もっと傍にいたい








 その日は、いつものように男鹿の部屋で、並んで座りながらカーレースをしていた。
 小さなテレビ画面に映る幾つもの車。
 カーブに差し掛かると、なぜか斜めに倒れる体に、お互いを肩で小突きながら、笑ったりけなしたりしていた。──本当に、普通の休日。なんてことのない、日常のヒトコマ。
 何度目かの再戦に次ぐ再戦。何戦目かすでに数えることすら放棄したレースで、男鹿がカーブを曲がり切れずにクラッシュして、早々にリタイアした。
 その結果に、アホだのバカだの言い合うのもいつものこと。
 ざまぁみろと笑いながら、古市が一位に躍り出たのを見て、いつもなら男鹿は、古市がゴールするのを邪魔しようと、くすぐってきたり、コントローラを持つ手に妨害工作をしてきたりする。
 けど、なぜか今日は静かだった。
 じ、と自分の横顔を見てくる視線に、なにやら不穏な気配を感じた古市は、直線コースにさしかかった所で、チラリと男鹿の顔を見た。
 きっと、悪魔かよ! と突っ込みたくなるような形相をして、悪事を企んでいるに違いないと、そう踏んだと言うのに。
 男鹿は、なぜか不思議そうな顔をしていた。
 見た目は睨んでるようにしか見えない。けど、古市にはわかる。
 何か、どうでもいいことに気づいて、どうでもいいことを悩んでいるのだ。
 そのうち、悩んでいる内容に混乱してきて、脳がオーバーヒートを起こすのだ。もしくはその前に、考えることを放棄して古市に丸投げしてくれる。
「古市。」
──ほら、きた。
「なんだよ。」
 画面を見たまま答えれば、男鹿が不満そうに顔をしかめる。
「おい、こっち向けよ。」
「やだよ。今、目ぇ放せねぇんだよ。」
 見りゃわかんだろ、と顎で画面を示す。
 ちょうど一周した画面では、古市の車が男鹿のクラッシュした車の残骸を追い越すところだった。
「いいから、こっち向けっての。」
「だから、やだっつってんだろ。」
 新しい妨害工作かと、呆れながら答えてやれば、ムッとしたように男鹿が唇を尖らせ、
「だから、こっち向けってっ!」
 両手で頬を捕まれて、強引に顔を向かされた。
 その瞬間、カーブを曲がっていた古市の車は、曲がり切れずに壁に激突─さらに跳ね返って、後続から来てた車にぶつかって、ひっくり返ってしまった。
「あー!」
 思い切りよく上がったクラッシュ音。続けて聞こえてきたリタイアの物悲しい音楽に、古市は悲鳴をあげる。
 横目で画面を確認すれば、セピア色に染められた画面は、無情にもスタート画面に戻ってしまった。
「おまえ、なにすんだよっ! せっかく一位だったのに!」
 ばかっ! と叫べば、男鹿がニヤリと悪人以外の何者にも見えない笑顔を浮かべる。
 ムカッとした気持ちのまま、古市はそんな悪友のほっぺをつねり上げ、コントローラーを放り出して男鹿に向き直った。
「古市、いてぇって。」
「うっせ。面の皮が厚いくせに。
 ってか、おまえこそ手ぇ放せよ。」
 ゲームは無事にリタイアになったのだから、いつまでも古市の顔を掴んでいる意味がわからない。
 そう訴える古市に、口で言うほど痛そうではない様子の男鹿は、さっき見たのと同じ不思議そうな顔をしていた。
「おが?」
 じ、と自分の顔を見つめる視線に、同じように見つめかえしてみる。
 お互いの目に、お互いの顔が映り込んでいた。
 小さい頃から見慣れた、けど、あの頃よりも大人になった顔。
 ガキの頃は、もっと顔が丸っこかったから、悪魔顔と言うより目つきの悪いふてぶてしい顔だったよな。
 それがいつからか、輪郭がシャープななって、目つきに鋭さが加わって、気づいたら大抵の人が怖がる顔になっていた。
 別に、何かが大きく変わったわけじゃないのに、と。間近に近づいた顔を、ただ凝視していた。
──ん? 近づいて??
