「トランクス……。」
「トランクスさん。」
 グ、とまなじりが熱くなるのを感じながら、トランクスはうつむき、目を強く閉じた。
 そうしていないと、涙があふれ出してきそうになった。
 脳裏を駆け巡るのは、死後の世界で狂ったように暴れていた悟飯の姿。死んでもなお、人造人間の幻と戦い続け、悟空やクリリン、ピッコロ達の呼びかけにすら答えなかった、あの──悲しい人に。
 今度こそ、幸せになって、──この星を愛しているのだと、そう思いながら幸せの中で逝ってほしいと。
 そう、心から願う。
「……なるほど、そういう悩みか。」
 ミスターポポが、渋い表情でうなずく。
 トランクスは、師である悟飯の意思を継いで、この星を守り続けてきていた。
 人造人間が、少しでも世界を壊さないように、人を殺さないように、尽力を尽くし続けてきた。──いつか、人々が愛した世界が取り戻せる日を誓って。 その、トランクスや悟飯の、「この星」の平和にかける情熱は、おそらく、ミスターポポやブルマたちとは、一線を凌駕しているに違いない。
 ただ二人だけにしか、理解できない──そんな領域で、彼らはこの星の平和を守りつづけ、それにすべてをかけてきていたのだ。
 自分たちは、悟飯だってトランクスだって苦しんできたのだから、それくらいのご褒美はいいのではないか、と思う。
 けれど、当の本人である──一番望んでいる張本人であるトランクスが、「こう」生真面目なのだから、これはなかなか難しい問題か、とミスターポポは視線を遠くに飛ばした。
 本当に、ブルマにも、ベジータにも、似ていない。
 こうなったら、ブルマを呼んできて、トランクスを叱咤してもらうしかないのだろうか、と。──ミスターポポが、他人任せにもそう思ったときだった。
「と、トランクスさん。──もしかして、界王様? という方から、聞いてはいないんですか?」
 デンデが、小さく、おずおずと手を挙げて、そう告げたのは。
「界王、さま?」
 何の話だ、と眉を寄せるトランクスに、はい、とデンデは一つ頷く。
「ナメック星でのことを、トランクスさんがご存じなのは、その界王様、という方から聞いたから、なんですよね?
 だから、てっきり僕たちは、そのことも全部聞いているとばかり、思ったんですけど。」
「ナメック、星での、こと?」
 怪訝そうに顔をしかめるトランクスに、あぁ、やっぱり聞いてはいなかったのですね、とデンデはすまなそうに触角をシュンと落とす。
「説明が遅くなってしまって、すみません。」
 ぺこり、と頭を下げて──決してデンデが悪いわけではないだろうに、彼は、トランクスが「そのこと」で悩み、心を痛めていたことに、ひどく辛そうに顔をゆがめて、トランクスにとっては初耳の──けれど、決して聞き逃しはできないことを、教えてくれた。
「実は、この地球の人たちのことは、最長老様……ナメック星のみんなが、ドラゴンボールに願いを託してくれることになってるんです。」
「──……え?」
 一瞬、何を言われたのか、わからなかった。
 トランクスは目をゆがめて、デンデの顔を見下ろす。
 最長老様、という表現は、トランクスも知っていた。
 昔、母や悟飯が、時折してくれた昔話の中の、「ナメック星」と言う場所での冒険で……そう、「孫悟空が超サイヤ人になった」ときのことを話してくれたときに、何度か出てきた名前だ。
 ナメック星の一番偉い人であり、そして、ドラゴンボールを作った人、なのだという。
「それ、は──……、どういう?」
 もしかして、と──期待に胸が高鳴り、……けれど、そうして期待してしまう自分に自己嫌悪を覚えてしまい、くしゃり、と顔をゆがめる。
 なんて、自分は、──……あさましいのか、と。
「トランクスさん。」
 険しく、悲しく、苦しげに双眸を揺らすトランクスの険しい視線を、真摯に受け止めて、デンデはその目を見つめ返した。
 トランクスが、悩み、苦しむその気持ちは、デンデにはたぶん、理解できない感情だ。
 星を大切に思い、悟飯を大切に思い──その両方で、引きちぎられるように揺れている彼の気持ちを、推し量ることはできても、理解は、できない。
「僕の、この龍力のすべては、悟飯さんを生き返らせるためだけにしか、使えません。ですから、僕では、この星を救うことは、できないんです。」
 告げるデンデの言葉には、迷いも、戸惑いも、揺れる気持ちも何もなかった。
 ただ、そうする、という決意しか、見えなかった。
「──……っ。」
 その、デンデの「決意」の色を前にして、トランクスは小さく息を飲む。
 デンデの中で、「それ」はもう、決定事項だった。
 悟飯の命をあきらめれば、多くの人が救われる。それは、考えるまでもなくわかっていたことだった。
 それでも。──そう、それでも。
 デンデも、ブルマも、助かるかもしれない多くの命よりも、悟飯を選ぶことを、選択した。

