放課後──先週借りた本を図書館に返しに行く、という花と途中で別れて、京子は駅前のケーキ屋、ラ・ナミモリーヌに来ていた。
今月の新作ケーキを、ハルと一緒に食べる約束をしていたのだ。
時計を気にしながら近づいたケーキ屋の前──緑中の制服に身を包んだハルが、滅多にお目にかかれないくらい真剣な顔で、イーゼルに立てかけられた、今月のケーキ紹介が書かれた黒板を見ていた。
「ハルちゃーんっ! お待たせっ!」
手を上げて呼びかければ、ハルはピョコンとポニーテールを揺らして、満面の笑顔で京子を振り返る。
「京子ちゃんっ! スゴイですよ! 今月の新作ケーキ、二つもあるんですぅ〜!」
ブンブンと両手を振り回して、興奮を露に語るハルに、京子は駆け寄ったその足で、ええっ、と慌てたようにカラフルなチョークで描かれたボードを覗き込む。
「あぁっ、本当だっ! 二つあるねっ! クランベリーのレアチーズケーキと、チョコモンブランっ! わー、どうしよう、迷うね。」
「そうなんですぅ〜、ハルもさっきから、ずーっと悩んでいて……。
恒例のミルフィーユも外せないし、でも、新作も両方食べてみたいんですぅ〜。」
「うんうん、分かる、分かる。」
二人は一緒になって頭を付きあわせて、ショーケースに並ぶケーキを眺めながら、むむぅ、と眉を寄せ合う。
「けど、ハルはモンブランラブですから、やっぱりチョコモンブランをと思うのですが、でもでもっ、レアチーズケーキも捨てがたいですぅ〜っ。」
言いながらハルは、自動ドアのこちら側から、店内に見えるショーケースを睨みつける。
遠目に見えるショーケースに並ぶケーキは、どれもこれも艶やかで綺麗で、ガラス越しだと言うのに、おいしそうな甘い香までしてきそうだった。
見ているだけで涎が出てきそうな気がして、ごくん、と二人は生唾を飲み込んだ。
「三つ、と言いたいところだけど、ケーキセットは、お好きなケーキ二つまで、だもんね。」
「そうなんですぅ〜。悩みますよね。」
「悩むね。」
うーん、と、今度は腕を組んで、同じように首を傾げあう。
けれど、悩んだのも、ほんの一瞬だけ。
すぐに二人は、間近に見える互いの顔を見て、くるん、と瞳を揺らして、イタズラ気な笑みを浮かべあう。
「京子ちゃんっ。」
「ハルちゃんっ。」
息が合った様子で、同時に互いの名前を呼び合うと、指でお互いを指差しあいながら、
「新作ケーキ、半分こしないっ?」
「新作ケーキ、半分こしましょうっ!」
──ほぼ同時に、同じセリフを、それぞれ口にして叫んでいた。
とたん、二人はキョトンと目を瞬いて……すぐに、ぷっ、と噴出して笑いあう。
「やだ、同じこと考えてたね。」
「本当ですね。おんなじことです。」
くすくすくす、と楽しそうに喉を震わせて笑った二人は、もう一度、今月の新作ケーキの説明を見ると、
「じゃ、ハルが、チョコモンブランを頼みますね。」
「うん。私は、それじゃ、レアチーズケーキを頼むね!」
にこ、と笑顔を交し合って、楽しみだね、と、二人は足取りも軽く自動ドアの前に立った。
うぃーん、とドアが開き、大きなショーケースが視界に飛び込んでくる。
途端に、京子もハルも、目の前に広がる色艶やかで美しい宝石のようなケーキに、目を奪われた。
「わーっ! とってもおいしそうですぅっ!」
「本当っ。わー、もう一つは、何にしようかなぁっ。」
二人仲良くショーケースに張り付き、本日のケーキ二種類の内の、もう一つを何にしようかと頭を悩ませる。
「むぅ、ミルフィーユにしようと思ってたんですが、このベリータルトも捨てがたいですぅ。」
「美味しいよね、このタルト! 生地がサクサクで、アーモンドクリームが、とろっって口の中で溶けるのっ!」
「うぅっ、京子ちゃん、誘惑しないでくださいよぅぅ〜。」
キャッキャッ、と、擬音すら聞こえてきそうな口調で、二人は肩をぶつけるようにして、ケーキの話で盛り上がる。
「うーん、でも、悩むよね。今日はロールケーキにしようと思っていたのに、こうして他のを見ちゃうと、違うのも食べたくなっちゃう。」
せっかくの、一ヶ月に1度の──第三日曜日だけのお楽しみの日なのだ。
心ゆくまで楽しみたい。
