「お待たせいたしました。」
出て行った時と同様、シュンッ、と突然アランドロンが出てきた。
地面にジッと我慢の子で正座していた男鹿は、現れた男に、待ってましたとガバッと起き上がる。
「おぉ、来たかっ、古市の声っ!」
──ついでに、脚をガックリと折りそうなくらいの足痺れに出会って、その場に跪く。
それでも手を伸ばして、アランドロンが持っているラジカセを受け取ろうとするのだから、その根性だけは認めてやろうというものだ。
「ちゃんと録ったか、古市?」
「はい、きちんと話しておりましたよ。」
バッチリ聞いてました、と、指先で丸マークを作るアランドロン。──古市に耳をふさいでいると言ったのがウソだと、ここであからさまにばらしてしまっているが、愛嬌であろう。
よしよし、と頷いた男鹿は、早速ラジカセを再生させようとして、動きを止めた。
「……おい、髭のおっさん。これ、再生ボタンを普通に押したらいいのか?」
「んぉ? あー、ちょっと待て。」
すっぱー、と心地よくタバコを吸っていた早乙女は、その声に、よっこいしょ、と体を起こす。
そして近づいてきて、テープが完全に巻き戻っているのを確認すると、
「あぁ、ちゃんと巻き戻されてるな。」
それなら再生ボタンを押したらいいだけだ、と、地面に置いたラジカセのボタンを、ぐ、と押してやった。
すると、数時間前と同じように、ラジオから黒い霧のようなものがわきあがる。
それは人の形をしている。──それもあの時と同じ。
ただ、違うのは。
黒い靄のようなそれは、ベル坊の時と違って、はっきりと人と同じような姿をしていた。
夕焼けに茜色に染まる銀色の髪。白い素肌。すらりとのびた手足を包むのは、黒の長袖シャツと白のチノパン。中に丸首の白Tシャツを着込んでいるらしいその姿は、どこにでもいる高校生だ。
「古市っ!」
それを認めた瞬間、ぱぁっ、と男鹿は顔を輝かせる。
早乙女が見る限り、今まで見たことがない表情だ。
男鹿の横で見ていたベル坊も、あー、と声をあげて「古市」を見上げている。
「……影にならねぇってことは──戦闘能力は皆無、ってことだな。」
まず、出てきた「古市」を最初に見て早乙女が思ったのはソレだった。
潜在能力と呼べる「力」もない、一般人。
そういう人間の「声」には、ただの写し身にしかならない。
影として実体化させる力がないからだ。
だから、声をそのまま形にした姿にしかならないのである。
──っていうか。
「こいつが、古市?」
早乙女は思っていたのと全く違う人物が目の前に降り立ったのを見て、眉を顰めた。
銀色の髪──あぁ、覚えている。そうだ、教え子の中に居たよ、こんな髪。
けど、コイツは、どこからどう見ても。
「……男、だよな?」
男装の麗人ではない。だって、出欠確認をしたときに、「古市貴之」って呼んだような記憶があるし、返事も男声だったはずだし。
その煙るような双眸が男鹿を映し出す──その横顔は、確かに男にしては綺麗な部類だったが、それでも喉仏もある、ごく普通の少年だ。
まぎれもない、少年だ。
──コレが、男鹿の、恋人ってか?
なんだか思いっきり肩すかしを食らった気がして、早乙女はタバコをポロリと落としてしまった。
「おー、古市っ、久しぶりだなっ!」
気色満面の男鹿の様子を見たら、一発で分かる。
だって態度が違いすぎる。
ホンモノではないというのに、笑顔で駆け寄る男鹿の、なんと幸せそうな顔か。
「おいおい、お前、マジでか、くそったれ。」
金髪美女のボインの侍女悪魔だとか。
黒髪の大和撫子美少女だとか。
そんな二人に囲まれていたくせに、彼女たちには目もくれず、どこにでも居そうな少年一人に心を奪われている。
お前、正気か? と早乙女的には思わずにはいられない事態だ。
一体、どんな美少女が出てくるのかと思いきや、少年。しかも普通の高校生。潜在能力も全くナシと来た。
これは、さすがに肩透かしを喰らったような、意外性にビックリしたような……複雑な気分である。
「古市っ!」
がばっ、と抱きつこうと、男鹿が両手を広げたそのタイミングで、
「……こっの、浮気者がーっ!!!!」
古市(実体化した声)が、アッパーカットを決めた。
それも飛び上がるほどの勢いである。
どごっ!!
