「愛する日から愛される日へ続く過程のお話」
「それは自分で食べなさいっ! お前、チョコ好きだろーがっ!」
びしっ、と指差して怒る古市に、神崎が冷めた目で突っ込む。
「お前は男鹿のおかんか。」
「あははは、神崎君。古市君は男の子なんだから、お母さん扱いしたら可哀想だよ。」
ニコニコ笑う夏目に、まー、そうだな、と姫川が頷く。
確かに、高校生の男子を捕まえて「おかん」発言は可哀想だ。
「せめて、お嫁さん、くらいにしてあげないと。」
ぴ、と指を立てて笑って続ける夏目に、
「いや、それはちょっと……。」
「オガヨメは別に居るだろうが。」
どうなんだ、と神埼が突込み、姫川が呆れたように椅子を傾けながら振り返る。
そこに、と顎で涼しい顔をしているヒルダを示せば、夏目は、そーだったよねー、と分かっているのか分かっていないかの笑顔で笑う。
邦枝は、そんな三人に、はぁ、と溜息を零して、チラリと男鹿を見やった。
男鹿は、古市の言葉に空になったばかりの邦枝からの贈り物を示してみせていた。
「今、食ったのでちょうど腹が一杯になったんだよ。
だから、遠慮せずに食っていいぞ、古市。」
ぐ、と親指を立てて、いい顔をしてくれる。
男鹿的にはいいことを言ったつもりなのかもしれない。──イヤ、素敵な嫌がらせが出来たと思っている可能性もある。
それがむしょうに腹立たしい。自分は邦枝からのチョコを食っておいて、古市にはアランドロンの彫像チョコを渡すって、それはどうなんだ。
「いいから、ちゃんと家に持って帰りなさい。」
こっちに渡してこようとしていた箱を、ぐい、と男鹿に押し付ける。
えー、とブー垂れる男鹿には、アランドロンが笑顔で告げた。
「大丈夫ですよ、男鹿殿。味は保証いたしましょう。何せ、有名店のチョコを使いましたから。」
朗らかに微笑むアランドロンに、いや、そういう問題じゃなくってだな、と古市は突っ込む気力もないまま、目の前の箱を見つめた。
何が問題かって、中味も問題だけど──古市の場合は、とにかく箱の大きさが問題だ。でかすぎる。
何回見ても、その大きな箱はなくなってはくれない。
持って帰るしかないのか、コレを。っていうか、これを持って帰るためには、紙袋を買わなくてはいけないだろう。
──わー、アランドロンからのチョコのために紙袋買うのか、俺。何ソレ、ものすっごいしょっぱい汁が目から出てきそう……。
「……なんでお前、家で渡すとか言う選択肢がないんだ……。」
一応、一緒に暮らしてるわけだから、家で渡してくれたらいいだけの話ではないか。
そうしたら、こんな周囲の労わるような目を受けなくても済んだというのに……。
アランドロンからの本命(?)チョコを前に、古市はなんとも言えない顔をするしかなかった。
せっかくのバレンタインの、手作りチョコで、更に一応本命らしいのに、くれた相手があまりに微妙すぎるので、喜びようもない。
せめて女の子からだったら、全力で喜ぶというのに。
中味だって、筋肉ムキムキのアランドロンの彫像じゃなく、例えばヒルダさんのムッチムチボディだったら、それこそ携帯に写真撮って、溶けるギリギリまで部屋に飾って、毎日飽く事なく眺めるというのに……っ!
返す返すも、なんて残念なことだろうか。
いくら美味しいチョコでも、アランドロンの形なんてしていたら、食欲も失せる……、と、古市は溜息を零す、のだが。
「ふーん、なら、後でカチ割って食うか。」
男鹿はアッサリしていた。
「食 う の か よ … … っ !」
っていうか、食えるのかっ!? カチ割ったとしても、これだぞっ!? おっさんの髭とか目とか髪とかの形したのを、食えるのかっ!?
と思うが、すぐに男鹿だしな、という結論に達する。
男鹿だもの、人食いしたって不思議には思わないさっ!