 たった一人、人生のほぼすべてを、一人でも多くの人を助けることに費やした孤独な戦士を、ようやく平和になったこの星に、迎え入れたい。
 ともに笑い、ともに泣き、ともに手を取り合い、生きていきたい。幸せにしたい。

 その、わがままを、貫くことを、決意していた。
 そのためなら、失われた犠牲を、取り戻せなくても構わない、──と。
「デンデ、さん。──……でも、……っ、けど……っ。」
 自分のために、多くの人が犠牲になることを、きっと、悟飯さんは望まない。
 彼はそれくらいなら、きっと、あの世界に残ることを選ぶのではないか、と。
 ──あの世で、界王様が、「悟飯」がいる前で、デンデの力のことを話さなかった理由に、初めて気付いて。
 トランクスは、ひくりと喉を鳴らした。
 もし、そこまでの決意をして、悟飯を生き返らせたとして。
 悟飯が、生き返った後、その事実を知ったのだとしたら? ……彼はきっと、幸せにならない。幸せな道を選ぶことなんて、できない。
 あの人は、そういう人、だからだ。
 そう……こぶしを握って告げるトランクスに、デンデは、ええ、と平然とした顔でうなずいた。
「だから僕たちは、そのことを悟飯さんに話すつもりなんてありませんでした。
 ……でも。」
 そこでデンデは一度目を閉じて、でも、と、もう一度続けて、口元に笑みを刻んだ。
 そのまま、ゆっくりと目を開いて、目の前で顔をゆがめているトランクスを見上げると、ふわり、と、笑う。
「ナメック星のみんなが、──僕が地球のためにドラゴンボールを作れなくなるって聞いたみんなが、それなら、って、約束してくれたんです。」
 思い出すのは、ポルンガが消えた後、周りにいたナメック星の兄弟たちが集まり、話していた言葉。
 テレパシーで交し合われた、はるか遠くの集落にいるナメック星人たちとの会話。
 お世話になった地球の人たち。先の最長老様の末子であるデンデのために。
「120日後。」
 ポルンガが復活する、その日。
「再びポルンガを呼び出してくれる、と。」
 ブルマもデンデも、何も言わなかった。
 なのに彼らは、そういってくれた。
 ブルマの息子はよみがえり、孫悟飯もデンデの力で復活することは決まった。
 だが、それでも──その、孫悟飯やブルマの息子、デンデを迎える地球は、おそらくはボロボロの状態なのではないか、と。
 20年以上前、悟飯や悟空たちがナメック星を助けてくれたように──ナメック星自体は爆発してしまったけれど、それでも彼ら達のおかげで、ナメック星人たちは全滅することは免れ、新しい故郷を手に入れることができた。
 ならば。
「この一年で人造人間によって殺された人間の復活を。──そして、その人間たちがみんな生きていけるくらいに、豊かな星に。」
 その二つの願いを、願ってくれる、と。
 目を閉じれば、すぐに思い浮かぶのは、たぶんきっと二度と会えないだろう同胞たちの顔だった。
 笑顔で、送り出してくれた──デンデが決して、苦悩や苦しみ、後悔の中で苦しまないようにと、そう配慮までしてくれた、いとしい人たち。
 「至れり尽くせりで、なんか悪い気までしてきちゃうわ」と、ブルマにすら言わせたほどの、優しい、人たち。
 その人たちの思いを受けて。
「だから、トランクスさん。
 何も、悩む必要なんてないんです。」
 デンデは、きっぱりと、断言した。
 確かに、120日の間に亡くなった人々は、戻らないかもしれない。──そのことで、悟飯もトランクスも、胸を痛めるかもしれない。
 でも、そのことは全部胸の中に仕舞い込んで、デンデはまっすぐにトランクスを見つめ続けた。
 トランクスや悟飯が抱える胸の痛みも何もかも、自分たちに分けてもらえれば、と──そう、願うかのように。