「がふぅぅっ!!!」
まともに喰らった形になった男鹿は、そのまま1メートルくらい吹っ飛んだ。
「アダーッ!?」
ビックリしたベル坊が目を見開くが、地面にドサリと背中から倒れた男鹿にビックリしたのは、早乙女も同じである。
ちょ、おいおい、お前、修行中にもそんなまともにパンチ食らってなかっただろーがよっ!? 何、素人のパンチ食らっちゃってんの、まともに正面からっ!!
「ちょ、待て、古市。昇○拳とかお前、気合入れすぎだろっ!?」
殴られた拍子に口の中を切ったのだろう。
ぐい、と口から出た血を拭き取りながらの男鹿のセリフに、しかしブラック古市は容赦なかった。
そのまま一気に間合いを詰めると、ぐいっ、と男鹿の襟ぐりをつかみこむ。
「てっめぇ、よくも人の前に顔を出せやがるなっ!? 連絡取らないまま3日も俺を放置しておいて、その挙句、てめぇは邦枝先輩と一緒にデートだとっ!? 泊り込みでラブイチャパラダイスだとっ!? ふっざけんなよっ、こらぁっ!!」
そのまま古市は、右手で激しく男鹿の顔を往復ビンタし始める。
右に左にと、男鹿の顔が左右に激しく揺さぶられるたび、彼のほっぺが腫れていく。
その様を、ベル坊は目を見開いたまま、たらー、と汗を流してみていた。
「二人っきりで泊り込み修行とか、何ソレッ!? 人がしょっぱい思いしてるときに、何、浮気とかしてんのっ!? ありえねーだろっ! 二人でイチャイチャキャッキャしながら修行して、一緒に風呂入って、背中流したりとかしつつ、昨日はしっぽり同じ布団で御休みなさいとかしたとか言うんじゃネェだろーなっ!? あぁっ!!?」
「ちょ……待てっ……ふる……い……、ちが……っ!!」
話したくても、弁明したくても、古市の攻撃は容赦ない。
ギリギリと目を吊り上げた古市は、そのまま男鹿を放り出すと、
「ってか、しかもその上、ヒルダさんがお前の布団で寝てるって何ッ!? も、ありえないだろっ! なんでお前の布団で寝てるのっ!? あれかっ!? いつも一緒に寝てるから、体が疲れてるときは一人で寝てた布団よりも、お前の布団で寝てるほうが落ち着くとか、そういうことかっ!? お前の匂いに包まれたほうが良く寝れるとかって、何その少女漫画っ!? ありえねぇしっ!」
「や、……だからちが……っ、ちょ、ふるい……っ。」
がしがしがしっ、と容赦なく殴られ、けられ、ぼっこぼこにされて、男鹿はそれでも弁明しようとするが、やっぱりブラック古市は聞く耳を持ってくれない。
だって仕方ない。
この古市は、愚痴交じりの言葉が結晶となり、それが表層意識として出てきてしまった古市を具現化したものなのだから。
そんなブラックな古市なので、当然、容赦もない。
「こっの、スケコマシがっ!! 裏切り者っ! 浮気ものっ! そんな、他所の女にヘコへコするような、おまえのチ○コなんて、つぶれちまえっ!!!」
思いっきり足を振り上げたかと思うと──古市は、平素なら決して叩き込むことがないだろう場所へ、思いっきり、足先を蹴り込んだ。
チーン……。
「──……◎×△☆□※〜っ!!!!???」
声にならない絶叫をあげた男鹿が、股間を押さえて悶絶する。
目の玉が飛び出るかと思うような衝撃に、声も息も出ない。
そのあまりの衝撃に、思わずベル坊も早乙女も、自分の股間を抑えて、ぎゅ、と足を狭めてしまった。
あれは痛い。
見ているこっちも痛い。
なんて恐ろしい攻撃……っ! 同じ男である以上、あの痛みは理解できるだろうに、それでも躊躇なくやってしまうなんて、なんて恐ろしいブラック古市……っ!!