 あれ、さっきより顔が近い、と思ったときには視界が霞んでいた。


 ふにっ。


 視界いっぱいに男鹿の肌色。髪と髪とが触れてる。
 その近距離自体は珍しくもなんともない。幼なじみで兄弟同然の距離感で付き合ってきた仲だから。
 けど。
「…………っ。」
 流石に、ゼロ距離と言うのは、なかった。
 唇に触れたかさついた感触が離れる。
 鼻と鼻がこすれそうに近いのはそのまま。
 古市は、唖然と近すぎる男鹿の顔を見つめた。
 今、なにがあった?
 何かが唇に触れた。
 近い距離のために、ちょっとした衝撃でぶつかったとか、そういうのではなくて、確実に、意志を持って触れていた。
 ぽかん、と薄く唇を開いて、目の前の男鹿の顔を凝視する。
 その目に映る自分の顔は、マヌケそうに見える。
 男鹿はそんな古市を見下ろすと、ちょっと考えるような小首を傾げて、再び唇を押し付けてきた。
「……っ!」
 なんで、と大きく目を見開いた視界にた男鹿の黒い瞳。
 そこに宿る光は、いつもの幼なじみの物だ。
 何も変わらない。なのに、唇は押し付けられたまま離れない。
 ただ触れるだけのキス。
 先程の一瞬だけ触れたのとは違う、無言で押し付けられるだけの、不器用なそれ。
 さっきはかさついてるとしか思わなかったけど、男鹿の唇なのに、柔らかくて暖かいと思った。
 息を詰めて、男鹿の顔を見ながら、あ、俺、ファーストキスじゃね? と思考が動き出す。
 それと共に、息苦しくなってきて、顔を背けようとするのに、自分の顔を掴んだままの男鹿がそれを許してくれない。
 男鹿のホッペを掴んだままの指先に力を込めてつねり上げ、自分を見下ろす男の目に、息苦しいと視線で訴える。
 そこでようやく、ぷはっ、と唇が剥がされ、古市は大きく息を吸った。
「て……っめぇ、突然、なにしやがんだよっ。」
 少し上擦った声になったのは、仕方がないだろう。なにせ息苦しかったのだ。
 キッと睨みつけて、俺のファーストキスを返せと、胸倉を掴んでやるつもりだった。
 あぁ、よく考えたら、セカンドもじゃねっ!?
──なのに。
 文句を言うつもりで見上げた男鹿の顔は、なぜか不思議そうな顔をしていた。
 古市にキスする前と、変わりなく。














「…………おい、男鹿。」
 嫌な予感がして、古市は声を低くして彼の目を覗き込んだ。
 ジンワリと汗が滲む。
 まさかとは思うが、こいつ、自分でなんでキスしたのか理解してないんじゃないだろうな!?
 流石にそれは勘弁してくれと、眉をへにょりと落とした段階で、再び男鹿が動いた。
 目と目を合わせたまま、唇が重なる。
「んっ……。」
 今度は、少し勢いがあって、濡れた感触がした。
 息を詰めて、間近に見える男鹿の目を見つめる。
 押しのけるとか、けり倒すとかは頭になかった。
 本当に嫌がれば、なんだよ、と不満そうにしながらも、男鹿は離してくれる。それは分かってる。
 けど、息が苦しいと訴えることはするけど、止めろとは言わない。
 俺のファーストキス返せと叫ぶだろうけど、でも、止めろとは、言わない。
 今度は10秒くらいで唇は離れていく。
 少し名残惜しいような、三回目は短かった、なんて思う気持ちがないわけじゃなかったが、それには強引に蓋をした。
 だってそれじゃ、男鹿とキスしていたいみたいじゃないか!