「僕たちは、ただ、笑って。
 ……悟飯さんを、迎えましょう……?」

 それこそが、今、──そしてこれから、一番大事なことなのではないか、と。
 そう心を籠めて告げるデンデを、トランクスは愕然と目を見開いて見つめた。
 デンデが柔らかに笑って見つめるその瞳にぶつかった瞬間、ぐ、と、喉で声が詰まった。
 なんといっていいのかわからない、熱い塊のようなものが、胸元まで込み上げてくる。
「…………、っ………………。」
 手を差し伸べられたわけでもない。ただ笑ってそういってくれただけなのに。
 まるで、一緒に、戦っていこうと。──一人ではないのだと、そう、正面から言われたような気がした。
 震える唇で、二度三度口を開きかけて。
 でも結局、言葉も何もかも、すべて丸ごと、呑み込んだ。
 何を口にしていいのかわからなくて、何を口にしても、この心を的確に表現できないような気がしたのだ。
 だから。
「──………………、…………は、……い…………っ。」
 ただ、小さく、小さく……顎を引くようにして、うなずいた。

 ──俺はもう、たった一人で戦う戦士ではないのだ、と。

 そう──かみしめるように、想いながら。











 ブルマがタイムマシンを作っている間、デンデは神殿で「神様見習い」として過ごすことになった。
 トランクスは母を手伝う傍ら、自分を殺したセルの行方を探り、復興に向けて世界中を巡り──どうやらセルがこの時代に戻ってきていないようだ、ということを再確認した。
 と同時に、ドクターゲロの研究所を見つけ出して、セルを生み出したコンピューターを破壊し、次のセルを作り出すかもしれない可能性をつぶしておく。
 さらに、セルの初期の頃のデータなども確認し、彼の弱点はないかと調べておいたが──特にないことを確認したのち、万が一に備えて、界王星で悟空たちに教えてもらった新しい修行方法を試したりして、鍛練も怠ったりはしなかった。
 せっかく悟飯が生き返るというのに、自分がまた死んでしまっては意味がないのだ。
 今、こうしている間にも悟飯はきっと強くなっているだろう。
 なら自分も師に負けぬようにがんばるだけだった。
 そうして、毎日ように訓練に励みながらも、世界の復興に手を貸し続けるなか──、ある日突然、世界が、生まれ変わった。

 ──ナメック星で、ポルンガが願いをかなえてくれたのだ。

 がれきだらけで、このがれきの始末をどうしたらいいのか、だとか、これらが疫病や持病の原因になっているだとか、そんな報告に頭を悩ませていた生存者たちの悩みが、一気に解決された。
 突如として、がれきが家に代わり、その家に前日までがれきの間で暮らしていた人たちが暮らしていた。──それも、何の疑問も抱かず。
 カプレルコーポレーションが提供した住宅カプセルでは、到底足りなかった住宅の問題が一挙に解決し、それどころか、復興困難だったライフラインまで、一気に回復してくれた。──もっとも、それを持続させるには、いろいろ知恵を出さなくてはいけないのだろうけれど。
 その、「奇跡」ともいえるべき事実に、ブルマは煙草を唇でへし折りながら、
「人が一生懸命、コツコツやってきた復興作業を、一瞬で取り戻させるって、けっこうムカつくわね。」
 ──と、自分が望んでいた結果にも関わらず、そんな勝手なことを言っていたが、そのあっけないような、拍子抜けしたような気持ちは、トランクスにもわかった。
 と同時に、初めて見る「ドラゴンボールの奇跡」の恐ろしさに、少しばかり、背筋が凍るような感覚すら覚えた。
 さらに一番驚いたのは、その「奇跡」を受けた人々が、自分たちの身に起きた「奇跡」を、まるで自覚していないということだった。
 後から聞いたことによると、どうやらナメック星の人たちが、「突然生き返ったり、世界がもとに戻ったりしたらびっくりするだろう」と思って、ポルンガへの三つ目の願いとして、「事情を知らない人間は、みんな、これを疑問に思わないように」と願ったためなのだという。
 思わず「ドラゴンボールって、思った以上に怖い物なんだ。」──とトランクスがつぶやいたら、ブルマは、「便利だけど、便利すぎるでしょ? これ使いすぎちゃうと、ダメになっちゃいそうよね」と、トランクスが思っているのとは少し違う感想を漏らしてくれた。
 それをそばで聞いていたデンデは、やっぱりトランクスはブルマには似ていない、と、思ったのだという。
 ……何はともあれ、そうして、ナメック星の人たちの協力により、地球が人々にとって優しい世界に代わって、さらに200日の月日が過ぎ──。
 新しい命が生まれたニュースや、つらかった日々を忘れようとするかのように、次々に新しい娯楽が生み出され始めたころ。