ガクガクと震える早乙女の前で、ブラック古市はすっきりしたような顔で、悶絶する男鹿をニッコリ見下ろすと、
「あー、すっきりした。
じゃーな。男鹿。修行頑張れよ。」
ひらりん、と手を振り──ぼふんっ、と、消えた。
残るのは、身悶えた男鹿と、呆然とするベル坊、そしてそれを見守るやはり呆然とした早乙女と。
じー、と切ない音を立てるラジカセのみである。
「……あ……おぉ、再生が終わったようだな。」
は、と我に返った早乙女は、ラジカセの停止ボタンを押した。
なんというか、怒涛の展開だった。
股間を押さえて悶絶していた男鹿は、フルフルと体を震わせている。
ベル坊が、よちよちとそんな男鹿に近づいて、
「あー。」
ペチペチと、大丈夫かというように男鹿の腕を叩いた。
男鹿は、それに耐えた後、キッ、と、必死の形相で早乙女を睨みあげた。
その両頬は腫れあがり、酷い顔になっている。
「ちょ……おっさん……っ。」
「おう、大丈夫か、男鹿?」
声をかけながら、大丈夫じゃねぇんだろうな、といたわしそうな目線を向ける。
まさか、潜在能力を持たない人間に、これほどの攻撃が出来るとは──というか、怒涛のような連続攻撃を、全部まともに受けすぎだろう。
ブラックベル坊の攻撃にあれほど耐えたにも関わらず、今の男鹿はすっかりボロボロである。
一般人相手なら、無双が出来そうな勢いの強さである。さすがは潜在能力を実体化するラジカセと言ったところか。
「だ……いじょうぶとかじゃ、ねーっ!
っだよ、コレっ! 今ので終わりか、こらっ!?」
「だろうな。」
がばっ、と気合で起き上がった男鹿に詰め寄られて、消えたもんはそういうことだろ、と早乙女はやる気なさげに返してやる。
「ふざけんなよっ!?」
「いや、俺に言うなよ、くそったれが。」
っていうか、おまえ、マジでアイツがコレなのか?
と、ちょっと呆れ顔で小指を立ててしまう早乙女に、男鹿はリテイクを願い出る。
「もう一回再生しろっ! 今度は、古市が攻撃してくる前に押さえ込むっ!!」
「無理だっつーの。」
「なんでだよっ!」
いくら「古市」に好き放題に殴られていたとはいえ、あれはあくまでも古市だから、だ。
今度はさっきみたいに行かねぇっ、と噛み付くように怒鳴る男鹿に、早乙女は、苦虫を噛み潰す顔になった。
──悪魔との戦いに、「今度」なんて言葉はない。
一回限り、だ。
だから、男鹿の「今度こそ」というのは、師匠としては許せることではない。そう説教をしてやりたいのも山々なのだけれど。
しかし、今回の「無理」というのは、そういう意味じゃない。
早乙女はラジカセを顎でしゃくると、
「こいつは、一回の録音につき、一回の再生しかできねぇよになってんだよ。つまり、さっきの再生でおしまいだ。
もう一回会いたきゃ、再度録音してもらってこい。」
「あぁっ!?」
なんだその設定っ! と怒鳴る男鹿に、だから俺は延々と5時間もエクササイズしたんだろーがと、早乙女は溜息を零す。
録った分だけしか再生できない。しかも一度の録音につき一度の再生。──だからこそ、修行の時間を途中で遮らないように、5時間分もの録音をしたのだ。……一部使えないところとかがあったり、声の質などによって、丸々5時間分の修行時間を取れるわけではないところが、このラジカセの欠点ではある。
男鹿は、うー、と低く唸る。
確かに、古市には会えた。偽者ではあるが、あの古市は現実の古市の「声」だ。
会えたには会えたが、──不満だ。
だって、あの古市は、男鹿に笑いかけもしなければ、手を触れることすらしなかったのだ。
色気だとかそれ以前の問題だ。
