聖石矢魔vs石矢魔のバレーボール対決を数日後に控えた日の、練習の帰り道。
ふと通りがかった公園で、男の子が砂場から何かを拾い上げて、隣の女の子に見せているのを見かけた。
女の子はソレを両手で受け止め、指先で摘むと──あぁ、小さな丸いボールのようなもの。もしかしたらビー球かもしれない──、それを持って水のみ場に走った。
何をするのかは、一目瞭然だった。
出した水の中にガラス球を入れて、綺麗に汚れを落とす。
そうして少女の手の中に握られたビー球は、夕日を弾いて、キラキラと光っていた。
男の子は、それを、とてもまぶしそうに見ていた。
──その男の子の目が、不意に、あの時の自分自身の目と重なった気がして、三木は切なげに、そ、と目を細めた。
男鹿と、古市くんと、僕。
あの頃、僕は、彼らに挟まれて、一体どういう位置にいたいと、そう思っていたのだろう……?
硬田中学の人気のない体育館裏。
夏場は涼しく冬は暖かい陽だまりのできるソコは、男鹿と古市が入学当初から溜まり場にしていた場所だった。
その日も二人について、三木は体育館裏にやってきた。
途中、男鹿に因縁を吹っかけてきた三年生が、来たと思った瞬間に吹っ飛ばされるシーンがあったが、あまりに一瞬のことだったので、割愛する。
体育館には、中に入るための扉がいくつかあって、側面にある四つの扉は、直接外に出れるようになっている。
その扉の外側に備え付けられた数段の階段に、古市と男鹿はいつも腰掛けて、ラーメンだの焼きソバだのパンだのを食べるのだ。
──それも、湯まで沸かして。
せめて、体育館の壁にある外用コンセントを拝借して、ポットで湯を沸かす──とか言うのなら話は別だが、二人の場合、それよりももっと原始的に機能的に行う。
まず、どこからか調達してきた古びたヤカンを片手に、体育館までやってくる。
外にある水飲み場でヤカンに水をいれ、そのまま裏手へ移動。
そして、フェンスと体育館の間にある大きな木の上に、ひょいと男鹿が上ったかと思うと、そこからアルミの缶とマッチ、新聞紙などが出てくる。
その間に古市は、木々の合間から落ちた枯れ枝を収拾し、あっと言う間に火を起こす準備が完了するわけである。
初めて目の前でその一連の行動が行われたときには、何、この犯罪的な慣れた動作っ!? と驚いたものだが、慣れてしまえばなんでもないことのように思える。
普通は、学校で火を焚いてまでカップラーメンを食うやつはいないと思うのだが。
秋には、焼き芋もできるなー、と言っていた古市の言葉に、三木はもう何を言っていいのかわからなかったが、男鹿はソレに、「マシュマロも焼こうぜ」とか言っていた。
とりあえず三木がなんとか抱いた感想は、マシュマロは秋にならなくても焼けると思う、だった。
──まぁ、それはさておき。
その日も、いつものように男鹿はヤカンを片手に、水飲み場にやってきていた。
それがいつもとちょっと違ったのは、男鹿がヤカンに水を入れている最中、ふと古市が思い出したかのように、ズボンのポケットに手を入れたことだった。
「そーだ、三木、これやるよ。」
ほら、と、手を差し出すように言われて開いた掌の上に、ぽとん、と薄オレンジ色の飴が落とされる。
透明なセロハンには何も書かれていない、ただ丸い飴が入っているだけの物だ。
「これ?」
「夕張メロン飴。昨日、母さんが北海道展行って買ってきたんだ。」
すごく美味かったから、おすそ分け。
そう言ってニカッと笑った古市は、自分の分も手にとって、袋を破いて朱肉メロン色の飴を、ぽん、と口の中に放り込む。
「ありがとう……。」
古市にしてみたら、なんでもないことだったのかもしれない。
けど、三木は、初めて貰った──「友人」から初めてもらったソレに、胸がジンワリと温かくなった。
