もっと触れて、傍にいさせて











これからも、もっと、ずっと、君の傍にいさせて。











「ふーるいーちくーん、あーそーぼー。」
 能天気な聞きなれた声が聞こえる。
 布団を頭からかぶって眠っていた古市は、その声にボンヤリと目を覚ました。
 もぞもぞと布団から出ながら、ショボショボする目を擦る。
「んー? ……男鹿ぁ?」
 なんで男鹿が、朝っぱらから……と枕元の目覚まし時計を見れば、時計は11時を指していた。
 11時……? 朝の、だよな? にしては、なんだかまだ寝たりないような気がする。
 と、眠さで膜がかかったような頭で首をひねっていると、返事もしていないのに古市の部屋のドアが開いた。
 誰が開けたのかは想像がつく。──だっていつものことだからだ。
 上半身を起こしながら振り返ると、出入り口には幼馴染が悪魔のような微笑みを浮かべて立っていた。
「ふるいちくーん。──って、なんだお前、まだ寝てんのかよ。」
 古市がまだベッドの中に居るのを見ると、男鹿はズカズカと部屋の中に入ってきた。
 後ろ手でドアを閉めてベッドサイドまで歩いてくる男鹿を、古市はぼんやりと見上げる。
「……あー……、まぁな。昨日は、お前んち出たのが遅かったからな……。」
 ふぁぁぁ、と大きな欠伸を漏らして、結局あれから風呂に入ってなんだかんだとしてたら、3時過ぎてたんだ、と続ける。
 ボリボリと首筋を掻きながら、それでも8時間寝たなら上等か、ともう一度欠伸を漏らす。
 身体を動かすと、節々がキシキシと痛んだ気がして、軽く眉を寄せた。
「だから、泊まってけって言ったじゃねーか。」
 ぎし、とベッドに座り込む男鹿に、ジロリと古市は睨みつける。
「うっせぇ。泊まってったら、それこそ朝まで起きてることになんだろーが。」
 ふざけんな、と言いながら起き上がろうとした古市は、その瞬間に走った痛みに、うう、とベッドに突っ伏した。
「古市? どーした?」
 不思議そうな顔で尋ねられて、古市は腰に手をあてながら、ゆっくりと起き上がりなおした。
「どーしたもこーしたも、あるか。てめぇのせいだろーがっ。」
 今度は腰に響かないようにソロリとベッドから脚を下ろした。
 あらぬ場所に走る痛みに、後で痛み止めでも飲んでおこうと思いながら、まったく、とブツブツ零せば、
「俺のせい? なんでだよ。お前がもっとってせがんだんだろー……。」
 呆れた目で見下ろされた。
 途端、古市はカッと顔を赤らめた。
 昼日中の自室で思い出したくもない恥ずかしい物が脳裏に蘇り、古市は咄嗟にグッと拳を握り締めた。
 そしてソレを衝動のまま放つ。
 ぼごっ!!
