8年ほど前にパ・リーグに発足した、新球団二つのうち、「明訓5人衆側」と言う意味でよく知られている、「スーパースターズ」。
そんなスーパースターズの本拠地である球場の食堂に、スーパースターズのメインメンツが集まっていた。
元ライバルや新人達に囲まれた中で、一番息が合い仲がいい「15年前の明訓高校野球部の同級生メンツ」である。
一つの机を思い思いに囲む彼らの前には、いつものように紙コップが置かれていて、ちょっと食後の小休止──といった雰囲気である。
「そういえば、もうそろそろ夏の大会が始まるな。」
ふとそんなことを口に出したのは、微笑であった。
自分達がシーズンに入るということは、高校野球も「シーズンまっさかり」と言うことだ。
「そやなー、また今年も、へたくそなガキどもが競うわけや。」
無駄な時間やのー、と──十五年ほど前までは自分もその戦いに命を掛けていたということを棚にあげて、ノンビリとコーヒーを飲み干す岩鬼に、
「その筆頭が良く言うづらぜ。」
殿馬が、飄々とそう突っ込む。
「アホ言うな。わいはなぁ、お前らのレベルに合わせたっとんやないけ。
この天才の、そんな心遣いがわからんとは、これやから凡人はあかんわ。」
はぁーあ、と、どっぷりと芝居がかったため息を零し、ことのついでにハッパもしおれさせる。
そんな芸当をしてみせる達者な岩鬼に、殿馬はなれた調子で、
「凡人づらから、わからんづらぜ。」
そう合わせてやった。
この二人の、なんだかんだで20年近くになる漫才(?)は、今回も絶妙だった。
──もっとも、片割れはそれを自覚してはいなかったが。
「今年はドコが優勝するかねぇ?」
ノンビリと、ブラックコーヒーを啜りつつ、微笑は呟く。
このスーパースターズ結成の年は、犬飼三兄弟の母校「土佐丸高校」と、自分達の母校である「明訓高校」が頑張ってくれ、彼らが在学中以来の、「土佐丸対明訓」の決勝戦を実現してくれた。
しかし、それ以降……どうも明訓高校は振るわない。
「明訓はありえんわな。」
岩鬼が、あっさりと厳しい見解を述べる。
誰もが心の中で気にしてはいたものの、今年はムリだろうと、そう思っていたからこそ──おっ、と、一同は岩鬼の顔を見た。
「わいがおらへんと、どうもあかんわ。
ま、しゃぁない、この天才は、『百年に一度の大器』やったからな。
明訓は、わいを得たことで、先百年はふるわへんわい。」
確実やな、と、真摯な顔で告げる岩鬼に、がく、と──さすがに岩鬼節に慣れきった面々でも、思わず肩が落ちた。
「ま、まぁ、確かに……ある意味、大器かな。」
軽く顔をしかめて、里中がそう呟いた瞬間、あ、と、思い出したように微笑みは、里中を見やった。
「──っと、そういえば、姫ちゃんって、明訓に入ったんだよな?」
世間話をするように軽く切り出された内容に、話しかけられた2人──里中と山田は、うん、と頷く。
その2人に、今度は視線が集まった。
「おぉ、そやそや、あのチビブスが高校生なんやと。
こないだ制服を見せにきたわい。」
ヒラヒラとハッパを舞わせながら、ふんぞり返る岩鬼に、山田はニコニコと笑って、
「そうそう、その節は、制服を買ってくれてありがとな、岩鬼。」
ぽん、と彼の肩を叩いた。
隣から里中が、さんきゅー、と、軽い謝礼を述べる。
とたん、
「えっ、何、岩鬼が制服買ってやったのっ!?」
「づら?」
驚いたような微笑と殿馬の視線が注がれ、岩鬼は、微かに狼狽したように頬を染めた。
なんだかんだ言いながら、こういう義理硬いところのある岩鬼は、こういうところには妙に几帳面であった。
「文句あるかいっ。」
だから、照れたようにそう叫ぶ岩鬼に、あるもんか、と、微笑と殿馬は笑った。
実を言うと、その二人も二人で、姫のために進学祝と色々と贈っていた。
──微笑は、通学に必要だろうと、マウンテンバイク。殿馬からはMDウォークマン(自分の奏でたMDつき)である。
このプレゼント内容からするに、友人の娘だと言う以上に、二人が彼女のことを可愛がっていることが分かるだろう。
来年あたりには、進学祝だと、おニューの替えの制服とかカバンとかを買ってやってるかもしれない。
「それにしても──サッちゃんのときも思ったけど、もうそんな年なんだなぁ。」
感慨深げに微笑がうなるのに、一同も──あれから16年も経ったのかと、シミジミと感じ入る。
何せ、彼らにとってみたら、「彼女が生まれた年」=「明訓高校を卒業した年」なのである。
サチ子が高校に入学したときも、そんな時期なのかと、兄のような気持ちで思ったものだが、姫の場合は、さらにソノ上──父親のような感動が胸の中にポッとともった。
そうか、あの赤ん坊がもう高校生か……自分達も年を取ったなぁ、なんて、シミジミとした空気が五人の頭の上に降りたと同時、ぴぴーんっ、と岩鬼のハッパが激しく突き立った。
「──って、姫が明訓やてっ!? 何言うとんのや、三太! 制服が違うやないけ。」
あまりに遅い驚きであった。
──否、それ以前に、
「アホ。数年前にデザインが変更になったづらぜ。」
すかさず、待っていたとばかりに殿馬が突っ込む。
「サッちゃんが、卒業した後に制服変わるなんてイヤだ、って言ってたの、覚えてないだろ、岩鬼。」
同じく明訓卒業生になったサチ子の、卒業のときの台詞をそっくりそのまま真似て、微笑も突っ込むが、もちろん、岩鬼が覚えているはずもない。
「そんなんまで興味持てるかい。」
案の定、岩鬼はその話には乗らないとばかりに、フラフラとハッパを揺らすばかりだ。
そんな風に、「姫」のことで盛り上がる三人を他所に、里中と山田は、最近の明訓高校の不調について真剣に語り合っていた。
明訓の黄金時代を築き上げた黄金バッテリーの二人が、今の明訓に足りないものとして指摘するのは、やはり投手力の弱さだった。
「ここ数年、いいピッチャーに恵まれないよな、明訓は。」
「打撃力はあるから、かろうじて打撃で勝ちぬけてるって……ところだな。」
それでは、甲子園に行けたとしても、よほどのラッキーに恵まれない限り、上まで行き着くのは難しいだろう。
さらに日本一になり、それを持続させようとなると、チーム全体のバランスのよさが最重要となってくる。──もちろん、ぬきんでた、ココ一番に強い打者や投手も強い力としてあれば、尚さら良い。
ありし日の良き明訓を取り戻せ、とは言わないが、やはり母校が勝ち進めないのを見ているのは辛い。
特に、15年前の備品とは言え、強豪に相応しい備品が置かれている野球部であるにも関わらず、だ。
「──まぁ、東海高校に比べたら、野球部があるだけマシなんだろうけどな。」
頬杖をついて、はぁ、とため息を零す里中に、そうだな、と、山田は一瞬だけ遠い目をした。
きっと、彼の幼馴染であったという、雲竜のことを思い出しているのだろう。
高校時代に何度も山田に挑戦し、そして負けた雲竜は、野球の世界から足を洗い、相撲の世界で活躍している。
そんな彼が居なくなった後の東海高校の野球部は、まるで振るわず──数年前、とうとう野球部員がゼロになり、廃部してしまっていた。
「でも、明訓もこのまま行くと、今年は何回戦まで勝ち残れるか分からないぞ。」
山田を見上げながらそう深刻そうに呟く里中に、うん、と山田も同意を示す。
「あぁ、横浜学園のピッチャーが良いらしいからな──打てなかったら、確実に負けるな。」