 タイムマシンが完成し──いよいよ、未来へと、出発できる日が、来たのであった。






 エネルギーチャージも無事に終え(ポルンガが地球の自然と科学力を回復させてくれたため、時間がかからずに済んだ、という利点があった)、いよいよ来たるべき日に、未来の世界へと旅立つことができる、──ということが決まったその時に、ブルマは口をすっぱくさせて、こう言い張った。
「だいたい、20年以上前にナメック星に行った時だってねぇ、絶対大丈夫ですよ! とか言われたのよ! なのに、実際着いてみたら、星爆発しちゃうし! クリリン君とかまた死んじゃうし! なーにが危険がないって言うのよ! っていう目に、遭ったんだから、ぜぇったい、私は行かないからね!」
 この辺りに関しては、そんな危険が待っているかもしれないところに、生き返ったばかりの息子を向かわせるのですか……と、デンデも、そして界王星に居る面々も思わないでもなかったが、その言葉はすべて「ブルマだから」という表現で落ち着いた。
 かくして、150年後の世界には、トランクスが一人旅立ち──3日と置かずに、彼はピッコロと同じ年頃のナメック星人をつれて戻ってきた。
 一瞬、トランクスが未来ではなく過去に行ったのではないかと疑ったが──その「ピッコロ」がブルマを見た瞬間に浮かべた笑顔を見て、彼が【ピッコロ】ではないことを知った。
 柔らかで、優しい笑顔を、あのピッコロが悟飯以外に向けるはずがないことを、ブルマも分かっていたからだ。
「ブルマさん、お久しぶりです。」
 ──本音はピッコロが悟飯相手でも、そんな笑顔を向けることはないと思っている。
 悟飯からピッコロがいかに優しくて親切でいい人なのかを、ブルマは耳にタコが出来るくらいに力説されていたが、それは悟飯の目にフィルターがかかっているからだと信じていた。
 だって──あのピッコロがよ? ピッコロ大魔王が、目の前の「デンデ」のような笑顔を浮かべてるなんて……考えただけでも気持ち悪いじゃない。
「デンデ君……びっくりするくらい、ピッコロにそっくりだわ。」
 思わず、と言った具合に零れたブルマの一言に、最初の言葉がそれですか、と、未来のデンデは苦笑を浮かべてくれた。
 そんな彼の──落ち着いた雰囲気と、何もかもを包み込むような優しい風合いに、ブルマは柔らかな笑みを浮かべてみせる。
 今のデンデは、まだまだ幼くて、頼りない感じばかりが目に映るけれど、将来の──150年後のデンデは、随分と神様らしくなっていた。
 デンデは、懐かしむように、そ、と双眸を細めてブルマを見つめると──小さく、す、と息を飲み込んで、
「それでは……約束を、果たしましょう。」
 静かに言葉を紡ぐ。
「約束。」
 デンデが告げた言葉を鸚鵡返しのように呟いたブルマに、彼はコクリと頷く。
 そして、自信に満ちた微笑を浮かべて、力強く告げた。
「……悟飯さんを、よみがえらせましょう。」













