途中ですヨ 1





 ある日、夕食の席で母が言った。
「ほのか、あんた、来月の第二日曜、空けておいてよ。」
「来月の……第二日曜? えっ、何、どこか連れてってくれるの、お母さんっ?」
 ぱっ、と嬉しそうに顔をほころばせる妹に、古市はチラリとカレンダーを見た。
 来月の第二日曜。特に何かある日でもない、ごく普通の日だ。
「うん、その日ね、あんた、見合いすることになったから。」
 ──母が、そう、なんでもないことのように言うまでは。









「ぜっったい、いやーっ!!!!!!」
 妹は、もちろん、反対した。
 机を叩いて、頭を振って、ダダをこねた。
 今のご時世、見合いなんて時代遅れ。ドラマの中でしか見た事がない。せいぜいあっても、見合いパーティとか、見合い旅行とかそういうものであって──一対一の、正真正銘の見合いなんて、聞いたこともなければ見た事もない。
 特に、まだ中高生という年齢の兄妹にとっては。
「わたし、まだ中学生なんだよっ!? なんで見合いなんてっ!」
 まだ花もつぼみと言える中学生であるほのかには、確かに見合いなんて早い。早すぎる。
 ──いや、兄の欲目を抜きにしても、愛らしい容貌と(自宅での服装はどうかと思うが)可愛い性格からして、見合いなんて永遠に縁のないものであるかもしれない。
 その、妹の、断固たる拒否にしかし、母は食後のコーヒーを啜りながら、あっさりと言い放つ。
「見合いって言っても、そう大したものじゃないのよ? 単にホテルで会って、相手とお話して、御飯を食べるだけ。別に、婚約とか結婚とかをするって言うわけじゃないの。」
 ヒラヒラと手を振る母が説明するには、簡単に言うとこういうことだった。
 父が勤めている会社の大事な(ここ重要)取引先の社長さんが、なんと母の元同級生だったというのだ。
 しかもその相手は、母が初恋の人だったらしく、母に娘がいると知ったら、それはもう会いたがったらしい。自分には息子がいるから、ぜひ娘さんとあわせたいとかどうとか。
 それはそれで、どうなのかと思わないでもないのだが、父の上司がその話に物凄く乗り気で、強引に推し進められたのだという。
 娘に睨みつけられた父に、しぶしぶ説明されたイイワケによると、相手方の社長さんは、物凄く難しい人らしく、それで機嫌が取れるならそれに越したことはない、という言い分なのだそうだ。
 相手方の社長さんも、初恋の人の娘さんに無理強いをするつもりはないようで──よほどほれ込んでいたんだろうな、と、どこか苦い笑みを浮かべる父に、古市は同じ男として物凄く同情したくなった。
 本当に純粋に、自分の息子とほのかが自然と惹かれあい、愛し合ったらいいなぁ、と思っているようだった。
 だから、無理強いはしない、決してしない、とまで言われ──更に土下座までされて誓われては、もう、受け入れるしかなかったのだという。
「……っていうか、ほんとにその社長さんって、気難しい人なの?」
 思わず兄妹揃って、皿目になって父を見据えてしまった瞬間だった。
 その夜は、喧々囂々と言い合ったが、結局、ほのかが折れた。
 綺麗な着物を着て、美味しい物を食べて──もしかしたら格好いいかもしれない男性と話す、それだけでいいのだ。たったそれだけで、後は父や母がなんとかしてくれるというのだから。たった一回だけだから。
 その約束に、本当にしぶしぶ、うん、と頷いたのだ。
 その代わりに、ほのかは兄にも一緒に来て欲しい、とねだった。
 父と母だけでは頼りないと思ったのだろう。
 可愛い妹のおねだりを、古市は苦笑を滲ませて受け入れた。
 それからついでに、
「そうだ、ほのか。だったらついでに、男鹿も連れて行こうぜ? 相手の男の人も、あいつの三白眼見たら、びびって引いちゃうかもよ。」
 こんなおっかない男が傍にいる女なんて、とんでもない、ってな。
 そう言って茶目っ気たっぷりに片目をつぶった兄に、ほのかは小さく笑って、それもいいかもね、続けた。



 ──話は、そこで、終わった、はず…………、だった。



 母から、そういえば、と思い出した話を口にされるまでは。
「そこの建設会社って、アレよね? ヤクザがやってるトコじゃなかったっけ? あら、私の同級生に組長さんなんていたかしら?」
 そう、母の中学時代の同級生の気難しい社長さんは、ヤクザの組長さんだったのである。