ここ数年の明訓は、ずっとそんな勝ち方・負け方をしている。
投手力が弱いからこそ、互いに叩き合うという試合だ。おかげで高野連が、時間配分に、ずいぶん苦労しているとかどうとか。
しかし、相手の投手や守りがすばらしく良いと、その打撃力もそこでストップしてしまい──大差をつけられて大敗、なんていうこともある。だいたい明訓が甲子園に出た年は、全国大会でそういう負け方をしている。
「それに、今年は去年の主砲が抜けてるからな……。」
「あぁ、4番を打っていた、サードの。」
「そうそう、今年は少し、打撃力も弱いよな。」
卒業して15年もの月日が流れていても、やはり高校野球ではついつい母校びいきになってしまう。
特にその母校が、自分たちが出会い、活躍した学校ともなれば、愛着は人一倍だ。
「姫が4番とか打てば、絶対得点力は増すよな。
姫、山田に似て、打つセンスもあるし。」
残念ながら、まだ高校野球において、女子の参加は認められていなかったが。
「それを言うなら、姫が投げたら投手力もカバーできるさ。
姫は里中と同じ投手タイプで、今のピッチャーよりは断然速い玉を投げられるしな。」
親ばかというなかれ。
生まれたときから、かたや投手、かたや洞察力鋭い主砲──の両親の練習や試合を見てきて、さらにその練習に付き合ってきた娘は、「普通の女子高生」にはあるまじき基礎体力と野球センスを身につけている。
里中のバッティング投手代わり(時々むしょうに打ちたくなるらしい)にこき使われた過去は、彼女に見事なアンダースローの七変化を身につけさせ、山田について素振りの練習を付き合った日々が、彼女に打撃センスと無駄のないバッティングフォームを身につけさせた
さらに、少ない親子のふれあいを求めて、彼女は幼い頃から、両親の朝夕走りこみにもついてまわった。大抵途中で力尽きて、父に背負われることが多かったが、それでも普通の少年達よりもずっと走りこんでいる事には変わりない。
小さい頃から、両親の練習時間くらいしか、親子のふれあいの時間がなかったからである。
その結果、親の欲目を抜きにしても、充分高校野球で闘えるレベルになっている──と、里中も山田も思っている。
ただ惜しむらくは、彼女はあくまでも「少女」に過ぎない、というだけで。
「せっかく明訓に入ってるのに、もったいないなー。」
そう零す里中に、でもさ、と、山田は紙コップに残っていたコーヒーを飲み干して笑いかけた。
「マネージャーになって、野球部を立て直そうかどうしようかとか、ブツブツ言ってたぞ。
姫の鬼コーチなら、今年はムリでも、来年はいいところまでいけるんじゃないかな?」
何せ、プロ球団の最先端を行く、バリバリの現役の父と母と、その友人達の練習風景を、当たり前のように眺め──その練習に自ら参加していた姫である。
彼女は、それが普通の高校球児の倍以上の練習メニューだという自覚はないはずだからきっと、マネージャーになって、練習メニューを見たら、「何コレっ!? 少なすぎるわよっ!」くらいは叫びそうである。
持ち前の、「里中+サチ子÷2」の性格で、バッチリ実践もしてしまいそうだ。
「そーだなぁ……。」
頬杖をついたまま、空になった紙コップを見つめていた里中であったが──ふ、と、何か思いついたように、軽く首を傾げて山田を見上げた。
「なぁ、山田? 今日はもう、これで暇だよな?」
いくつになっても、童顔の直らない里中は、最近益々貫禄を持ってきたと評判の山田に対して、まだ大学生のような雰囲気が抜けきらない。
その愛らしい顔で見上げられて、山田もホロリと解けるように笑った。
「あぁ、そうだな。もう少し投げてくなら、付き合うぞ。」
午前中の練習のときに、少し物足りないと感じていたことを差しているのだろう。
しかし、里中はそうじゃないとばかりにかぶりを振る。
「そうじゃなくってさ、ちょっと出かけないか?」
ニッコリ、と笑う里中が、何か企んでいるような色を目に宿しているのを認めて、山田は軽く首を傾げた。
「買い物か何かか?」
あまり遅くなるところにはいけないぞ、と続ける山田に、
「うーん、帰りにスポーツショップによってもいいけど、後輩に激励でも飛ばしに行こうかと思ってさ。」
彼の肩に手を置きながら、里中は山田の顔を覗きこんだ。
そんな里中に、少し驚いたように山田は目を見張ったが──すぐに、破顔して頷いた。
里中は、よしっ、と指を鳴らす。
そのまま里中は、山田の手首を掴み、クルン、とひっくり返して彼の腕時計を確認すると、ここから明訓高校までの距離を測り──急がないとな、と呟いた。
「それじゃ、岩鬼、殿馬、微笑、俺達は今日はこれで……。」
言いながら、山田と里中が顔を上げた先……、
「なぁーにやっとんのや、やぁーまだっ! とろくさいにも程があるでっ!」
「おれ、表に車回してくるぜ。」
「岩鬼が一番乗り気づら。」
いつの間にか、悪友達は、やる気満々で食堂の入り口に立っていた。
「──って……、まさかお前らも行く気かっ!?」
思わず指差し叫んだ里中に、三人は当然のように頷いた。
「当たり前やっ! 母校に喝を入れるのに、このわいがおらんでどないするんや!」
びりっ、と、食堂に良く響く声で岩鬼が吼えれば、
「たーまには、明訓のピアノで一曲もいいづらな。」
飄々とした声で殿馬が呟き、
「明訓の最近の不発ぶりには、おれも心を痛めてたんだよなぁ。」
あかさらまに演技臭い仕草で、微笑が胸に手を当てた。
「──お前らなぁ……。」
胡乱気な目で里中は、ジロリ、と三人を交互に睨みつける。
「おれと山田だけならとにかく、お前らまで一緒にきたら、目立つに決まってるだろっ! お前らはお前らで、別の日に行けよっ。」
噛み付くように怒鳴りつける里中に、
「なぁに言うとんのや、サト。わいが、お前のために、わざと盾になってやろういうとんのやで? このスーパースターの前じゃ、どうしょうもなくお前らは霞むやろ、それでええんや。」
──岩鬼なりの、「親切」を、里中はゲンナリした顔で受け入れた。
受け入れずには居られなかった。
どうせ放っておいても、彼らは嬉々としてついてくるだろうことは間違いないからである。
「それじゃ、車を正面に回してくるからな〜♪」
話はこれでお終い……とばかりに、微笑が指先でクルクルと車の鍵を回しながら去っていくのを見送って──里中は、山田と視線を合わせて、小さく肩を竦めた。
……この面子だと、コッソリと姫を見るなんてことは出来ないだろうな──と、そう言うつもりで。
微笑の運転する車に、ゴッソリと五人で乗り込む。
これが軽自動車だったらたまらないが、幸いにして微笑の持ち車はワゴンであった。
助手席に殿馬が座り、前後の後部シートの前に里中と山田。
最後部シートには、岩鬼がどっしりと座っている。
車の中に居る時間は、いつものようにあれやこれやと話しているうちに、あっと言う間に過ぎて知った。
気づけば、車の窓の外には、見慣れた──15年程前まで通いなれていた道が映し出されていた。
「あっ、ココ、まだ残ってるぜ。」
運転していた微笑が、校門近くのパン屋を顎でしゃくる。
「岩鬼がよぉ、良くここで買い食いしてたづら。」
車のエンジン音でリズムを取っていた殿馬がそれに頷いて、小さく笑った。
そんな彼らに頷きながら、里中も窓の外を覗いた。