が、男鹿(+悪魔と古市)以外の人間は、そうは思わないらしい。
「いくらなんでも、知り合いの形をしたチョコを、カチ割るとか……、ひどくない?」
「さすが男鹿だな……。」
寧々がちょっと引くのに、神崎が同意する。
邦枝も、困ったような苦笑を滲ませて、男鹿と彼が持つ銅像とを見比べる。
──うーん、カチ割ったとしても、やっぱり、食べたくない。
しかしアランドロンは、自分にそっくりな彫像を割って食われると言われても、にこやかな笑顔を崩さなかった。
それどころか、
「どうぞどうぞ、私の体を真っ二つにしてお食べください。」
当たり前のことのように言うのみだった。
そんなアランドロンに、ますます一同はドン引きした。
うん、その気持ち、分かります。
古市は顔を歪める一同を見回して、うんうんと頷いた。──そんな自分が、すでに気持ち的にも「こっち側」にいることには気付いていないようだ。
「しかし、よかったではないか、古市。」
ゆったりと腕と足を組んで、ヒルダは目を細めて微笑む。
「え? 何がですか、ヒルダさん?」
「本命チョコをもらえただろう?」
見ろ、この格差。
──と。
楽しそうに男鹿が持っている分と、古市の机の上の分とを目で指し示すヒルダに、一瞬、古市の頭の中が真っ白になった。
その前で、アランドロンが恥ずかしそうに頬を染めて、こんな公衆の面前で……とかなんとか言っているが、耳には入ってこなかった。
それよりも何よりも、
「…………ちょ……、お、俺の今年初の身内以外のチョコ…………、あ、アランドロン…………?」
古市は、今気付いた事実に、愕然と──もう、涙が滲んでくるほど愕然と、そう呟かずにはいられなかったのである。
しかも下手したら、梓がチョコをくれなかったら、身内+1個の、貴重な1個が、アランドロンのチョコになってしまうのである。
「い……いやだぁぁぁっ!! 男鹿っ! ちょ、今から1−6組行こうっ! んで、藤崎さんからチョコ貰いに行くぞっ!!!」
「はぁっ? なんでわざわざチョコ貰いに行くんだよ、めんどくせー。」
がしっ、と男鹿の手を掴んで揺さぶる古市に、男鹿はあっさりとイヤだと振り払うが、古市は諦めずにその腕を掴もうとする。
「お前はいいよなっ、女王からチョコ貰ってんだからっ! いいから行くぞっ! このままだと俺のアイデンティティの危機なんだよっ!」
「アイデアティー? なんだそりゃ??」
めんどくさい、と渋る男鹿に、だからっ、と古市が涙目で──もうこうなったら、髪の毛を引っつかんででも強引に連れて行くしか、と、思ったときだった。
がし、と。
アランドロンに腕をつかまれた。
「それでは私と一緒に参りましょう、古市様。ちょうど私も教室に戻るところですから。」
親切に──古市にとっては、余計なお世話の親切さで、アランドロンが微笑んでくれた。
そう……、アランドロンは、カズや梓と同じ1−6組なのである。
「えっ、や、ちょっと待っ……っ。」
いくらなんでも、おっさんと一緒に行きたくはない。
フルフルと頭を振って、アランドロンの腕を外そうとするが、悪魔の力にはまるで叶わない。
「まぁまぁ遠慮なさらずに。さぁ、行きましょう。」
そのまま、強引に椅子から立たされて、ズルズルと引っ張られてしまう。
「ちょっ、男鹿っ、ちょっと助けろっ!!」
ジタバタと暴れるが、アランドロンはまるで苦にもせず、今にも鼻歌を歌いそうな軽さで、ずるずると古市を引っ張りながら教室を出て行った。
良く見たら、古市の腕を掴んでいたはずなのに、その腕が彼の腕に絡んでいる。
──わーぁー……腕組んでるよ、あのバカップル。
ぼそぼそ、と誰かが教室の中で呟く。
その声が耳に入って、えっ、誰がバカップルっ!? と古市は必死で考え──自分の腕にぶっとい腕が絡んでいるのを見た瞬間、
「みゃぁぁぁーっ!!!!!」
……悲鳴をあげた。
ジタバタと暴れるが、アランドロンは一向に構わない。
そのまま古市を連れて、教室の外に出て行ってしまった。
思わず呆然とそれを見送った男鹿たちの耳に、だんだんと遠ざかっていく古市の意味不明の叫びが聞こえてくる。
「い、いいの? あれ……?」
悲鳴にも聞こえるそれに、邦枝が心配そうに指差し尋ねれば、男鹿は小さく溜息を零した。
チョコを貰いに行って来る──というバレンタインの古市は、正直ウザイので付き合いたくはないし、付き添えば女の子が逃げてしまうので(過去の経験上)、基本、男鹿はそういう時の古市には付いていかない。
付いていかなくても付いていっても、古市に怒鳴られるのは分かりきっているからだ。
だからと言って、それじゃ、おっさん連れなら上手く行くのかと聞かれても、男鹿には分からない。
だって、古市がおっさんを連れてチョコレートを貰いに行くのなんて、今日が初めてだからである。
「ったく、しょーがねぇな。世話の焼ける……。」
ブツブツと零しながらも、男鹿は仕方なく席を立った。
「行くのか?」
ふふん、と面白そうな眼差しで見上げてくるヒルダをジロリと睨むが、普通の人間と違って、正真正銘の悪魔である彼女は、まったく動じる様子はなかった。
男鹿はヒルダにも、邦枝にも答えることもせず、ガリガリと頭を掻いて──背中にベル坊を引っ付けたまま、教室を出た。
仕方がない。
本当なら面倒だから行くことなんてしないのだけど、古市が助けを求めてるんだから、行くしかないのである。
面倒そうな足取りで出て行った男鹿を見送って、ヒルダは面白そうな表情のまま頬杖をつくと、