「あだっ!」
「言ってねーよっ!」
 一発だけじゃ物足りなくて、古市はそのまま二度三度と男鹿を殴りつけた。
「いてっ、痛いっつーのっ! ってか、お前言ったっ! 足りないからもっとって言ったぞっ!」
「言ってねぇっ! 俺が言ってないって言ったら、言ってないんだよっ!!」
「あぁっ!? 何言ってんだよ、お前、俺の腰に脚絡めて……。」
「言ってないって言ってるだろーっ! ってかおまっ、昼間っから、何言ってんのっ!!!」
 がしっ、と手首をつかまれて、離せーっ、とジタバタ足掻いて──ズキィンッ、と腰に痛みが走って、古市はそこで暴れるのを止めて突っ伏した。
「…………っ。」
「おい、古市くーん?」
 ぽす、と布団に顔をうずめたまま身悶えて動かない古市に、男鹿は首を傾げてポンポンと古市の頭を叩く。
 軽い力のつもりなのだろうが、ケンカ慣れしている男鹿の力はけっこう痛くて、古市はジトリと男鹿を睨みつける。
「痛い……。」
「……マッサージしてやろーか?」
 にやぁ、と笑って腰に手を当てられて、古市はぴしゃりとそれを跳ね除ける。
「バカ言うなっ! お前にそんなもんできるかっ!」
「何を言う。俺のゴッドハンドを舐めんなよ。」
 わきわきと指をイヤな感じに折り曲げさせる男鹿に、古市は眉間に皺を寄せる。
 男鹿の大きくて温かい手が、気持ちいいのは知っている。「マッサージ」とは少し違うけど、緩急をつけて撫でられるのが心地いいとも知ってはいる。
 ──けど、男鹿の言うマッサージの意味がわからないわけでもなかったから、古市は当然お断りする。
「てか、マッサージされたら余計に痛くなるからヤだ。
 ──で、お前、何しに来たんだよ?」
 いつまでもベッドでゴロゴロしてたら、それこそ「誘ってんのか?」とか言って押し倒されそうだと、古市はベッドから降りて腰をトントンと叩く。
 ほんと、春休みに入ってからというもの、腰の休まる暇がないというか。
 今時、会社人だって週に2日の休みがあるのだから、俺にも男鹿ナイDAYとか言うのが2日か3日くらいあってもいいと思う。──と、小学校時代から男鹿と会っていない日を数えるほうが難しい古市は、思わずにいられない。
「遊びに来た。」
 簡潔に答える男鹿に、古市は彼を胡散臭そうな目で見る。
 毎日毎日、懲りないことだ。──もっとも、昨日は古市が男鹿の家に遊びにいっていたのだから、お互い様とも言える。
 古市は小さく溜息を零すと、床にしゃがみこんでベランダ側の窓に近づく。
「あー……んじゃ、ちょっと待ってろ。今、PS2出すから。」
 薄型の液晶テレビの前に膝をつき、テレビラックの中を覗く。
「ちょっと着替えて顔洗ってくるから、それまでゲームを接続して先にやってろ。」
 朝食は──すでにもう昼食と言ってもいい時間だから我慢するとしても、ミネラルウォーターくらいは飲みたい。
 男鹿が勝手にゲームをセッティングして、ゲームを始められるようにと、四つんばいになってPS2とソフトを出そうとしていたら、
「ゲームはしねぇよ。」
 ずし、と、後ろから圧し掛かられた。
「おわっ!? ちょ、男鹿……っ!?」
 四つんばいになった古市を、まるで後ろから抱きしめるようにして圧し掛かった男鹿は、古市の頬に自分の頬を寄せて、両腕を細い体に回す。
「重いっ!!」
「着替えなくてもいーぞ。」
「男鹿っ、退けって、マジで重いっ!」
「古市。」
 迷惑そうに顔を顰める古市の頬から顔を少しずらして、男鹿は彼の首元に唇を近づけると、チュゥ、とソコに吸い付く。