ケーキセットに追加して、後、1、2個くらい余分にケーキを頼むのもいいかな、と思わないでもないのだけれど。
「そうなんですよぅー……、でも、ハル、この間のランボちゃんの退院パーティの時に、ちょっと食べすぎちゃいましたから──今回は、ケーキは絶対2個で我慢しようって決めてきてたんですぅ〜。」
「あ、ハルちゃんもそうなの? 実は私もなのよ……。」
へにゃ、と、二人そろって眉を落として、ショーケースの中味を見下ろす。
ツヤツヤとおいしそうに照り輝くムースやジュレが、食べて下さい、と訴えているように見えた。
本当においしそうに見えたし──実際、美味しいのも分かっている。
だからこそ、残り一つを決めるのが、酷く至難のように感じた。
「なんで、おすしって、あんなにパクパク食べちゃえるんでしょう……不思議です。」
「山本君のお父さんのお寿司が、とても美味しいんだと思うよ。」
言いながら、二人はほっぺに手を当てて、ふぅ、と溜息を零す。
思わず脳裏に浮かんだ自宅の体重計の姿に、ちょっと唇を歪ませてながらも、それでも今日のケーキの日だけは、決してあきらめるつもりはなかった。
だって、一ヶ月も我慢したのだ!
「うーん──よしっ、私、イチゴショートにする。」
ここは定番で行こう、と、きゅ、と手の平を握り断言する京子に、慌ててハルもショーケースを覗く。
彼女の視線は、フランボワーズのムースケーキと、ホワイトチョコレートのムースケーキとの間をウロウロと揺れている。
ここまで絞ったものの、もう一つに絞ることが出来ないようだった。
ぎゅー、と目を閉じて考えるハルに、
「ハルちゃん、ゆっくり選んで……。」
いいんだよ、と、京子が肩に手を置きながらそう微笑もうとした瞬間、
「それじゃ、ハルは、ミルフィーユにします!」
──結局、いつもと同じ物を注文することにした。
今日は、店内のカフェスペースで、美味しい飲み物と一緒にケーキを楽しむつもりだったので、そのまま二人は、ショーケースの右手奥に足を向ける。
その奥には、小さなテーブル席がいくつか並んでいるのだ。
シックな中にも可愛らしさがにじみ出る、ケーキ屋さんらしい内装は、近くの中高生にも人気で──いつもカフェスペースは、たくさんの女の子たちでにぎわっている。
二人が足を踏み込めば、すでにテーブル席の多くは女の子たちで埋まっていた。
どの席に座っている子たちも、同じような制服に身を包んでいた──京子と同じ並盛の制服を着ている少女たちや、ハルと同じ緑中の制服を着ている少女たちもいる。
けれど、京子とハルのように、違う制服に身を包んだ二人が仲良く一緒に居ることは決してなく──カフェスペースに足を踏み入れた瞬間から、二人は、自然と注目を集めていた。
けれど、楽しみにしていたケーキと飲み物に関心が入っている二人は、元々の鈍感さも手伝って、全く自分たちに集る視線に、気づく様子はない。
ハルは、キョロキョロと辺りを見回して、目ざとく店内の一番奥にある、小さなテーブルを指差して京子を振り返る。
「あっ、京子ちゃん、あそこが空いてますっ。」
「本当。ちょうど二人席だね。」
にこにこ、と笑顔を交し合って、二人は仲良く店内を横断する。
そんな二人の美少女に、ものめずらしい視線が絡み付いていく。
「……あれ、アイドルじゃん。」
近くの四人席に腰掛けていた並盛の三人娘が、京子を見て呟けば、
「並盛の子と一緒にいるの、お天気娘じゃね?」
反対側に座っていた緑中の女の子が呟く。
本人たちは全く自覚がないが、実は学校でも有名人なのだ。
そのことも手伝ってか、京子とハルの二人は、ますます注目を集めた。
一挙手一動を、この上もなく注目される。
そんな中、二人は、仲良く笑いあいながら、いそいそと小さなテーブルに腰掛けた。
その様子は、どこからどう見ても、仲のいい親友そのものだった。
一体どうして、並盛のアイドルである京子と、お天気娘と有名なハルが一緒に──しかも仲良さそうにしているのか、とても興味をそそられた。
そんな熱い視線が降り注ぐ仲、二人はテーブル席に設置されたメニューを取り上げて、迷うことなく「午後のケーキセット」のページを開く。
ケーキの名前が並ぶ下に書かれた、セット内容の飲み物を指で指し示しながら額を付き合わせながら、