大切そうに握り締めて、食べるのが勿体無い、と思ったけれど、同時に食べないと申し訳ない気がして、少しだけ震える指先で袋を破く。
「メロンの味が濃厚で、ホンモノのメロン食べてるみたいなんだぜ。」
コロコロと口の中でメロン飴を転がす古市に、へー、と答えながら、三木も小さな飴を口の中に放り込んだ。
コロリ、と恐る恐る転がすと、ジンワリと口内に甘みが広がった。
「あ、美味しい。」
「だろ?」
あまり朱肉メロンなんて食べないから、それがホンモノに似ているかどうかはよく分からないけど、でも確かに、甘くて美味しかった。
それを美味しかったからおすそわけしようと思ってくれた古市の心遣いが嬉しくて、三木は大切に口の中の飴を転がす。
美味しいけど、あぁ、やっぱり口に入れてしまったのが勿体ないような、そんな気がした。
──と。
「古市、俺も。」
ヤカンに水を入れ終えた男鹿が、蓋をしながら右掌を差し出す。
自分にも飴を寄越せと言っているのは、聞かなくても分かった。
「ないよ。」
なのに、あっさりと古市はその掌を叩き落す。
「あぁっ!? なんで俺の分がねぇんだよ!?」
ぎろり、と睨みつける男鹿の三白眼に、びくっ、と三木は肩を震わせる。
彼のソレが、自分に向けられているのではないと分かっていても──怒っているように見えて、実はそうたいして怒っていないと分かっていても、思わず体が震えるほど、その目には威力があった。
なのに古市は、それを物ともしない様子で、ケロリとした顔で迷惑そうに眉を寄せる。
「お前には、朝、やっただろ。」
「1個じゃねーか。」
「1個だけだって言っただろーが。」
唇を軽く尖らせる男鹿に、古市は呆れたように続ける。
そんな彼らに──言うなれば、憧れの相手である男鹿の言葉に、三木はギュと胸元で手を握り締める。
自分が、古市から飴を貰わなかったら。
そうしたら、これを、男鹿が食べていられたのに。
「あ、あ……あの、ごめん、男鹿……っ。」
小さく……小さく、そう呟いた。
あぁ、すぐに食べなかったらよかった。
そうしたら、男鹿にこの分をあげることだって出来たのに。
後悔ばかりが胸を押し寄せる。
もしかしたら、男鹿に嫌われるかもしれない。自分の分を勝手に食って、だとか。
そんな、自分を責める気持ちばかりが浮かんでくる。
脳裏に、小学校時代に虐められた記憶が、グルグルと浮かんでは消えていった。
何をしても、全て三木が悪いと、そう罵られた記憶に、ぎゅう、と胸が締め付けられるように痛くなる。
男鹿みたいに強くなりたいと、そう思っているのに──なのに、その男鹿に嫌われるかもしれないという恐れに、心が弱く震える。
なんだか泣きそうな気持ちになりながら、ごめん、と、もう一度続けようとしたところで、
「古市ばっか、二個も食ってずりぃだろ。お前、朝も食ってたじゃん。」
男鹿は、真っ直ぐに古市だけを見て、ぶっすりと唇を尖らせる。
「あのな、この飴は、俺が母さんに貰ったやつだっての。」
「ずりぃ。」
ギン、と強い眼差しで睨みつけられて、はぁ、と古市は諦めのように溜息を零した。
そして、しょうがねーな、と呟くと、コロ、と飴を口の中で転がす。
どうするのだろう──どうやって古市は男鹿の機嫌を取るのだろうと、不安と羨望の入り混じった気持ちで三木が見つめる先。
古市は、掌を口元に近づけると、一回り小さくなった飴を、コロリ、と吐き出した。
艶やかに濡れた飴を指先で摘むと、そのまま水飲み場へ向かい、流水にさらしだす。
「ふ、古市、くん?」
何がしたいのか分からなくて、目を白黒させる三木の前で、古市は濡れた飴を取り上げると、
「ほら。」
当たり前のように、男鹿の口元に運んでやった。
──え、ええええっ!!!!!!