 途端、ぞくぞく、と背中に走った感覚に、古市はブルリと身を震わせた。
「……やっ、ちょ……、男鹿っ…………。」
 思わず、声が上ずってしまったのは仕方がないことだと、思う。
 だって、ほんの12時間前までは──いや、もう少し間隔は短いかもしれない──、自分の体を抱きしめる身体に、翻弄されていたのだ。
 一晩寝たからと言って、その記憶がなくなるわけでもなければ、つい昨夜与えられたばかりの感覚を、思い出せなくなるわけでもない。
「ゲームはしねぇ。────エッチ、しよーぜ、古市。」
「──……っ!!」
 なぁ、と、せがむように臀部に押し付けられた男鹿の腰が、緩く勃ちあがりかけているのに気付いて、古市は顔をカッと赤らめる。
「なっ……、に言ってんだよっ!」
 一瞬で熱が灯った気がする体を、必死で気付かなかったフリをしながら、古市は痕をつけた箇所をペロリと舐める男鹿を振り払おうと身じろぐ。
 そのまま彼の下から逃げようとするが、男鹿の手はそれを許してくれない。
 嬉しそうに首筋から耳へと口付けを降らせる男鹿に、ちょっと待て、と言いながら古市は身体を反転させる。
「なんでそーなんだよっ!?」
「古市の顔見たら、エッチしたくなった。」
 なぁ、いーだろ? と、当たり前のような顔で──目には欲情を潜めて、男鹿が目の前の古市の頬に、鼻にと口付け……舌先でペロリと唇を舐める。
「バッ……カ! 昨日もしただろっ! いま俺が腰痛いのは、そのせいだってのっ!」
 その脳みそは覚えてないのかっ、と悪態づきながら男鹿の頬を引っ張ってみるが、男鹿はケロリとした顔で古市を見下ろす。
「昨日は昨日だろ。今日は今日。」
 そして、ぽかん、と口を開いた古市の唇ごと咥えこみ、スルリと舌を差し入れる。
「んむっ……っ!」
 目を丸くさせる古市の──さっきから庇っていた腰を気遣うように、掌で何度かさすりながら、寝巻き代わりに着ているシャツの裾から手を差し込む。








 しっとりと汗ばんだ肌が手に吸い付き、寝起きのせいでほんのりと温かい体が気持ちいい。
「ちょ……っ、こら、男鹿、止めろって……はっん……っ。」
 舌を絡めようとするけど、古市は唇をはがして可愛くないことをいう。
 けど、そんな説教も制止の声も聞くつもりはなかった。
 ──だって、古市が言ったのだ。
「だって、しょーがねーだろ。」
 キスしても足りなくて、古市の口内に舌を入れて吸い尽くしても、まだ足りなくて。
 古市を自分だけのものにしたくて、他の誰よりも古市の傍にいたくて──だから、たくさんキスをした。
 額にも、頬にも、耳にも、首にも、胸にも、腰にも──古市が、決して自分と自身以外に触らせない場所にも。
 それこそ、人に言えないような場所にも、たくさん。
 それでも、まだ足りなくて。もっと古市が欲しくて。
 どうしようもなくて──このまま古市を壊してしまいそうな恐怖を抱いたその時に。
 古市が、言ったんだ。
「今、俺は古市の一番深い場所にいきてぇんだから。」
 そんなときは、古市と、「そう」すればいいんだ、と。
 ──そう、古市が教えてくれた最初の日のことを、男鹿は今でも良く覚えている。
 古市と男鹿が初めて、身体を繋げた日のことだからだ。
 古市の傍にいたいと思うたびにキスを。もっと近づきたいと思ったときはキスを深くして。
 古市は俺のだと思えば、身体中に口付けて。
 そうして、それでも足りないくらい、古市の、ずっと深いところに行きたいのなら。



『それなら、俺の一番深いとこまで来るか……?