「飲み物は、何にします?」
「私、ロイヤルミルクティかな。」
「あ、いいですねっ! ハルはどうしようかなー? この間、京子ちゃんが飲んでたのって、何でしたっけ?」
「えーっと、この間は──そうそう、カフェラテかな?」
この間、──とは言うものの、前回ハルとラ・ナミモリーヌに来たのは、先月のことだ。
記憶をさかのぼって思い出してみたものの、少し自信がなくて京子は首を傾げる。
けれどすぐに、どうして前回自分がカフェラテを頼もうと思ったのか思い出して、うん、と頷く。
「カフェラテ、ですか。」
「うん。先月、ツナ君ちに行った時に、リボーンちゃんがエスプレッソを飲んでいてね。ツナ君のお母さんが、少し入れすぎたからって、ラテにしてくれたの。」
そうだ──その時にリボーンが、「イタリアじゃ、エスプレッソに牛乳を入れたのを、カッフェラッテって言うんだぞ」と言って、直々に牛乳を注いでくれたのだ。
まだ京子には、エスプレッソは早いだろうからな、と。
自分は赤ん坊のくせに、そうやって大人びたところが可愛らしいのだと、くすくすと京子は笑みを零す。
実際、牛乳を入れる前のエスプレッソは、濃くて苦くて、京子にはとても飲めた代物ではなかったけれど──不思議と牛乳を入れるだけで、とても美味しくて、優しい味になったのだ。
それが気に入ったから……ケーキと一緒に飲んだら、さぞかし美味しいだろうと思っていたから、注文したのだった。
「はひっ、ツナさんちで、ですか?」
いいなぁー、と、顔に満面に書かれたハルに、京子は、ふふ、と笑う。
「ちょうど、お兄ちゃんがツナ君に用があるって言っていたから、私も一緒に行ったのよ。ランボちゃんの様子も聞きたかったし。」
その時にね、──と言いかけた京子は、ふ、と、その時に見たことを思い出した。
そうだ、あの時、ツナの家には、山本と獄寺が居た。
それは、あまりにいつもの光景だったので、うっかり見逃していたけれど──。
「…………ねぇ、ハルちゃん。」
気づいたら京子は、そうハルに呼びかけていた。
「はひっ? なんですか、京子ちゃん?」
不思議そうに、ぱちぱち、と瞬きをするハルに、京子はどうしようかと言うように、顎に手を当てて、目を伏せる。
ハルは、そんな彼女に、くり、と小首を傾げた。
「あ、あのね──。」
それでも──ハルだって、ツナ達と仲がいいのだから、ここで黙っておくわけにはいかない、かな? と思った京子は、今日、学校で聞いたばかりの事を話しておこうと、意を決して口にした瞬間だった。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
にこやかなスマイルで、ことん、と店員が二人の間に水が入ったグラスを置く。
からん、と丸い形の氷が水の中で揺れて、いい音を立てる。
「はひっ、えーっと。」
「ハルちゃん、飲みたいもの、決まった?」
「はいっ! ハルはカフェラッテにします。」
店員さんが伝票を構えるのを見上げて、京子はニッコリ笑うと、メニューに書かれているケーキセットを示し、
「私は、ケーキセットの、ショートケーキとクランベリーのレアチーズケーキ、で、ロイヤルミルクティでお願いします。」
「ハルは、ケーキセットで、ミルフィーユとチョコモンブラン、で、カフェラッテです。」
二人の注文を、さらさらさら、と伝票に書き示して、店員は注文を繰り返すと、ペコリとお辞儀をして、去っていく。
ヒラリと揺れるエプロンのヒモを、何とはなしに見送った京子に、
「それで、京子ちゃん? さっき、何か言いかけてませんでした?」
ハルが、水と一緒に差し出されたお絞りを、彼女の前に差し出しながら、そう尋ねる。
その声に、はた、と我に返った京子は、困ったように眉を寄せて、
「……うん──あのね、ハルちゃん。」
物憂げに瞳を揺らしながら──それでも決意の色を滲ませて、目の前の、キョトン、とした美少女を見返した。
「……実は…………。」
そうして、ようやく──今日の音楽の授業の後に知ったばかりのことを、説明し始めたのであった。
京子自身、あまり良く理解できていないことを説明するのは、少し時間がかかった。