 お洒落な雰囲気の美容院の扉が、開く。
 時刻はそろそろ混みはじめる時間帯。
 今から美容院に入ろうとしていた少女は、中から開かれた扉に、1歩手前で足を止めた。
 中から、ぬ、と出てきたのは、一人の男だ。
 背は高めで、それ系の人かと思うほどに目が鋭い。
 じろ、と睨みつけられるように見下ろされて、思わずビクリと恐怖に身を竦ませてしまう程度には、怖い顔つきの男だった。
 な、なんでこの美容院に、こんなおっかない人がっ!? しかもこの人、ココで整えてもらったとは思えないほど、頭ボサボサなんですけどっ!?
 及び腰になりながら見上げる少女を一瞥した男は、そのまま彼女に興味を失ったように、扉をくぐりぬける。
 その背中には、なぜか素っ裸の赤ん坊が張り付いている。──なんで赤ん坊??
 首をひねる少女の前で、男は扉を支えつつ、後ろを振り返った。
 自分のために開けてくれているのだろうか、と疑問に思うことはなかった。
 彼女はすぐに気付いたのである。
 美容院の奥から、男に続いて出てきた人の存在を。
 最初に見えたのは、サラリと揺れる着物の長い裾だった。──振袖だ。
 象牙色の着物地に、大柄な古典模様。左肩から左袖にかけて薄いピンクの花が咲き乱れ、裾の辺りに向けて濃紺のグラデーションが刷かれている。
 金色の華やかな御車と白菊、桔梗──華やかでありながら落ち着いた雰囲気の着物に、金色の帯。扉を潜り抜けた「少女」の白い首筋が、ビックリするほど白い。
 サラリとかかる髪の色は銀色。耳元から後ろに向けて指された大ぶりの花簪からは、幾重にも下がり部分が重なり、彼女の白い頬と輪郭を際立てている。
 少しボリュームを出しながらも綺麗にまとめられたショートカットが、違和感なく着物にぴったりと似合っている。
 チラリ、と立ち尽くす少女に向けられた目は、長い睫をパッチリとした──それでいて涼やかな双眸。
 抜けるような白肌に際立つ濡れた唇と爽やかな色香が漂う目元。
 まるで雑誌から抜け出たようなスラリとした立ち姿。
「ぅわぁ……。」
 感嘆の吐息を漏らすほど、振袖姿のその人は、美しかった。
 美容院から出てきた少女は、ちょっと困ったような笑みを口元に浮かべてから、緩く首を傾げてお辞儀をしたようだった。
 どうやら、自分が出るまで待っていてくれている少女に、謝罪をしたようだった。
 ことさらゆっくりと扉を潜り抜ける娘は、着物の裾に気を使っているようだった。
 少し歩き方が不自然なのは、着物で歩くことに慣れていないからなのだろう。かくん、かくん、とした歩き方になるのに、扉を支えていた男が呆れたような目で見ている。
 それでも、そんなぎこちない態度や仕草を入れても尚、娘は美しかった。街中を歩いたら10人中10人が振り返るに違いない、そう思わせるほどの華と美貌がある。
 よろり、と体を傾がせかけた娘の体を、片手で扉を支えていた男が、もう片手で彼女の体を支える。
 ヒラリと舞った長い袖が、優雅に空を染める。
「大丈夫か?」
「……あんまり。……ってか、歩きづらい。」
 あれほど綺麗な彼女を間近で見ているのに、男は何の感慨も持っていないようだった。
 それとも、アレだろうか? これほどの美人を間近で見すぎていて、麻痺しているのかもしれない。
 小さな声でボソボソと男に答えた娘の声は聞こえなかったが、それよりも彼女の背中の帯の結び目に目が行った。
 こちらも華やかに見える結び方は、詳しく走らないが多分、変わり帯とか言われる結び方だと思う。ふんわりと広げられた羽の部分が華麗でありながら可愛らしくて、美少女にとてもよく似合っていた。
 男が彼女の手を取って、目の前に停車していたタクシー向けて歩き出す。
 今からどこかへ──パーティ会場か何かに移動するのだろうか? いや、男の服装は着物姿の美少女に似合わぬティーシャツにジーパンだから、エスコートというわけではないだろう。
 もしかしたら、──それこそ、モデルさんと付き人かもしれない。
「あっ……、け、携帯……っ。」
 タクシーのドアが開くのを見た瞬間、はっ、としたように少女はカバンの中から携帯を取り出そうとする。
 慌てて滅多に見ることがない美少女の姿を、カメラに収めようとするけれど、なかなか携帯が見つからない。
 そうこうしている間に、美少女はタクシーに乗り込もうとして──どうやったら着物に皺をつけずに乗り込めるかと、彼女は動きを止める。
 そろりと裾を持ち上げてみるが、足が上手くあがらない。
 そんな彼女に業を切らした男が、めんどくせぇ、と呟いて、ヒョイ、と抱えあげた。
「う……うわっ、ちょ、男鹿……っ!?」
 軽々と横抱きにされた美少女が、慌てて男の腕をたたくが、それに男は頓着しない。
 美少女とそれほど背丈は変わらないように見えるのに、フラリともしない。
 その事実に、少女はうわぁぁっ、と口元に手を当てて、男が娘をタクシーの中にソと置くのを凝視する。
 きゃぁぁっ、と黄色い悲鳴が漏れるのが止まらない。
 なんだか、むしょうに絵になった。
 男はラフな格好だというのに──っていうか、どう見ても顔つき的に高校生な目つき悪い子が、すごい振袖美少女を大切にお姫様抱っこしてクルマに乗せるとか、ヤバくねっ!?
 なんか、萌えるっ! すっごい萌えるっ!
「ちょ、写メ、写メっ!」
 慌てて取り出した携帯を、必死で開いてカメラを起動させる。
 けど、それを構えたときにはもう、美少女はドアの向こう側に隠れていて、男の方も運転席側のドアから中に入ってしまった後だった。
「あっ、あっ、ああっ。」
 やだ、勿体無いっ。
 スムーズに発車してしまったタクシーを、思わず数歩追いかけるけど、時すでに遅し。
 ようやく立ち上がった携帯のカメラには、いつもと変わりない美容室の前の道が映し出されるばかり。
 あーあ、と、彼女はガックリと肩を落とす。
「あのコ……、モデルだったのかなぁ。」
 それなら、そのうち雑誌か何かに載るのかしら?
 ぼんやりとそのクルマの姿を見送った後、彼女は気を取り直して美容室に向かうことにした。
 それにしても、ほんと、勿体無いことをした。──そう思いながら、先ほど男の子が開いていた扉を開ければ、中では先ほど出て行ったばかりの美少女のことで騒然としていた。
 いつもなら、騒がしい美容室だと眉をひそめるところだけど──でも、今日ばかりは違った。
 愛想良く……興奮冷めやらぬ様子で頬を赤く染めながら話しかけてきた店員に、彼女は開口一番、こう尋ねた。
「ねぇ、さっきの女の子……もしかして、芸能人?」
「それが、一般人らしいんですけど──、ビックリするくらい、綺麗ですよねぇっ。」
 嬉しそうに話に乗ってきた店員に、一般人なのっ!? と少女は嬉々として叫び──うそぉぉ、と悲鳴じみた声をあげるほかのお客さんに混じって、声高に会話に加わるのであった。