 ……俺と、一つに、なる?』



 少しの不安と情欲に濡れた瞳で、互いの唾液で濡れた唇で、あの時、古市はそう言った。
 あの日、あの夏──まだ、半年と少し前のことだ。
 古市が、男鹿と別の高校に進学すると決めた後。最後の進路希望を先生に出した日の、後。
 進路指導の翌日。
 古市は、震える指先で男鹿の手を握りながら、羞恥と興奮に頬を赤らめ──お互いに放った白濁とした液体が散った胸を上下させながら、男鹿の手を、導いた。
 己の、誰も触れたことのない場所へ。
 あれも、今と同じ古市の部屋の中での出来事だった。
 クーラーの効いた室内で、進路先のことやまだ受験してもいない高校への希望に胸を膨らませて饒舌になる古市に、たとえようもない苛立ちが浮かんで、今までにないくらい激しく彼の口付けを求めた。
 二人がけのソファに縺れ込んで、涼しい室内で汗にまみれて──そうして、お前の傍にもっと行きたいと、もっと深いところにいたいのに、と、慟哭にも似た思いで吐いた男鹿に、古市が言ったのだ。
 もっと、俺の深いところへ来ればいい。──一つになればいいんだ、と。
 誰にも見えない場所に──俺と男鹿しか分からない場所に、刻み付ければいい、と。
 古市は、そう言って、男鹿を受け入れた。
「そーゆー時は、エッチするんだって、古市が言ったんだろ。」
 だから、今もエッチしたいって思ってる。
 ケロリと素直に告げれば、古市は呆然と目を見張った後──頬から耳まで、真っ赤に染めた。
 キッ、と真下から睨みあげてくる目は潤んでいて、まるで誘っているように見えて──あの目玉を丸ごとむしゃぶりたい、と思ってしまう自分に、男鹿はちょっと困ってしまった。
 そんなことをしたら、古市の目に、自分が映らなくなってしまうし、綺麗な目を見ることができなくなるからだ。
「そりゃ……言ったけどっ! 言いましたよっ、そこは言ったって認めるよっ! けどな、男鹿っ!? 物には限度ってもんがあるだろーがっ!!」
「おお、そこはちゃんと認めるのか。」
 昨夜、あんなにせがんで啼いてよがったことは覚えてねーくせに、と続ければ、バコッ、と再び殴られた。







 いてぇ、と文句を言う男鹿に、うっせぇ、と憮然と答えた古市は、やっぱり怒ったような顔で男鹿を睨みつけて続ける。
「そりゃ、俺だって男の子ですから、エッチはキライじゃないよ? あぁ、むしろ気持ちいいことは好きだ。
 けどなっ!? 俺はお前と違って普通だから、体力の限界ってぇもんがあるんだよっ!!」
 両指で男鹿の両頬を摘んで、みよーん、と伸ばしながら怒鳴りつける。
「ふるひい、いひゃい。」
「週に2、3回ならとにかく、なんだよお前っ!? 卒業式終わってから、ほとんど毎日じゃんっ!? ってか、毎日だよな? お前、まいっにち、エッチしようとしてんよなっ!?」
 叫びながらだんだんとイラついてきたのか、古市は指先に力を込めて、グリグリとひねりまで加えてくれる。
 さすがの鉄面皮デーモンでも、それはさすがに痛い。
 三白眼に涙を浮かべて、痛い、と訴える男鹿を、古市は憎憎しげに睨みつける。
「おかげで俺、この春休みの間、腰が痛くて全然でかけらんないんですけどっ!? 女の子たちの卒業パーティのお誘いとか、クラブの送迎会のお誘いとか、ぜんっぶ、いけなかったんですけどねっ!?」
 しかも遠出も出来ないので、いける範囲と言ったら近所のコンビニか公園か男鹿の家くらいのもの。小学生の時の行動範囲とあまり変わらないという切なさだ。
 せっかく、同級生の女の子の、ちょっと大人びた私服を見たり、高校に入ってからもよろしくねー、とか、合コンのセッティングとかしない? だとかの話をしようと思ってたのにっ!
 それが全部台無しっ! なぜって、絶倫バカ彼氏が離してくれなかったからッ!