「私は気づかなかったんだけど、何日か前から、クラスの皆の様子がおかしかったらしいの。」
「ふむふむ。」
そうやって話している間に、テーブルの上に二人分のケーキと飲み物がたどり着き、少しの間、話は大幅にケーキのことで脱線した。
新作のケーキを半分こして、はむ、と一口食べあい──興奮の赴くままに感想を言い合ったところで、はた、と二人は我に返り、
「あっ、そうでしたっ、京子ちゃんのお悩み相談をしていたんでした!」
「そうだったね、山本君と獄寺君が付き合ってるって言う話を、ハルちゃんにするんだったっけ。」
ぽむっ、と、そろったかのようなタイミングで手をたたきあった──その刹那。
「…………………………。」
ぴたり、と、ハルの動きが止まった。
「──は……はひぃ?」
目をキョトンと見張り、ハルは、呆然と目の前でニコ、と笑っている京子の愛らしい顔を見やる。
「…………や、山本さん、と、……獄寺、さん、が?」
思わず、口の中に突っ込もうとしていたケーキの欠片を、ぽとり、とケーキに落としてしまうくらいの衝撃が、ハルの全身を貫く。
そんな彼女の表情に、あ、と、京子は口を手の平で覆った。
しまった、ちゃんと準備立てて話そうと思っていたのに、つい、うっかり、結論から言ってしまった。
「あ、あのね、ハルちゃん──……っ。」
両手をテーブルにかけて、少し身を乗り出すようにして──これは決定事項じゃなくって、(多分)まだ、噂の段階で、(多分)推測にすぎなくて、と。
そう、続けようとした瞬間だった。
「はひぃぃーっ! や、山本さんと獄寺さんが、付き合ってるんですかぁぁーっ!!!?」
ハルが、店内中に響き渡るかと思うほどの、大絶叫を放ったのは。
途端、一斉に周囲のテーブルから視線が集る。
近くに居た並盛生からは、ざわっ、と大きなザワメキが起きる。
「山本と獄寺って……え、武と隼人のこと、よねっ?」
「そういや、二年生の間で、あの二人が付き合ってるって言う噂があったけど……。」
「ええvv うっそvv あの二人が付き合ってるって、マジだったのぉっ?」
戸惑いの声のほかにも、なぜか歓喜の悲鳴までもが聞こえてきた。
「はっ、ハルちゃん、落ち着いて。まだ、そうと決まったわけじゃないの。」
慌てて京子が、ハルを制止するが、
「はひ……デンジャラスですぅ〜。
まさか、山獄だとは思わなかったですぅぅ。」
ぎゅぅ、と胸の前で手を握り締め、ブンブンと頭を振るハルには、全く届いてはいけなかった。
「……や、やま、ご、く?」
聞きなれない言葉に、ゆっくりと首を傾げる京子に、はひっ、とハルは叫ぶと、
「そうです! ハルはてっきり、獄寺さんはツナさんラブぅ〜、ですから、獄ツナだと思ってたんですぅっ!」
きゅぅぅぅ、と拳に力を込めて、ハルは力説する。
まさか、山獄だとはっ! ──と、興奮ぎみに叫ぶハルに、京子は目をパチパチ瞬く。
「ご……、ごく、つな?」
更に分からない単語が出てきて、京子は更に首を深く傾げる。
「うーむぅ、男同士のラブは、デンジャラスです! 山本さんが獄寺さんラブぅ、なのは、ほぼ確定だと思ってたですが、まさか、獄寺さんがそれに応えてるとは思わなかったです。」
ここに、山本や獄寺がいたら、口から毒を吐きそうなくらいショックを受けそうなことを、ハルは真剣な表情で口にする。
「……えー、と。……山本君と獄寺君は、仲がいいとは思ってたけど。
……本当に、恋人同士、なの?」
まさか、花だけではなく、ハルまでもがそういうなんて。
やはり、自分が気づかなかっただけで──鈍い鈍いと、普段から花に言われているだけに、自分が鈍感なのは、十二分に自覚していた──、本当に、あの二人がそういう関係だったのだろうか。
京子は、困惑気味に瞳を揺らして、目の前で興奮のさなかにあるハルを見やった。
「うぅーん、それはハルにも分からないです。
だって、ハルはずっと、獄ツナだと思ってましたから! あ、いえっ、獄寺さんの片思いに違いないですから、獄→ツナですねっ!」
そうです、ツナさんが、獄寺さんに応えるはずはないですからっ! ──と。
自信満々に言い切るハルの顔を、京子はただ、困惑気味に見つめるしかなかった。
「──あ、でも、京子ちゃん?
