こんな未来捏造はどうですか? 1

15年後の未来捏造話です。
妄想してみたダイジェスト版。
おがふるは当然として、ベル光太ベルっぽいのと、ヒル葵っぽい感じです。他メンツは出てきません。






1 焔王の帰国


 ある日、焔王が定期健診のために魔界に一時戻ることになった。
 それが、子育て不良物語の、最終話への決定打であったことを、誰が予測しえただろうか?


「古市ーっ!!」
 うわーんっ、と泣きついてきた焔王を、古市は背中でドカンと受けた。
 グリグリと額を背中にこすり付けてくるのは別にいいのだが、泣いているために寝巻き代わりのシャツだとかスウェットだとかが、チリチリといやな音を出しているのが困る。
 あと、洗面台の鏡に映った自分の歯磨き姿の背後で、ごごごごご……と何やら恐ろしい黒いオーラを出しているヨルダさんとかが見えるような気がするが、それは気のせいだと思いたい。
「ちょ、焔王ぼっちゃま、どうしたんすか。」
 ひとまず慌ててブラシを口から放り出し、振り返って焔王を慰めることにした。そうしないと、火の海だからだ。
──っていうか、なんで俺の背中に来るの?
 なんかおかしくない? だってそこに美人そろいの侍女悪魔さんが揃ってるのに!
「魔界に帰ってたんじゃなかったんでしたっけ?」
 えぐえぐ、と泣きつく焔王の背中をポンポンと叩いてやりながら──あぁ、なんか暑い。冬なのに暑い、と古市が思っている前で、今にも食いついてきそうなヨルダの横から、イザベラが顔を出す。
「ええ、定期健診が終わったので戻ってきたのですが……。」
「あ、もしかしてホームシックですか?」
 それにしては、妙に早いホームシックだな──しかも俺に抱きついてくるって意味わかんねぇ。
 首を傾げながら聞いて来る古市に、そんなわけないでしょ、とヨルダが答える。
 サテュラが、やれやれと頭の後ろで手を組みながら、
「そーじゃなくってさー。ゲームシックっていうか。」
「ゲームシック?」
 なんだ、それ?
 と、目を瞬いた古市に、焔王は益々しがみつきながら、
「人間界から持って帰った余のゲームを、全部親父に取られたのじゃっ!!!」
 グリグリグリ、と今度は腹に頭を擦り付けられた。
「うぐっ。」
 思いっきりみぞおちに入ったソレが、ジミに痛い。そしてなんか服が焦げ臭くなってきた。
「親父って……大魔王にっ?」
 そういや大魔王、ぷよぷよとかしてたもんな。
 この子にして親ありというか、ゲーム好きなのか、とゲンナリしながら思う。
「あー、そうなんだ……。」
「そうなのです。」
「そうなのよ。」
「それでぼっちゃま、ご機嫌斜めでさー。こっち来るなり、古市んとこ行くって言うから。」
 こっくり、と頷きあう侍女悪魔たちの言葉に、いや、そこでなんで俺? と呟いた古市に、
「じゃから、古市っ! あのゲームを一杯持っているヤツのところに、余を連れて行くがよいぞっ!」
「………………えー。」
 ソ コ か よ !
 ウルウル、と目に一杯涙を溜めた焔王の、命令というか願いというか拒否できない脅しを前に。
 古市は、しぶしぶ頷くしかなかった。
「それじゃ、姫川先輩んとこに連絡取るんで、とりあえず、口すすがせてください。」
 なんか、妙な事になったなぁ、と。