「懐かしいなぁ。ここあたりまで来るのって、サッちゃんが卒業して以来だよな。」
サチ子が明訓に入学したときも思ったが、高校の辺りはずいぶん様変わりしていた。
「そうだなぁ……アレからたった数年しか経ってないけど、その間もずいぶん様がわりしたな。」
山田も同じように窓の外を覗き込み、里中に同意する。
目を細めれば、この道を今車に乗っている面子と歩いた──またはランニングした昔を思い出すことが出来た。
あの時走ったじゃり道は整備されて真新しいアスファルトになっている。
明訓高校の──岩鬼が少しばかり欠けさせた壁は、綺麗に塗り替えられている。
道の外に伸びた木の枝は、綺麗に切り落とされて、フサフサと緑の葉を豊富に実らせていた。
「サチ子が卒業した時も思ったけど、ずいぶん綺麗になったよな。」
「わいみたいな有名人を出した高校なんじゃから、これくらい当たり前じゃい。」
「良く言うづらぜ。」
サチ子が卒業して以来、初めて訪れることになる明訓高校の壁を回って、微笑は車を正面へと回す。
そうしながら、速度をゆっくりと落とし、きょろきょろと辺りを見回した。
「えーっと……来賓用の駐車場って、どこだったっけ?」
ゆっくりと正面入り口の辺りへと車をつけながら──もし駐車場が無かった場合は、ココに止めるしかないかな、と、路中するにしては大きい己のワゴンに眉を寄せながら、微笑は背後に居る里中と山田を振り返る。
山田はそんな微笑に、指先で校門を指し示すと、
「中に入って奥の職員駐車場の所だったはずだ。」
「分からんづらなら、職員駐車場に止めればいいづら。」
隣から殿馬が少し身を乗り出して、校門の中をのぞき見る。
サチ子の卒業式の時は、示し合わせたかのように全員が校門の前に集ったのだったが──それぞれが、彼女への卒業祝いを持っていて、話題騒然となったのは、ほんの数年前のことである。
その時は、誰も校門の中に入ることはしなかった。目立つことが分かっていたし、保護者の顔でサチ子の卒業式に参加してしまえば、主役の卒業生たちが霞んでしまうからだ。
「ま、とりあえず入ってみたら、用務員のおじさんが出てきてくれるかもな。」
気楽に考えて、微笑はゆっくりと校門の中に車を入れていく。
ちょうど下校を始めた生徒たちが、昇降口から出てき始めるところだった。
ずいぶんあどけなく見える高校生達の集団を認めて、岩鬼が、おっ、と小さく零す。かと思うや否や、岩鬼は窓をウィーンと開き、ニョッキリとハッパを窓から出した。
「おい、岩鬼。あまり目立つようなことをするなよ、騒ぎになるだろう。」
里中がすぐに気づいて、バックシートの岩鬼に注意するが、もちろんそんなことを聞いてくれる岩鬼ではない。
窓を全開にして、そ知らぬ顔で腕を組み、外を威厳たっぷりに見回す振りまでする。
外から見ると、懐かしの明訓高校をノンビリと眺めているように見えた。
微笑が、敷地内に入り込んだ車を、ゆっくりと職員用駐車場の方面に進んでいく先──昇降口から姿を見せた生徒たちが、見慣れないワゴン車の存在に、あれ、と小さくざわめき始める。
やがて彼らはすぐに、良く知る顔が悠々とした表情で見回しているのを認めた。
とたん、わっ、とあがる歓声に、ピクピクと岩鬼のハッパが揺れる。
そんな、ポーカーフェイスを貼り付けているつもりの岩鬼の、満足そうな様子と、騒ぎ始める生徒達に、里中は手のひらを額に押し当てた。
「…………車から降りたら、囲まれそうだぞ、このままだと。」
うんざりした顔で里中が車内を振り返ると、ハンドルを握っていた微笑は、ガックリとハンドルに額を落とす。
隣で殿馬も、うんざりした顔で助手席のシートに体をズズ、と預けていた。
「有名人は辛いのぉ……これもまぁ、スーパースターの有名税じゃわい。」
「誰のせいづらよ。」
腕を組みながら、全開にした窓の外でキャァキャァと騒ぎ始める生徒たちに──、駐車場の方向へ走っていくワゴン車を見送る生徒たちに、岩鬼は満足そうにウンウンと頷く。
その満足そうな顔を、バックミラーで確認して、ヤレヤレと微笑と殿馬が軽く肩を竦めあった。
「まずは、職員室に顔を出しておこう。──そうすれば、少しは人も減るんじゃないかな?」
……多分、と、心の中で続ける山田の台詞に、それがいい、と微笑は頷いて、職員用駐車場の奥……「来賓用」と書かれた場所へ、ワゴン車をバックで止めた。
それを待って、シートベルトを外した殿馬が、ヒョッコリと駐車場入り口の方向を見た。
すでにソコには、数人の生徒が立っていて、どこか浮き足たった表情でコチラを見守っているのが見えた。
職員用の駐車場まで入ってこないのは、ソコが職員室から丸見えだからなのか、気後れしているかのどちらかだろう。
──それも、自分達が車から降りるまでの「理性」であろうことは、確認せずとも想像はできる。
「……職員室までたどり着くまでが大変づら。」
「それまでに姫ちゃん、帰ってないといいんだけどな。」
シートベルトを外し、車の鍵のロックを解除しながら、微笑が心配そうにそう呟くと同時、ガチャリ、と──岩鬼が真っ先に車から降りる。
ぴーんっ、と勢い良く立つハッパに、よし、と四人は無言で視線を交わす。
岩鬼は騒がれるのが好きだから、放っておいてもこのまま歩き出すだろう。
もちろん、長年の付き合いがある友人達の推測どおり、岩鬼は悠々と待っている高校生ファンの元へと歩いていく。
キャーッ! と、一際高い歓声があがるのを見て、車内に残った四人は、今だ、と拳を握り合った。
つまり、岩鬼がファンの注目を浴びている隙に、この駐車場から直結している職員玄関から校舎内に入ってしまえばいいのである。
職員室から一番近い玄関である、職員玄関は、来客用のスペースとは逆方向に位置している。
駐車した場所からソコへ行くには、駐車場を横断する形になる。
ソロリと扉を開いて、殿馬と山田、里中が、岩鬼が歩いていく方角から死角に当たる側へと出る。
続いて微笑みも助手席に移り、そこから外へと出た。
そして四人揃って、ソロソロと様子を伺いながら、職員玄関の近くへと少しずつ移動していく。
向こうでは、岩鬼がいつもの調子でファンに囲まれ、涼しい顔を装いながらサインをしているのが見えた。
あっという間に岩鬼は人垣に囲まれ、さらに昇降口に姿を現したファン達が、ニョッキリと巨漢をさらす岩鬼に気づいて、駆け寄ってきている。
その隙を見て、殿馬が顔を覗かせて──スタスタスターっと、盗塁するかのような素早さで、職員玄関へと消えていく。
無事に到着した殿馬に、岩鬼に気を取られているファンは気づく様子はなかった。
コレなら上手く行きそうだと、殿馬はヒョッコリを顔を覗かせて、タイミングを計り、クイクイ、と手で招いてくれる。
それに応えて、里中が軽やかに飛び出す。
これもまた見つからずに無事に職員玄関の中へ入ることに成功した。
続けて微笑がやってきて──問題が発生した。
「……最初に山田に来させれば良かったか?」
「──いや、車をココにつけて死角にさせて、山田を降ろせばよかったんだ。」
里中と微笑の台詞に、づらなー、と殿馬が頷く。
しかし、それも後の祭り。
三人揃って顔を突き出し、岩鬼を囲むファンと、岩鬼とを見比べ、タイミングを計る山田を見やった。
山田が鈍足だということは、周知の事実である。
かと言って、お前だけ車の中に残れと言うわけにも行かないだろう。