「いいじゃねーか、それの何が悪いんだ?」
「どこもかしこも悪いだろーがっ!!」
 まったく悪びれない様子の男鹿に、古市はほっぺたから手を放して、まったく、と額に手を当てて頭を振る。
 そんな古市に、ちゅ、と空気も読まずに男鹿が軽く口付けてくる。
「俺の傍にいりゃいーだろ。十分じゃねーか。」
 グリグリ、と肩口に額を押し当てられて、はぁぁ、と古市は飽きらめの溜息を零した。
 男鹿は、他人に関しては全く興味がないようにしか見えない男なので、基本、執着心だとか独占欲がまったくないように見える。
 けれど、古市に関してだけは違うのだ。
「お前なぁ……。」
 こういう関係になっても、古市はやっぱり可愛い女の子が好きだし、一緒に遊びに行くこともあった。──デート、とあえて言うが、実際は女友達と一緒に遊びに行くだけで、デートとは厳密に違うことを男鹿も分かっている。にも関わらず、男鹿は古市のデートの邪魔をする。
 いわく、「お前が一人で楽しそうにしてるのがムカつく」とのことだが、なんのことはない、ただの嫉妬である。
 そんな男鹿のことだから、古市もちょっと嬉しい気持ちもあって、ついつい甘やかしてきてしまったのだけど──。
 甘やかしすぎたのかもしれない。
 ──いや、でも、この半年の間は、それも仕方がなかったのだ。
 古市だって、男鹿と今までのような毎日会って当たり前、のような関係は出来ないだろうと思っていたし、これからは待ち合わせなんてものをして会うことになるのかな、と思ったら、ついつい、男鹿を甘やかしてしまったのだ。
「なんだよ。お前、こないだまでは、そんなこと言わなかったじゃねーか。エッチしたい、って言ったら、いっつも俺もしたいって言ってただろ。」
「あっ、れは、状況が違うだろーっ!」
 ぱしんっ、と恥ずかしいことを恥じらいもせずに言う男鹿の頭を叩いて、古市は赤らんだ頬をプイと背ける。
 この間まで、というのは、3月の上旬辺りのことだ。公立の願書締め切りが来て、卒業式が目の前に迫っていた頃のこと。
 古市は私立に進学することが決まっていて、二人は確実に別の高校に行くことが決まっていた、頃。
 男鹿が、したい、という日は、彼が不安になっている日だったから、だから古市も素直にその気持ちを受け入れたし、身体を重ねた。
 お互いにお互いを離したくないと思っていたし、奪われたくないと必死だった。
 自分たちがお互いに選んだ道だったけれど、それでもお互いに、違う高校に行くことで互いに現れるだろう「自分以外」の存在に、不安を覚えていたのかもしれない。
 そうやって、二人、つたないながらも身体を繋げることで互いの想いを認識しあっていたのだ、が。
「そっか? 同じだろ?」
「違うっ! っていうか、あんときはお前、週に3回とかだっただろっ!! 体育の前日はしなかったし……。」
 男鹿的には、「したい」と思ったから「した」という事実は変わらない。
 だから、不思議そうに首を傾げてくれるのだが、古市的にはそれに素直に頷けなかった。
「な・の・に! なんだよ、ここ最近はっ!
 一緒の高校に行くことが決まってから、ほんと毎日じゃねーかっ! 身がもたねぇよ。」
 ありえねぇっ! ──と、がなりたてる古市に、そーか? と男鹿は逆に不思議そうに首を傾げる。
「しょうがねーだろ。お前とこれからも一緒にいれるんだから。」
「何ソレっ!? 男鹿、お前、その理屈で行くと、春休みだけじゃなくって──なんか、この先も毎日しよーぜ、とか言ってるように聞こえるんですけどっ!?」