いつもの古市なら、ああやって怒鳴って叫んで殴って蹴って──でもその後に、しょうがねぇな、って苦笑を見せてくれるのだ。
そして、変わらない態度で、いつものように隣に立ってくれる。
なのに、あの古市は、怒鳴ったら怒鳴りっぱなし。殴っても蹴ってもほうりっぱなし。──で、そのまま姿を消してしまった。
それが、不満だった。
これでは、消化不良を起こしてしまう。
「……しょうがねぇ、アランドロン、もう一回……。」
憮然とした顔のまま、古市の声を録ってきてくれ、と、男鹿が続けようとした。
──が、それよりも先に、早乙女が、
「いや、つうか……、次元転送悪魔が居るんだったら、直接おまえが会いに行きゃいい話じゃねぇのか?」
ごく基本的な現実を、投げかけてくれた。
「──……っ!!!!」
はっ、と、男鹿が目を見開いて振り返る。
ついでにベル坊も、はっ、と目を見開いて早乙女を見上げた。
なぜかアランドロンも、はっ、と目を見開いて……以下略。
「そ、それだぁぁぁーっ!!!!」
ビシィィ! と偽造親子二人に指で指されて、早乙女は半目になるしかなかった。
「気づけ。」
冷静に突っ込んでしまったのも、無理はない話である。
あーあ、と頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる早乙女から、アランドロンへと視線を移した男鹿は、嬉々とした表情で拳を握り締める。
「よっしゃ! アランドロンっ! 俺を古市の下へ運べっ!」
なんで昨日の夜のうちに気付かなかったんだろうと、地面に座り込んでいたベル坊を拾い上げる。
「ウィーッ!」
行くぜっ、というように指をビシリと差したベル坊は、そのままベッタリと男鹿の背中に張り付く。
「イエッサー。」
主君であるベル坊の出発命令を受けて、アランドロンが頷く。
そして、その体が、額から真っ二つに割れていく。
いつ見ても不気味な光景に、早乙女はヤレヤレと肩を落としてラジカセの前にしゃがみこんだ。
「夕飯前には帰って来いよ。」
修行が待ってるんだからな、と続ければ、男鹿がドヤ顔で振り返る。
「まかせとけ。」
「ダ。」
ドドーン、と無駄におどろおどろしい笑顔で笑う悪魔的な表情に、顔だけは一丁前なんだけどな、と早乙女は思う。
「さぁ、では、いざ古市様の下へ。」
「おー!」
「だーっ!!」
思い切り良く開いたアランドロンの体内へ、男鹿は踏み出す。
常人が見たら気が狂いそうになる光景に、早乙女は顔色一つ変えずに、ヒラヒラと手を振ってやった。
意気揚々とアランドロンの中へと姿を消し──すっぽりと体がおさまったかと思うや否や、ぱたん、とアランドロンの体がふさがった。
それを見ていた早乙女に、アランドロンは右手をワキワキと折り曲げすると、
「チャオ。」
ふざけているのか真剣なのか、ちょっと悩むような挨拶をしてくれた後、フッ、と掻き消えた。
まるで今までソコに存在していなかったかのような、一瞬の出来事であった。
早乙女はソレに、ぷかぁ、とタバコの煙を吐き捨てると、
「やれやれ。──ったく、思春期の青少年だなぁ、くそったれ。ラブコメか。」
ラブラブで羨ましいこって。──と言いながらも、あまり羨ましがってない顔で、早乙女はラジカセの巻き戻しボタンを押す。
男鹿の相手がヒルダや邦枝なら、俺があと十年ほど若けりゃねー、と言っていたところだが、相手は「男」だ。いくら顔が綺麗でも、俺は男には興味はない。
「さーて、んじゃ、先に戻ってるか。」
夕飯まで、ゆっくり風呂にでも浸かるか、と。
早乙女は薄闇に包まれていく空を見上げて、ぷかー、と煙を吐き出すのであった。