そんな日常コネタ 1





*三木視点です。







移動教室の帰り道。いつもは通らない廊下を歩いていると、少し前を歩いていた同じクラスの女子が、あっ、と声をあげた。
「なに?」
一緒に歩いていた彼女の友人に、少女はうれしそうに顔をほころばせて窓辺に近づく。
「みて、ベル坊くんだよ〜。」
ほらほら、と窓の外を指さす彼女の口からでた、聞き慣れない――けれど、決して忘れることのできない名に、三木はふと顔をあげた。
 ベル坊。それは、三木が執着し続けてきた男が、自分の知らない間に作った「子供」の名前だ。
 その子供がいるところには、当然、彼が居る。
「あ! ほんとだ! や〜ん、かわいぃぃ〜っ!」
語尾をはねさせながら、彼女たちは窓辺に張り付く。
彼女たちの数メートル後ろで足を止め、三木は釣られるように窓の外を見下ろした。
向かい側の校舎の、一階の渡り廊下の近く。石矢魔クラスよりもこちら側よりにある自販機スペースが、よく見えた。
二学期始まって二日目に、古市と会った場所だ。
あの時の三木と古市のように、窓際に二人、立っている。黒い髪と銀色の髪――男鹿と古市だ。
 男鹿の背中には、少女たちが夢中になっている緑色の小さな赤ん坊が、ぴったりと張り付いていた。
 少し斜めに向かい合って立つ男鹿と古市は、それぞれ右手に缶ジュースを持ち、こちらに気付く様子もない。
 まさかこちら側の校舎から──しかも二階から覗き見られているだなんて、思いもしないだろう。
「ベル坊くん、こっち向いてくれないかな〜。」
ポケットから携帯を取り出して、斜め下向けてかざした女子が、ズームにしても小さい、とすねたようにつぶやく。
 そんな彼女に、もう一人の少女が、
「だったら、あそこまで行ってみる?」
 今なら、まだ時間あるよー、と同じく携帯をかざしながらそう言って笑う。
 そんな友人に、えー、と頬を膨らませながら、
「さすがに、それはちょっと無理かなー。だって、なんか……怖くない?」
 石ヤバだよ? あそこにいるの、二人とも!
 写真を撮るのを諦めた少女が、ぱちん、と携帯を折りたたむのを横目に見ながら、三木は呆れたように小さく吐息を零す。
 怖い、なんて、よくも言ったものだ。
 一人で登校してきていた男鹿を、女の子たちが囲んでいるところを見たのは、つい今朝のことだった。
 そんな度胸がある少女たちを──先日まで怖いだとか近づくと妊娠するだとか声高に叫んでいた女子の、怖い物知らずさを見たからこその、溜息だった。
「あー。それは言えてるかも。人目につくところならいいけど、ああいうところで話しかけるのはねー、やっぱ怖いよねー。」
「…………。」
 うんうん、と同意する友人に、だよねー、と少女は更に同意を返す。
 その言葉を聴いて、三木は再び視線を窓の外にやった。
 男鹿と古市は、こちらの空気も気にしていない様子で、笑いあっている。
 古市が左手を男鹿の左手に伸ばし、彼が持っていた赤い箱に指を突っ込む。そこから黒い棒のような物を取り出して──遠目にも、ポッキーだと分かった。
 食べるのかと思ったら、そのポッキーを男鹿の口元に持って行き、ぱくり、と彼に銜えさせる。
 続けて男鹿のポッキーの箱に手を出し、そこから一本取り出すと、今度は自分の口元に運ぶ。
 古市がソレを一口かじっている間に、男鹿は口に入れられたポッキーをバリボリと一気にかじってしまった。
 そうすれば、古市が呆れたように目を細めて、何か言う。男鹿がソレに答えて、楽しそうに笑って、缶ジュースを煽る。
 古市が再びポッキーを取り出して、男鹿の口元に運ぶ。
 男鹿がソレに噛み付く。
 あっという間に短くなって口の中に消えたポッキーに、古市は自分の分を口から出して、何か言いながら、再びポッキーの箱に手を伸ばす。
 そしてソコから新しいポッキーを取り出し、また男鹿の口元へ……かと思ったら、古市はそれを自分の口で銜え、自分の食いかけのほうを男鹿の口に突っ込んだ。
「……………………。」
 三木は、その一連の動作を当然のように受け入れて、バリバリとポッキーを食う男鹿に、生ぬるい笑みを浮かべた。
 なんていうか、──うん、なんていうか。
「仲ええなぁ、あの二人。」
「っ!?」
 不意に上から声が降ってきて、三木は慌てて振り返った。
 ぐん、と顎をそらすだけそらした先──、
「出馬さんっ!」
 片手にノートと教科書を持った生徒会長が、三木と同じように窓の外を覗き込んでいた。
 その視線の先には当然、男鹿と古市の姿がある。
 呆然と見上げれば、出馬は三木を見下ろしてニコリと笑う。
「次が移動教室なんや。」
 化学室で実験、と続ける出馬に、そうですか、と答えて、三木は困ったように眉を寄せる。
「あっ、生徒会長っ……っ。」
 少し先で、ベル坊にキャアキャア言っていた女生徒が、こっちを見て興奮したように押し殺した黄色い声をあげている。
 昨日の文化祭で人気が急激にあがったのは石矢魔やベル坊だけではない。
 この生徒会長にしてもそうなのである。
「そうですか。」
 背後の、妙に浮ついた気配を感じながら、三木が苦笑を滲ませて──チラリ、と、窓の外へ目を移す。
 向こう側の校舎では、古市が変わらない動作で赤い箱からポッキーを取り出し、それを男鹿の口元に運んでいた。
 くだらない話をしているらしい二人の口元は笑っている。
 時々、古市が、間違えて自分の食べていた方を渡していたが、男鹿は気にすることもなくそれにかじりついている。
「あの二人、昔からあんなんやったんか?」
 ほんま、仲ええなぁ。
 感心したようにそう告げる出馬の語尾に、苦笑めいた色が見える。
 その気持ちは、分からないでもない。
 お菓子を分け合うのは、友人同士なら何も不思議はない。
 けど──あの、一見普通に見えるお菓子の分け合いが、よく見れば普通じゃないのが、あの二人なのである。
「そう、ですね。」
 三木は、遠く感じるあの日々を思い出すように、す、と目を閉じた。
 思い出す様々な出来事。内気でいじめられっこだった自分が、あの二人に振り回された──けど、とてもいとしく大事な日々。
 友人だと、胸を張って言える間柄の相手は、あの二人が初めてだった。
 楽しかったあの頃。──あの事件がおきるまでは。
 そう思うと同時、なぜあの時、男鹿に見捨てられたとショックを受けて家に篭り続けたりせずに、事情を知っているだろう古市に聞きに行かなかったのだろうかと、後悔が胸に積もった。
 あぁ、でも、それでも古市は、男鹿の意見を尊重して教えてくれなかっただろうけど。