ココは、見つかったら見つかったときのことだと諦めて、三人はタイミングを計り──同時に山田に合図を送った。
その瞬間を狙って、山田がドタドタと走ってくる。
「あぁぁぁ……遅い……。」
「おせぇづらな。」
肩を落として深く溜息を零す微笑と、あきれた様子の──というよりも諦めた様子の殿馬たち二人に、
「ココで見つかっても、ばれるのが早くなったってだけの話さ。」
明るく笑いながら、里中が山田を庇った直後──……岩鬼を囲んでいたファンの一人が、あっ、と声をあげるのが聞こえた。
「あれっ! 山田さんだわっ!!」
その、良く響く女生徒の声に、やっぱり見つかったか、と三人が思うのと、ようやく山田が職員玄関にたどり着いたのが同時だった。
指を差して叫んだ女生徒の声に、えぇっ、と岩鬼の周囲がざわめき、
「ぬなっ?」
岩鬼が背後を振り返った。──一緒に来たはずの面子が、自分の背後からついてきていなかったことに、今更ながら気づいて、
「なぁーにやっとんのじゃっ! やぁーまだっ、サトー! 三太郎っ! トンマー! わいの後にキチキチ着いてこんかいっ!!」
──思いっきり、山田と一緒に来たのが誰なのか、暴露してくれた。
「……岩鬼…………。」
疲れたように微笑が零し、その背後でさっさと靴を脱ぎ捨てた殿馬が、足の先にスリッパを引っ掛ける。
「さっさと行くづらぜ。」
「了解。」
それに里中が頷いて同じく靴を脱いでスリッパを履く。
「あ、あぁっ。」
慌ててクルリと身を翻した山田に、里中はスリッパを差し出してやりながら、見慣れた明訓高校の校舎内──でありながら、あまり見ることのなかった職員玄関を見回す。
「さすがにココでワイワイしないだろ。──職員室に近いからな。」
ニシシシ、と笑う微笑に、そうだな、と山田は頷いて、里中が置いてくれたスリッパに足を通した。
山田達の姿を認めたファンたちが、コチラへ走り寄ってくるのが分かったが──彼女達は、山田達が職員玄関に消えていったのを認めて、どうしようかと二の足を踏んでいるのが分かった。
職員玄関で騒げば、後からこっぴどく怒られるのは目に見えて分かるからだ。
そう判断した面々が、慌てて自分達の昇降口へと引き返していくのを見ている余裕もなく、一同は校舎内に上がりこむ。
「今のうちだ。」
行こう、と職員室へ続く廊下を示す山田に、もちろん異を唱える者など居なかった。
職員室に入ってしまえば、生徒達は騒ぎを起こすことなどできない──ハズだ。
岩鬼が後から来るだろうことは、確認しなくても分かることだった。
どうせ彼のことだから、激しい足音をさせて廊下を走り、ドでかい轟音と共に扉を開き、職員室に怒鳴り込んでくることは間違いないだろう。
なら、ココで岩鬼を待っているのは無駄以外の何者でもない。
「あーあ……姫ちゃんには会えないなぁ……。」
騒ぎが起こってしまえば、ある程度騒ぎが収まるまでは、身動きが取れない。
そうガックリと肩を落とす微笑に、里中が不思議そうに首を傾げた。
「姫に会いたかったら、うちに来ればいいじゃないか。」
「いや、そーじゃなくってな。」
「三太郎は、制服萌えづらなー。」
「って、こらっ、殿馬っ!」
そんな軽口を叩きながら、四人は本日の目的が「姫の高校生活覗き見」から、「明訓高校野球部の激励」だけになったことを、残念に思った。
岩鬼の暴挙を──いつもの行動を、予測しなかった自分たちの読み違いだということを、しみじみと感じる以外は無かったのである。
職員室の扉に鈴なりになっていた生徒たちが、キャァキャァと黄色い声を上げている。
開いたまま扉の外では、教師がウンザリとした顔でそれを制しているが──その彼らもまた、視線は気になるように職員室の中……応接ソファに腰掛ける四人にやられていた。
彼らが、15年前のこの高校の卒業生であることは、誰もが知っている。明訓高校の誇りあるOBたちだからだ。
たとえ卒業生だったとしても、現役プロ野球の選手である彼らを間近で見ることなど、これ以上ないくらいの幸運だ。
職員室で仕事をしている誰もが手を止めて、教頭と会話を交わしている四人に視線が集中していた。
四人にお茶を出すときには、女教師の間でちょっとした争いが起きたほどの人気である。
テレビでしか見たことがないような有名人が、ノンビリとお茶を飲み、話している姿に、女子生徒だけならず、女子教師たちまでもがウットリと魅入っていた。
「しっかし、岩鬼のやつ、遅いな。」
出されたお茶も飲み干しても、まだ岩鬼は職員室にやってこない。
微笑が、そろそろ野球部が練習を始めている頃だろうと眉を寄せるのに、
「先にグラウンドに行ったんじゃないのか?」
空になったグラスを弄びながら、里中が軽く首を傾げる。
そんな里中に、頬を赤らめた女子教師が近づいてきて、おかわりはどうですか? と尋ねてくる。それを丁重に断り、里中は山田を見上げた。
「そろそろグラウンドに行こう。出来れば、本練習に入る前に行きたいしな。」
「づらな。」
もうこれだけ時間が過ぎてしまったら、姫に会う可能性はないだろう。
それどころか、授業が終わってすぐに、昇降口に来ていたのなら──あの岩鬼騒ぎに気づいているはずだ。
自分たちが顔を出しに来ていると知れば、彼女のことだ……裏口から帰るくらいのことはするだろう。
そう思い、さっさと「本題」と称した「副題」を済ませてしまおうと、──これ以上大騒ぎになる前に、帰ったほうがいいだろうと声をかける里中に、三人が同意を示し、ソファから腰をあげた。
「それでは、教頭先生。お手数をおかけします。」
ぺこりとそれぞれに頭を下げて、
「お騒がせしました。」
続けて職員室の人たちに声をかけた。
とたん、
「いえっ、とんでもないです。野球部員たちを励ましに来てくださるなんて、きっと彼らにとっても、とても良い励ましになるでしょう!」
浮かれた口調で、喜びの表情を浮かべて、職員室の教師たちが叫んだ。
その言葉に──なぜか四人は、アハハハ、と渇いた笑いを零して見せた。
何せ、明訓高校に激励に来た理由の8割くらいは、全くの私事だったからである。
そのまま四人は、喜ぶ教師への挨拶もソコソコに、職員室から立ち去ろうとした瞬間だった。
キャッ、と扉に詰め掛けていた生徒の波が割れたかと思うと、がばぁっ! と──、
「おんどりゃーっ! 何わいを残してっとるんじゃいっ!!!!」
轟音を響かせて、岩鬼が顔を突き出した。
「──あぁ、コッチに来たよ、ちゃんと。」
「にしては、おっせぇづらなぁ。」
「また、『サインは今やでぇ』とか言って、サイン募集してたんじゃないのか?」
「やぁ、岩鬼、待ってたよ。」
四人それぞれに好き勝手に言いながら、彼らは岩鬼の前へやってきて、
「ほら、岩鬼。グラウンドに移動しようぜ。」
憤る彼の腕を、それぞれポンポンと叩きながら、岩鬼のおかげで割れた人ゴミの中、歩き出したのであった。
堂々と昇降口の前を横切ってグラウンドに行くと、人目につきすぎるので、裏口からグラウンドへと回ることにした。
幸いにして、増設した場所はあるものの、基本的な明訓高校の構造は変わっておらず、当時里中がファンに追いかけられたときに使っていた「避難経路」を通り、無事に裏口に到着することは出来た。