 思ったと同時に、急激に恥ずかしくなって、唇を歪めながら目元を赤く染める。
 男鹿はそんな古市を見下ろして、
「古市、おまえ、顔赤いぞ。」
「うっさいわ! 誰のせいだと思ってんだ、この馬鹿っ!」
 ぺしん、と頬を軽く叩いてやれば、なにすんだといつものふてぶてしい顔。
 よし、これでこそいつもの俺達だと、ちょっと安心したのだけれど。
「頬っぺたも赤いぞ。」
 未だに男鹿の手に捕まれたままだった頬を、指先で撫でられた。
 なんでもない仕草だ、分かってる。いつもの、「ふるいち〜」「なんだよ」ぶす「わははは、阿保めっ」なんて言う、振り返った瞬間にほっぺに指を突っ込むような、そんなたわいのない触れ合いなのは分かってる。
 なのに、なぜか恥ずかしかった。背中がむず痒い。
 頬を両手で挟まれて、指先で目元をなぞられて、唇はいまにもくっつきそうに近い。
 なんだか、ラブシーンをしているみたいだ。
「もう、いいから、離せ。」
 いてもたってもいられなくて、二人の間に流れはじめた空気に耐えられなくなって、古市は男鹿の手を掴んだ。
 少し力を入れて抗えば、男鹿のことだから手を離してくれると思ったのに、
「やだ。」
「はっ!?」
 簡潔に返ってきた言葉に耳を疑った。
 まさか、また古市が嫌がってるのを見て、楽しいとか言うつもりじゃないだろうなと、古市は眉をしかめる。
「おい、男鹿……っ、んぐ……っ。」
 言いかけた唇を、噛み付かれるようにふさがれた。
 いや、違う。噛み付かれたのだ、まさしく。
 上唇をはむように、男鹿の唇に挟まれる。
 生暖かい感触に、うわぁっ、と悲鳴を上げそうになった。
 軽く吸われて、唇が伸びる感覚がする。
 体感したことのないそれに、背中がぞくりとした。
 思わず体を固めて身動きを取らずにいたら、男鹿の唇に下唇も吸い込まれる。
「んん……っ!?」
 無理矢理はまれた唇が、男鹿の歯に触れた。
 軽く歯を立てられて、なにこれっ!? と、なんだか良くわからないなりに、男鹿にあってはならない「大人のテクニック」みたいなのを感じた。
 いやいや、ないし! ありえないし!
 男鹿の手首を掴んだ指先が震え、かり、と小さく爪を立てる。
 その拍子にか、かぷっ、と男鹿の犬歯が上唇に軽く刺さった。
「ん……っ!」
 痛い、と思った時には、男鹿の手首を掴んで肩が跳ねていた。
「あ、わりぃ。」
 男鹿の唇が離れ、空気に触れた唇が冷える。濡れた感触がして、それが男鹿の唾液だと思うと、羞恥と言葉にならない疼きに、混乱する。
「あ〜、ちょっと血がにじんだな。」
 頬を包んだままの手の親指で、唇に触れられる。
 ぞくりとした。
 労るように触れるそれに。
 力を行使するばかりの手に、腫れ物のように優しく触れられることに。
 ──うれしい、とか。どうかしてる。
 なのに、自分の唇に触れたのが男鹿の唇じゃないことに、なぜか淋しさを覚える。
 そんなこと、あるはずないのに。
「……って、みぎゃっ!」
 突然、ぬるりとした感触がして、古市は全身を跳ねさせた。
 唇に、ぴりりとした痛みが走る。
「なななな、なにやってんの、おまえっ!」
「あ〜? 血が出てるから、舐めたんだろーが。」
 慌てて男鹿の顔をひっぺがそうと、人相の悪い顔を押しのけようとするが、男鹿の舌は離れない。
 濡れた温かい感覚。ちろちろと舐められて、顔に熱が集まる。
「いらねーよっ、馬鹿っ!」
「ああ? なんでだよ、血、出てんだぞ。」
 真顔で覗き込まれて、あほか、と古市は男鹿にチョップした。
「自分で舐めれるわっ!」
 なのに、なんでおまえが嘗める必要があんの!?
 と、唾を飛ばす勢いで叫べば、男鹿は緩く首を傾げて、
「ん〜? したい、から?」
「なんで疑問形なんだよっ!」
 すかさず突っ込んだ古市は、男鹿の言葉の意味は深く考えないことにして、とにかく離せと身じろぐ。
 だけど男鹿は、それに従うどころか、真面目な顔で古市を見下ろすと、
「なぁ、古市。」
「なんだよ。」
「もっとお前に近づくには、どうしたらいいんだ?」
 しっかりと掴んだ両頬に顔を近づけて、あと少しで唇が触れそうな距離で尋ねて来る。
「はぁ!? なに言ってんの、おまえっ!?」
「だから、もっとおまえの……え〜っと、なんて言やいいんだ?」
 もっと解りやすい言い方を考えてくれているらしいが、そういう問題じゃない。
 逆に問いかけられて、それは俺が聞いてるんだろーが、と古市は目を皿にして溜息を零す。
 古市が言いたいのは、つまり。
「キス、したじゃねーか。近かっただろ……。」
 ふたりの肉体的な距離で言うなら、キスはまさにゼロ地点だ。
 それ以上って、……と考えれば、古市の頭はショートしそうになる。
 夜のドラマとかで見るような、あれ、とか、それ、とかだ。 いやいや、まさか、そんなことっ!
