その瞬間、体に走った衝撃は例えようもない物だった。
心臓を鷲掴みにされたような、体を揺さぶられたような――たとえて言うなら、夢の中から強制的に目覚めさせられた時のそれに似ている。
でも、それよりも、もっと濃厚で激しい。まるで空間が捩れたような感覚だ。……とは言うものの、そんな現象に立ち会ったことがないけど。
とにかく、とてもではないが、口では表現できないような感覚が、全身を突き抜けたのだ。
「いまの……?」
なに、と、あたりを窺うけれど、1−3組の教室はいつもと変わらない。
いや、学園祭の翌日とあって、浮かれた空気がそこかしこに残ってはいる。けれど、今の『衝撃』に反応する人は誰もいなかった。
気のせいか、と思ったけれど、そうやって納得しようにも、未だに肌がビリビリしている。
三木は、軽く掌で皮膚を撫でた後、隣の席に話しかけてみた。
「……ねぇ、今、地震なかったかな?」
「へ?」
キョトン、と目を瞬く少年に、三木はすぐに取り繕った笑顔を貼り付ける。
「いや、ごめん、なんでもないんだ。──気のせいだったかな。」
ちょっと、地面が揺れたような気がしたんだ、と言いながら、席を立つ。
地震。──自分で口にしておきながら、その表現は間違っていると思った。
アレは、地震というよりも、もっと、ずっと──そう。威圧感とでも言おうか。
ざわめく教室を後にして、三木は廊下に出た。
あの威圧感に、覚えがあるような気がした。
そう、それもつい最近だ。……と思うと同時、すぐに答えは浮かんできた。
アレは、そう。
「昨日の、男鹿の──、デモンストレーション……?」
気付くと同時、三木は廊下を歩き出していた。
迷うことなく、まっすぐ──特別教室がある棟の方へと。
急いた気持ちで足を進めれば、一ヶ月前に古市と再会を果たした自動販売機のところで、男鹿と行きあうことができた。
がしょん、と音を立てて落ちてきたジュースの缶を取り上げたばかりの古市が、お、と三木に気付いて能天気な声をあげる。
けれど三木の視線は、そんな古市を通り過ぎて自販機の前に突っ立っている男鹿へと注がれる。
「男鹿!! ちょうどよかった!!」
さっき感じた威圧感。
それを発したのは男鹿ではないかと思ったのだけれど、男鹿はあの時のように何かをした様子もない。肌も素の色で、あの時のようなペイントはされていなかった。
けど、だから男鹿じゃないとは言えない。言い切れない。
もし男鹿じゃなかったのだとしても、何かを彼は知っているはず。
その思いで、今の、と言いかけた三木の言葉は、
「よー、三木。慌ててどーした?」
何かあったのか? と、のほほんと尋ねてきた古市の言葉によって飲み込まれる。
もし、男鹿が何かをしたのなら、すぐ隣にいた古市が気付かないはずはない。
なら、あの威圧感は男鹿ではないのか? 男鹿とは関係がないのだろうか?
困惑した気持ちで、三木は古市に問いかける。
「古市君。感じなかったのか? 君は……。」
「?」
くり、と小首を傾げた古市は、パチパチと目を瞬いた後──はっ、としたように目を見開く。
それに、あぁ、なんだ、彼もやっぱりわかって……、と思いかけた三木は、すぐに古市に裏切られることとなる。
てへ、と白い頬を赤く染めて、古市は照れくさそうにこうのたまってくれたからである。
「まぁ、実のところ、学園祭以来オレの株が急上昇してるらしいことは……。」
な に を 見 当 違 い な こ と を 思 い つ い て く れ て る ん だ か 。
「いやしてないよ。」
即答でばっさり切っておいた。
今は古市の戯言に付き合っている場合ではない。
しかし、同時にあの不思議な衝撃に、古市は一切関わっていないらしいことは分かった。