「さて、世話が焼けるのは、どっちなのだろうな?」
本当は、追いかけたかったくせに、と。
小さく、掌の中で呟いた。
いつもの帰り道。電車の中でも大注目を集めた片手で持つには重過ぎる大きな箱を両手で抱えながら、くそっ、と古市は悪態をつく。
結局、これが入るような大きさの紙袋がなかったため、古市は学校からずっと担いで帰るハメになってしまった。
よかったじゃねーか、チョコもらえて、とやる気なく呟く男鹿は、カバンに突っ込んだアランドロンの彫像(すでに割れてる)以外にチョコはない。梓から貰った分も含め、全部食べてしまったからである。
逆に、古市のカバンの中には、ヒルダから預かったアランドロンの彫像チョコが1個と、梓から貰ったチョコの計2個がおさまっている。それにプラスして持ち帰るのに苦戦するばかりの巨大チョコが1個だ。
本当なら、放課後もチョコを求めてウロウロするつもりだったのだが、アランドロンの巨大すぎるチョコのせいで、まっすぐに家に帰るハメになってしまった。
コンビニに立ち寄ってジャンプを買うつもりだったのに、それも後回しである。
何せ、とにかく、40センチ近くもあるチョコが、重いのだ。
チョコってこんなに重いものなんだ、と思うくらいに重いなのだ。
最初は、こんなものかと思っていたのだが、持ち続けるほどに腕が負担を感じてしょうがない。
途中、疲労困憊して男鹿に渡してみたものの、すぐにケンカに巻き込まれる男鹿が、絡まれるたびに古市に戻してくれるので、結局そのまま古市が持っている距離のほうが長かった。
「あー、くそっ。あのおっさん、いやがらせかっ!」
「おっさんに転送してもらったほうがよかったんじゃね?」
重い、とブー垂れる古市を、数歩先で足を止めて振り返る男鹿に、うっさい、と彼は眉を寄せる。
「そんなことしたら、帰り道にもらえるチョコが、ゼロになっちまうだろーがっ!」
「もらえてねぇじゃん。」
残酷にも突っ込んだオがに、古市は半ばヤケになって叫ぶ。
「あぁ、そうだよっ! もらえなかったよっ!」
帰り道を短縮して、一気に家に帰ってしまったら、帰り道で待ち伏せしている女の子からチョコをもらえないかもしれない──なんて、最後の期待にかけて地道に電車と徒歩で帰ってきたのだが、男鹿との分かれ道に辿り着いても、誰からも話しかけられはしなかった。
きっと男鹿が隣を歩いていたせいだっ、と、彼のせいにしたい気はあったが、そうではないことも分かっているから、いつものように彼に八つ当たりしたりはしない。──というよりもむしろ、自分よりもチョコを1個でも多く、男鹿がもらって居るという事実(しかも女王からの本命チョコだ)に、触れたくないという気持ちのほうが大きかった。
っていうか、女王から手作り本命チョコを貰ったんだから、もう男鹿には、チョコなんて他にいらないんじゃないか?
「じゃ、やっぱ、おっさんの中に入った方がよかったじゃねーか。」
「ダ!」
ベル坊まで男鹿に同意してくる。
古市はソレに溜息を零して、分かってねぇなぁ、と頭を振った。
分かってない。そう、男鹿はわかって居なさ過ぎる。
「お前だって、最初はイヤがってたけど、最近はノリノリでおっさんの中に入ってるじゃねーか。」
遅刻しそうだったとか言う理由でおっさん使ってたり、荷物が多いからっておっさん使ったり。
「ノリノリで入ったとか言わないでくれるっ!? なんか変な意味に聞こえるからっ!!」
誰か聞いてたらどーすんだよっ、と男鹿の足を軽く蹴飛ばして──その拍子に、重い荷物にフラリと体が傾ぐ。
「変な意味ってなんだ??」
ぽすん、と荷物ごと古市を受け止めた男鹿は、そのついでにでっかいアランドロン胸像入りの箱を彼から取り上げる。
軽くなった腕をブラブラを揺らしながら、古市はキッと間近から男鹿を見上げた。
「つーか、今日はいつもと違うだろーがっ! 今日はな、藤崎さんから貰ったチョコを持ってんだよっ!
もし今、アランドロンの中に入ったら、この貴重なチョコがアランドロン仕様になるような気がするだろっ!!」
「おぉ、ありえそーだな。」
「だろ? おっさん菌が付くぜ。」
「発酵して別なもんになるな。」
「すっかり忘れてたけど、アレも悪魔だしな。」
いつもと同じように軽口を叩きながら、古市はようやく肩が楽になった、とコキコキと腕を振り回す。
「ったく、ほんと、なんで家で渡さないんだ、あのおっさんは……。」
重い荷物を無くしてちょっと気分が上昇したらしい古市は、ブツブツと尽きることのない悪態を再び繰り返す。
「へーへー。」
適当な相槌を返す男鹿に、真面目に聞け、と古市は腕を軽くぶつけるようにして軽く叩いてくる。
それに、荷物落とすだろ、と文句を言えば、いっそ落としてしまえと古市が悪態づく。そしたら、お前にやるから、と。
でかすぎる──普通に抱えれば目元辺りまで隠されてしまうほどの大きさのに、、通行人がギョッとしたように男鹿を振り返っていく。
しかし、綺麗にラッピングされた箱を見て、通行人は、ああ、と納得したような顔になる。
今日という日が何なのか知っていたら、バレンタインの贈り物だとすぐに気付くためだろう。
中味が何かさえ知らなかったら、男鹿がモテモテの本命チョコを貰った凄い人、ということになる。
──ほんと、中味と贈り主さえ知らなかったら、男鹿は幸せ者にしか見えないだろう。
羨ましいという視線にさらされていても、それに全く気付かず、男鹿は抱えた箱を小脇に抱え直す。
そして、通行人の視線の意味に気付いた古市は、その事実にやたら切ない気持ちになった。