 タクシーの運転手は、ちらちらとルームミラーに映る後部シートのカップルもどきを見つめる。
 助手席側には、俯き加減に座る超がつくほどの美少女。テレビ画面や雑誌の中でしかお目にかかれないような、耀くばかりの美貌の主だ。振袖姿も美しい、あでやかで華やかな姿は、リムジンが良く似合う──こんな一般向けのタクシーじゃなくって、リムジンタクシーに乗ればいいのに、と思わせるような品を持っている。
 運転席側には、目つきの悪い男がひとり。
 ジロリ、とルームミラーごしに睨みつけてきているように見える三白眼の主の膝には、なぜか裸の赤ん坊が座っている。
 一見、どういう組み合わせか分からない二人組みである。
 思わず耳をダンボにして、後ろの席の二人の会話に耳をすませてみるが、ヒソヒソと話す言葉は、耳にとどきにくかった。
「──……ふぅ。」
 小さく吐息を零して、着物姿の美少女は掌でおなかを抑える。
 少し俯いた顔を見下ろして、
「どうした、腹がいてぇのか?」
「違う。……苦しいんだよ。すっごい締め付けられたからさ……。」
 着物は苦しい、とは良く聞いたけれど、まさかこんなに苦しいとは、と柳眉を顰めた美少女は、あぁ、とがっくりと肩を落とす。
「女の子は凄いな……感心するよ。」
「そう気落ちすんな、古市。ちゃんと似合ってるぞ。」
「誰もそんな心配してねぇだろーがっ。」
 ヒソヒソと顔を寄せ合って二人は間近で軽く言い合う。
 ぽんぽん、と肩を叩かれて、古市──と呼ばれた美少女は、ぺしりとそれを払いのける。
「なんだよ、おまえ、女装が似合ってるって自信持ってんのか?」
 確かに違和感ないくらい似合ってはいるが、だからって、自信持つなよ、引くぞ、と真顔で続ける幼馴染の腹部を、古市は肘で思い切り殴りつける。
「だ・れ・がっ、自信持ってるよっ!? 似合っててたまるかっ! つーか……顔洗いたい。」
 あぁ、と、顔を掌で覆いかけて……ダメだ、化粧が落ちる、とその手を所在なさげに膝の上に落とす。
「顔がなんか膜張ってるみたいで気持ち悪い。睫がなんか重いし、シバシバする。唇がベッタリ重い。頭痛い。なんか重い。腹締め付けられて痛い。足も草履で痛い。背中が落ちつかねぇ。」
 コレは女子が着ると可愛いんであって、男である俺が着ても、可愛くもなんともない、と古市は小さくぼやく。
 そんな古市を見下ろして、そうか? と男鹿は首を傾げる。
「似合ってんぞ、着物。」
 びろーん、とシートに広がる美しい袖を引っ張れば、余計なことをするんじゃありません、と古市に手の甲を叩かれる。
「っていうか……コレでほんと、上手く行くのか?」
「行くんだろ?」
 良くわかんないけど、と続ける男鹿に、ほんと、良くわかんないよな、と古市は答える。
 けど、着替えてしまったものは、もうどうしようもなかった。
 とにかく、やるしかないのだ。
「絶対、見合い相手とか、俺が男だって気付くんじゃねぇ? ちゃんと、男っぽい女に見えてるか?」
 そろり、と付け睫とマスカラで重い気がする目をあげれば、男鹿とベル坊の二人がマジマジと古市の顔を見る。
 物憂げに伏せられた瞳──睫が重いから──、繊細な雰囲気を宿す白い肌、柔らかそうなツヤツヤの唇。
 ただでさえでも女顔の古市の顔は、美容院のお姉さんの手によって、見事に女性そのものになっていた。
 男らしい、とは言えないまでも、間違えようのない男性の骨格も、着物に包まれてしまえば分からない。
「だいじょーぶじゃね?」
 うーん、と首を傾げながら男鹿は答える。
 断言はできない。
 だって、男鹿から見たら、どこからどう見ても古市には違いないからだ。
「だっ!」
 親指を立てて、ベル坊が太鼓判を押してくれるが、でも、ベル坊だしな……。というのが古市と男鹿の感想である。
 はぁぁ、と古市は頭を片手で抑えて、参ったなぁ、と呟く。
 タクシーの外では、見慣れない風景がドンドン後方へと流れていく。
 時計の時間は、刻一刻と過ぎ、「ほのかの見合い開始」時間まで、30分を切っていた。
 着付けのために母が予約した美容院から、見合い場所であるホテルまでは、約20分。
 もう、10分もすれば到着してしまうだろう。
 ソレまでの間に、古市は母と父へのイイワケと、相手方への対応を頭の中で練らなくてはいけなかった。
 何が一番揉めそうって、それはもう、両親へのイイワケにほかならないだろう。
「なんて言ったら納得するかなぁ。」
 ──どうして兄である貴之が、見合いをする張本人のほのかの代わりに、彼女が着るはずだった着物を着てホテルにやってくるのか。
 あの二人はそれこそ首根っこを掴んででも説明させようとするだろう。
 そりゃもうビックリだ。
 娘が綺麗に着飾ってくるはずの場所に、しょっぱい女装姿で兄がやってくるんだから、それはもう、ビックリする以外にないだろう。