ということは、つまり、男鹿にも心当たりはない、ということだ。
だとすると──アレは一体、何だったというのか。
「てゆーか、そんな事じゃなくて──……さっきの妙な圧迫感!!」
大事な事なんだよっ、と言いたいのに、古市は「意味のわからないこと」を言う三木のセリフを、全てスルーしてしまっているらしい。
がーん、と顔に大きく書きながら、
「してないの? 全然?」
とショックを受けている。朝から女の子に囲まれていたと喜んでいた分だけショックなのだろう。
三木は、もどかしい気持ちになりながら──基本、男鹿に話をするときは、まず古市が話に乗り気になってくれないといけないのだ。何せ、男鹿にちゃんと話を理解させ、男鹿のことを通訳してくれているのが古市なのだから。
あぁ、もうっ、と、男鹿へと視線をやった瞬間。
「男鹿……?」
思わず、息が詰った。
男鹿は、自販機を見つめながら──いや、自販機のさらに向こう側を見つめながら、驚愕の表情を浮かべて固まっている。
信じられないものを見た、というように。
けれど、その目の前にはいつもと変わりないジュースが並んでいるだけだ。
今の古市なら、「なに? ほしかったジュースでも売り切れてたの?」と見当違いのことを口にしていたかもしれない。
けど、三木には分かった。
男鹿もまた、感じたのだ。
昨日の男鹿が霧矢相手に発した、あの「威圧感」を。
男鹿以外の誰かが放った、ソレを。
「……男鹿。」
もう一度三木が呼びかけるが、男鹿はピクリともしない。
かわりに、ぐ、と眉間に皺が寄った。
「ん? どーした?」
古市は不思議そうに三木を見て、それからその視線を辿るように男鹿を見て──、ん? と首を傾げる。
男鹿は、そんな古市をチラリと一瞥したかと思うと、何も言わずにクルリと方向転換してしまう。
三木は思わず、彼を呼び止めようとするが、
「あっ、男鹿、ちょっと待っ……っ!」
「おい、男鹿っ! お前、ジュースどうすんだよっ!」
これ、と、自販機を指差す古市の声に、遮られる。
けれど男鹿は何も言わず、そのまま向こう側へと歩き去ってしまった。
──古市の呼びかけにすら、答えず。
三木はその男鹿の様子に……もしかしたら初めて見るかもしれないソレに、呆然と男鹿が立ち去った方角を見つめた。
あの、男鹿が。ほかの誰に呼ばれても無視するけど、古市の呼びかけにだけは、いつも生返事でも返事を返していた男鹿が。
「…………。」
何が、あったの、と。
三木は当惑した様子を隠せず、残された古市を見やる。
てっきり、憮然としているだろうと思っていた古市は、、ケロリとした顔でジュースを飲みながら、
「ったく、しょうがねぇなー。三木、何か飲むか?」
これ、と、男鹿が目の前に立っていた自販機を指差す。
「え?」
何でそうなるんだ? と視線をやれば、古市はコレを見ろ、というように指先を振る。
言われてみて視線を移せば、その自販機には、点灯ランプがついたままだった。──つまり、お金を入れて、後はボタンを押すだけ、という状態である。
「あ、これ……。」
「アイツ、人に奢らせといて、何も買わずにケンカだぜ? ったく、もう奢ってなんかやらん。」
「……ケンカ?」
だから、代わりに三木に奢ってやろう。
そう言いながら、好きなの押していいぞ、と古市は続ける。
ごくごくとジュースを飲む彼が、ごく自然に吐いた言葉に、三木は眉をひそめる。
「おー。だって、アイツ、ケンカしに行ってくるって面してたじゃん。あれはケンカだろ。」
「…………。え、でも……ケンカ売られてなかった、よね?」
それともなんだろう? 威圧感を感じた相手が誰なのか、分かったとでも言うのだろうか? それでその相手にケンカを売りに行った、ってこと??