 ──その時は、それしか感想を抱かなかった。

 まさか、コレがあの大事件への第1歩になるなんて、このときはまだ、古市も焔王も、イザベラたちですら思ってもみなかったのである。



2 魔界にてゲー魔王誕生


 大魔王は、大液晶画面の前で、wiiコントローラーを握っていた。
 右に左に体をゆすって、時にはスマッシュ!
 すると画面の中で華麗にテニスボールが飛んで行き、決定打を与える。
 You Win!
「おお、さすがです、大魔王さま。」
 パチパチパチ、と背後からかかる拍手に、大魔王は上機嫌である。
 そして、まだまだ山積みのゲームを見やると、うむ、と一つ頷いた。
「少し見ない間に、人間界には、新しいゲームがこんなに溢れてるとはねー。」
 いやぁ、考えてもみなかったよ、と、嬉しそうに語尾を跳ねさせる。
 長い月日を生きる悪魔たちにとっては、ほんの瞬きほどの時間でしかないその月日で、人間は多くの技術を生み、そうしてそれをゲームに反映させていくのだ。
 ぷよぷよのような落ちゲーも、色んな種類が出ている。
「昨今では、ネット、と呼ばれる媒体を経由して、世界中の人間と同時に同じゲームをしたり対戦したりするのが流行っているようですな。」
「他にも、3D化や、アプリなどと言った物もあるようですぞ。」
 焔王が持ち帰ってきたゲーム情報誌を見ながら、いやはや、人間もあなどれませんな、と側近が呟くのに、うーん、と大魔王は唸る。
 そして、
「ネットかー。ネットもいいよねー。」
 ネトゲ廃人1歩手前になった焔王と同じようなことを呟く。
 しかし、ネットでゲームを楽しむためには、相手は必要不可欠だ。
 そのことを大魔王がわからないはずもなく。
 よし、と、大魔王はポンと手を叩いた。
「決めた。」
「は、何でございましょうか、大魔王さま。」
「うん、人間滅ぼすの、ちょっとの間休止にしよう。
 ゲームに飽きるくらいまででー。10年とか20年くらい?」
 超適当に決定した。
「んだから、息子たちも戻るよう言っといてくんない? うん、決めた。人間を滅ぼすのは、もうちょっと休憩ねー。俺がコレに飽きるまで。」
 コレ、と。
 指差された焔王が持ち帰ってきたゲームの数々に。
 はぁ、と、答えることしか、側近たちには出来なかった。




3 帰国


「と、いうことで、一時後退ということになった。」
 ベル坊を膝に抱いて、そう告げるヒルダの顔は、いつもと同じだった。
 その膝の上のベル坊も、わかっているのかわかっていないのか、「あー」と呟くのみ。
 アランドロンは涙をボロボロ流して、ハンカチでチーンと鼻を噛みながら(いや、ちょっと、ソレ俺のハンカチ、と古市が青くなっていたが、誰も気にすることはなかった)、別れを惜しんでいる。
「……は? って、なにソレ?」
 本当に突然のことだった。
 突然やってきた魔王は、突然去っていくのだ。
 頭が付いていかなくて、呆然となる男鹿に、ヒルダはベル坊を抱き上げながら、そういうことだ、と厳かに告げる。
「よかったではないか、これで貴様は自由の身だ。
 ──もう二度と会うこともなかろう。」
 一瞬、こちらを冷ややかに見据えるヒルダの双眸に宿った、不可思議な色は、きっと本人ですらわかって居なかったに違いない。
 一年──そう、丸っと一年を過ごした部屋を見回して、ヒルダは自分たちを見上げている男鹿と古市を見下ろす。
「さぁ、ぼっちゃま、参りましょう。
 もうこんなドブ男の臭い部屋に居ることもないのですよ。」
 にこやかに、優しい口調で語りかけるヒルダに、おいっ、と男鹿は口調を荒げたが、何を言っていいのか分からなかった。
 ベル坊を押し付ける相手を探していた。育児なんて冗談じゃねぇ、と思ってた。
 けど、だからって──、あまりに突然すぎた。
 部屋の中は、ベル坊の玩具で溢れ返り、幼児特有のミルクのにおいに満ちた自分の部屋も服にも慣れた。
 ベル坊の寝息にも、ぐずる子供のあやし方も、ミルクを作るのにも──全部、なれたというのに。
 それなのに、
「あー。」
 ベル坊は、男鹿を真っ直ぐに見詰める。
「おい、男鹿……っ。」
 古市が、何を心配しているのか、くい、と服の裾を引っ張ってくる。
 けど、何をいえというのだろう?
 何をしろというのだろう?
 帰るというのだから、それでいいじゃないか。──それが一番いいのだ。
「ベル坊。──元気でやれよ。」
 だから、くしゃ、と何度も何度もそうしてきたように、ベル坊の髪を乱してやった。
 自分を見上げる真っ直ぐな瞳に、そういいながら、男鹿は笑った。