どうして、山本さんと獄寺さんが恋人同士だって分かったんですか??
ま……まさか、現場っ! を見ちゃったとかっ!? きゃーっ! デンジャラスですぅーっ!!」
バシバシバシッ、と、テーブルの端を叩いて、興奮を通り越して
思い返せば、今日は本当に、いろいろと大変だった。
あの音楽の授業の後──山本と獄寺とツナは、放課後になるまで授業に出ることはなかった。
その間、授業中も休み時間中も、女子と一部男子は、それはそれは興奮しきりで──途中、携帯カメラを構えた女子が、「現場を見に行くーっ!」と言っていたのだけれど。
現場、と言うのはもしかして──それと同じことなのだろうか?
「……現場、って……?」
「もーっ、やだっ、京子ちゃんったら! そんなこと、可憐な乙女のハルの口から言わせないで下さいよぅぅっ。」
きゃーっ、と、両頬を手の平で覆って、顔を真っ赤にさせるハルに、京子は、ますます不思議そうに首を傾げた。
「でも──えーっと。
二人が恋人だって分かった理由って、言われても……。」
そもそも、どうしてそういう噂が蔓延していて。
どうして二人が恋人同士なんていうことが、当たり前のように語られているのか、京子にもサッパリ理解できていないのだ。
何せ、あの二人が恋人同士として付き合っている、というのを聞いたのも、音楽の時間の次の時間に、花から聞いたのが初耳だったのだから。
どうしてあの二人が付き合っていると言う話にだったのかしら、と。
京子は人差し指を唇に押し当てて、思い出そうとした──その瞬間。
「そう……隼人は、あの山本武と付き合っていたの──。
それは知らなかったわ。」
突然、真横から、聞きなれた大人びた美声が聞こえてきた。
「はひっ!? ……び、ビアンキさんっ!?」
「ビアンキさんっ! あれ? え? いつから??」
驚いたように顔を跳ね上げた二人の少女の視線を受けて、いつの間にかハルの隣の席を陣取っていた美貌の娘は、ふ、と口元に笑みを刻んだ。
そして、優雅な手つきで、ハルが頼んでいたカフェラッテを持ち上げると、まるでモデルのような仕草で、くい、とカフェラッテを口に含む。
そうして優美な眉を軽く顰めると、
「ぬるいわね。」
小さく文句を零し──それはそうだ。運んできてもらってから、ハルと京子がおしゃべりに興じていたのだから、冷めていて当たり前だろう。
「はひぃっ! す、すみませんっ、今、ビアンキさんの分も頼みますっ。」
慌ててハルは立ち上がり、片手をあげて店員を呼ぶ。
そんなハルを見上げて、
「あら、悪いわね、催促したみたいで。」
ビアンキは悪気のない表情で、さらり、と長い髪を肩に払いのける。
ここにツナが居たら、「催促してただろっ」と突っ込んだだろうが、残念ながら天然しかいなかったため、誰も突っ込むことはなかった。
「いえ、全然問題ないですぅっ。」
ハルは、にこにこっ、と笑ってビアンキに返し、京子はメニューをビアンキに渡しながら、ここのオススメのケーキは〜……と説明を始める。
そうして、また一通り楽しげに会話を弾ませ、到着したビアンキの分のケーキと飲み物がテーブルに到着した後、ビアンキはカップを持ち上げて。
「それで? あなたたち、今、面白い話をしていたようだけど?」
くい、と形良い顎をしゃくり、先を促す。
その言葉に、一瞬、「今?」と首を傾げあったハルと京子だったが、すぐにビアンキが言っていることの意味に気づいた。
「あっ! あ、ご、獄寺さんのことですかっ?」
あわわわ、と、ハルは口を震わせる。