意味がわからないまま、困惑した様子を隠そうともしない三木に、パタパタと古市は手を振る。
「売られたんだろ、だから。オレもそれ以外は良くわからん。」
「じゃ、なんでケンカしに行くって分かったんだよ?」
いつまでも動こうとしない三木に、古市は指先を彷徨わせて、適当に自販機のボタンを押す。
ごとん、と落ちた缶を取り出して、ほら、と三木に放り投げた。
午後の紅茶。──中学時代に三木が良く買っていたヤツだ。
未だに覚えていてくれたことに、ほんの少し胸の奥があったかくなった。
「あ、ありがと。」
「おう。
──オレも良くわかんないんだけどさ。」
「……うん。」
とん、と自販機に背中をつけて、古市はジュースを飲みながら男鹿が立ち去った方角に目を向ける。
「不良同士って、目があっただけで、『こいつにオレはケンカを売られてる』ってのが、分かるみたいでさ。」
「…………あぁ、ガンつける、とか、そういうの?」
不良じゃない俺には、きっと一生理解できない世界です。
そんなことを呟きながら、ソレソレ、と古市は三木を指差す。
「なんか、目と目があったなー、って思った瞬間に顔が近づいててさ、にらみ合ってるとか思ったら、殴り合いだぜ?」
「──マンガみたいだね。」
「おう、俺も石矢魔でソレ見たとき、同じこと思った。」
はは、と笑う古市の顔は爽やかで、あっけらかんとしていて。
ついさっき、男鹿に無視されたとは思えないほど明るかった。
──いや、多分、無視、されたのではないのだろう。
この二人には、二人にしか分からない物がある。そういうつながりがある。
そのつながりでもって、古市は良くわからないなりに──あの「威圧感」を全く感じてないわりに、男鹿が「何か」を感じ取って、それにケンカを売りに行ったのだと理解したのだろう。
三木は、そんな二人が、少しだけまぶしく感じる。
「それにさ、毎回思うんだけど、なんで不良って、あんなに顔近づけあうんだろーな?」
目がカチンとあったその瞬間には、気付いたらかかと踏んだ靴でズルズルと近づきあって、どんどん距離を縮めあって、お前ら恋人同士かっ! と思うような距離でにらみ合うのだ。
アレ、意味わかんない。
目をそらしたほうが負け、的ルールは理解できるけど、鼻がくっつきそうなほど間近で睨みあう意味が、全くわからない。
そういう古市に、三木も思わず大きく頷く。
「そういえば、昨日、霧矢も出馬さんに顔を近づけてたけど……近づきすぎだって思ったよ。」
「だろっ!? 本人は威圧してるつもりかもしれないけど、見てるこっちが寒いよなっ。」
同意を得たと知って、水を得た魚のように古市は顔を輝かせる。
女の子同士がくっつくならまだしも、男同士はダメだ。しかもムッさい男はもっとダメだ。
石矢魔はほんと、華がまったくなかった。
「石矢魔入ってからさ、俺も時々不良に絡まれたりすんだけど──、やっぱ、こうっ、目の前に顔が来るんだよ。」
こうっ、と言いながら、心底イヤそうな顔で古市は自分の掌を己の鼻先10センチくらいに近づける。
普通、目つきの悪い不良にそんな間近でにらまれたら、ビビってしまって動けなくなってしまうだろう。下手したら泣いてしまうかもしれない。
けど、古市はそう言いながら、がしっ、と拳を握ると、
「ありえねーくらい顔近いんだよっ! 女の子ならまだしも、なんで男にあれくらい顔を近づけられなきゃいけないんだ、って感じっ!」
な? ほんとありえねーよな、不良ってっ!
そう、同意を求めるように目を向けられて、三木は生ぬるく微笑んでみた。
そ れ を 君 が 言 う ん だ ?
これくらいの近い距離、とか言ってたけど、古市君? 君、基本的に男鹿とそれくらいの距離で話してるよね?
っていうか、ナイショ話とかするとき、なぜか知らないけど、耳に口を寄せるんじゃなくって、口と口を寄せて近距離で話してることあるよね? っていうか多いよね?
中学のときだって、ほっぺに唇がくっつくんじゃないかと、何度ハラハラしたか分からないくらい、君たち顔を寄せ合ってたよねっ!?
てっきり、古市君のパーソナルスペースが狭いのかと思ってたけど、ほかの人間にはそうじゃなかったから、アレ? って思ったのを覚えてるよ。
──と、心の中で激しく叫んでみたが、古市に言っても自覚がないから、「え? そだっけ?」とか言う答えが返ってくるのは分かっていたから、何も言わなかった。
古市にしても男鹿にしても、お互いに対して「だけ」パーソナルスペースが物凄く狭いのだ。
普通、家族や親しい人間には45センチ以内だという。恋人とかになると15センチ以内だって聞いた。
けど、この二人の場合は──もうちょっと近いことが多い。っていうか、近すぎだ。
たぶん、今、古市が思い出している不良さんとの仲よりも、ずっと近いに違いない。
「この間もさ、男鹿と東条がケンカしてたんだけど、笑いながら殴り合っててさー。」
「東条、って……あのガタイのいい人だよね。」
「そ。あいつら、似たもの同士なんだよ。ほんとついてけねぇ。」
「……へぇ。」
東条という人が、古市と男鹿の間についていけない、……んじゃなくって?