「お前がしていいって言うなら、毎日だってやりてぇ。」
「ヤだ。」
「即答かよっ!」
「だから腰が限界だって言ってんだろっ!!」
 喧々囂々と、床の上で半ば抱き合うようにして言い合いながら、二人はその口げんかの合間にも、キスを繰り返す。
 ふざけんな、と言いながら男鹿が古市の米神に口付ければ、古市がてめぇのがふざけんな、と言いながら男鹿の耳に軽く歯を立てて食む。
 首筋に口をつけて、シャツの中に滑り込んだ手で素肌をなでて──ちょっと濃い目のスキンシップを楽しみながら、古市は、あー、と天井を仰いで、ふと動きを止めた。
 なんだか、物凄く久しぶりのような気がした。……こういう、「色」が濃厚にないスキンシップ。
 そう思うと同時に、古市は男鹿の髪を引っつかみ、ぐい、と引っ張った。
「たっ! 何しやがんだ、古市っ!」
「──なー、男鹿。」
 ちょっと涙目になりながら怒鳴る男鹿に気にせず、古市は笑いながら彼を見上げる。
 ズルズルと尻を後方にずらして、ベッドサイドに背中を預けると、男鹿が少しできた隙間を埋めるように、膝を進めてくる。
「なんだよ?」
 古市の開いた脚の間に膝をついて、男鹿は古市を見下ろす。
 近づいた彼がキスをしようとするのに、古市は彼の頬を両掌で挟み込む。
「古市?」
 こつん、と額と額を当てて、足りないよな、と小さく呟く。
 そんな古市に、全然たりねぇ、と男鹿が答える。
 その答えを聞いて、古市は満足そうに笑って頷くと、
「男鹿、俺な、おまえともっとイチャイチャしたい。」
 真っ直ぐに男鹿を見上げて、囁く。
 その、あまりに唐突な古市の言葉に、ぽかん、と男鹿は目と口を見開く。
「──……っ。」
 絶句した男鹿の顔が見る見るうちに赤く染まるのを、じ、と見つめながら古市は更に言葉を重ねる。
「こうやって、手ぇ繋いでさ、くだらねーこと話して。」
 少し上半身を傾けて、一瞬唇を触れ合わせる。
 すぐに触れて離れた唇を追おうとすると、古市はソレを避けるように今度は男鹿の頬に口をつける。
「んで、こんな風に時々キスしたり、抱き合ったりさ。」
「……してるじゃねーか。」
 いつも、いつだって。
 むっつりと拗ねた男鹿に、古市は、んー? と首を傾げる。
「そーじゃなくってさ。えーっと……。」
 なんていえばいいのだろうか。
 自分と男鹿が、当たり前のように紡いできた時間。
 当たり前のようにあった時間。
 古市は、ソレが足りてないと思った。──それが、今、足りないから、「男鹿が欲しい」のだ。
 そう直球で言えば、男鹿はきっとこのまま古市を抱くだろう。
 でも、古市が欲しいのは、そういう「男鹿」じゃないのだ。
 それをどう言えば彼に伝わるのか分からなくて、古市は腕を組んで天井を一度にらみつけた。
「あー、とな。俺、お前ともっと一緒にいたいんだよ。」
「俺も一緒にいたいって思ってるから、エッチしてーんだろーが?」
 何が間違ってるんだ、と問う男鹿に、間違ってるわけじゃないんだ、と古市は前置きしてから、
「お前と、話したいし、遊びたいし。いろんなこと共有したい。──エッチ、するんじゃなくって、お前と普通に一緒に、イチャイチャしたいんだ。……わかるか?」
 ぐい、と顔を近づけて男鹿の目を見上げれば、男鹿はどうにも分からないような顔で、頭にハテナマークを飛ばしていた。
 ──うん、分かってた。だってお前、バカだもんなっ! 石矢魔以外受からないて言われてたほどのバカだもんなっ!!