 別れは、本当に、突然だった。




 そうして、人類は、救われたのである。──とりあえず10年か20年か、そのあたりまでは。






4 おがふるのターン。


「行っちゃったな。」
 いつもの川原。いつもの二人。
 けど、そこに「いつも」になっていた赤ん坊の姿はない。
 すっきりと軽い背中が妙に寒い気がして、男鹿は丸めかけた背を無理矢理伸ばした。
 そして、キラキラと夕日を浴びて輝いている川に目をやると、行くぞ、と古市に声をかける。
 ココに居てもしょうがない。風はビュービューと吹いて寒いし、いつまでも溜まっていたら石矢魔の3年生が最後のお礼参りだとかで、またやってきてしまう。
 ──まさか、東条たちと別れる前に、ベル坊達と別れることになるとは思ってなかった。
 踵を返した途端、遠くから赤ん坊の声が聞こえた気がして、ぎくり、と男鹿は肩を揺らした。
 その声を辿るように視線を向ければ、川上の方でクルマから降りたばかりの若い夫婦が、赤ん坊を抱いて立っていた。
 優しい笑みを見せて、赤ん坊に何かを指差している。
 ……ベル坊の、はずがない。
 だってあの子は、さっき、本当の親の元へ帰っていったのだから。
「……男鹿。」
 そ、と、古市がいつの間にか握り締めていた男鹿の拳を握りこんでくる。
 そのちょっと冷えた指先に、男鹿は無意識に指を絡める。
 ギュ、と手を握り締めると、知らず知らずのうちに荒立っていた心が、鎮まっていくような気がした。
「──また、二人になっちまったな。」
 ぽつ、と呟いた男鹿の言葉は、どこか寂しさを含んでいた気がした。
 その言葉は、いつか前にも聞いた覚えがある、と思ったところで、あぁ、そうだ。中学のときか、と古市は思い出す。
 あの時は、すぐにその穴は埋まって行った。学年が変わって、クラスが変わったら、自然と気にならなくなる穴だった。アイツが奈良で元気にしてるだろうと、信じていたから、余計に埋まるのは早かったと思う。
 けど、今回は。
 ベル坊が魔界でヌクヌクと育てられているとわかっていても、埋まるのはなかなか難しいと思う。
 ベル坊は──ヒルダも、アランドロンも、男鹿と古市の胸の中に、決して埋まりようのない溝を残していったのだ。
 それは、誰かで代替できるようなものでは、決してない。
「二人じゃねーだろ。──ベル坊と会ってさ、お前の回りには、たくさん人が増えたじゃん。」
 三木の時には、三木が増えて去っていっただけで、結局二人の世界は変わらなかった。
 でも、今は違う。
 ベル坊とヒルダは、男鹿の生活の中に入ってきて、彼の日常の一部になった。
 明日の朝、目が覚めたら、男鹿はきっとベル坊を探してしまうだろう。
 そうして、居ないことに気付いて、心に空虚を抱くのだ。
「東条だろ、神崎だろ、姫川も夏目もそうだし、まぁムカつくけど邦枝もレッドテイルの人たちだってそうだし、早乙女先生だって仲いーじゃん。」
「良くねーよ。」
「三木や山村君もそーだしさ。」
 きゅ、と強く手を握れば、男鹿はその手を握り返してくれる。
 遠く川の向こうに目を馳せる男鹿に、古市は彼の視線の先ではなく、彼の顔を見上げた。
 男鹿に、これほど大事な物が出来るなんて、ずっと思ってもいなかった。
 けど──今、男鹿はそれを大事に大事に抱えている。
「……ベル坊もさ、ヒルダさんも、アランドロンも。色々あったけど──会えてよかったよな。」
 男鹿の顔を見ながら、そう笑って言えば、男鹿はちょっと瞳を揺らしてから古市を見下ろした。
 古市は、それに柔らかに微笑む。
「──ふるいち。」
「ん? なんだよ、寂しいなら、今日泊まっていってやろーか?」
「そりゃお前だろ。」
 いらねーよ、と笑って──、ちょっとだけ引きつっていたかもしれないけど、それでも笑える自分に、男鹿はちょっとだけホッとした。
 ベル坊とヒルダたちを見送るときに、たとえようもないキリキリとしていた痛みは、随分薄れてきていた。
 さみしい、のだと。
 古市は、小さくそう呟いて切なげに教えてくれた。
「なー、ふるいち。」
「ん?」
「……高校卒業したら、一緒に暮らそーぜ。」
「………………。」
 ぐ、と指と指を絡める手に力を込めれば、古市が小さく息を呑んだ。
 そして、彼は緩々と息を吐くと、
「ベル坊たちがまた来た時に、逃げとかねーとな。」
「逃げんのかよ。」
「おう、もう子守はゴメンだかんな。」
 ──素直じゃねーの、と思ったが、古市はあえて口には出さなかった。
 誰かと過ごした後の穴を、古市で埋めようと思っているのなら、バカ、と怒るところだ。
 けど、男鹿がそういうつもりじゃないのはわかっていたから、そーだな、と答えてやった。
「お前がちゃんと就職できたら、いーぞ。」
「できるに決まってんだろ。東条ですら出来たんだぞ。俺にできねーはずがない。」
「え、いや、それはどーかな。」
 笑いながら、二人は手を握ったまま、ゆっくりと歩き出した。
 寂しい気持ちが吹き抜ける心に、小さな希望を灯すかのように、握り締めた掌は、とても、温かかった。