と、問いただしたくなったが、やっぱり口に出して聞くことはなかった。
古市はジュースの中身を煽りながら、懐かしげに目を細める。
「あの二人、最初に会った時も、しょっぱなからケンカしててさー。」
ほんの二ヶ月ほど前の出来事だというのに、もう随分前のことのようだ。
いろいろありすぎたせいだな、と古市は疲れたように溜息を零す。
魔界から医者が来たり、魔界に飛ばされたり、学校変わったり、退学することになったり。
あぁ、ほんと、なんて密度の濃い高校生活! ──嬉しくないけどな。
「次に会った時もケンカしてたな。」
あの時は、夜中に叩き起こされて、アランドロンで夜の校庭に移動させられた。
──そして、そう、今、ココ、聖石矢魔にいる原因になる、校舎崩壊が起きたのだ。
「石矢魔生って、ほんと、ケンカばっかりしてるんだね。」
苦笑を滲ませながら三木が呟けば、男鹿にぴったりだろ? と楽しそうに古市は笑った。
「会うなり、なんてったっけ? ……あぁ、そうそう、ケンカしよーぜ、とか言ってさ。」
お前ら、ケンカしかねーのかよ! ──って突っ込みたくなったけど、古市も男鹿も、それよりも何よりも、東条の肩にしがみついた子供の方にばかり目が行ってしまったのだ。
「それでさ、メンチきりあって、こんなに近づくんだぜ、あの二人。」
こんなに、と言いながら古市は掌で30センチくらいの距離を示す。
ソレを横目で見た三木は、やっぱり生ぬるい笑みを浮かべた。
──古市君、ちゃんとその距離が「近い」って知ってたんだ。
3年ぶりにして知る事実に、本当に生ぬるさしか出てこない。
普通、他人同士というのは──いや、もしかしたら家族でも、それくらいの距離に他人の顔が来たら、思わず1歩引くものだ。
普通にそのまま話していた古市と男鹿がおかしいのである。
「俺、思わず、男鹿の頭を今叩いたら、こいつらキスしちゃうんじゃねーか、とか思ったからなー。」
相手が女の子だったら話は別だけど、アレじゃなー。
ジュースの缶を最後まで煽って、空になったソレをペキペキとへこませながら、古市は肩を竦める。
「いやいや、しちゃダメだよ、さすがに。」
それはいくらなんでも、男鹿が可哀想だ。
男鹿は、古市に対しては無防備なところがあるから、ほんとにあっさりと引っかかって、にらみ合っていた不良と思わずチュー、なんてことになりかねない。
それは流石にないだろう、と三木が額に手を当てながら苦労性っぽく呟けば、古市は軽い笑い声をあげて、缶をポイとゴミ捨て場に捨てる。
「しないって。俺だって流石に、東条と間接キスはイヤだしなー。」
あははははは、と。
明るく笑い飛ばす古市に、そっか、そーだよね、と、笑い返そうとした三木は、
「………………ぇ?」
浮かびかけた笑顔のまま、凝固した。
──今、古市君、なんて言ったっけ?
微妙な表情で固まった三木は、ぎこちなく古市を見上げる。
古市は、ん? とその視線を受けて──ハッ、と、自分の失言に気付いた。
「──……っぁ……っ、わ、わりっ! 今のナシ! ナシなっ! 聞かなかったことにしといてっ!!!」
カァッ、と、見て分かるほど白い肌を真っ赤に染めた古市が、慌てて両手を左右に振った。
ブンブンと頭を振りまくり──クラリと眩暈を覚えて、古市は手で髪を掻き毟る。
「か、かか、間接、キスって……。」
え、それって……つまり、そーゆーこと、だよねっ?
思わず古市を指差して、ぽかん、と口をあけた三木に、
「みゃーっ!! ちがっ! いや、違わないけど違うんだってっ! これはそうっ! ほら、ジュースとか飲みまわしたりで、間接チュー、なんて言ってたから、それに東条が入っちゃうとかどうとかでっ!!!」
仮にも石矢魔の智将とか呼ばれてる人は、ワタワタと慌てながら、一生懸命イイワケをしようとしてくれる。
けど、顔を真っ赤に染めて説明してくれても、ウソくさいし、凄くイイワケ臭い。
「古市くん……。君たち、やっぱり付き合って……。」
「だぁぁぁっっ! だから、ちがっ、違うからっ! っていうか、俺、女の子大好きだし! 女の子より男鹿のが好きとかありえねぇからっ!」
絶対、ないない! ──と力説して、古市は必死で叫ぶが、三木の心には全然届かなかった。
「古市君、そんなに否定しなくてもいいんだよ……。」
わかってるから、と、微笑めば、だからっ、と古市は再び必死で言い募ってくれるが、ソレは全て三木の耳をスルーしていった。
だって、中学の頃から、「ああ」なのを見てるのだ。
高校デビューで知り合ったばかりの石矢魔生ならとにかく、無自覚にイッチャライッチャラしていたのを当然のように思っていた中学当時の二人を、間近で見てきたのだ。
女の子とのデートよりも男鹿を優先してきたのも見てきたし、男鹿が当然のごとく古市のデートを邪魔してきたのも見てきた。(一年間だけだけど、きっとあれから3年経った今も、そう変わってないと確信している)
そっか、アレはそういうことだったのか、と、見守るような生ぬるい笑みを浮かべる三木に、古市は両手を広げて、三木の勘違いなんだっ、と叫ぶ。
目じりに涙が浮かんでいるが、これは哀しさや情けなさからではなく、羞恥の余りと自己嫌悪からだと思われる。
「あんな手のかかるバカを、好きとか、ありえないしっ!