きっと自分がアレを抱えていた時の通行人の目も、あんな感じだったのだろう。──重過ぎて周りを見ている余裕はなかったから、良くわからないけど。
そう思ったら、なんかもう、切なくてしょうがなかった。
男鹿がもててると思われるのは腹が立つが、実際アイツが持ってるのは、おっさんのチョコの彫像(しかも全身像)で、それは実は俺のだったりするんです──なんて。
ものすごく胸が切なくしょっぱくなる事実なのだろうと、古市は凹みたくなった。
はぁ、と溜息をついたところで、古市家と男鹿家との分かれ道に辿り着いて、古市は男鹿を振り返る。
くい、と顎で自分ちの方向をしゃくると、
「……っと、男鹿。今日はちょっとうち寄ってけ。」
「……おう。うちには来ねぇのか?」
返事をして頷きながら、古市に続いて彼の家の方向へと向かう。
珍しいこともあるものだ、と男鹿は思う。
古市はバレンタインの日には、必ず男鹿の家に顔を見せる。
そうすれば、男鹿の母と姉からチョコがもらえるからである。
毎年の恒例行事とも言えるべき古市来訪に──そもそも、彼はしょっちゅう家に来ているが──、男鹿母も姉も、男鹿にチョコを託すことすらしない。
だって、そんなことしなくても古市は家に来るからである。
「いや、後から行くよ、もちろんっ! チョコ貰いになっ!」
無駄にキラキラしい笑顔を浮かべて古市は断言する。
その、この上もなう嬉しそうな顔に、あぁ、そーだろうな、と男鹿もベル坊も呆れ顔になった。
ほんと、バレンタインの古市は、無駄にうざい。
「うちで、その荷物運び賃代わりに、アイス恵んでやるよ。」
ブランドの美味いヤツがあるんだ、と言う古市に、男鹿は真顔で告げる。
「アイスよりチョコがいい。」
「お前、さんざん学校で食っただろーが。」
「ありゃ、他のヤツから貰ったヤツだろ。お前はくれてねーじゃねーか。」
だからチョコ、と再び続けた男鹿に、古市は呆れた目を向ける。
「そういうお前だって、俺にくれてねぇだろ。」
俺がお前にやらなくちゃいけないなら、お前だって俺にくれなきゃいけないはずだ。
そう当たり前のように告げる古市に、ふむ、と男鹿は考えると、
「じゃ、これでどうだっ!?」
カバンを、ぐ、と押し出した。
その中には当然、男鹿が貰った15センチほどのアランドロンの胸像が入っている。
「アランドロンはいらねぇ。ってかソレ、お前が貰ったヤツだろ。」
あくまでも他人からの贈り物は受け取らない──ていうか、もうアランドロンの胸像はいらない──という古市に、わがまま言うな、と言った後、
「じゃ、チロルでいっか?」
「おー、んじゃ、俺もチロル買ってやるよ。」
ちょっと戻って、そこのコンビニか近くのスーパーで、という男鹿に、古市は慣れた口調で返してやる。
チロルかよ! と突っ込む男鹿に、それは俺が突っ込みたいことだ、とか答えているうちに、古市家に到着した。
扉を開くと、玄関先に靴はなかった。──どうやら、家族は外出しているようだ。
「このアランドロンの本命チョコは、お前の部屋に運んどいたらいいのか?」
「そういう名で呼ぶな。俺の気分が悪くなる。」
勝手知ったる他人の家とばかりに、男鹿が二階にあがっていく。
古市はそのままリビングに向かいながら、階段途中の男鹿に向けて問いかける。
「そーいや男鹿、お前、アイスはホワイトとチョコ、どっちがいいよ?」
階段登ると重いな、これ、とぼやいていた男鹿は、チラリと古市を見下ろすと、偉そうにのたまった。
「チョコ。──しょーがねーから、それで我慢しといてやる。」
「何偉そうに言ってんだよ。チョコな。」
へいへい、と古市は後ろ手に手を振りながら、リビングに入った。
ドサリとカバンを置いて、冷凍庫を開ける。
とんとんとん、とリズミカルに階段を登っていた足音が止まり、少しして扉を開く音が聞こえる。
それを聞きながら、古市は冷凍庫に入ったアイスを──ゴディバのトリュフアイスの横にあったカップアイスを二つ、取り出した。
黒い蓋に金色のパッケージ。上品なゴディバのマークが入ったソレは、母がバレンタインチョコを買うときに一緒に買ってもらったアイスだ。
高校生が買うには少し高いアイスだけど、どうしてもこのアイスがよかったから、これにしたのだ。
「やっぱ、あいつ単純だよな。──絶対チョコって言うと思ったんだ。」
けど、ちょっとだけ心配だったのも本当。
あれだけ学校でチョコばっかり食べてたから、チョコじゃなくてバニラがいい、とか言い出さないとも限らなかったのだ。
いつもなら、もうチョコはいい、と言い出すだろうに──今日は、いつになくチョコにこだわっていた。
さっきなど、「しょうがないからソレで我慢しといてやる」と来た。
チョコレートじゃなくって、チョコアイスで我慢する、と。
ここから答えが出せないほど、古市は鈍くない。
「……もしかしてアイツ、俺からのチョコが、欲しい、ってか?」
口に出した途端、妙に気恥ずかしくなって、うわー、と古市は頬を赤く染めた。
男鹿の分のミルクチョコと、自分の分のアイボリーチョコチップ。
食器棚からスプーンを取り出し、両手にそれを持って台所を出ながら、古市は唇をへの字に曲げる。
無理矢理でもそうするよう努力をしないと、口元がニヤケそうになって仕方がなかったからだ。
去年まで、男鹿はそんなこと言わなかった。
なのに、今年に限って妙にそういうことを言う。
それって、多分、古市の自意識過剰じゃなかったら、きっとアレだ。