 と思うのに、男鹿の目を見ればわかってしまう。
 彼が本気で、もっと距離を縮めたいと思ってることに。
 きゅ、と男鹿の手首をにぎりしめる。
 顔が赤くなるのをとめられない。
 古市は、どうすればいいのか知っている。
 けど、それはさすがに口に出せない。
 ──だって、「そういうこと」をするのは、友人同士じゃない。恋人同士や、夫婦と言った関係だからだ。
 なのに、
「そー思ってしたけど、足りねぇ。だから、もっと近づけねぇのか?」
 男鹿は、当たり前のようにそう言った。
「──……っ。」
 なんで、だとか。
 どうして近づきたいのか、だとか。
 足りないって、何が、とか。
 色々頭をグルグルしたけど、男鹿の目を見れば、そんな疑問は全て吹っ飛んだ。
 彼が何を望んでいて、彼が何を思って、この結末に達したのか、古市には分かったからだ。
 だから、唇を結んで、男鹿を見た。
 真っ黒の、吸い込まれそうな真摯な目。──真剣なケンカの時しか見れないようなその目が、自分を見ている。
「…………あー、と。」
「おう。」
 返事を待つ男鹿に、古市は口を開け閉めして──それから、諦めたように溜息を零した。
 男鹿の手首を掴んでいた手を、自分の頬を包んだままの男鹿の手の甲に重ねて、しょうがないな、と嘯く。
「そういうときはだな、男鹿。」
「ん。」
 そして、ちょっと顔を傾けるようにして、吐息が重なるほど間近にある男鹿の唇に、かすかに触れるほど唇を近づけると、吐息に近い声で囁いた。
「……舌、入れんだよ。」
 羞恥に頬を赤らめながら、薄く開いた唇を差し出せば、男鹿は小さく目を見開いて──それから、そろり、と赤い舌を差し出してくる。












 先ほどのように、ぺろりと上唇を舐められて、滑るように開いた部分から、ぬるりとした物が入り込んできた。
 唇の間を通り抜ける感覚に、ゾクゾクして、ぎゅ、と手に力を込める。
 薄く汗ばんだ掌に、男鹿の温かい手の甲が当る。
 かすかに強張った男鹿の指先に指を重ねて、入り込んでくる舌先にソロリと自分の舌を触れさせる。
 初めて感じる、他人の舌の感触。
 皮膚を舐めるのとは違う、あたたかくて、蠢いていて──なんだか、とても、卑猥で。
「──んんっ。」
 男鹿の舌先が、口腔内を探る。
 唇と唇がこすれあい、鼻先が触れる。
 うっすらと開いた目の先で、男鹿が顔を赤く染める古市を、じ、と凝視していた。
 目、くらい、閉じろ、バカ。
 眉間に皺を寄せながら目で訴えれば、男鹿は指先で古市の耳に触れ、耳朶を撫でる。
 小指が耳の裏を擦り、首筋を這う。
 歯の裏を珍しげになぞる男鹿の舌を追うように、己の舌を触れさせれば、少し戸惑ったかのように引っ込んだ後、舌先が絡み合った。
 後はもう、夢中で。
 男鹿の手が、後頭部と首筋に回り、ぐ、と抱え込まれた。
 深く、深く──もっと深く。
 息が苦しくなって、それでも唇が離せない。離れない。
 ちょっとエッチなマンガで表現されてる音が、男鹿と古市の間から聞こえてくる。
 舌が絡めあう音って、濡れた唇が触れ合う音って、なんだかやらしい。
 恥ずかしくて、息苦しくて、男鹿の濡れた目に、いたたまれないくらいゾクゾクして。
「ちょ……、男鹿……っ。」
 くるしい、と腕をたたいて訴えて、名残惜しげに唇が離される。少し離れて、ちゅ、と唇に触れるだけのキスをされて──あぁ、もう、なんだか色々手遅れだと、古市は手の甲で濡れた唇を拭ってみた。