「いつも、してることだろ、だから。」
「春休みに入ってからは、全然足りてないだろ。」
 びし、と指を鼻先に突きつける。
 だって、春休みに入ってからと言うもの、毎日のように顔をあわせたら、じゃ、エッチするか? みたいなノリなのだ。
 それがイヤなわけじゃないし、気持ちいいからいいんだけど、なんていうか、それだけじゃ物足りなくなってきたのだ。
 最後に二人でゲームしたのだって、多分、一週間くらい前だ。しかもやりかけたまま放置した記憶がある。
 なにせ、途中でふと目があった後、キスして、床でいたしちゃいましたし!? あの時の腰の痛みは、後から来て辛かった……いや、それは今は関係ないからおいておくとして。
「──……?? じゃ、キスすっか?」
 深くて甘いヤツ。
 そういいながら、男鹿が顔を近づけてくるのに、やっぱり全然理解してなかったか、と、古市は彼の口にパシンと掌を当てた。
「バカ、そーじゃなくってさ。
 キスしたり、エッチしたりしたいっていう意味じゃなくって、お前が足りてねーの。
 つまりだな、んー……お前と、そういうこと以外の、他のことがしてーんだよ。」
 ゲームしたり、バカ笑いしたり、一緒に公園でボーっとしたり、川原で石の投げ合いしたり。
 もう、石矢魔に入学することが決まったのだから、男鹿に外出を控えさせる必要もない(ケンカして内申に響かせないため。)んだから、映画を観にいってもいいし、本屋やCD屋をひやかしにいってもいい。
 ──男鹿相手に、そういう恥ずかしいことを言いたくないのだが、とどのつまり、だ。
 普通の恋人同士みたいなイチャイチャした触れ合いが足りない、と。古市は言いたいわけなのである。








 それくらい察しろ、と、頬を赤らめて至近距離で睨みつければ、男鹿は眉を寄せて古市を見下ろす。
「んー……あー、そーいや、お前の泣いてる顔とかよがってる顔とか悦さそーな顔とかしか、最近見てない、よーな?」
「見てねぇんだよ、お前は……っ!!」
 パシッ、と軽く頭を叩いて突っ込んでやりながら、まったく、と古市は溜息を零す。
「だって、しょーがねーだろ。古市が足りなかったんだから。」
 なんで殴るんだよ、と叩かれた頭を手で押さえながら、男鹿は悪びれた様子もない。
「なんで足りないのかが分からん……っ! 高校だって、一緒になったのに、毎日あんなにヤっといて、まだ足りないって、おかしくね?」
 何ソレ? 俺の愛が足りないとかいうの?
 とかちょっと恥ずかしいことをチラリと考えながら、古市は赤くなった頬を手の甲で乱暴に擦った。
「古市に分かんねーもんが、俺にわかるわけねーだろ。」
「いや、自分の感情くらい分かっとけ。
 ──ってか、まぁいいや。とにかく今日は、エッチしません。」
 腰も痛いし、といえば、男鹿は物凄く不満そうな顔になる。
「えー。」
「えー、じゃねーよ。俺はお前との会話が足りないから、それを要求する。」
 ほら、上から退きなさい、と胸をポンポンと叩かれる。
 それでも男鹿は、古市の上から退こうともせず、渋ったままだ。
「いいだろ。ここんとこずっと、お前の『足りない』を補充してやってたんだから、今日は俺の『足りない』を補充する番だ。」
 とっとと退け、と、足で蹴ってくる古市に、しぶしぶ──本当にしぶしぶ、男鹿は彼の前から退いた。
 そのまま胡坐を掻いて座って、男鹿は着替えるためにゆっくりと腰をあげる古市を見上げる。
「何するんだよ。」
「飯食って、それから映画でも観に行こうぜ。」
 のそのそとタンスに近づいていく古市の言葉に、飯なら家で食えばいいじゃん、と思った。
 映画だって、レンタルビデオ屋でDVDを借りてきて、古市の家で見ればいい。
 そうしたら、わざわざ外に行かずに──ずっと二人っきりで居れるのに。
 でも、古市は出かける気満々だ。
 元々古市は、男鹿と違って外は出かけることが好きなタイプだ。──特に女の子と約束して出かけるのは大好きだ。
 だから、男鹿ほど認識していないのかもしれない。──春休みで、学校に行かなくていい分だけ、二人っきりで居れる時間の重要性というのを。
「やっぱ、外行くのか?」
 エッチをしなくてもいいけど(本当はイヤだけど、古市がダメだというなら仕方ない)、できれば古市と二人きりで居たかった。