「普通に言やいいんじゃね? ほのかがお前生贄にしてでもヤだって嫌がったって。」
「……いや、まさにその通りだけどな、生贄ってお前……。」
 生贄、という単語が出た瞬間、ベル坊が嬉しそうに、にやぁ、と笑う。
 はぁ、と溜息を零して、古市は少しだけ座りなおす。
 帯をしている分だけ──なぜか美容院さんが物凄く張り切ってくれたので、素人目にも分かるくらい気合の入った帯を、崩すわけにはいかない。そのため、シートにもたれることが出来なくて、クルマが揺れるたびに男鹿の腕を掴んだり、ドアの持ち手に手をかけたりと、バランスを取らなくてはいけない。
 それに神経を使ってしまい、ホテルに着く前にへとへとに疲れてしまいそうだ。
 はぁぁ、と溜息を零して、古市は今朝「検討を祈ってるっ!」と見送ってくれた妹の顔を思い出す。
──ほのかが、相手がヤクザの息子だと知って、絶対に見合いに行きたくない、と言い出したのが一ヶ月前のことだ。
 ずっとダダをこね続けていたのだが、母も父も、もう返事しちゃったから、と請け負ってくれなかった。
 大丈夫、ヤクザの息子さんだとか言っても、そんな無理強いしないし、とかなんとか、母も父も言っていたのだが、まだ中学生であるほのかには、不安で心配でしょうがなかったらしかった。
 その運命の日が近づくたびに、彼女は目の下にクマを作るようになり──とうとう、一週間前の土曜日に、兄に泣きついてきたのである。
 曰く、見合いをぶち壊すのに協力してっ! ──と来た。
 ぶち壊す必要なんてないんじゃないかと思ったのだが、「もし、相手の人に気に入られちゃって、まずはお友達から、とか言われたら、お父さん、断れると思ってるのっ!?」 ──と言われて、残念ながら古市は答えることが出来なかった。
 上司に迫られ、取引先の社長に土下座され、中学生にしかならない妹に見合いをさせてしまうような父である。友達くらいなら……と押し切られる可能性はある。
 ぐ、と詰った兄に、鬼の首を取ったようにほのかは迫り、無理矢理古市に協力の打診を取った。
 そして、どうすればいいのか、男鹿を巻き込んで頭を付き合わせて相談している最中に……あぁ、これぞ悪魔の力とでも言うべきか。
 ベル坊のミルクを渡しにやってきたヒルダが、「それならば、古市が女装して、お前の代わりに行ったらいいだけではないのか? このキモさと残念さ加減に、誰もが断ってくるだろう。」とか言ってくれるから。
 もともと見合いに行く気もなかったほのかが、それで、強引に押し切ってくれたのである。
 題して「女装男にしか見えない女(しかも性格もキモくて残念)で、子持ちのダメ男(男鹿のこと)を愛して止まないダメ女を演じ、見事に見合い相手に振ってもらおう」大作戦である。
 ……なんかもう、普通に、男鹿を連れてって、「恋人でーっす」とか言ったほうが早いんじゃ? と思わないでもないが、男鹿は最終手段なのだそうだ。
 そんなほのかと、なぜかノリノリだったヒルダに押し切られ、古市は妹の代わりに振袖を着て、見合い会場に向かうハメになってしまったのである。
「まー、でも、さすがに女装してる男にしか見えない相手と、結婚しようだとかは思わないだろ。」
 言いながら古市は、先ほど出てきたばかりの美容院の、あの冷水をかぶったような静寂ぶりを思い出す。
 着付けをしてもらうために予約の時間に美容院に行ったときの、店員の(あれ、身長150センチくらいだとか言ってなかったかしら? 髪の毛も聞いてたより短いし、色も違うわよ? 随分ボーイッシュな子だわ。用意していた髪飾りとかで似合うかしら。)なんとも言えない目もいたたまれなかったが、着付けルームから出た時の店中の呆然とした視線も痛かった。
 もう、モロに変態がいるっ、と言われてるような気がして、恥ずかしくてしょうがなかったくらいだ。
 右も左も可愛い女の子や綺麗な女の人が居るのに、なんでその中を奇異な物を見るような目で見つめられながら、女装姿で歩かなくてはいけないのか。
 それほど俺は酷いことをしたのだろうかと自問したくなるほどだった。
 けれど、あの反応を見たおかげで、「見た目はドン引きするほど気持ち悪い」という自信を持つことはできた。
 これで見合い相手が、思わず古市に一目ぼれだとか、そこまで行かなくても好意を持つ、なんてことも防げるはずだ。
「後は、向こうが気に入らないように、完膚なきまでに作戦を遂行したらいいわけだし。」
 いつものように男らしく振舞ったら、向こうだって「さすがにちょっと……」と思うに違いない。
 マンガの中かと思うような作戦を決行するつもりで、古市は男鹿に、まかせたぞ、と目線を向ける。
 古市の態度や見かけにドン引きしてくれなかったら、男鹿の出番なのだ。
 その視線を受けて、男鹿はニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。