 すると男鹿は、不満そうに、もう一度口を近づけてくる。唇の間からちょっとだけ舌先を出している仕草に、なんだかエロイ! っていうかめっちゃエロイ! と焦りながら、待て、と古市はその口に自分の手を当てた。
「なんだよ。」
「ちょっと待て。」
 物凄く不満そうに、古市の手の向こうから喋る男鹿に、ひとまず停止をかけて。
「やだっつってんだろ。」
「いやいや、あのな、男鹿。」
 いいからとにかく、ちょっと待て、と続けようとした古市は、
「お前がしていいって言ったんだぞ。」
 なのに、なんで口を拭うんだよ、と唇を尖らせる男鹿に、イヤイヤイヤッ! と古市は激しく頭を振った。
「言ってねーだろっ!?」
「言ったじゃねーか。舌入れろって。」
「そ、そりゃ、お前が、もっと近づきたい、っていうから……っ。」
 男鹿がモゴモゴと話すたびに、掌に当る吐息と唇の感触に、なんだか落ち着かなかった。
 男鹿の口を手で覆うことなんて、いつだってしてきたというのに。
 掌に唇の感触を感じるたび、吐息が触れるたび、自分の唇がうずくような気がした。
「おう。ほら、言ってんじゃねーか。」
「いやいやっ、それ、いいって意味じゃねーしっ!」
 言いながらも、自分が言ってることは強引な悪あがきだと言う自覚が、古市にはあった。
 古市でも、あの時のあの状況で、あのタイミングで、自分がお近づきになりたいと思っている相手が、ああ答えてくれたら、男鹿と同じことをする。
「なんだよ、ダメなのかよ?」
 お前、イヤがってなかったじゃん、とあっさり言われて、そりゃそーだけど、と古市は答えた後──あぁ、もう、くそっ、と乱暴に吐き捨てる。
 そして、男鹿の口から手を退けると、男鹿の目を直視できない状態で、チラリ、と一瞬だけ目を合わせてすぐにそらす。
「そーじゃなくって……、あー、と。
 ……舌、入れて…………、近づけた、か?」
 ──ぐあぁぁっ、と古市は頭を抱えたくなった。
 恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがない。
 けど、それでも聞かなくてはいけないのだ。
 だって、答えを聞かないと。
「おう。さっきより、すっげぇ近かった。
 だから、古市。もっかいしよーぜ。」
「…………んじゃ。」
 素直に吐く男鹿に、古市はしょうがないと覚悟を決めて、自分から男鹿の両頬に手を当てた。
 じ、と男鹿の目を覗き込み、自分を見返す男鹿の双眸に向かって微笑みかける。
「男鹿、一回しか言わねぇからよく聞けよ。」
「おう。なんだ?」
「キス、するときは……ちゃんと目ぇ閉じろ。」
 白い頬を耳まで赤く染めて、わかったな、と続ける古市に、ちょっと考えるように男鹿は目を瞬く。
 けれど、すぐに古市の言いたい意味を悟ったのか、にやぁ、と悪魔のような笑みを浮かべて、
「よし、んじゃ、するぞ、古市。」
「わざわざ宣言すんなよ、はずかしいヤツ。」
 まったく、とブツブツ言いながらも、古市は男鹿の顔が近づいてくる気配に、そ、と自分から目を閉じた。
 ふ、と唇に触れる吐息の感覚に、唇を薄く開いて自らも男鹿の方へと唇を近づけた。




──あ、そういや、なんで近づきたいとか言い出したのか、聞くの忘れた。




 今更なことに気付いたけれど、入り込んできた男鹿の舌先の熱さに、ま、後で聞いたらいいか、と、古市は自分の手を男鹿の首にまわしておいた。
 これからのことは、その時に考えればいいや、と。
 とりあえず、今一番大事なことは、言葉にしなくても十分通じているのだから──……。