岩鬼がそれを使いながら──災害時に使うための非常階段から上へ昇り、人気のない特殊教室の中を渡り、更に非常階段から下へ降りるという遠回りな経路である──、「姫の教室を見学してやろうと思うとったのにのー。」などと言っていたが、自業自得の岩鬼に言われても聞く耳をもてるはずもなかった。
それで、一度は生徒を撒けたものの──結局は裏口からグラウンドに行くまでの間に、新たな金魚の糞が出来てしまった。
掃除を終えた後の──まだ帰っていなかった生徒たちが、口々に「スーパースターズの5人衆だ……っ」と叫び、どんどん金魚の糞密度は増えていくばかりである。
「……あーぁ、なんか街中よりも派手だぜ。」
ウンザリした顔で呟く微笑に、殿馬もヒョイと肩を竦める。
「有名人が一緒づらから、しょーがねぇづらぜ。」
そういう殿馬の視線は、目の前を仲良さげに歩く夫婦──山田と里中に当てられていたが、それを聞いて鼻高々にフフンと笑うのは岩鬼であった。
「まぁ、わいのスーパースターっちゅうオーラは、隠しようがないさけの。」
しゃぁない、しゃーない、と、一人頷いているらしい岩鬼に、──ある意味、岩鬼も目立つからなぁ、と微笑はあえて確信迫る回答を避けた。
そうこうしているうちに、四人は無事にグラウンドにたどり着いた。
開けた視界に、見慣れたバックネットが広がる。
「おぉーっ! 懐かしのわがホームグラウンドよっ!」
芝居がかった仕草で駆け寄った岩鬼が、イヤに真新しい気のするバックネットに掴みかかる。
がしゃんっ、と派手な音がして、グラウンドに居た──ちょうど間近に立っていた生徒が、驚いたように目を見張って振り返る。
その彼の目が、みるみるうちに見開かれていくのを、残る四人は苦笑をもって見守る。
そうして──岩鬼だけではなく、誰もが感慨深げに、この「始まりの場所」を見つめた。
真新しく土を運び込んだグラウンドも、当時よりも高くなったフェンスも──結局フェンスを高くしてくれという要望にこたえてもなお、山田も岩鬼も微笑も外へ飛ばしまくったので、近所の雨戸を強化する方向で話は進んだものだった。
うず高く詰まれたマウンドのプレート、真っ白いホームベース。
白いボールが山のようにいれられた籠にバケツ。
懐かしい風景に、なんだか胸の奥がジンと鳴いた気がした。
笑い、泣き、苦しみ、必死になり、喜び、叫び──高校生活の青春の全てが、このグラウンドにあった。
五人の高校野球は、まさにココから始まり、ココで終わったのだ。
「ぅわ……おい、アレ見ろよ、レンガに色が付いてるぜ。」
「あっ、もしかしてアレは雨天練習場か? 立派になったな。」
バックネット裏に並び、五人は感心して辺りを見回す。
自分たちが快挙をなしたときも、さまざまな場所から「寄付」があり、設備は整えられていったが、今の野球部はそれ以上だ。
雨天練習場の設備は少し弱くて、里中と山田は濡れながら投球練習をしたこともあった。
バックネットなんて、岩鬼がボールを食い込ませてはネットを破り、山田が暇を見て補修したことだってあった。
合宿所とグラウンドを区切る場所にある塀は昔のままだったが、15年前よりも真新しくなっている。
更にその向こう……合宿所を見やって、おっ、と、短く微笑が感心の声を零した。
「新しく立て直されてるよ、おい。」
古臭い感が抜けなかった平屋の合宿所が、小奇麗なコンクリートの二階建てに作りかえられていた。
その、以前に比べて、少し冷たい感じを漂わせる新しい──とは言っても、建てられて数年は立っているだろう合宿所を、寂しげに微笑は見つめた。
「あ、本当だ。──古かったからなぁ、ココは。」
同じく感心したように零しながらも、里中も寂しげな表情を浮かべて、山田を見上げた。
「──でも、俺と山田の思い出の場所が、こうしてなくなるのは……なんだか寂しいな。」
思うだけにしておけばいいものを、やっぱり里中は里中らしく、そう言って笑った。
その発言を、深読みすれば深読みできるが──あえて今回は、誰も深く読むことはしなかった。
ただその思いを受け取るように、全員で合宿所を見上げた。
あの合宿所には、自分達の青春の思い出がたくさん詰まっている。
──三年の殆どを、彼らはアソコで過ごしたのだから、当たり前だ。
だがしかし、同時に彼らは知っている。
今、この明訓高校に通っている「姫」は、あの合宿所で「出来た」のである。
「──……懐かしいな。」
山田は、そんな里中の肩を軽く叩いて、やさしく微笑みかける。
そんな彼に、ニッコリと同じように微笑み返して、あぁ、と里中は頷いた。
そうしてそのまま二人は、当時の二人だけの思い出に思いを馳せるように、辺りへと視線を回し──あれ、と、同時に同じ位置で目をとめた。
当時、彼らバッテリーが投球練習に使っていた場所……グラウンドの端にある、小さなマウンドが作られた場所である。
里中がソコで投球練習を始めれば、女子が群がり、最前列を争って、熾烈な戦いが繰り広げられていた地点である。
「……おい、山田、アレって……?」
眉を顰めて、里中が指差す先──そこには、女子が数人立っていた。
それは別に不思議な光景ではないだろう。
今年は落ち目かもしれないと、彼らがそう読んだ明訓高校ではあったが、それでも昨年は甲子園出場を果たし、関東大会も惜しいところまでは行っている。
ファンが数人くらいはついてもおかしくはないはずだ。今年のバッテリーは、ソコソコ顔がいいらしいから。
しかし、里中と山田が目をとめたのはソレではなかった。
二人と同じように、自分が昔守備練習をしていた位置に思いを馳せていた岩鬼、殿馬、微笑も、里中の指先を追うようにして視線を送り──あっ、と、小さく声を上げた。
「なんで、制服姿の女子が……っ!?」
そう──五人が見た先。
投球練習用のマウンドで、明訓高校の制服に身を包んだ女子が、なぜか振りかぶっていたのである。
それも、豪快に。
「……って、おいおい、スカートだぞっ!?」
思わず口元に手を当てて零した微笑の声が聞こえないのか、ピッチャーを後ろに従えた少女は、思い切り良く左足を上げる。
その拍子に、スカートがヒラリと舞い上がり、
「おおおおーっ!」
周囲から、ドッ、と男達の声があがった。
「山田……っ。」
焦ったような声で振り返る里中に、頷いてみせた山田は、それでも逡巡して……里中に、押し留まるように視線を向けた。
何せ、もう彼女は堂々と足を振り上げてしまった後だ。
投げるのを止めることは出来ないだろう。
二人がそんな視線を交わしているなど気づきもせず、微笑も岩鬼も殿馬も、そのまま腕を背後に──胸を張り、アンダースローで投げる少女を茫然と見つめた。
年頃の女子らしからぬ、そんな仕草に、なぜか覚えがあるような気がした。
少女踏み出した足が、がつっ、と地面で食い止められ、そのまま腕が後ろに引かれる。
彼等が毎日のように見ている、下手投げのフォームは、洗練された美しさがあった。
そのフォームが、里中のものと良く似ていると気付いたときには、少女のしなやかな腕からは白い球が放たれていた。
が、しかし哀しいかな、男達の視線は、線を描いて走った球ではなく、投げ終わった後、ヒラリと舞うスカートの方にあてられた。
豪快に投げた少女のスカートは、風と動きに煽られて、思い切り良くその中身をぶちまけてしまっていた。
「おっ、ピンクのレース。」
軽く目を見張って、それをバッチリ目撃してしまった微笑が零した瞬間、
ゴンッ!
ガツッ!