それは、いつか奇跡を起こすための、長くて辛い、たったひとつの道。
そこへ辿りつくために、私は、願いをかなえる。
幸せになる、ために。














 トランクスと未来のデンデを乗せたジェットフライヤーで、小さなデンデが待っている神殿に向けて飛び立つ。
 小さなフライヤーの中で、デンデは懐かしそうにブルマたちとたわいのないことを話した。
 未来のことを詳しく聞くのはマズイからと、デンデはこの時代のことや、それよりも前の時代の思い出を口にした。
 自分たちからしてみたら、デンデは今でもあっている相手だし、これから先も──おそらくは死ぬまで付き合っていく相手だと思っている状態だから、そのデンデから懐かしく話されるのは、なんだか変な気持ちがした。
 饒舌に楽しそうに話すデンデに相槌を打ちながら、時々まぜっかえしてやったりして……笑い声がフライヤーの中で響き渡ると、彼はとてもいとしそうに目を細める。
 その瞬間、デンデが浮かべる微笑は、かすかな悲しみと寂しさもかね添えているような気がして──ブルマは、首を傾げて問いかけてみた。
「ねぇ、デンデ?」
「はい? なんでしょう、ブルマさん。」
「あんた──後悔してない?」
 操縦桿を握りながら──目線は真っ直ぐ前に向けて。
 突然そんなことを尋ねてくるブルマの横顔を、デンデはキョトンと見つめる。
 パチパチ、と目を瞬いて──後悔? と、ゆっくりと首を傾げた。
「そ、後悔。──たった一人で地球に残されてる形になってるじゃない?」
「母さん……っ。」
 普通の人間相手になら、ザクリと胸に突き刺さるようなことを、しれっとして問いかける母に、トランクスが後部座席から身を乗り出して非難の声をあげる。
 そうブルマをとがめるのには理由があった。──トランクスは、150年後の未来で、デンデとミスターポポに会ったときの、デンデのその表情を、しっかりと思い出してしまったからだ。
 やはりそれは、今と同じような──優しさと懐かしさと、悲しみが同居した表情だった。
 なんてことを聞くのだと、トランクスが目じりを吊り上げるのに、なによ、とブルマは肩越しにトランクスを振り返る。
 とたん、
「ちょっと、母さん! ちゃんと前を見てくださいよ!」
「はいはい、あんたはホント真面目よねぇ、誰に似たのかしら?
 ……あ、悟飯君?」
 やれやれ、と肩を竦めるブルマの軽口に、もうっ、とトランクスが眉をあげる。
 そんな二人に──くすくす、と、デンデが楽しそうに笑い声を零した。
 は、と見やれば、デンデは目元を緩めながら、ブルマとトランクスの二人を、いとしそうに見つめていた。
「──……、してませんよ。
 後悔なんて、僕は全然していません。」
 それどころか、ブルマさんには感謝しているくらいです。
 デンデは、穏やかな声音でそう言って、視線を窓の外へと向ける。
 はるか下方に広がる蒼い海──緑豊かな大地。
 それは、150年後の世界で、幾度も神殿から見下ろしてきた光景だった。
 あの世界には、もう、デンデを知るものは誰もいないけれど──ミスターポポとたった二人で暮らす神殿に訪れる人は、絶えて久しいけれど。
 それでも、覗き込んだ下界で、人々が笑いあい、生きていく光景を。
 美しい自然が織り成す幻想的な光景を見るのは、とてもいとしいものだった。
 時には、眉を顰めてしまうような光景だって、あるけれど──それでも。
「ブルマさんがあの時言っていた言葉を、僕は、何度も思い返しながら、地上を見つめるんです。」
「……あの時?」
 ぱち、と目を瞬くブルマに、はい、とデンデは大きく頷く。
 目を閉じれば、まるでつい先日のように思い浮かぶ──あの時の彼女の微笑み。
「僕は──ブルマさんや悟飯さんやトランクスさんたちが守ってくれた地球の美しさを、毎日見つめています。
 この星に来て、僕は、本当に嬉しかったんです。」
 そしてなによりも。
 ──小さく、デンデは心の中で続ける。
 僕はずっと、この日を待ち続けていた。
 この手で──彼を。
 僕の初めての友達を蘇らせるこのときを。
 ……本当に心待ちにしていたんです。
「デンデ君……。」
 嬉しそうに……心の底から嬉しそうに笑って、デンデは真っ直ぐにブルマの横顔を見詰めた。
「地球に連れて来てくれて、本当にありがとうございます。」
 150年後の世界には、確かに誰もいない。
 けれど、デンデの胸の中には、目の前に居る人たちとの──そしてこれから蘇る人との間にはぐくんできた「思い出」がある。
 思い出すだけで、懐かしく優しい……、決して色あせない、鮮やかなそれが。
「僕の世界には、確かにもうブルマさんもトランクスさんも悟飯さんも居ません。けど、皆さんと過ごした思い出は、いつもこの胸の中にあるんです。」
 そして今することは──たった一つ。
 この時代にいる「僕」に、これからはぐくんでいくだろう大切な「思い出」を作るための、手助けをするということ。
 目を閉じれば、容易く思い出せる光り輝く優しい日々。
 笑うブルマと、トランクスと、自分と、ミスターポポと──そして悟飯と。
 明るい太陽の下、キラキラと輝く大地を見下ろしながら、駆け足のように過ぎ去っていった日々。
 それは、決して楽しいことばかりではなかったし、最期を迎えるときには、涙だってボロボロ零した。
 けれど──それでも。
 デンデの心の中には、いつだって優しい笑顔と優しい思い出がある。
 それを──この世界の「僕」にも、寸分違わず届けたいと思う。
「だから僕は、ここに来れた事を、心から感謝しているんですよ。
 そのことだけは──決して疑わないで下さい。」
 にこり、と微笑んだデンデの表情は、小さなデンデのそれとは違って、深い老成した色を宿していた。
 それは、ピッコロや神様とも違う──未来の神様の、優しい姿だった。