今までになく、二人の世界に幅が広がったから、だ。
「つーか、アレだろ、アレ。あいつ、初めて身内以外からチョコ貰ったっていうのに、更に俺からも欲しいとか、ちょっとおかしくね? 女王と藤崎さんから貰っただけで、もう十分過ぎるくらいじゃん。むしろ一生分の幸福使い切ったような幸運じゃんっ?」
ブツブツと呟きながらも、古市は目元が赤い自分を自覚せずにはいられなかった。
そんな幸運よりも(男鹿は幸運とも思ってないだろうが)、自分のチョコが欲しいとかって……何ソレ、もうバカップルじゃねーの、とわれながら思わないでもない。
アイスを掴んだままの腕で、ごしごしと消えるはずもない頬の赤みをこすりながら、階段をあがって二階に戻った。
男鹿、バカじゃねー? ──と思いながらも、あぁ、それでも、自分も男鹿をバカにできない理由がある。
ぐ、と、二個のアイスを握り締めて、古市は階段を上りきった。
顔が妙に赤らまないように、小さく深呼吸してから自室に入る。
入ってすぐの姿見の前に、男鹿のカバンが放り投げられている。一応気をつかったのか、アランドロンの40センチ以上の彫像チョコは、机の上に置かれていた。
「おー、ベル坊、チョコが来たぞ、チョコが。」
冷たいフローリングではなくて、ベッドの上にあがっていた男鹿が、ベル坊を抱えて降りてくる。
「あだーっ。」
人の家にくるなり、人んちのベッドにあがるか、と思うところだが、いつものことだから気にしない。
当たり前のようにソファに陣取る二人の前に、ミルクチョコのアイスとスプーンをおいてやって、古市は自分の分を手に持ちながら、チラリとエアコンを見上げる。
「げ、お前、エアコンくらいつけとけよ。」
真冬でも日当たりのいい古市の部屋は、夜にでもならない限りはそれほど寒くはならない。
とは言っても、着替えが出来るほどの温かさではない。
リモコンでスイッチを入れながら文句を零す古市に、冬はコタツだろ、と男鹿。
それに、いやいや、ホットカーペットも捨てがたい、などとどうでもいい返事を返しつつ、古市もテーブルの長面側に座って、アイスに向かい合った。
「ゴディバ。──これ、ゴディバのアイスなのか?」
チョコ屋なのにアイス? と首を傾げながら、男鹿はアイスの蓋を開ける。
いつも買っているお手ごろ価格のアイスと違って、中にもブランド名が書かれたフィルムの蓋がついていて、おお、と感動の溜息を零す。
こんなの、コンビニでごくたまに古市に奢らせるブランドアイスでしか見た事がない。
「おー、母さんが通販で頼んだときに、ほのかと自分用にって、アイストリュフ買っててな。」
古市も蓋を開けて、フィルムも外す。
男鹿のカップの中身は、綺麗なミルクチョコ色。
そのチョコ色を見て、男鹿はにんまりと笑う。
表面に一際濃いチョコ色が混じっていて、ソレを見た瞬間、ぱぁっ、と男鹿は顔を輝かせる。
「おっ、チョコチップ入ってるぞ、古市っ!」
ぎく、と、古市は一瞬肩を揺らしたが、チョコチップに釘付けの男鹿は、どうやらソレに気付かなかったらしい。
「チョコだ、チョコ。ほら見ろ、ベル坊。チョコチップだ。」
何がそんなに嬉しいのか、はしゃいでいる男鹿に、古市は顔をあげもしない。
「当たり前だろ、チョコチップアイスなんだから。
──つーか、俺にも入ってるし。」
言いながら開いた古市のアイスは、バニラ色。
そこにも、チョコチップらしい塊の破片が入っている。
「お前のはバニラか?」
「ホワイトチョコだよ。」
「後で一口くれ。」
「……後でな。」
覗きこんできた男鹿に答えながら、古市は何気ない表情で自分のアイボリーアイスを口に含む。
じんわりと広がる濃厚な味わいに、おぉ、美味い、と素直な感想が零れた。
「あっ、先に食うなよ。」
「別にいーだろ。お前がいつまでも食ってないのが悪いんだっつーの。」
「あー、だっ!」
男鹿が慌てて自分のアイスにスプーンを突っ込むのに、ベル坊が手を伸ばす。
自分にも寄越せと言っているのだ。
けれど、さすがに赤ん坊にチョコアイスはまだ早い。せめてシャーベットくらいだろう。
男鹿はベル坊の手を避けながら、チョコチップを掬うようにしてアイスを掬った。
やっぱり、古市からのチョコは、真っ先にちゃんと食わないといけない。
たとえ古市が、「いや、それ俺からのチョコじゃねーだろ」と言って来ようが、男鹿的にはコレは古市からのチョコなのである。
「おぉ、このチョコチップもマジ美味い。」
バクバクと食べまくる古市に、てめ、俺の分も残しとけっ、と言えば、古市はこちらをチラリとも見ないでアイスに熱中しながら、気が向いたらな、と可愛くないことを答えてくれる。
それでも古市が、最後の一口は残してくれることは分かっているので、男鹿は改めて自分のアイスに向かい合った。
そして、そのチョコ屋さんのチョコアイスを堪能しようと、自分の口元に運びかけた──ところで。
「──……。」
濃厚な色を見せているチョコチップの「正体」に、気付いた。
ぱちくり、と目を瞬いて、スプーンの上に乗ったソレを見つめる。
つややかなチョコ色をしたソレは、薄いブラウン色のアイスに囲まれて、一際目立つ。
普通のチョコチップアイスと違って、このアイスに入れられたチョコチップはちょっと大きめで、大きさは直径5ミリくらいはあるだろうか。
「………………。」
男鹿はマジマジと見つめたソレが、間違えようもない形をしているのを認めて、ちら、と古市を見た。
まさかとは思うが、古市はコレを知っていたのだろうか?