5 15年後


「こらっ、光太、起きなさいっ! 遅刻するわよっ!」
 ぬくぬくと包まっていた暖かな毛布を取り上げられ、ひゅるりと吹いた風に、光太は身を震わせた。
「うう、寒っ。」
「寒いじゃないわよ。まったく朝練を免除した途端、コレだもの。やっぱり今日もさせればよかったかしらね。」
 全く、と布団の隣で腰に手を当てて仁王立ちするのは、光太が頭の上がらない年の離れた姉──葵である。
 彼女は今日も、スーツを綺麗に着こなし、優しい表情のメイクを決めている。
 今年で33になるが、まだ嫁には行っていない。
 本人が美しすぎる上に、彼女の理想が高すぎるのだ。誰もが葵を高嶺の花と詠い、敬うことはすれども恋までには発展しないため、独身暦を更新し続けている。
 あと、超シスコンであるところの光太が、葵にデートの気配が見えた途端、邪魔しまくる、というのも要因の一つである。
「今、何時ー?」
「7時20分よ。ほら、さっさと起きて布団をたたみなさい。朝ごはんできてるから。」
 目を擦りながら、甘えるような声で問いかければ、葵はすでにもう部屋から出て行こうとしていた。
 7時20分。──なんだ、まだそんなに遅い時間じゃないじゃないか。
 ここから中学まで、歩いて10分もかからない。家を8時過ぎに出ても間に合うのに。
 大あくびをした光太の目に、押入れの前にかけられた制服が飛び込んできた。
 それは、光太がこの春から……否、今日から入学する高校の制服である。
 途端、光太の寝ぼけていた頭が、すっきりクリアになった。
「って、ああーっ! やばっ! 電車に遅れるかもっ!!?」
 がばっ、と起き上がり、上掛け布団を慌てて畳み込む。
 そうだ、今日からは中学じゃない。高校に通うのだ。
 しかもココからは電車でしか通えない場所にある──聖石矢魔高校に!
「ねーちゃんっ! なんでもっと早く起こしてくれないんだよっ!?」
 慌てて布団を詰め込み、パジャマを脱ぎ散らかす光太に、葵はカバンを片手に部屋を覗き込む。
「何甘えたこと言ってるの。今日から高校生なんだから、ピシッとしなさい。じゃ、お姉ちゃん、先に出るからね。」
 今日は石矢魔でも入学式なんだから、と。
 ヒラリ、と手を振って、石矢魔高校で教諭をしている葵は、そのまま廊下を歩いていく。
 その後姿に、今日くらいはいいじゃないか、と光太は思った。
 慌ててカッターシャツを来て、スラックスを履いて。
 真新しいブレザーとネクタイを引っつかんで、光太は洗面所に走った。


 邦枝光太、15歳。


 今日から、聖石矢魔高校の1年生になる。




6 出会い



 ふと、何かに呼ばれた気がして、後ろを振り返った。
 青い空を一面に覆う、桜色の花。
 光太が生まれたときから良く見知るソレは、神社の境内の近くにまで続いている。
 石畳の上を、ヒラリヒラリと桜色の花びらが覆い、春風に吹かれていく。
 その、石畳の上。手水舎のすぐ横手に、少年が一人立っていた。
 年の頃は光太と同じくらい。尻尾のように腰の辺りまで髪を伸ばしていて、その色が、綺麗な緑色をしていた。
「──……?」
 どこかで、見覚えがあるような気がする。
 けど、それがどこで見たのか、何で見たのかはまるで思い出せなかった。
 でも、わかることは一つだけあった。
 彼が見につけているのは、光太と同じ制服だったのだ。
 しかも、見た限り、真新しい。きっと同級生だ。
 でも──、それなら、なんでココに?
 呆然と見つめる光太に、少年はニコッと人好きのいい笑顔を浮かべた。
「よ。」
 ひら、と気軽な仕草で手を振ってくる。
 そのまま、ズカズカと歩み寄ってくる少年に、光太は困惑を隠せなかった。
「お、はよう、ございます。
 ──君……、も、聖石矢魔生なの?」
「え、あー、うん、そう。お前とおんなじとこにした。」
 数歩手前で止まった少年は、自分が羽織っているブレザーの裾を引っ張りながら、笑って答える。
 その答えに、え? と、何かが引っかかった気がした。
 けど、光太はそれ以上考えることはしなかった。
 代わりに、
「じゃ、急がないと遅刻するよ。今からだと電車もギリギリだし。」
 行こう、と光太が先を指差すのに、少年はそんなの、と何か言いかけたが、すぐに口を噤むと。
「電車か、電車……、ちっちゃい頃乗ったことあるらしーけど、覚えてねーんだよな。」
 ブツブツ、となにやら意味不明なことを呟いてくる。
 電車に乗ったことないって、何ソレ? と思ったが、ふと見下ろした腕時計に見えた時刻に、ぅわっ、と光太は声を荒げる。
 時計はすでにもう、7時55分を差していた。
「やばっ! 電車に乗り遅れるっ!」
 入学式は確か9時からで、8時半までに集合となっていた。
 これは急がねば、と、光太は無造作に少年の腕を取った。
「ほら、君も急いで……っ!!!」