 けど、あえて口に出すことはなかった。
 確かに、春休みに入ってからずっと、古市を独占しすぎていたという自覚はあったからだ。
 学校に行っていると、どうしても古市を自分だけで独占できないから、春休みの間だけでも──と思っていたのだが、しょうがない。
 自分のわがままばっかり押し通すわけには行かないということを、流石に男鹿も分かっていた。
 がばっ、と色気のカケラもなく、古市は寝巻きにしていたシャツとズボンを脱ぐ。
 タンスの中から取り出した服を広げて、チラリ、と男鹿を見て──ちょっと服を掲げるようにしたのはきっと、男鹿が着ている服とソレが見合うか確認しているのだろう。
「おー、デートしようぜ、デート。」
 嬉しそうに、にこっ、と笑う。
 あっさりと口にされた言葉に、男鹿は目をパチクリと瞬く。
 ──デート。
 それは、なんだか、甘い響きを宿していた。
「──……あー……おう。」
 デート、と、生返事を古市に返しながら、男鹿は心の中で飴玉のように甘い言葉を繰り返す。
 外に出て、飯を食って、映画を観る。
 多分その後は、駅前の本屋とかCD屋とかに寄って、もしかしたら夕食も一緒に食べるのかもしれない。
 それで、ブラブラといつもの公園辺りまで帰ってきて……映画やドラマのように、そこでデートの終わりのキスをするのだ。
「………………。」
 あれ、と、男鹿は胸に手を当てる。
 なんだか今、胸の中が、ほわりと温かくなったような気がした。
 軽く首を傾げていると、古市はジーパンのチャックをあげながら、そんな男鹿を見下ろして──ひどく楽しそうに笑った。
 そんな顔も、妙に久しぶりに見る気がした。
 と同時に、古市の楽しそうな笑顔に、胸の中が更にホワホワと温かくなる。
「エッチばかりが、恋人同士じゃねーんだぞ、男鹿。
 デートして──で、ずっと一緒にいようぜ。」
 それは、多分、古市からしてみたら何でもない一言だったのかもしれない。
 けど、男鹿の胸の中には、すとん、と落ちてきた。
 今の今まで理解できなかった古市の、「エッチやキス以外」の意味が、初めて理解できた。
 あぁ、なんだ、そーいうことか。
 古市が「足りない」男鹿と。
 男鹿が今、「足りてない」と思っていた古市は。
 つまり、イコール、で結ばれていたわけだ。

 エッチやキスしてるだけじゃ、足りないものがある──そういうことだったのだ。

「…………古市、お前、すげーな。」
 思わず、感心したように呟けば、シャツに頭をもぐりこませていた古市が、はぁぁっ!? とくぐもった声をあげた。
 ぷはっ、と、首のところから顔を出しながら、古市はいぶかしげに男鹿を見やる。
「なんだよ、突然。」
「つまり、俺もお前が足りてなかったってことだろ。」
「……………………。」
 指先でシャツの裾を直し、そのまま乱れた前髪を弄りながら、古市は無言で男鹿を見つめて──まったく、と、苦い……けれど、どこか甘さを含んだ笑みを浮かべてみせた。
「今頃気付いたのか、バカオーガ。」
 憎まれ口を叩きながらも、それでも嬉しくて。
 とりあえず、イチャイチャするために男鹿に近づいて、ちゅ、と軽いキスを贈った。
 今度は男鹿も、それに深い口付けを返すことはせずに、触れるだけのキスを返すと、
「バカは余計だ、アホ市。」
 くっくっくっ、と楽しげに喉を鳴らして笑って、行こうぜ、と、古市に手を差し伸べる。
 男同士で手をつなぐとか、それ、なんて拷問ですか、と──普段ならそういうところなのだけど。
 今日は、イチャイチャするためのデートの日だから。
 しょうがねーな、と、古市はその手を取ってやった。
 取り合った手のぬくもりに、自然と込み出る笑顔を交し合いながら──きゅ、と、お互いの指を絡めるようにして強く握り締めながら、
「んじゃ、まずは昼飯だなっ。」
「おう、俺、がっつり重いのが食いたい。」
「んじゃ、ファミレス?」
 春休みの前に交わしあったのと、そう大差ない「いつもの」会話をしながら、心なしちょっと肩を寄せ合いながら、二人は部屋を出るのであった。








なにはともあれ。

今日は、ずっと一緒にイチャイチャする日。