 ──が、しかし。

 古市も男鹿も、致命的なところで間違いを犯していた。
 この作戦が上手く行くために必要不可欠な、「可愛い女子中学生のはずの娘(ほのか)が来るはずだったのに、来たのは男かと思うような体躯の女装の男性みたいな女の子だった」という前提は、すでにもう、失敗しまくっているという、失態を。
 そのことに二人は全く気付かないまま、タクシーはホテルへと到着するのであった。













 タクシーから降りるときにも、男鹿が抱えて下ろしてくれた。
 降りれるという言葉も無視され、お姫様抱っこをされて下ろされた古市は、自分たちはどれほど回りから気持ち悪く見られているのだろうかと、長々と溜息を零す。
 締め付けられた帯のおかげで、腹部が窮屈で窮屈で、背筋を正さずにはいられない。
 少し胸を張って立てば、古市が無自覚なままに姿勢の正しい着物美人が出来上がった。
 タクシーにお金を払っていた男鹿が、つり銭を自分のポケットの中に入れて、古市の半歩先に立って歩き出す。
 着物姿が歩きにくく、扉の開け閉めがしにくいことを美容院で学んだため、自然と古市の手を取ってくれる。
 まるでエスコートしているように聞こえるが、握り方はごく普通に、小学校のときと同じである。
 なんだか、集団登校していた時を思い出すな、と古市は小さく笑みを作る。
 上級生である美咲が、男鹿家の周辺の一年生二年生を連れて小学校へ連れて行ってくれたのだ。──その時、近所に住んでいたのが古市だけだったから、男鹿と古市はいつも美咲の後ろを、こうして手をつないで歩いたのだった。
 おかげで、古市がこけたら男鹿もこけたし、男鹿が他所道にそれたら古市もそれるハメになったっけ。
「いらっしゃいませ。」
 自動ドアが開き、中に立っていたホテルの制服姿の青年が、丁寧にお辞儀をしてくれる。
 足元には柔らかな感触のカーペット。
 出入り口正面には、高校生では到底お目にかかれないような大きな絵といけばなが置かれていて、案内デスクには綺麗なお姉さんが微笑んでいた。
 おぉ、と思わず足を止めかけた古市に反して、男鹿はあたりをキョロキョロと見回すと、まるで動じない様子で、
「おい、古市。お前の母ちゃんたち、どこで待ってんだ?」
「お前のそーゆーとこ、尊敬するよ、マジで。
 確か、ロビーだって言ってたぞ。」
 二階か三階まで吹きぬけた玄関ホールには、上品なシャンデリラ。
 柔らかなクラシックの音色が、どこからともなく聞こえてきている。
「ロビーって、どこだ?」
「地図かなんかないか?」
 多分、案内図みたいなのがあるはずなのだけど、と、古市がふんだんに光を取り込んだガラスばりの──けれど柔らかな印象を与えるよう配置された窓を見回していると、
「どうかなさいましたか?」
 耳触りの良い声で、にこやかにドアマンだかベルマンだかの青年が問いかけてくれた。
 古市はそれに、ちょうどよかった、となるべくニコヤカに──女装した男性にキモいと引かれないように、好印象になるような笑顔を浮かべると、
「両親がロビーで待っているはずなので、そちらへ向かおうと思っているのです。」
 心持ち声を高めて、首を傾げてみせる。
 男鹿は、そういうやり取りは古市に任せるに限るから、黙ってそれを見守る。
 ベル坊はものめずらしそうに高級ホテルの入り口を、キョロキョロと見回していた。──かと思うと、ふっ、と鼻でせせら笑う。どうやら、魔界の王子様には、この程度は高級とは言わないらしい。
 うん、まぁ、大魔王の宮殿と比べたら、そりゃ、「この程度」だろうけどね。
「そうでございましたか。それでは、こちらへどうぞ。」
 頷いた青年が、さ、と先に立って歩き出してくれる。
 男鹿と古市は素早く目線を交し合うと、彼に続いてホテルの奥へと続く通路を歩き出す。
 品の良い花が飾られた通路を抜けると、すぐに広い空間に出た。
 上品な華やかさを基調に統一されているらしいそこは、天井も高く、一面をガラス張りの壁に囲まれ、そこからは手入れの行き届いた中庭を一望できるようになっている。
 重厚な座り心地のよさそうなソファとローテーブルが幾つも並び、そこに数組の人たちが座って、なにやら談笑している様子が見受けられた。
 その中に、見慣れた頭と背中を見つけた。
「お、アレじゃねぇか、古市。」
 男鹿も同じ頭を見つけたらしい。
 指先で指し示す先には、確かに回りから頭一つ分ぬきんでえた父の頭と、その横でスーツ姿に身を包んだスラリとした母の姿がある。
 案内をしてくれた青年が、ペコリとお辞儀をして去っていくのに礼を言って、さて、と古市が気合を入れたときだった。
 ふ、と、母と父が、こちらを振り向いた。
 古市と男鹿がロビーに踏み込んだ瞬間に、広い空間に一瞬で広がった「緊張感」にも似た空気に、気付いたのだ。
 その原因はもちろん、しずしずと歩く着物美人と、その人と手をつないで歩く、場違いな格好をした赤ん坊を背負った男の子である。
 ざわ、と起きたざわめきに釣られるように目線を向けた古市の両親は、すぐに彷徨わせた視線をヒタリ、と古市に止めて…………かぽ、と、口を開いた。
 カチン、と視線がかみ合った瞬間、古市は口元に、へら、と笑みを浮かべる。
 と同時、ちょっと顔が引きつる。
「た…………たたた、…………貴之……っ!?」
「お、おまえ、なんて格好してるんだ……っ?」
 母が片手を口元にあて、ガタガタっ、と立ち上がる。
 てっきり綺麗な着物を着た娘が、スーツ姿の兄にエスコートされてやってくるとばかりに思っていた父も、愕然と古市を指差す。
 ──うん、確かにね、ビックリされてもしょうがないと思うよ! だって俺も、ほんと、ほのかとヒルダさんの提案には、魂抜けるほどビックリしたからねっ!!
「男鹿君まで一緒に……、ちょっと、ほんと、何やってるのよ……っ。」
 ほのかはどうしたの、ほのかはっ!
 と──もう、大体の事情は察しているだろうに、母が血相を変えて駆け寄って来ようとした、まさにそのタイミングで。