 ドラゴンボールが蘇ったのは、ほんの一瞬の出来事だった。
 世界中に飛び散ったドラゴンボールを集めるのには、未来のデンデも協力してくれた。
 彼もまた、自らの手で悟飯をすくいたいと、そう言ってくれたのだ。
 そうして──ブルマは、待ち望んだ気持ちでドラゴンレーダーのスイッチを入れた。
 期待に満ちた面々の視線を受けて……それは、明るい色を七つ、きちんと映し出させてくれた──。
 歓喜の声があがり、誰もが笑顔を浮かべて。
 そうして……期待に満ちた表情で、顔を見合わせて──こくん、と、頷きあった。











 ブルマのカバンの中には、6個のドラゴンボールが入っている。
 残る最後の1個は、明日の朝から捜しに行くつもりだ。
 さすがに強行軍だったせいか、ホイポイカプセルで取り出したカプセルハウスの中で、男どもは撃沈して熟睡している。
 ブルマはそんな彼らを見つめて──ことさらいとしげに愛息子を見下ろして、ソファに横になっている彼の肩に毛布をかけなおしたやりながら、ふふ、と甘い色を滲ませた笑みを零す。
 ちなみに、トランクスとデンデがソファに眠っているのは、一重に、ベッドルームは綺麗なお姉さまの物でしょう? ──とブルマが笑顔で脅しをかけたからである。
 明かりがついているリビングで、すやすやと心地よい寝息を零す二人の寝顔を肴に、ブルマは酒を手酌で飲みながら、残るドラゴンボールを指し示しているドラゴンレーダーを見下ろす。
 ぴこん、と点滅するドラゴンボールの光に、ブルマは双眸を細めて、苦い笑みを口元に刻み込む。
 それを見下ろしながら、ふと思い出したのは、今回ナメック星に行く時に取り出したときのことだった。
 古い机の引き出しに入っていたドラゴンレーダーは、画面が見て取れないほどに灰色の埃が積もり、指で軽く拭いとっても曇りがかったように汚れは取れなかったものだった。
 洗剤をつけた布でこすらないと駄目かしらね、と苦笑をしながらもスイッチを入れてはみたけれど──どうやったらこんなところまで! と思うほどに埃にまみれたソレは、小さな機械音を立てることもなく、スイッチが凹んで戻るだけで、液晶にも何も表示されなかった。
 そう……ピッコロが亡くなって以来──ドラゴンボールを取り出すのは、実に20年ぶりのことであったためか、ドラゴンレーダーは、壊れていたのだ。
 それを慌てて直して、カバンの中に放り込みながら──どうかドラゴンボールが見つかるようにと、祈ったあの日。
 あれから、まだたった160日しか過ぎていないのだ。
 なのに……自分の隣には喪った息子が眠っていて、遠い昔に喪ったもう一人の息子のように思っていた子も、もうすぐ蘇るかもしれないのだ。
 なんて──夢のような幸せ。
「ふふ、またコレを地球で使える日が来るなんて……思ってもみなかったなぁ。」
 視線の高さまで持ち上げて、ブルマは目を眇めて思い返す。
 ドラゴンレーダー。
 これが──すべての始まりだった。
 夏休みを利用して、素敵な彼氏をゲットするのだと、お転婆さながらに飛び出した若かった頃の自分。
 三つ目のドラゴンボールを見つけた時に、出会った少年。
 あの日から、めまぐるしく世界は変わって行った。
 自分には素敵な──浮気性だったけど──ボーイフレンドが出来て。
 同居人や仲間が出来て……そうして、彼が居なくては決して手に入らなかっただろう男と結ばれて、子供が出来た。
 結局、結婚はしなかったし、トランクスには言っていないが愛の言葉とやらを貰ったこともない。
 それでも、まぁ──お互いに、通じ合ってはいたのだと思う。……たぶん。
 あの時のブルマは、それでいいと思ったのだ。
 自分がいいと思うのだから、いいのだと。
 ──だって、ベジータってば、孫君が居なくなって、自分自身の存在意味を失いかけてて、物凄く寂しそうに見えたんだもん。
 強引に「私がいいって言ってるのよっ!」と胸倉引っつかんで押し倒しでもしなければ、孫君を追いかけて、あっちに逝っちゃいそうだったんですもの。
「私は、私の好きなように生きてきたわ、孫君。」
 ブルマは目を細めて──目の前のドラゴンボールが、まるで悟空であるかのように語りかける。
「人造人間を倒しちゃった息子だって居るし、ナメック星から新しい神様だって連れてきちゃったわ。
 世界中の難民に家や移動用の乗り物を配りまくったおかげで、カプセルコーポレーションの人気だって一気に急上昇。なんか、このままうちは独占企業になりそうな予感。」
 もしかしたら、すばらしい功績を称えられて、女王様とかにまでなっちゃうかも。
 なんて、ちょっと調子に乗って笑って告げてみて。
 ブルマは指先で、点灯もしないドラゴンレーダーの表面を撫でる。