もし、知っていたのだと、したら──……。
胸がドキドキ高鳴るのを感じながら見やった古市は、やっぱりコッチを見ていなかった。
よほどアイスが美味いのか、それを口に運んでいる。
けど。
男鹿はすぐに気付いた。
古市のソレが、ただの照れ隠しであることに。──だって、その、白い首筋や耳元が、うっすらと赤く染まっていたのだから。
「──ふーん。」
にやり、と、男鹿は笑みを浮かべる。
ベル坊は、う? と不思議そうにそんな彼を見上げてくる。
自分の目の高さまで掲げたスプーンに乗ったアイスは、おいしそうなチョコミルク。その中に入ったチョコチップは……ハートの、形をしていた。
「……なんだよ、とっとと食えよ。溶けるぞ。」
ニヤニヤと笑う男鹿を、ジロ、と見上げて──古市は、彼がスプーンの上にチョコチップを乗せていることに気付いて、さりげなさを装って目を反らす。
その首筋がやっぱり赤く染まっているのを見て、男鹿は確信した。
古市は、このアイスの中に入っているチョコチップがハートの形をしていると、知っていたのだ。
チラリと自分のカップを見下ろせば、男鹿がスプーンを入れたおかげで抉れた部分に、次ぎのチョコチップが見えた。
そのチョコチップも、ハート型。どうやら、チョコチップは全部ハートの形をしているようだった。
なら、一個を大事に取っておく必要はない。
男鹿は、そ、とソレを口の中に入れる。
甘く濃厚に広がるチョコの味と、かり、と歯に当るチョコチップ。
それがハート型だと知っているから、溶けていくアイスと一緒に、チョコレートも舐めた。
口の上で滑らかに溶けていくチョコレートが、勿体無いような気がした。……せっかくのハートなのに。
「──……美味い、か?」
モグモグと舌の上で古市からの、小さな小さなハートチョコを転がしていると、ちょっと心配そうな表情で男鹿を見上げてくる視線にぶつかった。
古市の手元のカップには、ホワイトチョコアイスが残り三分の一ほどになっている。
むき出しに見えたチョコチップは、男鹿のカップの中とは違い、ブロック破片ばかりだ。
もしかして、ハートのチョコチップなのは、自分の分だけなのかもしれない。
そう思えば、ジンワリと胸にあったかい物がこみあげてきて、男鹿はスプーンで新しくアイスを掬う。
「おお、美味いぞ。お前も食ってみるか?」
ほら、と差し出したアイスに、古市はちょっと眉を顰めて、
「いや、俺は……。」
いい、と言いかけた古市の目の前にアイスを差し出す。
その上には──古市にも良く見えるように、ハートのチョコチップが一つ、コロリと転がっていた。
「……。」
大きな目を、更に大きく見開いた古市に、にやにやと男鹿は笑う。
「このチョコチップなんて、特に甘くてうめぇぞ。」
ほら、と、促がすように口元に持っていけば、古市はソロリと躊躇うように薄く唇を開く。
そして、その間に食むようにスプーンを咥えた。
そ、とスプーンを傾けるようにして古市の唇から抜けば、先ほどまでソコに乗っていたアイスも、チョコチップもなくなっていた。
コロリ、と、ハートのチョコを口の中で転がす古市に、男鹿は、に、と笑った。
「美味いだろ、俺のチョコ。」
「うっせ。もともとは俺がやったヤツだろ。──美味いけどさ。」
「もうやんねぇぞ。残りのハートは俺んだからな。」
満足そうに笑う男鹿に、古市は口の中に残ったハートのカケラを、コロリ、と舌先で転がしながら、そりゃよかったな、と呟く。
おう、と嬉しそうに答えた男鹿は、新しくチョコチップアイスを口に入れた後、
「来月のお返し、期待しとけよ、古市。」
びし、とスプーンで古市を指差す。
上機嫌に笑う彼に、古市は呆れたように目を細めた。
「何か返してくれんのか?」
「おう、PINO買ってやるよ。」
「PINOかよっ!!!」
良くコンビニで買うアイスの名前を出されて、思わず突っ込んだ。
何ソレっ!? ゴディバのアイスのお返しがPINOって、ちょっとそれ、安くないっ!?
いや、安さの問題じゃないのは分かってるが、普通、ホワイトデーって三倍返しだよなっ!?
と、男鹿に期待しても無駄なことをとりあえず突っ込んでやれば、男鹿は自信満々に、
「任せとけっ! 3コ入ってるのを選んでやる。」
「3個って、半分は入ってるってことだろ? それ、レアじゃね? 無理だろ。」
「いーや、出る。」
指を三本立てて力説する男鹿に、古市は諦め半分のセリフを吐きながらも、軽く笑い声をあげる。
断言し続ける男鹿に、はいはい、と答えながら、自分の分のアイスを掬った。
ちゃんとチョコチップのカケラも入れて、ほら、と男鹿の口元に運んでやる。
「じゃ、約束な。」
「おう。期待しとけ。」
古市が差し出したアイボリーチョコチップアイスを咥えた男鹿は、自信満々に笑った
何が3個、なのかは、二人は決して口には出さなかったけど、何のことなのかはちゃんと通じていた。
ただ、男鹿の膝上に居たベル坊だけは、意味がわからずに首を傾げていた。
その答えは、一ヵ月後の、ホワイトデーで判明することである。
週明けの14日の月曜日。
聖石矢魔の学校のほど近くにあるコンビニに、朝から立ち寄った二人は、そこでジャンプと一緒にアイスを買った。
もう暦の上では春とは言え、まだ肌寒い時期に、真っ先にアイスのショーケースに向かった二人に、カズは不思議そうにしていたが、二人が別々にレジに持っていた品を見て、ますます不思議そうな顔になった。
PINO、を、持っていたのである。
「ぴの、ですか?」
「おう。」
「男鹿がレアにチャレンジするんだってよ。」
軽く笑いながら古市が答えて、二人はそのままコンビニを出る。
「レアってなんすか、兄貴?」
早速ガサガサと開けだした二人は、なぜかソコで互いに買ったPINOを交換しあう。
古市が買ったPINOは男鹿へ。男鹿が買ったPINOは古市に手渡されるのだ。
カズは、その様子にますます不思議そうに頭にハテナマークを貼り付ける。
男鹿は、ふっふっふ、と楽しそうに笑うと、
「見ていろ、カズ。すぐに分かる。」
「???」
意味が全くわからない。
自分が知らないだけで、今、PINOは何かキャンペーンでもしているのだろうか? 例えば、チョコボールの金のエンゼルみたいな??