彼の左から、里中と山田の拳が飛んだ。
「……たっ! 何するんだ、里中、山田っ!」
容赦ない彼らの一撃に、微笑は慌てて後退して、二人を見上げた。
非難の色を込めて叫んだ微笑の叫びは、ちょうど彼女のスカートの中身に気をとられていたグラウンドの部員たちにも聞こえていたらしい。
彼らは耳にした「山田」と「里中」の名前に、ハッとしたようにコチラを向き……あぁっ、と、各々口々に叫んで、バックネット裏の男達を指差した。
後は、興奮さながらに、彼らは少女のことを頭から吹き飛ばし、憧れのプロ野球選手の出現に、動揺と興奮を露に伝染させていくばかり。
そんなグラウンドの変化に目もくれず、里中と山田は、微笑を見上げる。
「何するんだじゃないだろっ。」
「微笑……怒るぞ。」
腰に手を当てて、ぶっすりと顔をゆがめる里中と、なぜか圧力をかけてくる山田の意図がわからず、微笑は目をパチパチと瞬かせる。
一体何のことだと、そう彼が山田と里中に聞くよりも早く──、
「──ありゃぁ、姫づらぜ。」
殿馬が、ヒョイ、と肩を竦めて……ほら、と、顎で「投球少女」をしゃくった。
彼の口から飛び出した見知った名前に、えっ、と、微笑は目を見開く。
慌ててグラウンドを振り返ったときにはすでに、グラウンドの人間のみならず、帰宅途中の面々までもが、自分たちに注目しているところだった。
そのアコガレの眼差しの向こう──青春球児たちの向こうで、制服姿で球を投げた少女は、顔をグローブで隠し、くるりとコチラに背中を向けるところだった。
顔は見えない──けれど、「姫」だと思って見てみれば確かに、彼女以外の何者でもないような気がしてきた。
すらりとした背格好と体つき。肩甲骨の中ほどまでの黒い髪と、しなやかな筋肉のついた腕と脚。
良く一緒に野球の練習をしている、山田と里中の娘にして、今回の「学校訪問の目的」の人物であることは、間違いないようだ。
あの投球フォームだって、里中にソックリだったし。
「──……って、なんで彼女が、制服姿で投げてたんだよ?」
さすがに、あっけに取られた顔で問いかける微笑は、先ほど見た形よいヒップを包み込んだ桃色の下着を思い出す。
──あの子も、あんな愛らしい下着をつけるような年頃になったんだなぁ、なんてシミジミ思うのは、父親か兄の心境だろうか?
姫は、コチラに背を向けたままグローブを外し、それを地面に置いたかと思うと、合宿所側の塀を、ヒョイっ、と身軽に越えた。
その瞬間に再びヒラリとスカートが舞いあがるのに、おっ、と小さく叫んだ微笑の腰に、どぐっ、と音を立てて肘鉄を食い込ませて、
「知るかっ。」
里中が、険のある答えを微笑にくれてやった。
まったく、女だという自覚がない娘だ。
──自分のことを立派に棚にあげて、里中はぶつぶつと呟く。
そんな里中を隣において、山田も渋い顔つきを崩さず、慌てたように走り去っていく少女の背中を見つめる。
「──まったく、ああいう気を使わないところは、サチ子に似てるな……。」
明日から、スカートの下にジャージを履かせてやろうか、と、そんなことを呟いている父親バカは置いておくとしても、確かにあれで今年16歳なのだから、将来が思いやられることは間違いない。
「女じゃないのは、やぁーまだの家の家系やな。」
同じく、パタパタと走り去る少女の遠くなる背中を見ていた岩鬼が、しんみりと目を細めて呟く。
あの小さかった赤ん坊が、パンチラ(というよりもろ見え)で、男性陣に衝撃を走らせるような年齢になったとは──父親代わりみたいな気持ちの面々の心境は複雑であった。
そんな少女が──山田姫が、慌てたように去っていくのを、追っていく者は1人も居なかった。それどころか、辺りの注意は全てスーパースターズの5人に注がれている。
そんな注目を集める中、姫を追っていくことなどできるはずもなかった。
姫が彼らに気づいてすぐに取った行動は、間違ってはいなかったのである──たとえ、家に帰った後に、問答を受けることになろうとも。
ざわざわ、と、大先輩を見つめる野球部員達が、1人、2人と──やがてグラウンド中の部員達がバックネットの傍に寄ってくる。
頬を赤らめた何人かが、お前が行けよ、と互いにつつきあっているのを見ながら、微笑が苦笑を滲ませて、クイクイ、と近くに立っていた部員を指で招く。
「えっ、あ……オ、俺ですかっ!?」
ひっくり返った声をあげる少年に、あぁ、そうだ、と微笑が頷く。
周りから羨ましそうな目で見られながら、おずおずと1人脚を進めてくる少年に、
「しゃきっとせんかい!」
岩おにが、びりっ、と響くような怒声で怒鳴りつける。
とたん、びくぅっ、と体を震わせた少年が、見る見るうちに真っ青になっていくのに、呆れたように殿馬が岩鬼を見上げた。
「おいよぉ、岩鬼? てめぇみてぇなスーパースターに声をかけられたら、緊張するのは当たり前づらぜ。勘弁してやれづら。」
「むっ、ん、まぁ、そりゃー、仕方ないわなぁ。」
顎に手を当てて、そう嘯く岩鬼に見えないように、ヤレヤレ、と肩を竦めた殿馬の隣から、微笑がいつも笑っている顔を更に和ませて、岩鬼のほうを、おどおどと見上げている少年に声をかけた。
「あのさ、さっきの彼女……なんで制服姿で球を投げてたのか教えてくれるかい?」
「いい球を投げてたけど──野球部員じゃないんだろう?」
微笑の後に続いて、山田も穏かに首を傾げて尋ねる。
5人の誰もが、姫が野球部員でないことは知っていたが、それは決して口に出さない。
ここでしなくてはいけないのは、「明訓高校に喝を入れにきたら、なんだか女子高校生にマウンドジャックまがいなことをされていたのを目撃した」フリである。
もしそうせずに、「実はアレ、俺の娘なんだ」と暴露してしまったら、姫に先1ヶ月は口を利いてもらえない可能性もある。
「──……ぇ、あ、い、いや……あの子は、その……マドンナというか……っ。」
なぜか慌てたように益々顔を赤くする少年に、怪訝気な表情で里中が顔をしかめる。
「マドンナ??」
言いながら、なぜか視線は殿馬に集中する。
「アイアンドッグス」の「マドンナ」にアタックされ続けている殿馬は、そんな四人の視線を受けても、顔色一つ変えることはなかったが。
「って、そのマドンナなわけないやろがっ!」
同じように殿馬に視線をやった自分のことを棚にあげ、岩鬼はそんなことを叫んだ。
頭の上から落ちてくる罵声に、ヒョイと首をすくめた里中は、気を取り直して少年を見やった。
「で、あの子がどうして練習用のマウンドに立ってたんだ? 入部テストをするにしても、さすがにスカート姿っていうのは……まずいんじゃないか?」
最後の一言にどうしても険が篭ってしまうのは仕方がない。
何せ、実の娘が、思いっきり赤の他人の、年頃の男子生徒の前で生パンツをさらしたのである。
同じ思春期の時期に、合宿所という男の園状態の中で過ごしてきた彼らにも覚えがあることだが──今夜の「おかず」にされてしまうことが確実に生々しく見えるからこそ、「親」としては、複雑な気持ちにならざるを得ない。
──あれほどバタバタと暴れるのなら、やはりスパッツを強制的に履かせるべきだった。
山田と同じことを里中が考えているとは露しらず、群れとなっていた野球部員の集団の背後のほうから、手があがった。
ガタイの良い男たちの後方で、ピョンピョンと跳ねながら、
「違います! あれは、山田さんが勝手に……っ!!」
ヒラヒラ、と自己誇示をするように叫んだ少年が手を左右に振る。
その主を求めて、自然と人垣が割れていく。
左右に割れた人垣の向こうから、手を振り回した少年の姿がポッカリと現れた。