い、いや、いくらなんでも、それはちょっと、どうなのっ!? だってそれ、さっきまで古市君が舐めてたヤツーっ!? と、三木が内心慌てるのもなんのその。
男鹿は、それをごく当然のように受け止め、ぱくり、と差し出された飴に食いついた。
指先が男鹿の唇に挟まれ、スルリとソコから抜け出る。
その時にはもう、古市の指につままれていた飴の姿はなかった。
代わりに、ころり、と男鹿の口の中で飴が転がる。
「ん、うめぇ。」
「そーか、そりゃよかったな。」
満足したように頷いた男鹿は、水を入れたヤカンを持ち上げ、行くぞ、と先に立って歩き出す。
古市は古市で、飴をつまんでいた指先をペロリと舐めて──アレ、でもソレって、さっき男鹿が口で挟んでたよね? その指先?──、行こうぜ、と変わらぬ笑顔で三木を振り返る。
そんな二人の様子に、半ば呆然としながら──あぁ、うん、と返事をした三木は、動揺を必死で押し隠しながらも、
「……ふ、普通の友人同士って、ああいうもの、なの、かな?」
なんだかほっぺの辺りが赤くなる、と、ギュ、と目を閉じてドキドキした鼓動をやり過ごしたのだった。
琥珀色の飴をやり取りするほど濃密な友人関係を、いつか自分も築けるのだろうか……なんて、来るかもしれない未来に思いを馳せながら。
「──……うん、まぁ、普通はそんなことしないんだけどね。」
生ぬるい気持ちで、当時を思い返した三木は、色んな意味で純真だった自分にため息を零したくなった。
初めての友達であった男鹿と古市の距離を、「アレが普通の友人関係の距離」だと思っていた三木は、奈良で正しい友人を作ってから、何度衝撃に見舞われたことか。
「……。」
つい先日も遠目に見かけたばかりの、仲良く寄り添う二人の姿を思い出して、三木はソ、と目を伏せた。
男鹿の隣で笑う古市の場所。──そこに取って変わりたかったわけではない。
ただ、古市の逆側の場所でいいから、そこで笑っていたかっただけだった。そうしていつか、男鹿と肩を並べるほどに強くなれたらいいと、思っていた。
けど、結局、男鹿には「逆側の場所」なんて、存在すらしなかったのだ。
男鹿にとって、認めていたのは古市君だけ。
僕は──ただの、「そのほか」だったに過ぎない。
「………………っ。」
ギリリ、と、拳を握り締めて、脳内で荒れ狂う嵐を奥歯で噛み締める。
けど、そう、これもおしまい。
数日後の試合の日に、男鹿は知るだろう。
自分が強くなったことを。もう歯牙にもかけないような存在ではないことを。
そうしたら──男鹿に、己の存在を、叩き込むことが出来るだろうか? 彼の前で言葉も発せずに消えて行った負け犬たちとは違う意味で、彼の中に残ることが出来るのだろうか?
……それは、あの遠い日に求めた形とは、全く、違うけど。
本当は、今でも心の中で望んでいる立ち位置は、あの頃と同じだけれど、でも、それはきっと、二度と手に入らない場所だから。
「だから──、僕は、君に勝ってみせるよ。
……そうして、絶対に、認めさせて見せる。」
隣に立つ人ではなく──君の背を、守るくらいの力があるのだと、言うことを。
もう、背中を守らせてくれることなんて、ないだろうけど、ね?