 瞬間。

 全身に走った言い知れない感覚に、光太はガクンと膝を折った。
 右手から脳裏にかけて、痺れるような、妙な感覚がしたのだ。
 思わず少年の手を離し、光太はその手で自分の腕を握り締める。
 ……稽古の、しすぎ、とか?
 なんて、チラ、と思ってみたものの、そんなはずはない。
 この半年ほどは、受験があるからと基礎くらいしかしていないし、春休み中だって少しずつ体を慣らしていく期間だからと、そんな無茶はしていないのだ。
 なら、一体、どうして、と思ったところで。
 がし、と。
 少年に腕をつかまれた。
「やっぱり、お前、光太だよなっ……っ!?」
 パァッ、と、少年は顔を輝かせる。
 光太はその少年の整った顔を見上げて、目を軽く見開く。
 会ってから今まで、名前なんて、言ってない。
 なのに、どうして、と。
 初対面のはずの彼を、いぶかしげに見あげた光太に、少年は満開の笑顔を見せる。
「俺のこと全然わかってねーみたいだったから、違うやつかと思ったんだ。でもやっぱり、光太だった。」
「ちょ、ちょっと待ってよ。何を言ってるのか、全然わかんないんだけど……っ!?」
「あー、やっぱ俺のこと、わかってないのか。──ヒルダも、俺たちと違って人間は記憶力がないとか言ってたしな。けど、男鹿だって古市だって覚えてたのに……。」
 ブツブツ、と呟かれる内容も、意味がわからない。
「なんだよ、それ。──その言い方だと、俺がお前と前に会ってるみたいに聞こえるんだけどっ!?」
 けど、それはない、絶対にない。
 だって、こんな緑の顔をした男に会ったら、覚えているに違いない。
 塾や学校で会ったのなら、なおさらだ。
 そういう光太に、少年は、会ってるよ、と笑って答えた。

「15年前。俺は、お前と契約したんだ。」

 だから。

「お前は、俺と一緒に、これから人間を滅ぼすんだぜ。」

 にこやかに、物凄くにこやかに──とんでもないことを、言ってくれた。






7 15年前



 魔ッ二津の山奥に、男鹿は来ていた。
 理由は、悪魔を倒す修行のためである。
 もちろん、背中にはベル坊もくっついていた。
 後、男鹿が修行を受ける相手である邦枝祖父、それから邦枝とその弟の光太もついてきている。
 更にいえば、なぜか帝毛の影組4人衆も一緒である。
 大自然の中で、男鹿は邦枝祖父から「撫子」と呼ばれる技を伝授してもらっていた。
 それを横目に、ベル坊も小さな石──とは言っても、ベル坊からしたら十分に大きい石を前に、撫子を成功させようと格好つけていた。
 横では、光太も同じように構えている。
 はぁっ! とベル坊が石に向かって拳を放てば、がつっ、と鈍い音がして、ベル坊が痛みに悶絶してうずくまった。
 そんなベル坊を見て、ふふん、と鼻で笑った光太が、同じ余に石に向かって拳を突きつけた途端──ごつっ、と。
 やっぱり鈍い音がして、光太がベル坊に続いて痛みに悶絶する。
 そんな二人を見て、
「お前ら何やってんの……。」
 と男鹿が呆れていた。
 それでも元気な赤ん坊二人は、目に浮かんだ涙を掌で擦って取ると、今度はさっきのよりも小さい石を求めて、ダーダー、アーアー、と川べりをハイハイしだす。
 そして二人は、今度はちょうどいい大きさで、平らっぽい石を見つけると、ソレを持って、自分の前に置いた。
 ──いざ勝負っ! と、ベル坊と光太が向かい合ったときだった。
 光太の右拳に、小さな裂傷ができていた。
 ジンワリと血が滲んでいて、痛そうだ。
 ベル坊はソレを見て、「あー」と指差した。
 光太はその仕草に、初めて自分の手に傷が出来ているのに気付いたようだった。
 先ほどの殴りつけたとき出来たに違いない。が、今の今まで痛みのあまり痺れていて、気付かなかったのだ。
 けど、こうして血まで出ているのを目の当たりにしてしまったら、もうダメだ。
 光太の目に、見る見るうちに涙がこみ上げてくる。
「う……っ、あぐっ……うぅぅっ。」
 ひっく、ひっく、と喉をしゃくらせる光太に、ベル坊は慌てた。
「だっ、あだだっ、だ!!」
 男鹿がいつもやっているようにしようとしたが、力のないベル坊では、光太を高い高いすることも出来なければ、放り投げることもできない。
 どうしよう、どうしよう、とオロオロしたベル坊の目に飛び込んできたのは、光太が見ている赤い傷跡だった。
 途端、パァッ、と閃いた光景があった。
 それは、いつも男鹿と古市がしていることだ。
 曰く、「こんなの舐めときゃ治るだろ」である。
 すかさずベル坊は、それを実行した。
 光太の方にハイハイして近づき、ぺろ、と、その傷口を舐めたのである。古市に男鹿がしていたように。またその逆がそうであったように、ごくごく、自然に。
「……あぅ……っ。」
 驚いたように目を見張る光太に、ベル坊はペロリと舌を舐めた後、大丈夫だと言うように親指を立てた。
「だ!」
 光太はソレを見て、まだヒリヒリしている傷を見下ろしたが、なんだか、このまま泣いていてはいけない気がして、ぐ、と涙を飲み込んだ。
 そんな光太に、ベル坊はすごく嬉しそうに笑った。