何せ、隣に座るビアンキは、腐女子たちの噂の只中にいる獄寺の、実の姉なのである。
その目の前で、実の弟が男と恋仲だなんて話をするなんて──、いくら常識が吹っ飛んでいるハルでも、ダメなことだと言うのは分かった。
「あっ、あのですねっ、あれは、ただの噂話だって、京子ちゃんが……っ!」
ブンブンと手を振りながら──はひー、わたしも、獄ツナとか言っちゃってましたーっ、と、ハルは内心、大慌てに慌てながら、ビアンキに必死に説明しようとする。
が、しかし。
ビアンキは、ふ、と笑みを口元に刻むと、
「隼人がまさか、あの山本武に恋をするとは思ってもいなかったわ。」
人は、愛に生きるべきだわ、と──それを持論とするビアンキは、大人びた笑みでいい香のするエスプレッソを飲む。
「えっ、い、いいんですかっ? それでもっ?」
思わずハルがきちんと膝に手を置いて問いかければ、ビアンキは耳に髪を引っかけながら、
「愛する弟が、かけがえのない愛を知るのは、とてもいいことだわ。
それが禁断の愛だと言うなら、なおさら燃えるわよね。」
──まぁ、あの山本武には、それ相応の……隼人を禁断へと導いたことへの責任は、しっかりと取らせるとして。
例えば、「隼人への愛があれば乗り切れるはず」だと、愛のポイズンクッキング地獄に押し込むとか。
愛は愛。
姉としては、あの弟がせっかく知った愛を、邪魔するつもりは(それほど)ない。
「び……ビアンキさん、大人ですぅ〜。」
「ビアンキさんは、応援してるんですね。」
はひー、しびれますぅ、と呟いたハルが、感動の余り両手を握り締める。
京子は京子で、すっかり、ことの発端はただの噂話であって、真実だとは限らないということを忘れ、にこにこ、と微笑を浮かべる。
そんな二人に、ビアンキは優しい笑みを浮かべると、
「それにしても、山本武、ねぇ。
──私はてっきり、シャマ隼だと思っていたわ。」
爆弾発言を投下した。
「……しゃ、しゃま??」
って、誰ですか? ──と、ハルが頭の上にハテナマークを浮かべる前で、ビアンキは、そ、と憂い気な溜息を零す。
「あの子、昔からシャマルのことが大好きだったし、シャマルもシャマルで、男は嫌いとかいいながら、隼人のことには親身になっていたから──てっきり。」
これはあれね。応えてくれない遠い相手よりも、近くにいる自分のことを愛してくれる相手、ということね。
と、ビアンキは、それはそれでいいものだけれど、真実の愛というのは、難しいものねぇ、と続けた。
「──シャマル、って、どこかで聞いたような……?」
「はひぃ……ど、どこですか、京子ちゃん?」
ここで出てきた知らぬ名前とカップリングに興味を示したハルに、京子は少し考えるように視線を彷徨わせた直後、
「──あ、そう、学校の保健室の先生がそうだったかな。」
思い出したように、そう呟いた。
とたん、ハルの脳裏にも、タレ目の無精ひげの男が、ぽん、と浮かび上がった。
「あーっ! あの人ですかっ? あの、セクハラ男さんっ!」
思い出した男は、いつも京子やハルを見ると、ナンパな口調で擦り寄ってくる──油断大敵なセクハラ男だ。
けれど、確かあの男は、女の子大好きだと公言していたような覚えがある。
その男が、獄寺と話しているのは、何度か見た事があったけれど──いや、それを言うなら、ツナやリボーンちゃんとも普通に話していたけれど。
「獄寺君、シャマル先生のことが好きだったのね。」
京子が、にこやかな微笑を浮かべて、自分のロイヤルミルクティーを口にする。