 薄暗い廃ビルの外に、白い雪がうっすらと積もり始めていた。
 夕日を反射して耀く薄明かりが、冷え込んだビルの中にもとどいている。
 まだ、夜というのは早い時間。
 けど、春先の夜は早くて、もう少しすれば、帰らなくてはいけない時間になってしまう。
──この春休みに、奈良に行くことが決まってしまったからこそ、少しでも長く、この二人の友人たちと一緒にいたいと、そう思うのに。
 なのに、毎日が、飛ぶように早く過ぎていく。
 だから、放課後はなるべく、古市や男鹿と一緒に帰るようにしたし、いつもは寄り道に付き合ったりもしないけど、転校が決まってからは、しょっちゅう付き合っていた。
 その廃ビルは、窓ガラスも割られてしまってないような、まるで泥棒に入られた後のような有様のビルで。
 帰り道にあったコンビニで買い物をしてから寄ったソコで、日が暮れるまでの間、いつもと変わらない話をしたっけ。
 誰もいない、シンと静まり返ったビルの中が、妙に怖いような気がして、誰かいるんじゃないか、今にも怒られるんじゃないかと、びくびくとあたりを伺う三木に対して、古市も男鹿も慣れているようで、平気平気、なんていって平然としていた。
「あっ……!! おい、古市、そのビッグカツ、オレんだぞ!!」
 古市が色々買い込んできた袋から取り出して、今にも開けようとしていたお菓子を指差して男鹿が怒鳴れば──その顔がまた、目じりがつりあがって怖い形相で、思わず三木はビクリと肩を震わせてしまった。
 古市はそんな男鹿をイヤそうに見ながら、持っていたお菓子を彼から隠すように両手で掴む。
「オレが買ったんだよ。」
「オレがカゴに入れたんだよ。」
 当然のように平然と答える男鹿に、今度は古市が怒鳴る。
「いや、勝手に入れんなよ!!」
「お前のもんはオレのもんだろ!」
「お前はジャイアンかっ!」
 いつもの子供のじゃれあいみたいな言い合いに、はは、と三木は小さく笑い声をあげる。
 はぁ、と吐き出した息が、白く空気に溶けた。
「いいから、そのビッグカツよこせ。」
「ヤだよ。オレだって食いたいもん。」
 ほれ、と手を出す男鹿から、古市は袋を開けたビッグカツを守るように懐に抱え込む。
「オレが先に食べたくなったんだぞ。」
 オレにも食う権利がある、と胸を張る男鹿に、それは一体どういう権利なのだろうと、三木は思わないでもない。