あまりにも見事に開いた人垣──視界に、少年はキョトンと目を見張って動きを止めた。
五人の目の前に出る形になった野球部員──さきほど姫の後ろで、まともに彼女の下着を目撃していたピッチャーである──は、テレビの中でしか見れない有名人達を正面に、ボッ、と湯気が出るかと思うほど一瞬で、耳まで真っ赤になる。
珍しく純真な反応づらぜ、と殿馬がぼやいた声は、岩鬼がバックネットにガシャンと指を立てた音にかき消される。
「ボケーッ! 何言うとんねんっ! やぁーまだが勝手に何をさらしたっちゅうのや! コイツは、ずーっとココにおったでっ!? このノロマが、あない遠くにいってすぐに帰ってこれるわけがないやろっ!!」
叫びながら、岩鬼は片手で山田の頭をガシリと掴む。
その手をすかさずベシリと叩き落として、里中は呆れた顔で岩鬼を見上げる。
「誰も、俺の山田の方だって言ってないだろ。」
呆れたような里中の言葉に、突っ込むような人間はとりあえず居なかった。
こういう里中の台詞に、負けじと突っ込む岩鬼が、現在おかんむり中だから──とも言う。
山田が苦笑を滲ませながら、里中をジロリと睨む岩鬼に声をかける。
「岩鬼、俺のことじゃないって。」
それから改めて、バックネットの向こう──グラウンドで萎縮している部員達に穏かな目を向けると、
「それで? つまり、彼女が勝手にグラウンドに入ってきて、球を投げたってことなのかい?」
そう聞いた。
……聞きながら、勝手にグラウンドに入って投げるなんてことを、姫がするのかなぁ、と思う気持ちがないわけでもなかった。
もしかしたら、部員達が無理矢理姫をグラウンドに引きずり出したのではないか──そんな推測がなかったわけではない。
それは、他の4人しても同じだった。
けれど、そう思うには──どうして「姫」がグラウンドに引きずり出されたのかが理解できない。今の会話の感じからすると、「山田姫」が、「山田太郎」の娘だとばれたような雰囲気はないようだし。
とすると、どういうことなのだと、5人の視線がピッチャーに集まった。
その視線を受けて、ますます血が上るほど赤くなりながら、ピッチャーの少年は萎縮する。
「──……ぁ、いや……あの…………。
彼女が、突然……。」
本当のことを話そうか、どうしようか──そんな迷いをもって、少年は顔を俯ける。
学校1の美少女に「バカにされた」なんてことを、平気で口に出せるほど──しかもエースピッチャーである自分の球を──プライドがないわけではない。
「突然?」
穏かに……けれど突きつけるように尋ねる山田の声に答えたのは、野球部員ではなかった。
「間宮君は悪くないんです! あの子……山田さんが、突然、間宮君の球をバカにしたんですっ!!!」
甲高い声だった。
声につられたように視線をずらすと、先ほどまで練習用マウンドの近くに居た少女達が、コチラへと駆け寄ってきていた。
彼女達は、五人から少し離れたところに立って、頬を赤らめながら、肩に緊張を走らせ、キュ、と胸の前で手を握り締める。
「……間宮君って……このピッチャーの彼だよな?」
微笑が眉を顰めて、チラリ、とグローブも嵌めていない──彼のグローブは、姫が地面に置いたままになっている──ピッチャーを見やる。
その視線を受けて、少年は居心地悪げに身じろぎする。
彼は、口を開こうとしては閉じて──助けを求めるように、バッテリーを組む相手であるキャッチャーに視線をやった。
キャッチャーの少年は、間宮の視線を受けて、なんとも言えない顔をして左手を見下ろす──キャッチャーミットをつけてない手は、まだヒリヒリと真っ赤に腫れていた。
なかなか口を割らないキャッチャーの少年とピッチャーの少年に業を切らしたのか、間宮のファンの少女が、キュ、と唇を引き結び、勇気を出して足を踏み出す。
「山田さんが、間宮君の球が遅いって言ったんです──そんなんじゃ、速球投手じゃないって! 自分の球のほうがよっぽど速いって!」
「草野球選手よりも下だとか、バカにしたんです!」
1人の少女を援護するように、別の少女も口を割る。
瞬間、ギュ、と間宮は拳を握り締め、横に立っていたキャッチャーの少年は暗い表情で自分の左手を見つめた。
球の重さは男であるエースピッチャーには適わなかったが、手にビリリと来るほど速かったことは本当である。
バカにされた──と思ったが、あれほどの球を投げられるのなら、バカにしてもしょうがないような気がする。
なんと言っていいものか──困惑の表情を宿すほかの野球部員達が、小さい声で、バッテリー2人に、「本当か?」と確認する。
それに、間宮はギリリと爪が食い込むかと思うほど強く拳を握り締めるばかりで、答えることはなかった。
そうして、その少女達の訴えを耳にした五人はと言うと。
「………………………………親子やな。」
ボッソリ、と呟いてバックネットから指を離して岩鬼。
「母子づらな。」
頭の後ろで手を組み、呆れたように殿馬。
さらに続いて、
「──似てるなぁ。」
懐かしむように、笑みを口元に刻みながら山田までもが、そう呟いた。
とたん、「覚えのある張本人」が、そんな山田に非難を呟く。
「って、なんだよ、山田まで……っ。」
声が小さいのは、ココがドコであるのか理解している為である。
これらの意味が分からないのは、1年次の転入生である微笑くらいのものである。
──里中が入学当初、姫と同じようなことをエースピッチャーにした、という事実は、当時の明訓ナインの心に鮮明に刻まれているのだが。
「いや、だって──な?」
「づら。」
山田が笑いながら首を傾げ、殿馬が頷くのに、里中は憮然とした表情で──しかしそれ以上文句を言うことはなかった。
自分だって、「親子だなぁ」と思ったからである。
ただ1人、意味が理解できない微笑だけが、
「は? 何が??」
勝手に納得している三人に、ひたすら首を傾げ続けたが、後でな、と山田に囁かれて、とりあえずは疑問を治めておいた。
──おそらく、その「後で」は、里中の妨害により成り立たないものと思われたが。
「………………で、それはそうと、これをどう収拾つけるよ?」
とりあえず何事なのかは分かった。
分かったが──娘の収拾をつけようがない事実はどうしようもなかった。
さて、なんと言って逃れようかと、微笑がグルリと怒った少女達と、困惑顔の野球部員を見回した瞬間であった。
「あっ、あのっ!」
少女達の後ろから、ワタワタとした声があがった。
顔を真っ青にさせた少女が1人──慌てながら目を白黒させて、必死に少女達を押しのけて、足を踏み出す。
目の前に立つプロの野球選手の姿に、ビクリッ、と大きく体を震わせて──それでも彼女は、決死の覚悟で唇を一文字に結んだ。
その少女の顔に──山田と里中は覚えがあった。
直接会ったことはない。
けれど、娘の携帯の待ち受け画像に入っていたから、毎日のように見ている顔だ。──確か、高校に入って初めて出来た友人だと言っていた。
その少女が、一同の鋭い眼差しを受けて──しり込みしつつも、必死に言い募りはじめる。
「あのっ、や、山田は、バカにしたんじゃなくって、真剣だったんだと思うんです……っ! ……って、いや……あの…………い、言い方は誉められないけど………………。」
ギロリっ、と睨みつけてくる背後の先輩女子達の視線に、泣きそうになりながら、それでも彼女は続けた。
「山田、本当に野球が好きなんです。お父さんもお母さんも野球が好きで、家族ぐるみで野球好きで、よく東京ドームとか行ってるって話も聞くし……っ。」