「は……はひぃぃっ! それが本当なら、シャマルさんと、山本さんで、獄寺さんを巡る三角関係ってことですかぁぁっ!?」
デンジャラスですぅーっ! と、ハルが慌てたように叫べば、あら、とビアンキは視線をあげる。
「隼人は、山本武を取ったということでしょう? 二人が恋人同士だと言うのなら。三角関係にはならないんじゃないの?」
「ええっ? で、でも、獄寺さんは、シャマルさんのことが好きなんですよねぇ? なら、山本さんの片思い? けど、シャマルさんは女好きですから、獄寺さんは片思いで……ええ? 一方的な三角関係???」
ハルはなんだかワケが分からなくなった気がして、うーん、と腕を組んで首を傾げる。
そもそも、この話の発端は、何だったっけ? ──と思うような展開だ。
そんな三人の娘たちの会話の近くで、並盛の制服に身を包んだ少女たちが、興奮した面持ちで、ヒソヒソと額を付き合わせる。
その頬は淡くピンク色に輝き、目も口元も笑みの形に染まっていた。
「……ねぇ、シャマル先生って、あの校医のエロ親父のことよね?」
「獄寺君は、あの男が好きってことーっ!? うそっ、新事実じゃんっ!?」
すでにケーキを突き刺すことをやめたフォークを、ぎゅ、と握り締めて、彼女たちは悲しみや喜びに表情を染める。
「そういえば、獄寺君の髪形って……あの校医に似てない?」
「……う……そ、そういえば……。」
がーん、と額に青筋を描いて、少女たちはショックに打ちひしがれる。
そんな中、
「で──でも、今、隼人が付き合ってるのって、武なんだよねっ!?」
「そ、そうよ! 黒川さんも言っていたもんっ! きっと、隼人が、あの校医の余りの女好きっぷりに、嫌気が差して、武に心変わりしたのよ!」
一部の面々が、気を取り直したように叫ぶ。
「えっ、じゃ、やっぱり今の獄寺君の恋人は、山本君でいいってこと?」
「あったりまえじゃない、だって、ペアリングしてるんだもーんv」
「しかもそれ、獄寺君が武にあげたんでしょーっ!? もっ、愛よ、愛よねーっ!」
バシバシバシッ、と、興奮冷めやらぬ態度で、隣の少女の肩を叩く少女に、ちょっとやめてよー、と言いながら、叩かれているほうも楽しそうだ。
そんな並盛の女子に、隣のテーブルについていた緑中の女子が、椅子の背もたれごしに、こっそりと話しかける。
「ね……ねぇ。その……、獄寺君と山本君? っていう人、って、どういう人、なの?」
なんだか、腐女子センサーが触れるような内容に──そして、緑中の有名なかわいいお天気娘が、当然のように知っているらしい内容に、興味を引かれたのだろう。
恐る恐る尋ねた少女に、並盛女子は、嬉しそうに口元を緩めた。
「うふふ……うん、あのね〜。」
そして、自分のカバンの中から定期入れを取り出すと、そこに入った生写真──並盛中学内で、1枚200円から発売中──を、緑中の子に見せる。
「こっちの銀髪が、獄寺君でー、こっちの背の高いユニフォーム姿のが、山本君っ!」
「この山本君が、攻めで、獄寺君が受けなのーっ! ツンデレ受けなのよーっ!」
きゃーっ、と盛り上がる並盛中の女子の言葉に、緑中の子の目が大きく丸くなった。
「……か、格好いいーっ。」
「やだ、何、綺麗系の美少年と、格好いい系の美青年のコンビって言う感じの見た目はーっ!」
「うっそーっ、本当にこの二人、恋人なのーっ!?」
そうして、緑中の女子は、一斉に定期入れにかぶりつき、並盛中に負けないくらいの悲鳴をあげた。
この二人が、恋人同士なんて──どれほど見た目に優しいカップルだと言うのだろうか!
スゴイ、素敵すぎるっ!!