男鹿と古市の二人は、歩きながらぺりぺりとPINOの透明フィルムを破く。
わざわざ買ってすぐにやるくらい、気になることなのだろうかと、二人の間をこっそりと長めてみた。
口を開けて、古市はPINOを開けたところで、ひょい、と片眉をあげた。
「すげぇ、男鹿。お前、ある意味レアだよ。」
「何っ!? もしかして4コ出たとかかっ!?」
それはすげぇ、さすが俺っ! ──と言いかけた男鹿は、ほら、と見せられた古市のPINOに、しょっぱい顔になる。
気になったカズが覗き込んだソレは、ごくごく普通のPINOだった。
丸い台形の形をした、バニラアイスをチョコでコーティングしたPINOが、行儀良く6個並んでいる。
何がレアなのか、カズには全く分からない。
「最近のって、最低でも1個くらいは入ってるもんなんだけどな。ゼロ個だぜ。」
ありえねぇ、と呟く古市に、男鹿はショックを受けたようにうなだれる。
「男鹿のは?」
「おー。…………あ、二個入ってんぞ。」
「おお、さすが俺。天性のラッキーボーイだけあるな。」
褒めろ、と、顎に手を当ててイケメン風な顔つきになる古市に、カズは彼の肩越しにヒョイと男鹿のPINOを覗き込んだ。
果たして、そこにもPINOが行儀良く並んでいた。
ただ──見て、すぐにカズは答えが分かった。
何がゼロ個で、何が二個なのか。
「──あ、ハート型の、PINO。」
幸せのピノ、と呼ばれているアレだ。
それが二個、男鹿の手の中のPINOには入っていた。
「……ちっ、古市、ほら、1個やる。」
ピックを取り上げ、男鹿はハート型の一つに突き刺す。
それを古市の方に差し出せば、彼も同じように普通のピノに突き刺し、男鹿と交換する。
それって、何の意味が──……? と思ったところで、はっ、とカズは気付いた。
今日は──そう、ホワイトデーだと言うことに。
「…………ぇっ、え……ぇぇぇっ。」
なにそれ、それってどういうことっ!?
と、思わず立ち止まったカズに、ハートチョコを男鹿から分けてもらった古市は、不思議そうな目を向けたが、すぐソコに校門が見えてきていたので、特に気にもせずに、
「それじゃ、山村君。」
ヒラリ、と手を振る。
聖石矢魔の生徒と石矢魔の生徒は、校門の辺りから向かう方角が違うのである。
「おー。じゃーな、カズ。」
お互い、片手に交換しあったPINOを持ちながら手を振ってくれる。
それに、カズは手を振り返しながら、遠ざかっていく隣り合って歩く二人を見送った。
ホワイトデーにハート型のPINOを出そうとしてるって、どういうことっすか、アニキ? 古市さん?
っていうか、なんでハート型が出たら、古市さんにおすそ分けするんすか、アニキ??
「──っていうか、古市さんとアニキは、バレンタインにチョコ交換したんっすかっ!!?」
頭の中でグルグル回る言葉に、とうとう我慢できなくって口に出してしまった。……が、しかし。
当然のことながら、返ってくる返事はなく。
カズは、一人悶々と、頭を抱えるのであった。
カズと分かれて石矢魔の特別教室棟に向けて歩きながら、古市はPINOにピックを突き刺す。
「そーいやさ、ピノには星型ピノってのがあって、願いが叶うらしーぞ。」
モグモグと冷たいアイスを口に頬張りながら、やっぱまだ外でアイス食うには寒かったかも、とチラリと後悔する。
けど、買ってしまったものは仕方がない。
男鹿はというと、春風の肌寒さも全く気にならない様子で──更に言えば、その背中にしがみついているベル坊など、素っ裸なのに、全く震えもしなければ鳥肌が立ちもしない立派なものである──、三個目のPINOを口に放り込む。
「おー、んじゃ、来年はソレ引き当ててやるよ。」
「言うだけはタダだな。
つーか、お前、ホワイトデーは三倍返しが基本なんだぞ。」
ハート1個じゃ、全然足りねーんじゃないのか。と、目を軽く細めながらそういってやれば、男鹿は軽く眉を顰めて──あー、と、呟くと。
「……しょーがねーな。」
「ん?」
ぱく、と、普通のPINOを口に放り込み、ぐい、と古市の手を引いた。
なんだよ、と見上げた古市に、す、と顔を近づけると、そのまま彼の唇に唇を重ねた。
「──……っ!!」
ちょ、と、──ココがドコだかわかってんのかっ、と、慌てて男鹿を押しのけようとした古市の唇に、舌で強引に割りいる。
「んんっ。」
ぎゅ、と一度だけ強く抱きしめて、舌先で溶けかけたアイスを古市の口の中に押し込める。
とろり、とした液体が口の中に入ってくるのを感じながら、古市は男鹿の舌先の熱さと、それに相反するアイスの冷たさに、ゾクリと背筋を震わせる。
甘いバニラの味と、チョコの味。
混じったソレが、口の中でトロトロに溶けて、喉の奥に滑り込んでいく。
「ふ……っ、ん……っ。」
古市の口の中に残ったチョコ味を掬い上げるように、舌を絡め、口腔内をゆっくりと舐め終えると、名残惜しげに男鹿は唇を放した。
つ、とアイスのせいか、少し白濁した糸が二人の舌先で伸びて、古市の唇を濡らす。
それが勿体無い気がして、男鹿はもう一度唇を寄せると、ペロリ、と甘い味が混じった唇に付いたソレを舐め取ると、ぴくん、と古市は肩を震わせる。
見下ろせば、白い頬を紅潮させ、双眸を潤ませた古市が、じ、とこちらを見上げていた。
「そんな目で見んなよ。朝っぱらから、我慢できなくなんだろ。」
まるで、誘っているような顔に、小さく笑ってそう言えば、古市はカッと顔を赤く染めて、
「なっ、だっ、誰のせいだと思ってんだっ!