 昔は良く、これを使って、あっちこっちに走ったり、走らせたりしたものだ。
 けれど、これがドラゴンボールの位置を写しださなくなって。
「……ピッコロが亡くなってすぐの頃は、人造人間さえ倒したら、ナメック星にいけるって、そう思ってたっけ。」
 挫けそうになるたび、これを取り出して、スイッチを入れても何も映さないこれに希望を託して、歯を食いしばって生きてきた。
 悟空やクリリンたちが生きていた頃のように、「なんで私がこんな目に遭わないといけないのよ!」と癇癪を起こしても良かった。
 でも、そんな風に叫んで泣いても、誰も助けてはくれなかった。自分の腕の中で、小さなトランクスが泣くだけだった。
 だから、ドラゴンボールを心の支えにして、毎日を必死になって生きた。──生きるしかなかった。
「一年が過ぎちゃったときには、だから、もうコレを見ているのが辛くなって──ずーっと引き出しの中にしまってたわ。」
 希望なんて何もないんだと、死すら覚悟したこともあったし、自暴自棄になったこともあった。
 けど──そんなときに、あの子が。
「悟飯君と再会したのは、そんな時だったのよ。
 ……覚えてるかしら、孫君? あんたがピッコロと戦ったあの天下一武道会のこと。
 私、悟飯君を見たとき、あの時のことを思い出したわ。」
 人造人間から逃げ惑う人々に混じって、ブルマもトランクスを抱き上げて走った。
 まだ3つにしかならないこの子は、自分の残されたたった一人の肉親になっていた。この子まで失ったら、自分はきっと、希望も生きる意志もなくしてしまう。
 分かっていたからこそ、ブルマはトランクスをしっかりと抱きしめて走った。
 ──その小さなサイヤ人ハーフが、空を飛んでくる自分と同じ「種類の人間」に気づいて、声をあげるまでは。
 思わず見上げた視界に映ったその人影を見たとき、ブルマは悟空が生き返ったのだと思ったのだ。
 小さかった悟空が、あの時にスラリと背の高い青年になったように。
 ブルマの胸元しかなかった悟飯は、同じように背の高い少年になっていた。
 あの時の悟空よりも少し背丈は足りなかったし、顔もあどけなかったけれど──彼は、成長して、大人びた姿で。
 そうして……痛いくらいの憎しみと殺気を背負って、そこに立っていた。
「まぁ、結局悟飯君は負けて吹っ飛ばされちゃって。
 気を失っているところを、なんとか逃げたんだけどね。」
 懐かしげに目を細めて……ブルマは苦い色の笑みを映す。
「悟飯君しか居ないのが分かっていたから、私、1度も止められなかったのよ、孫君。」
 昔のブルマならきっと、人造人間と戦おうとする悟飯に、「何言ってんのよ! 分かってるんでしょ、あの強さ! ムリよ、無茶よ、絶対無謀よ! 戦うくらいなら、ここから逃げましょ! そうよ、逃げちゃえばいいのよ!」と、地球から脱出することを誘ったに違いない。
 悟飯と自分とトランクスとチチたちとで、地球から逃げて──そうだ、ナメック星にでも移住して、それでドラゴンボールで、地球のような星を探してもらって、そこに人造人間たち以外の地球人みんなで移住しちゃえばいいんだと。
 そう言っていたに違いない。
 結局それは、実現しなかったし──もし本当にそうしようとしても、人造人間たちに宇宙船を打ち落とされておしまいだったのだろうけれど。
「だからね。
 私……悟飯君が死んじゃったとき、本当はどうしたらいいのか、わからなかったの。」
 決してトランクスの前では見せなかった。
 泣いて泣いて、瞼が真っ赤にはれ上がるほどに泣いて──泣き叫んだ息子の前では、言わなかった。見せなかった。
 絶望を感じるほどの恐怖を……彼を一人で逝かせてしまったことへの後悔を。
 でも──ずっと、それを心に抱えて生きてきた。
 ヤムチャを、天津飯を、ピッコロを、クリリンを、餃子を、──ベジータを。
 彼らを失った過去は、「過去」として抱えていられた。
 けど、悟飯を喪ってしまったことだけは、耐え難い苦痛に感じて仕方がなかった。
──あの子を巻き込み、あの子だけに頼ってしまったことを、ずっと私も、後悔していたから。
「それで、毎日毎日、あの時こうしてれば、って思い続けてたのよ。
 そうしたら──私って天才よねー。」
 しんみりした口調のはずが、ブルマの口から出てきたのは、明るい調子の独り言。
 あの時のことを思い出して──ふふ、とブルマは小さく笑った。
「だったら、過去に戻ればいいんじゃない、って──そう思った。」
 そうして……それが、希望の始まりだった。
 一つの希望を抱いたら、前を向いて生きていくのが苦痛ではなくなった。
 希望の光があるから、息子を戦いに送り出すときも、大丈夫だと思えた。
 心にゆとりが出来て──笑顔で、やらなくちゃ、と言っていられた。