「古市君、あちら様のご子息がおいでになられたようだから、早急に……、っと、おぉ、もしかしてそちらが、君の娘さんかね?」

 こちらもスーツ姿をビシリと決めた壮年の男が、ロビーの奥のほうからやってきて、父に声をかけるではないか。
 まるでほんとにドラマのような展開だな、と古市は頭の片隅で思ってみた。
 男鹿は、おぉ、と呟いている。その顔をチラリと見たら、目が面白そうな色に染まっていたから、きっとテレビで見たドラマのようだとか思っているに違いない。
 そういう思考回路は、さすがは腐れ縁だけあって同じようである。
「あ、いえ、えーっと……その……。」
 父と母は話しかけてきた男に大きく頭を下げて──たぶん、父の上司とか言う人だろう。
 つられて古市も頭をさげ──そのついでに、男鹿の頭の後ろに手を当てて、彼の頭も強引に下げさせた。
 なにすんだっ、とか男鹿が抗議してきたけど、いいからっ、と黙らせる。
 父は、困ったように古市を振り返っていた。
 それはそうだろう。
 娘のはずが、来たのは息子だったのだから。
 かと言って、女装した息子を娘だと言うわけにも行かず、女装した息子ですと正直に言うわけにもいかない。
 どうしたものかと、口篭る父に代わり、上司の男は古市を見て、ほう、と感心したように声をあげる。
「これは、すごく綺麗な娘さんじゃないか! 古市君の娘さんが、まさかこれほど綺麗とは……いやはや。神崎さんの息子さんもきっと気に入るだろうね。」
 いや、いくらなんでも、お世辞とは言え、褒めすぎだろ。
 それとも、あまりに褒めどころがないから、そういうしかないのか?
 内心首を傾げながら、古市は男鹿を伴って父たちの元へと歩み寄る。
 それから改めて、苦い表情をしている母と父の横に立ち──こうなったら、やるしかない、と腹をくくって笑顔になると、
「はじめまして、古市ほのかと申します。本日はよろしくお願いします。」
 決して、「娘」だとは肯定しない。それを言ってしまったらウソになるからだ。
 正面から微笑まれて、男はデレ、と相好を崩す。
「ほのか君か。可愛い名前だな。──いやそれにしても、中学生とは思えないほど大人っぽいねぇ。」
 エロオヤジの入った笑顔で、にやにやと男は古市の姿を上から下まで眺める。
 そんな上司を、父は、不憫そうな、なんとも言えない顔で見つめる。
 ──いや、部長。それは、娘じゃなくって息子です、なんて言えるわけはない。
「ありがとうございます。」
「で、そちらの子は?」
 ちら、と男は男鹿を見やる。
 男鹿は無表情のまま男を見返すが、その眼光の鋭さに──普通にしているだけなのだが──上司はビクリと肩を揺らす。
「あ、あの、兄の友達で──、今日は兄が体調を崩して来れないので、代わりに手伝いにきてくれたんです。」
 私が着物になれてないから、フォローとか、と。
 そう言いながら……変なイイワケだな、と古市は思った。
 思ったが、言ってしまったものは仕方ない。
「あぁ、そうなのか。」
「……男鹿です。」
 古市につつかれて、男鹿は頭を下げる。
 さすがは美咲さんの教育の賜物。
 なんとか父の面目を保て、ふぅ、と古市は一仕事したかのようにイイ笑顔になってみたが。
「じゃ、とりあえず行こうか。あまり先方を待たせてもいけないからな。」
 こっちだ、と、先に立って歩き出す上司の背中を見て──あぁ、そうだ、今からこそが、本番だった、と……古市は、がっくりと両肩を落とすのであった。