 だが、古市は、なぜかソレにしょうがねぇなぁ、と溜息を零すと、
「じゃ、半分コだからな。」
「ソースの多いほうよこせよ。」
 結局、いつもと同じことになるわけだ。
 古市は袋の中からビッグカツを取り出すと、その真ん中辺りに指を当てる。
「これくらいか?」
「オレのほうが少なくないか?」
「気のせいだ。」
 掌よりも少し大きいくらいのビッグカツを囲んで、真剣な顔で真っ二つに分けようとしている二人に、苦い笑みばかりが零れる。
「なんなら、定規貸そうか?」
 軽口のつもりでそう言えば、古市がイヤそうに顔を歪める。
「めんどくさい。男鹿、適当でいいだろ?」
「オレのが多いなら、それでいいぞ。」
「うっさいよ! お前、オレが買ったって分かってる?」
 ぺしっ、と、最近巷でデーモンだとか言う名称で呼ばれ始めた男鹿の頭を軽く叩いて、古市はビッグカツの中央に自分の指を当てた。
「よし、ここが真ん中だ。」
 確かに、見た目にも真ん中に見える。──いや、ちょっと男鹿よりのほうが大きいような気がしないでもないが、古市がそういうのなら、それでいいのだろう。
 男鹿も納得したらしく、そこでいいぞ、なんて言っているし。
 古市がビッグカツを横に持ち、それを自分の前に掲げた。
 てっきり、そのままビッグカツを横に引き裂くのかと思ったら、なぜか古市はソレを縦に持った。
 ──縦に引き裂く気なのだろうか?
「?」
 どうするのだろうと、黙って見守っていたら、思いも寄らない光景が始まった。

 かぷ。
 がぶ。

「……………………………………。」
 二人が同時に、ビッグカツの両側から食いついたのである。
「ええぇぇぇぇっ。」
 さすがに数ヶ月の付き合いになる三木も、コレにはビックリした。
 ビックリしないほうがおかしいと思う。
 ポッキーならまだしも──いや、ポッキーでもイヤだけどっ。
 なんでビッグカツを半分コするのに、両側から食いつくわけっ!? ちぎるとか、裂くとか、そういう方法はないのっ!?
 呆然と見る三木の前で、男鹿はあっと言う間に古市の指の辺りまで食い進め、そこでガブリと大きな歯型を残してビッグカツを食いちぎった。
 残ったのは、古市の指ギリギリの辺りまで喰い残された「古市の側」だけである。
 ペロリ、と唇を舐める男鹿に、三木は何を言ったらいいのかわからないまま──あぁ、でも、コレだけは聞いておかないと、と、ノロノロと口を動かした。
「な……、なんで、手でちぎらないんだい?」
 ここで、ポッキーゲームもどきがしたかったから、とか返って来たらどうしよう、と、内心ドキドキしながらの三木の問いにしかし、ビッグカツを半分ほど食い終えた古市が返してくれたのは、
「え、だって、手でちぎると、衣が落ちるから勿体ないじゃん?」
 それに、ちぎりにくいしなー? という、実に、何の気負いもない返事であった。
 つまり、何も意識していないし、何も疑問に思っていない、ということである。
 そんな二人に、三木は、なにやらしょっぱい思いを噛み締めながら、
「ふ、ふーん……そ、そうなんだ……。」
 と答えるのが、精一杯だった。