「やだもーっ、信じられないーっ!!!」
喜びの悲鳴をあげる一同に、でしょでしょーっ、と、並盛女子がそれに同意して、同じような黄色い悲鳴をあげる。
「見たいっ、その子たち、生で見たいぃぃっ。」
「も、ぜひ、見にきてーっ! ──といいたいところだけど、うちは風紀委員が厳しいものね。」
あぁ……この喜びを、生で見る獄寺のツンデレぶりをっ!(とは言うものの、獄寺のデレが発揮される相手は、山本ではなかったが) どうして見せてあげられないのだろうかっ!
そう、萌えを伝えられない苦しみに、悶える並盛女子に、「私たちも見たいーっ!」と、緑中女子が悶えて応える。
──両中学の女子が、萌えの悶えに、応えあった瞬間であった。
中学生たちが、三人娘の会話に、身もだえ、震え、喜んでいる只中で、問題発言をした一同は、普通にケーキをつつきながら、問題の会話を続けていた。
「はひー……男同士の恋愛事情は、デンジャラスですぅぅ。」
ハルが、ひぃぃ、と、恐ろしい三角関係成立に恐怖すれば、
「それにしても、まさかあの隼人が、山本武に惚れるなんて思っても見なかったわね。……しょうがないから、山本武には、もう少し優しくしてやろうかしら。」
特別に、姉と呼んでもいい許可をあげないと──と、ビアンキは目を細めて嘯く。
そんな二人に、ニコニコ笑っていた京子は、ふ、と、
「そう言えば、山本君と獄寺君のことを、ツナ君は知ってるのかな?」
今更ながらに、そのことに気づいた。
──というか、山本と獄寺が付き合っている、という噂が出てから初めて、「ツナ」と言う名前を出した人物だとも言える。
誰も彼もが、その二人の存在に興奮する中、すっかりツナの存在自体を忘れていたが──そういうわけにも行かないだろう。
「ツナさんですかっ!? うーん、それはどうでしょうっ? 獄寺さんの、あっつーい視線にも気づいていない様子でしたし、やっぱり、気づいてないと思います……っ! ──って、ああっっ! でも、獄寺さんは、本当はツナさんに、ホットな視線を送っていたわけじゃなかったんでしたっけ! 山本さんとラブぅ、なんですものねっ。」
うぅ……ますます分からなくなりました、と、眉を落とすハルに、ビアンキが、ヒョイ、と片眉をあげた。
「隼人がツナを愛しているのは、恋愛の愛じゃなくて、ただの敬愛の愛でしょう? だから、愛は愛でも、何よりも重視しなくてはいけない愛とは、種類が違うわ。」
そうして、「ここだけ」は、正解しているに違いないことを、妖艶な笑みとともに告げてくれた。
──ただし、
「隼人が今、そういう意味で愛しているのは、山本武なのでしょう?」
続けてくれた言葉は、まったく誤解だったが。
「はひっ! そ、そうなんですか、やっぱり。
ハル的には、獄寺さんがライバルじゃなくなって、安心というか、残念というか……。」
微妙な乙女心をもてあまして、何ともいえない顔で、ハルが呟いた瞬間。
「あの激ニブなツナが、気づいてるはずはねーぞ。」
またもや聞きなれた声が、今度は京子テーブルの上から乱入した。
はっ、と、三人が視線をやれば、テーブルのメニューの上──テーブルに着いたときから存在していた、妙に大きな砂糖入れが、くるりと回転をした。
「えっ! い、今、リボーンちゃんの声がしたようなっ!?」
「リボーンっ! あぁっ、どこにいるのっ!?」
慌てたように見回す女たちに、砂糖入れの中央に、どん、と顔を見せたリボーンが、にやり、と口元を笑みに刻むと、
「それにしてもお前ら、俺を抜きで、ずいぶん面白い話をしてるじゃねぇか。」
ツナが見たら、ぞーっ、としそうなくらい、悪魔のような笑みを深めて──、この誤解の会話をエスカレートさせる気満々で、砂糖入れのコスプレを脱ぐと、
「俺は、獄寺の三股をプッシュするぞ。山本と了平とシャマルだ。」
びしっ、と、指を三本立てて、さらなる問題発言を投下してくれた。
さらに悪化する噂(爆)