 エレベーターに乗って見合いの席を設けられている懐石料理店のある階まで登る。
 その中、父と父の上司が話しているのを他所に、母が、物凄い笑顔で古市と男鹿に迫ってきた。
「……貴之、あんた、どういうつもりなの……っ。」
 何ソレ、この格好は何なのっ!? と、ヒソヒソと叫びながら、グイグイ袖を引っ張られ、いやその、これは、と古市は目線をそらす。
 母の鬼気迫る表情に、そりゃ確かに、自分がこんな娘を持ってると元同級生や夫の上司に思われてたらイヤだよなぁ、と古市も思う。
 思うけど、もうこうして来てしまった以上、仕方ないではないか。
「ほのかが、ぜってぇイヤだって、古市に押し付けたんだよ。男みたいな女なら、振られやすいだろって。」
 それに、石矢魔に通っている古市や男鹿なら、ヤクザにだって自分よりも慣れてるはずだ、って言ってた。
 そう続ける男鹿に、母は、額に手を当ててフルフルと頭を振った。
「だからって、何も引き受けることないでしょうが……。」
「いや、それは俺もそう思うけどさ。」
 まったくもー、と母は溜息を零して、古市の……息子の姿を一瞥する。
 もともと、自分の息子は見目のいい顔立ちをしているとは思っていた。
 女の子大好きを自負する息子が、ある日突然マッチョと同居すると言い出したときには(正しくは違うが、古市家ではそういうことになっている)、可愛い顔をしてるからかしらね、と思わず納得してしまったくらいには、母の欲目抜きにしても息子は綺麗な顔をしている。
 だから、ほんとうに、なんというか。
「それじゃ、逆効果でしょうが……。」
 まったく、と髪を掻き毟りたくなり、今からの見合いに立ち会う身としては、そういうわけにもいかないと、溜息を零したくなった。
 ──そう、逆効果だ。
 古市の両親は、元々本気でほのかを見合いさせるつもりなんてなかった。
 聞いてみたところ、乗り気なのは相手方の親だけで、その息子というのも余り乗り気ではないのだという。
 その証拠に、今日は美味しい御飯を食べるのが第一目的にするという約束を父とこぎつけて、友達を二人連れてきているというのだ。
 高校三年生だとか言っていたから、そんな彼らにしてみたら、中学生のほのかなんてまだまだ乳臭い子供にしか見えないだろう。
 妹のように思っても、女としては見れないに違いない。その上ほのかは、童顔だ。未だに小学生に見られると拗ねる程度には、童顔だ。
 その彼女を、相手がお付き合い対象に見る可能性など、万に一つもない、と両親は踏んでいた。
 だから、ほのかにも見合いに出るように促がしていたのだ。
 ──けど。
「なにが??」
 不思議そうに首を傾げる「ほのかの代役」の貴之の、この美人っぷりと言ったらっ!
 実の母である自分ですら、思わず見とれてしまうくらいの、完璧な着物美人である。
 上背があることもあいまって、どう見ても中学生には見えない。
 これなら、高校生の相手さんも、「将来有望かも」と思って、ちょっとくらいなら付き合っていいかも、と思わせる──いや、むしろ今からお付き合いしたいと思わせるに十分すぎるほど魅力的な要素が詰っていた。
「あぁ、もう、ほんと、──どうすんのよ。」
 知らないからねっ、と、言い捨てる母に、何が何だか分からない古市は、男鹿と目線をあわせ、サッパリわからん、と肩を竦めあうのであった。











 上司の男に案内されてやってきた懐石レストランで、今度は上品な物腰の店員の男性に個室まで案内される。
 室内だと言うのに、店の入り口から各個室までの廊下には石畳が敷き詰められている。中央には男鹿の背丈よりも少し高いくらいの大きさの木も植えられており、ちょっとした二本庭園を模している。
 柔らかな竹と障子の風合いが清雅な雰囲気を持っている、ちょっと緊張が走る高級感溢れる日本懐石店である。
 こちらでございます、と案内された個室の引き戸を開くと、中には小さな玄関のようなところまであった。
 靴箱の中にはすでに革靴が4つ入っていて、「……4つ?」と古市が首を傾げるのに、母が「あちら様もお友達を連れてきているらしいのよ。」と素早く耳打ちしてくれる。
 へー、と頷きながら、古市は無言で男鹿を見る。
 ここまで誰も何も突っ込まないが、男鹿は場違いなTシャツ姿である。
 相手の靴が革靴ってことは、向こうのお友達もスーツ姿なのだろうことは想像に難くない。
 ワー……なんか俺、友達がコイツってだけで、マイナス要素作りまくってるんじゃねっ!?
 なかなか、幸先がよさそうな気がして、古市は男鹿にドヤ顔で振り返っておいた。
 母たちが先にあがり、古市も、さて、草履を脱ごうとしたところで、ぴた、と動きを止めた。
 ……草履を脱ぐことはできる。
 だが、先ほどのタクシーでも思ったが、入り口は一段高くなっている。果たして、どうやって畳張りの床へ着物姿で登るのか、それが問題だ。
 うう、と固まった古市に、しょうがねぇな、と男鹿は溜息を零すと、
「ほら、こっち来い、古市。」
 古市の腕を取って、彼の腰を自分の膝の上に乗せる。
 うぉっ、と小さく悲鳴をあげた古市の体を固定すると、ちょっと古市の足を浮かせて、ぽいぽい、と草履を脱がせる。
 それでそのまま抱えあげて、古市を床の上に乗せる。
 まるで親が子供を抱っこして乗せるような仕草である。
「あ、サンキュ、男鹿。」
「おー。」
 そのまま男鹿は面倒そうに古市の草履と自分の口をゲタバコに放り込んでから……ちょっと考えて、二人分の靴をそろえておく。
 そんな一連の動作に、古市家の両親が、妙に生ぬるい視線を向けたが、二人は気付くことはなかった。
 それから、店員が奥の襖に──正しくはその奥にいる人たちに声をかける。
「神崎様。お連れ様がお見えになりました。」
「おお、入ってもらってくれ。」
 中から渋い男の応えが返る。
 その声に、おお、これがヤクザの組長……っ! と思ったところで、アレ? と、古市は首を傾げた。
 ハテナマークを頭に飛ばしながら、男鹿を見上げる。
「ん?」
「なんか、今……。」
 どっかで聞いた名前を聞いた気がする、と。
 古市がそう告げるよりも早く、店員は襖を開いた。
 果たして、そこには。





