半身が弱いから、どうしても投げるときの安定がないのよ。」
 どう見ても、今の球は、私のほうが速かったはずだと。
 そうキッパリと告げる山田に、彼は反論するどころか、
「か、かはんしん……っ。」
 なぜか動揺したように呟いて、ますます顔を真っ赤にさせた。
「そうよ、下半身よ。」
 キッパリと頷いて──山田は、かすかに首をかしげる。
 …………なんか、反応が……違うような?
「──って、ちょっと、聞いてるの?」
 いぶかしみを顔一杯に乗せて、山田が足を踏み出した瞬間であった。
 ざわっ、と──新たなざわめきが、今度は反対側近くで生まれた。
 学校の方角からだと、何気なしに視線をソコへ向けた。
 とたん、
「ぅわ……っ!! す、スーパースターズの……ごっ、五人衆だっ!」
「大先輩だ〜っ!!!」
 狂喜の声が、ワッ! と、あがった。
 そう、ソコには、この明訓高校の約15年前の立役者であり、同時に現在もプロ野球で活躍中の、超有名人たちが揃い踏みしていたのである。
 彼らは、バックネットの裏近くから、こちらを見ていた。
 その姿を遠目に認めた瞬間、山田はザッと音を立てて血が引いていくのを感じた。
「………………や、やば……っ。」
 思わず山田は呟き、グローブでとっさに顔を隠す。
 しかし──多分に、もう遅いのも自覚していた。
 コソコソとグローブの奥から見た先で、目立つことこの上ないスターオーラを放った5人の視線が、自分にチクチク突き刺さっているような気がしてならない。
 山田はグローブに吐き捨てるように、泣き言を零す。
「っていうか、なんで来てるの〜っ。」
 今は、思いっきりシーズン中で、忙しいはずじゃないか、と──そうなじるように思いながら、山田はクルリとそちらに背を向けてグローブを外した。
 そのまま、はい、と、ピッチャーに返そうと顔をあげたら、ピッチャー君は、目をハートマークにして、大先輩たちを見つめていた。
 グラウンドに背を向けたまま、コッソリととあたりを見やると、誰も彼もがそんな表情である。
 それもそのはずだろう──若くして大活躍中の彼らが、どれほどすごい人たちか……もちろん、山田だってよく知っている。
 知っているからこそ──問題なのだ。
 別に、明訓高校は、彼らの母校なのだから、来ても問題はない。
 おそらくは、今年は危ないんじゃないかという後輩たちのことをおもって、叱咤激励しにやってきたのかもしれない。
 かもしれないのだが。
「──……来るなら来るって言ってくれたら、さっさと帰ったのに……っ。」
 もぅっ、と、小さく吐き捨てて、グローブはココに置いておくわよ、と、聞いてないだろう少年向けて呟き、山田はその場にグローブを置いて、ダッと塀に駆け寄った。
 勢いを押し殺すことなく、塀に手をかけ、来たときと同様に、ひょい、と塀をまたぐ。
 今度は、誰もそんな山田の動作に注意を払う者はいなかった。
「──さぁって、そろそろ帰らないとっ。」
 そんな、わざとらしい独り言を呟いて、山田はクルリと踵を返して歩き出す。
 友人が、呆然とした顔で正面を見詰めたまま──その先には、くだんの5人が居る──なのをいいことに、山田は彼女の手から強引にカバンを受け取ると、イソイソ……と、その場を立ち去ることに決めた。
 背中にチクチクと突つくように感じる視線が誰のものなのか、もう振りかえるのも怖い気がして、山田はカバンを抱えたまま、顔をうつむけるようにして──ダッ、と、グラウンドから校門へと、目立たず、さりげなさを装って、走りぬけることにする。
「冗談じゃないわよ……、私、パパとさとパパのこと、ばらすつもりはないんだからね……っ。」
 キ、と、綺麗な形の瞳を吊り上げて、山田はそのまま逃げるように自宅まで、一気に掛けぬけて行くのであった。





「16歳の憂鬱 パパ編」に続く。

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やってしまいマシタ……。
いえっ、これが書きたかったから、作ったページなんですけどねっ!

でも、覚悟をして読んだものの、こりゃないだろ、おい、と思った方は、もう記憶から抹消してください……真剣に。