 ──コレが。



 ベル坊が、うっかり、光太と契約を行った、全ての事象である。






8 そして今


「と、いうわけでな。ぼっちゃまが契約してしまったものは仕方あるまい。しばらく世話になるぞ、邦枝。」
 石矢魔高校で、悪さばかりする生徒たちを問答無用で叩きつけまくって帰ってきた葵を待っていたのは、実に15年ぶりになる美貌の悪魔だった。
 暖かな茶を啜り、ヒルダは当然のように居間のテレビの前に陣取っている。
 その少し離れた場所では、ベル坊らしい緑の髪の少年が、邦枝の姿に、パッと顔をほころばせていた。
「邦枝っ! 久しぶりだなっ!!」
 満面の笑顔を見せる少年に、邦枝は、久しぶり……と片手を上げて答えながらも、困惑した顔をグルリとヒルダに即座に戻す。
「って、ちょっと待ってっ!? 何よ、その契約ってっ!? ベルちゃんは男鹿と契約してるんじゃなかったのっ!?」
「……なぜ悪魔が、人間ごときとマンツーマンで契約を結ぶと思っているのだ?」
 一夫多妻制ならぬ、一悪魔多人間制に決まっておろうが、と当たり前の顔でヒルダに告げられる。
 へなへな、と葵は床に座り込んだが、すぐにハッとした顔になると、
「ちょっと待ってっ! それでいくと、男鹿はまだベルちゃんと契約してるのよねっ!? だったら、男鹿の方に行けば……っ!」
 言いかけた葵の目に、ひんやり、としたヒルダの眼差しが突き刺さった。
 15年の月日を経て、尚一層強さに磨きがかかった葵を、更に凌駕する勢いで成長したヒルダの強さが、ゾクゾクと本能的な恐怖を呼び起こす。
「男鹿のところに、ぼっちゃまを、連れて行け、と?」
 すく、と立ち上がったヒルダは、15年前と何一つとして変わっていない。
 金色の髪を結う髪型も、美しい容貌も、はちきれんばかりの胸も、その姿も。
 なのに、その気迫は、当時よりも増している。──いや、それとも、ヒルダがこのような気配を出すときを、葵が見ていなかっただけなのかもしれない。
 じり、と思わず後ず去る葵の顎を、つ、とヒルダは指に取った。
「あの、一緒に暮らし始めて10年以上経っているにも関わらず、一向に落ち着きのない──いや、ある意味落ち着きすぎてる熟年のバカップルとでも言うべき、あの気持ちの悪いバカップルのところに行けというのかっ!?」
 鼻先すぐのところに、美しい顔を突きつけられて、近い近いっ、と葵は顔をのけぞらせる。
「そ、そんなに、すごい、の?」
 男鹿とは、高校を卒業してから何度かあったけど、彼が一人暮らし? 二人暮し? のどっちかは知らないけれど、実家を出てから彼の部屋を訪ねたことはない。
 ただ、古市がしょっちゅう居るということは、口ぶりから判断できたけど。
 何時の間に恋人? 妻? が出来たのだろうと思うと、ちょっとだけ古傷がチクンと痛んだ。
 甘い──思いさえ告げられなかった切ない初恋の古傷だ。
「2時間いただけで、吐くかと思ったぞ。」
 はっ、と吐き捨てるように告げるヒルダの言葉に、それでも一応立ち寄ってきたんだ、と葵は思った。
「それに、あんなクソ狭い部屋では、幼かったぼっちゃまならとにかく、ご成長あそばされたぼっちゃまには、手狭すぎるだろう? ベッドも一つしかなかったしな。」
「は、はぁ。」
 なんとなく、赤裸々なことを聞いてる気がして、葵は赤くなる頬を指先で擦った。
 そんな彼女を見下ろして、ヒルダは嫣然と微笑むと、
「そんなわけで、しばらく世話になるぞ、邦枝。」
「──って、ちょっと、そんな勝手に……っ。」
 決めないで、と、いいたかった言葉は、けれど。
 つい、と、ヒルダの指先に頬をなでられて、続けることはできなかった。
 くすぐったさに首をすくめると、ヒルダはそんな葵を見て微笑みを深くして、
「美しくなったな、邦枝。」
 スルリと頬から髪に指を移し、指どおりの良い髪を一房手に取ると、彼女の目の前でその髪に、ちゅ、と唇を寄せた。
「──……っ!!??」
 かぁぁっ、と顔を赤くする葵を見下ろして、
「私の部屋は、お前と一緒でも構わんぞ?」
 陶然と微笑むヒルダに、葵は慌てて彼女の下から飛び起きると、
「きゃ、客間を用意してくるわよっ!!!」
 ダッ、と、逃げだした。
 そんな葵を見送って、くすくす、と、ヒルダはそれは嬉しそうに、楽しそうに笑っていたという。