 見た事がない渋いおっさん(多分組長)を上座にすえて。
 つい昨日も学校で会ったばかりの──更に言うなれば、隣の席でいつも見かける人の顔があった。





 こちらに視線をくれるヤクザ屋さんの次男の隣には、やっぱり学校で見たばっかりの顔が二つほど並んでいる。
「…………。」
 思わず、古市は凝固した。
 凝固せずにはいられなかった。
 何コレ? どこのドッキリ番組ですか?
 っていうか、どういうドラマ的展開?
 妹の見合い相手は、お兄ちゃんの同級生(正しくはちょっと違うが、席が隣だから似たようなものだ)とか、ほんと、何ソレっ!? どこの萌えマンガですかっ!?
 思わず古市が動きを止めたまま目を見開いていると、その後ろからヒョッコリと男鹿が顔を覗かせて──。
「「「「あ。」」」」
 フルフルと震える古市の頭の上で、4人の声が重なった。
「男鹿っ! お前、なんで……っ!」
 がたっ、と立ち上がったのは、ヤクザ屋さんの次男坊こと、神崎一である。
 驚いた顔のその横では、へー、と面白そうに目を細めながら、夏目がニコニコと笑う。
「驚いたなぁ〜。神崎君のお嫁さんになるかもしれない子だっていうから、どんな子なのか一目見ておこうと思ったんだけど……まさか、男鹿ちゃんがついてくるなんて、ね。」
 意味深に目を細めて、夏目は古市の顔と、その横手から顔を覗かせていた男鹿とを交互に見やる。
 その値踏みするような視線に、古市はゾクリと背筋を震わせる。
 ──こ、これはばれてるッ!? ばれてるんじゃねーのっ!?
 だってそうだろっ!? 俺、この人たちと毎日顔あわせてるっ! ばれてないほうがおかしい! 絶対おかしいってっ!!
 ぎゅ、と拳を握り締めて、そろり、と目線をあげれば、こちらを凝視していた城山と、バッチリ視線があった。
 途端、城山は、ボッ、と顔を赤らめて、あからさまに視線をそらしてくれた。
 こ、これは……、あまりに恥ずかしい女装に、直視できないとか、そういうオチっすかーっ!?
 ヤバイっ、明日学校に行ったら、もう、アレだ、アレ。邦枝先輩や寧々さんや谷村さんに、すっごい冷めた目で見られて、「あいつ、嬉しそうに女装して、神崎に嫁になりたがったんだって。」とか言われるんだっ!
 うわーっ、最悪っ、絶対サイサクー!!!!!
「男鹿君、お知り合いなの?」
 いぶかしげに振り返る母に、男鹿は、あー、と頷くと、
「高校の先輩。」
 短くそう答えてくれる。
 それに、そうなの、偶然ね、と頷きかけた母の表情が、ぴきん、と凍った。
 男鹿の高校の先輩、ということはすなわち、現在目の前で女装している最中の息子の先輩ということでもある。
 みるみる内に真っ青になった母の目が、「どーすんの、あんたっ!」と語りかけてきた。
 それはもちろん。俺が聞きたい。
 そんな気持ちになりながら、古市は、はは、と乾いた笑いを零しながら、神崎の顔を見やる。
 とりあえず、ことを荒立てることなく、上手く神崎たちに自分が代役であることを──ほのかが急病とかでどうしても来れなかったとかなんとか、彼らの気分を損ねないように、智将の舌先三寸で丸め込まなくてはっ!
 新たな窮地に追い込まれた自分を感じつつ、古市はひとまず、自分だって気付いてしまっただろう神崎達に、アイコンタクトを送るためにパチ、と軽く目配せしてみた。
 ────ら。

「──……っ!」

 なぜか、神崎達は目元を赤らめて、あからさまに視線をそらしてくれた。







 ……アレ?






 なんだか思っていたのと違う展開に、いやーな予感が胸に迫り来た古市の後ろで、男鹿は暢気に、そーいやベル坊のミルク、持ってくんの忘れたなー、と考えていた。
 そのうちヒルダがミルクを持ってきて、乱入して、いつものようにドタバタになってしまうことは目に見えて分かっていることだった。
 さて、この後、4人対4人の見合いの席がどうなるのか……ソレは、悪魔のみぞが知ることである。