「久也?」
 出馬に声をかけられて、三木は、ふ、と中学時代の思い出から我に返る。
 そうして、窓の向こう側に見える、あの頃よりも大人びた二人──なのに、中味も互いの距離感もそう変わっていないように見える二人に、そうですね、と再び答える。
「二人とも、仲は、凄くよかったですよ、あの頃から。」
 大抵一緒にいたし、一緒にいなくても、なぜか互いの動向は大体把握していたし。
 正直、あの二人は、二人だけで輪が閉じているところがあったと思う。
 けど、……今は。
 男鹿の背中の赤ん坊を見て、昨日の試合の時の面々を思い出す。
 今は、たぶん、違う。
 あの二人の世界に入っていけるなんて、石矢魔の人って、けっこう凄いのかもしれない。
「でも……昔ほどじゃないですね。
 マシになったと、思います。」
「……マシなんや?」
 何がマシなのか分からないまま、楽しそうに出馬が問いかける。
 それに、はい、と三木は答えて、再びポッキーの箱に手を伸ばす古市を見た。
 ポッキーの中をゴソゴソと探り、そこから一本取り出して──アレ、と彼は首を傾げる。
 ひょい、と男鹿の手の中の箱を見下ろし、納得したように頷いている。
 遠目でも分かる。きっと古市が持っているのが最後の一本だったんだ。
 昔なら、彼らはこの一本を、両側から銜えて食べたことだろう。
 でも、今は違う。
 中学から高校にあがって、二人の中にも、常識というか羞恥心というか、男同士の友情の距離感、というのが出来たようだった。
 ──ほら、古市君は、その一本を、当然のように自分の口に銜えたじゃないか。
 男鹿は、そんな古市に叫んでいる。多分、自分によこせとでも言っているのだろう。
 そんな男鹿に、聞く耳持たないとばかりに、古市がそっぽを向く。
 男鹿が更に何かを言うが、古市は聞かずに、ポッキーをもったまま、もう一口、とかじった所で。

 それは、起きた。

「……──っ!!!???」
「きゃああああぁぁぁっvvvv」
 あまりの衝撃に、思わず三木は窓の桟を掴んでいた。
 出馬も驚いたように目を見張り、少し遠くで同級生の女子が黄色い悲鳴をあげた。
 見えたのは、ほんの一瞬。
 男鹿が古市の肩を掴んで、自分のほうを向かせたかと思うと、ぐ、と顔を近づけて。
 がぶ、と。
 古市の銜えていたポッキーに、横から噛み付いたのだ。
 頬と鼻が触れるほどの距離。
 たぶんきっと、唇と唇が掠めていたに違いない──そんな距離。
 男鹿が顔を退けたときには、古市の手にはポッキーの持ち手の部分と、銜えた先の部分しか残っておらず、ちょうど真ん中の一口分くらいが綺麗にない。
 その「男鹿の口での一口分」は、今、バリボリと咀嚼している男の口の中だ。
「あー……、と。あれも、仲ええなぁ、で、いいんかな?」
 こりこり、と、反応に困ったような出馬に、三木はガックリと脱力した。
 窓の向こうでは、古市が男鹿の足を蹴り、何か叫んでいるのが見えた。
 男鹿はそれに面倒くさそうに答えながら、缶ジュースを一気に飲みきる。
 そして、くい、と顎で自販機の先──石矢魔クラスの方を指し示すと、古市も慌てて缶ジュースを飲み干し、彼の少し後を付いていく。
 すぐに男鹿に追いついた古市は、何事もなかったかのように、男鹿の腕を小突いて、笑いながら肩を並べて歩き出す。
 男鹿もそんな古市を見下ろして、やっぱり笑いながら、何もなかったかのように、振舞っている。
「何、今のっ!? ねぇ、今の見たーっ!? あれ、顔、近づけすぎーっ!!」
 きゃぁぁぁっ、と、嬉しそうな悲鳴をあげる女子たちの心境はさておき。
 三木は、ゆっくりと顔をあげて──はは、と乾いた笑顔を浮かべて、出馬に呟いた。
「訂正します。」
「ん?」
 自分のつむじを見下ろす彼の視線を感じながら、はぁ、と三木は息を吐いて廊下の先に消えて見えなくなった、中学の同級生たちに、あの当時よりもずっと生ぬるい微笑みを贈ると、



「無自覚なまま、パワーアップしているみたいです。」