9 スペルマスター



「……あ……っ、う……、べる、ぜ……っ。」
 ジクジクと、切られた腹が痛い。
 それほど深く切られたわけではないはずだが、痛みに頭がくらくらしてきた。
 左手で腹を押さえながら、それでも右手は木刀を離さない。
 これを離してしまったら、命が終わるときだからだ。
 きっ、と戦意を失っていない眼差しで見上げた先には、妙な格好をした「悪魔」が立っている。それも3体もだ。
 最初は5体いたのだが、その内の1体はベル坊と光太のあわせ技で倒した。もう1体は、ヒルダが相打ちに近い状態で倒していた。
 おかげで、まだ3体も居るというのに、こっち側は劣勢すぎた。
 光太のすぐ隣で、光太と同じように膝を突いた態勢で──こちらもボロボロになったベル坊が、悔しそうに唇を噛み締めていた。
「なんでだ……ッ! 兄貴は、今回、関係ねーだろっ!?」
 ぐ、と握り締めた拳で叫ぶベル坊の傍には、金髪の侍女悪魔が倒れている。
 脚と背中を黒い刃のような物で切られて──毒か、と忌々しげに呟いた後、それでもその相手を倒して、倒れてしまったのだ。
 残り3体のヤツラにも手傷は負わせてはいるが、あちらはまだまだピンピンしている。
「そうは言っていられない状況なのですよ、ベルゼさま。焔王さまは、関係がないのです。」
 ただこれは、と、前置いて──1体の悪魔が、黒い霧のようなものを背中から出してくる。
 途端、ベル坊と光太は痛みを押して再び身構える。
 悪魔たちは、残虐的な笑みを口元に広げると、
「我らが主の、望みなのですよ……っ!!!」
 来るっ、と。
 光太が木刀を構え、ベル坊がそんな光太の左肩に手を置いて、雷撃を放つ。
 しかし、放った雷撃はことごとく霧に跳ね返され、悪魔が目の前に迫ってくる。
──速い……っ!!?
 これは、と、絶望的な想いを抱いた、その瞬間だった。


 がしっ!