つーかお前っ、ここ、学校っ! 校庭っ! 誰か見てたらどうすんだよっ!!!」
このアホっ! と、遠慮なく頭を殴られ、更に足で蹴られる。
その拍子に、男鹿の背中にくっついたベル坊が見えて、みぎゃぁぁっ、と古市は悲鳴をあげる。
朝っぱらから元気なことである。
「男鹿っ、バカっ! おまえ……ベル坊ーっ!!!」
どうすんだよっ、見られたじゃねーかっ! ──と、ちょっと涙を滲ませながら叫ぶ古市に、ここが学校じゃなかったらなー、とか、もういっそ、今から古市連れて帰るか? などと思っては見たのだが、それを口にしたら古市に怒られるのは目に見えているので言わない。
代わりに、男鹿は自分の肩口から見えるベル坊を、古市にも見えやすいようにしてやると、
「大丈夫だ。ほら、ちゃんと目ぇ閉じてるだろ。」
普通の赤ん坊とは一味も二味も違うベル坊は、空気も読めるのだ。どこぞのMK5とは違う。
ちゃんと、お子様が見てはいけない雰囲気を察して、小さな両手で目を塞いでくれていた。
「だっ!!」
ぎゅぅ、と目を瞑っているベル坊の様子に、あー、ほんとだ、と和みかけた古市は、すぐにその理由に気付いて、
「って、違うだろーっ! お前、ベル坊に何やらせてんのっ! ってか、何教えてんのっ! おかしいだろっ!!」
「教えてねぇぞ、いつのまにかできるようになってた。」
「それもどうなんだよっ!!!」
何ソレっ!? ──と悲鳴をあげる古市に、男鹿は何か問題があるのか? と首を傾げるだけだ。
もしここに、ヒルダやアランドロンがいたら、「ふだん、ところ構わずいちゃついてる二人のせいだ」と指摘してくれるだろうが、残念ながら回りには誰もいなかった。
登校時間とは言えど、石矢魔の人間は元々まともに登校することが少ない。遅刻するヤツも多いし、逆に朝早くから来ておいて、授業が始まる頃に居なくなるやつも多い。基本、みんな遅刻ギリギリに登校してくるのだ。
更に言えば、二人が今居る場所は、聖石矢魔の人間は入ってきてはいけない場所にされている区間のため、どれだけ騒いでいても、大丈夫なのである。
それくらいちゃんと見てたぞ、という男鹿に、運がよかっただけだろ、と古市は返す。
まだ赤くなっている頬を擦りながら、
「ったく──……っていうか、お前、アレがお返しとか、それこそないんじゃねーの?」
そんな照れ隠しの憎まれ口を叩いてくれるから。
男鹿は、にやぁ、と悪魔のような笑みを浮かべて、つい、と古市の耳元に口を寄せると、
「ハートは、一個しかやれなかったけど、愛情だけは、ちゃーんと三倍返ししたぞ。」
夜の気配を濃厚に残した低い声で、そう、囁いてやった。
「──……っ!!!」
びくぅっ、と大きく体を震わせた古市が、慌てて耳に手をやって顔を真っ赤に染めるのを見ながら、彼は愉快そうに笑ってみせると、
「もっと愛情示せっつぅんなら、受けてやってやるぜ、古市君?」
ケンカの時に見せるのとは、少し色合いの違った好戦的な光りを双眸に宿して、古市を見下ろす。
古市は、そんな彼を、憎らしいような、恥ずかしいような、微妙に入り混じった目で見上げた後、
「帰りに、PINO買って、ハートが出なかったら、その愛情、受けてやってもいいぜ?」
ちょっと悔し紛れに、そう答えてやった。
男鹿はその回答に、ちょっと驚いたように目を見開いたが、すぐに古市が言いたいことに気付いて、
「おう、任せとけ。全部ちゃんと、口移しで食わせてやるからよ。」
古市が多分、望んでいるだろう答えを、口にしてやった。
*ゴディバのアイス、ハートミルクチョコレートは、数年前に実在していたものです。──が、現在は残念ながらありません。
でも、どうしても書きたかったので; 古市は天性のラッキーボーイらしいので、ふつうにPINOにはハートが入っていると思っているのだと思います。
*本文中で書き忘れたこと→葵ちゃんは、バレンタイン翌日、ちゃんと古市に義理チョコを買って渡しました。