「……男鹿っ。」
はぁ、と弾む息を整えながら、三木は曲がり角で右と左を見回す。
学園祭の熱狂が色濃く残る中、廊下を進むたびにバレーの試合と「イベント」を見た生徒たちから声をかけられる。
そのたびに、先を急いでいるんだという言葉を飲み込み、三木は笑顔で対応する。
そうしながらも、そろそろ店じまいの支度を始めた出し物スペースを抜け、階段を駆け登りながら屋上を目指す。
あのイベント──本来なら、三木と男鹿の一騎打ちがあるはずだったそれが、思いもよらぬ伏兵の登場で、何もかもが一転した。
それは、最悪の伏兵だったはずだけれど、ことが終わった今となっては、三木にとったら運命の恩人とも言うべき伏兵に終わった。
あの日、あの時の……決して男鹿も古市も語ってはくれなかった真実が、暴露されたのである。
その時からずっと、胸に喜びと悲しみと後悔と嬉しさがない交ぜになってグルグル回っている。
男鹿が見せたスペクタクルな物や、出馬が言ったイベントの意味。何が正しくて何が間違っているのか分からないモヤモヤも頭に引っかかっているのに、それよりも何よりも、三木は男鹿のことで一杯になった。
3年間、ずっと裏切られたと思っていたこと。信じたくても、大好きだった人から直接振られた暴力に、暴言に、心も体もズタボロになって、恨み言と信じたい気持ちで、心はいつも揺れていた。精神的にも、何度も追い詰められた。
それが、たった一つの真実でアッサリと覆されてしまったのだ。
どうして、もっとちゃんと確かめなかったのだろうと──あの当時の自分の内気さを……男鹿本人から、何度も「おまえなんて知らない」と言われることを畏れていたことを、後悔なんて言葉では足りないほど、後悔した。
だって、男鹿は、自分の名前を一度も呼んでくれたことがなくって。本当に自分のことを認識してくれたかもあやしくって──何せ当時から男鹿は、すぐに人のことを忘れていたくらいだから──、だから、実は本当に古市がいなかったら忘れているんじゃないかとか、思っていたりもしたわけで。
そういうのが、全部、吹飛んだ。
「三木。」
ただ、男鹿に、そう呼ばれただけで。
あの時のことを思い出すと、今でも胸が熱くなる。
今すぐ男鹿の元に飛んで行って、色々話したいことがあると──そう思っているのに。
「屋上に、いるかな。」
当の男鹿本人が、霧矢が去った後から、見当たらないのだ。
出馬が体育館のイベントの終了の挨拶をしたり、みんなに拍手で見送られて退場したりしている間に、気付いたら男鹿と古市の二人の姿がなくなっていたのだ。
石矢魔の面々ですら、二人がいなくなっていたのに気付かず、またどっかでフケてんだろ、とか言う始末──全く、不良たちと来たら、協調性がない。
本当はすぐに男鹿たちを探しに行きたかったんだけど、流石に汗まみれのユニフォーム姿で走り回るわけにも行かなかったので、汗を拭いたり着替えたりしている間に、随分と時間が経過してしまった。
まだ帰っていなかったらいいんだけど、と、三木は思いつくままに屋上に向けて進路を取っていた。
学園祭で盛り上がっている今日の聖石矢魔の中で、人があまり近づかないだろう場所が、屋上しか心当りがなかったからだ。
もしソコにいなかったら、どこだろう、と思った三木であったが、屋上に続く階段を上ろうとしたところで、ふと先を歩く人物に気付いた。
両手に屋台の戦利品を持ち、口にフランクフルトを突き刺した、銀髪の少年──古市である。
「──あっ。」
小さく声をあげた三木に気付くことなく、先に屋上への扉の前に到着した古市は、器用にソレを開くと、スルリと扉を潜り抜けていく。
古市が居る所に男鹿アリ。
その可能性は、ほぼ90%。
特に今、古市が持っていた戦利品の数から察するに、男鹿が屋上に居ることは間違いない。
三木は慌てて階段を駆け上った。
重い扉を開き、ぴゅぅ、と駆け抜ける風に目を細めてあたりを見回す。
すると、扉よりもやや右側──屋上の柵にもたれて、探していた人物はいた。
「男鹿、待たせたな。」
口の中に突っ込んだフランクフルトを食い終え、割り箸を器用に右側に寄せながら話しかければ、柵にもたれたままこちらをジロリと睨み上げた男は、おっせぇ、と呟く。
「どうだ、紋様、消えたか?」
「おー、ほら見ろ、完璧だ。」
ユニフォーム姿のまま、むき出しの腕を見せびらかす男鹿のソコには、なるほど、確かに全身に広がっていた紋様は見えなかった。右手にいつものマークがあるだけである。
ベル坊が、それを名残惜しそうにペタペタと触っているだけで、ふだんの男鹿となんら大差ない。
「すごいな。ベル坊、レベルアップしたなー。」
前のときは、一週間おとなしくニートしてないと、消えなかったのにな、と呟く古市に、冗談じゃねぇ、と男鹿は苦い色を刷く。
右腕一本で一週間なら、今日の全身状態なら、一体どれほどかかることやら。
ゼブルスペルに全身を侵される形になった男鹿に変わって、いろいろと学園祭のお楽しみを買い込んできた古市は、それら戦利品を男鹿に手渡すと、ひょい、と彼の隣に座り込む。
そして、男鹿の腕を手に取ると、右に左にひっくり返す。
「古市、手ぇ離せ。焼きソバが食えねぇ。」
「んじゃ、フランクフルト食ってろ。」
「おー。」
手を返せ、と言う男鹿の訴えを却下し、片手でも食える物を推奨してやる。
そうしながら、古市は男鹿の手の平に自分の手を重ねると、ふーん、と呟く。
半年前には、男鹿の紋様が全身に広がったら、魔王になっちゃう! 人類滅亡しちゃう! 男鹿が人間じゃなくなっちゃう! ──とか思ったものだが。
思ったよりもアッサリと消えてしまったし、男鹿もベル坊もいつもと変わりないように思える。
それとも、古市が分からないだけで、実は男鹿は不死身の体にでもなってしまったとか言うオチなのだろうか?