──タイムマシンの世界で行った「過去」では……あなたが生きているのよ、孫くん。

「ねぇ? それって、凄いことじゃない。」
 私たちが抱いた希望の光は、大きくなって、世界を救った。
 それも、一つの世界ではなく……確実に「過去」の世界だって救っているのだ。
 そう……私たちだって、やればできるんだと。
 希望が、再び自分たちの胸に宿った。
「私って、ほんと天才で、がんばってると思わない? ねぇ、みんな。」
 ブルマは、指先でキュ、とドラゴンレーダーの表面を拭うと、そのレーダーの向こうに透かし見える──これを通して出会った人たちに向けて、ニ、と笑顔を貼り付けてみせた。
「だから──、いつかあたしがそっちに行くときは、全員勢ぞろいで、お出迎えしなさいよ!」
 ドラゴンレーダーの向こう側で、皆が聞いているのだと言うように、ブルマはそう明るい声で笑って告げて──こつん、と、画面を軽く指先で叩いた。
 いつかきっと彼らと出会う日は──まだまだ先なのだと、そう半ば確信を持ちながら。
「……明日、悟飯君をあんたたちのところから攫っちゃうから……覚悟しときなさい。」
 びし、と、ドラゴンレーダーに向かって指先を突きつけて──ブルマは、ことさら明るい笑い声をあげた。
















「……願わくば、これが、最後のドラゴンボールへの願いでありますように。」















 ぱしゃん、と足元で波音が立つ。
 蒼い空に煌々と輝く太陽の光を受けて、水面がキラキラと輝いていた。
 沖合いから流れてくる風は潮気を含んでいて、べったりと髪と肌にまとわりついた。
 ブルマはブルリと頭を振って、体中に張り付いている気のするソレを振り払うつもりで髪を掻き揚げると、ふぅ、と腰に手を当てて、目を眇めた。
 視界に映るのは、まるで南国のパラダイス。
 一面に広がる白い砂浜に、打ち寄せられた波間に見え隠れする美しい貝殻。
 さんご礁が広がる海底まで見透かせるほどに透明度の高い青の色に、外海まで続く大きなラグーン。
 まるで夢のような光景だ。
 新婚旅行とかで来たかったわねー、と、ブルマは暢気に思った。
 さんさんと照りつける太陽はまぶしく、肌に痛いくらいで──ふぅ、と零れた吐息は熱く唇を滑っていった。
 ぱしゃん、と、遠くで水音が鳴る。
 かと思うや否や、
「あったっ! 母さん、デンデさん、ありました、ドラゴンボールっ!!!」
 太陽に負けないくらいの輝く笑顔で、仄かに日焼けした息子が、大きく腕を掲げる。
 その手に、キラリと反射するオレンジ色の宝玉。
 途端、ラグーンの海面に頭をつけるようにして海底を覗き込んでいたデンデが顔を跳ね上げると、
「やったっ! これで全部そろった!!」
 両手をあげて、デンデが喜び、ブルマは、ピュー、と口笛を吹く。
「良くやった、トランクス!」
 自分の足首まで押し寄せる波を蹴りつけて、ニ、と笑えば、トランクスもブルマの笑顔に答えて、ニコリと笑った。
 そんないとしい息子の姿に──ブルマは、うん、と一つ頷くと。
「さぁって、それじゃ──神龍を呼び出しますか!!」
 休む暇も与えず、ポケットの中から6個のドラゴンボールが入ったホイポイカプセルを取り出して、それのスイッチをポンと押した。
 共鳴するように輝き始めるドラゴンボールの輝きに、誰もが息を呑み、誰もが期待に胸を膨らませた。






「いでよ神龍! そして願いをかなえたまえっ!」




 

そして始まる、平凡で非凡な日々








FIN