言いながら、彼女はダラダラと脂汗を掻きつつ、必死に手振り身振りで訴える。
野球部員も睨みつけてくる少女の視線も、彼女の背中にビシビシと突き刺さった。──けれど、もう引き下がるに引き下がれないのか、彼女はそのまま続ける。顔は赤く火照り、体は震え始めている……でも彼女は、滑り出した言葉を続けていった。
「だから、山田は、本当に野球が好きで──高校入った時だって、ソフトボールに入ろうか野球部のマネージャーになろうか、ずっと考えてて……時々、マネージャーとコーチを間違えてるんじゃって思うこともあったけど、でも、これだけはあのっ、本当なんですっ!」
叫びながら、彼女はもう、自分が何を言っているのか分からないようであった。
でも、なんとかして友人の釈明をしようとしている気持ちは伝わってきた。
──これだけの敵視を身に受けて、それでも姫を庇おうとしているのだから……いい友人を持ったなぁ、と、しみじみと感じ入る山田と里中であった。
「よぅ東京ドームに来とるって、そりゃ来とるやろ。
姫はスーパースターズの大ファンやからのぉ。」
「大ファンって言うか──……まぁ、大ファンか。」
うんうん、と少女の声を聞きながらなにやら一人納得してみせる岩鬼に、微笑が軽く首を傾げる。
姫が学校でどう言っているか知らないが、確かに、「お父さんもお母さんも野球が大好きで、家族で東京ドームによく行っている」も正しいことは正しい──上手く表現するなぁ、と感心するほどだ。
「山田は、本当に悪気はなかったんです! ただ、あの──失礼ですけど。」
そこで一度、ゴクリ、と少女は喉を鳴らして、スーパースターズの5人衆と、野球部員を見やった。
──言いたくない、これを口にしてしまったら、自分は明日から野球部ファンに嫌がらせを受けてしまうかもしれない。
でも──あの美少女の友人が、大好きなプロ野球選手に「イヤな子」と思われるのだけは、避けさせてあげたい。
その思いで勇気を出して、少女はキュ、と手を握り締めた。
キッと目を上げて。
「山田は、小さい頃からそういう野球好きな両親と一緒に、プロの試合をずっと見てきたんだと思います。だから、山田は──その、選手の悪いところとか、そういうのを見抜くのがすごく上手いんです。実際、この間の球技大会のときに、ソフトボール部のキャプテンの癖を見抜いたのは山田だったし。
──その、言い方はすごくまずかったと思います。山田、ストレートな言い方しかできないし。
でも、言ってることは……正しいと思うんです。
間宮先輩の足腰が弱いから、スピードが乗らないし持久力もないって──あと、ヒジの使い方が上手くないから、手元で伸びなくなると前に言ってました。
…………それって……正しい……ですよ…………ね?」
一気に言い募りながら──けれど、だんだんと野球部の厳しい眼差しに負けて、おずおず……と、少女はプロ野球選手を見上げて、首を竦めた。
「何言ってるのよ、あんたっ!」
「間宮君へのただのイヤがらせなんじゃないのっ!?」
背後から、やいのやいのと少女たちの甲高い声があがった。
それを聞いて、更にますます身を縮める少女に、困惑した色を乗せるのは、野球部の三年生達であった。
「………………間宮の……足腰……。」
「そう言えば、今年の球技大会で、ソフトボール部の南が、一年生クラスに打たれまくったって……。」
ボソボソ、と野球部員たちがグローブで口元を抑えながら囁きあう。
そんな彼らの脳裏には、あの美少女のパンチラではなく、彼女が投げた快速球が蘇っていた。
キャッチャーも、まだヒリヒリした感触の残る手の平を、無言で見下ろしていた。
そんな野球部をチラリと見てから、姫の友人は期待に満ちた目でプロ野球選手たちを見上げる。
どうか、「姫の言っていることは正しい」と言って欲しい……そんな期待に満ちた目を受けて、
「足腰が弱くて、ヒジがなってない──、ね。」
微笑が、意味深にニヤニヤ笑いながら顎に手を当てて呟く。
「そんなもん、見てわからんやつぁ、凡人、凡人。」
ペタペタ、と微笑の頭を叩いて快活に笑う岩鬼へは、
「見て分かることづらが──普通よぉ、そういうのを指摘するのは監督の役目づらぜ?」
そう言いおいてから、殿馬はチラリとバックネットの向こうに勢ぞろいしている野球部員たちを見やった。
「確かによぉ、おれらがテレビで見た限りじゃ、エースの足腰は弱えぇづらな。ボールを離すのも早かったり遅かったりづらで、コントロールもあめぇ上に、手元でのびねぇホームランボールづら。」
「……っ。」
辛らつな台詞を零す殿馬に、びくっ、と間宮が体を震わせる。
「そうそう、殿馬よ、お前も分かるようになったんやなぁ。」
しみじみと呟く岩鬼に、殿馬が微かに顔をゆがめたのを理解したのは、付き合いの長い連中だけであった。
「……まぁ、正直な話、俺たちがココへ来たのも、少し練習方法を見させてもらおうと思うところがあたっていうのも……あるかな。」
山田が苦笑を滲ませてグラウンドに居る野球部員を見回す。
その面々の顔に、なんとも言えない表情を見て取って、山田はますます苦い笑みを貼り付けた。
──本当に両親に似たなぁ……姫は。
山田がそんなことを思いながら、チラリ、と隣に立つ里中を見下ろす。
その里中は、腰に片手を当てながら、姫の友人にニコリと微笑んで見せた後、
「まぁ、たかが女のたわごとだと、お前らがそれを聞き逃すか、逆に彼女のその観察眼を買ってコーチになってもらうか──お前たちの気持ち次第だぜ。」
野球部員を一通り見て、締めくくるように言い切った。
その里中の言葉に、ざわ、と、新しいざわめきが野球部員の中に生まれる。
姫の友人が、驚いたような顔で里中を凝視するのが分かった。
里中の「言いたいこと」を的確に理解して、にやり、と微笑は口元に浮かんだ笑みを手の平で覆い隠しながら、難しそうな顔を作り上げる。
「まぁ、確かに、今の明訓の監督は……ちょーっとばかり、頼りないから、それもアリかもね。」
今の監督の顔を思い浮かべて──ニヤニヤ笑いを深めながら、微笑はあえてそう口にした。
事実──このピッチャーやキャッチャーのスタミナのなさを、放っておいた練習方法に忠告をしたい気持ちがあってココへ来たこともあったので、里中の「名案」を後押ししてやるのに、ためらいはなかった。
もちろん、「姫」が野球部にかかわりたいと思っていると言うのなら、殿馬や岩鬼、山田も里中の名案に反対するつもりなどない。
「いっそ、あのどブスをピッチャーにしたらええんちゃうか。それこそホンマに、里中二世やな。」
「公式戦に出れんずらぜ。」
合いの手を入れるのも早い殿馬に、わかっとるわい、冗談やろがっ、と岩鬼が叫ぶ。
そんないつもの風景を横に、山田は少し体を傾げるようにして里中に顔を近づけた。
「まぁ──でも、何はともあれ、上手くことが運びそうだな、里中。」
「姫のことか? そうだな──ま、今年は無理でも、来年は姫の活躍次第では、甲子園優勝も……夢じゃないかもな?」
コツン、と腕で山田の腕を突付いて、里中が小さく笑う。
そんな彼に笑い返して──、
「そうだな……何せ、俺たちの娘だからな。」
──やっぱり親バカっぽい一言を零してみたりするのだった。
もしかしたら、来年の甲子園の球場で──自分達が活躍した、あの場所で。
他ならない娘が、明訓のユニフォームと帽子を被って、土井垣縁のササラ竹をしならせる姿が、見れるかもしれない。
そう──明訓高校初の、女子高生コーチ……として。
+++ BACK +++
ちなみに娘は、土井垣さんがあこがれの人です(笑)。