ちょっと気になったので、指先で手の甲を抓ってみた。
「いでっ! 何すんだ、古市っ!!」
「あ、わりぃ。いや、ちょっと男鹿が不死身になったのか確認してみようと思って。」
「はぁ? 何言ってんだよ。」
「ダー。」
思いも寄らないところから痛みが来たせいだろうか、ちょっと涙目になった男鹿に睨まれて、片手を掲げて謝罪する。
男鹿の不審そうな顔の斜め下で、ベル坊が呆れたような目を向けてくる。
いや、でもですね、ベル坊君? ゼブルスペルが全身に広がったら、人間じゃない……みたいないわれ方を半年前にされてるから、やっぱり気になるじゃない?
「ほら、お前、全身に広がってたからさ……ゼブルスペル。」
「あー、そういやそうだったな。」
あっさりと答えながら、男鹿はフランクフルトにかぶりつく。
そんな彼に、そーだな、とこちらもあっさりと返しながら、古市は男鹿の手から手を離した。
多分、これは、そう難しい問題ではない。
男鹿とベル坊の間の「信頼関係」に変化が生じたときのことを、古市も知っているからだ。
あの時から、ベル坊は男鹿の傍にベッタリ張り付いていることは少なくなった。
ケンカのときに、人に預けられることもするし、男鹿から離れて待っていることも出来るようになった。
二人の信頼のレベルが、格段にあがったのだ。
それはつまり、男鹿とベル坊の間に、目には見えない絆が出来たことを示しており……「ゼブルスペル」というのが、そういう絆の強さを示すものなのだとしたら、確かに、全身に広がっていてもおかしくないくらい、二人の間には確固たる信頼の絆が築かれている。
なのに、今まで全身に広がっていなかったのは、一重に──「ベル坊自身が、ゼブルスペルの【紋様】という目に見える物で男鹿を縛り付けなくてもいい」と判断していたからに他ならない。言い換えれば、男鹿が紋様を広がるのを嫌っていたので、「じゃ、ふだんは広がってないようにしときゃいいじゃない?」と思って、右手だけに済ませてくれている、とでも言えばいいだろうか。
それが、力を使う段階になって、目に見える形になって広がった、というだけで。
よく、ゲームの世界とかである、呪文を使うときには魔方陣が現れる、みたいなのと同じなのではないだろうか。
考えてみても、よく分からない──事実は、ヒルダやベル坊に聞かないと、分からないだろうな。
そうボンヤリと思いながら、古市は口に放り込んだままだった割り箸を吐き出し、手元に転がっていた透明な袋を取り上げた。
そこには、500円玉ほどの大きさの色とりどりの飴が入っており、回りには白い粗目が振られている。
縁日などで見かける、グラムで販売している「どんぐりあめ」があったので、適当に買って来たのだ。
緑とピンクが混ざったりんご味に、青色と白色の綺麗なソーダ味、ピンクのチェリー味に、コーラ色と白色のコーラ味。緑色のメロン味。
手提げになる透明な袋に入ったソレは、色鮮やかで綺麗に見える。
その中から、コーラ味を取り出して、古市はポイと口の中に放り込んだ。
懐かしい味に、そーいや昔、男鹿と近所の祭りでよく一緒に買ったよなー、と思い出す。
ぽっこりと頬が膨らむのを感じながら、舌先で粗目のチクチクした触感をコロコロと転がしていると、
「お、どんぐり飴じゃねーか。」
フランクフルトを二口で食い終えた男鹿が、懐かしいな、と手を伸ばしてくる。