だいたい、アイツ、バレーの時だって、途中でケンカしたいとかダダこねるてくるしっ、ほんとどうしようもないっていうか、手が焼けるっていうかっ! しかも練習だって、あんまり出てこないで修行だとか言って、けっこう東条と一緒に居たみたいなんだけど……なんかいつの間にか東条と変な連携プレーとか練習してるさっ! ……って、あっ、別に気にしてたりとか、ヤキモチとか焼いてるわけじゃなくって、これは普通に心配……っ、違う、そーじゃなくって……っ!!!」
ぅわーっ、俺、何言ってんのーっ!!! ──と。
実のところ、この一ヶ月ほどで表に出して言えずにたまっていた鬱憤を、うっかり吐き出してしまった古市は、そのまま真っ赤になって頭を抱える。
いつもなら、もっと勢いとウソとでまかせのオブラートに包んで、あることないことを綺麗に折り交えてイイワケ出来るのに。
相手に、少し胡散臭い、と思われながらも、それでも真実味があるからと、しぶしぶながらも納得させることだって出来るのに。
なぜかソレが上手く行かない。
あーっ、もうっ! と、古市は頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜると、ガバっ、と顔をあげて、
「──あっ、そうだ、俺、行くところあるんだったっ! ってことで、三木、悪い、それじゃーなっ!!!!!」
さりげなさのカケラもないわざとらしさで叫ぶと、ダッ、と逃げ出した。
それはもう、逃げたとしか思えないくらいの勢いで、逃げ出した。
「………………………………にげた…………。」
あまりに唐突で強引な逃げっぷりに、呆然と三木はその背中を見送ることしか出来なかった。
スタタタターッ、と走り去っていった背中は、あっという間に、男鹿が消えたのと同じ方角に消えていく。
途端、しーん、と静かになった廊下に、三木は苦い笑みを口元に刻んだ。
つい先ほどまで騒々しかったタメか、静かな空気がなんだか寂しいとも思える。
「別に、隠さなくてもいいのに……。」
むしろもう、実は付き合ってるんだ、と言われた方が、納得できるし、三木の精神安定上にもいい。
友達であそこまで──……っ? と混乱しなくて済むからだ。
「でも、そっか、付き合ってたのか。」
いつから、なのかは分からないが、それならあの超近距離にも納得だ。
男同士だとか、あの男鹿と古市が、だとか──そんな気持ちは全く沸いてこなかった。
そうなのか、と、ストン、と胸に落ちてくる。
この際、古市のうそ臭い否定は全面無視である。
「あれ? それじゃ、あの赤ん坊って……。」
そして、男鹿の嫁だと一般的に言われている金髪美女の存在は??
疑問が頭に上ってハテナマークが乱舞するが、古市はその人の存在も赤ん坊の存在も、全く気にしていなかったようだし。
そもそも、バレーの時も普通に隣り合って座ってたし、確か登下校も一緒していたと聞いてもいる。
謎だ。
うーん、と腕を組んで悩みつつ、手の中の紅茶を握り締めた三木は、そこで、あ、と。
「……あの圧迫感のこと、男鹿に聞くの忘れた……。」
そもそもの理由を思い出した。
が、時、すでに遅く。
古市が去っていったよりも随分先に去っていった男鹿の姿を、追えるはずもない。
はぁ、と、三木はガックリと肩を落とす。
その話をしながら、うまく行ったら、一緒に帰れるかな、と思ったのに。と。
朝失敗したことを諦めきれずに思いながら、いつのまにか夕暮れ色に染まり始めた空を見上げて、
「──しょうがない。また明日聞くか。」
いつかの日のように、来るであろう「明日」を疑いもすることなく、そう呟いたのであった。
──翌日、男鹿が休みであったのは、言うまでもないことである。