「おい、てめぇ。んな乳臭いガキに、オイタやらかしてんじゃねーよ。」
 がくんっ、と、悪魔の頭がのけぞった。
 まるで、飛び出してきた悪魔の頭を、誰かが後ろから引っつかんだようだった。
 ──否、誰か、じゃない。
 そこには、本当に男が立っていた。
 夜明かりの下、逆光で顔は良く見えない。けど、その目がギラリとギラついているのがはっきりと見えた。
 その鋭い眼差しに、ぎくり、と光太は身を竦ませ──そして、ベル坊は、パァッと顔を明るくした。
 まるで、希望がそこに降り立ったかのように。
「貴様……っ、何者、だ……っ!?」
 頭をしっかりとつかまれた悪魔が、後ろを振り返ろうとして──そこに、悪魔以上に怖い顔を認めて、戦慄を走らせる。
「にん、げん──……だとっ!?」
「男鹿っ!!!」
 バッ、と笑顔で立ち上がったのは、ベル坊だった。
 光太は、突然現れた味方か敵かわからない男に気を張っていた気持ちが、そがれる。
 お、が?
 その名前は、良く聞いた。
 ベル坊が嬉しそうに良く口にする名前だったし、時々姉とヒルダが話しているときにも出てくる名前だ。
 男鹿、と。
 そう思いながら見上げた先で、目つきの悪い男は、掴んだ悪魔の頭を、ゴミでもほうるように無造作に背後に向けて捨てた。
 と同時、ベル坊がダッ、と男鹿の腰に抱きつく。
「男鹿っ、男鹿っ! 男鹿ーっ!」
「だぁぁっ! ベル坊、くっつくんじゃねーよっ! てめ、いい年して、うぜぇっ!!」
 グリグリ、と──まるで子供のように抱きつくベル坊に、光太は目を見開いた。
 その背後で、
「ヒルダさんっ! ぅわっ、大丈夫っすか、ヒルダさんっ!?」
 見知らぬ男の声が、聞こえてきている。
 なに、とノロノロと目をやった先には、月の光を集めたかのような髪を持った青年がいた。
 彼は、白い指先をヒルダの喉元に当てて、脈がある、とホッと息をついている。
 だれ、と、掠れた声で光太の前で、男鹿、と呼ばれた男が肩越しにこちらを振り返る。
「光太。いいか、よーく見とけ。」
「おう!」
 元気良く返事をしたのは、なぜかベル坊だ。
 ベル坊は男鹿の少し離れた場所で、ギラギラと輝いた目で後ず去り始めている悪魔たちを見据える。
「これが……っ。」
 ばちばちっ、と火花が散り、男鹿の髪が逆立つ。
 ベル坊も同様に光が放たれ──男鹿の右手の甲に浮き出た刻印が……ゼブルスペルが、一気に男鹿の全身を覆った。
 まさか、と、光太は目を見張る。
 ベル坊との契約の証。そのつながりが深ければ深いほど、複雑になっていく文様。
 男鹿に浮かび上がったソレは、光太のと比べ物にならないほど、全身に複雑に広がっていた。
「ベル坊の力の使い方、だ……っ!!!!」
「行けーっ!!!!」
 二人の声が、見事にハモった。
 目を見開く光太の前で、照明灯ほどの激しい光が生まれる。

「ゼブルブラストーっ!!!!!!」

 ドッゴォォォーン!!!!!!
 遠雷のような激しい耳鳴りのする音が響き渡った。
 その最中、
「アホー! んな全力出すやつがいるかっ!!!」
 と叫んだ青年の声が聞こえた気がしたが、光太の耳に届くことはなかった。





 綺麗サッパリ消えた悪魔たちの姿を前に、おー、とのんびりと男鹿が呟く。
 やりすぎちまったか、という男鹿に、やりすぎだっ、と叫ぶ銀髪の青年。
 その彼の腕の中には、いまだグッタリとしたヒルダが抱きかかえられている。
 傍に立つアランドロンが言うには、毒の影響のせいで、傷自体はたいしたことがないのだという。ヒルダはすでに免疫を持っているから、2、3日療養すればすぐに消えて行くほどの毒なのだという。
 銀髪の青年が、フォルカスさんに見せなくていいのか、と、光太が知らない名前を出すが、アランドロンは大丈夫ですよ、と答える。毒の種類も特定できるから、解毒促進薬のような物だけは貰ってきましょう、とか。
 けど、そんなやりとりも、光太の耳には入ってこなかった。
 ベル坊は、男鹿に目を輝かせて抱きついている。
 甘えるような仕草を見せるベル坊に、男鹿は迷惑がるそぶりを見せながら、彼の頭をクシャクシャとなでて、に、と笑った。
「お前もいっぱしの顔するようになったじゃねーか、ベル坊。」
 そんな男鹿に、アランドロンが、そうでしょうそうでしょう、と微笑みながら頷く。
 光太はそれを見ながら、ぐ、と拳を握り締める。
 じくり、と痛んだ腹に血が再び滲んできた気がしたが、気にならなかった。

 強く、なりたい。

 痛烈に、思った。
 目の前の、男鹿、という男と、その男にベルゼが見せる笑顔を見て──沸き立つ衝動を押さえ切れなかった。
「あ、光太君も怪我を……。」
 こちらを見て声をかけてきた銀髪の青年が、光太の顔を見て、ヒュ、と息を呑む。
 気色ばんだその顔に、それ以上声をかけられず、目を見張る彼の肩を、ぽん、とアランドロンが叩いた。
 そして、フルフルと頭を振ると、
「こうして、男は大人になっていくのですよ、貴之。」
「いや、お前、ドサクサに紛れて俺のこと貴之呼びすんなよ。」
 ドヤ顔で、いいことを言ったアランドロンに、すかさず古市は突っ込んで。


 ま、なんでもいいけど。

 ホモにはなるなよ、光太君。


 心の中で、掌の皺と皺を合わせて、祈っておいた。










──────→本編書き忘れ。アランドロンは、男鹿と古市のアパートに転がり込んでます(←なんて間男)