飴の袋を取り上げて渡してやると、早速物色をしだす、が、すぐに男鹿は眉をひそめて、袋越しに古市を睨んできた。
「おい、古市。コーラ味がねぇぞ、コーラ味が。」
今すぐ買いに行って来い、と言わんばかりの態度である。
「ああ、1個しか買ってこなかったからな。」
というか、同じ味の飴を買ってもしょうがないと思ったので、全味1個ずつしか買ってない。
そう告げる古市に、がさ、と袋を揺らして、
「その1個もねぇぞ。」
男鹿が渋い顔で言い募る。
「そりゃそーだろ。だって俺が今、食ってるもん。」
ほら、と、舌先に乗せて、べー、と粗目の大分取れてきたコーラ味を見せれば、なにーっ、と男鹿がいきり立つ。
「なんでお前が食ってんだよっ!」
「そりゃ、俺が食べたかったからに決まってるだろ。」
「俺にも寄越せ。」
「えー。」
イヤっそうに顔を顰めるが、男鹿は寄越せ、の一点張りだ。
こうなったら言っても言うことを聞かない男鹿に、しぶしぶ古市が折れることのほうが多い。
けど、さっき口に入れたばっかりなのに……、という思いから渋っていると、
「ほほーぉ、古市君は、退学から救ってやったヒーローのために、飴玉一つやるのも、勿体無いというのかね?」
「いやいや、そもそも退学になりかけたの、お前のせいじゃね?」
よくそこんとこ考えろ、と言ってやるが、男鹿はブーブー言う。
ベル坊が、男鹿の手の中に握られた色とりどりの飴を見て、キラキラと目を耀かせながら手を伸ばす。
が、離乳食から通常食を食えるようになったとは言えど、さすがにまだベル坊に飴は早い。
こっちにしとけ、と古市は焼き鳥とドーナツを差し出してやりながら、コロコロと口の中でコーラ味の飴を堪能する。
「いいから、飴を寄越しなさい。」
ほら、と手を差し出す男鹿に、そこまでしてコーラ味が食いたいのか、と古市は目を据わらせる。
それから、しょうがねぇなぁ、といつものように溜息を零す。
とりあえずコーラ味を食っただけで、古市は男鹿ほどこの味にこだわっているわけではない。──今、味わったところだし。
「お前はジャイアンかっての、ったく。」
ころ、と口の中で転がして、古市はほら、と舌先に飴を乗せて、べ、と舌を出す。
口をあけて差し出した舌に、コーラ味の丸い飴が乗っている。
すでにもう粗目は取れて、ツヤツヤした色を見せていた。
「古市の分は、俺の分だろ。」
それくらい、当然、と。
男鹿は地面に手をついて、上半身を乗り出すようにして古市に顔を寄せる。
噛み付くように口を開き、差し出された古市の舌に乗った飴を、はむ、と唇で摘み上げる。
そのまま、ころんと飴玉を自分の口内に入れると、慣れたコーラ味が口の中に広がった──、と。
がしゃんっ。
「う……うわっ……っ。」
屋上の入り口から、声がした。
振り向けば、三木が閉じたばかりの扉に背中を押し付けて、あわあわと口を開け閉めしながら、狼狽した様子で二人を指差していた。
「あれ、三木?」
きょとん、と古市が目を瞬く。
コロコロと口の中で飴を転がしながら、男鹿は無言で三木を見る。その腕の中でベル坊は、全く気にしない様子でドーナツに、ハムハムとしゃぶるように噛み付いていた。
「な……なななっ、なっ、何してるんだい、君たちは……っ!」
なぜか頬を真っ赤に染めて、動揺を隠すこともない素振りで、自分たちを見て──……直視できない様子で右へ左へと視線をそらしているのだろう?
くり、と小首を傾げながら、
「何って……、学園祭を満喫?」
古市は、自分が買い込んできた戦利品の山を指差す。
朝からメイド喫茶に並んでいた上に、その後すぐに体育館に連れ去られた身である古市はもちろん、学園祭を楽しむ気が鼻からなかった重役出勤の男鹿も、今の今まで楽しんでいなかったのである。
なので、試合が終わってから終了までの少しの時間だけでも、学園祭を満喫しようと思ってるんだ、というのが古市の言い分だ。
これから後夜祭があるようだが、男鹿のゼブルスペルが消えない限り身動きが取れないのも分かっていたので、とりあえず買い込むだけ買いこんできた、とも言う。
「いやっ、ちがっ、そ、そうじゃなくって──い、いい、今っ、口移ししてなかったかいっ!!?」
ぶんぶんっ、と頭を激しく揺さぶる三木に、男鹿と古市はキョトンと目を見開き、
「はぁぁっ!? 口移しっ!? 何言ってんのっ!? ないないっ! このアホと口移しとか、絶対しないしっ!!」
ありえねぇっ、と、激しく手を横に振る。
ありえないありえない、と二度も三度も続ける古市に、三木は自分が見てはいけなかったものを見てしまったのかと、ますます目元を赤く染める。
ここは、気を使って、見てなかった、気のせいだった、というべきだろうかと、狼狽しながら思う。
──っていうか、知らなかった。そ、そっか、仲がいいと思ってたけど、やりすぎじゃないかって思ってたけど……つ、つつ、付き合ってた、なんて……っ!
うわぁぁっ、僕、なんて空気読んでないのっ!?
と、三木は内心頭を抱えたくなりながら、今すぐ屋上から退陣しようと──、思ったのだ、けれど。
「アホか、お前。ちゃんとよく見ろ。」
男鹿が、心底バカにしきったような声と顔で、はぁ、と溜息まで吐き捨てる。
え? と、三木が顔をあげるのと同時、
「口、ついてなかっただろーが。」
「…………え?」
何を言われたのか分からなくて、一瞬、目を白黒させた三木を、ヒタリと男鹿が見据える。
「口がついてなかったら、口移しって言わねぇんだぞ。」
男鹿の目は、真剣だ。
この上もなく、真剣だ。
そしてその横で、うんうんと頷いている古市も真剣だ。
ついでに言えば、男鹿の腕に抱えられているベル坊は、微妙な顔をしている。
いつも三木にイヤそうな顔しか見せないベル坊が、今回ばかりは三木に同情するような、微妙な顔つきをみせている。──それが、答えのような気がした。
「え、ちょ……、ほ、本気で言ってる……?」
「口がくっついたら、キスになるけど、ちゃんとつかないよーにしてるぞ。」
えっへん、と胸を張る男鹿に、古市が、そーだよなー、と同意する。
自分たちがしていることが、普通だと言い張る二人に、──アレ? 本当はソレでよかったんだっけ? と。三木は頭が混乱してきた。
っていうか、食ってた飴を共有するのって、友人でも普通にアリ? あれ、アリだったっけ???
奈良に行っている間に培われた常識が、なぜか二人の前では吹っ飛ぶ。
あまりに当然のように、当たり前のように振舞う二人に、三木は混乱した頭のまま、ははは、と乾いた笑い声をあげると、
「そ……そ、そう、だった、よね…………?」
語尾をかすかに震わせながら、それでも同意した自分に。
なんだかむしょうに負けてしまったような、気が抜け気ってしまったような──そんな気がして、しょうがない三木であった。
うん。
何年経とうと、変わらないよね、君たち。
っていうか………………グレードアップしてる?
果たしてこの二人に、ついていけるのだろうか、と、ちょっと不安になる三木であった。
それでも──再び彼らと仲良くなるこの切欠を、手放すつもりなんて、これっぽっちもなかったのだけれど。
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↓ちょっと補足
……どんぐり飴って、関西限定の屋台らしいですね(笑)
味の色を調べていて初めて知りました。
普通に駄菓子屋で売ってるのよりも、屋台の方が大きかったり、棒がついてたり、色んな味があったりするのです。昨今ではあまり見かけないかな。